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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2016年12月19日

【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ


断絶の時代―いま起こっていることの本質断絶の時代―いま起こっていることの本質
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-09

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 ドラッカーは20世紀の特徴を「組織社会」の出現としており、組織の多様性を指摘している。
 この半世紀の間に出現したのが新種の多元社会である。17世紀の政治理論が説いた政府だけが唯一の権力であるという社会構造は、もはやありえない。もちろん、企業、労働組合、大学などの組織のいずれかを取り上げ、中心の存在とすることも誤りである。
 17世紀の政治理論は政府を中心として取り上げ、その権力の正統性を追求した。同様に、現代の組織社会においては、組織の権力の正統性が問われることとなる。ドラッカーによれば、組織の正統性は「成果」にある。成果が絞り込まれているほどよいとする。
 今日の組織は、集中することによってのみ成果を上げる。したがって、組織とその経営陣の力の基盤となりうるものは1つしかない。成果である。成果こそが、組織にとって唯一の存在理由である。組織が権限をもち、権力を振るうことを許しうる唯一の理由である。
 すべての組織は、その法的地位や所有権にかかわりなく、特定の目的のための道具にすぎないとする。特定の目的にとって必要である限りにおいて、それらの組織は正統性をもつ。さもなければ、無意味であり、無価値である。形式でなく、機能が組織の行為の正統性を定める。
 組織の多元社会においては、組織に上下関係はなく、政府でさえその地位は相対化される。
 新しい多元社会の組織はそうではない。それぞれがそれぞれ独自の目的をもつ。医療は医療のため、企業は財とサービスの生産のため、大学は知識の増進と教育のため、政府機関は国防のためという、それぞれの目的のために存在する。それらのうち、上下の関係にあるものはない。知識の増進が医療や供給よりも上位にあると考える者はいない。
 これまでの理論では、政府は唯一無二の組織だった。しかし、再民営化のもとにおいては、政府は中心的かつ最高の組織ではあっても、多くの組織のなかの1つの組織にすぎない。
 アメリカの組織は、それぞれが特定の絞り込まれた成果を追求する完結した単位であり、それらが集まってアメリカ社会を形成している。例えるならば、「モザイク画型」の社会である。アメリカはキリスト教の国である。アメリカの組織が特定の目的に集中するのは、それが唯一絶対の神との約束、すなわち契約であり、絶対的に正しいからである。したがって、目的から外れたことを追い求めるのは決して許されることではない。

 一方、日本の場合は、多元社会という点では共通するものの、微妙に違いがあると考える。まず、日本は階層が多重化した方が安定するという特徴がある。日本社会は重層的な階層社会である。階層社会においては、当然のことながら上下関係がある。それを私は今まで本ブログで「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒政府/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」というラフなスケッチで描いてきた。ただし、階層社会とは階級社会のことではない。日本社会は多層的でありながら、階層間を移動するのは比較的容易である。

 日本は多神教の国である。階層社会を構成する全てのプレイヤーに異なる神が宿っている。ところが、アメリカの唯一絶対の神とは異なり、日本の神は完全ではない。よって、アメリカ人のように独り信仰に耽れば神に触れられるわけではない。日本社会を構成するそれぞれのプレイヤーが自分に宿る神の姿を知るためには、異質な神に触れることが効果的である。違いは学習を促進する。違いを手がかりにして、己の本質に迫ることができる。そのため、日本社会のプレイヤーは上下左右に移動する。そして、時には、上下左右に位置するプレイヤーがその目的を達成するのを支援する。だから、日本組織の目的は必ずしも1つに絞られているとは限らない。

日本社会の構造

 階層社会における上下左右の動きをイメージにすると上図のようになる。詳細は以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)」をご参照いただきたい。この図で1つ失敗だったのは、ピラミッドの内部を区切る垂直・水平方向の線を実線で描いてしまったことである。日本組織が上下左右の動きによって、隣接するプレイヤーの目的達成を支援するならば、実線ではなく点線で描くべきだったと思う。あらゆるプレイヤーが隣接するプレイヤーの方にはみ出して動くのが日本社会である。これをアメリカの「モザイク画型」に対応させるならば、「にじみ絵型」と言えるだろう。

企業のサブ目的

 日本企業の上下左右の動きを試験的に描写してみたのが上図である(かなり雑な図であることをお許しいただきたい)。まず、企業を取り巻く各プレイヤーの上下関係について説明する。行政は、財の最適配分や新しい価値の創造を促進する様々な法律を策定し、市場や社会に適用する。市場や社会は、そのルールに従って、企業に対し適切な製品・サービスを提供するよう要求する。企業はその製品・サービスを提供するのに必要な人材を学校や家庭に求める。同時に、事業を遂行する上で必要な資金を株主や金融機関から調達する。

 (アメリカであれば、企業よりも株主を下に配置すれば反発を招くだろう。ところで、金融機関にとって、融資先の企業は顧客に相当する。貸借対照表の貸方を構成するプレイヤーのうち、一方〔金融機関〕が企業よりも下で、もう一方〔株主〕が企業よりも上にくるというのは、個人的には納得できない。そのため、上図では株主も金融機関も企業の下に位置づけている)

