プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年03月01日

『艱難汝を玉にす(『致知』2017年3月号)』―日本人を動機づけるのは実は「外発的×利他的」な動機ではないか?


致知2017年3月号艱難汝を玉にす 致知2017年3月号

致知出版社 2017-03


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 我が身を捨てるには、一度徹底的に自分にこだわってみる過程を経る必要があります。自分とは何なのか、自分の限界はどこにあるのか、徹底的に追求して、行き着いたところで、これまで自分、自分と後生大事に抱え込んでいたものは、実は幻想にすぎなかったと気づき、自分を捨てることができるのだと思うのです。
(平井正修「山岡鉄舟の歩いた道」)
《参考記事》
 最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?(旧ブログ)
 「キャリア発達」と「動機づけ要因」の関係を整理してみた-『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』(旧ブログ)
 人間は利他的だとしても、純粋な利他的動機だけで富は生まれぬ―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』(旧ブログ)
 エニアグラムのタイプ別に見たモチベーションの上げ方(私案)
 ウィル・シュッツ『自己と組織の創造学』―「モチベーションを上げるにはどうすればよいか?」そして「そもそも、なぜモチベーションを上げる必要があるのか?」
 山本七平『人間集団における人望の研究』―「先憂後楽」の日本、「先楽後憂」のアメリカ
 『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他

 経営学における動機づけ理論としては、マズローの欲求5段階説、アルダーファーのERGモデル、マクレランドの達成欲求理論、ハーツバーグの動機づけ・衛生要因理論、デシの内発的動機づけ理論、チクセントミハイのフロー理論、ブルームの期待理論などがある。しかし、教科書的なことばかり考えても面白くないので、自分なりに動機づけ要因について今まであれこれと考えてきたつもりである。その結果は上記《参考記事》のようにかなり迷走しているのだが(苦笑)、今回もまたその迷走に拍車をかけるような記事を敢えて書いてみたいと思う。

 今までの私の記事は、利己的動機と利他的動機のどちらが重要かという点に関するものが多かった。この「利己的⇔利他的」という軸に「外発的⇔内発的」という軸を加えて、動機づけ要因をマトリクス図で整理したものを発見した(「働く動機の分類」(「『働くこと原論』 〈The Elemental Lecture on Working 〉」より)。

動機づけ要因のマトリクス図

 左上の「内発的×利己的」という動機づけ要因としては、楽しさ、面白さ、自己成長感、達成感などが考えられる。つまり、他者の存在とは無関係に、自己の心理の中で完結する要因である。左下の「外発的×利己的」という動機づけ要因としては、給与、昇進、福利厚生、周囲からの承認・賞賛、職場の人間関係などが挙げられる。「外発的×利己的」であるから、他者から与えられるものであって、自己のニーズを充足するものが中心となる。その中には給与や昇進のように金銭的な側面が強いものと、承認・賞賛や人間関係のように非金銭的なものがある。

 右半分の「外発的×利他的」と「内発的×利他的」の区別は難しいのだが、私は次のように理解している。「外発的×利他的」という動機づけ要因は、顧客や上司といった、自分と直接利害関係を有する具体的な他者からの要求を指している。言い換えれば、「あの人が困っているから/あの人からこう言われたから自分がやらなければならない」という気持ちである。これに対して「内発的×利他的」という動機づけ要因の代表は、上図にもあるように使命感、ミッションである。「外発的×利他的」動機づけ要因との違いは、他者が一般化・抽象化され、「社会(あるいは世界中)の困っている人を助けたい」という熱意に昇華されている点である。

 上図を紹介している記事では、人は「内発的×利他的」に動機づけられる時、最もモチベーションが持続すると書かれている。もちろん、崇高な使命感を持っている人は素晴らしく、尊敬に値すると思うのだが、個人的には「内発的×利他的」のレベルまで到達できる人は少数派なのではないかという気がする。むしろ、記事の執筆者が一番敬遠するであろう「外発的×利他的」な動機づけ要因に人は最も動かされやすい。特に、日本人の場合はその傾向が強いと考える。

 本ブログで何度か書いてきたように、日本社会は「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という多重階層構造の社会である。そして、各階層の内部もまた多重化されている(企業に関して言えば、メーカーは多重下請構造を形成し、流通は多段階化している。企業内では管理職のポストが幾重にも重なっている)。日本人は、ハイデガーの言葉を借りるならば社会の中に「投げ込まれ」、ドラッカーの言葉を借りるならば「社会から位置と役割を与えられる」。そして、まずは自分より上に位置する人や組織からの要求に応えることが重要な責務となる。レヴィナス風に言えば、「私の飢えを満たせ」という命令に対して、自分の肉を差し出さなければならない。この時、人は「利他的×外発的」に動機づけられている。

 「外発的×利他的」な動機づけ要因に従って責任を果たすと、周囲から認められ、褒められるようになる。また、組織内で良好な人間関係を構築することが可能になる。それが今度は、昇給や昇進といった形で、金銭的な報酬となって跳ね返ってくる。つまり、「内発的×利他的」な動機づけ要因に動かされるようになる。ただし、金銭的な報酬や組織内のポストには限りがあるというのが、この動機づけ要因の最大の弱点である。

 だから、お金や地位にこだわるのではなく、「周囲からの承認」に重きを置いた方がよい。承認は、自分とつながる他者が多ければ多いほど、無制限に大きくなる。本ブログでも何度か書いたが、日本人はピラミッド社会の中で垂直方向に「下剋上」や「下問」、水平方向に「コラボレーション」することで、比較的自由に移動できる。つまり、自分に対して直接命令する上の階層や組織のためだけでなく、それ以外の人や組織のために働く自由がある(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。自分の足場を広げていけば、その分だけ承認を得られる機会も広がる。

