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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2016年07月07日

中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(7終)【独立5周年企画】


ビジョン

 【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由
  1.中小企業診断士という資格を知ったきっかけ(7月1日公開)
  2.中小企業診断士を勉強しようと思ったきっかけ(7月2日公開)
  3.ベンチャー企業での苦労(7月3日公開)
  4.長い長い病気との闘いの始まり(7月4日公開)
  5.増え続ける薬、失った仕事(7月5日公開)
  6.点と点が線でつながっていく(7月6日公開)
  7.これから独立を目指す方へのメッセージ(7月7日公開)
 7.これから独立を目指す方へのメッセージ
 前回の記事のように、1つの点が新たな点と線でつながっていく。私が独立して何とか5年もやってこられたのは周りの皆様のおかげであり、私の力など大したことはない。それでも、独立後、特に診断士の活動を本格化させた後に私が心がけたことがあるとすれば、低次元の話と思われるかもしれないが、診断士の飲み会に積極的に顔を出したことである。元来私はお酒に弱く、極度の人見知りである。診断士登録直後にも何度か飲み会に出席したが、その時はまだ20代半ばであり、40代~60代の先輩診断士と何を話してよいのか解らず、苦痛で仕方がなかった。

 しかし、本格的に独立診断士となってからはそうも言っていられず、できるだけ飲み会に参加することにした。これまで述べてきた仕事は、飲み会が発端になったものがほとんどである。だから、支部の研究会などに出席した後は、その後の懇親会に極力出席するべきである。極端なことを言えば、懇親会に出席できなければ、研究会に出てもほとんど無駄である。飲み会で色んな診断士と人脈を築くことは重要だ。ただし、飲み会に出たからと言って、すぐに仕事につながると期待してはならない。たいていは、仕事になどならない。それでも、しつこく飲み会に出席して顔と人となりを覚えてもらえば、いつか仕事につながる可能性が高まる。

 中国・斉の宰相であった晏子は「益はなくとも、意味はある」という言葉を残したが、まるで診断士の飲み会を指して言ったかのような言葉である。思えば、昔はどの企業の営業担当者も頻繁に顧客を接待していた。仕事につながるかどうかわからない飲み食いであるにもかかわらず、接待交際費扱いで会社の経費として落とすことができた。診断士の飲み会もそれに近いのかもしれない(ところで、最近は予算管理が厳しくなり、昔ほど接待ができなくなって営業がやりづらくなったとこぼす営業担当者に何にもお会いしたことがある)。

 5年経って解ったもう1つのことは、明確な計画にはあまり意味がないということである。以前の記事で、入院直前に自分のビジネスモデルをどうするか考えた時期があったと書いた。ところが、そんな計画を考えても顧問先は獲得できなかったし、有料セミナーも開催できなかった。入院してからは、一切の計画を手放すことにした。身体の状態のこともあったので、頭で深く考えずに、成り行きに任せてみようと思った。すると、不思議なことに、仕事の幅が広がるようになったのである。「無心になって手放せば反対に入ってくる。私たちの社会にはそういう原理が働いているのかもしれません」という鈴木秀子氏(日本近代文学研究者)の言葉は、真理かもしれない。

 ただし、ある意味これは経営コンサルタントにとっては屈辱である。というのも、顧客企業に対しては、「戦略を明確にして、それを具体的な数字レベルで事業計画に落とし込まなければならない」と助言するのがセオリーになっているからである。当のコンサルタント本人に事業計画がないのは、明らかな矛盾ではないかと指摘されるかもしれない。

 私は、個人のキャリアデザインと企業の戦略立案をパラレルでとらえている。キャリアデザインの場合、キャリアの年齢的、職務的、職位的な節目において、将来のキャリアビジョンをデザインすることが推奨される。しかし、ビジョンはあくまでも大まかなものにとどめ、あまり具体化しない方がよいというのが多くの研究者の一致した意見である。緻密な計画を立ててみても、想定外の事態が起こって計画が狂うものである。それだったら、方向性だけ決めて、後は時の流れ、環境の変化に身を任せるのがよいという。その方が、予想外の出来事から予想外の学習が生まれて面白い人生になる。神戸大学・金井壽宏教授は、これを「キャリアドリフト」と呼ぶ。

 1人の人間においてすらこんな具合なのだから、大勢の人数が集まった組織の場合は、不確実性がさらに増す。だから、明確な戦略に頼りすぎるのは考えものである。もちろん、具体的な事業計画がどうしても必要なケースはある。例えば、投資家や金融機関から資金を引き出すには、数字で根拠を示さなければならない。しかし、逆に言えばそのぐらいの用途にとどめるべきではないかと思う。企業は大まかなビジョンさえ示せばよい(ただ、さすがにビジョンは必要である。見知らぬ人をいきなり助手席に乗せて、行先を告げずに走り出したら誘拐である)。社員は、自分の目の前にいる具体的な顧客のために、精一杯奉仕する。それで十分ではないだろうか?

