プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年07月05日

『師と弟子(『致知』2017年7月号)』―学校が企業への就職斡旋機関になったら教育は死ぬ、他


致知2017年7月号師と弟子 致知2017年7月号

致知出版社 2017-07


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 (1)『致知』2017年7月号の特集は「師と弟子」である。法然と親鸞、如浄と道元、細井平洲と上杉鷹山、賀茂真淵と本居宣長、佐久間象山と吉田松陰といった師弟関係が紹介されている。私の師匠はと言うと、残念ながら私は人間が浅いため、心の底から付き従おうと思えるようなリアルの師匠はいない。私が勝手に師と仰いでいるのはピーター・ドラッカーだけである。ドラッカーのように、歴史に関する深い造詣を持ち、経済、政治、社会、文化などを巨視的に眺めながら、企業や非営利組織のマネジメントを人間中心に解りやすく論じることが私の目標である。

 中小企業診断士の世界にはすごい人はいないのかと聞かれそうだが、これもまた残念ながら否と答えるしかない。「この人は非常に優秀である」という評判はほとんど聞かない。「あいつは仕事ができない」、「仕事の前に人間としてなっていない」といった悪評ばかりが私のところに集まってくる。吉川英治の「我以外皆我が師」という言葉を知って以来、私はどんな診断士からも何かしらを学ぼうと努めているものの、それでもやはり私自身の生来の完璧主義が邪魔をして相手のあら捜しをしてしまい、人間全体として尊敬できる人になかなかめぐり合えない。

 例えば、メールで長文を改行せずに送ってくるだけで、私は「この人は仕事ができないのだろう」と勘ぐってしまう。要点をきちんと整理して、相手に解りやすく伝えるという配慮ができない人だと思ってしまう。また、コンサルタントは文書が唯一の成果物であるのにもかかわらず、WordやExcel、Powerpointを使いこなせない診断士が多すぎる。私は、WordやPowerpointで、半角と全角の数字やカッコが混在しているだけでも許せない人間である。文書が上手に作成できない分を、しゃべりでごまかそうとする人も多い。そういう人の話はたいてい論理的にまとまりがなく、「それから・・・」、「あと1つ・・・」、「そういえば・・・」といった具合に、思いつきでどんどんと話が長くなっていく傾向がある。「診断士は時にしゃべりではったりをかますことも必要だ」と堂々と言う人もいるぐらいだから、困ったものである(身内の批判はこのくらいにしておこう)。

 (2)
 童門:松下村塾は松陰の叔父である久保五郎左衛門が経営していた頃は、読み書き算盤を教える実用塾でした。(中略)ところが、久保からこの塾を譲り受けた松陰は読み書き算盤など全く教えない。それよりも「目を開けて世間をよく見よう。毎日起こっている出来事をきちんと受け止めよう。その出来事と政治の関わり合いを深く考えよう」と説くんですね。(中略)松下村塾を就職斡旋学校と思っていた親からすれば、政治大学校になったのですから、泡喰っちゃった。松陰は危険な思想家だというので弟子を遠ざけてしまったことも確かです。この頃の松陰にとって弟子たちは、何かを教える相手ではなく、共に学び、共に行動する学友だったんです。
(童門冬二、中西輝政「歴史に学ぶ師と弟子の系譜」)
 私は本ブログで何度か、日本の多重社会構造を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」というラフなスケッチで書いてきた。階層社会であるから、上の階層は自らが欲するものを下の階層に命じて提出させる。この考え方に従うと、私が「企業/NPO⇒学校」と書いている部分には、「企業やNPOが欲している実務的な人材を学校が教育して供給せよ」という意味が込められていると思われるかもしれない。

