プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年05月25日

『共産主義者は眠らせない/先制攻撃を可能にする(『正論』2016年5月号)』―保守のオヤジ臭さに耐えられない若者が心配だ、他


正論2016年5月号正論2016年5月号

日本工業新聞社 2016-04-01

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 (1)
 伊藤:なぜ、そういう構造でありながら、日本が近代化に成功したかというと―ほとんど強引に近代化したわけですが―その理由は、元老の存在なんです。元老は明治維新を牽引し、日本の近代化を成功させたリーダーです。その元老体制をもとに憲法ができ、その憲法下の国政も、元老が担保することで動かされていた。
(伊藤隆、猪瀬直樹「日本近代国家論 坂の上の雲の向こうに何を追ったのか」)
 元老とは、明治中期の内閣制度創設から昭和初期まで存在した、政界の重臣である。大日本帝国憲法には、元老について定めた条文はない。天皇の下問に答えて内閣首班の推薦を行い、国家の内外の重要政務について政府あるいは天皇に意見を述べ、その決定に参与するなどの枢機を行った。本ブログを始めたばかりの頃の記事「相澤理『東大のディープな日本史』―権力の多重構造がシステムを安定化させる不思議(1)(2)」で、日本は権力構造が多重化するほど安定する傾向があるようだと書き、元老をその一例として挙げた。

 しばしば、安定と成長はトレードオフだとされる。しかし、日本の組織は安定しながら成長させることに成功してきた。特に、20世紀後半の日本企業はそうであったと思う。経済成長に伴う企業の急拡大によって、大量の新入社員が入社してきた。彼らが一定の年齢に達すると、ポスト(役職)が必要になる。日本企業は社内の階層を増やし、子会社を設立して、ポストの需要に応えた。これによって、グループ全体の経営が安定した。それと同時に、管理職の増加によるコスト増をカバーするだけの成長をさらに目指すようになった(ただし、最近はそこまでの成長が難しくなってきているため、欧米に倣って組織のフラット化やリストラに手を出している)。

 元老は、非公式の役職である。ここで我々は、非公式の指揮命令系統が失敗した重大な事例を1つ知っている。それは、以前の記事「山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍」で書いた「参謀」の存在である。帝国陸軍では、トップからの指揮命令系統が麻痺していた。すると、ある時から参謀が非公式チャネルを通じて命令を出すようになった。これを山本は「私物命令」と呼ぶ。形式的には、参謀の影響力が増すことで権力構造が多重化されたわけだから、システムが安定しそうなものである。だが、帝国陸軍は逆に自滅した。元老が成功して参謀が失敗した要因は何なのかを探索することが私の課題である。

 (2)
 思えば、かつて自民党、というのは、正しくオヤジ政党だった。オヤジでありイナカであり、地縁血縁であり、義理人情のどうしようもないしがらみであり、ミもフタもない利権共同体であり、土建屋であり不動産屋であり、さらに当たり前だが高度経済成長を具体化させた政策を後ろ盾に突っ走った財界そのものであり、何にせよそういう「日本」、少なくとも高度経済成長期までそうであったような一次産業中心、稲作至上主義の農業基盤、だから当然「百姓」が国民の心性の中核に位置していたような、まずはそんなものを代弁している盤石の何ものか。
(大月隆寛「SEALDs狂想曲 その情況論と世代論」)
 これほどまでに自民党の保守政治を解りやすく表現した文章はなかなか見たことがない。もっとも、現在一次産業に従事している人は300万人を切っており、自民党の支持基盤としては弱体化している点については、修正が必要かもしれない。ただ、そういう細かい話を除いて、保守政治というものがどうしようもなくオヤジ臭いことには、私も強く同意する。

 逆に言えば、革新派の主張は若々しくピュアである。革新派の思考については先日の記事「崎谷博征『医療ビジネスの闇―”病気産生”による経済支配の実態』―製薬業界を支配する「国家―企業複合体」」を参照していただきたいのだが、彼らは、人間が合理的な理性を持ち、自由かつ平等で、1人1人が全体の一部でありながら同時に全体そのものであるというあり方で連帯すると考える。武器を持って他人の自由に干渉するから戦争に至るのであって、皆が武器を持たなければ戦争は防げる。技術を開発するから環境破壊や健康被害が起きるのであって、技術革新を諦めて自然に従えば何の問題もない。左派は真面目にこう考える。

 確かに、理論としては非常に美しい。オヤジ臭い保守派ではとても太刀打ちできない。ただでさえ、オヤジというのは何かと面倒くさい存在である。だから、SEALDsのように、オヤジを煙たがる若者が革新派に流れる気持ちは理解できなくもない。だが、革新派には1つ、重大な欠点がある。それは、全世界の人々が革新派と同じ考えを持たなければ、革新派の理想は実現できないという点である。1人でも考え方が違うと、自由、平等、連帯は崩れ、世界が崩壊してしまう。

