プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年09月09日

【ドラッカー書評(再)】『ネクスト・ソサエティ』―ドラッカーが「資本主義よりも自由市場経済を支持する」と述べた理由


ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまるネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2002-05-24

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 本書は1997年から2002年にかけて各種雑誌に掲載された論文を収録したものである。ドラッカーは1909年生まれであるから、88歳から93歳の頃の論文ということになる。高齢になってもなお衰えない筆の勢いには、ただただ脱帽するばかりである。
 ある大手消費財ブランドメーカーが着手した新しい事業もある。このメーカーでは製品の6割を150の小売りチェーンを通して販売している。さらに現在、eコマースによって世界中の消費者から直接注文を取り、近くの小売店に取りにきてもらうか、小売店のほうから配達するシステムを構築中である。
 もっとも想定される流通システムは、販売のためのeコマースと配達のためのスポットとの組み合わせである。今日おそらく世界最大の小売業者は日本のイトーヨーカ堂である。セブン・イレブンをもっている。日本全国で1万店近くある。この店舗網がeコマースの配達システムとなりうる。
 2000年前後と言えば、ようやくeコマースというものが人々に認知され始めた頃である。当時、大半の論者は、eコマースの登場によって既存の小売店舗が消えると読んでいた。ところが、ドラッカーはeコマースと既存の流通チャネルが統合されると指摘した。現在の言葉で言うところの「オムニチャネル」の登場を予測していたのである。「未来学者」ドラッカー、恐るべしである。

 ドラッカーがeコマースに注目したのには理由がある。それは、1940年代半ばにコンピュータの登場によって始まったIT革命が、約半世紀の時を経て、いよいよ世界のあり方を一変させると見たからである。もちろん、この半世紀の間にも、IT革命は様々な恩恵をもたらした。だが、その大半は、従来人が手作業でやっていたことを自動化したに過ぎない。これに対して、eコマースは、モノと情報が国境を越えて自由に移動することを意味し、経済の地図を書き換える。

 最初の発明から実用的なインパクトが生まれるまでに約半世紀のタイムラグが生じるということには、過去の事例がある。18世紀後半に発明された蒸気機関である。蒸気機関は1820年頃まで、さしたる変化をもたらさなかった。既存製品の生産の機械化を可能にしただけであった。注目に値するのは、1807年に蒸気船が生まれたことぐらいである。それが一変したのは、1829年に鉄道が登場してからだ。鉄道によって、人とモノの移動範囲が大幅に広がった。

 ドラッカーは、人、モノ、金、情報、知識といった経営資源が自由に移動することを可能にするイノベーションを重視しているようである。現在、eコマースはほぼ我々の日常生活に定着したと言えるが、IT革命の本番はまだまだこれからのように思える。IoT(Internet of Things)は、世界中のあらゆるモノにセンサーを埋め込み、モノの配置、稼働、運用、保守を最適化しようとしている。そして、ここからは空想の域を出ないのだが、IT革命にはさらに続きがあると考える。それは、経営資源の中で最も動かしにくいとされる知識の移動の自由化である。

 具体的には、ある人の脳内に蓄えられた知識を、電気信号などを用いて別の人の脳にコピーするという技術が生まれるかもしれない。また、親の知識を子どもに遺伝させる技術が開発されるかもしれない。こんなものは所詮SFだと一蹴してもらっても構わない。だが、科学に疎い私ごときの人間が簡単に思いつくことであるから、世界のどこかにはこの課題について真面目に研究している人がいるかもしれない。もしもこれらの技術が実用化されれば、教育の役割や学校のシステムは大幅な見直しを迫られる。企業における訓練も変わる。我々の人生の意味も変わる。もちろん、生命倫理上の大きな、致命的な問題をはらんでいることは言うまでもない。
 私が支持しているのは資本主義ではなく自由市場経済である。うまく機能してはいないが、他のものよりはましである。資本主義に対しては重大な疑念を抱いている。経済を最重要視し偶像化している。
 ドラッカーはあるインタビューの中でこのように答えている。科学だけでなく経済にも疎い私などは、資本主義も自由市場経済も大して変わらないのではないかと思ってしまうのだが、よくよく考えるとこの2つは大きく違う。ドラッカーは第2次世界大戦中に出版した『産業人の未来』(1942年)の中で、機能する社会とは個人に「位置」と「役割」を与える社会であると述べている。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 《参考記事》
 【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―機能する社会は1人1人の人間に「位置」と「役割」を与える
 【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる

