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『致知』2018年10月号『人生の法則』―「夢や希望」がある人と「志がある人」では「八観六験」の結果がこんなに違う
『致知』2018年9月号『内発力』―日本人が「外発性」を活用するための「内発力」が弱っている
『致知』2018年8月号『変革する』―「1年も持たない製品・サービス」よりも「10~15年かけて完成させる製品・サービス」を

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)


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2018年09月10日

『致知』2018年10月号『人生の法則』―「夢や希望」がある人と「志がある人」では「八観六験」の結果がこんなに違う


致知2018年10月号人生の法則 致知2018年10月号

致知出版社 2018-09


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 私が前職の組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供するベンチャー企業に勤めていた頃、以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第1回)】経営ビジョンのない思い入れなき経営」で書いたように、当時の経営陣(皆、大手コンサルティングファームでパートナー〔共同経営者〕にまで上り詰めた人である)は、あろうことか自社のビジョンの策定を外部のコンサル会社に丸投げしていた。でき上がった成果物はコンサル会社らしく、何十ページにも及ぶ細かいレポートであったものの、ビジョンがそんな長ったらしいものでは社員に浸透するはずもなく、外部のコンサル会社に支払った大金は無駄金になってしまった。

 さすがにこのままでは社員が皆バラバラになってしまうと感じた一部の社員は、自力でビジョンの策定に乗り出し、私もメンバーの一員に入らせてもらった。だが、マネジャーからは、「ビジョンがあったところで何になるのか?」、「今のところ仕事がそれなりに回っているのだから(実際には回っていなかったのだが)、ビジョンなど必要ない」などと猛反発を食らってしまった。

 確かに、私は以前、「果たして日本企業に「明確なビジョン」は必要なのだろうか?(1)(2)」という記事を書いたことがある。ただ、これは、内発的に創造されたイノベーションを全世界に普及させて莫大な富を生み出そうとする自己実現的な考え方に染まった一部のアメリカ人イノベーターには明確なビジョンが必要だと言ったまでのことであって、日本企業はビジョンを掲げなくても全く問題ないなどとは一言も言っていない。

 ビジョンとは、事業の将来イメージである。顧客は自社の製品・サービスをどのような気持ちで使用し、どんな幸福を手に入れるのか、顧客に奉仕する社員はどのような働きぶりをしているのか、自社と協業するパートナーや取引先とはどんな関係を構築しているのか、こうした点について、おぼろげながらも言葉にしておくことが重要である。考え方も価値観もバラバラな社員が同じ方向性に向かって大きな仕事をやり遂げる際に、ビジョンはそのよりどころとなる。現に、ビジョンがある企業は、ビジョンがない企業よりも平均で4倍業績が高いというデータもある。

 仮にも組織・人事コンサルティングのサービスを手がけている企業でありながら、こういった点に対して上層部が全くの無理解であることには驚きを隠せなかった。それでも何とかマネジャーたちを説得して、オフィスの一角に大きなホワイトボードを設置し、そこに経営陣や社員が思い描くそれぞれのビジョンを書き出してみようということで話がまとまった。我々の活動に賛同してくれた社員がポツポツとビジョンを書いてくれたのだが、ある時、グループ会社の社長が「1,000億円の寄付をする」というビジョン(?)を書き込んだ瞬間、その内容に他の社員が引いてしまったのか、書き込みがパタリと止まってしまった。

 この社長は、前職の大手コンサルティングファームに所属していた時にストックオプションを付与されており、同社の上場に伴ってそれなりの資産を手にしたらしい。噂によると10億円単位の収入があったという。それを元手にして自社のビジネスを大きくし、1,000億円の寄付をするというアイデアを思いついたのかもしれない。だが、これはその社長の個人的な夢であって、先ほど述べたビジョンとは性質が全く異なる。結局、この一件があってから、自社のビジョンをまとめるという我々の作業は頓挫してしまった。この会社はどこまで行っても皆がまとまらず、個人事業主の集まりのようなものなのだとひどく落胆したものである。

 そういえば、前職の企業の経営企画部長は、実は社員ではなく、個人事業主であった。彼だけ他の社員と違って出勤時間も休日の取り方も異なるので、私は不可解に思っていた。ある時、彼の名前をネットで調べたところ、実は既に個人事業主として独立しており、前職の企業とは業務委託契約ベースで仕事をしていたことが判明した。経営企画という、戦略の中枢ですら外部に丸投げしてしまうのだから、会社が1つにまとまるなどというのは夢のまた夢であった。

 以前の記事「【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因」でも書いたように、本号には「夢や目標はあるけれど、志はあるのか」(河村京子「言い続け、思い続け、やり続ければ、夢は必ず実現する」)という言葉があった。夢や目標というのは、例えば「高級な家に住みたい」、「ベンツに乗りたい」などといった利己的なものである。他方、志とは、人々を幸せにしたい、この世界をもっと住みよい場所にしたいといった利他的なものである。

