プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年09月07日

小林秀雄『考えるヒント(2)』―デカルトは「コモンセンス」の祖か、「全体主義」の祖か?


考えるヒント〈2〉 (文春文庫)考えるヒント〈2〉 (文春文庫)
小林 秀雄

文藝春秋 2007-09-04

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 私ごときが小林秀雄の著書についてあれこれ論じる力などからっきしないのだが、敢えて挑戦してみる(『考えるヒント(1)』については、ブログ別館で触れた)。

 中国や韓国からの執拗な歴史問題攻撃に辟易している我々日本人は、歴史というものは客観的に論じられるべきだと考える。客観的という言葉が意味するのは、あらゆる歴史的事実を拾い上げ、誰の目から見ても正しいと言える事実を幅広くつぶさに記録するということである。その事実を目にすれば、どんな人であっても当時の状況や時代背景について正しい認識を持ち、当時を生きた人々の生活や考え方に思いをめぐらせることができる。

 だが、歴史を客観的に把握するのはどうしても無理がある。歴史を研究する際には、当時の歴史的資料にアプローチするか、当事者が存命であれば当事者にインタビューすることとなる。ところで、ある人が歴史的資料を残す際には、必ず動機が存在する。その動機とは、この事件を自分の今後の人生、あるいは自分の後を生きる人々のために記録したいという実益的な動機である。実益的というプラグマティックな言葉が嫌ならば、この事件から意味を導き出したいと言い換えてもよい。つまり、歴史的資料は、それが作成された時点で主観的たらざるを得ない。

 その主観的な歴史的資料を研究する者もまた、主観的であることを逃れられない。歴史を研究するのは、現在直面している、あるいは将来的に直面するかもしれない課題を解決するヒントを求めるためである。したがって、歴史家は、現在という時代の社会風土、価値観や文化という枠組みの中で、歴史的資料を実用的に取捨選択する。歴史は決して不変ではなく、歴史家によって都度再構築されるのである。E・H・カーは、「歴史とは歴史家と彼が見だした事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」という名言を残している(E・H・カーについては、以前の記事「E・H・カー『歴史とは何か』―日本の歴史教科書は偏った価値がだいぶ抜けたが、その代わりに無味乾燥になった」を参照)。

 存命者に聞き取りをする場合にも注意が必要である。人は、過去の記憶を何度も聞かれると、記憶を都合よく変更することがある(旧ブログの記事「「よかれと思ってやったのに・・・」というマネジメントのパラドクス集(その6~7)」を参照)。ただ、これはさほど重要な問題ではない。もっと深刻なのは、存命者が体験した事件が悲劇的であるほど、歴史家は存命者と事実を共有できず、分有にとどまるという点である(以前の記事「岡真理『記憶/物語』―本当に悲惨な記憶は物語として<共有>できず<分有>するのみ」を参照)。だから、本当の事実は永遠に明らかにならない。歴史家は、断片的な情報、断片的に存命者と共有した感情で満足するしかない。

 2015年12月28日、日本と韓国は日本軍の従軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に決着させるということで合意した。慰安婦問題は、客観的事実をいくら探ろうとしても無理である。これは双方が政治的意図を持って歴史を操作するためでもあるが、歴史に伴う上記のような制約があるからだ。したがって、この問題を前進させるためには、過去に対する詮索を一旦止めて、双方が未来志向になるしかなかった。左派は、未来に進むためには過去を知らなければならないと言うが(以前の記事「『テレビに未来はあるか(『世界』2016年5月号)』―北朝鮮に関して報道されない不都合な真実(推測)、他」を参照)、順番が丸っきり逆である。まずは未来の構想が先である。その後でようやく、構想された未来の側から歴史を照射することができるに過ぎない。

 ここからようやく本書の内容に入る。本書の中で小林は、江戸時代の歴史学者を何人か紹介している。まず、「私学の祖」として、中江藤樹の名前を挙げている。中江藤樹の弟子である熊沢蕃山は、「天地の間に己一人で生きてあると思ふべし」という心境で原典と向き合ったという。山鹿素行は、本当に歴史学を知りたければ、訓詁注釈のような補助概念に頼るなと言って、原典を徹底的に読み込むことを推奨した。こういう姿勢を、小林は「心法」、「心学」と呼ぶ。

 とはいえ、彼らは決して、自分勝手に、個性的に古典を読んだわけではない。むしろ、私心や邪心を離れ、無私の心境で読書を行った。一方で、彼らは自分の考えが全ての人にあてはまるなどとは微塵も考えていない。そんなことを目論見れば、容易に全体主義に陥る。彼らが読書を通じて目指したのは、「自分が生身の肉体で他者と関わる範囲でのよき生き方を知ること」であった。リアルで熱量のある人間関係をいかによいものにするか、ということが彼らの主眼であったわけだ。これは、前述の歴史家の態度と共通するところがある。

 そういう意味では、彼らの合理性は限定されている。だから、ある人にとって合理的なことが、別の人にとっては非合理であることも十分にあり得る。だからと言って、その非合理性を排除することは許されない。それは全体主義のやることである。お互いに相手が非合理だと見える状況に直面した時、両者は決して逃げてはならない。両者の非合理の間で落としどころを見つける努力をしなければならない。これが人間社会の伝統である。だから、右派の理論は理論としては決して美しくない。こういう泥臭さに耐えられない人は、理論的に完璧で美しい左派に流れていくこととなる(以前の記事「『共産主義者は眠らせない/先制攻撃を可能にする(『正論』2016年5月号)』―保守のオヤジ臭さに耐えられない若者が心配だ、他」を参照)。

