プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2014年11月05日

イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』―ビッグデータで全世界を知り尽くそうとするアメリカ、観察で特定の世界を深く知ろうとする日本


その数学が戦略を決めるその数学が戦略を決める
イアン・エアーズ 山形 浩生

文藝春秋 2007-11-29

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 10月に引っ越しをした時に出てきた本。数年前に売れた本で、今さら感が半端ないが、せっかくなので読んでみた。一言で言えば、「ビッグデータはすごい。人間の直観が機能する領域はどんどん狭くなっている」と延々主張している本である。ビッグデータという言葉が広く使われるようになったのは2011年頃であるが、本書の原書"Super Crunchers - Why thinking-by-numbers is the new way to be smart"が出たのが2007年、本書も同年に出版されていることから、本書にはビッグデータという言葉は登場しない。代わりに、「絶対計算」という言葉が使われている。
 企業も政府も、意思決定をますますデータベースに頼るようになっている。(中略)絶対計算とは何だろうか。それは現実世界の意思決定を左右する統計分析だ。絶対計算による予測は、通常は規模、速度、影響力を兼ねそなえている。データ集合の規模はとんでもなくでかい―観測数の点でも変数の数の点でも。分析の速度も加速している。データが出てきた瞬間に、リアルタイムで定量計算されることが多い。そして影響力もすさまじいことがある。
 企業がビッグデータを活用して業績改善に成功している事例は本書にもたくさん載っているし、ネットでも簡単に調べられるので、今さら私がどうこう言うことはない。本書で興味深いのは、ビッグデータの活躍が企業経営にとどまらず、公共の領域にも及んでいるという点だ。
 多くの州は、職探し支援を提供すると州の失業保険料支払いが下がるかどうかを調べる試験を行ったのだ。求職支援は新しい職能訓練を提供するのではなく、新しい仕事への応募と面接の受け方について助言するものとなっていた。こうした求職支援支援が目新しかったのはもう1つ、これらが2種類のデータベース意思決定、つまり回帰分析と無作為化を組み合わせていたからだ。

 求職支援プログラムは、まず回帰方程式をつかって、自力で仕事を見つけられなさそうな労働者を予測した。この回帰分析のおかげで統計的なプロファイリングができて、支援を必要とし、それが最も効果をあげそうな人物に支援を集中することができるようになった。プロファイリングの段階が終わったら、無作為化がやってくる。この試験は、適切な失業者を、支援受給者と不受給者の対照群とに無作為に振り分けて、この介入の影響を直接計測できるようにした。
 ダイレクト・インストラクション(DI)は、教師を脚本にしたがわせる。授業はすべて―「指を題名の下において」といった指示も、「続けて」といったうながしも―教師用のマニュアルに書かれている。発想としては教師に、理解しやすい細かい概念として情報を提示させるように強制し、そしてその情報が本当に咀嚼されるよう確認するということだ。(中略)

 (DIの考案者である)エンゲルマンは、(ピアジェの)子供中心教育法も(チョムスキーの)全言語アプローチも言下に否定する。かれはチョムスキーやピアジェほどは有名ではないが、秘密兵器を持っている―データだ。(中略)バックエンドにある絶対計算は、生徒の学習にどんなアプローチが実際に有効かを教えてくれる。エンゲルマンは、実際につかえるかを無視した頭ごなしの哲学談義に基づく教育方針には猛反対する。
 もちろん、豊富な経験と鋭い直観を頼りに仕事をしてきた専門家たちは、押し寄せるビッグデータの波に必死に抵抗しようとする。だが私は、アメリカ人というのは、絶対的な解は1つしかないという一神教の世界で生きる人種らしく、世界の全てをデータ化し、単純なモデルといくつかの変数で世界を説明し尽くそうとする人たちではないかと思う。実際にその作業を行うのが人間なのか、コンピュータなのかという違いだけである。

 歴史を振り返れば、アメリカは外国の政治に介入する場合、必ず事前にその国について膨大なデータを収集していた。日本を占領支配する時に実施した分析の結果がルーズ・ベネディクトの『菊と刀』である。ベネディクトは、日本の野蛮な性格は、幼少期の厳しいトイレット・トレーニングが原因だと結論づけた。実にシンプルな考え方だ。こうした理解に基づいて、GHQは日本の教育の自由化を進めていった(以前の記事「高橋史朗『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』―戦後の日本人に「自由」を教えるため米ソは共謀した」を参照)。

菊と刀 (講談社学術文庫)菊と刀 (講談社学術文庫)
ルース・ベネディクト 長谷川 松治

講談社 2005-05-11

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 現在でも、アメリカ政府は世界中の通信情報をかき集めている。ドイツのメルケル首相の携帯電話が傍受されていると問題になったことがあったが、おそらく氷山の一角だろう。アメリカは、エシュロンと呼ばれる通信傍受施設を世界中に配置していると言われる(アメリカ政府は公式には認めていない)。欧州議会の報告書は、日本の青森県三沢飛行場にエシュロンがあると指摘している。それでも、アメリカの分析能力は昔に比べると落ちているようで、内田樹氏は、アメリカがイラク戦争であれほど手こずったのは、事前分析を怠ったからだと指摘している(内田樹、中田考『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』〔集英社、2014年〕を参照)(※)。

一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書)一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書)
内田 樹 中田 考

集英社 2014-02-14

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 ビッグデータの活用によって、意思決定の主体が人間からコンピュータに移ることは、一部の専門家にとっては許しがたい話かもしれないものの、アメリカ人全般にとって朗報かもしれない。というのも、人間は基本的に自分で意思決定をしたがるが、極めて重要な問題については他人に決定を委ねようとする傾向があるからだ。

