プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年11月22日

『首都の難問─どう解決するか(『世界』2016年11月号)』―日本組織はなぜ他人の失敗から学べず、無責任になるのか?、他


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 (1)
 介護の問題では、地域包括ケアについていろいろ模索すべきです。それなりに地元のコミュニティがある地方の自治体であれば、まだ地域の相互扶助が機能している面があります。単身で暮らす高齢者がいても、雪が降れば屋根の雪下ろしなどを隣近所が手伝ってくれる。東京ではこれが非常に難しいわけですが、このような地域包括ケアのしくみは、それを支える若い人たちの関わり方も含めて、東京においても積極的に考えていくべきだと思います。
(増田寛也、宇都宮健児「東京のグランドデザインを考える」)
 東京の介護の問題について、私に妙案などあるわけではないのだが、1つだけ私見を披露したい。東京では、介護問題の解決を地域コミュニティに委ねるのは難しいため、別の方法が必要だ。私の提案は、都民が少しずつ出資して、介護事業を行う企業を多数設立するというものである。介護会社の社員は、若者ではなく、以前の記事「『未来をつくるU-40経営者(DHBR2016年11月号)』―U-40の起業家は歳が近くて悔しくなるので、Over50の起業について考えてみた」で述べたような、Over50のシニアが中心になる(というか、構造的にそうならざるを得ない)。

 出資者が高齢者になり、要介護状態となった場合には、保有する株式を若者に売却して資金を作り、介護サービスを受ける。また、介護会社の社員が高齢者になり、介護が必要になれば、介護会社で働いていた頃の貯蓄を使って、今度は自分が介護サービスを受ける側に回る。現在の介護保険では、毎月保険料を支払っても、将来誰からどんな介護サービスが受けられるのかが解らない。これに対して、私の案では、介護会社に出資する、あるいは介護会社で働くということを通じて、将来自分がどんな介護会社のお世話になる可能性が高いかが見える。そうすると、その介護会社をよりよいものにしようとするインセンティブが働くと期待できる。

 (2)
 森山:現場の声を反映する機会を設けなかったことも問題ですが、そもそも設計者が現場を見ていない。築地では毎日あの巨大な空間に全国から魚などが運ばれてきて、それを並べて、運んで、価格をつけて、店に運んでいます。朝から晩まで、魚を広げて、しまって、ということを繰り返しているわけです。

 中澤:そう、ただ移動するだけじゃなくて、運んできた魚を広げなくちゃいけないから、ある程度の空間が必要なんです。そのことを、豊洲を設計した人は全然考えていない。
(森山高至、中澤誠「豊洲移転はファンタジーになりつつある」)
 豊洲市場の移転問題を見ていると、ついこの間まで新国立競技場問題で揉めていたのと写し鏡ではないかと感じる。日本人は、他者の失敗から学ぶことが非常に下手である。例えば、オリンパスの不正会計問題が起きた後に、東芝の粉飾決算が明らかになったし、食品業界においては産地偽装問題は相も変わらず繰り返されている。また、責任の所在も曖昧になりがちだ。担当者はすぐに「すみません」と言うものの、本当の意味で責任を認めたわけではない。こういう日本人の特性は、日本社会の構造に起因するのではないかと考えられる。

日本社会の構造

 以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)」で、日本社会は巨大なピラミッドであり、垂直・水平方向に細かく区切られていて、日本人や日本組織はそのメッシュの一角を占めていると説明した。そして、単にその場にとどまるだけでなく、「下剋上」や「下問」を通じて垂直方向に移動し、「コラボレーション」を通じて水平方向に移動すると書いた。ただ、逆に言えば、日本人や日本組織にとって、自分の世界とは自らが移動できる範囲のことでしかない。つまり、自分が移動できない世界については関心が急に下がる。だから、自分と同じ階層で何か問題が起きても、「自分は特殊で彼らとは違う。だから、自分には関係ない」と決め込む。実際には、そんな特殊性など幻想であるのに、である。