 先ほどのグループ会社の社長の「1,000億円の寄付をする」という宣言は、どのような利他的な事業を行って1,000億円以上の利益を獲得し、社会に還元するのかという観点がすっぽりと抜けており、単に自分が1,000億円寄付したいという願望を表したものにすぎないから、利己的な夢や目標である。ただし、そう批判する私も、前掲の記事で書いたように、前職の企業にいた頃は「30歳でマネジャーになって年収1,000万円を稼ぎたい」と思い、それが叶わずに独立した時には「35歳には年収1,000万円を達成する」と思っていたのだから、利己的な夢や目標を掲げていたという点では同じである。むしろ、グループ会社の社長に比べると夢や目標がしょぼすぎて、スケールが小さい人間だと逆に非難されてもおかしくない。だから、今度私が独立診断士に再挑戦する時は、利他的な志を真剣に、慎重に設定しなければならないと思っている。

 本号では、陽明学者の安岡正篤が好んで引用していた「八観六験」が紹介されていた(安岡正泰、荒井桂「後世に語り継ぎたい」)。元々は中国の戦国時代に編集された『呂氏春秋』に記されているものであり、人間を八つの面から観察し、六種の方法で試し、その品格を見極める方法である。私は、「夢や目標がある人」と「志がある人」では、「八観六験」のそれぞれの方法に対する答えが次のように異なるのではないかと考える。

 【八観】
 ①通ずれば其の礼する所を観る。
 (順調に物事が進んでいる時、何を礼するかを観察する)

 【夢や目標がある人】結果ばかりに気を取られているため、プロセスを気にしない。多少プロセスから外れていても、結果が出ているのだからいいではないかと開き直る。
 【志がある人】その成果が適切なプロセスにのっとったものであるかどうかを厳しく検証する。組織として守るべき手順が守られていない場合には成果を評価しない。まして、組織の価値観から外れたやり方で成果を上げた場合には、絶対にそれを認めない。

 ②貴(たか)ければ其の進むる所を観る。
 (出世して、どういう人間を尊ぶかを観察する)

 【夢や目標がある人】自分と同じように、自分の努力で、腕一本で成功したことを自慢する人たちを尊敬する。派手好きで、高い社交性を持った人と交わる。
 【志がある人】自分の成功は、自分よりも優秀な人材を活用することでもたらされたことに感謝する人たちを尊敬する。素朴で、謙虚な人と交わる。

 ③富めば其の養ふ所を観る。
 (金ができ、何を養うかを観察する)

 【夢や目標がある人】まずは自分自身を養う。余りが出れば、慈善活動にお金を回す。
 【志がある人】まずは顧客に還元し、顧客に感謝する。次に社員に還元し、社員の豊かな生活を支援する。次に取引先に還元し、取引先の努力に報いる。次に株主に還元し、株主の元手のおかげで事業を大きくできたことに謝意を示す。自分に還元するのは最後である。

 ④聴けば其の行ふ所を観る。
 (よいことを聞いて、それを実行するかを観察する)

 【夢や目標がある人】自分にとって都合のいいことを取捨選択する(選択バイアス)。
 【志がある人】自分にとって耳が痛いことであっても、その意味するところを深く考え、自分の今までの考えが誤っていなかったかどうかを反省し、改めるべきところは改める。

 ⑤止(いた)むれば其の好む所を観る。
 (仕事が板についた時、何を好むかを観察する)

 【夢や目標がある人】業務を効率化し、どうすればもっと楽に儲けられるかを考える。
 【志がある人】顧客価値を見直し、どうすればもっと顧客に満足してもらえるかを考える。

 ⑥習へば其の言ふ所を観る。
 (習熟すれば、その人物の言うところを観察する)

 【夢や目標がある人】他人から学んだことを、さも自分の考えであるかのように語る。
 【志がある人】他人から学んだことを自分なりに咀嚼し、自分自身の言葉で語る。

 ⑦窮すれば其の受けざる所を観る。
 (困った時、何を受けないかを観察する)

 【夢や目標がある人】困っている以上、手段を選ばずに何でも仕事を引き受ける。
 【志がある人】価値観や倫理に反すること、人間として正しくないことには手を出さない。

 ⑧賎なれば其の為さざる所を観る。
 (落ちぶれた時、何を為さないかを観察する)

 【夢や目標がある人】落ちぶれた原因を周りの環境のせいにし、自分では反省しない。
 【志がある人】落ちぶれた原因を自分自身に求め、周りの環境のせいにしない。

 【六験】
 ①之を喜ばしめて以て其の守(外してはならない大事なことを守れるか)を験す。
 【夢や目標がある人】お金になるなら何でもよいと言ってどんな仕事にも飛びつく。
 【志がある人】たとえお金になるとしても、価値観や倫理に反する仕事は断る。

