プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年07月14日

『躍進トランプと嫌われるメディア(『正論』2016年7月号)』―ファイティングポーズを見せながら平和主義を守った安倍総理という策士、他


正論2016年7月号正論2016年7月号

日本工業新聞社 2016-06-01

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 (1)
 天皇家は、権力を志向せず、祈りに専念されるやうになつた。その過程で祈りの道が特に自覚されたのは元寇の時でした。これらを通じて、日本の深い宗教性、それも排他的な一神教ではなく、誰ともぶつからず、祈りを通じて自然、先祖、神社の祭神と繋がり、さうした祈りが同時に国を守る祈りともなるといふ非常にユニークな日本独自の神の道が拓かれます。(中略)

 かうして歴史的に形成された天皇の制度は、非合理的な時代遅れどころか、風通しのよい自由社会を維持する上で、世界史上でも稀な程、有効な手立てと言つていい。
(小川榮太郎「亡国前夜或いは自由の喪失」)
 以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」では、日本は神を頂点とし、その次に天皇を配置する超多重構造であると書いた。また、別の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」では、前述の垂直的な多重構造の他に、同一の階層内における水平方向の協業と、過去から未来への伝統の受け渡しという2軸を加えることによって、日本が時空を超えて非常に複雑な「網」を形成していることを指摘した。

 一見すると、日本人は縦にも横にも制約を受け、さらに伝統という縛りを受ける不自由な存在のように見える。ところが、引用文にある通り、日本人はこの構造の中にある時こそ最も自由であり、結果的に社会全体が安定化する。現在の日本は、基本的人権を普遍的価値と見なしているが、個人的には天賦人権論なるものに疑問を感じる時がある。日本人が自由であるのは、生まれながらにしてではなく、上記の社会構造に埋め込まれた時である。つまり、日本人の自由は外発的・後天的なのである。この辺りを論理的にどう説明するかが今後の私の課題である。

 小川榮太郎氏は別の記事で、日本の社会構造は多様性に対して寛容であるとも述べている。そして、その象徴が天皇という存在であるという。冒頭で紹介した以前の記事の中で書いた、非常にラフな日本の多重構造「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」を見てみると、確かに天皇以外は多様なプレイヤーに満ちている。ところが、天皇だけは万世一系である。天皇は1人しかいらっしゃらないのに、どうして社会は多様性を確保することができるのか?天皇制における血縁主義は、社会の多様性をどのように担保しているのか?こういった疑問にも私は答えていかなければならない。

 (2)
 北朝鮮は4月15日、IRBMムスダンを発射した。発射は失敗に終わったが、日本の安全保障上、死活的な意味を持つ。(中略)(ムスダンは)グアムなどに着弾する蓋然性があり、それを日本政府が「存立危機事態」と認定すれば、いわゆる集団的自衛権の限定的な行使(防衛出動による武力行使)も可能となる。今回は空中爆発し、新法制の出番はなかったが、法的には初の適用となる可能性があった。その事実が持つ意味は重い。だが「憲法違反」「解釈改憲」と批判してきた護憲派メディアを含め、以上の点を新聞もテレビも追及しなかった。
(潮匡人「「第四権力」の転落」 そして誰もマスコミを信じなくなった」)
 私もこのことには全く気づいていなかった。というのも、4月14日と16日には熊本大震災が発生し、そちらに注意が向いていたためである。ただ、引用文にあるように、仮にムスダンがグアムに着弾しても、「存立危機事態」と認定することは非常に困難であろうと考える。

 存立危機事態とは、「日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、『日本の存立が脅かされる明白な危険』がある事態」と定義されている。「日本の存立が脅かされる明白な危険」とは、経済的なダメージだけでは不十分とされる。かつての日本は、アメリカから経済封鎖を受けて太平洋戦争に突入していったが、今回の安保法制の下ではそのようなことは認められない。実際、イランがホルムズ海峡を封鎖して日本に石油が入ってこなくなったとしても、それだけをもってイランを攻撃することはできないと政府は答弁している。

 「日本の存立が脅かされる明白な危険」とは、日本の領土、領空、領海が脅かされ、それによって多数の日本国民の生命に危険が及ぶ可能性がある場合に限定される。この段階で初めて集団的自衛権が行使できるというわけだが、この場合の集団的自衛権はほとんど個別的自衛権に等しい。だから、日本が言う集団的自衛権は、国際通念としての集団的自衛権と異なり、個別的自衛権に毛の生えた程度でしかない。毛の生えた程度とはつまり、次のようなことである。

