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【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較
【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?
【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年01月27日

【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較


アメリカ

 《これまでの記事》
 【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義
 【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション
 【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴
 【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?

 本シリーズの最後として、日米企業の戦略の違いについて簡単にまとめておきたいと思う。

 ①フォーカスする製品・サービス
 アメリカ企業は、「必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客・企業に与えるリスクが小さい」というタイプに強い。具体的には、高機能家電(スマホ、タブレットなど)、ブランド品、エンタメ、テレビメディア、IT(BtoCのWebサービス)、映画、音楽、書籍、雑誌、観光、金融(証券・保険)などが該当する。一方、日本企業は、「必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」というタイプに強い。具体的には、自動車、輸送機器、産業機械、住宅、建設、医療、介護、製薬、化粧品、IT(BtoBの基幹業務システム)、物流・輸送、金融(預金・貸出)などが該当する。もちろん、アメリカ企業も厳しい品質管理を導入しているところが多い。しかし、日本企業が実践する「不良ゼロ」のための品質管理には遠く及ばない。

 ②目標の立て方
 アメリカ企業のリーダーは、イノベーションを全世界に普及させることを唯一絶対の神と約束する。したがって、戦略的目標は自ずと野心的かつ具体的なものとなる。一方、日本企業が立てる目標は曖昧であり、またそれほど野心的ではない。いつまでに実現するのかという期限を欠くことも多い。①で述べたように、日本企業は高度な品質管理が要求される必需品に強い。これらの製品・サービスは需要規模が予測しやすいため、敢えて具体的な目標を設定しなくてもよいのかもしれない。また、必需品であるということは、裏を返せば人口規模によって需要が規定されるわけだから、野心的な目標を立てづらいとも言える(必需品でない場合、余剰所得を全てその製品・サービスにつぎ込むような極端な顧客が現れて、市場規模が上振れすることがある)。

 ③製品・サービスの種類
 アメリカ企業は、イノベーション=単一の製品・サービスに全ての経営資源を集中する。それが唯一絶対の神との契約であるからだ。各国のニーズの違いは考慮しない。他方、日本は多神教文化の国である。それぞれの顧客や企業に異なる神が宿ると考えられる。だが、その神はアメリカの神と違って、不完全である。日本企業が自社に宿る神の姿を知る、つまりコア・コンピタンスを見極めようとする時、自社の内部に閉じこもって信仰を重ねても、その姿を知ることは難しい。そこで、外部に積極的に出ていく必要がある。具体的には、自社とは異なる神を宿しているであろう顧客と触れ合う。良質な学習は異質との出会いから始まる。多様な顧客を相手にするうちに、日本企業の製品・サービスは多角化していく。しかも、この学習には終わりがない。

 ④顧客理解
 アメリカ企業は、非必需品という市場動向が予測しづらい領域で勝負しているにもかかわらず、データを活用して顧客を理解しようとする。どのようなイノベーションがヒットするのかモデル化する。また、イノベーションを全世界に普及させる段階で、まだ自社のイノベーションを受け入れていない顧客層をセグメント化し、なぜイノベーションを受け入れていないのか、彼らがイノベーションを受け入れるにはどのようなマーケティング施策が有効かを分析する。これに対して日本企業は、必需品という市場動向が予測しやすい領域で勝負しているにもかかわらず、あまりデータを活用しない。むしろ、顧客と直に接することで、顕在的・潜在的なニーズを把握しようとする。データという冷たい情報よりも、顧客の生の声という温かい情報を重視する。

 ⑤政府の規制との関係
 アメリカ企業は、「必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客・企業に与えるリスクが小さい」という領域において、デファクト・スタンダードの確立を目指す。政府の規制とは無関係に、自社で世界標準を作ってしまう。時にその世界標準は、政府による規制を無力化する。これに対して日本企業は、「必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という領域で勝負をする。この領域では、政府が顧客の生命・事業を守るために様々な規制を課し、デジュア・スタンダードを形成している。日本企業が競争で勝つためには、政府と上手に交渉し、政府の規制が自社の製品・サービスにとって有利になるように働きかけなければならない。日本企業にとっては、顧客との関係に加えて政府との関係も非常に重要である。

