プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年09月05日

『恩を知り恩に報いる(『致知』2016年9月号)』―スマホゲームに熱中するのも学習塾に缶詰めになるのも一緒、他


致知2016年9月号恩を知り恩に報いる 致知2016年9月号

致知出版社 2016-09


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 (1)
 サンフランシスコ講和会議はどうだったのかというと、連合国側の思惑が錯綜し、例えばソ連が日本の分割統治を要求するなど、日本に対していかなる制裁措置を取るかで議論は紛糾しました。そのような中、会議の流れを一変させる演説が行われたのです。「憎悪は憎悪によって消え去るのではなく、ただ慈悲によって消え去るものである」

 スリランカ代表のジャヤワルダナ氏は、仏陀の言葉を引用して国家間の礼節と寛容を説いた上で、次のように言葉を続けました。「アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもっているのは何故でありましょうか。それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、日本を保護者にして盟友と見上げていた時に、アジアの諸国民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります」。長年西洋諸国に虐げられてきたアジアの民にとって、大国ロシアを破り独立を守った日本は希望の星だったのです。

 そしてジャヤワルダナ氏は、スリランカが一切の対日賠償請求権を放棄することを明言。演説が終わると、賞賛の声の嵐で会場の窓ガラスが割れるほどだったそうです。
(白駒紀登美「歴史に学ぶ 感謝報恩に生きた偉人の物語」)
 恥ずかしながら、私はこの話を知らなかった。もしこの時、ジャヤワルダナ氏がこのような演説をしなかったら、ソ連の要求通りに日本は分割統治されていたかもしれない。

 戦後の日本は著しい復興を遂げて、政治的にも経済的にも成熟した社会となった。日本は積極的な輸出を通じて世界第3位の経済大国となっただけでなく、途上国に毎年多額のODAを提供し、国際連合の予算負担もアメリカに次ぐ世界第2位である。端的に言えば、日本は世界に対して「与え」続けてきた国ということになる。その影響もあってか、イギリスのBBC放送が毎年実施している世界各国の好感度ランキングでは、日本は毎年上位に入っている。

 私は、「与え」続けてきたということは、その分「与えられ」続けてきたということでもあると考える。経済的な富の話を道徳的な恩と直線的に結びつけるのは無理があるのかもしれないが、日本が世界に向けて優れた財や多額の金銭を「与え」続けることができたのは、他の国から日本が様々な恩を「与えられ」続けてきたからである。ジャヤワルダナ氏の演説はまさにそれであるし、本号の別の記事で紹介されている「エルトゥールル号遭難事故」に対する100年越しのトルコの恩返しもその1つと言えるだろう。日本は世界各国からの恩をたくさんかき集めて、世界に対して大きな恩を返してきた。これを「元気玉理論」とでも呼ぼうか?

 ただ、残念ながら、人間というのは自分が与えた恩のことはよく覚えていても、自分が受けた恩のことは忘れがちである。ジャヤワルダナ氏の演説のことを知らなかった私もその1人である(ついでに告白すると、エルトゥールル号の話を知ったのも、つい数年前のことだ)。恩を与えたことだけを覚えている人間は、ややもすれば尊大になりがちである。

 それに、日本が世界に対して与えた恩は、あまねく日本中の人々が与えたのではなく、開放的、野心的、先駆的、慈悲的な精神を持つ一部の日本人が現地で汗水を垂らしてくれた結果にすぎない。多くの日本人は内向的であり、外国のことに対して関心を寄せない。諸外国に比べて、日本の報道番組は海外の出来事をほとんど取り上げないのはその一例である。多くの日本人は、一部の日本人が尽力して築き上げた日本ブランドに、タダ乗りしているだけなのだ。この点だけは絶対に勘違いしてはならないと思う。自分が世界に対して十分な恩を返すことができないのであれば、せめて日本が世界から受けた恩のことは覚えておきたいものである。

 (2)
 塚原:やっぱりよく感じるのは、自己肯定感の低さに起因するコミュニケーション力、そして自分に対する自信のなさ、あるいは非常に味気ないコミュニケーションですね。特に僕が問題だと思うのは、遊びに対するモチベーションの低さです。
(塚原成幸、村上和雄「生命のメッセージ 人は笑うから楽しくなる」)
 塚原成幸氏は「クリニクラウン(臨床道化師)」という仕事をされている方である。クリニクラウンとは、「クリニック(病院)」と「クラウン(道化師)」を合わせた造語で、入院生活を送る子どもたちの病室を定期的に訪問し、子どもたちの成長をサポートしながら笑顔を育む道化師のことである(こういう職業があることも、恥ずかしながら本号で初めて知った)。

 塚原氏は、最近の子どもたちは遊びに対するモチベーションが低いと指摘する。そうは言っても、最近の子どもたちは据え置き型ゲーム機に加えてスマートフォンまで手に入れて、熱心にオンラインゲームをやっている。ポケモンGOにはまる子どもたちのモチベーションが低いようには見えない。だが、そういう遊びは、本当の意味での遊びではないと塚原氏は言いたいのだろう。

