プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年09月08日

果たして日本企業に「明確なビジョン」は必要なのだろうか?(1/2)


存亡の条件存亡の条件
山本 七平

ダイヤモンド社 2011-03-11

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 山本七平の『存亡の条件』には、アメリカについて以下のような記述がある。
 彼ら(=西欧人)は「現状を次の段階への発展のための一段階」とは見ていないのである。端的な例をあげれば、西欧の一理念を抽象化した上で現実化したアメリカは、自己の現在の体制が、未来の何らかの体制へ発展する一段階とは考えていない。彼らはインドの如く、永久にその体制のままで当然なのである。もちろんそのことは、実質な改革が皆無ということではないが、それが歴史の予定された進行方向といったような考え方とは、無関係だということである。
 山本によれば、アメリカは進歩がない国であり、永遠に「停滞」しているという。同様の主張は、別の著書『日本人とアメリカ人』にも見られる(以前の記事「山本七平『日本人とアメリカ人』―アメリカをめぐる5つの疑問」を参照)。

 私自身、山本の理論を完全に咀嚼しきれていないため、十分な反論にはならないのだが、個人的にはやはりアメリカという国は進歩主義的であると思う。ここで言う進歩主義とは、将来のある時点に、現在とは異なる理想を想定して、そこに向かってどのような行動をとるべきか綿密な計画を立案し、その計画に忠実に従って将来へと歩み出すことを指す。端的に言えば、ゴール=終わり、終着点を設定し、そこから逆算してプランを作成・実行する、ということである。

 アメリカの進歩主義は、キリスト教と無関係ではないだろう。山本も、西欧にキリスト教的な思想が影響している点は認めている。アメリカに影響を与えているのは、唯一絶対神という考え方と、終末観である。キリスト教においては、神と人間との距離が非常に近く、個人の内面に神が深く踏み込んでくる。これを、人間の立場から逆に見れば、神を深く信仰することで、唯一絶対の神が思い描く理想に到達できることを意味する。そして、人間が神にアクセスするための場として、教会が非常に重視される(以前の記事「内田樹、中田考『一神教と国家』―こんなに違うキリスト教とイスラーム・ユダヤ教」を参照)。

 ただし、神の理想は永遠不滅ではない。神は不定期にその理想を入れ替える。だから、1つの理想には必ず終わりがある。理想が終わるとは、理想が機能不全に陥るということではなく、理想が成就するという意味である。これが終末観である。よって、キリスト教に生きるアメリカ人は、神が設定している(と考えられる)理想を信仰によって読み解き、その終わりの時期を察知して、終着点から逆算した計画を策定する。そして、終わりに向かって一直線に時間を進める。計画通りに終わりが来れば、それに抗うことなく、神の意思だと受け止めて終末を迎える。

 この文の「理想」という言葉を「経営ビジョン」、「計画」という言葉を「事業計画」ないしは「戦略計画」と置き換えれば、そのままアメリカ企業の経営スタイルになる。アメリカ企業は、経営陣が信じる価値観に従って明確なビジョンを描く。そのビジョンは、経営陣が心の底から深く信仰し、神の意思に沿っているという点で正統化される。経営陣は、神のお墨つきをもらったビジョンを達成するために、経営企画スタッフなどを動員して、緻密な事業計画を作る。そして、その計画をトップダウンで現場に落とし込み、計画を粛々と実行する。

 アメリカでは、大企業であっても簡単に倒産させる。アメリカが日本のように大企業の倒産に抵抗を示さないのは、倒産=神が設定した終末であると考えるからだ。例えば、コダックが倒産したのは、コダックが長年にわたって信じ続け、神も正統性を付与していた「カラーフィルムの時代」が終わった(「デジタルカメラの時代」に取って代わられた)からであり、時代が終わった以上は静かに終焉を迎えるのが美徳だからである。

 このように、明確なビジョンを掲げ、ビジョンを達成するための計画を詳細に練り上げるというアメリカのやり方は、キリスト教に負うところが大きい。翻って日本を見てみると、日本は多神教の国である。多神教の社会では、様々な人の中に様々な神性・仏性が宿っている。自分の中に宿る神性・仏性が何であるのかを知るためには、他者と積極的に交わらなければならない。他者と自分の相違点こそが、自分を学ぶ最大の材料になるからだ。アメリカ人が教会で独り信心深く祈っている間に、日本人は他者とのつながりの中に身を投じる。

 だが、困ったことに、アメリカの神は唯一絶対であるのに対し、日本の神仏は完全な姿をしていない。だから、どんなに日本人が他者と深く交流しても、絶対的な理想に到達することがない。よって、アメリカ人のように、明確な理想を設定して、そこから逆算的に物事を考えることが不可能である。日本人にできることは、他者との交流を通じて手に入れた「当座の解」を、もっとよいものにすることができるのではないかと信じて、さらに他者との交流を続けることでしかない。

 アメリカ人は将来⇒現在という考え方をするが、日本人にあるのは現在だけである。日本人はそもそも、明確な将来を描くことができないのだ。はっきりとしたゴールを設定せず、今この時を懸命に生き、ちょっとでもよい状態を目指す―これは日本人に馴染みの深い「道」の考え方である。日本には様々な「道」があるが、誰も道の最終形を知らない。どんな達人であっても、まだ上があると信じて修行を積んでいる。何歳になっても「私はまだまだ未熟である」と言う人は、実は成熟というゴールを知ることがない。

 これを日本の企業経営にあてはめるならば、明確なビジョンを設定せず、ただひたすら今の仕事に集中するということになるだろう。言い換えれば、今目の前にいる顧客のために何ができるか?今目の前にある製品・サービスをよりよいものにするにはどうすればよいか?ということである。しばしば、株式市場の方を向いているアメリカ企業は短期的で、日本企業の方が長期的に物事を考えていると言われる。しかし、私にとっては、明確なビジョンに向かって邁進するアメリカ企業の方が長期的であり、今この時を生きることしかできない日本企業の方が短期的に映る。

 (続く)

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