プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年03月15日

『震災から5年「集中復興期間」の後で/日本にはなぜ死刑がありつづけるのか(『世界』2016年3月号)』―なぜ裁判員は「死刑制度のことはよく解らない」のに死刑を選択したのか?、他


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 (前回からの続き)

 (5)
 今回の「合意」は、日韓両国政府が被害者を抑圧して、解決したことにするという強引なものである。日本政府は10億円の拠出を最後に、すべての事業を韓国に押し付け、自身は何もしなくて済む。これで全てが終わりということであり、きわめてひどい話だ。
(吉見義明「真の解決に逆行する日韓「合意」」)
 この書きぶりからは、日本が「10億円支払うから、慰安婦問題はもうこれで終わりにしてくれ」と韓国に迫ったかのように見える。だが、内田雅敏「通過点としての日韓「合意」」で紹介されている東京新聞の社説を読むと、どうも違うような気がしてならない(孫引きをご容赦いただきたい)。
 「オバマ政権は韓国に対し、歴史問題にこだわるばかりでは日米韓の共助体制が崩れていくと批判した。一方で、戦時下の女性に対する性暴力は深刻な人権侵害だとして日本側に慰安婦問題の解決を迫った」(『東京新聞』12月29日付社説)
 慰安婦問題を「解決したこと」にすることで困るのは、韓国側である。日本に対する重要な外交カードを1枚失うことになるからだ。一方の日本は、韓国に対して何もしていない(右派がよく指摘するように、慰安婦問題に関する事実を韓国をはじめ世界に対して発信してこなかったという不作為は責められるべきかもしれないが)。何もしていないのだから、何も失うものはない。

 今回の日韓合意は、日米韓の軍事体制を強化したいアメリカが、韓国に対して「いつまでも日本と喧嘩をするな」と迫り、韓国が日本に歩み寄った結果である。その証拠に、東京新聞の社説では、韓国に対してはアメリカの利益が明確に主張されている一方、日本に対しては、女性の人権という一般論に触れているにすぎない。だから、決して日本が慰安婦問題の幕引きを強引に行ったわけではない。吉見義明氏の記事は、この点をミスリードさせるように思える。

 ところで、歴史問題をめぐる対立を解決するには、お互いに事実を確認し合う作業が必要であるとよく言われる。だが、それは政治における厳しい対立に身を置いたことのない人が言う虚構にすぎないような気がする。企業内の対立であれば、いくら社員同士が対立しているとはいえ、一応は全員が自社の目標、すなわち売上高や利益を上げるという方向を向いている。だから、事実の誤認や認識の齟齬を丁寧に紐解いていけば、対立は緩和される。

 もう少し範囲が広がって、異なる企業同士が協業する場合には、価値観や企業文化の違いから足並みが揃わないことがある。それでも、各社は業績を伸ばしたいという点では共通している。だから、協力できる部分と協力しなくてもよい部分とを上手く切り分けた上で、それぞれの企業が自社の目標を最優先すれば、付随して自然と協力関係が構築されるように仕向けるとよい(これは、最初に全社に共通する目標を設定して、その目標達成のために各社がなすべきことをデザインするという発想とは異なる。以前の記事「『2020年のマーケティング(DHBR2014年10月号)』―日本の企業間連携は、実は「共通目的」を追わない方がよい?」を参照)。

 だが、政治の世界となると、利害関係が複雑すぎる。同じ事実を土俵の上に乗せればよいと言うが、事実は簡単に捻じ曲げられる。例えば、アメリカは地球温暖化と自国の工業の因果関係を絶対に認めたがらない。これは、石油会社などが地球温暖化の研究機関や、その機関とつながる政治家に対して、多額の献金をしていることが影響している。日韓の対立も、巨視的に見れば、アメリカ的な資本主義体制を守りたい日本と、近年急速に左傾化し日本を社会主義化したいと企む韓国の対立であり、一方がもう一方を潰しにかかっている(以前の記事「『「慰安婦」戦、いまだ止まず/台湾は独立へ向かうのか/家族の「逆襲」(『正論』2016年3月号)』」を参照)。

 ここまで書いておいて無責任だが、日韓の対立を根本的に解決する方策を私はあいにく持っていない。しばしば、経営コンサルタントなる人たちが、企業での課題解決の手法を用いて政治的課題の解決を提言することがあるが、前述のように企業と政治は全くの別世界である。企業の課題解決方法を政治の世界に援用することについてそんなに自信があるのならば、北朝鮮に乗り込んで拉致問題を解決してみせよと言いたい。企業の世界の話を、軽々しく政治の世界に持ち込んではいけないと思う(あ、私もか・・・)。