 日本人が誰も責任を取らないのも、日本社会の構図で説明ができる。日本社会は垂直方向に多層的な社会である。末端の人間は上司の命令に従って行動する。その上司は、さらに上の上司の命令に従う。その上司もまた、さらに上の上司の命令に従う。このように、日本社会では垂直方向に非常に長い命令系統ができ上がる。通常、何か問題が起きた場合には、最初に命令を出した人間が責任を取ることになる。上図に従えば、究極的には天皇が責任を負うことになる。

 ところが、上図において実は天皇はピラミッドの頂点ではなく、天皇の上に神の階層がある。そして、神の階層もまた、多層化されている(以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」を参照)。西洋の神学では、究極の頂点、言い換えれば、無から有を作り出すことのできる絶対的な存在を緻密に証明しようとするが、日本の場合はそれをしない。だから、太平洋戦争においても、ついに天皇に責任を負わせることができなかった。日本人は、上から下まで誰もが「何となく上から命令が下りてくる」と感じているのである。この状態では、責任を特定することなど到底不可能である。

 豊洲問題などに関しては、こうした日本社会の構造的要因に加えて、アメリカ的な経営を表面的に真似しようとしたことも原因ではないかと考えている。本来の日本企業は、世界一要求が厳しいとまで言われた顧客の声をよく聞いて製品・サービスを開発する。上図で言えば、企業の階層の上には顧客/市場の階層があり、企業は顧客/市場からの命令(ニーズ)に忠実に従う。

 ところが、最近はアメリカのイノベーションが流行である。イノベーションとは、新たに需要を生み出すことであるから、顧客のニーズを聞いても無駄である。リーダーが「自分だったらこんな製品・サービスがほしい。自分がこれほど心の底からほしがっている製品・サービスだから、きっと世界中の人たちも同じようにこれをほしがってくれるはずだ」という都合のよい思い込みに基づいて、イノベーションを創造する。そのイノベーションがヒットするかどうかは、アメリカ人が強く信奉する唯一絶対の神のみぞ知ることである。だが、アメリカ人というのは、生来的に傑出した才能を持つ人が一部にいるようで(統計的にも、アメリカはIQがずば抜けて高い人の割合が多い)、神の答えを先取りすることがある。だから、アップルやグーグルのような企業が生まれる。

 これに対して、日本人は凡人の集まる社会である。凡人には、神の答えを先取りする能力はない。にもかかわらず、アメリカ人の流儀に倣って、「新国立競技場はこうあるべきだ」、「豊洲市場はこうあるべきだ」と頭の中だけで考えれば、必ずと言っていいほど失敗する。日本人はやはり、現場の声をよく聞くという基本に忠実でなければならない。引用文と同じ記事の中では、石巻の市場ではそれがよく行われていたとあった。
 森山:震災後の石巻では、津波で壊滅した市場を再建して、世界に通用する市場を造ろうと、設計者も建築会社も真剣に考えて、時間もお金もない中で本当に頑張っていい市場を造りました。豊洲の設計ではそうやって真剣に考えている人は全然いなかった。(同上)
 豊洲市場の問題がクローズアップされてから、都議会議員は豊洲市場を頻繁に視察しているようだが、彼らが会派ごとに動いている点を、元鳥取県知事の片山善博氏が批判している。
 会派で活動している議員たちを見ると、彼らが一番気にしているのは、会派として目立つこと、功名争いをしているように思えてならない。(中略)お役所の縦割りが批判されて久しいが、御多分に漏れず都庁もその悪弊に染まっていることは、豊洲問題からもわかってきた。その縦割りを正すのが議会の役割なのだが、都議会は都議会で縦割りならぬ「群れ割り」の弊に陥っている。
(片山善博「豊洲市場問題―都議会のなすべきこと」)
 上図で述べたように、本来の日本人・日本組織は水平方向のコラボレーションに積極的であり、縦割りが起きにくいはずである。近年の日本組織が縦割り化しているのは、アメリカ的な短期志向の経営の影響ではないかと考えている。短期志向では短期間で成果を出さなければならないため、どの部署も自分が抱える目の前の仕事に目いっぱいリソースを投入する。部門間でコラボレーションなどをしている暇はないし、たとえ協業をしても評価されない。こうした風潮が組織をタコツボ化させる。これと同じことが日本でも起きていると推測する。