 ②之を楽しましめて以て其の僻(人間的かたより)を験す。
 【夢や目標がある人】すぐに浪費、享楽に走る。酒による失敗をしでかしやすい。
 【志がある人】趣味、娯楽はほどほどにする。人づき合いやお酒も節度を守る。

 ③之を怒らしめて以て其の節(節度)を験す。
 【夢や目標がある人】過度に感情的になり、相手の人格を否定するほど激しく攻撃する。
 【志がある人】相手の怒りの根を分析し、対立の原因を探って、対話のテーブルにつく。

 ④之を懼れしめて以て其の持(独立性、自主性)を験す。
 【夢や目標がある人】恐怖にうろたえて、普段は社員などのことを大してあてにしていないくせに、困った時だけは社員に問題の解決を丸投げする。
 【志がある人】普段は社員の能力を活用するよう努力しているが、大きな問題が起きた時は社員任せにせず、自分自身の軸をしっかりと持って、問題解決を先導する。

 ⑤之を哀しましめて以て其の人(人柄)を験す。
 【夢や目標がある人】自分の能力に対する自信が強いが、所詮空元気であり、失敗や悲しみに対しては脆く、自分の利己的な目標が達成できないと解ると自暴自棄になる。
 【志がある人】たとえ失敗や悲しいことがあっても、自分には奉仕すべき他者がいるという強い使命感があり、レジリエンス(再起力)を発揮する。

 ⑥之を苦しましめて以て其の志を験す。
 【夢や目標がある人】(⑤と似ているが、)利己的な目標を持つ人には周囲からのサポートがないため、苦境に陥ると目標が遠のいてしまい、挫折する。
 【志がある人】(⑤と似ているが、)利他的な目標を持つ人のことをちゃんと見てくれている人がおり、彼らが支援を差し伸べてくれる。彼らの力を借り、彼らに感謝しながら苦境を脱する。


2018年08月10日

『致知』2018年9月号『内発力』―日本人が「外発性」を活用するための「内発力」が弱っている


致知2018年9月号内発力 致知2018年9月号

致知出版社 2018-08


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 「内発力」―この言葉は辞書にはない。本誌の造語である。「内発的」なら辞書にある。外からの刺激によらず、内からの欲求によって起きるさま、と説明されている。内からの欲求によって湧き出す力。これを称して内発力という。
 だが、私は内発力のみによって自分を駆り立てることができる人間は、特に日本人の場合は少ないのではないかと考えている。内発力だけで動くことが可能なのは、アメリカの一部のイノベーターである。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で示したマトリクス図で言うと、左上の<象限③>は「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoCの場合)・事業(BtoBの場合)に与えるリスクが小さい」という領域が該当する。必需品ではないから、新たに需要を創造するイノベーションである。また、まだ市場も顧客も存在していないので、伝統的なマーケティングリサーチは役に立たない。

 そこで、イノベーターは次のように考える。「自分ならこういう製品・サービスがほしい。自分がこれだけほしがっているということは、世界中の人々も同じようにほしがっているはずだ」。そして、自分のアイデアをベンチャーキャピタルに売り込み、多額の資金を調達して、全世界に向けて自分が考案したイノベーションを大々的にプロモーションする。イノベーターの読み通り、実際にそのイノベーションが世界中で受け入れられたとしよう。もっとも、必需品ではないから、全世界の人口70億人がそれを購入するわけではない。しかし、その人口のわずか数%でも購入してくれれば、イノベーションとしては大成功である。そして、イノベーターは巨万の富を手にし、後は自分の企業をGoogleなどに売却して、悠々自適のセカンドキャリアを過ごす。

 彼らの動機は内発的である。だが問題は、内発的であると同時に利己的であることだ。もちろん、世界に貢献したいという利他心も一部にはあるだろう。しかし、それよりも、イノベーションで一山当てたいという利己心の方が勝っているように私には思える。こういうイノベーションは、<象限③>の領域を出ることはない。そして、<象限③>のイノベーションは寿命が短く、顧客に飽きられればすぐに売上高や利益が減少する(イノベーターはそれを見越しているので、早々に自分の企業を売却してキャピタルゲインを獲得する)。

 ただし、中には<象限③>から出発して、<象限①>や<象限②>に移動する、つまり、人々の必需品となるイノベーションもある(<象限②>に移動するのは、イノベーションが多くの顧客に売れるに従って顧客の要求水準が上がり、高い品質が求められるようになる場合である)。これは私の仮説だが、こういう移動をするイノベーションに限っては、イノベーターが利己心中心ではなく、利他心中心で動いているのではないかと考える。ただ、いずれにせよ、アメリカのイノベーターの大多数は、内発的である。アメリカ人が、キリスト教はよいものだと信じて全世界中に布教させようとしたり、自由・平等・基本的人権・民主主義・資本主義などが普遍的価値だと言って世界中の国を改変しようとしたりしているのを見るにつけ、余計にそう感じる。