 「外発的×利己的」な動機づけ要因は、具体的な他者を必要とする要因である。しかし、「外発的×利己的」な動機づけ要因に従って仕事を続けるうちに、他者から何も得られなくても、自発的に仕事に打ち込むようになる。つまり、仕事自体が楽しくて仕方がない状態である。この段階では、「内発的×利己的」な動機づけ要因が作用している。さらに段階が進むと、楽しくて仕方がないという仕事を続けるうちに、大きな障害にぶつかり、「これはおかしい」、「こんなことが許されてはいけない」という課題意識が芽生えることがある。すると、自分こそが世の中をよくしなければならないという使命感が生じる。すなわち、「内発的×利他的」な動機づけ要因が働く。

 以上をまとめると、日本人はまず「外発的×利他的」な動機づけ要因によって動かされる。次に「外発的×利己的」、「内発的×利己的」と移行し、最後に「内発的×利他的」な動機づけ要因へと移る。ポイントは、4つの段階を経るにつれて、それぞれの段階に該当する日本人の数は減っていくということである。つまり、「内発的×利他的」な動機づけ要因に動かされる日本人は非常に少ない。冒頭の引用文は、「内発的×利己的」から「内発的×利他的」へと移行する際の心理を表した文章と解することができるが、私の考えでは、これがあてはまる日本人はそう多くない。

 《2017年4月12日号》
 海外の書籍になるが、まずは「外発的×利他的」な動機づけ要因によって動かされ、次に「外発的×利己的」へと移行する様子を表した文章を紹介する。
 周りの人たちみんなに可愛がられている1人の少女に向かって、ある人が「なぜみんなは、おまえをそんなに愛するのだろう?」と聞いた。すると少女は「きっと、私がみんなをとっても愛しているからだと思うわ」と答えた。この話はどのような場面にも当てはまる。一般的に、人間としての我々の幸福は、自分が愛しているものの数(※「外発的×利他的」)、または自分を愛してくれるものの数(※外発的×利己的)によって決まる場合が多いからだ。
(サミュエル・スマイルズ『向上心―自分の人生に種を蒔け!』三笠書房、2016年)
向上心: 自分の人生に種を蒔け! (単行本)向上心: 自分の人生に種を蒔け! (単行本)
サミュエル スマイルズ Samuel Smiles

三笠書房 2016-12-09

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 以前の記事「ウィル・シュッツ『自己と組織の創造学』―「モチベーションを上げるにはどうすればよいか?」そして「そもそも、なぜモチベーションを上げる必要があるのか?」」では、動機づけ要因として、①仕事のやり方を自分で決められる裁量があること、②多様な能力を活用できる仕事であること、③能力のストレッチが要求される仕事であること、④周囲の人々との連携が必要であること、⑤顧客からのフィードバックがあること、という5つの要因を挙げた。だが、今回の記事を踏まえると、日本人を動機づける最も効果的な方法は、「具体的に何かに困っている他者の目の前にその人を投げ出すことである」と私は答えるだろう。

 問題は、現在の日本では経済的なニーズはほとんど満たされており、困っている他者の目の前に日本人を投げ出そうとしても、その対象がほとんどいないということである。日本人は諸外国に比べてモチベーションが低いとよく指摘される。しかし、ニーズの範囲を経済的な側面から社会的な側面まで広げると、実は困っている人はまだまだたくさんいる。それに、これからは少子化・高齢化がさらに進行し、社会的ニーズが膨らむことが容易に予想できる。その社会的ニーズの前に日本人を乱暴にでも投げ出すことが、日本人を再び動機づけることになるだろう。そして、企業や組織は、社会的ニーズの充足から成果を上げる方法を検討しなければならない。ポーターが言うところのCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)が一層重要になる。

 最後に、やや話が逸れるが、純粋な内発的動機というのは存在しないのではないかというのが最近の私の考えである。「内発的×利己的」な動機づけ要因の代表例は、デシの内発的動機づけ理論であろう。例えば、ゲームに熱中している子ども、熱心に勉強に取り組む子どもなどは、内発的に動機づけられていると説明される。しかし、そのゲームを考え出したのは大人であるし、何を勉強すべきかを決めたのも大人である。大人の決定がなければ、子どもは動機づけられることはない。よって、純粋な内発的動機とは言い難いと感じる。

 私のブログももうすぐ開始から12年になり、好き勝手に色んなことを書いているから、内発的動機に支えられているのではないかと感じる方がいらっしゃるかもしれない。しかし、私はそもそもブログというツールを他者が用意してくれていなければ、ブログを始めていなかった。それに、1日あたりのPVが500前後の弱小ブログではあるけれども、PVが500前後ともなれば多少なりとも私のブログを楽しみにしている方がいて、実際に「面白いブログですね」などと仲間の中小企業診断士から言われると、私もブログを続けないわけにはいかない。大泉洋さんが「水曜どうでしょう」の「原付西日本列島制覇」という企画の中で、「誰も見ていなかったら(こんな企画は)やらないぞ」と言うシーンがあるが、私の気持ちもそれに近いものがある。

 純粋な「内発的×利己的」な動機とは、例えば毎日10km走るといった具合に、他者の存在とは全く無関係に自己満足のためにやるようなことを指すのではないかと考える。あるいは、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業経営論」で書いたような、「自分がこれだけ心の底からこの新製品・サービスをほしがっているのだから、世界中の他の人も同じようにこれをほしがるに違いない」と考えるアメリカのイノベーターの動機もこれに該当するかもしれない。最後に、「内発的×利他的」な動機づけ要因は、抽象的ではあるが他者の存在を前提としており、他者のためにという意識が働いているという点で、外発的な要素を帯びていると言ってよいだろう。

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