プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2015年06月15日

山本七平『「空気」の研究』―他者との距離感が解らなくなっている日本人


「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
山本 七平

文藝春秋 1983-10


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 「心の中では違うことを思っていたのだが、現場の『空気』のせいで反対できなかった」、「何だかよく解らないけれど、その時の『空気』でそう決まった」と我々が言う時の「空気」というものの正体を考察した1冊である。個人の思惑とは別に、集団の論理が働いて、個人が望まない方向(しばしば、間違った方向)へ傾いてしまうことを、心理学では「集団思考(グループ・シンキング)」と呼ぶ。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2015年6月号を読んでいたら、たまたま集団思考に関する論文が掲載されていた。

Diamond ハーバードビジネスレビュー 2015年 06月号 [雑誌]Diamond ハーバードビジネスレビュー 2015年 06月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2015-05-09

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 1つ注意しておかなければならないのは、集団思考を最初に提唱した心理学者アービング・ジャニスは、集団が判断ミスをする仕組みを科学的に説明したわけでも、集団が間違わないための実用的な指針を示したわけでもない、ということである(このことは私も知らなかった)。ただ、その後研究が進んで、集団が間違いを犯すメカニズムが色々と明らかになっている。

 集団、特に効率的に成果を上げなければならないとプレッシャーを受けている企業では、意思決定の場に誰も知らないような異質な情報を持ち込むことが憚られる。そのような情報を持ち込むと、周囲の人間がその情報を咀嚼するのに時間がかかり、意思決定のスピードが落ちるからだ。よって、集団は、皆が知っている情報を選好する傾向がある。

 だが、個々のメンバーはその情報を正しく認識しているとは限らない。情報の認知を歪める様々なバイアスが心理学者によって発見されている。詳細の説明は論文に譲るが、計画錯誤、自信過剰、利用可能性ヒューリスティック(想起容易性)、代表性ヒューリスティック、自己中心性バイアス、サンクコスト(埋没費用)の誤謬、フレーミング効果など、挙げればきりがない。

 こうして、集団は皆が好みそうな、しかし間違った情報に頼ることになる。しかも、人間は基本的に他人から好かれたいと思う動物であるから、間違いを指摘するよりも、間違いに同調する方を選択する。その結果、集団は雪だるま式に間違いを犯し、極端に偏った意思決定を下してしまう。集団思考においては、個人が自分の責任を棚上げし、他のメンバーに対する関心を失う代わりに、集団という見えない存在に人格を認めて、その人格に責任を転嫁しているようである。

 だが、山本七平はこれとは異なる見方をしている。
 われわれの社会は、常に、絶対的命題をもつ社会である。「忠君愛国」から「正直者がバカを見ない世界であれ」に至るまで、常に何かの命題を絶対化し、その命題を臨在感的に把握し、その”空気”で支配されてきた。そしてそれらの命題たとえば「正義は最後には勝つ」「正しいものはむくわれる」といったものは絶対であり、この絶対性にだれも疑いをもたず、そうならない社会は悪いと、戦前も戦後も信じつづけてきた。
 山本は「臨在感的把握」という言葉を多用しているが、私なりに大雑把に解釈すれば、「対象に過度にのめり込むこと」という意味になる。絶対化したい対象を熱心に崇めれば何でも絶対的になる。そこに科学的・客観的データをいくら提示しても、絶対的なものは揺るがない。本書では公害の例が挙げられているが、現代で言えば「原発は安全ではない」、「沖縄に基地を作るのは危険だ」、「憲法を変えると日本が戦争に突入する」などが臨在感的把握の例となるだろう。

 山本によれば、欧米ではこういう臨在感的把握には陥らないという。というのも、彼らには物事を対立概念でとらえる習慣がはるか昔から存在し、あらゆるものを相対的に考えるからである。日本人は彼らの姿勢に学ぶところが大きいと山本は主張する(以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」、「安田元久監修『歴史教育と歴史学』―二項対立を乗り越える日本人の知恵」を参照)。

 本記事の前半で、集団思考は個々のメンバーが他者に対する関心を失い、自らの責任を集団という擬似的な人格に丸投げした結果であると書いた。これに対して、「空気」が日本人を支配するのは、個人が他者に深く入れ込みすぎていることが原因である。しかも、本人は他者のことを絶対化できるほどによく理解していると信じて疑わないのに、実際にはちっとも理解できていないのである。だから、次のような笑うに笑えない事態が発生する。
 塚本虎二先生は、「日本人の親切」という、非常に面白い随想を書いておられる。氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、寒中に、あまりに寒かろうと思って、ヒヨコにお湯をのませた、そしてヒヨコを全部殺してしまった。そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とはこういうものだ」と記されている。

 私はこれを読んで、だいぶ前の新聞記事を思い出した。それは、若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。
 私は最近、「日本人は他者理解を通じて自己理解に至り、真実を獲得する」といった趣旨の記事を何本も書いている。日本人にはそういう特徴があるからこそ、他者と適切な距離感を保って、相対的な理解に努めなければならない。特定の他者に肩入れするのでなく、多様性に対して寛容にならなければならない。そうすれば、「空気」の呪縛を打破できるに違いない。

 《参考記事》
 安岡正篤『知命と立命―人間学講話』―中国の「天」と日本の「仏」の違い
 安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?
 『焦点を定めて生きる(致知2014年5月号)』―「孤に徹し、衆と和す」の前半と後半のどちらを重視するか?
 岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』―キリスト教は他者への愛を説くのに、なぜかヨーロッパ思想は他者を疎外している気がする
 『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について
 渋沢栄一、竹内均『渋沢栄一「論語」の読み方』―売り込まなければ売れない製品・サービスは失格かもしれない、他

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