 だが、アメリカ人の中にも、外発性を重視する人はいる。例えば、キャリア開発の研究で有名なエドガー・シャインは、キャリア・アンカーという個人の価値観のタイプを明らかにし、それを軸に生きることを提案したが、同時に、自分を取り巻く組織や事業の環境の現状や、将来予測される変化をとらえて、自分に期待される役割を想定し、価値観とバランスを取りながらキャリアビジョンを描くべきだと主張している。つまり、内発的であると同時に外発的でもあるわけだ。

 日本の一部のキャリアコンサルタントは、シャインの後半の主張を無視して、ひたすら自分の内なる声に従って生きればよいなどと主張する。私の前職のベンチャー企業ではキャリア開発研修も取り扱っていたが、キャリア開発研修の講師も同じことを言っていて、マインドマップで自由に夢を描きましょうなどと呑気なことを教えていた。こうした考えに深刻な欠陥があることは、以前の記事「横山哲夫編著『キャリア開発/キャリア・カウンセリング』―今までが組織重視だったからと言っていきなり個に振り子を振り過ぎ」で書いた。

 日本人の場合、内発性よりも外発性の方が先行するというのが私の考えである。前掲の記事で書いたマトリクス図において、日本企業は右下の<象限②>に強い。<象限②>は、「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という領域である。まず、必需品であるから、顧客の声に真摯に耳を傾けなければならない。さらに、品質に対する要求水準が高いため、それに応えるべく相当な企業努力が求められる。この点で、<象限②>で事業を行う企業は外発的に活動している。外発的というと、外部からの変化に対して、受動的に、またややもすると嫌々ながら対応している印象を与えるかもしれない。だが、日本企業は外部からの変化を受ければ、それに対して非常に真摯に向き合い、他者に貢献しようという強い利他心を持っている。これがアメリカのイノベーターとの決定的な違いである。

 日本人が外発的に動くことが多いことを一番よく理解していたのは、実はオーストリア生まれのピーター・ドラッカーなのではないかと思う。ドラッカーは、「変化を予測することは難しい。だが、変化を利用することはできる」とよく述べていた。ドラッカーの著書『イノベーションと起業家精神』には、イノベーションの機会として7つが挙げられているが、実はどれも環境変化が起こってからの対応である。「マネジメントはなぜ変化が起こったのか、その理由を分析する必要はない。分析は研究家の仕事である。マネジメントに必要なのは既に起きた変化の波に乗ることである」とまで述べている。こういうスタンスなので、ドラッカーの著書は、人口あたりの売上で見ると、アメリカよりも日本の方が上回っていたのだろう(ただ、後年の著書には「チェンジ・リーダーは自ら変化を起こすべし」という主張も見られ、私は若干混乱しているのだが)。

 《参考記事》
 【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―ドラッカーの「7つの機会」メモ書き
 【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―変化を活かすのか?変化を創るのか?
 【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(下)』―イノベーションの保守思想

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)
P.F.ドラッカー 上田 淳生

ダイヤモンド社 2007-03-09

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 歴史を振り返ってみると、日本は外圧によって変化の必要性に目覚め、そこから一気に国家を作り直すということを何度も繰り返している。今年は明治維新から150年の節目にあたるが、明治維新はその典型だろう。また、戦後の日本も、アメリカからの外圧によって奇跡的な復活を遂げた。古代に目を向ければ、日本は常に中国からの影響を受けていた。私は、中国人が朝鮮人を通じて日本に漢字を伝えた理由が未だによく解らないのだが、1つの仮説を立てている。当時の日本には文字がなかった。一方、中国は自国が世界の中心だと思っている国である。そこで、日本に漢字を持ち込めば、日本を中国中心の世界に組み込めると考えたのではないか、という仮説である。漢字を学んだ日本人は、中国が親切心で漢字を教えてくれたわけではないことを感じ取ったのかもしれない。逆に中国の脅威を感じた当時の朝廷は、急いで中国の政治制度を学び、日本を中国並みの国家にすることで我が身を防衛したのではないだろうか?

