プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年11月04日

山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)


日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
山本 七平

角川グループパブリッシング 2004-03-10

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 欧米、特にアメリカは唯一絶対の神との直接的な関係を重視する。そして、神と契約を結ぶことができた一部のカリスマリーダーが、その他大勢に対してトップダウンでリーダーシップを発揮する(この点については、以前の記事「飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1)(2)」を参照)。

 これに比べると、日本の場合はかなり複雑である。日本社会は垂直方向に重層的であると同時に、水平方向にも細分化されている。ただし、かつてのイギリスの階級社会や現在のインドのカースト制度のように、ある階層から上の階層への移動が制限されているわけではない。比較的自由に上の階層に移動できるし、時には下の階層へ移動することもある。また、上下への移動に加えて、左右にも移動する。ある組織に所属しながら、別の組織と連携することが推奨される。時には、自分が所属する組織とライバル関係にあたる組織とも協業する。

日本社会の構造

 これを非常に簡単な図にすると上のようになる。日本人は、垂直方向と水平方向にきめ細かく区切られた社会の一角に身を置き、そこを拠点として上下左右に影響力を及ぼす。日本にはトップダウン型のリーダーは存在しない。それぞれの日本人が各々の持ち場において、アップダウン(+水平方向の)のリーダーシップを発揮する。特に、下の階層から上の階層に向けて、ボトムアップでリーダーシップを発揮するのが日本の特徴とされる。このボトムアップ型は、トップダウン型に慣れている欧米人にはなかなか理解できない。彼らは、リーダーシップは上から降りてくるものだと考えている。だから、「サーバント・リーダーシップ」なる新しい概念が登場すると、組織図を上下逆さまにして、現場を一番上に持ってこなければ説明ができない。

 欧米流の「神―人間」の考え方では、神と人間の間に何らかの組織が介入することを嫌う。仮に組織が介入してきた場合は、その正統性が問われる。神と人間を結ぶ場である教会ですら、この尋問を逃れられない。ましてや政府、企業、家族といった組織単位は、さらに厳しく詰問される。これに対して、日本社会は多重構造である方が安定することは、以前の記事「北川東子『ハイデガー―存在の謎について考える』―安直な私はハイデガーの存在論に日本的思想との親和性を見出す」などで書いた。大雑把にスケッチすると、日本では「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という階層構造が成り立つ。

 なぜこういう階層構造になるのか、なぜ多重構造の方が安定するのかについては、正直なところ今の時点で明確な答えを提示することができない。この点は今後の私の課題である。とにもかくにも、日本では多重構造が当たり前のものとして受け入れられている。先ほどの大雑把なスケッチをもう少し詳しく見ていくと、さらに細かい多重構造があることに気づく。例えば、日本の製造業は最終メーカーを頂点とする多重下請構造に組み込まれている。では、その最終メーカーは市場に直接アプローチしているかというと、必ずしもそうではない。1次卸、2次卸、・・・小売といった具合に、流通構造も多層化されている。日本の流通経路は、欧米に比べると長い。

 日本の社会は、放っておくと自然と階層が増える。国会議員は政党内で派閥に所属するだけでなく、国会を離れて私的な勉強会を頻繁に開いている。勉強会の中には超党派のものもあり、国会での立法作業に影響を与える。これは、立法府と行政府の間に1つ階層が増えたと見ることができる。また、内閣は重要な問題に関して有識者会議を開く傾向が強い。行政府の中は「内閣―各省庁」と分けられるが、有識者会議は、内閣の下に挿入された階層であると言える。

 下の階層は上の階層の命令を受けて行動する。上の階層はさらにその上の階層から命令を受ける。このルートをずっと上へたどれば、命令の根源に突き当たるはずである。先ほどのスケッチに従うと、天皇を生み出した神が原点であるかのように見える。しかし、日本では神自体も多重構造化している(以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」を参照)。その神の階層をさらに上へ上っていけば、究極の原点があるに違いない。しかし、そういう究極の原点を追求するのは、神に唯一絶対性を求める西洋的な発想である。日本の場合は、究極の原点を問わない。何となく、誰かが命令しているということで話を丸く収める。こう考えるうちは、全体主義に陥ることがない。

 日本人は、上の階層からの命令に従うだけでなく、時に上の階層に対して意見することがある。日本の稟議的経営や提案制度、QCサークル運動などは、欧米ではなかなか理解されないものである。現場からいいアイデアが上がってくるならば、上司の存在意義がなくなってしまうと考えられるからだ。ところが、日本ではそれが許容される。ただし、下の階層は、上の階層の人間を脅かそうとか、蹴落とそうとしているわけではない。あくまでも、下の階層にとどまりながら、自分が思いついたアイデアを自由に実行したいと主張しているのである。

