プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

※2019年にWordpressに移行しました。
>>>シャイン経営研究所(中小企業診断士・谷藤友彦)
⇒2021年からInstagramを開始。ほぼ同じ内容を新ブログに掲載しています。
>>>@tomohikoyato谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士

Next:
next 中小企業のニッチ戦略はややもすると自己欺瞞に陥る
Prev:
prev リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』―西洋人と東洋人は確かに違うが、中国人と日本人も大きく違うと思う
2016年05月11日

マイケル・ピルズベリー『China 2049』―アメリカはわざと敵を作る天才かもしれない


China 2049China 2049
マイケル・ピルズベリー 森本 敏

日経BP社 2015-09-03

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 アメリカ政府の対中政策に深く関わってきた著者が、50年もの歳月をかけて完成させた1冊だそうだ。タイトルにある2049年は、中国共産党が中華人民共和国を建国してからちょうど100年を指す。中国は19~20世紀の間に欧米の列強、とりわけアメリカに搾取されたという苦い記憶を持つ。そして、「過去100年に及ぶ屈辱に復習すべく、中国共産党革命100周年にあたる2049年までに、世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカら奪取する」という計画を立てた。著者は中国の超長期的な戦略を「100年マラソン」と名づけた。

 私が度々本ブログで展開している「大国の二項対立論」はまだまだ穴だらけなのだが、その穴がさらに広がるかもしれないことを承知で、今回もこの議論を進めてみたいと思う。二項対立は欧米に特有の思考法であることは、以前の記事「リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』―西洋人と東洋人は確かに違うが、中国人と日本人も大きく違うと思う」でも触れた。ただ、欧米の中には非常にしたたかな人がいて、二項対立の双方に賭けるという行動に出ることがある。そうすれば、対立項のどちらが勝っても、自分は得をすることができる。

 欧米の列強が世界各地に植民地を建設した際、現地民族の対立を上手く生かすのが欧米人の常套手段であった。現地民族が対立すれば、現地の欧米政府は双方から庇護を求められる。そのため、かえって政府の支持率が高まり、統治がしやすくなるというわけだ。

 ユダヤ人の財閥・ロスチャイルド家については、以前の記事「『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』」で触れた。一般に、日露戦争はロスチャイルド家が日本の戦時国債を引き受けてくれたおかげで勝てたと言われている。しかし、当時のロスチャイルド家はロシアの油田開発にも投資をしていた。ロスチャイルド家は、日本にも賭けたかった。だが、表立って日本を支援すれば、ロシアから制裁を受けるかもしれない。そこで、アメリカにいるパートナーを利用して日本の国債を購入した。こうして、日本とロシアのどちらが勝っても、ロスチャイルド家が儲かるようにしたのである。

 対立項の双方に露骨に賭けるのがイギリスである。イギリスは20世紀初頭、フサイン=マクマホン協定(1915年)、サイクス・ピコ協定(1916年)、バルフォア宣言(1917年)を締結して三枚舌外交を展開し、アラブ人にもユダヤ人にもいい顔をしようとした。最近も、イギリスの二枚舌外交を示す例が見られた。イギリスはアメリカの同盟国でありながら、中国が主導するAIIBに加わった。イギリスは、アメリカ市場とアジア市場の両方で上手く儲けたいと考えているのだろう。

4大国の特徴

 (※)図の出典は、ブログ別館の記事「真壁昭夫『VW不正と中国・ドイツ経済同盟―世界経済の支配者か、破壊者か』」。

 非常にラフな整理だが、現代世界にはアメリカ、ドイツ、ロシア、中国という4つの大国がある。そのいずれもが、二項対立的な発想をする(以前の記事「リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』―西洋人と東洋人は確かに違うが、中国人と日本人も大きく違うと思う」を参照)。大まかに言えば、自由主義の米独と、専制主義の中露は対立する。

 ただ、事態を複雑にしているのは、大国の内部もまた、二項対立を内包しているという点である。アメリカには共和党と民主党という対立がある。ドイツは西ドイツと東ドイツの対立を引きずっている。中国は共産党政権と、台湾・香港・マカオの併存を認める一国二制度を採用している。ロシアはちょっとよく解らないが(汗)、おそらく何らかの二項対立がある(ソ連崩壊前は、共産主義を信奉する主流派と、資本主義に傾倒しつつある反体制派があったと記憶している)。

 ここで、かなり抽象的だが、こんなケースを考えてみよう。大国Xと大国Yがあったとする。Xは国内でAとBの対立が見られ、Aが主流派である。Yは国内でA’とB’の対立が見られ、B’が主流派である。XとYが対立する時、表面的にはAとB’が対立する。同時に、Xの主流派AはYの非主流派A’を、Yの主流派B’はXの非主流派Bを支援し、相手国の主流・非主流の入れ替えを試みる。

 仮に、Xの主流派Aが支援したYの非主流派A’が力をつけて、Yの主流派B'を打倒したとしよう。今、YはA’のみが力を持っている。これは、Xにとっては最も望ましいことである。ところが、大国であるYは、常に二項対立的な発想をするので、A’に対抗するB’’がすぐさま現れる。こうして、XとYの対立はその後も続くことになる。冷戦時代、アメリカはソ連の社会主義を攻撃するとともに、資本主義化を支援した。確かに、アメリカの目論見通りソ連は崩壊した。ところが、ロシアは力を落とすどころか、近年は再び軍事力を高めている。これは、ロシアの中で今度は専制主義と民主主義という対立が生じ、アメリカの民主主義が挑戦を受けるようになったためである。