 ⑥競合他社との関係
 以前の記事で、アメリカは二項対立的な発想をすると書いた。よって、アメリカ企業にとって、競合他社は徹底的に攻撃すべき対象である。ただし、相手企業を完全に打倒することまではしない。自社の戦略、ブランド、アイデンティティは、競合他社との相対性によって形成されている。攻撃対象となる競合他社が消えてしまえば、自社のアイデンティティなどを認識することが困難となり、何かと不都合である。アメリカ企業は、競合他社を完全にノックアウトする寸前で攻撃の手を止める。これに対して日本企業は、競合他社との協業をいとわない。その象徴的な存在が、日本に特有の業界団体である。業界団体においては、戦略などに関する情報が競合他社との間で積極的に共有される(アメリカにも業界団体は存在するが、その主目的はロビー活動である)。

 ⑦業界構造
 アメリカの業界はできるだけシンプルな構造を目指す。メーカーは部品を可能な限りモジュール化し、調達先を自由に入れ替えることができる単純なモデルにする。また、流通構造を簡素化し、メーカーから最終消費者まで効率的に製品・サービスを提供する。アメリカでは、シンプルなビジネスモデルを構築した企業が急成長を遂げる。一方、日本の業界構造は多段階構造となることが多い。自動車業界、IT業界、建設業界では多重下請け構造になっている。さらに、メーカーは下請企業との擦り合わせを重視する。また、流通構造もアメリカに比べて複雑である。メーカーと小売業者の間に複数の卸売業者が介在する。日本の業界は、成長性よりも安定性を重視する(安定のために多重階層構造を採用するのは、日本社会全体に見られる傾向である)。

 ⑧組織内の構造
 アメリカは、業界構造をシンプルにすると同時に、一企業内の組織構造もシンプルにする。以前の記事で書いた通り、アメリカ企業では分権化が進んでいる。しかし、同時に組織のフラット化も進んでおり、ミドルマネジメントは削減される傾向にある。これに対して日本の場合は、業界構造と同様に、組織内の構造も多重化している。アメリカから組織のフラット化というコンセプトが持ち込まれた後も、ミドルマネジメントの割合は減少するどころか増加している。そして、多重化された指揮命令系統を通じて公式のコミュニケーションを重視する企業の方が、組織のパフォーマンスが高いという研究結果もある。日本企業は、アメリカのようにトップの情報がほぼダイレクトにボトムに届くよりも、トップの情報が徐々に咀嚼されながらボトムに浸透していくことを好む。

 ⑨事業マネジメント
 ②で、アメリカ企業は野心的な目標を立てると書いた。アメリカ企業は、その野心的な目標を達成するために、何がカギを握るのか、重要な要因を特定することに力を注ぐ。CSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績指標)は、こうした考え方を反映している。アメリカ企業は、CSFやKPIと最終的なゴールの因果関係を重視した事業マネジメントを行う。他方、日本企業は最終的な目標が曖昧であるがゆえに、CSFやKPIが設定できない。代わりに、「顧客や社会にとって望ましい行動」をたくさん積み重ねれば、自ずと望ましい結果が得られると考える。よって、日本の目標管理は、1つ1つの目標は達成が容易だが、評価されるためには膨大な数の目標を達成しなければならないという形で運用される。

 ⑩動機づけ
 アメリカのリーダーは、自分が信じるイノベーションを全世界に普及させることを目指す。言い換えると、自己実現を目指している。自己実現は、マズローの欲求5段階説で最上位に位置する内発的な動機づけ要因である。アメリカでは、神と正しい契約を結んだイノベーターだけが自己実現に成功するが、それでは大多数のアメリカ人にとって救いがない。そこで、分権化によってイノベーター以外の人たちにもある程度大きな権限を与え、自己実現の場を提供する。いずれにしても、アメリカ人を動機づけるのは、内発的な要因である。一方、他者との関係を重視する日本人を動機づけるのは、外発的な要因である。周囲の人から承認・評価されることが日本人にとっては最も嬉しい。さらに言えば、その評価が地位・役職という形を伴っているとなお望ましい。日本企業は、社員をポストによって動機づけるために多層化しているとも言える。

2017年01月25日

【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?


