プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

※2019年にWordpressに移行しました。
>>>シャイン経営研究所(中小企業診断士・谷藤友彦)

Next:
next 【城北支部国際部オープンセミナー】「中小企業診断士による国際展開支援事例から、支援のありかた、診断士の役割を学ぶ」
Prev:
prev シンポジウム「変わるASEAN、変わらないASEAN:2015年ASEAN経済共同体実現を捉えて」に参加してきた
2015年12月25日

【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(下)』―イノベーションの保守思想


「新訳」イノベーションと起業家精神〈下〉その原理と方法 (ドラッカー選書)「新訳」イノベーションと起業家精神〈下〉その原理と方法 (ドラッカー選書)
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1997-11

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 ドラッカーのイノベーション理論は非常に保守的である。この点で、日本人受けがいいのかもしれない。以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―変化を活かすのか?変化を創るのか?」でも書いたが、イノベーションと言うと普通はイノベーターがリーダーシップを発揮して変化を”作り出す”ものだと思われている。ところが、ドラッカーは、産業構造、人口構造、社会の価値観の変化などを”利用すれば”よいと指摘した。しかも、イノベーターは変化の理由を知る必要もないという。変化の理由を分析するのは学者の仕事だと言いたいのだろう。本書からも、ドラッカーの保守的な思想をいくつか読み取ることができた。
 企業であれ、社会的機関であれ、最も起業家精神に乏しく、最もイノベーションの体質に欠けているのは、むしろごく小さな組織である。既存の起業家的な企業には大企業が多い。世界中には、そのような大企業が優に100社を超える。加えて、起業家的な企業の多くは、かなりの規模の中堅企業である。
 イノベーションの世界では、無名なベンチャー企業が既存の大企業を打ち負かすストーリーが好まれる。しかし、ドラッカーによれば、イノベーションに向いているのは小規模企業ではなく、既存の中堅・大企業だという。もちろん、世界の大企業を顧客として抱えるドラッカーが、イノベーションに適しているのは小規模企業であると言ってしまっては飯の食い上げになるから、多少割り引いて受け止める必要があるのかもしれない。ただ、その点を差し引いたとしても、既存企業こそイノベーションを起こすべきという主張は、日本にフィットしやすいと考える。

 以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人」で、蘇軾の『正統論』が日本の正統性の考え方に影響を与えたと書いた。アメリカや中国などでは、既存のAが正統性を獲得しているところに対して新興のBが起こり、正統性をめぐる激しい争いが展開される。BがAに勝つと、Aを完全に駆逐し、Bが正統性を確保する。時代が下って今度は新興のCが現れると、また同じように激しい対立が起きる。アメリカや中国などの歴史はこの繰り返しである(中国の王朝の交代が最も解りやすいと思う)。

 日本の場合は、「名」と「実」を分ける。正統性を確保しているAに対して新興のBが登場しても、BはAを完全には否定しない。Aが正統性を未だに維持していることを「名」目上認める。その一方で、Bは「実」質的な正統性の獲得をするため、事後的に論理を蓄積していく。日本は世界に例のない王朝国家であるが、天皇制を廃止しようとした人物は平将門ただ1人しかいない。藤原家は天皇家の外戚となることで影響力を発揮した。幕府は朝廷と二重の統治機構を形成することで日本を支配した。幕府が倒れた後も、天皇親政は新たな政府の存在を必要とした。

 これを(無理やり?)企業経営にあてはめて考えると、日本においては新興企業が現れて既存の中堅・大企業を駆逐する(そして、新興企業が成功して大企業になると、今度は別の新興企業に打ち負かされる)という非常に動的な交代劇は馴染まないのかもしれない。むしろ、中堅・大企業がこれまでの事業の延長線上にイノベーションを接合し、社内の反対や顧客からの不評に揉まれながら、徐々にイノベーションを形にしていく(正統性を獲得していく)方が向いている。

 (では、中小企業やベンチャー企業は何をすべきか?個人的には、一部の例外を除いてマーケティングに注力すべきだと考える。言い換えれば、潜在的なニーズを対象としたリスクの高いイノベーションよりも、ニーズが顕在化しており、顧客の声に耳を傾けてそれを忠実に製品・サービスへと反映させ、適切な営業活動をすれば一定の成果が見込める活動を優先させた方がよい。マーケティングによってある程度企業を大きくしてから、イノベーションに着手する。業界の構造やルールを大幅に書き換えるイノベーションは、相当の体力と覚悟がなければ実行できない)。
 「自分は何が得意で何が不得意か」という問いこそ、ベンチャー・ビジネスが成功しそうになったとたんに、創業者たる起業家が直面し、徹底的に考えなければならない問題である。(中略)これは、第2次大戦の敗戦後という暗澹たる日本において、本田宗一郎が本田技研工業という小さなベンチャー・ビジネスを始めるにあたって行ったことだった。彼は、パートナーとしてマネジメント、財務、マーケティング、販売、人事を引き受けてくれる者が現れるまでは、事業を始めなかった。彼自身は、エンジニアリングと製造以外は何もやらないことにしていた。
 以前の記事「「起業セミナー」に参加された方にアドバイスした3つのこと」でも書いたように、スタートアップ企業は経営資源に限りがあるため、パートナー企業と提携することが多い。今でこそアメリカ企業も提携に積極的になったが、アメリカの大企業はもともと自前主義が非常に強い。アメリカの自動車メーカーは、日本のように系列構造を持たず、部品や組立・加工機械などを自社で製造していた。IBMはコンピュータにかかわるあらゆる製品を自社で揃えているのが売りだった。こうした自前主義への反省から生まれたのが、オープン・イノベーションである。P&Gのコネクト・アンド・デベロップメントはその代表例である。

