プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2014年07月04日

『自分の花を咲かせる(『致知』2014年7月号)』―「住するところなきを、まず花と知るべし」(世阿弥)、他


致知2014年6月号自分の花を咲かせる 致知2014年7月号

致知出版社 2014-07


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(1)
 「住するところなきを、まず花と知るべし」

 この世阿弥の言葉は、常に新鮮な芸を目指し、過去の実績や現状に胡座をかくことなく、「住せぬ」精神でひたすら己を高めた世阿弥の能楽者としての姿勢、人生に対する姿勢を表現する言葉と言えるでしょう。常に危機意識を持ち、現状に甘んずることなく精進を続けたからこそ、世阿弥は己の芸を高め、その作品は死後も人々に感動を与え続けているのだと思います。
(西野春雄「世阿弥に学ぶ まことの花を咲かせる生き方」)
 世阿弥の芸術論『風姿花伝』にあるこの言葉について、西野氏は「住するところなき」という部分を「現状に安住しない」と解釈しているが、私は少し違う解釈を加えてみたいと思う。

 このブログで最近頻繁に繰り返していることだが、日本は多神教の文化である。この世にはいろんな神が存在しており、何が正しいかは一概に決められない。だから、解=自分がこの世で最も価値を発揮できる役割や役割を求めて、常に彷徨い歩くことになる。別の言い方をすれば、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を繰り返す。その様子を傍から見ていると、神々の下手に出てお顔をうかがい、自信なさげに振る舞い、卑屈で、臆病で、ふらふらと落ち着きがないように映る。だが、それが日本人なのである。「住するところなき」とはそういう意味だと思う。

 一方、一神教のアメリカ人は、自信を持って、自分の基軸をしっかりと定めることを美徳とする。なぜならば、内面的な信仰を通じて、唯一絶対の神の意思を汲み取れると考えているからだ。アメリカ人にとって、「私が正しいと信じるに至ったことは、神が正しいと考えていること」である。

 仮にそれが実現しないならば、単に努力が足りないからであって、努力をすれば必ず実現すると思い込んでいる。本号の中で、製薬会社アキュセラのCEOである窪田良氏が、次のようなアメリカ人起業家の言葉を紹介している。「どんなに傷ついても前進し続ければ、バトルスカー(戦傷)の数だけ強いリーダーになれる」 この言葉は、まさにアメリカ的な思考の産物である。

 この考え方が暴走すると、神の力を借りて個人的な考え方を正当化しようとする。野口種苗研究所代表の野口勲氏は、安倍昭恵氏との対談記事で、手塚漫画に触れてこう述べている。
 小学校高学年の時に読んだ手塚漫画に、世界が滅びる作品がありましてね。某国が巨大な核爆弾を日本の上空から落とすんですが、その時に神父だか牧師が「神よ、世界平和のためにこの実験を成功にお導きください」と祈って落とすんです。それを見てなるほど、と。人間というのは、神とか正義とか世界のためといって、とんでもない馬鹿なことをやる存在なんだなということを、僕はその漫画で教わったんです。
(野口勲・安倍昭恵「【対談】タネが危ない 生命の花を咲かせ続ける」)
 某国とはおそらくアメリカのことではないだろうか?神の名を借りて自らの行為を正当化するのは、一神教のアメリカにしかできない。多神教の日本であれば、様々な神々と意見をすり合わせる中で、核爆弾の投下にストップがかかるに違いない。「住するところなき」の精神は、理性の独善的な暴走に歯止めをかけ、より優れた叡知に到達するための知恵だと思うのである。

(2)
 最初のブームはオリンピックでしょうね。その次が万博。それで日本の建築技術はうんと進んだように思われているけど、ほんと言うと技術は落ちたんです。とにかく早いこと、それから大きなものをやれと。こうしたら広い空間ができて、大人数が収容できるとか、こういう材料を使ったら雨にも強い、火にも強いというように新しい技術が当時次々と生まれてきました。