 (6)
 名前(=氏名)の本体は、起源的には社会の側に属し、国家の創設した制度ではない。そして、起源的に社会の側に属し、国家に先行する存在である点に着目して「人権」としての憲法上の保障を及ぼすのである。

 かりに氏については国家が家族の呼称として創設し、そのようなものとして法制度のなかに取り込んで規律したとしても、社会のなかで名と一体化し名前=氏名として機能しているのであり、そこから氏だけを切り離し、氏は国家の法制度により意味が与えられるのであるから人格権の保障は及ばない、などという法律論は、恣意以外のなにものでもない。
(高橋和之「同氏強制合計判決にみられる最高裁の思考様式」)
 しかし、婚姻制度は決してそのようなものではなく、社会で自生的に成立する人間の営みであり、しかしそれをまったく各人の自由に任せるといろいろな問題が生じるので、それを予防し皆が平等に婚姻生活を送ることができるように、社会の要請に応えて国家が規律を施したものなのである。したがって、婚姻の要件は、婚姻の自由を制限するものであり、なぜその要件が必要かの論証が必要なのである。(同上)
 私は一応法学部出身だが不良学生だったので、憲法の議論に深く立ち入る力量がない。著者によれば、氏名は国家に先立って社会において成立した。その意味では、基本的人権の対象であり、憲法が定める人格権がカバーするところでもある。だが、氏名を個人の全くの自由に任せると色々と不都合が生じるため、人格権が制限されることもあり得る。最高裁は、具体的にどのようなケースにおいて人格権が制限されるのかを論じるべきだったのに、氏名を氏と名に切り分けて、氏はそもそも人格権の保障から外れているとした点に問題がある、ということだろう。

 ここからは妄言(?)。近代では、人間が生まれながらにして持つ権利=自然権(基本的人権)を認めた。人間が集団で活動するようになると、自然権を保障する仕組みが必要となり、国家が生まれた。国家の最高法規である憲法は、自然権を定め、国家権力が自然権を侵害しないことを約束した。だが、思うに、人間が社会という空間に生まれる以上、必然的に有する権利と同時に、必然的に有する義務もあるのではないだろうか?残念ながら、現在の法律の世界には、基本的人権に対して基本的義務なる概念が存在しないため、この点を十分に議論できない。

 さらに妄言(?)をもう1つ。氏の選択が自由ならば、名の選択も自由であるべきだ、という主張が今後現れるかもしれない。子どもは自分で自分の名前を選ぶことができない。もし、自分の望みとは異なる名前を親から”強制”されたと子どもが感じれば、(訴訟能力を有する成人になった後となるが)人格権の侵害だとして訴訟を起こすこともあり得る。名の場合は、家制度とは関係がないため、氏の場合とは全く異なる法理論が必要となるだろう。

 (7)
 要請書は、決して死刑の是非を直接的に訴えるものではなく、少なくとも今のまま漫然と死刑執行を続けるべきではないという主張であった。この要請書に、Aさんをはじめ19名の裁判員経験者たちが賛同し、署名してくれた。「わからないから得体のしれない怖さがある」「正しく知ることで少しでも不安がとり除ける」、要請書賛同者には、Aさん以外にも、死刑判決に関わった裁判員経験者が2名含まれていた。
(田口真義「死刑と向き合う市民 裁判員判断の初執行を受けて」)
 2015年12月18日、裁判員裁判で死刑判決が確定した死刑囚の死刑が執行されたそうだ。引用文のAさんとは、その時の裁判員の1人である。著者は、死刑制度全般について、国民が十分理解しているとは言い難いと指摘する。死刑の現場がどうなっているのか?死刑囚はどこでどのような生活をしているのか?死刑を待つ間、死刑囚にはどのような心境の変化があるのか?死刑囚は加害者とどのような交流を持つのか?死刑の執行の有無はどのようにして決められるのか?など、国民が知らないことは実に多い(そして、政治家も官僚も解っていない)。

 死刑制度が秘密主義で覆われているのに、裁判員に死刑を選択させるのは刑事罰のあり方として疑問が残る。また、裁判員にかかる心理的負担も想像を絶するものがある。こういう理由から、田口真義氏は当面の間死刑執行を停止するよう、意見書を提出したのだという。

 私ごときが死刑制度に対して何か言えた義理ではないが、一言だけ言っておきたい。裁判員裁判では量刑も選択する。Aさんが関わった裁判では、死刑か無期懲役かを選択することになっていた。もし、死刑のことが解らないのであれば、無期懲役を選択すればよかった。刑事罰に国民の良心を反映させるという裁判員裁判の狙いは、まさにそういうことではなかったか?解らないのに死刑を選択して、解らないがゆえに後から苦悩するというのは、いささか奇妙だと感じる。

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