 位置と役割を与えるだけならば、封建制や奴隷制のように身分が固定された社会も該当するように見える。しかし、ドラッカーはここでもう1つ条件を加える。位置と役割を与えられた人間は、「自由」を発揮して成果を出すと同時に、その成果に対して「責任」を負わなければならない。この条件に照らせば、封建制や奴隷制は自由を封じられているから、機能する社会とは言えない。

 ドラッカーは、現代のように企業が中心となるより前の商業時代には、自由市場経済が社会を機能せしめていたと述べている。具体的にどう機能していたのかは『産業人の未来』の中にもそれほど記述がないのだが、私は次のような単純な話ではないかと考えている。自由市場経済においては、あらゆる人が買い手となるだけでなく売り手となる。売り手は自分が生産したものを市場で販売する。売り手は買い手に直接選ばれることによって、自らの位置と役割を確認できる。売り手が何をどのように生産するかは、その人の自由である。しかし、市場でものが売れたかどうかという結果に対しては、全ての責任を持たなければならない。

 自由市場経済に対して、資本主義では資本家が生産手段を独占する。社会において意味を持つのは資本家のみである。労働者は自由に働くことができず、資本家が設定した生産量のノルマを達成できなければ厳しい罰が与えられる。資本家自身は自由に振る舞う一方で、労働者を極限まで搾取しては、責任を全て労働者に転嫁する。それでいながら、富は資本家が囲い込む。労働者は社会から疎外されている。これでは機能する社会とは到底呼べない。マルクスの共産主義は、このような資本主義の弱点につけ込んで、労働者に位置と役割を与えようとした。

 しかし、共産主義は成功しなかった。ドラッカーによれば、20世紀に成功したのはマネジメントの方であった。マネジメントは、単に企業の経営者を意味する言葉ではなく、企業が中心となった現代の組織社会において、1人1人の労働者に位置と役割を与える社会的機関(器官)であるとされた。さらに、働く者にとって追い風となる重要な出来事があった。1つ目は、企業の社員が年金基金に給与の一部を拠出し、さらにその年金基金が企業に投資することによって、社員が企業を所有する資本家となったことである。この点は『見えざる革命』に詳しい。

見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年)見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年)
P.F.ドラッカー 佐々木 実智男

ダイヤモンド社 1976-06-24

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 《参考記事》
 【ドラッカー書評(再)】『見えざる革命』―本当に「社会主義」的に運用されてしまったアメリカの企業年金(1)(2)

 ただ、参考記事でも書いたように、社員兼資本家となった人が、投資先の企業に対してどのように影響力を及ぼすことが可能になるのかについては、あまり十分に論じられていないと感じる。日本でも、厚生年金と国民年金の運用を年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が行っており、安倍政権の意向で、日本国内の上場企業に対する投資の割合を増している。しかし、この動きによって、我々日本人がそれらの企業に対して、何かできるようになったわけではない。

 それよりも重要なもう1つの変化は、知識という資本が重要になったことである。知識労働者は労働者であると同時に、正真正銘の資本家である。知識労働者は、自らの資本である知識を自由に使うことができる。ただし、その使い方や成果に対しては責任を持たなければならない。ドラッカーはあらゆる著書で、この点を何度も強調している。

 知識労働者は、自由市場経済のように、自ら成果を生み出す主体となれる。自由市場経済と異なるのは、知識労働者は単独では何ら成果を生み出すことができず、必ず組織を必要とする点である。組織の他の知識労働者と協業して成果を創出し、組織を通じて顧客にそれを提供する。よって、知識労働者は他の知識労働者に対して責任を負い、組織に対しても責任を負う。こうして知識労働者は、自由と責任を手にしながら、社会の中で位置と役割を獲得していく。

 商業社会においては、社会のニーズを集約して売り手の位置と役割を調整するのは、自由市場の機能であった。現代社会においては、社会のニーズを集約して組織にその充足を命じ、さらに組織の成員たる知識労働者の位置と役割を調整することこそがマネジメントの使命である(もっとも、前述のように、人間の知識を自由自在に他者に移植できる技術が発明された時、知識労働者の位置づけはどうなるのか、人間に位置と役割を与えて社会を機能せしめるのは何なのかといった難題が生じるわけだが、今の段階で私にそれを論じるだけの力量はない)。

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