プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年01月22日

『中国モデルの破壊と創造(『一橋ビジネスレビュー』2015年WIN.63巻3号)』


一橋ビジネスレビュー2015年WIN.63巻3号―中国モデルの破壊と創造一橋ビジネスレビュー2015年WIN.63巻3号―中国モデルの破壊と創造
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2015-12-11

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 (1)温州人は商才に長けており「中国のユダヤ人」と呼ばれるそうだ。温州市は改革開放後、靴やアパレル、眼鏡といった日用消費財の一大産地となった。地元農民が起業したことが特徴であり、家族経営の小さな工場が多数出現した。そして、国内の行商人や世界各地の商売人が買い付けに来る専門市場も形成された。また、温州人の中には市外・国外に居住することを選択した人も多い。進出先では、華僑華人の定番である飲食業だけでなく、中国製品の輸入業、靴や洋服の製造業などを手がけ、他の移民より素早く経済的繁栄を手中にした。



 温州人の特徴は、非常にコミュニティの結束度合いが高いことである。温州人の多くは同郷人と結婚し、親戚や友人・知人から数百万円から数千万円単位の資金を「無利子・無担保・無証文」で借りて起業し、同郷人の企業から仕入れを行っている(ただし、論文によれば、販売先の顧客だけは同郷人に限らず、非常に多様化しているという)。西田敏宏氏と辻田素子氏は、温州人コミュニティにおける密接な情報共有が、ビジネスの成功に役立っていると指摘する。
 彼らの同郷人コミュニティーは世界規模で広がっており、各コミュニティー間における顕著な人の移動や情報伝播の迅速さも注目される。「不法移民に正規の滞在許可を与える」といった受け入れ国政府の恩赦情報や「貿易業からサービス業に転じた温州人がどこそこでよく稼いでいる」といったビジネス情報は、同郷人コミュニティーを通じて、瞬く間に世界中の温州人に知れ渡る。
(西田敏宏、辻田素子「中国資本主義の牽引役、温州モデルは脱皮できるか」)
 ただ、個人的にはこの見解にやや疑問を感じている。温州市で日用消費財製造などの軽工業が発達すると、労働コストが安い地域を求めて工場を海外に移転させるようになったのだろう。労務費が低い特定の地域には、温州人企業の工場が集中し始める。ただし、家族経営から出発した企業であるため、海外に設立した工場もさほど大きな工場ではないと思われる。それぞれの工場には温州人が何人かずつ出向いているから、現地には温州人コミュニティが形成される。彼らは、現地のビジネス環境に関する情報や、中国市場に関する情報を共有する。

 コミュニティが一定の規模に達すると、その情報が温州市に伝わり、今度はその温州人コミュニティをターゲットとして、飲食業や小売業などのサービス業が進出する。とはいえ、進出した工場が中堅・中小規模であるから、その社員たちを狙う飲食業や小売業も、大手のチェーン店などではなく、個人営業のお店が大半であるに違いない。彼らの進出に際しては、現地の温州人コミュニティが現地の最新情報を提供する。コミュニティが充実して生活しやすくなれば、進出する工場がさらに増える。この好循環によって、温州人コミュニティは拡大していく。

 やがてその地域の労働力が不足し、賃金が上昇すると、温州人は別の地域への工場進出を検討するようになる。その後の流れは先ほどと同じだ。賃金が上昇した地域では、現地労働者の購買力が上がるから、中国の製品を現地で販売する企業や、現地で製造から販売までを一貫して行う企業が現れる。これらの企業もまた、中堅・中小企業が中心だろう。こうして、世界中の様々な地域で、経済レベルに応じた特徴のあるコミュニティが形成されていったと考えられる。

 だとすれば、ある地域と温州市間では密接な情報共有が行われるだろうが、引用文にあるように、地域を超えて世界中で情報共有がなさているかどうかは定かではない。せいぜい、工場移転先の地域と工場移転元の地域で、「新しい地域では賃金がこれだけ安くなる」、「新しい地域ではこういう法規制があるので要注意だ」といった情報が共有される程度であろう(そして、この程度の情報共有であれば、何も温州人が特別ではなく、日本人だってやっている)。サービス業に注目すれば、既に述べたように家族経営が出発点の飲食業などが、それぞれの地域で地元密着型のコミュニティを形成している。彼らが別の地域の情報を求めているとは限らない。

