プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

※2019年にWordpressに移行しました。
>>>シャイン経営研究所(中小企業診断士・谷藤友彦)

Next:
next 『人を巻き込む技術(DHBR2016年2月号)』―リーダーは時々「バカ」になれるか?他
Prev:
prev ドラッカー「顧客の創造」の意味に関する私的解釈
2016年02月03日

『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他


致知2016年2月号一生一事一貫 致知2016年2月号

致知出版社 2016-2


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 (1)
 早乙女:ありがたいことに、日本は魚を漁師が獲って、流通業者が運んで、問屋が売って、一番いい状態でまな板の上に載る。これはもう日本の料理人にとっては最大のご褒美ですよね。これがよその国だったら、まな板に載った時にまずどれくらい腐ってるかチェックしなくちゃいけない。
(今田洋輔、早乙女哲哉「一筋の道を歩み続けて」)
 これは、ある方から教えていただいた言葉ですが、私は”販売は最終ランナー”っていう言葉がとても好きなんです。洋服でも食品でも、お客様に商品を届けるまでに製造、検品、梱包、発送と、まるで運動会のリレーのようにバトンを繋ぎ、最後のランナーになるのが私たち販売という仕事です。
(橋本和恵「ベストにベストを尽くす」)
 神の唯一絶対性、無限性と人間理性の合理性をともに信じる文化圏では、信仰を通じて神と人間が直線的につながることを目指す。それによって、人間の自由と平等が実現される。神と人間の間に別の人間、組織、制度、機構などが介在することは、自由や平等の阻害である。こういう文化圏では、国家・政府や大企業・資本家に対する不信感が非常に強い。

 この文化圏の人々は、しばしば水平方向の連帯によって自由と平等を獲得しようとする。だが、実のところ、彼らは心の底から連帯を望んでいるわけではないように思える。というのも、他者と連携すれば、自分の自由をある程度犠牲にしなければならないからだ。また、彼らは口では各々の個性を重視すると言う。しかし、本当に個性を尊重すれば、相互の差異を認めることとなり、それはすなわちある程度の不平等を意味する。よって、究極的には個性も否定される。

 彼らは革新という言葉で社会の変革を目指す。ところが、革新とは時間の違いによって優劣が生じることを意味するから、実は彼らの平等観と相容れない。時間の違いが優劣を決めるならば、例えば高齢者と若者の間には克服不可能な差異が存在することになる。これは彼らにとって認めがたいことだ。したがって、彼らには過去―現在―未来という時間軸はない。彼らにあるのは、ただ現在のみである。結局のところ、神と人間の理性をともに絶対視する立場は、個々の人間が全く同質でお互いに孤立しており、かつ現在にのみ強く固執する世界を作り出す(ここまでの内容は、以前の記事「『終わりなき「対テロ戦争」(『世界』2016年1月号)』」を参照)。

 日本はこういう文化圏に属していない。日本の多様な神はいずれも不完全であり有限である。人間もまた不完全で有限な存在である。日本社会の特徴としては、垂直方向の多重構造が挙げられるだろう。非常に大雑把に書くと、(神⇒)天皇⇒国会⇒行政⇒地域社会⇒市場⇒企業・NPO⇒学校⇒家族⇒個人という関係が成り立っている(実際にはもっと複雑である。学校は企業のニーズに応じた人材を輩出するだけでなく、広く地域社会が求める人間を養成する)。

 さらに、企業と市場のつながりを細かく見れば、冒頭の引用文にあるように、川上から川下まで様々な企業が関係していることが解る。これに加えて、企業の内部においても、組織の階層が幾重にも重なっている。一時期、組織のフラット化という言葉が欧米から持ち込まれ、ミドルマネジメント不要論も出たが、実は、日本企業では管理職の割合が増加している(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業」を参照)。

 日本では、水平方向の連携も盛んである。競合他社も含めて業界関係者が一堂に会し、市場に関する情報交換や新製品の共同開発などを行う業界団体という存在は、日本に特有のものである(アメリカにも業界団体はあるものの、競合他社同士が手を組むと独占禁止法上問題があるなど、制約が多い)。まだ十分に調べきれていないが、アメリカ企業がオープン・イノベーションと言い出すよりもずっと前から、日本では競合他社を巻き込んだオープン・イノベーションが存在したのではないかと推測している。ブランデンバーガーとネイルバフが言う"coopetition" (cooperation+competitionの造語)は、日本企業にとって特殊なことではないと思われる。

ゲーム理論で勝つ経営 競争と協調のコーペティション戦略 日経ビジネス人文庫ゲーム理論で勝つ経営 競争と協調のコーペティション戦略 日経ビジネス人文庫
B・J・ネイルバフ A・M・ブランデンバーガー 嶋津 祐一

日本経済新聞社 2003-12-02

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 垂直、水平方向の連携に加えて、時間軸でのつながりも重要である。日本人の魂は古代から脈々と受け継がれている。今私が生きているのは、たまたま私という肉体を自然から拝借して、そこに先祖代々からの魂が宿っているからである。よって、私が死ねば、借り物の肉体は自然にお返しし、魂は後世に受け渡さなければならない。後世に少しでもよい形で魂を引き継ぐためには、私は現世で魂の研鑽に努める必要がある。ここに、改善という考え方が生まれる。

 日本人は、水平、垂直、時間の3軸で他者とつながっている。この3軸でつながっていることが私を私たらしめる。つまり、3方向とのつながりを欠いては、私を定義することができない。この点が、人間理性を絶対視する文化圏とは決定的に異なる。人間の有限性を認めることで、日本人はどこまでも謙虚になることができる。それが日本人のよさである。引用文にあるように、私という存在は他者に大きく負っているという意識を持つことが大切である。

