プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年05月23日

崎谷博征『医療ビジネスの闇―”病気産生”による経済支配の実態』―製薬業界を支配する「国家―企業複合体」


医療ビジネスの闇―“病気産生”による経済支配の実態医療ビジネスの闇―“病気産生”による経済支配の実態
崎谷 博征

学研パブリッシング 2012-03

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 《図①》
神・人間の完全性・不完全性

 まずは、以前の記事「飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1)(2)」のおさらいから入りたいと思う。アメリカは唯一絶対の神を崇敬する一神教の国であると同時に、人間理性の絶対性を信じている。人間は神の写し鏡である。かつ、人間は神の下で自由であると同時に平等である。これらの前提は近代啓蒙主義の時代に絶頂を迎えたが、こうした考え方を突き詰めていくと、実はファシズムに至る。ピーター・ドラッカーは著書『産業人の未来』の中で、ルソーの啓蒙主義やフランス革命などが、ナチス・ドイツのファシズムと直線でつながっていることを指摘した。

 人間は皆、完全なる神と同じ姿をしているわけだから、個々の人間に差異は認められない。だが、現実世界の人間には、様々な差が存在する。この矛盾を解決するには、ある特定の属性を持ったグループのみを認めるか、全員を無理やり同質化するか、どちらの方法に頼ることとなる。前者の例がナチス・ドイツである。アーリア人至上主義を掲げて、ユダヤ人などを大量虐殺した。最近のISもこれに該当する。後者は、近年の左派によく見られる。学校の演劇界で生徒全員に桃太郎を演じさせるのは、社会が様々な人の役割分担で成り立っていることの否定である。また、体育の時間に男女を同じ部屋で着替えさせるのは、男女差をなくすためである。

 人間は自由で平等な存在である。しかし、人間が完全に自由である時、他人の自由を侵害する恐れがある。それを避けるためには、他者と交流しなければよい。お互いに孤立した存在であれば、完全に自由になれる。左派はしばしば連帯の重要性を説くが、実際のところ連帯などしていないのである。それでも、ある人の自由が他人の自由を侵害することがあるだろう。しかし、図①の右上の象限においては、それは許容される。『新約聖書』には「全ての他人を赦せ」と書かれている。これはすなわち、法の否定を意味する。

 人間は神の下で平等だと言っても、実際には生まれた環境や後天的に獲得する能力の違いに起因する格差がある。それをなくすための最も簡単な方法は、(人間理性は万能であるという前提からすると逆説的だが、)最も劣った人間に他の人間を合わせることである。この時点で、進化や進歩という概念は否定される(だから、左派が進歩派と呼ばれるのには違和感がある)。この世で最も劣った人間とはすなわち、生まれたばかりの赤ん坊である。左派が教育や知識をひどく嫌うのは、赤ん坊に教育を施せばせっかくの平等が崩れるからである。進歩がないということは、時間の概念もない。人間は、現在というただ一点に絶対的に押しとどめられている。

 人間は独立した1人であると同時に、神が創造した自由で平等な、別の言い方をすれば均質な集団の一員である。より正確に言えば、実のところ個人や集団という違いは存在しない。人間は全体の一部であると同時に全体そのものであり、神と等しい。この考えに立てば、私有財産や共有財産という違いはない。財産は私のものであると同時に皆のものである。また、民主主義を採用するにしても、1人の意思が全体の意思に等しいわけだから、独裁と同義である。このように考えると、右上の象限から共産主義や社会主義が生まれやすいことがよく理解できる。また、共産主義国が当初は民主主義を掲げながらも、結局は独裁体制に落ち着くのも納得できる。

 (※)ところで、共産主義は基本的に神を認めないイデオロギーである。共産主義と神の関係が一体どうなっているのかについては、別の機会に論じたいと思う。

 アメリカはファシズム国家になる可能性が大いにあった。しかし、そうはならず、図①の右上から右下の象限に移動したことにはいくつか理由がある。1つ目は時間の概念を導入したことである。アメリカ人は未来志向である。将来的に自分は何を成し遂げたいかを考え、神と契約を結ぶ。そのために、アメリカ人は毎週日曜日に熱心に教会に通う。アメリカ人の人生は、その契約を履行するプロセスである。このようにとらえることで、アメリカ人は、(我々が通常その言葉を使うところの意味における)自由意思を持つことができるようになった。また、時間の設定には個人差があるから、将来像には多様性が生まれる。さらに、アメリカ人は、自分の契約こそが真であることを証明するために激しく競争する。その中から、イノベーションが次々と生まれる。