 もちろん、日本はいつでも外発性を自分にとって有利に活用できたわけではない。日本人は、外圧によって右往左往することも多い。本号の「【第11回】時流を読む 多極化が進む世界で、日本がまず守るべきは国益である。国益を忘れて世界に翻弄されてきた近現代日本の悪しき教訓に学べ」(中西輝政)という記事では、いくつか例が紹介されている。

 ①20世紀初頭、日本はイギリスと日英同盟を結んでいた。清で革命が起きると、立憲君主国であるイギリスは当然王朝側を支持すると日本は考えていた。ところが、イギリスは革命家の孫文を支持したので、日本は慌ててしまった。②1936年、日本はソ連に対抗するため、ドイツと日独防共協定を締結した。だが、ドイツは1939年に独ソ不可侵条約を締結し、ソ連と手を結んで日本人を驚かせた。当時の首相・平沼騏一郎は、「欧州情勢は複雑怪奇なり」という言葉を残して総辞職した。③独ソ不可侵条約を結んだドイツであったが、1941年にドイツがソ連に侵攻し、条約は破棄された。日本はこの情勢の変化にもついて行くことができなかった。④戦後で言うと、キッシンジャー外交が挙げられる。ソ連と冷戦状態にあったアメリカは、中ソの分断を図るため、突然キッシンジャーを北京に派遣した。そして、1972年、ニクソン大統領が中国を電撃訪問した。これに慌てた田中角栄は、中国との国交を正常化し、台湾との国交を断絶した。

 こうした重大な事案はいくつかあるものの、総じて日本は外発性をきっかけに自己を刷新してきた。そうでなければ、2000年以上も万世一系の天皇を戴とする国家が存続するはずがない。元々中長期的なビジョンを持たず、仏教の教えに従って「今、ここ」という瞬間を大切にする日本人は、外発性によって少なからず動揺する。それでも、日本人にはそれを乗り越えるだけの底力が備わっていると思う。底力という言葉は極めて曖昧だが、私はそのヒントを複雑系の理論に求めることができるのではないかと考えている。以下の記述は、マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』(英治出版、2009年)を参考にしている。同書を読むと、組織を変化させるトリガーは外発的であるものの、変化を加速させるのは内発性であることが解る。この二面性こそが、アメリカのイノベーターには見られない日本人の特徴である。

リーダーシップとニューサイエンスリーダーシップとニューサイエンス
マーガレット・J・ウィートリー 東出顕子

英治出版 2009-02-24

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 ニュートンの機械論的組織観に従うと、組織は要素還元可能な複数の部品から成り立っている。これは、それぞれの部品間には有機的な連携がないことを意味する。組織の中身も、部品が単線的につながっているだけで、部品以外の空間は空っぽである。こういう組織を動かすには、トップが強力なリーダーシップを発揮して、それぞれの部品に働きかける必要がある。

 これに対して、複雑系の理論では、構成要素間に有機的なつながりがあると考える。つまり、要素間の「関係」を重視する。だから、ニュートンのように要素還元することはできない。そして、この有機的につながり合った要素を覆っているのが「場」である。ニュートンが考える組織とは違って、組織は空ではない。組織の場を構成する具体的なものとしては、例えば組織の価値観などがある。そして、このような組織が環境からの変化を受け取ると、その情報は場を媒介として、有機的につながり合った要素に一斉に伝わる。ニュートン的組織では、トップが部品を1個ずつしか動かせないのに対し、複雑系の理論における組織では、場が組織全体を動かす力となって、各要素の有機的連関の間を一瞬にして情報が駆けめぐる。

 物理学では光より早く移動するものは存在するのかが議論になっている。物理学者ジョン・ベルは、「即時的遠隔操作」が起こり得ることを数学的に証明した。詳細はここでは省略せざるを得ないが(『リーダーシップとニューサイエンス』には書かれている)、要するに物質は、光の速度よりも早く移動する影響によって変化しうる。こうした影響が複雑系の理論における組織で作用すると、ある要素の変化は瞬時に他の要素を変化させることになる。どんなに他の要素が遠く離れていても、光よりも早い速度で影響するから、組織全体の変化は一発で起きる。

 しかも面白いことに、それぞれの要素は他の要素から受け取った情報や変化をそのまま反映しない。少しずつ異なる解釈でその情報や変化を受け止める。これは、場を構成する価値観を解釈する方法が要素によって少しずつ違うことが影響しているのだろう。よって、各要素の振る舞いはバラバラになる。すると、組織全体は混乱に陥るのではないかと思われるかもしれない。実際、環境からの変化を受けた諸要素はバラバラに動く。だが、全体としては秩序が取れているという不思議な現象が起きる。これが「決定論カオス」である。これによって、組織は崩壊せずに、新しい秩序へと移行することができる。一般的に、秩序と変化は両立しないと考えられる。ところが、複雑系の理論においては、組織は秩序を保ちながら変化するのである。

 とりわけ、明治維新で起きたのは、こういう現象だったのではないかと私は思う。明治時代は、中央集権的な国家ができ上がった時代だと言われる。しかし、私はそれは一面的な見方にすぎないと考える。むしろ、各地の豪傑が多様性を発揮しながら、新しい国創りを必死に模索した時代である。大隈重信は、政府から渡された大蔵省租税正の辞令を執拗に拒んだ渋沢に対して、「君は八百万の神達、神計り(陰暦10月の神様会議)に計りたまえと言う文句を知っているか。新政府がやろうとしていることは、誰も解らない。我々が八百万の神なのだ。君もその神々の一柱に迎えるのだ」と言って説得した。これこそがこの時代の精神ではないかと感じる。