 私が思うに、本当の遊びにはいくつかの条件がある。まずは、当然のことだが、①遊びは複数人でやらなければならない。②次に、集まった子どもたちの間で、遊びのルールを決める。鬼ごっこやかくれんぼなど、遊びの雛形は用意されている。しかし、集まった子どもたちの年齢や体力差、遊ぶ環境などに応じて、ルールを調整する必要がある。③そして、身体と道具を使う。やはり、体を動かさないことには遊びにならない。道具は体の動きをサポートする役割を持つ。

 ④ただし、だからと言って道具にお金をかければよいというわけではない。お金をかければいい道具が買えてゲームに勝てるのは当然である。そんな遊びはフェアではない。むしろ逆に、いかに安く遊ぶかが重要である。今ある道具をどう活かすかを考えると、思わぬ奇手奇策を思いつくことがある。それが、遊びを予想外の方向へと展開させることがある。⑤こうして遊んでいるうちに、仲間同士でトラブルになることもある。大切なのは、関係を修復して再びその仲間と遊ぶことである。これも遊びの重要な一部である。こういう遊びを通じて、子どもたちは基礎的な体力に加えて、創造力、コミュニケーション能力、交渉力、忍耐力、問題解決能力などを培っていく。

 私もファミコン世代なので、「最近の子どもは外で遊ばなくなった」という大人の批判を随分と受けたが、それでも私は外で友達とよく遊んだ方だと思う。当時は公園でボール遊びをしてもそんなに厳しく注意されなかったので、夏休みには毎日のように近所の友達と一緒に公園で野球をしていた。しかし、人数が全然足りないから、四角ベースではなく三角ベースにしたり、壁をキャッチャーに見立てて壁のどの部分にボールが当たったらストライクとするかを決めたり、フライがどこまで飛んだらホームランとするか線を引いたり、ゴロで外野にボールが転がった場合はランニングホームランの連発にならないよう二塁打としたりなど、色々なルールを決めた。

 ボールも数が限られていたから、暴投で壁の後ろに行ってしまった時は探すのに必死だった。壁の後ろには雑草地帯があり、さらにその奥には川が流れていた。川にボールが落ちたら、投げた人が責任を取って川に入ってボールを取ることになっていた。そういう些細な問題からトラブルに発展して、友達と喧嘩になることもあった。その日はわだかまりを残したまま双方とも家に帰るのだが、次の日に公園に行くとその友達もおり、どちらからともなく「昨日は悪かった、遊ぼうよ」と声をかけ、昨日のことを水に流して再び遊び始める。これが私の夏休みであった。

 これと比べると、確かにスマホゲームは遊びではない。①対戦型モードがあるとはいえ、基本は1人プレイである。②ルールはゲーム開発会社が決めたものであり、プレイヤーが変えることはできない。③また、スマホ自体は道具ではあるものの、体を動かして遊ぶものではない。④どうやらスマホゲームの世界では、たくさん課金をしてレアアイテムを集めた人が偉いと見なされる傾向があるようだ。子どもたちの関心は、いかに安く遊ぶかということから、いかに親から小遣いを引き出すかに移っている。⑤今の子どもたちは、対戦型ゲームの相手とトラブルになった場合は、相手をブロックしてしまう。こういう遊びでは、広範な能力の向上は期待できない。

 今の親は、「スマホゲームで遊ぶぐらいなら、塾に行きなさい」と言って、子どもを塾に缶詰めにする。しかし、私に言わせれば、スマホゲームに熱中するのも、塾に缶詰めになるのも一緒である。高校までの教育は、学習すべき内容が決まっている。そして、塾に行けば先生が解法を丁寧に教えてくれる。言い換えれば、決められたルールの中で、必勝法を教えてもらえる。子どもはそれに従えばよい。そういう状態に慣れてしまうと、非常に受動的な性格に育つ。

 スマホゲームにどんどん課金してレアアイテムを集めようとするのと同様に、経済力のある親はお金をどんどんかけて、いい塾でいい教育を受けさせる。高いお金を払っている親は、自分をその塾のロイヤルカスタマーだと認識する。もしも、塾との間で何かちょっとでもトラブルが発生すれば、自分がないがしろにされたと感じて、さっさと塾を変えてしまう。親は、学校の担任教師に不満があっても、担任を変えてくれとは言えない。その反動のせいか、塾に不満があると、余計に塾に厳しく当たるように感じる。ただし、そこには本来の遊びにあるような、人間関係の修復という視点はない。親子と塾の関係を、いつでも切り離しが可能な経済的関係と見ている。

 こういう環境で高い塾に通っていい大学に入学した子どもは、実はスマホゲームで遊んだ時間が長い子どもと共通点が多いのではないかというのが私の仮説である。両者の性格を比較する心理学者や、両者の脳の構造を比較する脳科学者がいたら、是非話を聞いてみたいものだ。

 《追記》
 田坂広志『人間を磨く―人間関係が好転する「こころの技法」』(光文社、2016年)より。
 人とぶつからない人生、心が離れない人生が、良き人生ではない。人とぶつかり、心が離れ、なお、それを超えて、深く結びつく人生。それこそが良き人生である。
人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」 (光文社新書)人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」 (光文社新書)
田坂 広志

光文社 2016-05-19

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