お問い合わせ
お問い合わせ
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
アクセスカウンター(PV)
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新記事
タグクラウド

2016年07月02日

中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(2)【独立5周年企画】


勉強

 【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由
  1.中小企業診断士という資格を知ったきっかけ(7月1日公開)
  2.中小企業診断士を勉強しようと思ったきっかけ(7月2日公開)
  3.ベンチャー企業での苦労(7月3日公開)
  4.長い長い病気との闘いの始まり(7月4日公開)
  5.増え続ける薬、失った仕事(7月5日公開)
  6.点と点が線でつながっていく(7月6日公開)
  7.これから独立を目指す方へのメッセージ(7月7日公開)
 2.中小企業診断士を勉強しようと思ったきっかけ
 生協食堂のコンサルティングなどをしているうちに、就職活動の時期を迎えた。実のところ、最初は大学院に進学するつもりだった。法学部に在籍しており、サークルでビジネスのことを勉強したのだから、せっかくなら会社法の研究をしようかと考えていた。しかし、私が卒業するちょうど翌年から、法科大学院(ロースクール)が立ち上がることになっていた。従来の大学院の教授のほとんどは法科大学院に移ることとなり、私が狙いをつけていた会社法の教授もその中に含まれていた。法科大学院は、弁護士などを育成する大学院であり、私が思い描くような研究はできないと感じた(単なる私の勘違いだったのかもしれないが)。そのため、就職に切り替えた。

 サークルでビジネスのことを勉強したといっても、当時の自分の知識は浅はかなもので、どの業界に進むか迷った。ただ、せっかくコンサルティングチームを長くやったのだから、コンサルティング会社がいいのかもしれないと考えた。しかし、大手コンサルティングファームに就職した諸先輩方ほどの適性があるとも思えなかった。それに、報告書以外に何も形に残らないコンサルティングよりも、何かモノが残るコンサルティングがしてみたいというのが本音であった。

 色々業界研究をしてみると、情報システム業界が私の希望に近い業務をしていることが解った。当時はちょうどERPパッケージが全盛の頃で、ERPパッケージ導入のコンサルティングと、その後のシステム開発をともに手がけるSIerが多かった。そういう企業を集中的に受けた結果、「SCSアビームテクノロジー」という企業から内定をいただいた。同社はアビームコンサルティングと住商情報システムが合弁で立ち上げたベンチャー企業であった。アビームコンサルティングや住商情報システムにもシステム開発部隊はいるのだが、両社では手がけることができないような専門的な領域のシステムを担うのだと、同社の人事担当者の鼻息は荒かった。

 ところが、入社式で驚きの事実が社長から発表された。住商情報システムが合弁から抜けるというのである。これに伴い、社名もアビームシステムエンジニアリングに変更された。アビームコンサルティングの100%子会社となった同社は、人員を拡大し、独自の戦略領域を開拓する意欲を失ってしまったようだった。同社は、親会社が受注したシステム開発案件の単なる下請けとして扱われた。事実、社長が全社会議で自社のビジョンを発表した時、「我が社は親会社であるアビームコンサルティングのために高品質のシステムを提供する」と宣言したぐらいである。

 私に言わせれば、社長の発言はビジョンと機能を混同している。社長の言葉は企業としての機能を説明したにすぎない。ビジョンとは、最終顧客(第一義的にはシステムを使うユーザ企業、加えてそのユーザ企業が取引している顧客)を想定し、その最終顧客に対してどういう価値を提供し、どのような世界を実現するのかを語るものでなければならない。

 アビームコンサルティングは3,000人を超える大所帯である。それに対して、アビームシステムエンジニアリングは、私が入社した時点で300人もいなかった。アビームコンサルティングの3,000人は、全員が純粋なコンサルタントではない。9割ぐらいは、コンサルタントを名乗るシステムエンジニアであり、実質的にSIerである。となると、アビームコンサルティングとアビームシステムエンジニアリングは、機能的にオーバーラップする。違うのは人件費だけであり、顧客企業からコストカットの圧力がかかった時に(もしくは、親会社が利幅を高めようとする時に)、アビームシステムエンジニアリングの社員が都合よく使われるわけである。

 ただ、上記の通り、両社の人数バランスがあまりに悪いため、どこまでコスト削減の効果があったのかは疑問である。それに、両社が結果的に同じ業務をやっていることから、両社を分けておく意味がほとんどなかった。一番嫌だったのは、親会社の新入社員と同じプロジェクトで同じようにプログラミングをしているのに、基本給は親会社の方が高く時間外手当もつくのに対し、子会社は年俸制で深夜手当しか出ないことであった。私は、”この会社には未来が感じられない”という若者のお決まり文句を吐いて、1年ちょっとで会社を退職した(なお、アビームシステムエンジニアリングはやはり存在意義が曖昧という理由で、私が退職した後に親会社に統合された)。