 もう1つは二項対立的な思考法を身につけたことである。簡単に言えば、自分の考えを絶対化しない。ある考え方に対しては、必ず反対意見がある。そして、その反対意見には耳を傾けなければならない。これによって、アメリカ人は他者の存在を許容できるようになった。図①の右上の象限では、個々人が集団の一部であり全部でありながら、お互いに孤立していたのとは大違いである。なお、二項対立的な発想は、現代の大国であるアメリカ、ドイツ、ロシア、中国に共通して見られるものであることは、以前の記事「リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』―西洋人と東洋人は確かに違うが、中国人と日本人も大きく違うと思う」で書いた。

 《図②(※何度も言い訳しているが、この図は未完成である(汗))》
製品・サービスの4分類(修正)

 図②の説明については、以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などをご参照いただきたい。アメリカは図②の左上の象限に強い。イノベーターは、まだこの世に存在しないニーズを先取りするために、自分を最初の顧客に見立てて、自分が心の底からほしいと思う製品・サービスを創り出す。そして、そのイノベーションを世界中に普及させることを神と契約する。このようなイノベーションは、神との契約が正しければ多くの人に熱狂的に受け入れられる。

 一方で、新しいイノベーションに対しては、大量のアンチも生まれやすい(ブログ別館の記事「『デザイン思考の進化(DHBR2016年4月号)』」を参照)。そこで、そのアンチを味方につけて、対抗馬となるイノベーションも生まれる。さらに、そのイノベーションに対するアンチ層を狙ったイノベーションが生まれるといった具合に、市場の黎明期には数多くの企業が登場する。しかし、やがて淘汰が進み、最終的には2大巨頭の激突に収斂する。まさに、二項対立の体現である(私は、図②の左上の象限に属する製品・サービスの世界における市場シェアは、概ね2社による寡占なのではないかという仮説を持っている。この点については、別途調べてみたい)。

 2大巨頭はライバル企業を激しく攻撃する。しかし、ライバルを打倒して全世界のシェアを獲得しようとはしない。図②の左上の象限は、例えるならばスポーツのようなものである(スポーツビジネスもまた、図②の左上の象限に属すると考える)。どちらも相手を倒すために試合をするものの、相手が本当に消えてしまっては、スポーツ自体が成り立たない。

 前置きが随分と長くなってしまったが、ようやくここから本書の話である。本書では、製薬会社と金融業界、政府、行政、大学の研究機関、医療現場、果ては消費者団体までが癒着していることが暴露されている。そして、全体の背後にいるのがロックフェラー財団である。20世紀初頭、ロックフェラー財団は自らが保有するウォール街の金融機関を通じて、製薬会社に大量の研究資金を供給した。また、大学にも資金を提供し、医療現場においては、ロックフェラー財団の投資先である製薬会社が開発した薬を使うように、徹底的に教育を行った。

 このレガシーは現在でも生きている。製薬会社の社外取締役には、ウォール街の金融機関の役員が名を連ねている。製薬会社はウォール街から調達した資金で、大学に研究資金を提供する。大学は、製薬会社にとって都合のよい薬を作り、製薬会社にとって都合のよい臨床データを作成する。時には、製薬会社の社員が大学教授の論文のゴーストライターとなる(こんな具合なので、論文の捏造が頻発する)。こうして、大学が中立的・科学的な立場から開発したとはとても言えないような薬を、製薬会社はMRを通じて医療関係者に大量にばらまく。大学教授が書いた(実際には自社の社員が書いた)論文を持って営業に行けば、効果はてきめんである。

 製薬会社は、アメリカで最も盛んにロビー活動を行っている業界である。その目的は、自社の新薬を認可してもらうこと、さらには国民が自社の新薬を必ず摂取しなければならないという法律を作ってもらうことである。アメリカでは、新薬の承認はFDA(アメリカ食品医薬局)が行っている。このFDAにも、製薬業界から資金と人材が流れている。FDAは製薬会社から大量に申請される新薬の審査で忙しい。だから、副作用が大きい薬を承認してしまうこともある。薬の副作用による健康被害は、消費者団体が厳しくチェックしている。しかし、その消費者団体の活動資金もまた、製薬会社から出ている。そして、こうしたシステム全体の黒幕が、ロックフェラー財団である。

