プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年03月08日

『「学び方改革」への視座(『世界』2017年3月号)』―アクティブ・ラーニング(AL)をやるなら知識詰め込みを加速させなければならない、他


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 (1)「アクティブ・ラーニング(AL)」に関する特集である。技術や社会環境が急激に変化し、教育機関で学んだ内容がすぐに陳腐化してしまう現代の知識基盤社会において、将来にわたって必要なスキルを身につけさせる学習法として注目されており、国内外で様々なALが実施されているという。その多くは発見学習、問題解決学習(課題解決型学習)、体験学習、調査学習、グループディスカッション、ディベート、グループワークなどを有効に取り入れている。「アクティブ・ラーニング」という横文字に対しては『致知』の中で占部賢志氏(中村学園大学教授)が頻繁に批判しているが、私なりに解釈すると、要するにALというのは、知識だけでなく、自分で考えて表現する力、他者と議論し対話する力の習得を目指しているのだと考える。

 私もALの方向性には賛成である。私が大学時代に困ったのは、高校までの授業スタイルと大学のそれとが全く違うことであった。高校までは、教科書や参考書に書かれていることをそのまま覚えていればよかった。ところが、大学では様々な知識を論理的につないで文章にする力が求められた(行政学を担当していた教授は、「最近の学生は文章を書く力が落ちている」と嘆いていたのを思い出す)。また、少人数の講義やゼミでは、学生同士、あるいは教授と議論する場が増えた(私のゼミでは、私を含め参加者が皆議論が下手だったため、毎回沈黙の時間が流れて苦痛だったのを思い出す)。高校から大学に円滑に接続するためのALは必要である。

 ただし、ALを導入すれば、従来の知識詰め込み型の学習が軽減されるかというと、私は違うと思う。むしろ、ALの導入によって、さらに知識の詰め込みは加速するはずである。
 カリフォルニアで中学生時代をすごしたAさんが、ディベートで学ぶギリシャ・ローマ史の授業を紹介してくれた。両方の時代について、先生から1週間講義をうけ、さらに自分たちで2週間リサーチワークをした後、クラスの生徒が二手に分かれて、どっちの時代が優れているのかディベートする(※太字下線は筆者)。
(渡部淳「アクティブ・ラーニングは可能か」)
 引用文にあるように、知識の詰め込みはALの前提である。高校までは、1年間にせいぜい10冊程度の教科書の内容を覚えればよかった(国語、数学、英語、理科、社会それぞれ2冊ずつと仮定)。ところが、大学に入ると、週に15コマの授業を取れば、それだけで半年間に必要な参考図書は15冊以上になる。しかも、高校の教科書のように内容がコンパクトにまとめられた薄い本ではなく、専門用語を連発する難解で分厚い本を読まなければならない。大学よりアクティブ・ラーニングが進んでいると思われるMBAにおいては、毎回の授業の前に、100ページ単位の資料を読み込むことが要求される。資料を読まずに授業に参加したがために議論についていけないとしても、教授がフォローしてくれることはなく、本人の自己責任として片づけられる。

 知識を大量に詰め込んでも大半は役に立たないとしばしば批判される。しかし、新しい知識というのは、既存の知識の組み合わせによって創出される。しかも、隣接分野の知識ではなく、一見何の関連性もない分野同士の知識から革新的な知識が生まれる。だから、知識はないよりもあった方が絶対によい。そして、創造のためには知識の無駄を恐れてはならない。知識をシャワーのように大量に浴びるというプロセスを省略して、深い洞察を行うことは不可能である。

 ALと並んで近年注目されているキーワードとして「デザイン思考」というものがある。元々はデザイナーがデザインを行う過程で用いる特有の認知的活動を指す言葉であったが、とりわけ北欧ではその概念が拡張され、社会的に難易度の高い課題について、利害関係者を巻き込みながら解決を目指す技法として発達している。デザイン志向もALと同様に、自分で考えて表現する力、他者と議論し対話する力を重視する。デンマークでは、初等教育の段階からデザイン思考が導入されているという。だが、子どもたちの知識基盤が脆弱であるために、論理的一貫性を欠くケースが多いと報告されている(下記文献を参照)。ALでもデザイン思考でも何でもよいのだが、深い学習の根底には、無駄も含めた十分な知識が流れていなければならないのである。

一橋ビジネスレビュー 2014年WIN.62巻3号: 特集:小さくても強い国のイノベーション力一橋ビジネスレビュー 2014年WIN.62巻3号: 特集:小さくても強い国のイノベーション力
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2014-12-12