 本論文では、「ビジネス情報は瞬く間に世界中の温州人に知れ渡る」と書かれているものの、コミュニティ間の情報共有が具体的にどのように相互の発展に寄与したのかは分析されていない。ある国で「不法移民に正規の滞在許可を与える」という情報は、これからその国に進出する中国の温州人には有益だが、その他多くの国の温州人にはさほど関係がない話である。

 (2)青島矢一、王文「社会ネットワークを介した希少資源の効率的多重活用」は、先端産業である太陽光発電分野において、中国が圧倒的に後発であったにもかかわらず、一気に技術開発を行って世界市場を席巻し、ドイツのQセルズをトップから引きずり下ろした要因を分析している。
 初期段階においてサンテックパワー(※オーストラリアから帰国した中国人が無錫市に設立した企業)は、損害賠償請求などを通じて、スピンアウトによる技術流出を防ごうとしていた。しかし、産業が発展する段階では、むしろ、新規企業がサンテックパワーと同じ装置や材料を使用することによって装置や材料が安くなる効果を期待して、自由にスピンアウトさせるようになった。
 PV(※太陽光発電)業界の社長の集まりでは、ビジネスの話と友人としての話の区別が必ずしもはっきりしておらず、「自社利益の最大化」という目的からすれば、一見非合理とも映るような情報交換も行われている。たとえば、潜在的には競合関係にある同業者であっても、販路やベンダーを紹介したり、経営上のノウハウを伝授したり、生産上のトラブル解決を助けたりしている。


 知的財産権の意識が薄い中国企業は、自社のノウハウはがっちりと守る反面、他社のノウハウは隙を見て盗むものだと思っていたのだが、どうやらそれは一面的な見方のようだ。市場の黎明期においては、競合他社を排除するよりも、むしろ競合他社と手を取り合うことで、「競争しながら市場を拡大する」ことが重要である。これを、バリー・J・ネイルバフ、アダム・M・ブランデンバーガーは「コーペティション(collaboration+competitionによる造語)」と呼んだ。

 本論文は、同業者同士の情報共有が中国の太陽光発電産業の急成長を可能にした、といった書きぶりになっている。だが、太陽光発電は先端産業であり、複雑な技術開発が要求される。中国企業同士の情報共有だけで、技術のキャッチアップが可能だったとは到底思えない。技術的に発展途上の者同士が情報共有をしたところで、その成果はたかが知れている。だから、中国の成功の裏には、情報共有以上の何かがあったと考えるのが自然であろう。

 (3)江鴻、劉湘麗、黄陽華、賀俊「アリババ プラットフォーム帝国への道」は、アリババの事業展開、ビジネスモデルの変遷を知ることができる論文である。2003年、eBayは中国のCtoC企業の最大手であるイチネットを完全買収して中国市場に参入した。アリババは「淘宝網」を立ち上げてeBay+PayPal連合に戦いを挑んだ。両社の勝敗を分けたのは信用保証の機能である。eBay+PayPalは、アメリカのようにメールアドレスや携帯電話番号による簡単な信用保証しか用意しなかった。CtoC取引に対する不信が根強い中国では、これが逆効果となった。また、支払いがクレジットカードであったことも、クレジット自体が未発達な中国ではマイナスであった。

 淘宝網は「安付通」、「安付通保険基金」という仕組みによって、信用保証の問題をクリアした。
 安付通の仕組みは、購買者はまず、安付通に設けた個人口座に商品代金を振り込み、商品の受け取りを確認した後に、売り手の口座に代金が移転されるという、第三者による支払い管理だった。安付通保険基金の役割は、その仕組みにさらに保障を付けることだった。
 2010年、アリババは「一達通」という輸出入業務専門企業を買収した。同社は中小企業を対象に、輸出申告手続き、物流、外貨両替、融資といった業務を行っていたが、買収された当時の業績は芳しくなかった。最大のネックは、中小企業が融資(貿易代金は後払いのため、つなぎ資金が必要となる)を受けることが非常に困難であったことだ。