 アメリカの企業、特にイノベーションに強い企業は、短期間で自社のイノベーションを世界中に普及させ、莫大な利益を上げて、流行が過ぎればさっさと企業を売却して撤退する。こういう経営スタイルであれば、短期志向の方が強いし、組織が多少タコツボ化していようとさしたる問題にならない。だが、日本企業は中長期的な成長を目指す。目の前の仕事に集中するだけでなく、部門間を超えた協業を通じて、中長期的な成長の芽を発見しなければならない。

 ところで、株主価値至上主義は短期志向だと批判されるが、個人的には正しくないと思う。確かに、短期的に利益を増やせば株価は上がる。だが、本来株価というものは、将来に渡ってその企業が生み出すであろう利益に対する期待を反映したものである。つまり、中長期的な視点から株価は形成される。だから、真の株主価値至上主義は中長期的な経営である。日本だとソフトバンクが株主価値至上主義の典型例だと思うが、孫社長は巨額の企業買収で短期的に株価が下がることを恐れていない。ビジョンにあるように、300年継続する企業を本気で目指している。

 (3)
 1979年4月に誕生した鈴木都政は、『マイタウン東京’81』や「都市防災施設基本計画」(1981年)の中で防災生活圏構想を明確に位置づけた。ここでは延焼遮断機能のある都市施設(幹線道路・河川・鉄道など1240km、うち未整備道路460km)によって都心部を除く23区内を約700ブロック(防災生活圏)に区分し、さらに幹線道路については沿道の不燃化を進めるという事業がセットで実施されることになった。
(中村八郎「東京防災と地域コミュニティ」)
 東京都は木造住宅が集中している地域が多いため、首都直下型地震が起きた場合に、火災による甚大な被害が出ると予測されている。それを防ぐために、都は昔から色々と対策を検討しているようだが、どうやら道路の幅を広くすることばかりを考えている節がある。その道路沿いに住んでいる住民はどうすればよいというのだろうか?

 知り合いの診断士に、東日本大震災後の復興を支援している先生がいらっしゃる。その先生から聞いた話だが、震災後、津波で何もかもが破壊された土地に、住民は好き勝手に新しい建物を建てることはできない。これは、無秩序な住宅地などの形成によって、災害に対して脆弱な地域ができることを防ぐためである。まずは行政が、二度と同じような被害を出さないようにするための望ましい町のデザインを描き、住民との合意形成を図る。住民が行政のプランに合意して初めて、住民は建物を造ることができるようになる。その先生がおっしゃるには、行政側は必ずと言っていいほど、道路を広く設計するという。事実、現在の東北には、人口に対して不釣り合いなくらいに幅広の道路が走っている地域が少なくないそうだ。

 東京都では、各区の職員が地域を巡回し、首都直下型地震が起きた場合にどの程度の被害が出そうか予想している。そして、震災後の復興プランもある程度頭に描いているという。前述の先生は職員によるそうしたワークショップの支援もされているのだが、職員はほぼ例外なく、現在よりも広い道路を敷こうとする。ここまでくると、建設業者との癒着を疑いたくなるぐらいだ。

 話を元に戻すが、地震後の火災による延焼を防ぐ手段は、道路を広くすることばかりではないと思う。むしろ、道路を広くすることは、最も実現可能性の低い手段かもしれない。ではどうすればよいのかと問われると、私にも妙案があるわけではないのだが、例えば、強い揺れを感じたら自動的に消化するガスコンロや石油ストーブなどの設置を義務化し、購入費に対しては都から補助金を出す、といった案が考えられる。その方が、道路工事よりもはるかに安上がりだと思う。

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