アメリカ

 前回の記事「【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴」の続き。アメリカは唯一絶対性の神=人間の理性という啓蒙主義的な世界観に3つの修正を加えることで、独自のイノベーションを可能にした。その3つとは、①現在から未来への時間の流れを肯定し、人間の自由意思によって望ましいビジョンを設定することを可能にしたこと、②二項対立の考え方を導入して他者の存在を肯定したこと、それによって自己のアイデンティティをより強固なものとしたこと、③連邦制に代表されるように、神と人間の間に一定の階層構造が介入することを認め、その階層性がイノベーションを全世界に迅速に普及(=エバンジェリストによる布教)させるのに役立つようにしたこと、の3つである。

 これらの修正によって、アメリカは多様なイノベーションを創造することに成功したほぼ唯一の国になることができた。しかし、近年のアメリカには、啓蒙主義的な全体主義に回帰しているのではないかと思わせるような動きが見られる。その代表例が、「学習する組織」を理論化したことで知られるピーター・センゲらが提唱している「U理論」である。U理論の内容を端的にまとめると、「我々の意識が『源泉(ソース)』とつながることで、未来が自ずと見えてくる」ということである。「源泉(ソース)」は「宇宙」と読み替えてもよい。また、「今の中の私(I-in-me)」という真正の自己を発見することが未来の創造につながる、という表現も見られる。

 U理論の本質を理解するには、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」という概念を知っておく必要がある。内蔵秩序とは、平たく言えば「宇宙」、「全体」であり、我々が普段目にする世界=「顕前秩序」を生み出す源泉である。内蔵秩序は精神と物質の区別すらない「統合」された理想的な世界であるのに対し、顕前秩序は近代的、デカルト的な「分析」が支配する世界であり、精神と物質は分離され、さらに社会は人間の諸活動によって細分化されている。

 ボームは、人間は誰でも顕然秩序を超えて内蔵秩序につながることができると主張した。我々が意識のレベルを上げて内蔵秩序へアクセスする時、自分と他者という境界が崩れ、「我々は皆一体である」という感覚が得られる。すると、顕前秩序で起きている様々な問題を解決へと導く革新的な方向性を、内蔵秩序が「教えてくれる」。この境地に至るための一連のアプローチを、ボームは「ダイアローグ(対話)」というコンセプトでまとめた。ボームは、現実世界=顕然秩序で起きている様々な対立―アカデミックの世界で起きている専門分野の細分化の問題や、宗教・民族の対立など―が、ダイアローグによって解決に向かうことを期待していた。

 ボームの内蔵秩序というコンセプトは、「宇宙」や「源泉(ソース)」という言葉となってU理論に受け継がれている。U理論では、「宇宙は私であり、私は宇宙である」という等式が成立する。すなわち、私は宇宙とつながることが可能であり、私が宇宙とつながれば、宇宙が変革の道筋を指示してくれる、という関係が成り立つわけだ。と同時に、宇宙=私であるから、宇宙とつながることは、結局のところ私を再発見することに等しい。U理論で「今の中の私(I-in-me)」という言葉が使われるのは、こうした背景があるためである。

 個々の人間が「今、ここ」という瞬間にフォーカスして意識のレベルを上げれば、他者の意識とつながることが可能となり、ひいては絶対的な宇宙全体と一体化するというのは、まさしく全体主義そのものである。そして、逆説的だが、U理論では実は他者の存在はそれほど重視されていないと感じる。この点は、以前の記事で、全体主義が連帯の重要性を強調しながら、実際には個々の人間は孤立している(オルテガの言う「トゥゲザー・アンド・アローン」)と書いたことに通じる。

 U理論においては、他者は私という部分が宇宙という全体を獲得するための「潤滑油」にすぎない。というのも、個人の中に全体が内包されているのであれば、理論的には、他者の力を借りなくても、個人が直接的に全体を認識することが可能であるからだ。もちろん、U理論の実践者は、「他者がいるからこそ、『Uプロセス』を加速できる」と反論するに違いない。だが、他者がUプロセスを加速させるだけの存在であれば、まさしく化学反応における「潤滑油」そのものである。U理論の構築に大きく貢献した一人であるジョセフ・ジャウォースキーは、旅先で動物を見ながら宇宙を体感する経験をしたことを著書『源泉―知を創造するリーダーシップ』の中で振り返っている。つまり、宇宙を悟るのに他者は必ずしも必須ではない。

