プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2015年07月16日

『生きる力(『致知』2015年7月号)』―日本人にビジョンは必須ではないが、代わりに現在を必死に生きよ


致知2015年7月号生きる力 致知2015年7月号

致知出版社 2015-07


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 境野:トップとして組織を守っていくためには、どうしても目標を立てて歩んでいかなくてはいけない。その点僕は一匹狼の素浪人みたいなものだから、きょう一日が勝負という生き方ができるのかもしれませんね。

 だから僕の人生は完全に受け身なんです。こういう仕事があると言われれば、それをお引き受けしていく。僕の専門領域で仕事をいただいた時はいつでも受けて立つ、そういう心構えで生きてきました。
(境野勝悟、堀威夫「我ら、八十路も溌刺と生きん」)
 境野勝悟氏は東洋思想家である。組織のリーダーと違って、明確な目標は立てずに、自分のところに来た仕事を受身的に一生懸命取り組んできたと語っている。私は『致知』を1年半ぐらい読んでいるが、高い業績を上げ続けてきた人にこのようなタイプの方が多いことに気づいた。しかも、このタイプは決して、個人で仕事をしている人に限定されず、組織のトップにも見られる。
 私は自分がこんな仕事、こんな役職に就きたいということで希望し運動したことが一度もなくて、常に誰かから頼まれてやってきました。明確に自分はこうなりたいという方もいらっしゃいますけど、私は置かれた立場で全力投球するという生き方を貫きました。
(遠山敦子「心を尽くして仕事に全力投球する」)
 遠山敦子氏は、文部科学省で学術情報の全国的なシステム構築や芸術文化振興基金の設立に尽力し、小泉内閣で民間初の文部科学大臣となり、現在は公益財団法人トヨタ財団理事長をされている方である。遠山氏も境野氏と同様に受身で仕事をしてきたと知ると、私のように個人事業をよちよちと経営し、今のところ大きな目標もなく右往左往している人間にとっては、とても励みになる(境野氏や遠山氏と自分を一緒にするのは何ともおこがましい限りだが)。

 10年ぐらい前の私であれば、アメリカ的な経営に完全に毒されていたので、「企業やリーダーは明確な目標を持つべきだ」という考えを信じて疑わなかった。私が新卒入社した企業は、アビームコンサルティングのシステム開発子会社であるアビームシステムエンジニアリング(略称ASE)だった(現在はアビームコンサルティングに統合されて存在しない)。アビームコンサルティングがITコンサルを実施し、ASEが後工程のIT構築を担う、という役割分担になっていた。

 ASEはベンチャー企業として誕生したばかりであったので、会社創設期の動乱を体験できるに違いないと、22歳の若僧は意気揚々と入社した。ところが、入社早々、私の期待はもろくも崩れ去った。ある時、ASEの当時の社長が全社会議で経営ビジョンを発表した。それが「アビームコンサルティングの子会社として、親会社が要求するIT構築を遂行する」というものであった。「これではビジョンではなくて、ASEの機能を説明しただけではないか?」と憤った私は、生意気にも上司に抗議のメールを送ったこともあった。結局、ASEには1年ちょっとしか在籍しなかった。

 その後、私は別のベンチャー企業に転職した。その企業は、あるコンサルティングファームの出身者が設立した企業で、組織・人材に関するコンサルティングや教育研修サービスを提供していた。だが、この企業もまた、ASEと同様に明確なビジョンがなかった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第1回)】経営ビジョンのない思い入れなき経営」を参照)。組織・人材に関するコンサルをやっているのだから、組織にビジョンが必要なことは解っているはずだ。しかも、コンサルファーム出身であれば、そんなことは百も承知ではないのかという思いで5年半を過ごした。

 ただ、今になって振り返ってみると、「企業やリーダーは明確な目標を持つべきだ」という考えにあまりに固執しすぎていたと思う。企業経営は、個人のキャリア開発とアナロジーでとらえられることがある。キャリア開発の場合、明確な目標を立てて、それに向かってまい進するという生き方は、実はあまり推奨されない。むしろ、ビジョンはおぼろげなままでよく、外部環境の変化に身をゆだね、偶然の出来事を味方につけながら仕事をした方が、人生に対する満足度が高まると言われる。このような生き方を、金井壽宏教授は「キャリア・ドリフト」と呼ぶ。

 組織も所詮は人間の営みである。個々の人間には明確なビジョンを要求しないのに、その集まりである組織には明確なビジョンを要求するというのは、いささか無理がある。組織も肩肘を張ってガチガチにビジョンを固めるのではなく、その時々の状況に柔軟に適応する姿勢を身につけた方がよいのかもしれない。言葉を換えれば、多少天邪鬼な方が成功しやすいと思うのである。このような態度は、キャリア・ドリフトに倣って、「戦略ドリフト」と呼べるかもしれない(以前の記事「果たして日本企業に「明確なビジョン」は必要なのだろうか?(1)(2)(補足)」を参照)。

