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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2017年06月23日

【要約】加藤隆『一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ』


一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
加藤 隆

講談社 2002-05-20

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 今回の記事は本書の要約であり、私の意見は入っていない点をご了承いただきたい。

 ユダヤ教の歴史は古く、紀元前13世紀の出エジプトに遡ることができる。旧約聖書によれば、パレスチナで牧畜に従事していたユダヤ人が飢饉に遭遇し、豊かなエジプトに移動して、農耕生活を営むようになった。しかし、新たなエジプトの王(ファラオ)がユダヤ人の豊かな生活をねたみ、奴隷として都の造営などをさせた。ファラオはユダヤ人の反発を恐れ、男の子を皆殺しにすることを命じたが、1人の男の子だけは葦船に乗せられて助けられた。その子が成長してモーセとなる。モーセに率いられたユダヤ人はエジプトから脱出したものの、紅海を前に追いつめられる。モーセがヤーヴェに祈ると、紅海が真っ二つに割れて道ができ、ユダヤ人は逃れることに成功した。エジプト兵が後を追ってその道に踏み込むと、海は元通りになって溺れ死んでしまった。エジプトから逃れたユダヤ人は、カナン(パレスチナ)に定住するようになる。

 (※)なお、「ユダヤ人」というのは後の名称である。自らは「イスラエル人」と称し、エジプトでは「ヘブライ人」と言われた。

 この頃に成立したヤーヴェ信仰を、後のユダヤ教と区別するために「古代イスラエルの宗教」と呼ぶ。古代イスラエルの宗教におけるヤーヴェは創造神ではなく、救済神であった。つまり、人間がヤーヴェに対して豊作を願い、神が人間の要望に応えて豊富な作物をもたらすという関係である。この関係においては、神よりも人間の方が上位に立っている。また、現世での利益を願うという意味で、御利益宗教と言うこともできる。カナンに定住したばかりの頃のユダヤ人は生活も苦しかったが、ダビデ王、ソロモン王の時代になると生活も豊かになり、ユダヤ人は様々なものを神にねだるようになった。そのため、当時のユダヤ人社会には、ヤーヴェ以外にも多数の神々が存在した。ヤーヴェが創造神と見なされるようになるのは、ずっと後のことである。

 ソロモン王の後、イスラエル王国は北王国(イスラエル王国)と南王国(ユダ王国)に分裂した。そして、紀元前8世紀後半、北王国はアッシリアによって滅亡した。この時、ユダヤ人は、ヤーヴェをはじめとする様々な神々がいるにもかかわらず、自分たちは神々に見捨てられたと感じた。ユダヤ人は神々に見切りをつけるようになった。ただし、ヤーヴェに関しては、残った南王朝で深く信仰されていたために、ユダヤ人から見放されることがなかった。

 しかし、ユダヤ人は被害者意識にとらわれるだけではなく、次のように考えるようになった。つまり、なぜ自分たちは神に見捨てられたのかと問うたのである。ここでユダヤ人は「契約」の概念を導入することにした。神に対するユダヤ人の義務が果たされてこそ、初めて神からの恵みを受けることができる。逆に、ユダヤ人が義務を果たしていないこと、言い換えれば、人間として正しくないことは「罪」とされた。北王国が滅亡したのは、ヤーヴェ以外の神を信仰し、ヤーヴェに対してユダヤ人が罪の状態にあったからであると説明された。ここにおいて、神と人間の関係は逆転し、神が人間より上位に立つこととなった。また、人間が義を果たさない限り、神の方から人間に恵みを与えることがないという点で、人間と神との間には断絶が生じた。

 その後、南王国も新バビロニアのネブカドネザル2世によって滅ぼされた。エルサレム全体とエルサレム神殿(第一神殿)が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行された。これをバビロン捕囚という。バビロンに幽閉されたユダヤ人は、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって解放された。多くのユダヤ人はパレスチナに戻ったが、バビロンに残った者もいた。彼らのことをディアスポラのユダヤ人と呼ぶ。現在でも、イスラエルに住んでいないユダヤ人のことをディアスポラのユダヤ人と言うが、その起源はここにある。このバビロン捕囚前後を境に、古代イスラエルの宗教の時代からユダヤ教の時代に入ったとされる。

 先ほど、人間として正しいことが義、正しくないことが罪とされ、人間は義を追求しなければならないと述べた。だが、ここで1つ問題が生じる。それは、誰が正しさを決めるのかという問題である。もちろん、神がそれを決めるわけであるが、神がある事柄を正しいと決めたことを人間が知る術がない。すると、中には「自分の行っていることは絶対に正しい」と「神の前の自己正当化」を企てる者が現れるようになる。これを防ぐために、ユダヤ教は2つの仕組みを用意した。

 1つは第二神殿の建設である。第一神殿は、前述した南王朝滅亡時に破壊された。神殿は、神とユダヤ人のつながりを保証する重要な制度だったが、バビロン捕囚の時代には神殿は存在せず、それでもヤーヴェ信仰は存続していた。ということは、神殿はユダヤ教にとって不可欠ではなかった。それでも第二神殿が建設されたことには、次のような意味を見出せるだろう。つまり、神殿の儀式は1回行えば十分というものではない。今日も明日も、神に犠牲を捧げる必要がある。そして、どんなに儀式の回数を重ねても、神とユダヤ人のつながりは不十分である。完璧な正しさには到達しえない。この点で、人間の知恵による勝手な自己正当化を回避している。