 近年、日本人が外発性を活かす力が弱くなっている気がする。国際政治では諸外国の動向に振り回されているし、企業はグローバル競争ですっかり消耗している。その疲れが国内に向くと、ちょっとした愚か者をネット上で必要以上に叩く風習ができ上がり、叩かれた人はなす術を失ってしまう。その原因を複雑系の理論に従って考えると、場を形成する価値観が弱っているせいではないかと思う。先ほどの記述を裏返せば、場の力が弱くなるにつれて、環境の変化情報を諸要素に即座に伝播させることが難しくなり、決定論カオスが実現しない。

 ここで言う価値観とは、日本が伝統的に大切にしてきた道徳、倫理、文化、伝統のことである。こういう価値観があったからこそ、言い換えれば内発性があったからこそ、外発性を上手に活用することができた。しかし、戦後の外来的な自由主義の影響でそれらが破壊されたことが、問題を深刻にしている。にもかかわらず、政府がちょっと道徳の復活を唱えると、復古主義だの封建主義だの、果ては軍国主義への逆戻りだのと的外れな批判が巻き起こってしまう。


2018年07月13日

『致知』2018年8月号『変革する』―「1年も持たない製品・サービス」よりも「10~15年かけて完成させる製品・サービス」を


致知2018年8月号変革する 致知2018年8月号

致知出版社 2018-07


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 先日の記事「メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた」で、私の最終結論を「私は努力すればすぐに結果が出せる人間だ」と「私は本当は劣った人間である」という2つから、「私は大器晩成型で、回り道もするが中長期的には成果が出せる人間だ」と「私は普通の人並みには優れている人間だ」という2つに変更したと書いた。これに伴って、生きるためのルールを「短期的な成果を求めず、今日が昨日より少し優れているように努力すること(そうすれば、解る人には解る)」へと変更した。簡単に言えば、短期志向に走って思い通りに行かずに悩むのではなく、10年、15年といった中長期的な視点で仕事に取り組んで、最後に成果が出ればよいという考え方にシフトした。

 『致知』の本号には、江戸時代の農政家で、生涯に約600もの復興を成し遂げたと言われる二宮尊徳の言葉が紹介されていた。
 遠きを謀る者は富み、近きを謀る者は貧す。
 中長期的な視点で物事に取り組む人は(最初は成果が出なくて苦しむかもしれないが、最終的には指数関数的に)財を成し、近視眼的に物事に取り組む人は(すぐにちょっとした成果が出るかもしれないものの、まもなくそれを使い果たして)貧乏に苦しむ、といった意味だろう。

 また、本号では、江戸中期に書かれた『葉隠』に関する記事もあった(本田有明「【不朽の名著】『葉隠』に学ぶ変革の要諦」)。『葉隠』は「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という過激な一文で始まるため、武士の厳しい心構えを説いた本だと思われがちだ。しかし、実際には、人間はどう生きるべきか、リーダーはどうあるべきかといったことについて、万人向けに論じた自己啓発書である。『葉隠』は、自分自身や組織を変革し、大きな仕事を成し遂げるためには、15年先を見据えることが肝要だと書かれている。以下、本号より口語訳を引用する。
 人はみな短気を起こして大きな仕事をしそんじることがある。長く時間がかかってもかまわないと気長にかまえていれば、意外と早く望みをかなえられるものだ。つまり時節が到来するのである。

 15年先のことを考えてみなさい。さぞかし世間の様子は変わっていることだろう。いま役に立っている者たちも、15年先にはいなくなっているかもしれない。(中略)時代の変化とともに人間の能力も下がってゆくことだから、気長にかまえてひと踏ん張りすれば、やがて必ず陽の目を見る。15年などというのは夢の間のことである。きちんと節約して努力を続ければ、ついには本願を遂げてお役に立てるようになる。
 私は、私自身だけでなく、多くの日本人はもっと中長期的な視点に立って仕事をする方が向いている気がする。これは決して、遠い将来における明確なビジョンを樹立し、そこからバックキャスティング的に計画を立てて、それを着実に実行することを意味しない。こういうのはアメリカ人の方が得意である。アメリカ人の思考は「未来⇒現在」へと流れる。他方、日本人は現在を大切にする。今日1日を精一杯生きることを誓う。それを積み重ねていけば、遠い将来には、どんなものができ上がるか想像がつかないけれども、きっと大きな仕事を成し遂げることができると信じている。つまり、時間の流れがアメリカ人とは逆で、「現在⇒未来」となっている。

