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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

Experian海外企業信用調査 海外企業信用調査(Experian)
(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

【中小企業診断士は独学で取れる】中小企業診断士に独学で合格するなら「資格スクエア」中小企業診断士の安い通信講座なら「資格スクエア」
(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年08月28日

【ドラッカー書評(再)】『ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか』―「知識を知識に適用する」とはどういうことか?、他


ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるかポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか
P.F. ドラッカー P.F. Drucker

ダイヤモンド社 1993-07

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 ドラッカーの半世紀以上の研究成果が凝縮された1冊。10年ぐらい前に初めて読んだ時は、ドラッカーの政治学、経済学、社会学、経営学のエッセンスが解りやすくまとまっていると感じたのを記憶している。改めて読み返してみると、確かに個々のパーツは文筆家ドラッカーらしく、非常に理解しやすい。世界中の歴史や現在世界で起きている出来事ををこれだけ幅広く記述するさまは圧巻である。ところが、全体を俯瞰してみると、辻褄が合わなかったり、結局何が言いたいのかが伝わりにくいと感じたりする箇所がいくつかあった。

 Q1.「知識を知識に適用する」とはどういうことか?
 ドラッカーによると、「資本主義」は「産業革命」よりも以前から存在したそうだ。しかし、資本主義が「資本主義」として世界の文化となったのは、「産業革命」が契機である。「産業革命」の特徴は、「知識を行為に適用した」ことである。これによって、様々な機械や道具が登場した。また、従来は形式知化できないテクネー(技能)にすぎなかったものが、体系を持ったテクノロジー(技術)に生まれ変わった。機械を効率的に稼働させるためには、機械を個々の家庭内作業所に散在させるのではなく、工場の中に集中させなければならない。こうして「資本主義」が生まれた。

 しかし、ここで新たな問題が生じた。機械は効率的に生産を続けたのに対し、機械を使う人間の作業が非効率であったため、全体の生産性が阻害されていた。ここに登場したのが、フレデリック・テイラーの科学的管理法である。ドラッカーに言わせると、テイラーは「知識を仕事に適用した」。ドラッカーは、テイラーの業績を「生産性革命」と呼ぶ。科学的管理法により、生産性が大幅に向上し、労働者は賃金上昇の恩恵を受けることができた。生産性の向上は、社会の貧富の差を縮小した。パレートの法則で知られるヴィルフレド・パレートは、社会を平等にするのは政府による再分配ではなく、ただ1つ、生産性の向上以外にないと説いたそうである。

 ドラッカーは、現在の知識社会は3つ目の革命の段階を迎えていると言う。それが「マネジメント革命」であり、その特徴は「知識を知識に適用する」ことにある。この「知識を知識に適用する」とは一体何を指しているのかが解りにくい。私なりに解釈すると、「既存の知識から新たな知識を創造する知識を、既存の知識に適用する」ということではないかと思う。その結果生まれるのがイノベーションである。ただ、この「既存の知識から新たな知識を創造する知識」は未だ全く体系化されておらず、個人の独創性に委ねられている。以前の記事「『知性を問う(DHBR2017年5月号)』―AI(人工知能)にできないことは「意識」/マーケティングとイノベーションの二項混合?」で、①否定、②空白地帯の発見、③組み合わせの3つを挙げたが、これはほんのさわりにすぎない。この知識の体系化が、第3の革命の成否を握っていると言えるだろう。

 Q2.組織の文化はコミュニティを超越するのか?
 ドラッカーは組織とコミュニティを分けて考えている。コミュニティは存在することに意義がある「維持機関」であるのに対し、組織は外部に成果が存在する「変革機関」であると言う。組織は、コミュニティと社会への貢献を自らの信念として機能しなければならない。逆に言えば、コミュニティや社会は、組織からの貢献に依存する。しかしここで、ドラッカーは「組織の『文化』はコミュニティを超越しなければならない」と主張する。これがまた非常に解りにくい。

 ドラッカーは決してコミュニティを軽視してはいない。社会は家族以外のコミュニティを必要としている。アメリカでは、多くの知識労働者が非営利組織でボランティアとして働くことでコミュニティに貢献している。彼らは、「世の中を変える」ことのできるところで何かをしたいという欲求を有する。今や、非営利組織がサービスの受け手に何を提供できるかよりも、ボランティアに何をすることができるかの方が、はるかに重要な意味を持つかもしれないとドラッカーは指摘する。

