プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年06月17日

中沢孝夫『中小企業の底力―成功する「現場」の秘密』―2つの賛同と2つの疑問(後半)


中小企業の底力: 成功する「現場」の秘密 (ちくま新書 1065)中小企業の底力: 成功する「現場」の秘密 (ちくま新書 1065)
中沢 孝夫

筑摩書房 2014-04-07

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 (前回からの続き)

 【疑問①】著者は本書の中で、雇用流動化に対して強く反対しており、長期雇用こそが人材育成のカギであると主張している。
 一部の行政と学者は、雇用の流動化を促進するための制度づくりを提唱しているが、その多くは無意味というより実害のほうが大きい。現実に自らの人生を転換させようとしている人間は、法や制度によってではなく、自分で行動しているものである。

 もちろんどのような会社にも、経営者から見れば、役に立たず辞めてもらいたい人間はいるものだ。しかし「整理解雇」をしやすい法制度に変更したら、今度は別の副作用が生じると考えたほうが確かである。社会の慣行や仕組みというものは、目に見えない合理性があるのであって、ルールを変えれば世の中がよくなる、という簡単なものではない。
 失業した勤労者は、別の産業に移れるだろうか。不可能とはいわないが、製造業で10年、20年と働いてきた人たちが介護など福祉の現場の人が足りないからといって、そちらに移っても「技能」の異なりが大きすぎる。それは流通・小売りに移った場合も同様である。もちろんその逆の移動も同様だ。
 私の見解を先に述べるならば、私は雇用流動化賛成派である。それは、企業が社員全員の雇用を長期にわたって維持し続けることは非常に困難であるという理由と、高齢社会の到来によって新たに出現する産業に対し、従来の産業から労働力を供給しなければならないという必然性からである。また、私の前職の会社で、間違った雇用のために企業文化に深刻な悪影響を及ぼし、業績を悪化させてしまったという経験も影響している。

 【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?
 高齢社会のビジネス生態系に関する一考(1)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』
 高齢社会のビジネス生態系に関する一考(2)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』
 高齢社会のビジネス生態系に関する一考(3)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』
 【ベンチャー失敗の教訓(第36回)】「この人とは馬が合いそうだ」という直観的な理由で採用⇒そして失敗
 【ベンチャー失敗の教訓(第37回)】最初に「バスに乗る人」を決めなかったがゆえの歪み
 【ベンチャー失敗の教訓(第39回)】「何をなすべきか」よりも「誰と働きたいか(働きたくないか)」で決まる組織構造

 著者は雇用流動化に対してかなりアレルギーがあるようだが、具体的にどのような「実害」や「副作用」が生じるのかは全く論じられていない。逆に、現在の人事制度、すなわち長期雇用を前提とした人事制度には「合理性」があるというものの、どういう「合理性」のことを指しているのか不明である。これでは公平な議論とは言えない。介護・福祉分野における雇用ニーズは今後間違いなく生じるのであり、その雇用を現実のものとしなければ、日本社会は破綻してしまう。にもかかわらず、製造業で培った能力は製造業でしか通用しないなどと言っていては、介護・福祉業界に従事できる人は誰もいないことになってしまう。

 長期雇用に合理性があったのは、多くの企業が同じような戦略の下で大量生産を志向しており、求められる能力がそれほど多様ではなかったため、誰がどの企業に入っても、長年勤続していれば必要な技術や技能を習得することが可能だったからである。

 今や、この前提は崩れてしまった。現代の日本は価値多元主義であり、多様な戦略を持つ多様な企業が共存する社会だ(以前の記事「日本とアメリカの「市場主義」の違いに関する一考」を参照)。したがって、求められる能力も昔とは比べ物にならないほど多様化している。ある人がどの分野に対する適性を有するのかは、容易には判断できない。間違った雇用も行われるだろう。その際に長期雇用を盾にとると、適材適所が阻害され、社会全体が動脈硬化を起こす。むしろ、雇用を流動化し、適材適所を模索する機会を増やす方がプラスではないだろうか?