 私はこれでも一応経営コンサルタントの端くれなので、コンサルティングの話を少しさせてもらうと、コンサルティングの有名なメソッドに「ロジカルシンキング」というものがある。文字通り、論理的な思考によって経営課題の解決を目指すものである。ロジカルシンキングは、革新派の理論のように非常に美しく、一時期これが経営の万能薬のように扱われたことがあった。だが、コンサルタントがロジカルシンキングで導き出した解決策に顧客企業が納得し、それを実行してくれるのは、顧客企業側もロジカルシンキングの手法を十分に理解しているケースに限られると気づいた。そして、そのような企業は極めて稀な存在である。

 大手コンサルティングファームで実績を積んで独立した人が、政治の世界にも介入して、政治問題をロジカルシンキングで解決しようとする記事を何度も読んだことがある。ロジカルシンキングが導く解決策は鮮やかである。しかし、そんなに鮮やかに問題が解けるのならば、なぜ多くの政治問題はこれほどまでに長期化しているのだろうか?それは、相手がロジカルシンキングに沿って考えていないからである。諸外国の政治家は、一部のコンサルタントが考えるロジカルシンキングとは全く異なる思考回路で動いていることを受け入れる必要がある。彼らの思考回路を解きほぐし、日本の思考回路との違いを認識しない限り、解決の糸口は絶対につかめない。

 革新派の理論が美しいとすれば、保守派の理論はどこまでも泥臭い。革新派は、先ほど述べたように、相手が自分と同じように考えていることを前提とする。一方の保守派は、相手の思考プロセスが自分とは異なると考える。だから、相手とのつき合いはいつも非常に手間がかかるし、両者の間には排除しがたい権力格差が生まれる。相手から不条理な要求を突きつけられることもある。それでも一緒の共同体に生きる限り、何とかして相手との関係をよい方向へ持っていかなければならない。アメとムチを使い分け、不器用な交渉を地道に積み重ねていく。

 革新派が見る世界と保守派が見る世界のうち、どちらがより現実的かと問われれば、私は迷わず後者だと答える。保守派のオヤジ臭さに耐えられないようでは、現実の日本社会ではやっていけないし、ましてや生き馬の目を抜くような国際政治の世界で生き延びることはできない。SEALDsに賛同する若者たちは、革新派にとっては理想的で頼もしい存在である。しかし、保守派から見れば無菌室で培養されたひ弱な存在であり、彼らが反安保法制運動から日常社会に戻った時に、社会不適合障害を起こすのではないかと心配になる。

 (3)
 21世紀の日本人が「胸に刻み続け」ていかねばならないのは戦後70年談話にある「国際秩序への挑戦者になってしまった過去」というより、自分たちが小国民だという自覚であろう。我々は、他民族を冷徹かつ巧妙に支配できる大国民ではないし、それを嘆く必要もない。しかし、小国民といえども、他国に支配―それがいかなる美名の下であれ―されることなく、国際社会において独立した存在であることは可能である。もちろん、日本人にも。
(福井義高「安倍談話で議論呼ぶ 不戦条約と満州事変の考察(6)」)
 大国(現代の大国はアメリカ、ドイツ、ロシア、中国)は二項対立的に発想し、日本のような小国は二項混合的に発想すべきだということは、以前の記事「『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』」などで書いた。

 日本は経済規模が大きいから大国であるかのように錯覚してしまうが、地政学的には太平洋に浮かぶ辺境の小国にすぎない(地政学によって各国のポジショニングが決まるという決定論には批判もある)。今は1億人以上いる人口も、今後徐々に減少し、ますます小国となる。小国が生き延びる道は、周囲の大国からの政治的アプローチをのらりくらりとかわしつつ、大国のよいところを謙虚に学び、独自の制度・文化を構築することである。そうすることで、どの大国も日本を容易には攻撃できないという状態を作り出す。決して、領土拡大の野心を見せてはならない。

 日本は他国を支配するのには向いていない。豊臣秀吉は明の征服を狙い、中国の皇宮に日本の天皇を据えようとして失敗した。秀吉が生きた時代は、ヨーロッパでは絶対王政が敷かれていた時代であり、各国とも領土拡大を狙っていた。秀吉の行動は、それとパラレルでとらえられるという主張もある。しかし、日本人は秀吉の失敗からもっと学ぶべきだったのだろう。

 明治以降の日本は、清朝、ロシア、中国、アメリカと、大国に対して次々と戦争を仕掛けていった(そのため、日本の戦争を侵略戦争と表現するのは不適切だと言う人もいる。小国が大国を侵略することはあり得ないからだ)。その過程で朝鮮を併合し、中国に満州国を建てた。日本は欧米の帝国主義に対抗するべく、海外に領土を求めたと説明する。しかし、本当にそういう大国的な選択肢しかなかったのだろうか?他に方法がなかったとして、領土拡大のリスクをどの程度想定していたのだろうか?近現代史に疎い私は、この辺りをもっとよく勉強する必要がある。

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