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山本七平『日本人とユダヤ人』―人間本位の「日本教」という宗教

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2017年06月16日

『共謀罪と「監視国家」日本(『世界』2017年6月号)』―「帝国主義」は終わっていない

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世界 2017年 06 月号 [雑誌]世界 2017年 06 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-05-08

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 以前の記事「『「坂の上の雲」ふたたび~日露戦争に勝利した魂を継ぐ(『正論』2016年2月号)』―自衛権を認める限り軍拡は止められないというパラドクス、他」、「『死の商人国家になりたいか(『世界』2016年6月号)』―変わらない大国と変わり続ける小国、他」で書いたことと重複するが、国家には自衛権があることを否定する人はまずいない。だが、仮に世界中の全ての国が最低限の自衛権のみを持つことを約束するならば、どの国も他国を攻撃することはないから、自衛権そのものが不要となるはずである。自衛権があるということは、本来は認められていない武力攻撃を行う国が現れる可能性を想定している。

 ここで、A国とB国という2か国があり、B国が明らかに自衛の範囲を超えた軍事力を保有しているとしよう。A国は、B国から攻撃されるかもしれないと感ずるだろう。そこで、A国は自衛のレベルを上げる。するとそれを見たB国は、A国が過剰な軍事力を保有してB国を攻撃しようとしているのではないかと感じる。今度は、B国が自国の軍事力のレベルを上げる。こうして、A国とB国の間で軍拡競争が起きる。一定のレベルまで軍拡競争が進むと、両国の緊張はピークに達する。この段階に至って初めて、両国は最悪の状況を避けるために交渉に入り、お互いの軍事力削減に努める。もちろん、そのまま軍事衝突に突入する恐れもあり、交渉は綱渡りになる。

 核兵器に関しても似たようなことが言える。核兵器の抑止力を説明するものとして、「相互確証破壊戦略」というものがある。これは、相手国から核攻撃を受けても、こちらが核兵器で必ず反撃・報復すると約束することで、相手国に核攻撃を思いとどまらせるというものである。しかし、仮に相互確証破壊戦略が完全に機能しているならば、どの核保有国も核兵器を保有する意味を失うから、世界から核兵器はなくなるはずである。

 ところが、実際には一向に核軍縮は進んでいない。これは、仮に相手国から反撃・報復を受けても、こちらがさらに攻撃を加えることで相手国を殲滅させることができると考えているからに他ならない。核兵器に関しても、拡大の動きは止まらない。そして、核保有国同士の緊張がピークに達すると、両国は危険を回避するための交渉に入り、お互いの核兵器削減を検討する。冷戦時代の米ソの対話はこのようにして行われた。そして、北朝鮮が急速に核の能力を向上させる中で、トランプ大統領がようやく対話の準備があると発言したのもその一例である。

 リベラルの人々は、そんな回りくどいことをせずに、最初から軍事力や核兵器を全面的に禁止してしまえば、世界平和が実現するのにと思うことだろう。しかし、リベラルの世界観は、全ての人類が完全に理性的で、お互いに完全に信頼できることを前提としている。これに対して、現実の国際政治の世界では、国家も人間も理性が限定されており、基本的にはお互いのことを信頼しておらず、相手のことを恐れている。だから、平和を実現するには、一歩間違えば大規模な武力衝突に至るような方法と表裏一体の道を選択するしかないのである。

 リベラル派は、日本の平和主義は素晴らしいと言う。憲法9条をノーベル平和賞の対象にしようという動きもあるようだ。しかし、日本が戦後曲がりなりにも平和にやってこられたのは、アメリカが核の傘を日本にかぶせ、日本国内に米軍基地を置いて日本を守ってくれたからである。その事実に目をつぶって、日本は最も進んだ平和主義の国だと主張するのは傍ら痛い。現在の日本は、例えるならば、家の中にいる日本人は武器を持たないが、ドアの外ではピストルを持ったアメリカ人に警護してもらっているようなものである。これのどこが平和主義なのだろうか?