 しかし、私は決してそうとは考えていない。むしろ、学校はいかに「今すぐには役に立たないこと」を教えられるかが重要である。最近は大学への進学率が高まり、大学間で生徒の取り合いが激化しているため、他の大学と差別化するために就職・進路相談に力を入れ、就職率の高さを売りにしている大学が増えている。これは危険信号である。「今すぐに役立つこと」を教育するのは、大学よりも、学習と実践が密接にリンクしている企業やNPOの方が長けている。大学が企業やNPOと同じフィールドで勝負しても勝ち目はない。大学は、企業やNPOにはできない教育をするべきである。繰り返しになるが、「今すぐには役に立たないが、将来ひょっとしたら役に立つかもしれない知識」を教えることが大学の役目である。短期的な実用性とはかけ離れた知識をどれだけ教育・研究しているかが、大学の成熟度、さらにはその国の成熟度を表していると思う。

 そういう意味で、大学が教える一般教養(リベラルアーツ)は非常に重要である。一般教養は、企業やNPOに入りたての頃は全く役に立たない。むしろ邪魔ですらある。ところが、組織に入って何十年か経ち、人の上に立って組織をマネジメントするようになると、一般教養が必要になってくる。組織は社会の一市民として役割を全うする存在であるから、社会や倫理に関する深い理解が求められる。また、部下を動かしたり、顧客をはじめとする様々なステークホルダーと協力したりするためには、人間を洞察することも必要である。さらに、リーダーシップを発揮するには、自分の軸をはっきりとさせる必要があり、自分とは何者かという問いに答えなければならない。つまり、哲学的に思考しなければならない。そして、こうした社会観、倫理観、人間観、哲学的思考を支える大きな流れとして、歴史観を持つことも不可欠である。

 昔の経営者の文章と現在の経営者の文章を比較すると、一般教養の点で大きな差があるように感じられてならない。昔の経営者は、大きな世界観を持ち、歴史に学び、政治、経済、社会を大局的にとらえる視点を持っていた。その上で、崇高な社会的使命を掲げ、その使命を何としてでも達成するために、人をどのように育て、活かすかということに心を砕いていた。一方、現在の経営者は、経営コンサルタントがアメリカから持ち込んだ概念やフレームワークを使って語っているだけである。いや、概念やフレームワークに使われているのは経営者の方である。だから、文章を読んでいても迫力に欠ける。こういう経営者たちが、自分の在任中だけは何事もなく会社を経営しようと考えた結果、現在多くの日本企業が苦境に陥っているのではないかと思う。

 以上のような「企業/NPO⇒学校」の関係を、今度は「市場/社会⇒企業/NPO」にあてはめると、次のようなことが言えるのではないかと思う。通常、市場や社会は企業やNPOに対して、今抱えている経済的/社会的ニーズを充足する製品・サービスを提供することを要求する。企業/NPOはそのニーズを汲み取って、市場/社会に対して製品・サービスを提供する。しかし、これだけの関係では実は不十分であって、企業/NPOは「今すぐには役に立たないかもしれないが、将来ひょっとすると役に立つかもしれない」という付加価値をつけて製品・サービスを提供するのが望ましいのではないだろうか?
 山本:越後さん(※伊藤忠商事中興の祖と言われる越正一のこと)も快諾してくださったのですぐに向かったところ、トラック業界が求めている物とうちの商品ではかなりニーズに違いがあるということで、商談は成立しませんでした。後日、そのことを越後さんに報告に伺ったところ、「おまえ、それで帰ってきたんか。そんなもん、相手のニーズが合おうがどうかなんて関係あるかい。あんたがうちの商品をどう使うか考えてでも買えと言うてこい」って、もう一回行かされたんです。
(山本富造「教えずして教える 経営の師・越後正一の流儀」)
 これは極端で異質な例だが、私が言いたいのは、単に相手の短期的なニーズに合った製品・サービスを提供するのではなく、長期的・大局的な視点に立って、顧客がいつか気づくであろうニーズを先取りしておき、将来的に顧客がその機能の価値を認めて使ってくれることを期待して販売するべきではないか、ということである。これは、現代の大量生産・大量消費に対するアンチテーゼである。なぜなら、昔の陶磁器のように「使えば使うほど味が出てくる」ような製品・サービスを作るすることを意味するからである。耐久財の場合、製品の寿命を意図的に短くする計画的陳腐化ではなく、少なくとも製品の寿命を延ばすことが必要である。消費財の場合は、長期間使用・摂取することが顧客にとっての価値増大になるような製品設計をしなければならない。