源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 現在、アメリカでは「マインドフルネス」が流行しているという。マインドフルネスとは、光よりも早く駆けめぐる人間の頭の中の思考を止めることである。吸う息、吐く息だけに、「今、ここ」という瞬間だけに意識を集中しながら、一切の妄想から離れる訓練をする。すると、私の意識が宇宙全体とつながり、新しい未来が出現するという。これは、U理論と全く同じ考え方である。そして、U理論と同様、他者との関係は一旦脇に置いて、個人が絶対的な宇宙と直接につながることを目指している。それでいながら、個人が宇宙とつながれば、他者ともつながることができ、そこから変革が自ずと発生すると考える。これは全体主義に他ならない。

 マインドフルネスに注力している企業としては、グーグル、フェイスブック、ゴールドマン・サックス、IBMなどが挙げられる。これらの企業はアメリカ的なイノベーションで十分に成果を上げていながら、なおそれに飽き足らないようである。イノベーションは、以前の記事でも述べた通り他者の存在を必要としており、その意味で相対主義的である。ところが、グーグルなどは他者の存在を駆逐して絶対的な神になろうとしている。IoT(Internet of Things)に莫大な投資をし、世界中のあらゆるモノをインターネットでつないで支配するという試みには、もはや他者が介在する余地はなく、グーグルが神になるのだという決意が表れていると言えるかもしれない。

 マインドフルネスは日本の禅の影響を受けているという。私は禅について無知なので明確なことは言えないのだが、本来の禅とは、絶対性や全体性の獲得を目指すものではないと思う。確かに禅には、静謐な空間で、他者との交わりを断って厳しい修練を積むというイメージがある。しかし、その修行の目的は、研ぎ澄まされた精神をもって他者の異質性を認め、顔の見える他者と血の通った交流をじわじわと広め、さらにその関係を深化させることにあるような気がする。

 「個人の意識が全体の意識へと昇華されていく」という点で思い起こされるのが、野中郁次郎氏の「知識創造理論」である。有名な「SECIモデル」の出発点にあたる「共同化(Socialization)」というフェーズでは、特定の個人が有する暗黙知を組織の他のメンバーと共有し、暗黙知を伝搬させる。この時に必要なのが、現象学で言うところの「相互主観性」である。相互主観性とは、複数の主観がそれぞれの独自性を維持したまま、共同で築き上げる「われわれ(we)」の「共同主観」すなわち「共観」である。つまり、相互に他者の主観と全人格的に向き合い、受け入れ合い、共感し合う時に成立する、自己を超える「われわれ」の主観である。

 野中氏は、リーダーは実践知(フロネシス)を追求すべきだと言う。実践知とは、「共通善を志向し、個別具体のコンテクストや関係性のただ中で、その都度適時適切な判断と行動が取れる、身体性を伴う実践的な知性」と定義される。共通善を追求するとあるが、これは決して唯一絶対の神になるとか、宇宙性を獲得するといった意味合いではない。むしろ、個別具体の文脈で「ちょうど」の解を見つける能力であり、個別と普遍、細部と大局を往還しつつ、熟慮に基づく合理性とその場の即興性を両立させる能力である(野中郁次郎「知的機動力を錬磨する―暗黙知、相互主観性、自律分散リーダーシップ」〔『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』〕)。

一橋ビジネスレビュー 2016年WIN.64巻3号一橋ビジネスレビュー 2016年WIN.64巻3号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2016-12-09

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 U理論・マインドフルネスと知識創造理論は、一見似ているようで実際には全く異なる。U理論・マインドフルネスは全体主義と同じく、現在という1点に集中し、唯一絶対の神性を実現する。いずれも他者との連帯を説くが、他者はあくまでも潤滑油であって、絶対性、全体性を獲得する必須条件ではない。絶対性、全体性を獲得する時、私と他者の境界線は崩れて全体に統合される。端的に言い換えれば、1がすなわち全体と等しくなる。