 例えば、我が子の延命措置を中止するか否かという局面において、親が自ら判断を下すよりも、医師に判断を委ねた方が、実は親の後悔は少ないことが解っている。自ら延命措置を中止した親は、「本当に自分の判断は正しかったのだろうか?」、「他にも選択肢があったのではないか?」と後悔の念にさいなまれたという(以前の記事「シーナ・アイエンガー『選択の科学』―選択をめぐる4つの矛盾(前半)」を参照)。

 いわゆる「トロッコ問題」も、重要な局面で人間がどのように判断を下すかを示唆するものであろう。トロッコ問題とは、次のような問題だ。鉱山で作業をしていたトロッコの制御が利かなくなってしまった。トロッコが走るレールの先には5人の作業員がいる。このままではトロッコが5人と衝突して、5人とも死亡してしまう。

 ここであなたには2つの選択肢がある。1つは、目の前のスイッチを切り替えることである。そうすれば、トロッコはもう一方のレールを走るので、5人との衝突は避けられる。しかし、そのレールには別の作業員が1人いるため、トロッコは彼と衝突し、彼は死亡する。もう1つは、あなたのすぐ横にいる巨体の作業員を利用することである。あなたが彼をトロッコの前に突き飛ばせば、トロッコは彼と衝突して停止する。だが、彼がいくら巨体であるといっても、衝撃でやはり死亡する。

 つまり、どちらの選択肢をとっても、5人は助かる代わりに、必ず1人は死亡する。被験者は、前者の選択肢を選ぶ方が多いらしい。どちらの選択肢を選んでも「1人犠牲にする」という結果は同じである。しかし、その結果に自らの手で関与したくはないようである。

 人間の理性が万能であると説いたのが啓蒙主義であったならば、人間の理性よりもコンピュータの理性を信奉し、コンピュータに重要な意思決定を委ねるのは、「第二の啓蒙主義」と言えるかもしれない。アメリカがこの先どういう方向に進むのかは見物である。コンピュータは確かに万能だが、それを作った人間はもっと万能である、というロジックを展開するのだろうか?それとも、コンピュータに理性の王者の地位は譲ったけれど、その我々人間がそのコンピュータにデータを投入しなければ全く機能しないといった具合に、屈折した自尊心で満足するのだろうか?

 翻って日本人を見てみると、トヨタの三現主義(現場、現実、現物)という言葉があるように(最近、色々な中小製造業を回らせてもらっていると、トヨタと同じ言葉を掲げている企業が非常に多い)、現場をつぶさに観察することをよしとする風潮があると思う。人間の五感を通じた観察なので、どうしても観察の範囲は限られる。日本人は、その特定の世界で通用する原理原則を導く。よって、世界全体を見渡せば、様々な人が様々な方法で実施した観察から導かれた様々なモデルが混在することになる。これは、多神教文化圏に属する日本の重要な特徴である。

 私は、ある大手スーパーマーケットの話が好きである。このスーパーマーケットが新しい地域に出店する場合、商圏内のニーズを把握するのに相当の時間をかける。まず、担当者をその地域に1年間張りつけて、商圏内の人々が何を買っているのかをじっくりと観察させる。晴れの日と雨の日の違い、暖かい日と寒い日の違い、1人の買い物客と家族連れの買い物客の違い、若者と高齢者の違いなど、様々な角度から観察を続ける。

 次にやるのは、商圏内のあちこちにあるごみ置き場の調査である。担当者はゴミ袋を開けて、住民は何を食べているのか、何を使っているのか、それはどこのスーパーで購入したものか、などといったことを徹底的に調べ上げる。それでもこのスーパーは飽き足らず、第3ステップとして、担当者に菓子折りを持たせ、マンションを1軒1軒訪問させて、冷蔵庫の中身を見せてもらうのだという。こうして、その商圏特有のニーズを抽出し、品揃えや販促活動に反映させていく。結果的にそのスーパーは、他の地域でその企業が展開しているスーパーとは全くの別物になる。

 これがアメリカ企業ならば、全国の購買データをかき集めて、顧客の属性と店舗の収益との間に成り立つ式を導き出し、出店予定のエリアに関する値をその式に投入して終わりだろう。

 最近、アメリカでは、社会人類学者のように顧客を観察することでニーズを掘り出そうとする「エスノグラフィーマーケティング」が注目されている。その実践例として、P&Gの"Livin' it"という活動が取り上げられる。これは、P&Gが新興国市場に進出する際、社員と現地の人たちとを一定期間一緒に生活させて、彼らが抱えているニーズを把握しようとするものである。また、10年ぐらい前には、「歩き回る経営(Management By Walking Around)」という言葉もあった。経営者は机に座っているだけでなく、もっと顧客の元へ歩いて出ていかなければならない、というわけだ。

 個人的には、顧客のことを直接観察してニーズを把握するなどというのは当たり前ではないか?なぜこんなことが今さらアメリカで注目されているのか?と疑問に思っていた。だが、今日の記事で述べたことに基づけば、アメリカはそういう考え方に馴染みがないからなのだろうと思う(最近は、日本企業も規模が大きくなりすぎて、企業と顧客との間に微妙な距離感が生じてしまい、顧客のニーズをとらえ損ねているようなケースがあるが・・・)。


(※)膨大なデータを通じて全知全能になろうとするアメリカの癖は、イギリスに遠因があるように思える。イギリスも同じく、植民地支配の前に広範なデータ収集を行っていたらしい。植民地支配がなくなった現代では、産業のことを細かく調べる。経営学のフレームワークに、産業を取り巻く外部環境を分析するPEST分析というものがある。ある中小企業診断士の方から教えてもらったのだが、イギリスの経営学の論文には、PEST分析を取り扱ったものが非常に多いらしい。その分析も、大きな産業レベルから一企業レベルまで実に様々であるという。

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