 日本人は、自分が直接関与していないことに対して恐ろしく無頓着になるという悪癖がある。話が国際政治の舞台から外れることをご容赦いただきたいが、日本の製造業は過去の公害などの反省に立って、高い環境意識の下に工場を運営していると思われている。日本人は、そのようにして製造された環境負荷の低い製品を使用・消費していると信じて疑わない。

 ところが、工場から出る廃水の処理を専門にしているある中小企業の経営者から聞いた話によると、廃水の汚染度が国などの基準を満たさない工場が少なくないのだという。基準を守ろうとすると莫大な費用がかかるというのがその理由である。この中小企業は最近、従来の技術よりもはるかに低コストで廃水をきれいにする新技術を開発した。それを聞きつけた日本中の製造業から問い合わせが絶えないそうだ(福島県からも、放射能の除染に使えないかと聞かれている)。裏を返せば、今までいかに多くの製造業が基準を満たさない廃水を垂れ流していたかということである。多くの日本人はこういうことを知らない(恥ずかしながら、私も知らなかった)。

 本号には、「私たちの食べている卵と肉はどのようにつくられているか―世界からおくれをとる日本」(枝廣淳子)という記事があった。卵や豚肉は、効率的に生産することが最優先されており、鶏や豚が動物らしく生きることは二の次にされている。具体的には、鶏や豚が自由に動くことのできないほどの狭いスペースに押し込み、鶏なら年間に約300個の卵を、豚なら年間に約2.5頭の子豚を産むように厳格に管理される。欧米では「アニマルウェルフェア」というコンセプトが広まっている。動物にふさわしい環境で飼育されたものを消費しようという考え方である。食品スーパーの商品には、アニマルウェルフェアの基準を満たしているかが一目で解るラベルが貼られている。日本人は「いただきます」、「ごちそうさま」と言うことで動物の命を大切にしていると信じている。だが、動物の飼育の実態を知る人は少ない(恥ずかしながら、私も知らなかった)。

 話を元に戻そう。日本はアメリカの軍事力を頼りにしており、全く平和主義ではない。そして、近年は、アメリカが守ってくれているにもかかわらず、日本への侵入を試みようとする国がある。言うまでもなく中国である。中国は尖閣諸島近辺で、何度も領海侵犯をしている。日本人の家の前でアメリカ人がピストルを持って防護しているのに、中国人が包丁を振り回してアメリカ人の静止を振り払い、家の中に入り込もうとしているようなものである。仮にこういう状況になったら、家の前の警備をもっと厳重にするのが普通だろう。ところが、平和主義を掲げる左派は、「戦争法反対」などと口を揃えて主張する。あまりにもおかしな話である。

 中国の脅威に対しては、日本の防衛能力を上げなければならない。すると、冒頭で書いたA国・B国と同じになるが、日本の軍事力強化を見た中国は、日本が中国を攻撃するのではないかと感じ、さらに軍事力を上げる。日本はそれに対抗して軍事力を上げる。こうして、両国の緊張がどうしようもなく高まったところで、対話の可能性が生じる。この対話を日本にとって有利に進めるには、中国に「日本を攻撃すると中国に損害が生じる」と思わせる状況を作っておくことが重要である。つまり、日中がお互いの軍事力を高める一方で、日本に対する中国の依存度を強めておく。私は、安倍首相が最近言及した、AIIBへの加盟というのはいいアイデアだと考える。

 日本が対中戦略を練る上で、私はアメリカがある日突然はしごを外す可能性も視野に入れておくべきだと思う。アメリカ・ファーストを掲げるトランプ大統領は、同盟国を守らないかもしれない。アメリカを当てにできないなら、日本は自らの手で自国を防衛するしかない。幸いにも、日本は国土が狭いため、攻撃の対象となる地域が限られる。それぞれの地域について綿密な防衛戦略を立て、仮に中国が日本を攻撃してきた場合はその防衛戦略で対抗し、早期に政治的・外交的決着に持ち込むというシナリオを用意しておく。国家の自然権である自衛権をまともに行使できる「普通の国」になるためには、こうした準備をしておくことが必要不可欠である。