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 ALの導入は、高校の段階から始めるのが現実的であると思う。その場合、高校生が読まなければならない本の数は、少なくとも現在の教科書の倍以上になるであろう。高校教育は大学受験のために知識偏重になっていると言われるが、ALを導入すればより一層知識偏重になることを覚悟しなければならない。高校生にはカフェで友達とスマートフォンで遊んでいる暇はない(私としても、カフェでバカ騒ぎして私の仕事を妨害する高校生が減るので、願ってもない話である)。そして、部活や学校管理業務で忙殺されていると言われる教師の負担もぐっと増える。生徒がALをやるならば、やらせる側の教師は当然のようにALを実践できていなければならない。ということは、教師は生徒以上にもっと知識をたくさん詰め込む必要がある。
 広田:今回の答申では、先の3要素(※①知識・技能、②思考力・判断力・表現力など、③学びに向かう力・人間性のこと)を各教科に当てはめてエクセルの一覧表のようにしています。やりすぎです。例示や参考のつもりだと思いますが、現場では無反省にそれに準拠しようとする、機械的な形式主義が蔓延するかもしれません。
(氏岡真弓、広田照幸「新しい学習指導要領は子どもの学びに何を与えるか―政策と現場との距離」)
 広田:教員の勤務実態調査を調べると、昭和41年の時点では自主研修の時間がある程度取れていましたが、最近はほとんどそういう時間が持てないようです。まずは全体として、教員の余裕が必要です。教員が答申を読む時間的余裕すら見いだせないようなら、今回の改訂は現場に根づかないでしょう。(同上)
 文部科学省は、現場の教師が疲弊しているため、少しでも負担を軽減するためにエクセルの一覧表を作成したのだろう。ところが、それは現場への過剰な介入だと批判し、現場に裁量を持たせるべきだと主張する。しかしながら、答申すら読む時間がないという実態からすれば、おそらく自分の頭で考えて学習を組み立てられる教師は少数派にすぎない。よって、この議論は破綻している。その原因は、教師の「忙しい」という言い訳にある。往々にして、忙しい、忙しいと騒ぐ人に限って、時間を与えてもその時間を有効に活用しないものである。仕事ができる人は、忙しい時間の合間を縫って知識のインプットを行っている。もちろん、労働法違反の長時間労働は改善しなければならないが、忙しいからALはできないという言い逃れは通用しないと思う。

 (2)シリア内戦は、国際政治に疎い私からすると訳が解らない状態なのだが、青山弘之「終末に向かうシリア内戦―失われたシリアの当事者性」を読んで、少しだけ頭の整理がついた。

シリア内戦

 アメリカは「反テロ」かつ「反アサド政権」であり、ロシアは「反テロ」かつ「親アサド政権」である。事態をややこしくしているのは、トルコ、サウジアラビア、カタールの存在である。これらの国は「反アサド政権」でありながら、アサド政権を打倒するためにそれぞれが異なるイスラーム過激派を支援してきた。トルコは、カタールとともにアル・カーイダ系のヌスラ戦線やシャーム自由人イスラーム運動、非アル・カーイダ系のシャーム軍団を含むイスラーム過激派全般を支援した。一方、サウジアラビアは、非アル・カーイダ系のイスラーム軍を後押しした。

 ロシアは、反体制派とテロとの区別はできないと主張したのに対し、アメリカは両者を区別できると反論した。この両国のスタンスの違いが、その後のシリアにおける主導権の行方を左右することになったと私は考える。ロシアは、テロの問題をいったん脇に置いて、シリアの内戦をあくまでも親アサド政権派と反アサド政権派の対立という枠に押し込んだ。(本ブログでしばしば書いているように、)大国ロシアらしい二項対立的な発想である。これに対してアメリカは、大国らしくなく二項対立的な発想をせずに、アサド政権とも戦うし、テロとも戦うという姿勢を崩さなかった。しかし、結果的にこの姿勢が、アメリカの迷走を招くことになる。

 オバマ政権は、イスラーム国の中心拠点であるラッカ市に向けて進軍を目指すシリア民主軍への支援を続け、大規模な空爆を連日実施した。その結果、シリア民主軍はラッカ市の西約20キロの距離に位置する戦略的要衝タブカ市に迫った。その一方、アメリカ軍は、ロシアやトルコに同調するように、バーブ市に対する空爆に参加し、同地でシリア民主軍とも対峙するトルコ軍に加勢するだけでなく、イドリブ県やアレッポ県内のヌスラ戦線を攻撃するとの名目で、それまで支援してきたヌールッディーン・ザンギー運動などの「穏健な反体制派」の拠点を破壊した。

 こうしたアメリカの奇行に先立ち、ロシアとトルコの間では停戦合意が成立している。ロシアの戦闘機をトルコが爆撃するという事件があったにもかかわらず、トルコはロシアに対して正式に謝罪をし、関係を改善していた。アメリカは完全に蚊帳の外であった。二項対立に持ち込んで問題を解決するという大国の昔ながらの流儀に従ったロシアの方が、外交的にはアメリカよりも上であった。アサド政権をめぐる対立を片づけてから、テロとの戦いに着手するというのがロシアのシナリオである。これに対して、アサド政権ともテロとも同時に戦うという不慣れな戦略を展開したアメリカは、シリアでのプレゼンスを低下させてしまった。

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