 だが、それでも「組織やリーダーにはぶれない軸が必要だ」という考えは根強い。一方には、状況に応じて変えてもよいものがあり、他方には、多少のことでは変えてはならないものがある。では、その変えてよいものと変えてはならないものとは一体何なのだろうか?私の考えでは、変えてよいのはビジョンや目標であり、変えてはならないのは価値観だと思う。価値観とは、仕事上の重要な意思決定を左右する判断基準である。これがぶれると、個人は意志薄弱になり、組織は求心力を失う。ビジョンや目標は可変でも構わないが、価値観は堅牢でなければならない。

 以前、ある女性起業家の講演を聞いたのだが、社員数約30名ながら、グループ企業が5社もあり、事業内容が多岐にわたっていた。子育て中の女性を活用したクラウドソーシング、女性向けのプロモーション代行、採用コンサルティング、Webサイト構築、社内外セミナーの撮影・動画編集・議事録作成などである。そういう意味では、ビジョンや目標は頻繁に変わっている。しかし、「9時~17時しか働かない」、「1人1人の勤務時間は少ない代わりに、生産性・業務効率を高める」、「数年後ブレイクしそうなことを見つける」という価値観だけは譲れないと語っていた。この女性起業家の事業モデルは、これらの価値観に基づいて設計されている。

 私の価値観は、以前の記事「私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1)(2)(3)」で述べた。現在の私は経営コンサルタントであり、当面はそれを続けるのが目標である。しかし、ある日突然飲食店をやるかもしれない。それでも、その飲食店は私の価値観に沿って経営される。具体的には、チェーン店のような薄利多売はせず、私自身が心からおいしいと思うメニューだけを限定的に提供し、常に難しいメニューの開発に挑戦し、店舗の運営ノウハウはすぐにマニュアルに反映させ、時にそのノウハウを競合店にも公開するだろう。

 「ビジョンや目標は頻繁に変わってもよいが、価値観だけはぶれてはいけない」ということは、もう少し踏み込んで考えると、「将来のことはあれこれと考えなくてもよい代わりに、現在を必死に生きよ」ということを意味する。冒頭で紹介した2人も、今自分の目の前にある仕事に必死に取り組んできたと語っている。私の前職のベンチャー企業に足りなかったのは、明確なビジョンというよりも、このような姿勢であったように思える。

 以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第4回)】何にでも手を出して、結局何もモノにできない社長」でも書いたように、前職の経営者はすぐに新しいものに惹かれる傾向があった。言い換えれば、目標を二転三転させる傾向があった。在職時はそれだけでも迷惑極まりないと感じていたものの、退職してから4年ほど経って冷静に考えてみると、それ自体はさほど間違いではなかったと思うようになった。だが、問題なのは、前職の経営者は、「これをやりたい」と宣言した後、自分で手足を動かすことを嫌ったし、失敗の尻拭いは全て社員任せにしていたことである。

 例えば、デザインコンサルティングをやると言い出した時は、自分ではデザインのことを勉強せず、外部からデザインの専門家をたくさん顧問に招いただけだった(その結果、社員数約50人に対し顧問が5人以上いた時期があった)。携帯電話を活用した研修フォローアップのシステムを作ると言い出した時も、自分で仕様書を書かず、部下と外注先に作業を全て丸投げしていた。営業研修専門のグループ会社を新設すると言い出した時は、会社設立手続きを誰がやるかをめぐり、経営陣の間でいつまでも押しつけ合いをしていた(そのせいで、会社設立が大幅に遅れた)。

 経営陣は元外資系のコンサルティングファームの出身であり、コンサルティングという目に見えないサービスに価値をつけるビジネスを長年やっていたこともあってか、「顧客価値を提供せよ」と口酸っぱく言っていた。しかし、社員にそのように発破をかけるのであれば、自らも積極的に潜在顧客に会いに行き、顧客の生の声を丹念に収集し、新しいサービスのことを深く勉強し、社員を巻き込んでサービス開発を主導するべきではなかったか?一言で言えば、自分に価値をつけるために本当に努力していたのか?ということである。

 私は、経営陣がいつも口先ばかりで、彼ら自身が目の色を変えて働いていなかったことに強い不満を覚えていた。そして、おそらく他の社員も同じように感じていたに違いない。社員が初めから経営陣に対して不信感を抱いていた上に、社員が失敗するといつも経営陣から厳しく叱責されていた。そういう経営陣の元からは、社員が容易に離れていったことは想像に難くない。

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