 他方、日本企業はオープン・イノベーションなどという言葉が生まれる前から、企業連携による製品開発を行っていたように思える。自動車業界では、系列下の下請企業も新製品開発に参加していた。また、日本には業界団体という、非常に特異な組織がある。業界団体の会合には、様々なシーズとニーズを持った企業が集まり、イノベーションに向けたマッチングが行われる。時には競合他社と手を組むこともある(業界団体自体が何かイノベーションを起こすわけではない。たまに、イノベーションの創出を目的として業界団体を設立したという記事を見かけるが、業界団体にそれを期待するのは酷である。業界団体の目的はネットワークの形成にすぎない)。

 ただ、自社で何もできないからと言ってパートナーばかり探していると、依存症になる。以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第4回)】何にでも手を出して、結局何もモノにできない社長」でも書いたように、私の前職の企業がまさにそうであった。自社の能力に自信がない企業は、パートナーを増やして不安を隠そうとする。ところが、今度はハンドリングすべき企業が増えて身動きが取れなくなる。それに、それだけパートナー企業を使わないと製品・サービスが提供できないのだとすれば、自社の存在価値が一体どこにあるのか解らなくなる。

 自分の弱みはパートナーに頼るとしても、まずは自社で全てやってみるのが原則であると思う。極限まで自社でやってみると、自社の本当の強みと弱みがよく解る。そこまでやって初めて、パートナー探しに着手すべきである。トヨタは製造工程を外注する際、必ずまずは自社でやってみるのだという。トヨタならばどのくらいのコストでその製造工程をこなせるのかを判断する。その上で、そのコスト以下の価格で下請企業に発注するのである。
 彼らは「何をしたいか」から考える。あるいはせいぜい「自分は何に向いているか」を考える。しかし正しい問いは、「客観的に見て、今後、事業にとって何が重要か」である。(中略)次に問うべき質問は、「自分の強みは何か。事業にとって必要なことのうち自分が貢献できるもの、他に抜きんでて貢献できるものは何か」である。この問いについて徹底的に考えたあと、はじめて「本当は何を行いたいか。何に価値をおいているか。残りの人生とまではいかないまでも、今後、何をしたいか」「それは事業にとって本当に必要か。基本的かつ不可欠な貢献か」を問うことができる。
 まだ市場にない製品・サービスを一から生み出す際には、顧客が何をほしがっているかを事前に知ることはできない。そのため、まずは「自分ならこういう製品・サービスがほしい」と強く願い、それを形にすることから始める。製品・サービスができ上がると、「自分がほしがっているならば、他の人もほしいと思うに違いない」と信じて、それを市場に展開する。これがアメリカのイノベーションである(以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」を参照)。

 アメリカは自己啓発大国であり、「自分のやりたいこと」に集中せよと言われる。アメリカのイノベーターは自分のニーズから出発しているという点で、アメリカ式自己啓発と親和性が高い。そして、イノベーターの新製品・サービスが世界中に広まることを「自己実現」と呼ぶ。ところが、ドラッカーは「自分のやりたいこと」から出発するな、と警告する。逆に、「社会・市場の変化を客観的にとらえよ」と説く。つまり、社会に個人が従属するという伝統的な関係が生きている。自己啓発によって社会を個人に従属させようとするアメリカ人にとっては、ひどく退屈に映ることだろう。

 まだ十分な論理づけができていないのだが、私も「やりたいこと」と「できること」のうち、「できること」を優先すべきだと考えている。「やりたいこと」はあるがその能力がない場合は、悲惨な結果に終わる。やりたいと強く信じれば、能力は後からついてくると主張する人もいるが、私はそれが実際にできた人を見たことがない。「好きこそものの上手なれ」と「下手の横好き」という相反することわざのうち、私は後者を信じる。やりたい気持ちが強くても、能力がついてこずにいつまでも成果が出なければ、当初のモチベーションは失われる。私はそういう人をたくさん見てきた。

 やりたいことでなくても、「できること」があれば、当面仕事は任せられる。相手のモチベーションが低ければ、こちらから働きかけてモチベーションを上げればよい。「やりたいこと」は主観的なので、周囲の環境や本人の心境の変化に影響されやすい。これに対して、「できること」は客観的な評価であり、それほど変動しない。よって、ある程度の成果は期待できる。そして、成果が出るにつれて、本人もだんだんと仕事が面白いと感じるようになるかもしれない。そうすれば、「やりたいこと」と「できること」が一致する理想的な人材が生まれる。

 私の前職の教育研修・組織開発コンサルティング会社では、社員がやりたいことばかりを優先していた(私もその社員の1人であったから、強くは批判できないのだが)。繰り返しになるが「やりたいこと」は主観的であるがゆえに、人によって言うことがばらばらになる。そのため、組織を1つに束ねることが非常に難しい。仮に「できること」で組織をまとめていたら、もっと求心力が高まったと思われる。なぜなら、「できること」は客観的であるから、社員の能力が重なり合う部分を探し出せば、それはほとんど誰からも文句が出なかったに違いないからだ。

  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like