 ここでようやくアメリカと中国の話に入るが、中国にはタカ派と呼ばれる非主流派がいた。アメリカの親中派(著者もその1人だった)は、タカ派が中国の資本主義化と民主化を望んでいると考えた。特に、鄧小平が開放路線を走っていた時期は、中国で改革が進んでいると信じて疑わなかった。天安門事件の時でさえ、中国政府の対応は例外的なものと見なした。そもそも、アメリカが中国に接近したのは、ソ連の脅威に備えるためであった。しかし、歴代の政権は次第に、中国との貿易や中国への投資、中国に対する武器の輸出を増やし、中国依存を高めていった。

 アメリカは、非主流派のタカ派を利用して、中国の共産主義を打ち砕き、資本主義と民主主義を植えつけることを狙ったのかもしれない。だが、アメリカにとって誤算だったのは、タカ派の真の姿を見誤っていたことである。すなわち、タカ派は「自分は弱い存在です。助けてください」というポーズを見せてアメリカから多くの支援を受け、国力が十分に蓄積された段階でアメリカを出し抜くという戦略を持っていたのである。アメリカは、中国の「100年マラソン」を見破ることができなかった。タカ派は非主流派ではなく、アメリカが最も恐るべき主流派=敵であったのだ。

 政治の素人である私がこんなことを言う資格はないのかもしれないが、アメリカは実にピュアであったと思う。中国の歴史をちょっとでも勉強していて、中国に脈々と流れる「中華思想」なるものを知っていれば、中国の覇権主義的な行動は予測できたに違いない。インテリジェンスに注力するアメリカでさえ、こういう過ちを犯すのかと驚きを禁じ得なかった。話はやや逸れるが、アメリカはインテリジェンスでしばしば決定的な失敗をしていることが本書では暴露されている。
 アメリカの最高機密に接していた人々は皆、冷戦時に諜報部門が犯した失敗の数々について知っている。CIA初の「国家情報評価」は、中国の主張に基づいて、中国は朝鮮戦争に介入しないと断言したが、その数日後に中国は介入した。1962年にCIAは、ソ連はキューバにミサイルや核兵器を配置しないと予測したが、それは、そんなことをするつもりはないというソ連幹部の嘘を、CIAのアナリストが真に受けたからだった。1979年には、CIAの最高位の分析官ロバート・ボウイが連邦議会において、イランの皇帝は権力を維持しており、アヤトラ・ホメイニがそれを奪取する見込みはなく、イランは安定していると証言した。多数の情報源によるものだったが、これも誤りだった。
 いや、別の見方をすれば、アメリカはわざと敵を作ったのかもしれない。二項対立的な発想をするアメリカは、自国と対峙する存在を常に必要としている。アメリカは、自由、平等、基本的人権、民主主義、私有財産、資本主義といった普遍的価値で世界を覆うことを究極の使命としている。しかし、逆説的だが、アメリカが自国のアイデンティティを充足するためには、その普遍的価値に反抗する者が現れてくれなくては困るのである。

 アメリカの歴史を振り返ると、味方(だと思っていた者)に過度に肩入れした結果、深刻な敵を生み出す、ということが繰り返されている。かつてアメリカは、イランでパーレビ体制を支持していた。ところが、先ほどの引用文にあったように、ホメイニ革命を防ぐことができなかった。ホメイニ革命を機にイランを敵視するようになったアメリカは、今度はイラクの側に回った。イラクがクウェートに侵攻し、湾岸戦争が起きても、アメリカはイラクを支援した。しかし、最後は独裁者サダム・フセインの存在をどうすることもできなくなり、イラク戦争に踏み切った。

 ソ連との関係では、アフガニスタンに侵攻するソ連に対抗して、アメリカのCIAがアフガニスタンにアルカーイダを作った。しかし、アルカーイダの幹部はやがて反米路線に転じ、9.11同時多発テロを引き起こした。アルカーイダやタリバンといったイスラーム原理主義組織は、イスラームのワッハーブ派から派生したものである。ワッハーブ派とは、イスラームの多数派であるスンニ派の一派で、サウジアラビアに多い。アメリカはサウジアラビアに多くの武器を輸出しているが、その一部はイスラム原理主義組織に渡り、ISにも流れていると言われる。

 小国の日本人は、必要以上に介入するから問題がややこしくなるのであって、問題を起こしたくなければ最初から介入しなければよいと考えがちだ。私もそう思って、以前「ドネラ・H・メドウズ『世界はシステムで動く』―アメリカは「つながりすぎたシステム」から一度手を引いてみてはどうか?」という記事を書いた。だが、小国と大国では発想の仕方が全く異なる。アメリカが二項対立的な発想をする限り、アメリカは世界中のあちこちに介入しては敵を作り、そのたびに自国の存在意義を確認するという(小国にとっては迷惑な?)行為を止められないのかもしれない。

  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like