プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2015年12月18日

『気候変動─人類最大の脅威にどう立ち向かうか(『世界』2015年12月号)』


世界 2015年 12 月号 [雑誌]世界 2015年 12 月号 [雑誌]

岩波書店 2015-11-07

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 (1)
 簡単に言えば、電力会社にとって売上やシェアが下がる省エネや再生エネは敵である。鉄鋼会社や兵器産業はGHGを製造時あるいは使用時に多く排出する鉄や兵器を、重電メーカーは原発や石炭火力発電設備をそれぞれ多く作って売りたい。産業界や経済団体は、そのような電力会社、鉄鋼会社、重電メーカーにコントロールされており、保守政権は彼らを支持基盤とする。
(明日香壽川「原発なしの温暖化対策こそが平和と民主主義と経済発展を取り戻す」)
 日頃は左派に批判的な私も、原子力発電をめぐるこの見解には賛成するところがある。原発推進派は、中国などが積極的に原発を建設しているから、日本も原発を増やすべきだと主張する。だが、この狭い日本列島に原発を密集させれば、テロリストの格好の標的になってしまう。

 国防上の理由に加えて、経営上の理由からも、電力をめぐる既存プレイヤーはもっと省エネや再生エネルギーに投資するべきだと考える。以前の記事「戦略を立案する7つの視点(アンゾフの成長ベクトルを拡張して)(1)(2)」で、企業が戦略を検討する7つの視点を提示した。その中で、イノベーション戦略の1つとして「⑥代替品開発戦略」を挙げた。代替品開発戦略のうち最もオーソドックスなのは、代替技術の活用である。昨今、自動車メーカーがエンジン車の代わりとして、電気自動車や燃料電池自動車を精力的に開発しているのはその一例である。

 代替技術は既存製品を陳腐化させるため、既存企業は代替技術を無視して既存技術を延命したくなる。しかし、既存企業が代替技術に投資しなくても、他の誰か(多くは異業種からの参入)が競争ルールの隙間を狙って代替技術を開発し、既存企業を破壊する。だから、事業存続を目指す既存企業は、一時的なカニバリゼーションを覚悟の上で代替技術に投資する必要がある。これは経営の責務だ。再生エネは、既存の火力発電や原発にとって代替技術である。既存企業が従来の技術に固執して、再生エネをつぶしにかかるならば、それは経営の放棄に他ならない。

 (2)
 常識的に言えるのは、日本車のローカルコンテンツ率をあげるには、日本からの輸出車・コンポーネントに現地でカナダ・メキシコそしてアメリカ企業の部品をより多く組み込めということだろう。

 しかし、もう1つの可能性は、日本が輸出車を国内で製造・組み立てする際に、この3国の部品、もっと直接的に言えば、アメリカの中小企業の製品を購入・輸入して組み込めということだ。
(首藤信彦「アトランタに仕組まれた「TPP大筋合意」」)
 「TPP大筋合意によって、日本からTPP参加国への自動車の輸出が増える」という論調に対し、本記事は「増えるのはアメリカから日本に対する自動車部品の輸出だ」と指摘している。ただ、自動車部品に対する日本の関税は、TPPとは無関係に既に撤廃されている(財務省「実行関税率表(2015年4月版)」第87類 鉄道用及び軌道用以外の車両並びにその部分品及び附属品を参照)。そのため、著者の心配は杞憂ではないかという気もする。

 今回のTPP大筋合意によって、アメリカが日本の乗用車に課している2.5%の関税は、最低25年かけて撤廃されることとなった。しかも、最初の14年間は現在の2.5%がそのまま維持される。関税撤廃のメリットが実際に出てくるのは15年目以降であり、今回の合意は完成車の輸出にほとんど影響しない。また、軽トラックに課せられる25%の関税については、30年間にわたって維持される。しかも段階的な削減は一切なく、30年目に初めて関税が撤廃される。

 一方で、自動車部品に関しては関税が早くから撤廃される。これらを総合して考えると、日本企業はカナダやメキシコに自動車部品を輸出し、この2か国で完成車を組み立てて、アメリカに輸出するのが得策ということになる(もしくは、アメリカに直接自動車部品を輸出し、アメリカで組み立てる)。現在、日本の自動車は中国から部品調達をしており、またタイで組立を行うことが多い。しかし今後は、カナダやメキシコに進出する日本企業が増加すると予想される。

 日本企業がカナダやメキシコに進出するのは、「域内生産比率」を上げるためである。域内生産比率とは、ある製品がどの程度TPP参加国の企業によって生産されているかを示す割合である。域内生産比率が一定の割合以上であれば、関税がかからない。逆に、基準に満たない場合は、TPP参加国内で生産された製品と見なされず、関税がかかる。アメリカは当初、NAFTAの原産地規則を適用して62.5%を主張した。ところが、前述のようにTPP未参加の中国やタイに依存する日本車の域内生産比率は約40%にすぎない。交渉の結果、域内生産比率は55%となった。とはいえ、15%の溝を埋めるために、日本企業はサプライチェーンの再編に努めるだろう。

 (3)
 TPPと並行する日米二国間協議で「両国政府は、収穫前及び収穫後に使用される防かび剤、食品添加物並びにゼラチン及びコラーゲンに関する取組につき認識の一致をみた」とある。これだけでは実態がわからないが、米国が一貫して日本の食の安全にかかわる規制緩和を求めていることは周知の事実である。
(内田聖子「市民社会の価値とTPP」)
 左派が農業問題をめぐってTPPを批判するという面白い記事だった。日本の食品安全基準は世界的に見ても非常に厳しく、アメリカはTPPなどを通じてその緩和を要求している、という話はよく聞く。しかし、食品安全基準と一口に言っても、内容は様々であり、日本の基準の方が世界的に見てむしろ緩い場合もある。

