プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2014年11月23日

古川弘先生(東京都中小企業診断士協会城北支部・前支部長、享年67歳)との思い出


 東京都中小企業診断士協会には、エリアに応じて6つの支部があり、私はその中でも城北支部(板橋区・練馬区・台東区・荒川区・北区がテリトリー)に所属している。今月最も驚いたのは、昨年まで3年間城北支部長を務められた古川弘先生が、脳内出血のために19日に亡くなったことだ。享年67歳。あまりに早すぎる訃報に、言葉が出なかった。

 古川先生は支部のトップであったから、私のような一介の診断士がやすやすと接することは憚られたのだが、6支部中最も人数が少ない城北支部は、アットホームな雰囲気を目指しており、お互いの顔が見える支部にしたいという方針もあってか、古川先生の方から私に何度か声をかけていただいたことがあった。本当にありがたい話である。

 2011年7月に独立した当時、私はそもそも中小企業診断士として活動していくつもりではなかった。だから、城北支部の色々な会合にも、全くと言っていいほど顔を出していなかった。当面は前職で担当していた顧客企業の一部をそのまま引き継がせてもらえることになっていたから、数年はそれで食いつないでいけるだろうと思っていた。ところが、2012年8月に体調を崩し、1か月以上もの間入院をしてしまった。さすがに、1か月以上も仕事に穴を開けてしまうようなヤツに仕事を頼んでくれる情の深い顧客企業はなく、私は一時期ほぼ全ての仕事を失った。

 退院後もいきなりバリバリと営業ができるような状況ではなかったので、せっかく取った診断士の資格を活かしてせめて人脈作りをしようと、城北支部が定期的に開催していた研修会に出席した。そこには古川先生も参加されていた。研修会後の懇親会では、自己紹介で自分を売り込むために、実は退院したばかりであること、今は仕事がなくて探している最中であることを正直に告白した。だが、そういう”難”がある人間にわざわざ好き好んで近づいてくる先生もいなかったし、私の人見知りも手伝って、目論んでいた人脈作りは難航した。

 すると、古川先生の方から私のところにいらっしゃって、一言「身体には気をつけるんだよ」と声をかけてくださった。たったそれだけではあったけれども、わざわざ支部長が話しかけてくださったことが非常に嬉しかった。城北支部は支部長と会員との距離が近いと噂では聞いていたが、まさにこれがそのことなのか、と思った記憶がある。

 古川先生には、仕事の工面をしていただいたこともある。ある日突然、めったに鳴らない自宅の固定電話が鳴ったかと思ったら、相手は古川先生だった。「谷藤先生、今何している?こんな仕事があるんだけどどう?」その仕事は私にとって未知の領域であったが、これも何かの縁だと思い、喜んで引き受けた。いざ現場に行ってみると、周りは私の親ほど年が離れた診断士の先輩ばかりであった。おまけに、今まで経験したことがない業界の知識や、中小企業政策に関する知識も必要な、結構大変な仕事だった。しかし、非常にいい勉強をさせてもらうことができた。

 何でこんな仕事を30代前半の若い私(世間一般にはもう若くないのだろうが、診断士の世界では30代なんていうのはペーペーである)にやらせてくださったのか?と古川先生に聞いたことがある。すると先生は笑いながら、「支部会員の名簿を、アイウエオ順の逆でワ行から順番にたどって行ったら、谷藤(やとう)先生に当たったんだよ」とおっしゃっていた。もっとも、それは冗談半分であり、私は古川先生が若い先生にどんどん仕事を振っているのを見ていた。だから、先生は私にも新しい仕事にチャレンジさせたいとお考えになったに違いない。

 東京協会の各支部には、独立プロコンを養成する「プロコン塾」があるところが多い。ところが、城北支部にはプロコン塾がなく、長年の懸案事項となっていた。それを昨年実現させたのが古川先生である。私も、人材育成のコンサルティングをやっている経験を買われて、プロコン塾の企画立案に携わらせていただいた。古川先生は自ら塾長になるとともに、講義も担当された。

 企画会議や講義で古川先生がいつも強調していたのは、「プロフェッショナルとは境界を知ることである」ということだった。どんな原理・原則も万能ではない。その原理・原則が成り立つための前提条件とは何なのか?その原理・原則が通用する状況とは具体的にどのようなものか?これらの点を突き詰めて考える必要がある。それが解らないうちはプロフェッショナルではない。そういう境界をわきまえずに、原理・原則が万能であるかのように思い込んで、顧客企業をミスリードし、結果的に顧客企業に大きなリスクを負わせるようなことだけは絶対に避けなければならない。これが古川先生の一貫した主張であった。

 古川先生はもともと、鉄鋼関係の製造現場上がりの方である。目的とする加工を実現するためには、原材料の量や投入タイミング、作業方法や手順など、様々な条件を調整しなければならない。また、1か月の目標生産量を達成するためには、原材料の調達、作業員の配置、製造ラインの配置、機械の稼働率など、より複雑な条件を最適化することが求められる。特定の結果は、十分に調整された状況の下でしか生まれない。このことを身をもって実感しているからこそ、前述のような教訓が生まれたのではないだろうか?先生の教えを胸に、合掌。

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