 最近は、アメリカから成果主義など短期的な施策が日本に入ってきている。アメリカ人はビジョンと現在の間隔を詰めることで対応することができる。しかし、日本人は、そもそも中長期的に何ができるかよく解っていないのだから、時間軸を縮めたら中途半端なものしかできない。

 もちろん、短期的に成功を収めることが可能な分野もある。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で示したマトリクス図のうち、左上に位置する<象限③>の領域である。スマホアプリ、BtoC向けWebサービス、エンタメ、音楽などは、ヒットすれば爆発的に儲かる。ただし、人気がなくなればそれでおしまいである。

 私は、最近の<象限③>に位置する製品・サービスがますます短期志向になっており、その質を劣化させているように感じる。スマホゲームの寿命は半年ほど、演劇の寿命は数か月、音楽の寿命は数週間、Youtuberの動画の寿命はわずか数日しかない。こんな具合なので、手っ取り早く儲ければよいと考える人は、製品・サービスを作り込もうとしない。その結果、なぜこんなゲームアプリがダウンロードされるのか、こんな演劇がヒットするのか、こんな音楽が売れるのかなどと、首をかしげたくなるケースが増えた(いつの時代にもあるような、年寄りが若者に対して抱く違和感にすぎないのかもしれないが)。Youtuberが「・・・をやってみた」といったお気軽動画で100万回以上の再生数を稼いで、一般人よりもリッチな生活を送っているのは、私にはもはや理解できない。私は、<象限③>で勝負する日本人が増えるのは危険信号だと思う。

 左下の<象限①>はどうだろうか?以前の記事「『組織の本音(DHBR2016年7月号)』―「明確なビジョンを掲げ、短期間で成果を出す」というアメリカ流の経営には飽きた」で、LIXILの短期的経営を問題視したことがある。LIXILが扱う製品は<象限①>に該当するとすると私はとらえている。<象限①>の製品・サービスは、消費者の生活に深く密着している。だから、消費者の生活習慣、さらにはその背景にある伝統、文化、社会的文脈を理解することが欠かせない。これは数年でできることではない。インテリジェンスに長ける欧米企業とは異なり、市場調査から得られるデータの解釈が苦手で、現地に行って現物を見ないと現状が理解できない日本人は、ターゲットとする市場に直接出向いて、長期間潜在顧客を観察する必要がある。そして、そこから得られた情報・知見を製品・サービスに丁寧に織り込むことが重要である。

 とはいえ、<象限①>は参入障壁が低く、特に新興国企業の参入を受けやすい。つまり、競争が激化しやすい。だから、あまり悠長に製品・サービス開発をすることもできない。そこで、サムスン電子が取った方法は、大量の若手社員を世界各地に駐在させ、1年間実際に生活させて、現地の消費者のニーズを細かく吸い上げるというものであった。サムスン電子は、人海戦術によって時間を短縮したわけである。ところが、日本企業はと言うと、せいぜい現地法人に数名の駐在員を送り込む程度である。しかも、駐在員は人事総務、生産管理、営業、経理などに忙しいから、マーケティング活動に専念することができない。そんな駐在員から送られてくる貧弱な情報では、日本の本社が勝負できるわけがない。そうでなくても、<象限①>は新興国企業の低コストに分があるわけだから、日本企業がやすやすと勝てる領域ではない。

 私は、日本企業の強みは右下の<象限②>であると思っている。しかも、<象限②>の製品・サービスはどんどん複雑なものになっている。自動車業界では電気自動車や自動運転が注目されているが、これらが実現すると、サプライチェーンは全く異なるものになる。また、交通システムを全般的に見直さなければならない。電力業界では、スマートグリッドが導入されつつある。同時に、再生可能エネルギーへのシフトが進んでいる。加えて、規制緩和により電力小売の自由化が実現している。社会全体でどのようにすればエネルギーを効率的に使うことができるのか、グランドデザインが求められている。医療分野では、医療技術が高度化するとともに、地域医療の徹底、介護との連携などが課題となっている。また、医療システムを支える社会保障制度の抜本的見直しも急務である。これらの諸要素の整合性を取りながら、望ましい医療の姿を描くことが必要とされている。金融分野でも、ブロックチェーンの登場、フィンテックの導入などにより、従来とは全く異なる金融システムを作り上げなければならない。

 これらの仕事は、到底数年では完成しない。10年、15年とかけて完成させるべき大仕事である。多くの日本企業は、アメリカの影響で短期に振れてしまった経営の方針を、日本人本来の精神のリズムに合わせ直し、ミッション、ビジョン、価値観、戦略、ビジネスエコシステム、ビジネスモデル、ビジネスプロセス、組織構造、予算制度、調達制度、人材育成、人事・業績評価制度、情報システム、知的財産、研究開発、組織風土などを構造的に見直す必要がある。