 江戸時代の歴史学者は古典をよく読んだが、決して書斎にただ独り閉じこもって物思いにふけっていたわけではない。彼らは皆自分の塾を持ち、多くの弟子を抱え、弟子との対話からも学んだ。荻生徂徠は、天と人、人と人との出会いが実であると述べている。彼らは独りになることもできるし、弟子をはじめとする様々な人とも対話ができる空間を持っていたと考えられる。これを「半オープンスペース」と名づけることができるだろう。

 話はやや逸れるが、この伝統は現代の日本にも生きている。日本企業では、部長クラスぐらいまでは部下と同じフロアで机を並べて仕事をする。部長は一人で物事を考えることもあれば、部下からの相談に乗ることもある。つまり、半オープンスペースである。一方、欧米企業では、マネジャークラスになると個室が与えられる。欧米企業が社内のコミュニケーションを円滑にするために、個室を廃止し、オープンスペース(大部屋方式)を取り入れると、日本人は「さすが欧米企業は進んでいる」と感嘆する。しかし、オープンスペースで進んでいるのは日本企業の方である。

 本書の最後には「常識について」という章があり、常識=コモンセンスの祖としてデカルトの名前が挙げられている。私自身は、以前の記事「斎藤慶典『デカルト―「われ思う」のは誰か』―デカルトに「全体主義」の香りを感じる」で書いた通り、デカルトを全体主義の祖だと思っている。

 以前の記事の中で、デカルトの有名な言葉「われ思う、ゆえにわれ在り」にある「われ」とは、特定の個人を指していないと書いた。そもそも、デカルトがこの言葉を残したのは、あらゆる物事、事象を疑った結果、私が疑っているという事実だけは確かであると思い至ったからであった。しかし、私があなたと同じように疑っているかどうかは、実は疑わしい。本当に確かなのは、私もあなたも「思っている」ということ、その1点のみである。この時点で、私とかあなたといった個体の区別は意味を失う。「思っているということ」という意識のみが全体を覆い尽くす。

 さらに言えば、時間の流れも止まる。「現在、思っているということ」が重要になるわけだから、過去や未来という区分は無価値となる。デカルトが『方法序説』を発表した時、「日常生活の中で、自分に何も足さず、自分から何も引かない」と書いた。つまり、「現在」における自分こそが全てとされる。さらに、「ある人には有益であり、誰にも無害であること、そして全ての人々が私の率直さは認めてくれることを願う」とある。小林はデカルトが謙遜している箇所だと指摘しているものの、私には、デカルトは自分の考えが万人にも通用すると自信を持っているように見える。現在という1点のみが絶対であり、個体差が意味を失い、共通の意識が人間全体を支配する。これはまさに、後の全体主義の礎となった考え方ではないかと思う。

 ただし、小林はデカルトを「コモンセンス(常識)」の祖と見なし、デカルトを擁護する。常識とは、言い換えれば、日常生活をよりよくするための知恵である。そこには、人間関係とは本来的に煩わしくて非合理なものだという前提があり、さらに過去から現在、未来へと流れる時間を想定している。小林は、デカルトが「原理」と「格率」という2つの言葉を用いている点に注目する。

 「原理」とは、普遍数学に基づいて探究される真理のことである。これに対して、「格率」の考えに従うと、一度選んだ以上、それを選んだ理由を最上とせよ、ということになる。これは、以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人」で触れた蘇軾の『正統論』に通じるところがある。人間は、他に合理的な選択肢があったかもしれないのに、敢えて別の選択肢を選ぶことがある。そして、一度それを選んだ以上は、それが最も正統であると事後的に意味づけせよというわけだ。

 ここにおいて、「現在、思っているということ」という全体主義は矛盾を抱えることになる。「格率」は明らかに、人間の合理性が限定されていることを認めている。また、事後的に意味づけを行うということは、時間の流れを念頭に置いている。デカルトは『方法序説』の中で、「制限された人間にふさわしい完全性」を目指すべきだと書いている。また、最後には「私たちは、私たちの本性の弱さを承認しなければならない」とも述べている。このようにはっきり書かれてしまうと、「デカルト=全体主義の祖」派である私も、ちょっと考えを見直さなければならなくなる。

 「原理」は完全な合理性に基づき、「格率」は不完全な合理性に基づくと考えれば、「原理」と「格率」は二項対立の関係にある。以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる」などで下図を用いてきたが、全体主義は右上の象限に位置する。しかし、全体主義はあまりに破壊的で傲慢であるため、人間は自らの非合理性を許容するようになった。その際に導入したのが二項対立である。これによって、右上の象限から右下の象限に移動することができた(詳細は「飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1/2)」を参照)。

神・人間の完全性・不完全性

 現在、いわゆる大国と呼ばれる国、具体的にはアメリカ、ロシア、ドイツ、中国は皆、右下の象限に属すると私は考えている(実のところ、ロシアと中国、特に中国に関しては、右下ではなく依然として右上の象限にとどまっているのではという疑念がないわけではないが)。デカルトは全体主義の祖であるものの、全体主義から逃れることのできる道も用意していたと考えるのが穏当なのかもしれない。もっとも、全体主義から逃れたからと言っても、二項対立は大国間の深刻な対立をもたらし、世界に強い緊張を強いている点、そして少なからぬ小国が大国の対立に巻き込まれて大きな被害を受けている点は見逃すことができない。

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