 私のビジョンは、「社員の学習を支援して、仕事の付加価値を高めるお手伝いをする」というものである。だが、BtoBのサービスはたいてい社員の学習を伴うものであり、顧客企業も自社の付加価値を高める目的で外部のサービスを利用している。だから、私のビジョンは、BtoBビジネスにおいて極めて当たり前のことを述べただけである。別の言い方をすれば、企業の経営支援につながるのであれば、何でもありということだ。今はたまたま教育系の仕事が多くなっているにすぎない。ただし、個人的には、教育の専門家というのをあまり前面には打ち出したくないと思っている。私の偏見かもしれないが、教育の専門家を名乗る人の中には、自分を相手より上の立場に置いて権威を振りかざしたいだけの人もおり、彼らとは一緒にはしてほしくないからだ。

 ところで、前職のコンサルティング会社にいた時は、診断士の知識が全くと言っていいほど使えなかったと書いた。逆に、コンサルティング会社にいた時の経験は、中小企業支援に役立っているかと聞かれると、これもまたノーであると言わざるを得ない。

 まず、中小企業支援においては、特定分野のテクニカルな知識が要求されることが多い。製造業を支援するのであれば、ものづくり技術や生産管理に詳しくなければならない。人事労務を支援するのであれば、労働法や社会保障法に詳しくなければならない。海外展開を支援するのであれば、貿易実務や海外子会社の設立・運営、進出先の国の法律に詳しくなければならない。事業承継を支援するのであれば、M&Aの進め方や各種税制に詳しくなければならない。これらの知識は、前職のコンサルティング会社に10年いても絶対に得られなかったであろう。前職の会社は、どちらかと言うとゼネラルな視点から経営を分析することが多かったからだ。

 もう1つの違いは、前職のコンサルティング会社ではフレームワークを活用して情報を収集・整理したのに対し、中小企業支援の現場では情報そのものが思うように手に入らないということである。前職のコンサルティング会社の顧客企業は、中堅~大企業であったから、リサーチすれば情報は取れるし、顧客企業にお願いすれば内部データも提供してくれる。しかし、中小企業の場合はそうはいかない。競合他社の情報を調べようにも、競合他社も中小企業なので情報がない(そもそも、自社の競合他社を把握している中小企業が少ない)。社内の管理体制が整っておらず、内部データもない。だから、フレームワークを使っても、中身がスカスカになってしまう。

 それでも、中小企業の社長には成果物を提示しなければならない。情報の入手が極めて困難な状況で、できるだけ納得感のある方向性を示すにはどうすればよいか、そしてその方向性をその企業の社員に上手に説明するにはどうすればよいかは、今の私にとって大きな課題である(前述のキャリアドリフトを応用するのが一つの手であることは、おぼろげながら解っている)。

 最後に現在の私の体調について。2013年に本格的に復帰した直後は、週5日フルで働くことが難しかった。この頃から私は日記をつけるようになったのだが、当時の日記を読み返してみると、訳もなく泣きたくなったり、顧客企業先で思考停止に陥ってしまったり、知らない人と会うだけでどっと疲れたり、電車のホームに立っていると後ろからホーム下に蹴り落されるのではないかという強烈な不安に襲われたり、カフェで電話する人や大声で話す人に強いイライラを感じたりしたことが何度も書かれている。体調に波があるので、朝は調子がよくても昼から調子が悪くなり、午後の予定をキャンセルしたことも一度や二度ではなかった。

 それでも、少しずつできる仕事の量を増やしていき、ようやく週5日まともに働けるようになったのは、2015年の夏頃からである。2008年秋にこの病気を発症して以来、実に7年近くかかった。うつ病は心の風邪などと言われるが、あれは全くの嘘である。心の複雑骨折と表現した方が実態に近い。つまり、長いリハビリが必要なのである。うつ病と複雑骨折が違うのは、複雑骨折は治る時期がある程度予測できるのに対し、うつ病は寛解の時期が読めないことである。「いつ治るか解らないが、ある時ふとよくなる」という入院時の主治医の言葉は全くその通りであった。

 ちなみに、私の正確な病名は、双極性障害(躁うつ病)である。これが解ったのは、入院後に元のかかりつけのクリニックに戻った時である。双極性障害とは、躁状態とうつ状態を繰り返す病気である。ただし、これは1型と呼ばれる典型的な双極性障害であり、実はもう1つ、2型というものがある。2型の患者は、躁状態とうつ状態が常時入り混じっていて、1日中イライラが強いという特徴がある。私の症状を最もよく説明できるのは双極性障害2型であるというのが、医師の下した最終的な結論であった。うつ病には抗うつ病薬が使われるのに対し、双極性障害には気分安定剤が使われるなど、治療方法が微妙に異なる。

 ここに至るまでも、病気発症から7年ほどかかっていた。だが、正直なところ、正確な病名が解って安心したというのが率直な思いである。最初の頃は「非定型うつ病」という、医学界では否定されているおかしな病名に惑わされた。もしそのまま、今でも「私は非定型うつ病です」などと言いふらしていたら、世間の笑い者になっていたに違いない。私は今でも何種類かの薬を飲みながら仕事をしている。そんな私でもそれなりに仕事ができるのだから、独立しようかどうか迷っている人は、勇気を持ってこの世界に飛び込んできてほしい。意外と何とかなるものだ。

 (全7回の文字数を数えたら約27,000字であった。私は、診断士になった理由や独立した理由を聞かれるたびに、「話すと長くなるから」などと言ってはぐらかしてきたのだが、このシリーズを読んで、私の言葉はあながち嘘ではなかったとお解りいただけたのではないかと思う(笑))。


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