 アリババはこの点に目をつけて、次のようなサービスを開発した。
 2008年の金融危機当時、一達通は深圳銀行と組んで、中国で初めて中小企業向け無抵当、無担保の外国貿易融資を始めた。2011年に、アリババ・グループの一員として、一達通は無抵当、無担保の「中小企業外貿宝」という融資サービスを開始した。信用体系を重んじる小口ローンの実績があるアリババを後ろ盾にして、そして第三者による外国貿易データ認証プラットフォームを立ち上げることによって、一達通は銀行から無担保で30億元の融資枠を獲得した。

 一達通は中小企業から融資希望者を募って融資額をまとめ、銀行に一括申請する。そして、銀行融資をそれぞれの企業に小口で渡し、銀行利子に若干上乗せする程度の利子を徴収する。
 イノベーションと言うと、一から全てを作り上げなければならないという強迫概念があるようだ。だが、画期的な技術を開発した者をイノベーターとするのではなく、市場で勝利を収めた者をイノベーターとするのであれば、アリババの姿勢は非常に参考になる。まず、「次はこれがヒットする」と言われた製品・サービスの中で、思いのほか普及が進んでいないものに注目する。次に、顧客がそれを採用するにあたって障害となっていること(物理的・心理的要因)を分析する。そして、その障害を取り除く「あと一歩」の機能やサービスを追加するのである。

 徐航明「中国企業の成功とリバース・イノベーション2.0」には、次のような記述があった。
 日本の企業には、「イノベーションセンター」や「イノベーション本部」といったような組織が多く見られ、書店にも数多くのイノベーション・マネジメント関連の本が並んでいるが、過去二十数年間で、新しく生まれて、世界的に知られているイノベーションといえるのは、ユニクロぐらいではないだろうか。

 日本ではイノベーションを大事にしているようで、実はイノベーションがそれほど起こっていない。さまざまな原因があるが、企業として生存できるかの危機感と、個人として好きなことを実現する意欲が欠けていることが最大の要因だと思われる。
 煽り抜きに、これは当たっていると思う。本ブログでも何度か書いたが、日本企業はアメリカ企業と違ってイノベーションが苦手であり、おそらくこれからもイノベーションが得意になることはない。それでも日本企業がイノベーションをしたいのであれば、アリババのように、「鳴かず飛ばずのイノベーションを見つけて、プラスアルファを加える」といった戦略しかないように思える。

 (4)最後に、西川英彦「〔第3回〕無印良品の再生」より。2000年代初めに業績が下降した良品計画は、「無印良品の未来」という企業メッセージをまとめた。
 まず、創業者の堤清二が掲げた、「消費社会のアンチテーゼ」という哲学が表現される。続いて、ブランドによる高価格商品と、安価な労働による低価格商品の二極化している現代の消費社会現象を説明した上で、そのどちらでもないという無印良品の立ち位置が提示される。今までの「わけあって、安い」だけの開発から脱却し、「素」を旨とする「究極のデザイン」をめざすという宣言が行われる。
 もともと良品計画は、西友のプライベートブランドを開発する目的で設立された企業である。その経営理念には、セゾングループのオーナーである堤清二氏の考えが色濃く反映されていた。それが「消費社会のアンチテーゼ」というものである。ところが、設立から何年か経つと、理念以外の様々な部分もセゾングループのものを受け継ぐようになった。松井忠三現会長が「計画95%、実行5%」と語るような、極端な計画至上主義もその1つである。こういう悪い部分までセゾングループに似てしまったのが、苦境に陥った原因であった。

 松井氏が改革に着手した時、全てを変えることはしなかった。引用文にあるように、堤氏の理念は残した。その上で、その理念を現在の事業環境や組織状況に照らし合わせて再解釈すると、どのような商品コンセプトが導かれるかを検討した。それが、「わけあって、安い」から「素」を旨とする「究極のデザイン」への転換である。こういう比較が適切かどうか解らないが、根本精神は残しつつ、実際の施策を現実的に柔軟に変更する姿勢は、ブログ別館で書いた鄧小平の改革を想起させる(「エズラ・F・ヴォーゲル、橋爪大三郎『鄧小平』」を参照)。

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