 これに対して知識創造理論は、共通善を目指しつつも、個別具体的なコンテクストに即して最善の解を即興で創造するものであり、その解は現在からちょっと先の未来に向けて投影されている。つまり、現在から未来へと流れる時間が存在する。また、その解を導く上で他者の存在は絶対に不可欠である。解が導かれる時、自己と他者の主観は相互に交流するが、自己と他者の境界が完全に消えることはなく、相互のアイデンティティは保持・尊重される。全体主義では1がすなわち全体と等しくなれば革命は成就するが、知識創造理論では、変化し続ける現状に合わせて次々と最善解を創出しなければならない。

 両者にはこのように決定的な違いがある。野中氏が(少なくとも私が野中氏の論文などを読む限りでは)U理論やマインドフルネスに触れたことがないのは、決して偶然ではないと思う。アメリカ企業がU理論やマインドフルネスに傾く時、これらの理論が未来の変革を唱えながら、実際には現在という1点に押しとどめられ、進歩が止まり、排他的な全体主義に陥り、多様なイノベーションの芽が摘まれてしまうのではないかと心配している。


 (※1)以前の記事「内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った」、「オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい」、「安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?」では、U理論がキリスト教に通じ、さらにはアメリカ的なリーダーシップに通底すると書いたが、この認識は改めなければならないと思う。本文で述べたように、U理論は全体主義と通底している。そして、伝統的なキリスト教と、アメリカのリーダーシップやイノベーションを基礎づけるキリスト教とは異なることも押さえておく必要があると考えるようになった。

 (※2)ブログ別館の記事「『人を育てる(『致知』2016年12月号)』」の内容も、同様の理由で改めなければならないと考えているところである。

2017年01月23日

【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴


アメリカ

 前回の記事「【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション」の続き。アメリカ企業は下図の<象限③>=必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さいものに強いと書いた。必需品ではないがゆえに、アメリカ企業は常に需要を創造しなければならない。これはイノベーションの働きそのものである。今回はアメリカ企業がどのようにイノベーションを起こすのかについて見ていきたいと思う。

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(修正)

 <象限③>においては、まだ顧客のニーズが顕在化していないため、伝統的な市場調査が役に立たない。そこで、リーダーたるイノベーターは、自分自身を第一の顧客とする。「自分はこういう製品・サービスがほしい。自分がこの製品・サービスをこれだけ心の底からほしがっているのだから、世界中の人々も同じようにこの製品・サービスを欲するはずだ」と強く信じる。そして、そのイノベーションを世界中に普及させることを、唯一絶対の神と「契約」する。その契約を誠実に履行することを、アメリカ人は「自己実現」と呼ぶ。ただし、前回の記事でも書いた通り、その契約が本当に正しいかどうかを知っているのは、神だけである。よって、正しい契約を結んだごく一部のイノベーターだけが大成功を収め、その背後には無数の屍が累積する。

 リーダーは、契約=未来の目標を達成するために、今何をすべきかという順番でアクションを検討する。つまりここでは、時間が未来⇒現在へとバックキャスティング的に流れ、現在と未来が強い因果関係で結ばれる。これはアメリカ人の大きな特徴の1つである。逆に、日本人はバックキャスティング的な発想が苦手である。日本人の中では、時間は現在⇒未来へと流れる。現在において、望ましい行動を1つ1つコツコツと積み重ねていけば、自ずと望ましい未来に到達すると信じる。現在と未来の因果関係は、アメリカ人の場合に比べるとはるかに弱い。

 <象限③>は市場規模も顧客ニーズも予測が困難である。一人で同じ製品・サービスをいくつも購入する顧客がいたりする。日本の例になるが、AKB48との握手会に参加したいがために、同じCDを1人で何十枚も購入するコアなファンがいる。こういう人がいると、市場規模の予測は難しくなる。予測困難な状況で成功の確率を上げるには、とにかく次から次へと新しいイノベーション(製品・サービス)を市場に投入して、市場の反応を見るしかない。しかも、<象限③>の製品・サービスは全方位的な競争となる。例えば、金曜日の夜にお金が余っていたら、映画を見に行くか、アーティストのコンサートに参加するか、家でバラエティのDVDを見るか、漫画を大人買いして家で読むかという選択をするだろう。これらの製品・サービスは全て競合関係にあたる。