 この辺りから議論がもうごちゃごちゃしてきているのだが、仮に非営利組織が顧客ではなくボランティアのために存在することがあるならば、組織の文化がコミュニティを超越することもあるだろう。しかし、ドラッカーも言っていたではないか?非営利組織でも、成果は内部ではなく外部にある、と。私はいくつかの非営利組織に属しているが、非営利組織の顧客ではなく、組織に所属する会員の満足度を優先する組織は、例外なく大した成果を上げることができていない。

 ドラッカーが組織と社会やコミュニティの関係をどのようにとらえているのかは不明なのだが、私が本ブログでよく用いている日本社会の階層構造「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」(これはかなりラフなスケッチである点はご容赦いただきたい)に従うと、企業は市場の経済的ニーズに、NPOは社会(やコミュニティ)の社会的ニーズに応えるという関係になる。企業が市場に従属する、つまり顧客の利益を優先するのは自明であるし、NPOも社会やコミュニティに従属するのであって、社会やコミュニティの利益を優先しなければならない。したがって、組織の文化がコミュニティを超越するとは言いがたい。もし、組織の文化がコミュニティを超越するのであれば、いわゆるプロダクトアウト的な発想に陥ってしまう。

 Q3.知識労働者は自己実現の機会で動機づけするのか?
 ドラッカは、知識労働者から忠誠心を引き出す方法について述べている。給与はその手段としてもはや重要ではない。知識労働者に対しては、業績と自己実現のための卓越した機会を提供することが必要になると述べている。ただ、私は以前の記事「【議論】人材マネジメントをめぐる10の論点」で述べたように、企業が社員の動機づけをしなければならないということに対して、あまり肯定的な考えを持っていない。顧客と企業の関係において、お金を支払う側の顧客が企業の動機づけを行うことがないのと同様に、企業の内部において、給与を支払う側の経営陣が社員の動機づけを行うのはおかしいというのがその理由である。

 それでも経営陣が社員を動機づけなければならないのは、社員は簡単に入れ替えられないからである。顧客は企業の製品や態度が気に食わなければ、別の企業に乗り換えればよい。しかし、企業は社員が気に食わないという理由で簡単に社員の首をすげ替えることができない。解雇規制があるからではなく、要件を満たす人材を調達するのにコストがかかるためである。だから、企業は今いる社員を動機づけし、教育訓練も行って、リテンションに努めなければならない。

 ただ、この考え方も、ドラッカーの言う知識労働者の概念に照らし合わせると崩れてしまうように思える。ドラッカーが言う知識労働者とは、特定の目的と専門特化した知識を持ち、仕事に関する重要な意思決定を下し、自らを規律する存在である。ドラッカーは知識労働者のことを「経営管理者(エグゼクティブ)」と呼ぶ。つまり、知識労働者は経営者なのである。さらに、知識労働者は、確かに自らが成果を上げるために組織を必要とするが、自身の専門性ゆえに、簡単に組織を移動することができる。流動性が高い経営者を企業側が果たして動機づけする必要があるのか、個人的にはやや疑問である。動機の管理は、知識労働者本人の責任ではないか?

 これに対して日本の場合は、長期雇用の慣行がかなり崩れてきているとはいえ、1つの組織で一生とまではいかなくとも、長く働くことがまだまだ前提となっている。よって、企業は社員を動機づけしなければならない。その際、日本人の特性を踏まえると、「外発的×利他的」な動機づけが有効なのではないかと以前の記事「『艱難汝を玉にす(『致知』2017年3月号)』―日本人を動機づけるのは実は「外発的×利他的」な動機ではないか?」で書いた。端的に言うと、「困っている人がいるから助ける」というのが日本人の動機の源泉である。この話には続きがあって、最初は「外発的×利他的」に動機づけられる日本人は、時間が経つにつれて「外発的×利己的」に動機づけられるようになると思う。つまり、社会が付与する地位や名誉によって動機づけられる。社会的に承認されることを日本人は強く欲している。

 一方、自分で自分の動機を管理しなければならないアメリカ人の場合は、「内発的×利己的」からスタートする。自己実現の欲求はまさにこれに該当する。しかし、自分中心で動いていたアメリカ人も、時間が経つと考え方が変わる。つまり、「内発×利他的」に変化する。今までは自分のために仕事をしてきたが、これからは社会のため、もっと言えば世界のために仕事をしようと思うようになる。アメリカからは多数の世界的なイノベーターが輩出されているが、彼らの動機を分析するとこのパターンに該当するのではないかというのが私の考えである。