 それはもう、我われ職人でもついていけんほどで、そうした技術が徐々に一般家庭の建築にも組み込まれていく。そうすると、それまで現場で家を1軒建てるのに最低でも半年はかかっていたものが、あれよあれよという間にできてしまう。確かに見た目には素晴らしいもんができる反面、つまらんものもできてきた。私が技術が落ちたというのはそこなんです。(中略)これまで職人がやってきたように、日本人の生活にあった緻密で、気候風土に合ったもんができなくなった。それはやはり、手でやった仕事でないとダメなんです。
(佐藤嘉一郎「生涯現役第101回 93歳 受け継ぎし伝統を伝える」)
 水曜どうでしょう好きの私は、思わず「原付日本列島制覇」(2011年放送)のシーンを思い出してしまった。宮大工に扮装した大泉洋さんが紀伊半島の山中で、「アメリカから入ってきた2×4工法なんてのは面白くとも何ともないやねぇ」、「あれじゃあ技術は育たないんだよなぁ」と藤村Dに熱弁(?)していたあのシーンである。テレビでは冗談っぽく会話が進んでいたが、建築の現場では実際に技術の低下が肌で感じられるようだ。

 日本は技術立国だと言われ、日本人自身もそのように思っているようだ。だが、一度足元をしっかりと見つめ直した方がいい気がする。優れた技術を持っていると思っていたのに、実は技術が衰退していた、あるいは技術そのものが市場から求められなくなっていたというような、笑うに笑えない事態が進行しているのではないだろうか?

 旋盤工で作家の小関智弘氏は、日本の大手メーカーに対して厳しい批判を加えている。すなわち、大企業は製造プロセスをどんどんアウトソーシングし、下請企業を安く買い叩きまくった結果、技術の”お買い物”をする消費者のようになって技術力が低下したというわけだ(※1)。

 では、下請企業である中小企業は、厳しい要求に耐えて技術力をつけているのかというと、こういう話もある。ある自治体で中小企業の調査を行った時、自治体の担当者は「我々の地域は印刷業が強く、印刷業の中小企業が多い」と自慢していた。しかし、調べてみると、印刷業界は2003年から2020年の間に事業所数が約半減すると言われるほどの縮小市場であった(※2)。

 日本が技術力を取り戻すにはどうすればよいか?今の日本企業は、あらゆる分野で高い技術力をアピールしようとしているが、もう少しフォーカスを絞った方がよい。乱暴なポジショニングかもしれないけれども、「壊れたら人が死ぬという製品」、「ミスがあったら人に危害が及ぶというサービス」に集中することが、日本企業に適した道ではないだろうか?(以前の記事「藤本隆宏『日本のもの造り哲学』―インテグラル型の日本企業に勝機がある分野はどこか?」を参照)

 壊れても人が死なない製品などは海外に任せておけばよい。身の回りの必需品のうち、壊れても人が死なない製品は、新興国メーカーに安く作ってもらう。また、壊れても人が死なない製品分野を新たに開拓してイノベーションを起こすアメリカとも、まともに勝負してはならない。新興国メーカーやアメリカ企業は、その成功が非常に大きなインパクトを持つので、日本企業も真似をしたくなる。だが、彼らのビジネスモデルの特徴は、壊れても人が死なないことをいいことに、技術力の優先度を下げ、モジュールの組み合わせによって次から次へと素早く新製品を上市することにある。これは日本企業が得意とすることではない。

 最近、テレビではゲーム会社のCMが増えた。また、政府はアニメの輸出に躍起になっており、ゲームやアニメなどのコンテンツビジネスに力を入れている。しかしながら、ゲームやアニメは「ミスがあったら人に危害が及ぶというサービス」ではない。もちろん、バグがあったりしては困るが、そこまで高度な技術が要求されているわけではない。さらに、ゲームやアニメは嗜好性が高いので、次々に新しい作品を発表しなければならないことが、技術力の優先順位を下げることにつながっている気がする。ゲーム会社のCMを見るたびに、日本の技術力の行く末を案じたくなる。

 (続く)


(※1)小関智弘『ものづくりに生きる』(岩波書店、1999年)

ものづくりに生きる (岩波ジュニア新書)ものづくりに生きる (岩波ジュニア新書)
小関 智弘

岩波書店 1999-04-20

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(※2)「どうなる!印刷業界」(日本能率協会コンサルティング『印刷界』2011年7月号)

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