 <象限③>では、どういうイノベーションが成功するのか、その定石を見定めるのに苦労する。ただ、いくつか基本となるポイントがあるように思える。1つ目は、繰り返しになるが、イノベーターの「好き」という思いを新製品・サービスに余すところなく反映させることである。イノベーションを勧める人がそのイノベーションを気に入っていなかったら、他の人はそのイノベーションを購入しようとは思わない。2つ目は、顧客に敢えて不自由、非効率を味わわせることである。ディズニーランドではアトラクションに乗るのに何時間も待たされる。それでも、長く待つがゆえに楽しみが倍増するという側面がある。音楽も記憶に残るのはたいていの場合サビだけだが、サビだけでは音楽として成立しない。Aメロ、Bメロがあってこそのサビである。

 3つ目は、1つ目とも関連するが、顧客価値にほとんど貢献しない箇所で、イノベーターが異常なこだわりをイノベーションに組み込むことである。Appleのスティーブ・ジョブズがコンピュータの裏側の配線の美しさにこだわったのは有名な話である。また、日本の例になるが、私が好きな「水曜どうでしょう」という北海道のローカルバラエティ番組では、藤村忠寿ディレクターが字幕のつけ方に異常なこだわりを持っている。通常の番組であれば、2~3行の字幕スーパーを一度に表示させるのだが、水曜どうでしょうの場合は1行ずつ縦書きで丁寧に字幕を表示させる。

 イノベーションは誰も見たことがなく、聞いたことがないものであるため、必ず賛否両論が巻き起こる。ここに、イノベーションをめぐる二項対立が発生する。イノベーションに多くの人が賛同する一方で、そのイノベーションに強い嫌悪感を示す人も多数現れる。だが、イノベーションにとっては、二項対立が生じた方が都合がよい。というのも、敵から攻撃されると、イノベーションの味方はより結束力を強め、イノベーションへの忠誠心を高めることになるからだ。ここで重要なのは、二項対立においては、相手を完全に打ち負かそうとはしないという点だ。相手を倒すと他者を否定することになり、自己のアイデンティティを規定するものが失われてしまう。

 興味深いことに、市場における二項対立に加えて、イノベーションを起こす組織内でも賛否両論の二項対立が生じる。マイケル・P・ファレルは、アートや社会の分野に―特に、「優れたアート」の定義に疑問が投げかけられた場合に―2人組によるブレークスルーが存在することを示した。ファレルは、2人組の仕事では「効果のある親密さ」が生まれて、共感を示しつつ建設的に批判し合うことができると説いた(”Collaborative Circles: Friendship Dynamics and Creative Work”)。企業の例で言うと、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、ビル・ゲイツとポール・アレンといった組合せが二項対立に該当する。

Collaborative Circles: Friendship Dynamics and Creative WorkCollaborative Circles: Friendship Dynamics and Creative Work
Michael P. Farrell

University of Chicago Press 2003-11

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 イノベーションを全世界に普及させるために、多くのアメリカ企業はトップダウンのリーダーシップと分権化を組み合わせる。分権化のメリットは、トップのリーダーシップだけでは到底影響力が及ばない世界各地に対して、現地の組織がトップから移譲された権限を活用してイノベーションを広めることができる点にある。分権化された現地のスタッフは、イノベーションのエバンジェリストとして、イノベーションの普及(布教と言ってもよい)に努める。この方が、トップのリーダーシップだけに頼るよりもずっと早く目標を達成できる。それに、分権化によって、現地スタッフのモチベーションを向上させることができるというもう1つの効果もある。

 日本の組織も、伝統的に現場が強く、また、ミドルマネジャーが「ミドル・アップ・ダウン」という言葉の通り、組織内を自由に動き回る。つまり、トップよりもミドルや現場に権限が委譲されている。そういう意味では分権化が進んでいるとも言える。だが、アメリカの分権化はできるだけフラット型組織との両立を志向するのに対し、日本企業は多重階層構造を志向するという違いがある。アメリカ企業の目的はイノベーションの迅速な普及であるが、日本企業の目的は組織の安定である。多重階層構造によりポジションを多数連鎖させることで、多少愚かな人間が混じっていても、他の人間がそれをカバーし、組織を安定させる。アメリカ企業は採用段階でエバンジェリストたり得る人材を厳しく見定めるが、日本企業は大勢採用してその全員を使いこなそうとする。