 周りの中小企業診断士を見ていると、大企業出身者で、大企業で仕事が取れていたのと同じ感覚で、独立後も仕事が取れると勘違いしている人がいる。大企業で取れた仕事は、もちろんその人の貢献もあるが、組織力の結集やブランドの影響を抜きには考えられない。同じことは、自動車ディーラーや保険会社のNo.1営業などにも言える。彼らの中には独立して営業研修の講師となる人がいるが、もし彼らが自分の実力だけを訴求するならば、私はその研修を信用しないだろう。「周りの人や部署がこういう面で色々と支えてくれた」と素直に言える人が本物だと思う。

 (2)以前の記事「『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』」で、
 二項対立的な発想をし、自身は一方を標榜しながら、裏では対立する双方に賭けるような行動は、大国に特有のものである。アメリカ、ドイツ(現在のヨーロッパの大国の地位は、イギリスからドイツに移行した)はもちろんのこと、ロシアや中国もそういう発想をしているのではないかと思われる(排他的なイデオロギーに染まっているように見える両国が、果たして本当に二項対立的な発想をしているのかどうかは、引き続き調査したい)。
と書いたのだが、本号を読んで中国には『易経』の陰陽説があることを思い出した。
 『易経』などの東洋思想にある陰陽説は広く知られています。この世の中に存在するものは、相反するものの調和によって成り立っているという考え方です。光があれば影があり、表があれば裏があり、上りがあれば下りがあります。同じように動物の世界は雌と雄、人間の世界では男性と女性がともに調和することによって、今日まで生命を発展させてきました。
(鈴木秀子「またしても多くの暗い日のあとでやさしい太陽が青い空に輝き出す」)
 本ブログで何度か書いている「二項対立」と「二項混合」は、近くて遠い概念である。アメリカ、ドイツ、ロシア、中国といった大国が得意とする二項対立は、特定の事象の本質を対立するAとBとしてとらえた上で、AまたはBの一方に強く肩入れする。そして、対立するもう一方を厳しく攻撃する。ただし、大国は対立項を完全には滅ぼそうとしない。対立項を失うと、自国が肩入れしている項が存在意義を失ってしまうからだ。だから、表向きは対立項を攻撃しつつ、裏で対立項にも賭けるという、非常に複雑な外交を行う(以前の記事「栗原隆『ヘーゲル―生きてゆく力としての弁証法』―アメリカと日本の「他者との関係」の違い」を参照)。

 こういう外交は、日本のような小国には理解不能である。日本には、対立項の一方に肩入れしつつ、もう一方に裏で賭けるという器用さはない。だからと言って、一方のみに肩入れすると、激しい対立に飲み込まれて身を滅ぼす(以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」)。日本にできることは、対立項の双方の目に見える部分からいいところどりをして、適度に調和させることである。これを「二項混合」と呼んだ。

 本号を読むと、実は中国は「二項対立」と「二項混合」のどちらもできる稀有な国なのではないか?という気がしてきた。そうすると、思想的には中国が最強である。例えば、生と死、健康と病気を混在させる考え方が中国には存在する。
 長堀:東洋には「生死一如」という言葉があって、これはよく生きるためには死を意識しなければいけないという発想から生まれています。
(長堀優、村上和雄「がんの神様ありがとう」)
 長堀:東洋には「同治」という言葉があって、病気が消えなくてもいい、病気とともに生きていこうという態度のことです。それに対応する言葉に「対治」というのがあって、これは病気を治してやろう、闘ってやろうという態度です。(同上)
(3)
 昔からの老舗で、いまもその業態でリーダーになっているところがどのくらいあるかというと、非常に少ないように思うんです。逆に長くやっているうちに、不動産とか別のところからも収入を得るようになって、そのために本業に全力投球しなくなったりもする。
(今田洋輔、早乙女哲哉「一筋の道を歩み続けて」)
 商店街関係者には耳が痛い話だろう。私の周りには商店街の支援をしている診断士が何人かいるが、各店舗の店主に本気になってもらうのが非常に難しいという。商店街の店舗は、儲かっていた時期のキャッシュで自社ビルを建て、2階以上を賃貸に回しているところが結構多い。1階の店舗が業績不振でも、安定した賃貸収入があるから、店舗の改善意欲が湧かないらしい。

 だが、よく考えてみると、2階以上に住人がいるということは、潜在的な顧客が店舗のすぐそばにいるということである。不動産投資によって潜在的な顧客を近くに囲い込んでおきながら、店舗の売上が振るわないとこぼすのは、甘え以外の何物でもないのではないだろうか?

 ついでにもう1つ。商店街は大規模小売店に対して、過剰なまでの敵対意識を持つ。だが、競合他社が現れるのは、そこにまだ満たされていないニーズがあるとその企業が判断したからである。つまり、競合他社の出現は、既存企業が顧客のニーズを十分に満たしていないことの表れなのだ。競合他社が現れたら、既存企業は競合他社を非難するのではなく、「我が社のマーケティングが十分でなかった」と反省しなければならない。

 ところで、最近は人口減により、各地で大規模小売店の撤退が相次いでいる。すると、近くの商店街は「大規模小売店がなくなると、その店舗目当ての人が減り、商店街に来る人も減るから非常に困る」と言うそうだ。商店街は、大規模小売店が出店する時も撤退する時もその企業を叩く。こういうメンタリティになってしまった商店街には、申し訳ないが未来はないと言わざるを得ない。

  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like