 残念ながら、今の私にはこれといった具体的な方策がない。このような付加価値を実現する製品・サービス開発とは一体どのようなものなのか、今後の研究課題としたい。ただ1点、気をつけなければならないのは、将来ひょっとしたら役に立つかもしれない機能をつけ加えるべきだと言うと、日本企業ではすぐに技術者が競い合って、あれもこれもと機能を追加し、非常に使い勝手の悪い製品・サービスを作り上げてしまう。結果的に、そういう製品・サービスはすぐに顧客に捨てられる。これでは私が目指す企業と顧客の関係にはならない。こういう罠を避けながら、昔の陶磁器のような製品・サービスをどう開発すればよいのか、引き続き考察していきたい。

 (3)
 牧野:1日、2日でできるものじゃありませんからね。毎日仕事もしっかりこなしながら、睡眠時間を2、3時間くらいまで削って、大体40日間くらいかけて(※コンテストに出すケーキを)つくり上げていくわけでしょう。やっとできあがっても一瞬でバーン(※と比屋根会長に壊されるもの)だから、「ええっ!」と(笑)。私も若い頃はショックでした。
(比屋根毅、牧野眞一「我ら菓子づくりの道を極めん」)
 (※西田)王堂先生は日本春秋書芸院の総裁を務められ、当時全国の小中学校の習字の教科書をお一人で書かれるほど大変高名な方でした。(中略)「書に向かうことは、自分と対決することだ。上手でも下手でも、書の気持ちになって書け。余念を挟まず、上手に書こうとするな」これは先生がよくおっしゃっていました。それにお弟子さんが書かれた字を見て、すごい剣幕で「こんなのは字ではない。わしはそんなものを教えたことはない」と、バーンとおっ返されることも度々ありましたね。
(菅谷藍「本気になるから伝わるものがある」)
 上司が部下の成果物をバーンと壊すと、最近はすぐにパワハラだなどと騒がれるから、難しい世の中になってしまったものである。私は前職でコンサルティング&教育研修のベンチャー企業にいて、色々な大手コンサルティングファームの職場の話を聞いたが、たいていどのコンサルティングファームでも、マネジャーが若いコンサルタントの作成したPowerpointの資料を目の前で破り捨てるという事件が発生していた。ただ、部下の成果物を破り捨ててもなお尊敬されるマネジャーというのはいるもので、部下の成果物を破り捨てたがゆえに信頼関係が崩壊してしまうマネジャーとの間には何かしらの差があるようである。

 端的に言えば、部下のためを思って成果物を破り捨てるのか、ただただ自分の怒りに任せて成果物を破り捨てるのか、という違いである。部下のためを思って成果物を破り捨てるマネジャーは、その後のフォローもしっかりとしている。部下を飲みに誘って心理的なケアをし、どういうふうに仕事をすればよいのか具体的にアドバイスを与える。部下がやり直しで作成した成果物を、今度はじっくりと時間をかけて添削する。成果物の品質が要求水準を満たしたら、ご苦労様とねぎらう。こういうことが自然にできるマネジャーが望ましい。(1)とも関連するが、人間の感情の機微に敏感で、人間観を持って部下に接することのできるマネジャーがやはり尊敬される。

 稲盛和夫氏は、昔から役員の仕事をくそみそにこき下ろすことがあるらしい。それでも自分について来てくれる役員には感謝していた。ある時、稲盛氏は役員に対して、「何でいつも滅茶苦茶に叱っているのに自分について来てくれるのか?」と尋ねた。すると、役員は「どんなに怒られても、最後は稲盛さんが『ありがとう』と言ってくれるからです」と答えたそうである。もちろん、稲盛氏とそりが合わなくて辞めた役員も少なくないだろうが、稲盛氏が人間観を持って人間を大切にしたからこそ、経営チームが機能し、複数の企業で大きな成果を上げられたのだと思う。

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