 もう1つが律法である。ユダヤ教の聖書の編集は紀元前5~4世紀に始まり、最初に着手されたのが第一部の「律法(トーラー)」であった。元々は、ササン朝ペルシアの当局が、ユダヤ人に自治を認める代わりに、自主統治のルールをまとめて提出させたのが始まりとされている。しかし、ササン朝ペルシアが滅亡した後も、律法はユダヤ人の生活の基盤となった。しかも、律法の言葉は一語一句正しいとされた。ところが、律法の文言をよく読むと、様々な意味にとれる箇所や、明らかに矛盾している内容が含まれている。それでも、律法の言葉は全体として完全に正しいのだから、後は人間の解釈で論理的一貫性を追求するしかない。律法が成立してから2000年以上経つが、この解釈の営みは現在でも続いている。律法のこのような性質もまた、人間の知恵による勝手な自己正当化を回避する役目を果たしている。

 ところで、ユダヤ人が毎日神殿で儀式を行い、律法に忠実な生活を送っても、永遠に完全な正しさに到達することができないとすれば、ユダヤ人は罪を晴らし、義を実現することが不可能である。ということは、ユダヤ人と契約をしている神も動かない。このことに対して苛立ちを感じるユダヤ人が出てきた。彼らは、神が動かないという前提をひっくり返して、神は自由に動く存在であるとした。具体的には、神は罪に満ちたこの世を破壊して、新しい世界を創造することができると考えた。この点がよく表れているのが「黙示文学」である。ただ、黙示文学をめぐっては、神が自由に動く方法は、破壊と創造を行うこと以外にはないのかということが問題になる。

 ここからいよいよイエスの時代に入る。イエスの時代のユダヤ教は、神殿を重視するサドカイ派、律法を重視するファリサイ派、荒野で修業を行うエッセネ派という3つの学派に分かれていた。サドカイ派、ファリサイ派は保守勢力であり、神とユダヤ人は契約で結ばれているが、罪の概念によって分断されているとする。また、重視する比重の違いはあるが、両派とも神殿/律法主義である点で共通する。これに対し、エッセネ派は、神との直接的な関係を目指すという大きな違いがある。エッセネ派に言わせると、契約や罪の概念があるから、神は一歩も動かない。だから、契約にとらわれずに、神が一方的に介入すればよい、というわけである。

 エッセネ派に影響されていたイエスは、「神の支配(バレイシア)」を問題にした。神が世界に対して肯定的に動く。神が支配するということは、神が世界を放っておいて、世界との間にある断絶をそのままにしておくということではない。簡単に言えば、神が世界の面倒を見るということである。そして、神がこのように動いたということは、罪も消えてしまったということである。これは同時に、契約の概念も消滅したことを意味する。

 神の支配の現実についてイエスが告知したことで、新しい現実が出現している。ただし、これはまだ、神の支配の現実が十分に実現した状態ではない。神の支配の現実が十分に実現する可能性があることを見据えることができるようになったという現実である。よって、これは「神の支配」というよりも「神の支配についての情報が作り出す現実」と言った方が適切かもしれない。キリスト教は、イエスが告知した神の支配が現実であるという事実に賭けている流れである。これに対して、ユダヤ教は、契約という唯一の関係によってヤーヴェとのつながりを確保しながら、キリスト教の賭けが成功に至るかを見守っている流れであると言える。

 生前のイエスは弟子やその仲間たちと共同生活を送り、キリスト教の布教に努めた。イエスの没後は、「エルサレム初期共同体」とでも呼ぶべき集団が形成され、イエスを神格化して、指導者の権威を神学的に正当化した。キリスト教が各地に広まるにつれ、エルサレム初期共同体とは異なる形態の共同体も生じるようになったが、指導者は神格化されたイエスを利用して、新しい共同体のスタイルも容認した。しばしば、イエスは「メシア」、「キリスト」、「神の子」、「ダビデの子」、「預言者」、「人の子」、「主」、「王」などと呼ばれるが、これらの「イエスは○○だ」という理解は、イエスのイメージを誇張しすぎている。イエスの神格化は、キリスト教的生活スタイルを権威あるものにするための機能を担っているにすぎない。

 イエスが神殿や律法に否定的なエッセネ派の影響を受けていることから、初期キリスト教も神殿や律法に否定的であった。だが、当時のユダヤ人社会に新しいキリスト教を普及させる上で、既存の神殿や律法を便宜的に利用することはしばしば行われたようである。その後、旧約聖書と新約聖書からなるキリスト教の聖書が正典とされ、またユダヤ教のシナゴーグ(集会所)をモデルとした教会も設立された。キリスト教において、教会や聖書は必須のものではなかったが、ユダヤ教において神殿や律法が人間の知恵による自己正当化を防ぐ役割を果たしていたのと同様の役割を、キリスト教の教会や聖書が担うことになった。

 ところで、神が支配によって人間を分け隔てしないのであれば、最初から布教活動は不要なのではないかという疑問が生じる。布教活動があるがゆえに、この世は福音を受け入れる者と福音を受け入れない者という2つのグループに分断されることになる。これは、神の支配に反するのではないかという問題がある。また、布教の中心となる教会では、神格化されたイエスによって神学的根拠を得た指導者が、人々に対してキリスト教的生活スタイルについて指導を行っており、「人による人の支配の体制」ができ上がっている点も見過ごすことはできないだろう(指導者は神ではなく、あくまでも神学的根拠を得た人間である)。

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