プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2015年05月04日

『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について


致知2015年4月号一を抱く 致知2015年4月号

致知出版社 2015-04


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 いまの日本の子どもたちは自尊感情がとても低いんです。自分には価値がないと思い込んでいる。それに対して我われ教育者も含め、すべての大人たちは、「あなたには価値があるんですよ」ということを実感させなければなりません。言葉で言うだけでなく、本人に実感させることが大切であって、学校教育の中でどれだけ子どもたちの自尊感情を高めてあげられるかが、我われ教育者にとって勝負だと思います。
(下野六太「子どもたちの中に眠る宝をいかに引き出すか」)
 福岡県春日市立春日東中学校の体育教師である下野六太氏は、全く泳げなかった生徒を1,000メートル泳げるようにさせたりするなど、数多くの成果を上げていらっしゃる方である。よって、その実績は大いに尊重しているのだが、この引用文は注意深く読む必要があると思う。以下、日米のキャリア開発や教育に関する私の勝手な見解である。

 アメリカでは、「人間は何にでもなれる可能性を秘めている」という前提から出発する。アメリカはキリスト教の国である。キリスト教においては、人間は全知全能の神によって、神の化身として創造された。もっとも、人間は原罪を抱えているので、神と同様に万能なわけではない。とはいえ、万物の頂点に立つ存在として、優越感を抱いてこの世に生まれてくる。

 アメリカ人は、人生の早い段階で自らの使命を定めなければならない。そして、「私は人生の中でこういうことを実現する」と神と約束する。これが、キリスト教における「契約」である。マズローの欲求5段階説では、最上位の欲求が「自己実現」となっているが、これは神との契約を履行したいという欲求に他ならない。アメリカの教育は、子どもが神と交わした契約を尊重し、使命の実現に必要な能力を子どもの中から引き出そうとする。子どもは何にでもなれる可能性を持っているのだから、その可能性の中から特定の能力を発見するのが教師の役割である。

 引用文の「あなたには価値がある」というのは、子どもがあらかじめ何らかの価値を持っていることを前提としており、それを教師がうまく引き出せばよいことを意味している。つまり、「あなたには価値があるんですよ」という言葉は、「あなたには果たすべき神との契約があるんですよ」と言い換えることができるように思えて、どこかアメリカ的な匂いがするのである。

 ところが、神との契約で定められた使命には、リミットが設定されている。しかも、終わりは割と早く訪れる。したがって、アメリカ人は期限から逆算して、今何をすべきかを常に検討しなければならない。これをバックキャスティングと呼ぶ。アメリカ人があまり長期的な視点で物事を考えられないのは、こうした時間観も影響している。

 使命を達成したら、アメリカ人は静かにそれを受け入れ、身を引くべきだとされる。アメリカのベンチャー企業の多くは、ある程度事業が成功し、株価が最高値に達した段階で株式を売却しようとする。ウォール街の金融機関で働く人は、若いうちに巨万の富を手に入れて、40歳ぐらいでセカンドライフに入る人生を称賛する。スポーツの世界に目を向けると、MLBではベテラン選手が敬遠される。過去にどんなに輝かしい実績を上げていても、年齢とともに身体能力が減退すると強く信じられている。40歳を過ぎたイチローがレギュラーになれないのはこうした背景がある。

 アメリカでは、「人間は何にでもなれる可能性を秘めている」という前提に立って、各個人が神との間で自由に自らの使命を設定する。そして、一度使命が明確になったら、その達成に向けて、手持ちのポテンシャルの中から特定の能力を研鑽する。使命が現実のものとなった暁には、潔く終わりを受け入れる。ここから導かれる興味深い事実は、「何にでもなれる可能性がある」という前提から出発していながら、実は人生の中でできることが非常に限られている、ということだ。

 日本の場合は逆に、「人間の可能性は限られている」という前提から出発する。だから、日本の子どもは大人から見れば欠点だらけである。そのため、日本の教育は長所を伸ばすというよりも、欠点を直すことが中心となる(それが行きすぎると体罰になる)。したがって、日本の子どもはアメリカの子どものように優越感を持つことができない。むしろ、劣等感を持って育つことになる。

 日本人は、「自分の可能性が限られているならば、果たしてどのような人になれるのだろうか?」と迷いを抱く。その迷いを晴らしてくれるのは神であるが、日本はアメリカと違って多神教文化の国である。しかも、キリスト教の神とは異なり、不完全な神である。だから、日本人が自分の中に宿る神にいくら問いかけても、満足のいく答えは手に入らない。そのため、周囲の様々な人と交わることで、彼らの中に存在する様々なタイプの神とも対話しなければならない。

 やっとそれらしき可能性が見つかったとしても、安心はできない。なぜならば、他者の中に存在する神も、本人の中に宿る神と同様に不完全だからだ。そのため、日本人はもっと精度の高い解を求めて、永遠に他者の間を彷徨い歩く。自分の可能性=自分の中の神の正体を知る上で最も重要なのは、自分とは異なる(であろう)神を宿している人と出会うことである。良質な学習は、異質との出会いから生まれる。凡庸な例えだが、外国を旅行すると自国の文化のことがよく解るのと同じだ。日本人は、異質な神々と出会うことで、自らの可能性を徐々に広げていく。

 日本の場合、「自己実現」という言葉はあまりふさわしくないと思う。「私はこうしたい」と自己主張する人は敬遠される。神との契約によってその意思が正当化されるアメリカならいざ知らず、日本では他者の中に宿る神々に自分の意思が承認されなければ意味がない。だから、謙虚な姿勢で、時に臆病さを見せながらも、「私には何ができるでしょうか?」と周囲の人におうかがいを立てながら、自分のできる範囲で求められる価値を確実に提供できる人の方が重宝される。

 日本人はこうした行為の積み重ねで、自分の可能性を徐々に明らかにしていく。この旅は一生続く。生涯をかけて「もっと違う可能性があるのではないか?」と探究する姿勢こそが、柔道、剣道などという言葉にある「道」の意味である。これらの道においては、レベルが上がれば上がるほど、単に技能を多様化させるだけでなく、高い人間性を研鑽することが要求される。逆説的だが、日本人は「人間の可能性は限られている」という前提から出発しているにもかかわらず、結果的にアメリカ人よりも多様な活動を長く続けることができる。

 2~3年で違う部署に次々と異動になる日本企業のローテーション人事は、海外の人たちからすると全く理解できないらしい。欧米企業では、特定の職種を極めたいという人が多いし、人事制度もそうした社員のニーズに応えるものになっている。しかし、社員の可能性を発見するための旅と考えれば、ローテーション人事は至極日本的なやり方なのである。

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