 前述の仕事は、もはやマーケティングの域を超えている。前掲の記事で、<象限③><象限④>は需要を創造するイノベーション、<象限①><象限②>は既存の市場のパイを奪い合うマーケティングであると書いたが、これには少し補足をしたい。イノベーションとは、必ずしも新しい需要を創造する活動だけではない。非連続的な技術や代替品によって、既存市場の構造を抜本的に破壊する行為もあてはまる。このタイプのイノベーションの1つの目安は、異業種からの参入が増えることである。例えば、電気自動車が普及すると、想定外の部品メーカー、組立メーカーが現れる可能性がある。こう考えると、前述の仕事は従来の産業・市場の枠組みを根底から覆し、その結果として異業種参入を招くから、イノベーションに該当すると言える。

 (※)余談だが、<象限③><象限④>にもマーケティングは存在する。リピーターが多い業界は、データに基づくマーケティングに力を入れている。ディズニー、USJ、そして航空業界は、顧客情報を大量に収集し、セグメント別のサービスを開発している(USJについては、ブログ別館の記事「森岡毅、今西聖貴『確率思考の戦略論―USJでも実証された数学マーケティングの力』」を参照)。さらに進んだ企業では、いわゆるOne-to-Oneマーケティングを実践している。リッツカールトンでは、例えばある顧客がアメリカのホテルを利用した時、その人が要望したサービスの情報(熟睡できるように柔らかめの枕を希望した、など)が統合データベースに登録され、彼が次にイギリスのホテルに宿泊した際には、統合データベースの情報に基づいて、アメリカのホテルで受けたサービスと同じサービスを受けることができる。

 アメリカ人が<象限③>で起こすイノベーションは、イノベーター自身の心の軸に従って、利己的に開発されることが多い。「私ならこういう製品・サービスがほしい。しかし、世界にはまだそれがない。だから、私が開発した。私がほしがっているなら、世界中の人も同じようにほしがるはずだ。世界中の人が私のイノベーションを購入すれば、私は大儲けできる」と期待する。<象限③>は必需品ではないため、実際に全世界の人がそのイノベーションを購入するわけではないが、全世界人口のわずかな割合でもそれを購入すれば、イノベーターは短期間で莫大な富を手にすることができる。後は早々にリタイアして、悠々自適の生活を送るだけである。

 一方、日本人の美徳は利他的であることである。よって、イノベーター自身の心の声に耳を傾けるのではなく、社会の声に耳を傾けなければならない。社会にとって何が善なのか、正義なのか、公正なのか、道徳なのか、倫理なのか?これを考え抜くことでイノベーションが生まれる。第二電電(現KDDI)を創業した稲盛和夫氏は、創業にあたり、「動機善なりしか、私心なかりしか」と半年間自問自答したそうだ。そして、動機が善であるという確信を得て初めて第二電電を創業した(通信は、マトリクス図の<象限②>に該当すると考える)。

 もちろん、アメリカの全てのイノベーターが利己心に基づいているとまでは言わない。中には利他心に基づき、社会全体のことを案じているイノベーターもいる。彼らが創造したイノベーションは、<象限③>から出発するものの、やがて本当に全世界中の人々にとっての必需品となり、<象限①>や<象限②>に下りてくる(<象限②>に下りてくるのは、世界中で売れるにしたがって、要求の厳しい顧客に直面し、品質水準が上がる場合である)。マイクロソフトのWindowsは、最初はコンピュータおたくのためのイノベーションであったが、今や世界中の人々に欠かせないソフトウェアとなっている。ビル・ゲイツにどのような動機があったのか、その本音を聞いてみたいものだ。それはともかく、アメリカでは利他心に基づくイノベーターが例外的であるのに対し、日本では利他心に基づくイノベーターが中心でなければならない。

 利己的なイノベーターは初めから利益を最優先している。一方、利他的なイノベーターは利益を二の次にする。幕末に備中松山藩の財政を立て直した山田方谷は、漢の時代の董仲舒の言葉である「義を明らかにして利を計らず」という一節をよく用いた。

 松山藩には10万両(現在の貨幣価値に直すと約600億円)の借金があり、かつ毎年7,000~8,000両の利息が発生していた。これだけの借金があると、普通ならば、毎年の利益を緻密に計算して返済のシミュレーションをするだろう。少なくとも、そうしなければ今の金融機関は認めてくれないに違いない。ところが、山田方谷は「利を計らず」と言って、陽明学の精神に従って財政を再建させた。だからと言って、山田方谷の成果は決して小さいものではなかった。山田方谷は8年かけて借金を完済するだけでなく、逆に10万両の財産を築くことに成功している。義、つまり、人間として正しいことを長期間実践し続けていれば、後から結果はついてくる。これを、<象限②>で戦う現代の日本のイノベーターにも求めたい。



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