 これを山本七平は「下剋上」と呼んだ。一般的な下剋上とは違い、上の階層を打倒しない点に特徴がある(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。理解のある上司は、部下からいいアイデアが上がってくると、「よしわかった。やってみろ。責任は自分が取る」と言ってくれる。上司は、権限は部下に渡して責任だけを負う。欧米流の組織論では、権限と責任を一致させるのが原則である。ところが、日本社会では、下の階層になればなるほど「権限>責任」であり、逆に、上の階層になればなるほど「権限<責任」となる。下の階層の人間ほど、大きな自由を手にする。ただし、その自由は、西洋で言う「権力からの自由」ではなく、「権力構造が保たれているがゆえに担保される自由」である。

 上の階層は下の階層に命令するだけでなく、「あなたが私の期待する成果を上げられるようにするために、私に何か手伝えることはないか?」と尋ね、下の階層に降りてくることがある。これが「下問」である。上司は部下をこき使うだけでなく、部下を大切に扱う。ここに、日本的な家族的経営が成立する。顧客も、企業に対して「これがほしい」と要求するだけでなく、「御社が成果を上げられるために、私には何ができるか?」と下問する。マーケティングのトレンドは、プロダクトアウトからマーケットインへと変遷し、近年は共創型マーケティングへと移っている。共創と言うと、顧客と企業が仲良く協力して少しずつ製品・サービスを形作るイメージがあるが、実際には、顧客からの下問と企業からの下剋上によって相当の緊張を強いられる関係だと思う。

 日本社会は垂直方向に多層化されているだけでなく、水平方向にも細分化されている。組織内もそうだし、業界自体もそうである。日本の組織は水平方向に細分化されているがゆえに、欧米企業に比べるとマネジャー1人あたりの部下の数が少ないと感じる。また、業界に目を向けると、企業が過剰に市場に参入し、供給過多になっているケースも少なくない。

 ただし、組織内では水平連携が推奨される。同期入社の絆は退職まで(時に退職後も)続くと言うし、部門を超えたジョブローテーションが頻繁に行われる。また、何か重要な問題が起きると、各部署から人がさっと集まって解決する。ある中堅製造業は、部長にマネジメント責任を負わせ、経営の合理化を行うために事業部制を導入した。だが、事業部制を導入した途端に業績が悪化してしまった。その原因を分析したところ、この企業の強みは、製造ラインで何かトラブルが発生した時に、他のラインから柔軟に社員をアサインできることだと解った。事業部制になると簡単には人を移動させられず、強みが失われてしまったというわけだ。

 組織間でも水平連携が頻繁に行われる。明治維新直後の日本では、各省庁を超えた人事異動が普通に行われていた。ところが、明治末期になると、次第に縦割り化が進み、そのような人事慣行は消えてしまったそうだ。市場に過剰に参入した企業が簡単には淘汰されない要因の1つは、日本に固有の業界団体の存在であると考えられる。もちろん、アメリカにも業界団体は存在する。ただし、彼らの主たる目的はロビー活動である。また、業界標準を策定するために同業他社が集まるものの、ルールが完成した途端に仲違いを始めるケースも少なくない(ブログ別館の記事「『負けない知財戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年SPR.63巻4号)』」を参照)。

 日本の業界団体の目的は、競合他社の動向も含めてお互いに情報交換を密に行うことである。これが、どの企業も似たような製品・サービスになる1つの要因である。そして、どの企業も似たような製品・サービスを販売しているがために、どの企業も簡単には潰れないのである。また、よりよい製品・サービスを開発するために競合他社と提携することもあるし、苦境に陥っている企業があると、競合他社がその救済に乗り出すことも頻繁に見られる。業界団体自体は何か具体的な成果を生み出すわけではない。そういう意味では非常に非効率な存在である。しかし、業界内のプレイヤーの共存共栄を図り、利益を広く配分するという重要な役割を果たしている。

 以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」でも書いたように、日本人は垂直、水平方向で他者とつながると同時に、時間軸でも他者とつながっている。私の身体は、先祖代々の魂が集まる天からの借り物であり、私は昔の人々の伝統を背負って生きている。また、「財を残すは下、業を残すは中、人を残すは上」という言葉がある。私は、単に伝統に従って生きていればよいのではなく、そこに価値をつけ加えなければならない。ただし、私が死んだ途端にその価値が無に帰すようでは意味がない。私が作り出した価値を受け継ぐ人を残す必要がある。これが人生における至上の命題である。

 以上のように、日本人が各々の持ち場を保ちつつも上下左右に移動し、さらに伝統と未来を重んじるうちは、日本社会は安定する。しかし、強みというのは容易に弱みに転ずるものである。野村克也氏は独自の配球論で各打者の強みと弱みを分析したが、往々にして、その打者が強みとするコースのすぐそばに弱みが存在することを見抜いた。次回の記事では、太平洋戦争中の日本社会がどのように瓦解していったのかを、本書を基に見ていきたいと思う。

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