 人材育成に長い時間がかかるのは、今も昔も変わらない。そして、製造業であろうとサービス業であろうと共通の事実である。だが、それを実現する手段は長期雇用ではない。著者は、高業績を上げている企業は、長期雇用で人材育成を行っているという。しかし、実際には、その企業が要求する能力への適性があった社員が結果的に長期雇用されているのであって、不適格と判断された社員はある時期までに排除されているという事実が見落とされている気がする。

 【疑問②】本書ではASEAN諸国の中小企業についても言及されている。ASEAN諸国は先進国からの製造アウトソーシング受託によって所得を増加させたが、今は「中所得国のワナ」に陥っているという。すなわち、もっと所得を増加させるためにはより高度な製造技術を獲得しなければならないのだが、産業の裾野を支える中小企業の技術がそこまで追いついていない、というわけだ。現在、日本企業はこぞってASEAN諸国の中小企業に「技術移転」をしようとしており、各国の企業にその能力を競わせている。
 こまかい部分になると企業のプライバシーに触れることになるので、ごく簡単に東陽工業(大阪)の、日本、タイ、インドネシア、マレーシアの各工場の「能力比較表」を見てみよう。データを分析する能力、設計する力、サンプル(試作力)、機械のメンテナンス・・・といった13項目の「必要能力」のすべてが揃っているのは、当然のことだが日本本社である。タイが日本の80パーセント、インドネシアが40パーセント、マレーシアが20パーセントといったレベルである。
 個人的には、「技術移転」という言葉に若干の違和感を覚える。確かに技術移転は必要だが、技術移転だけではASEAN諸国は中所得国のワナを抜け出せない。いやむしろ、技術移転は各国の成長の可能性を狭めているようにも思える。技術移転という言葉の背景には、まずは日本国内で新製品を開発・製造し、軌道に乗った時点で製造コスト低減のために海外工場を利用する、という前提がある。つまり、技術移転という言葉が使われる限り、ASEAN諸国は日本の「コピー」であり、日本から見て永遠に「二番手の国」と位置づけられていることに他ならない。

 もちろん、日本企業が競争力を維持するためには、策略的にASEAN諸国にそういう立ち位置を振舞わせることが重要だという見方もあるだろう。中台からの新興企業に苦しめられている日本企業は、これ以上自分をを脅かす存在を増やしたくないと考えているのかもしれない。

 しかし、日本の戦略的ポジショニングとは、アジア諸国の多様性を尊重し、各国の繁栄を願うことではなかっただろうか?その日本が、いつまでもASEAN諸国に対して優越的に振舞い、日本的なやり方を”押しつける”ことが妥当だと言えるのだろうか?ASEANの各国には、それぞれ固有の文化があり、社会制度があり、それらのバックボーンに基づく市場ニーズが存在する。必然的に、日本とは異なる多様な技術に立脚した多様な産業が成立する余地がある。日本の役割は、そうした産業の成り立ちを陰ながら支援することではないか?その芽を摘み取るようなことだけは、日本は決してしてはいけないと思うわけだ。


《2014年9月13日追記》
 先日、いすゞ自動車の元役員で、海外工場のマネジメント経験が豊富な方の講演を聞く機会があったのだが、「日本人が現地の方々の上に君臨しているような態度や仕組みは絶対に排除しなければならない」と強調していた。「我々はその国で働かせていただいている、と思うべきだ。『教えてやる』ではなく、『協力していただく』という姿勢で接しなければならない」とも述べていた。

 また、タイに現地工場を建設したある中小企業の経営者は、タイに進出後3年ぐらい経って、「『タイを豊かにすること』を念頭に置いて経営するようになってから、うまくいくようになった」と分析していた。これらの言葉は、実際に現地で苦労された経営者の口から発せられたものゆえに非常に重い。「技術移転」などという意識では、成功はおぼつかないのかもしれない。


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