 例えば、日本の領海を巡回中のアメリカ艦隊が中国から砲撃されたとする。中国の砲撃が続けば、日本の存立が脅かされる。こういう場合、従来の個別的自衛権に基づいて、自衛隊は中国に攻撃ができる。しかし、日本がわざわざ自衛隊を出動させて中国を攻撃するよりも、攻撃を受けているアメリカ艦隊の近くにいる自衛隊がアメリカ艦隊に武器を供給し、彼らに中国を攻撃させた方が即効性がある。集団的自衛権(による後方支援)はそれを可能にする。

 安保法制反対派は、集団的自衛権よりも、「重要影響事態における後方支援」に強く反対している。重要影響事態の定義が広がり、自衛隊が戦争に巻き込まれるリスクが高くなるというわけである。ところが、法律の構成を見ると、どうやら簡単には後方支援ができないようになっている。安倍首相はシームレスな防衛を目標としたが、実際には相も変わらずぶつ切り状態だというのだ。これは安保法制を推進した右派だけでなく、反対派の左派も指摘していることである。

 一例を挙げると、自衛隊が後方支援を行う際は、国会の事前承認が必要である。重要影響事態とは、「放っておいたら日本への武力攻撃の恐れがあるなど、日本の平和と安全に重要な影響を与える状況」である。日本が危険にさらされる可能性は、存立危機事態に比べると低い。しかし、実際に戦闘が行われている現場は生きるか死ぬかの世界で、時々刻々と戦況が変化する。そんな状態で、国会が後方支援の計画を長々と審議し、仮に可決されたとしても、その頃には計画が通用しないほどに局面が変化しているに違いない。従来の非戦闘地域における後方支援は、時間をかけて審議すればよかった。だが、重要影響事態においてはそうはいかない。

 《2016年9月14日追記》
 安保法制の具体的な「穴」については、「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」にまとめておいた。


 私の見解には大いに批判があるだろうが、私は安倍総理を相当な策士だと考えている。日本の戦略的地位の向上を求めるアメリカと、年々軍事力を増強し続ける中国に対して、「いざとなれば日本だって立ち上がる準備はあるんだぞ」というファイティングポーズは見せた。だが、蓋を開けてみると、複雑怪奇なルールで自らを縛り、結局は今までと大して変わらない(今までよりも制約が強い?)状態にした。結果的に、日本の平和主義は守られた。国防という最重要にして最難関の問題をこのような形で決着させられたのは、安倍総理以外にいなかったであろう。

 (3)
 ドイツで今から30年前の1980年代、ナチズムと共産主義をめぐって「歴史家論争」という大論争が繰り広げられたことがあった。この論争での重要な焦点は、ナチズムと共産主義が全体主義という点では同じではないかということだった。特にエルンスト・ノルテや、フランス人で共産主義から転向したフランソワ・フュレらは、思想的脅威、謀略的手法、極端な軍事力重視と共にはなはだしい人命軽視という武断的な姿勢も含めて共産主義から影響を受けたのがナチズムであり、ナチズムと共産主義は双子の関係、少なくとも「シャム双生児」の関係にあると提起した。
(中西輝政「共産主義と日米戦争―ソ連と尾崎がやったこと(上)」)
 私の理解不足もあるのかもしれないが、以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる」で書いた通り、私の中ではナチスと共産主義は同じ全体主義である。極右のナチスと極左の共産主義は、唯一絶対の神しか認めず、人間は神に似せて創造された完全な理性を持つ存在であるという前提から出発している点で共通する(もっとも、本来の共産主義は無神論なので、私の考え方にはまだ大きな穴が開いたままなのだが)。だから、両者は親和性が高い。本号には、「ナチスの権力掌握に「協力」した共産党 憲法「緊急事態条項」批判論の虚妄(中)」(福井義高)という記事も収録されていた。

 私は、神も人間もどちらも不完全な存在と見なす日本の考え方が、最も平和的、寛容、柔軟であると信じている(冒頭で紹介した小川榮太郎氏の考えの影響も受けている)。ところが、世界の宗教人口を見ると、キリスト教とイスラームで半分以上を占める。彼らに神の不完全性を理解させることはまず不可能であろう。だから、人間がいかに不完全な存在であるかを認めさせることが、全体主義が世界を恐怖の底に突き落とすのを防ぐことにつながると考えられる。

 いや、「認めさせる」という表現は、あまりに傲慢で不適切だったかもしれない。「認めさせる」ということは、「人間が不完全である」というロジックが完全であることを前提としており、自家撞着に陥っている。我々は彼らに対し、「人間は不完全である」と訴え続ける。彼らが我々の考えを100%理解しなくてもよい。ただ何となく、「そう言われてみると、確かに人間は不完全なのかもしれない」と感じ、彼らなりの方法で我々の主張を咀嚼してくれればそれでよい。

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