 例えば、残留農薬の基準値を見てみると、ブルーベリーやアーモンドなどは日本の基準が世界標準より厳しいのに対し、ぶどう、ブロッコリー、マンゴーなどは日本の方が緩い(「食の安全ってなに? その2(食品残留農薬/汚染物質/食品添加物/健康食品) | くらしすと―暮らしをアシストする情報サイト」より)。農林水産省は「攻めの農業」というスローガンを掲げ、2020年までに農林水産物・食品の輸出額を1兆円に増やそうとしている。しかし、日本の安全基準が海外より緩いために輸出できない、という農家の声があることも事実である。

 (4)
 1905年改定された「第2回日英同盟協約」によって、条約はこんにちの概念でいう集団的自衛権とほぼ同義の攻守同盟に変質した。すなわち、日本は東アジアおよびインドにおける大ブリテン国の領土権と特殊利益を防護する義務を負うこととなり、イギリスの戦争にたいし「直ニ来テ其ノ同盟国ニ援助ヲ与ヘ協同戦闘ニ当リ」(第2条)という間柄となるのである。
(前田哲男「3つの同盟と3つのガイドライン(上)」)
 日英同盟の締結・強化の過程が、安倍政権による集団的自衛権容認の閣議決定、「日米新ガイドライン」の合意、安保法制の成立という流れと重なる、という記事である。だが、日英同盟(やその後の日独伊三国同盟)と今回の集団的自衛権は別物である。

 日英同盟では、イギリスが攻撃されたら、日本はイギリスを防衛する目的で参戦する義務がある。これに対し、日米同盟においては、仮にアメリカが攻撃されたとしても、日本はアメリカを防衛する目的で参戦する義務はない。「存立危機事態」=日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態において、集団的自衛権が行使できると定められており、保護されるのは他国ではなく日本の利益である。また、集団的自衛権はあくまでも「できる」という権利にすぎず、必ず行使しなければならない義務ではない。

 11月には、イスラム国がパリで同時多発テロという暴挙に出た。ここで、仮にアメリカがイスラム国の掃討に乗り出したとして、アメリカが安保法制の「重要影響事態」(=放っておいたら日本への武力攻撃の恐れがあるなど、日本の平和と安全に重要な影響を与える状況)を持ち出して日本に後方支援を要請した場合、日本はどういう政治的判断を下すべきだろうか?こういう視点からこの事件を論じたメディアは、ほとんどないように思える。

 (5)
 構造的矛盾の問題と変革主体の形成とは、必ずしも調和していない。とすると、何が変革の動機になっていたのであろうか。私はそれは「飽きる」ということだと思っている。これまでの秩序のもとでの生き方に飽きた人びと、その人たちが新しい生き方を可能とする社会をつくろうとした。
(内山節「崩れゆく市場と国家の秩序からの解放」)
 本記事の著者は「飽きる」ことが社会変革を促すというのだが、「飽きる」ということは資本主義・市場原理を突き動かす原理でもある。企業は、消費者が飽きるという気持ちを利用して、次々と製品・サービスを作り出す。消費者が簡単には飽きないようになると、今度は計画的陳腐化という戦略で強制的に飽きさせる。このような、企業に利用される「飽きる」や、「飽きる」を利用する企業のことを、左派は批判的にとらえてきたはずである。それなのに、その「飽きる」が左派の原動力と言うのだから、どこか矛盾を感じずにはいられない。

 左派の原動力は、むしろ逆に「飽きない」ことではないかと思う。保守が歴史を重んじ、伝統が内包する非合理的性を引き継ぎ、組織や集団内の人間的しがらみに揉まれながら、状況に応じて漸次的に変化するものだとすれば、人間の純粋な理性の働きを信じ、しがらみを排して合理的判断を重ね、極限まで美しい理想を掲げるのが革新である。左派はその理想を曲げることはないし、理想が実現されるまでは何があっても倒れない。その力強さが「飽きる」といううつろいやすさに支えられているとは到底考えにくい。左派こそ最も「飽きない」人たちでなければならない。

 (6)
 特定の政治戦略の遂行を目指す政府に対して公正中立な政治教育を求めることは、2つの相矛盾するミッションの遂行を期待することである。この場合、2つ目のミッションが犠牲になるのは火を見るより明らかだ。とすれば、たとえ政府が政治教育の実施を買って出たとしても、国民はそれに同意すべきではないだろう。
(中嶋哲彦「主体的政治参加のための政治的教養と内発的参加要求」)
 選挙権が18歳に引き下げられたことによって、政府は若年層への政治教育の実施を検討している。本記事は、政治教育は公正中立な立場から実施されるべきだが、政府が教育内容を決定すればその時の政府方針が反映されるから、公正中立なものになりえない、と批判する。

 この件については、政府に苦言を呈したい。選挙権が18歳に引き下げられたから政治教育を実施する、という発想はあまり歓迎できない。選挙権とは、政治意識が一定水準まで成熟した国民に与えられるものである。選挙権を18歳に引き下げたということは、18歳の時点で政治意識がある程度のレベルに達したと国が判断したことに他ならない。にもかかわらず、新たに政治教育を実施すれば、結局は18歳の若者の政治意識が未熟であることを認めることになってしまう。

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