 <象限③>のイノベーションの中には必需品化して<象限①>や<象限②>に移行する製品・サービスもあるが、大半のイノベーションは非常に短命である。端的に言えば、顧客がイノベーションに飽きるのである。リーダーがイノベーションを全世界に普及させるという神との契約を達成した後、企業は静かに衰退していくのみである。株主は企業に対し、新しい投資先がないのであれば自社株買いによって株価を引き上げよと注文をつける。企業の経営者も、イノベーションが全世界に普及したという最高のタイミングで、最も高値で企業を売却する。こうして、イノベーターは巨額の富を手に入れ、早々に引退してセカンドライフを送ることになる。

 先ほど、イノベーターは成功確率を上げるためにイノベーションを次から次へと市場に投入しなければならないと書いた。イノベーターの中からは、自分がお金を払ってでもいいから、自分のイノベーションを世界に広めたいと願う人が出てくる。ここで、そのようなイノベーターを束ねるプラットフォーム企業が登場する。Google PlayやApp Storeはその典型である。アプリ開発者は、GoogleやAppleにお金を払ってでも、自分の開発した革新的なアプリを世界中の人に使ってもらいたいと思っている。通常、GoogleやAppleから見てアプリ開発者は仕入先に該当するから、両社がアプリ開発者にお金を支払うはずだ。だが、プラットフォーム企業はお金の流れを逆転させている。通常の小売業なら違法なリベートとされるものが、ここでは合法化されている。

 <象限③>は、市場規模や顧客ニーズが予想しづらい領域だと書いた。ということは、普通に考えればデータ分析が難しい領域である。ところが、アメリカ企業は<象限③>にデータ分析を持ち込む。例えば、どういう映画がヒットするかを真面目にモデル化する。そして、映画がヒットするかどうかは、台本の内容や配役によってではなく、単に映画のタイトルで決まるという結論を得たりする(イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』〔文藝春秋、2007年〕より)。

その数学が戦略を決めるその数学が戦略を決める
イアン・エアーズ 山形 浩生

文藝春秋 2007-11-29

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 アメリカ企業は、イノベーションを全世界に普及させる段階でもデータを活用する。イノベーターのマーケティングは、これだけOne to OneマーケティングやCRM(Customer Relationship Management:顧客関係管理)の重要性が説かれているにもかかわらず、世界を単一市場と見なして、単一の製品・サービスを提供するマス・マーケティングである。その過程で、まだ自社のイノベーションを受け入れていない顧客層は誰か、彼らがイノベーションを受け入れるためにはどのようなプロモーションを実施すればよいかなどをめぐり、詳細なデータ分析を行う。これは、イギリスが植民地支配に際して、イギリスが正義と考える自由、平等、人権、民主主義などを根づかせるために植民地の情報を緻密に収集・分析したインテリジェンスの名残であろう。

 プラットフォーム企業は、自らのプラットフォームの価値を高めるためにデータ分析を行う。消費者は、他人と同じものを使いたいという欲求と、自分だけのオリジナルのものを使いたいという相反する欲求を持っている。プラットフォーム企業はこの両方のニーズにデータ分析で応える。他人と同じものを使いたいという欲求に対しては、ランキングを作成して人気の高い製品・サービスの購入を促す。一方、自分だけのオリジナルのものを使いたいという欲求に対しては、プラットフォームに登録された膨大な製品・サービスの中からレコメンデーション機能を活用して、その人の好みに合わせたものを勧める。こうして、消費者を完全にプラットフォームの虜にする。

 ちなみに、日本は<象限②>に強い。この象限の製品・サービスは生活必需品であるから、反復購入される可能性が高く、顧客ニーズも予想しやすい。この場合、データ分析と経験を組み合わせることで予測の精度を上げることができる。ところが、日本企業はあまりデータを活用しないように感じる。売上高や利益と因果関係の深い要因を追究して、その要因に資源を集中投入するということをやらない。むしろ、「会社として善いこと」、さらには「人として善いこと」を重ねれば、自ずとよい結果が得られると信じている。1つ1つの行為は小さくても、それが何百、何千と積もれば、成功の確率は上がると考える。日本企業の5S重視はその最たる例であろう。

 不思議なことに、<象限③>で戦うアメリカ企業がデータを重視し、<象限②>で戦う日本企業がデータを軽視するという、パラドキシカルな現象が起きているのである。




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