 Q4.専門経営者の役割は利害関係者の利益の均衡を図ることなのか?
 ドラッカーの主張は、企業の社会的責任をめぐっても錯綜しているように見える。1950年代には、大企業の経営管理者は、株主、社員、供給業者、地域社会といった利害関係者の間で最も均衡ある利益を実現する者と定義された。ドラッカーは著書『現代の経営』の中で、こうした博愛専制に対して批判を行った。その後、経営者の責任は「株主の利益を最大化すること」という考えが現れたがすぐさま消滅し、結局は、多様な利害関係者における最も均衡ある利益を実現することであるという考えに落ち着いた。実は、ドラッカーはこの結論を支持している。しかし、ドラッカーは、「均衡ある利益」とは何かを明確にしていない。それに、この見解に従うと、「組織は1つの目的に集中しなければならない」というドラッカーの別の主張と衝突してしまう。

 唯一絶対の神を戴く一神教文化のアメリカでは、組織が自らの使命を明確に定め、それを果たすことを神と契約する。組織にはその契約を履行する能力が完璧に備わっているとされる。一方、多神教文化に生きる日本では、あらゆる存在が多様であると同時に不完全である。自己が何者であるかは、アメリカ人のように教会で神に祈るだけでは悟ることができない。自分のアイデンティティを探るために最も有効なのは、自分とは異なる点を有する他者と交わることである。月並みな言葉であるが、学習は異質との出会いから始まる。だから私は、日本の企業に対して、水平方向には「コラボレーション」を、垂直方向には「下剋上」や「下問」を期待している(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。

 「コラボレーション」、「下剋上」、「下問」によって、企業は競合他社や協力企業およびその顧客、非営利組織およびその顧客である社会やコミュニティ、政府、行政、仕入先、学校、家庭、金融機関、株主と幅広く関わる。そして、彼らの目的の達成を支援する。ただし、こうした支援はあくまでも、自社が何者であるかを知るための活動であり、支援自体が目的と化してはならない。企業の本質は、自社の顧客に仕えることに他ならない。この優先順位を見誤ってはいけない。企業の社会的責任とは、自社の顧客の利益を最優先する範囲で果たされるものである。前述の「均衡ある利益」という考えに従うと、ある局面では自社の顧客ではなく、別の利害関係者の利益が最優先される可能性がある。しかし、日本の場合はそういうことがあっては絶対にならない。

 Q5.企業は政治権力を求めてはならないのか?
 ドラッカーは、組織には政治を扱う能力や正当性はないと言う。組織が政治権力を求めることほど、害をもたらすことはないと警告している。ただ、このくだりは注意して読む必要があると感じた。一般に、企業は政治から距離をとっていた方がクリーンなイメージがある。市場における自由競争の枠内で正々堂々と勝負している印象を与える。しかし、これからの知識社会、知識経済においては、企業はますます政治と関わる局面が増えると思う。

 以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」で用いたマトリクス図に従うと、アメリカ企業は左上の【象限③】に強い。【象限③】はイノベーションの領域であり、既存の製品・サービスを前提として作られた既存の規制や法律と真っ向から対立することがある(UberやAirbnbの例が解りやすい)。イノベーターは新しい顧客価値のために、規制や法律と対決しなければならない。ただし、闇雲に対決するだけでは進歩がないから、イノベーターは新しい規制や法律を創造するべく、政治や行政と歩調を合わせ、建設的な議論をする必要性も生じる。

 日本が強い右下の【象限②】は、製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に与える影響が大きいため、様々な法律や規制で顧客を保護する措置が取られている。この領域において新たな製品・サービスを作る場合には、それが法律や規制にのっとっているかどうかを行政とともにチェックしなければならない。そして、技術革新が既存の法律や規制を陳腐化する場合には、政治に働きかけて新しい法律や規制を作ってもらう必要がある。

 このように、企業は政治や行政とは無縁ではいられなくなる。ただし、誤解してはならないのは、企業が政治や行政に接近するのは、自社の利益を保護するためではなく、顧客の利益を優先するためだということである(森友学園や加計学園の問題は論外である)。興味深いことに、20世紀には戦略策定の分野において様々なフレームワークが登場したが、政治を正面から扱っているフレームワークはほとんど皆無である。唯一挙げられるとすればPEST分析があるが、PEST分析もP=政治の動きに対して受動的に反応することを前提としている。しかし、これからの時代は、政治に対しても能動的に働きかけることが企業活動の重要な一部となる。政治と戦略的に関わる方法論を持ち、政治との関係を構築する専門部署の設立が必須となるはずだ。


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