 《2017年ン4月12日追記》
 出光佐三『人間尊重七十年』(春秋社、2016年)より、銀行が取るべきスタンス、および銀行と企業の関係に関する記述を引用。
 このごろのように、大衆に金が回って大衆が株主ということになると、その大衆は会社の内容を知ることができないので、悪い会社にだまされるというような場合も起こる。これは危険であるから、銀行がこの大衆の金を預り、そして、貸し出すんじゃなくて、責任を持って投資をするようにしなければならない。それには、いままでの銀行のように、『俺が金を貸してやったからお前が大きくなったのだ』というような、恩きせがましいことはいわずに、大衆にかわって投資するんだから、『どうかこのお金を使ってください』というような態度に出られる。それから、投資を受けるほうも、どこからでもごらんなさいというように、ガラスびんの中に入っておるような、真剣な、まじめな経営をやる。そうして、両々相まって大衆のために、大衆の金を、産業資金に活用するというような方法を講じられたらどうですか。
人間尊重七十年人間尊重七十年
出光 佐三

春秋社 2016-03-08

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 企業の第一義的な目的は、市場や社会のニーズに応える製品・サービスを提供することである(青線)。これに加えて、日本企業は上下左右の動きによって、7つのサブ目的を持つと考える(赤線)。本ブログでは、下の階層が上の階層に対して、下の階層にとどまりながらよりよいアイデアを提案することを、山本七平の言葉を借りて「下剋上」と呼んできた。企業はまず、市場や社会に対して下剋上をすることができる。すなわち、市場や社会が「これがほしい」と言ったことに対して、「市場や社会のことを考えれば、こういう製品・サービスの方が適している」と提案することである。こういう下剋上は、多くの企業で既に実施されているはずである。

 企業には、さらに一段階上の下剋上が求められる。それは、市場や社会の上に位置する行政に対する下剋上である。すなわち、行政が財の最適配分や新価値の創造のために策定したルールに対して、市場や社会においてそれらがもっと効果的に行われるためにはどんなルールが必要なのかを企業側から積極的に提示することである。簡単に言えば、行政を動かし、新しいルールを通じて新市場を創造することである。

 以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などでも書いた通り、日本企業は本来的に、製品・サービスの欠陥が消費者や顧客企業の生命・事業に与える影響が大きい分野に強みがある(簡単に言えば、品質の要求水準が非常に高い分野に強い)。行政は、消費者や顧客企業の生命・事業を守るために、細かいルールを策定している。だが、それらのルールがイノベーションの妨げとなっている場合がある。そこで、企業による下剋上の出番である。企業には高度な政治力が要求される。しかし、これに成功すれば、行政にとっては非常に大きな助けとなる。

 水平方向の動きとしては、異業種企業やNPOなどとのコラボレーションが挙げられる。以前の記事「戦略を立案する7つの視点(アンゾフの成長ベクトルを拡張して)(1)(2)」で、企業は7つの戦略を持つ必要があると書いた。既存顧客に既存製品・サービスを販売するだけでは生き残れない。企業の存続確率を高めるには、戦略を多様化させる必要がある(複数の戦略を同時に実行するためには、ある程度組織の規模が大きくなければならない。だから、私は中小企業に対して、もっと規模を追求せよと常々主張している)。7つの戦略は自社単独では実行することが難しい。そこで、異業種企業と組んだり、時には競合他社と協業したりする必要性が出てくる。

 企業は基本的に経済的ニーズを満たす存在である。しかし、ニーズには社会的な性質を帯びたものがある。今までは、経済的ニーズの担当は企業、社会的ニーズの担当はNPOというふうに、簡単に図式化することができた。しかし、企業とNPOの垣根は今後低くなるだろう。企業は社会的責任を果たすため、あるいは新しい事業機会を獲得するために、社会的ニーズの取り込みを狙う。一方のNPOは、成果を上げるために、企業のマネジメントを必要としている。ここに、企業とNPOの協業の可能性が生まれる。NPOとの協業は、経済的ニーズと社会的ニーズが決して完全に分離しているわけではなく、連続的なものであり、したがって企業でも取り扱うことが可能であることを企業に教える。言い換えれば、企業のフィールドを押し広げてくれる。

 企業は学校や家庭から人材を、株主や金融機関から資金を調達する。その意味で、企業は学校、家庭、株主、金融機関から見れば顧客であり、企業は彼らに向かって、自らの都合で自由にオーダーを出すことができる立場にある。しかし、企業は彼らの上に殿様のようにどっかりと君臨しているだけでは不十分である。山本七平の言葉を借りれば、企業は彼らに対して「下問」しなければならない。下問とは、命令を出す側が、自分が全てを知っているとは限らないという自己認識に基づいて、命令を受ける側の知恵を借りることである。加えて、命令される側が、より効果的に成果を上げることを手助けすることである。

 学校、家庭、株主、金融機関は企業と同様に、それぞれの目的を追求している。企業は彼らに下問し、協力を申し出ることで、彼らの目的達成を支援しなければならない。具体的には、学校に対して「教育の質を高めるためには何ができるか?」、家庭に対して「家族の絆を強化するためには何ができるか?」、株主に対して「よき投資先となるためには何ができるか?」、金融機関に対して「信頼できる借り手となるためには何ができるか?」と問う。企業は自らの事業だけでなく、教育、コミュニティ、ファイナンスに関心を持つ必要がある。


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