プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年11月20日

檜垣立哉『ドゥルーズ―解けない問いを生きる』―「To-Beを描いてAs-Isとのギャップを埋める」というコンサル手法を改められないものか?


ドゥルーズ―解けない問いを生きる (シリーズ・哲学のエッセンス)ドゥルーズ―解けない問いを生きる (シリーズ・哲学のエッセンス)
檜垣 立哉

日本放送出版協会 2002-10

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 コンサルティングの手法は哲学の世界から見ると時代遅れだと感じることが時々ある。例を挙げると、最近はあまり声高には聞かれなくなったが、私が就職活動をし社会人になったばかりの12~13年ほど前は、「ロジカルシンキング」が一大ブームであった。しかし、その本質はデカルト―ニュートン以来の要素還元主義にすぎない。また、コンサルティングの現場では、顧客企業のあるあるべき姿(To-Be)を描き、それに対する現状(As-Is)を整理して、To-BeとAs-Isのギャップを埋める施策を検討のが一般的である。あるべき姿は「理念」と言い換えてもよいだろうが、経験の届かないところに絶対的な理念を設定するのは明らかにカントの影響である。

 日本人は、トヨタ生産方式に代表されるように、改善を得意とする。裏を返せば、As-IsからTo-Beに一足飛びに移行するような改革は苦手である。もちろん、改善を積み重ねた結果、元の姿とは似ても似つかぬ姿になることはある。しかし、最初から現状とは全く異なる理念を設定し、一気にそれを実現させることは日本人にとって難しい。

 理念と現状は二項対立の関係にあり、この二項対立を上手く処理できない日本人は二通りの反応を示す。すなわち、できもしない理念に執拗にこだわるか、変化を嫌って現状にしがみつくかのどちらかである。ハイデガーの言葉を借りれば、「本来の方への自己喪失」と「本来でない方への自己喪失」である。原発ゼロを主張する人も、原発再稼働を主張する人も、この自己喪失に陥っている(自己喪失が中国との関係においてどのように現れたかについては、以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」、「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか』―原因は中国人ではなく日本人の側にあった」で書いた)。

 ドゥルーズは、世界を「卵(らん)」のイメージでとらえている。卵は様々なものに分化する潜在的な多様性を秘めている。潜在性は可能性とは異なる。可能性とは、実現しうる選択肢があらかじめ定まっており、主体が何らかの決定論的な力によってそのうちの1つを選択することを意味する。これに対して、潜在性を支える力は、本質的に未決定的なものである。

 この卵の実態を描く場合、通常であれば、ある時点で時間の流れをすぱっと切って、スナップ写真を撮影しようと思うであろう。ところが、ドゥルーズはそのようなスナップ写真を否定する。ベルクソンは、メロディーの流れを途中で切って、その部分だけを取り出すと、メロディー全体の美しさや調和が把握できなくなると述べた。ドゥルーズもベルクソンと同様に考える。したがって、卵の実態をつかむには、卵が現在から未来に向かって変化し続けているその流れに同調しなければならない。これをドゥルーズは「無限の速度での俯瞰」と呼んだ。

 これはコンサルティングに対しても重要な示唆を与えていると思う。なぜなら、通常、コンサルタントがAs-Isを描く際には、特定の一時点における顧客企業の姿を描写しようとするからだ。しかし、これでは企業が過去から繰り返してきた変化の伝統や、将来へと向かう潜在的な力を見落とすことになる。ドゥルーズの考えを借りれば、コンサルタントは顧客企業が未来へ向かって無限の速度で流れていくそのスピードに合わせて、並行して泳ぐことが必要になる。

 コンサルタントは、To-BeとAs-Isの間のギャップを「問題」と見なし、問題を「解決」することを目指す。これに対して、ドゥルーズは、問題とは「創造」されるものだと述べている。個体は、未来へ向かう急激な流れに身を投じてもがきながら、世界をただひたすらに見、ひたすらに感じる。そうした悪戦苦闘の中から、状況が浮かび上がらせる種々の問題を発見する。そして、次の点が重要なのだが、ドゥルーズは問題を理念と同一視している。
 理念という未規定的なものは、経験的に与えられる個別性も一般性も超えた、それらには解消できない、うごめく何かの生成に触れるためのものである。つまり、「問題そのもの」であるような、未決定の場面を明らかにするものである。
 個体が流れに身を任せるという点では、ドゥルーズの主張は極めて受動的でる。一方、状況の中から次々と立ち現れる問題=理念を発見していく点に、主体性を見出すこともできる。ここで私は、経営学者メアリー・パーカー・フォレットの言説を思い出す。フォレットは「命令の非人格化」という原則を提唱した。これは、上司が部下に命令を出すのではなく、問題状況に関わる人々が協力して「状況の法則」を探し、これを状況からの要請・命令として組織のメンバーが受け入れるというものである。「状況の法則」を探すとは、問題=理念を探すことと同義である。

 個体が問題を創造し、理念を発見したとしても、それは暫定的な解でしかない。なぜならば、個体は絶えず未来へと流れ、状況は刻々と変化するため、新しい状況においては、また別の問題を創造し、理念を発見しなければならないからだ。これは、大がかりな改革プランで壮大な理念を一発で達成しようとする一般的なコンサルティングとは大きく異なる。だが、ドゥルーズが述べていることは、よく考えてみると、日本人が本来得意とする改善そのものである。ドゥルーズの哲学には、欧米流のコンサルティング手法をひっくり返すヒントがあるように思える。

 以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)」で、日本社会は天皇(厳密に言えば神)を頂点とするピラミッド型社会であり、垂直・水平の両方向に細かく分割されたシステムであると書いた。そして、個々の個人や組織は、細かく区切られたメッシュの中の一部を占め、与えられた役割を遂行する。ここで、システム論に関しては2つの考え方がある。1つは、個体の役割はシステムが規定するという決定論であり、もう1つは逆に、システムから完全に独立した個体を想定するというものである。

 私の考えは、前者に近いような印象を与えるかもしれないが、実際には違う。階層を上(または下)に移動することは、かつてのイギリスの階級社会や現在のインドのカースト制度に比べるとはるかに容易である。また、山本七平の言う「下剋上」によって上の階層を突き動かすこともできるし、『貞観政要』にある「下問」によって下の階層に下りることもある(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。さらに、組織内外における水平方向の連携を通じて、活動範囲を広げることも可能である。

 日本人や日本の組織は、全体としてのシステムが規定する役割をこなすだけでなく、上記のようにシステムから上下左右にはみ出す行為によって、システムを揺り動かす。それがシステムの変質をもたらす。この点で、日本人や日本の組織とシステムは、一方が主、もう一方が従という関係ではなく、相互に影響力を及ぼしながら未来へと流れていく関係と言える。

 本書には以下の記述がある。
 個体が個体としての意義をもつのは、逆にそれがいつもシステムの力を引き受け、それを独自のあり方で表現し、その表現においてシステムの存在を担うからではないか。
 ここで、日本人や日本の組織が身を置いているシステムの全体、すなわち、本ブログで何度かラフスケッチしている「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という現代の多重階層構造はいつ、誰が、どのようにして構築したものなのか、またこのシステムより以前にはどのようなシステムがあり、同様にどのような時代・社会的背景を伴って形成されたのかという疑問が湧くのだが、この点については今後の検討課題としたい。

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