プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年06月16日

『共謀罪と「監視国家」日本(『世界』2017年6月号)』―「帝国主義」は終わっていない


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 以前の記事「『「坂の上の雲」ふたたび~日露戦争に勝利した魂を継ぐ(『正論』2016年2月号)』―自衛権を認める限り軍拡は止められないというパラドクス、他」、「『死の商人国家になりたいか(『世界』2016年6月号)』―変わらない大国と変わり続ける小国、他」で書いたことと重複するが、国家には自衛権があることを否定する人はまずいない。だが、仮に世界中の全ての国が最低限の自衛権のみを持つことを約束するならば、どの国も他国を攻撃することはないから、自衛権そのものが不要となるはずである。自衛権があるということは、本来は認められていない武力攻撃を行う国が現れる可能性を想定している。

 ここで、A国とB国という2か国があり、B国が明らかに自衛の範囲を超えた軍事力を保有しているとしよう。A国は、B国から攻撃されるかもしれないと感ずるだろう。そこで、A国は自衛のレベルを上げる。するとそれを見たB国は、A国が過剰な軍事力を保有してB国を攻撃しようとしているのではないかと感じる。今度は、B国が自国の軍事力のレベルを上げる。こうして、A国とB国の間で軍拡競争が起きる。一定のレベルまで軍拡競争が進むと、両国の緊張はピークに達する。この段階に至って初めて、両国は最悪の状況を避けるために交渉に入り、お互いの軍事力削減に努める。もちろん、そのまま軍事衝突に突入する恐れもあり、交渉は綱渡りになる。

 核兵器に関しても似たようなことが言える。核兵器の抑止力を説明するものとして、「相互確証破壊戦略」というものがある。これは、相手国から核攻撃を受けても、こちらが核兵器で必ず反撃・報復すると約束することで、相手国に核攻撃を思いとどまらせるというものである。しかし、仮に相互確証破壊戦略が完全に機能しているならば、どの核保有国も核兵器を保有する意味を失うから、世界から核兵器はなくなるはずである。

 ところが、実際には一向に核軍縮は進んでいない。これは、仮に相手国から反撃・報復を受けても、こちらがさらに攻撃を加えることで相手国を殲滅させることができると考えているからに他ならない。核兵器に関しても、拡大の動きは止まらない。そして、核保有国同士の緊張がピークに達すると、両国は危険を回避するための交渉に入り、お互いの核兵器削減を検討する。冷戦時代の米ソの対話はこのようにして行われた。そして、北朝鮮が急速に核の能力を向上させる中で、トランプ大統領がようやく対話の準備があると発言したのもその一例である。

 リベラルの人々は、そんな回りくどいことをせずに、最初から軍事力や核兵器を全面的に禁止してしまえば、世界平和が実現するのにと思うことだろう。しかし、リベラルの世界観は、全ての人類が完全に理性的で、お互いに完全に信頼できることを前提としている。これに対して、現実の国際政治の世界では、国家も人間も理性が限定されており、基本的にはお互いのことを信頼しておらず、相手のことを恐れている。だから、平和を実現するには、一歩間違えば大規模な武力衝突に至るような方法と表裏一体の道を選択するしかないのである。

 リベラル派は、日本の平和主義は素晴らしいと言う。憲法9条をノーベル平和賞の対象にしようという動きもあるようだ。しかし、日本が戦後曲がりなりにも平和にやってこられたのは、アメリカが核の傘を日本にかぶせ、日本国内に米軍基地を置いて日本を守ってくれたからである。その事実に目をつぶって、日本は最も進んだ平和主義の国だと主張するのは傍ら痛い。現在の日本は、例えるならば、家の中にいる日本人は武器を持たないが、ドアの外ではピストルを持ったアメリカ人に警護してもらっているようなものである。これのどこが平和主義なのだろうか?

 日本人は、自分が直接関与していないことに対して恐ろしく無頓着になるという悪癖がある。話が国際政治の舞台から外れることをご容赦いただきたいが、日本の製造業は過去の公害などの反省に立って、高い環境意識の下に工場を運営していると思われている。日本人は、そのようにして製造された環境負荷の低い製品を使用・消費していると信じて疑わない。

 ところが、工場から出る廃水の処理を専門にしているある中小企業の経営者から聞いた話によると、廃水の汚染度が国などの基準を満たさない工場が少なくないのだという。基準を守ろうとすると莫大な費用がかかるというのがその理由である。この中小企業は最近、従来の技術よりもはるかに低コストで廃水をきれいにする新技術を開発した。それを聞きつけた日本中の製造業から問い合わせが絶えないそうだ(福島県からも、放射能の除染に使えないかと聞かれている)。裏を返せば、今までいかに多くの製造業が基準を満たさない廃水を垂れ流していたかということである。多くの日本人はこういうことを知らない(恥ずかしながら、私も知らなかった)。

