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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年02月17日

飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1/2)


クリプキ ことばは意味をもてるか シリーズ・哲学のエッセンスクリプキ ことばは意味をもてるか シリーズ・哲学のエッセンス
飯田 隆

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神・人間の完全性・不完全性

 以前の記事「栗原隆『ヘーゲル―生きてゆく力としての弁証法』―アメリカと日本の「他者との関係」の違い」で、上のような図を用いた。神も人間の理性も絶対的/無限ととらえる右上の象限は究極の左派であり、神の下での自由と平等を目指す。神と人間の直線的関係が望ましく、両者の間に何かしらの組織や機構、例えば国家や大企業などが介在することを極端に嫌う。だから、アナーキストや社会主義者が生まれる。共同体や家族は権威主義的だと批判される。

 右上の象限の人間は自由であると書いたが、往々にして自由が行きすぎると他者に不自由を強いることとなる。だから、自由を実現するためには、人間は孤立しなければならない。左派の人々は、世界市民とか連帯といったスローガンを掲げるものの、本当に人々が連帯しては困るのである。また、平等であるということは、個人の間に差を認めないことと同義である。ここでも、多様性を重視する左派の主張は、正反対の結果を導く。そもそも、唯一絶対の神に似せて人間が創造されたとすれば、個々の人間は等しく神の模写であり、差があるはずがない。

 左派は革新によって社会を改造しようとする。一見すると、将来という時間を設定し、将来⇒現在という時間の流れを想定しているようである。ところが、人間が自由に将来を設定できるのであれば、様々な未来が起こりうることとなり、神/人間の絶対性に反する。だから、左派にとって将来という時間は存在しない。同時に、左派は過去の伝統や因習によるしがらみをも否定するから、結局のところ左派にあるのは現在のみということになる。現在という1点を絶対視し、それが無限に時間を覆い尽くす。左派は革新を目指しながら、実際には極めて硬直的である。

 これはいわゆるファシズムであり、ナチス・ドイツがその代表である。一般的に、ナチスは民族主義的な極右と位置づけられているが、個人的には極左ではないかと思う。ここで、ナチスがアーリア人優性主義に基づいて600万人ものユダヤ人を虐殺したという事実は、神の下での平等に反すると映るかもしれない。だが、神の下で平等であるということは、裏を返せば神の下にいない人間は不平等で構わない(もっと言えば、そういう人間は人間ではない)ということである。神の下にいないとされたユダヤ人は、極左の理論によって虐殺を正当化された。

 現在、ファシズム的な政治を行っているのがISである。ISは「アッラーの他に神はなし」と言い、アッラーへの服従を絶対視する。そして、完全無欠のシャリーア(イスラム法)に基づく国家運営を目指す。アッラーやシャリーア従う人間は仲間だが、従わない人間は人間ではないと判断されて殺害される。彼らにはアッラーやシャリーアに従う今この時という時間以外の時間がない。時間軸という概念がないため、ISは中東でイスラーム文明の遺跡を破壊することも躊躇しない。

 ファシズムの源流をたどっていくと、実はフランス啓蒙主義に行き着くと指摘したのは、ピーター・ドラッカーであった(『産業人の未来』を参照。この本の書評は後日アップする予定)。啓蒙主義は人間の理性を絶対視し、自由と平等を普遍的価値と位置づけた。フランス啓蒙主義がイギリスに伝わり、イギリスの支配から逃れた人々が建国したアメリカも、フランス啓蒙主義の影響を強く受けたことは、アメリカ合衆国憲法からも読み取れる。そういう意味では、アメリカもファシズムに陥る可能性があった(右上の象限に「アメリカの理想?」と書いたのはそういう意味である)。

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 ところが、アメリカはファシズムには陥らなかった(アメリカが自由、平等、資本主義、民主主義、基本的人権を普遍的価値として世界中に普及させようとしていることはファシズム的ではないのか?という議論はあるが)。アメリカは右上の象限を上手く修正して右下の神=完全性、人間=不完全性という象限に移行したようである。まず、人間が不完全であることを受け入れることで、かえって人間が様々な将来を自由に描くことができるようになった。つまり、自由意思が機能する余地が生まれた。アメリカ人は「自分のやりたいこと」を重視して、明確なビジョンを描き、それを成就させることを自己実現と呼ぶ。これは、紛れもなく自由意志の表れである。

 次に、二項対立的な発想を受け入れた。右上の象限は「1」を全体とみなして絶対視するが、右下の象限では、この世の中のあらゆる事象を対立構造によって把握する。とはいえ、お互いに相手を完全に叩きのめそうとはしない。対立する相手が消えてしまっては、自分の存在理由がなくなるからだ。だから、表面上は激しく対立しているように見せて、裏では相手が存続できるように手を回す(日本人はこういう複雑な交渉が理解できない。対立するからには、相手を絶対に打ち負かさなければならないと考える。だから、メディアなどでは安直な善悪二元論がはびこる)。二項対立的な発想によって、物事を相対化し、他者を尊重する道が開ける。

 最後に、アメリカは社会における一定の多重構造を受け入れた。別の言い方をすれば、神と人間の間に何かしらの機構が介在することを認めた。アメリカ人はいくら自由であると言っても、国家という枠組みを取り払おうとはしない。しかもその国家は、連邦政府と州政府からなる重層的な構造である。アメリカ人は、平日は起業家精神に立脚する企業組織社会で働き、週末は教会に通って祈りを捧げる。また、アメリカ人は家族を重視するとともに、非営利組織を通じて共同体に貢献しようとする(アメリカのこうした修正の流儀については、冒頭に掲載した記事「栗原隆『ヘーゲル―生きてゆく力としての弁証法』―アメリカと日本の「他者との関係」の違い」を参照)。

 左下の神=不完全性、人間=不完全性という象限には日本が該当する。最近のアメリカは、人工知能(AI)という武器によって、右下から左下を侵食し始めているように感じる。詳しくは以前の記事「日経ビッグデータ『この1冊でまるごとわかる!人工知能ビジネス』―AIで日本の強みを侵食するアメリカ?」に譲るが、簡単にまとめると①未来⇒現在という発想から、現在⇒未来という発想への転換、②シンプルな因果関係の重視から、原因と結果を結ぶルールの多様化、③自前主義から水平・垂直方向のコラボレーション、という3点に集約される。

 アメリカは右上、右下、左下の象限へと移動するにつれて、他者との関係を重視する割合が増している。右上の象限では、前述の通り個人は孤立している。右下の象限に移ると、二項対立的発想の中で他者の存在を容認する。左下の象限では、他者とのコラボレーションを通じて、私が他者から影響を受けるとともに、私が他者に影響を与えるという相互作用が生じる。アメリカは神の絶対性(と人間理性の絶対性)から出発しつつも、徐々にそこから離れることで、自らをよりよく保つ術を獲得しているようである(クリプキの話を全然していない・・・。続きは後日の記事で)。

 (続く)

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