 製薬業界は、あらかた必要な薬が出尽くして、新薬が生まれにくくなっていると言われる。そのような状況で、製薬業界が株式市場からの圧力を受けながら成長を続けるにはどうすればよいか?答えは、製薬業界が”病気を作り出す”ことである。一番解りやすいのが精神疾患の分野だ。精神疾患に関しては、『DSM-Ⅴ(精神障害の診断と統計マニュアル 第5版)』という本がある。患者がこの本に載っている基準に該当すれば、精神疾患と診断される。だから、この本に病気を追加するために、製薬会社がロビー活動を行うわけである(ブログ別館の記事「ハーブ・カチンス、スチュワート・A. カーク『精神疾患はつくられる―DSM診断の罠』」を参照)。

 私は、製薬会社というのは、図②の右下の象限に属すると思っていた。ところが、本書を読むと、現在のアメリカの製薬会社は左上の象限に属するように感じる。確かに、まだ市場にない薬を創り出し、世界中に普及させるという点では、左上の象限の条件を満たしている。だが、私が左上の象限で想定していたのは、イノベーターの創造力によって多様なイノベーションが生まれ、その多くは激しい競争によって淘汰されていくこと、そして、国家は市場メカニズムに介入せず、自由競争を促す仕組み作りに専念することであった。これに対して、アメリカの製薬会社は、国家や大学などとがっちり手を結んで、競争原理を歪めている。
 私たちの健康を支配してきたのは、マクロの単位では医療・製薬業界を含めた「市場経済」です。市場経済がもつ大きな欠陥のひとつは、破綻するまで目先の利益を追い求めるという狭窄した視野です。
 本書の最後にはこう書かれているが、我々の健康を支配してきたのは、歪められた市場経済であると表現するのが正しい。別の言い方をすれば、国家―企業連合体によるコーポラティズムである。それでもまだ救いがあるとすれば、こうしたコーポラティズムを批判するアメリカ人が確かに存在すること、そして彼らがコーポラティズムを声高に非難しても、職を解かれる程度で収まっていることである。仮に製薬業界が結託して単一化し、競合が駆逐されたとしても、消費者や学者などによる厳しい批判があれば、企業VS社会という二項対立の最後の砦となりうる。

 もしも、そうした批判が国家―企業連合体によって完全に封殺され、批判文書が処分され、批判した人がひっそりと社会的に抹殺されるようなことになれば、これはまさしくファシズムである。冒頭の図①で言えば、右上の象限に逆戻りすることを意味する。本書では、1か所だけファシズムという言葉が使われている。著者もアメリカに潜む重大な危険性を感じていたのだろう。

 我々日本人は、アメリカ経済の自由主義を称賛してきた。繰り返しになるが、アメリカの市場経済においては、プレイヤーの多様性が担保され、公正な競争が行われる。国家は市場への介入を最低限にとどめ、競争を促進する物理的・制度的インフラの整備に努める。これが理想だと思い込んできた。ところが、アメリカは対外的にはそのように宣伝する一方で、実際には国家―企業連合体による経済統制を狙っているのではないかと疑いたくなる時がある。軍産複合体はその代表であろう。アメリカはわざと世界で戦争を起こす。すると、軍需産業で研究が進む。軍需産業から生まれた新し技術は民生用に転用され、世界的なイノベーションとなる。

 軍需産業から生まれたイノベーションは、身近なものだけでも非常にたくさんある。インターネット、パソコン、光ファイバーケーブル、携帯電話網、デジタルカメラ、テレビゲームのジョイスティック、エアバッグ、電子レンジ、ナイロンストッキング、トレンチコート、乾電池式懐中電灯、チョコレートなどである。戦争がなければこれらのイノベーションは生まれなかったであろうこと、そして、日本企業もまた、アメリカのイノベーションへのキャッチアップで成長するという道が閉ざされたであろうことを考えると、市場経済とは一体何のためにあるのかと沈黙してしまう。

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