 私の失敗の原因は2つある。1つ目は、当時の私は企業分析が甘かったということである。ベンチャー企業はただでさえ戦略が不安定になりがちであるのに、ジョイントベンチャーともなれば、利害の異なる親会社に挟まれて戦略が大きく変化するリスクがあることに気づかなかった。私は専門的なシステム領域を担うのだという人事担当者の言葉をあまりにも簡単に信じ込んでしまった。アビームコンサルティングも住商情報システムも、当時はERPパッケージの導入を強みとしていたが、ジョイントベンチャーが親会社とどのような領域で差別化していくのか、私は面接で突っ込んで質問をしなかったし、自分でも十分に勉強しなかった。

 もう1つは、SIerが作る小規模の子会社がどういう運命をたどり、社員がどんな待遇を受けるのかについて、私の理解が不十分だったことである。情報システム業界に限らず、本社の人件費を抑えるために、一部の業務を子会社化することはよくある。親会社は、建前上は独立採算でやっていくためだとか、経営意識を植えつけるためなどと言うものの、実際にはコストカットである。親会社より待遇がよい子会社など、ほとんど聞いたことがない。仮に住商情報システムが合弁から抜けていなかったとしても、住商情報システムが受注したプロジェクトの人件費を抑えるために、ジョイントベンチャーの社員が都合よく使われたに違いない。

 私は、転職先を決めてから退職したわけではなかった。会社を辞めてさてどうしようかと考えた時、純粋に「もっと経営のことが勉強したい」と思った。その時に思い出したのが、学生時代に教えてもらった中小企業診断士の資格である。実は、アビームシステムエンジニアリングに在籍していた時に、診断士の通信講座の教材だけは購入していた(なぜ購入したのかは、今となっては全く思い出せない)。だから、診断士試験に合格してから次の企業に転職しようと決めた。退職直前にもらったなけなしのボーナスと失業手当があれば、何とか食いつないでいけそうであった。

 そう決めたのは5月のことであった。診断士の1次試験は8月である。私は失業期間を長引かせたくなかったため、一発で合格する計画を立てた。当時の診断士試験は、企業経営理論、財務会計、運営管理、経営情報システム、経営法務、新規事業開発、経済学・経済政策、中小企業経営・中小企業政策・助言理論の8科目であった。ただし、3か月間毎日目一杯勉強すれば何とかなるのではないかと思った。というのも、企業経営理論と新規事業開発に関しては学生時代からドラッカーなどの経営学を勉強していたし、財務会計については簿記2級を取得済みであった。経営情報システムは前職の知識が、経営法務は学生時代の知識が活かせる。だから、残りの3科目をどうにかすれば合格できるのではと、楽観的な見通しを立てていた。

 私はどうも自宅で勉強するのが苦手なタイプなので、今はカフェで勉強することが多い。当時も最初の頃はカフェにこもって勉強していたものの、少しでもお金を節約するために、途中から近所の区立図書館に通うようになった。だが、区立図書館に通うようになって初めて解ったのは、区立図書館がホームレスのたまり場になっているということであった。私が試験勉強をしていたのはちょうど夏場である。夏場に1日中涼しい空間にいられるという意味では、区立図書館は最適だったのだろう。ただし、彼らの体臭にはほとほと悩まされた(夏場であっただけに余計にひどかった)。早く試験に合格してこんな環境から脱出したいと思っていたことを覚えている。

 幸い、1次試験も2次試験も一発で合格することができた。こういう話をすると、そんな短期間で合格できたのはすごいと言われるのだが、私の場合は諸条件が揃っていた上に、無職ゆえに勉強に集中できたことが大きい。だから、私の勉強方法はあまり参考にならないと思う。それに、何も特殊な勉強をやっていたわけではない。まずは通信教育のテキストを一通り読み、次に3種類ぐらいの問題集を買い込んでひたすら解きまくっただけである。ただ、短期間でたくさんの知識を詰め込んだ反動で、知識を忘れるスピードも速い。恥ずかしい話だが、今もう一度試験問題を解けと言われたら、きっと散々な結果になるに違いない。

 2次試験に合格したのは2005年12月、私が24歳の時であった。最近でこそ20代で診断士になる人にお会いする機会が増えたが、当時は例外的な存在だったのではないかと思う。


おススメの書籍


コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like