 本号には、「私たちの食べている卵と肉はどのようにつくられているか―世界からおくれをとる日本」(枝廣淳子)という記事があった。卵や豚肉は、効率的に生産することが最優先されており、鶏や豚が動物らしく生きることは二の次にされている。具体的には、鶏や豚が自由に動くことのできないほどの狭いスペースに押し込み、鶏なら年間に約300個の卵を、豚なら年間に約2.5頭の子豚を産むように厳格に管理される。欧米では「アニマルウェルフェア」というコンセプトが広まっている。動物にふさわしい環境で飼育されたものを消費しようという考え方である。食品スーパーの商品には、アニマルウェルフェアの基準を満たしているかが一目で解るラベルが貼られている。日本人は「いただきます」、「ごちそうさま」と言うことで動物の命を大切にしていると信じている。だが、動物の飼育の実態を知る人は少ない(恥ずかしながら、私も知らなかった)。

 話を元に戻そう。日本はアメリカの軍事力を頼りにしており、全く平和主義ではない。そして、近年は、アメリカが守ってくれているにもかかわらず、日本への侵入を試みようとする国がある。言うまでもなく中国である。中国は尖閣諸島近辺で、何度も領海侵犯をしている。日本人の家の前でアメリカ人がピストルを持って防護しているのに、中国人が包丁を振り回してアメリカ人の静止を振り払い、家の中に入り込もうとしているようなものである。仮にこういう状況になったら、家の前の警備をもっと厳重にするのが普通だろう。ところが、平和主義を掲げる左派は、「戦争法反対」などと口を揃えて主張する。あまりにもおかしな話である。

 中国の脅威に対しては、日本の防衛能力を上げなければならない。すると、冒頭で書いたA国・B国と同じになるが、日本の軍事力強化を見た中国は、日本が中国を攻撃するのではないかと感じ、さらに軍事力を上げる。日本はそれに対抗して軍事力を上げる。こうして、両国の緊張がどうしようもなく高まったところで、対話の可能性が生じる。この対話を日本にとって有利に進めるには、中国に「日本を攻撃すると中国に損害が生じる」と思わせる状況を作っておくことが重要である。つまり、日中がお互いの軍事力を高める一方で、日本に対する中国の依存度を強めておく。私は、安倍首相が最近言及した、AIIBへの加盟というのはいいアイデアだと考える。

 日本が対中戦略を練る上で、私はアメリカがある日突然はしごを外す可能性も視野に入れておくべきだと思う。アメリカ・ファーストを掲げるトランプ大統領は、同盟国を守らないかもしれない。アメリカを当てにできないなら、日本は自らの手で自国を防衛するしかない。幸いにも、日本は国土が狭いため、攻撃の対象となる地域が限られる。それぞれの地域について綿密な防衛戦略を立て、仮に中国が日本を攻撃してきた場合はその防衛戦略で対抗し、早期に政治的・外交的決着に持ち込むというシナリオを用意しておく。国家の自然権である自衛権をまともに行使できる「普通の国」になるためには、こうした準備をしておくことが必要不可欠である。

 国家の成立には諸説あるが、ホッブズ的な考え方に従えば、人間は自然状態に置かれると闘争が絶えないため、各々の財産を守るために国家という約束の共同体を創造したとされる。初期の段階では、世界中に局所的に国家が誕生する。国家はまだら模様で、どの国家も存在しない空白地帯もある。ところが、ある程度の時期が過ぎると、最初に設立した国家では、国民が生活するのに十分な財産・資源がないことが判明する。すると、国家は周辺の空白地帯へと領土を拡大し、新たな資源を獲得する。こうして、徐々に世界から空白地帯は消えていく。空白地帯がなくなって、世界中に国家が隙間なく成立した後でも、なお自国の資源が足りないと思う国家は、遠方の国家を略奪するようになる。これが帝国主義であり、略奪された国家は植民地となる。

 20世紀の2度の世界大戦を経て、植民地は禁じられることになった。ところが、帝国主義の時代は終わっていない。未だに、領土拡大を画策する国が存在する。ロシアのクリミア編入もそうであるし、中国が南シナ海を自国の領海だと主張してはばからないのもそうである。帝国主義は、資源を奪うか奪われるかというゼロサムゲームを戦っている。もし、帝国主義の時代に終止符を打とうとするならば、限られた資源から双方の国が利益を得られるようなWin-Winの関係構築を志向する新しいゲームのルールが必要となるのであろう。ただし、私の浅知恵では、それが具体的にどのようなルールになるのか、現時点では少しも明らかにすることができない。

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