 国家の成立には諸説あるが、ホッブズ的な考え方に従えば、人間は自然状態に置かれると闘争が絶えないため、各々の財産を守るために国家という約束の共同体を創造したとされる。初期の段階では、世界中に局所的に国家が誕生する。国家はまだら模様で、どの国家も存在しない空白地帯もある。ところが、ある程度の時期が過ぎると、最初に設立した国家では、国民が生活するのに十分な財産・資源がないことが判明する。すると、国家は周辺の空白地帯へと領土を拡大し、新たな資源を獲得する。こうして、徐々に世界から空白地帯は消えていく。空白地帯がなくなって、世界中に国家が隙間なく成立した後でも、なお自国の資源が足りないと思う国家は、遠方の国家を略奪するようになる。これが帝国主義であり、略奪された国家は植民地となる。

 20世紀の2度の世界大戦を経て、植民地は禁じられることになった。ところが、帝国主義の時代は終わっていない。未だに、領土拡大を画策する国が存在する。ロシアのクリミア編入もそうであるし、中国が南シナ海を自国の領海だと主張してはばからないのもそうである。帝国主義は、資源を奪うか奪われるかというゼロサムゲームを戦っている。もし、帝国主義の時代に終止符を打とうとするならば、限られた資源から双方の国が利益を得られるようなWin-Winの関係構築を志向する新しいゲームのルールが必要となるのであろう。ただし、私の浅知恵では、それが具体的にどのようなルールになるのか、現時点では少しも明らかにすることができない。

2017年06月09日

『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている

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正論2017年6月号正論2017年6月号

日本工業新聞社 2017-05-01

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 クリントン大統領と北の核疑惑が顕在化した1993年からオバマ大統領が退任する2017年までの24年間、米国が実質的に何もしなかった間に、北朝鮮は核実験を重ね、ミサイルも日本までを射程に入れるノドン、テポドン、そしてグァムに到達するムスダンまで開発を進めてきた。核ミサイルにより一部とはいえ米国市民を脅すところまで来たのである。
(香田洋二「トランプVS金正恩の裏側 徹底分析!両軍の実力は・・・」)
 以前の記事「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」でもやや突飛なことを書いたが、この24年間、アメリカは北朝鮮に対して何もできなかったのではなく、敢えて何もしなかったのではないかというのが私の考えである。北朝鮮が核兵器を開発し始めた初期の段階では、当然のことながらその能力はとても十分なものとは言えない。だが、能力が十分でないがゆえに、アメリカは北朝鮮の核に関する情報を十分に入手することができない。北朝鮮がどこに核開発施設を持っているのか、核兵器の破壊能力はどの程度なのかをアメリカは見積もることができない。

 この段階でアメリカが最も恐れるのは、アメリカがなまじ北朝鮮に制裁を行った結果、北朝鮮が暴走し、韓国を攻撃することである。同盟国である韓国が攻撃されれば、アメリカは否が応でも朝鮮半島に出向かなければならない。北朝鮮の軍事能力に関する分析も不十分で、戦略・戦術が明確に定まらないまま、アメリカは朝鮮半島の戦争にズルズルと巻き込まれる。いくらアメリカの軍隊が世界最強だからと言っても、こんな戦争をアメリカはやりたがらない。

 だから、アメリカは北朝鮮の核兵器の能力が上がり、アメリカが分析可能なレベルに達するまで待っていたのだと思う。ミサイルの能力が上がれば、北朝鮮はミサイル発射実験を繰り返すようになる(まさに今そうなっている)。アメリカは実験の映像を分析することで、北の実力を正確に推定できる。また、北朝鮮の核兵器の能力が上がれば、核開発施設が大型化し、衛星からその存在を把握することも可能になる。そうすれば、アメリカは対北朝鮮の戦略を練りやすくなる。

 アメリカが北朝鮮に対して取っている態度は、中国に対して取っている態度とも同じである。アメリカは、敵国のレベルが上がるのを待って、「戦争か、交渉か」と迫る。これがアメリカのいつものやり方である。ただし、仮に戦争が選択された場合は、敵国も相当程度の軍事能力を保有しているため、大規模な戦争に発展する。そして、日本が巻き込まれる可能性は極めて高い。
 柳澤:それはアメリカが助けに来てくれたとしたら、その時は尖閣の取り合いでは済まない大戦争になっているということですよね。沖縄や西日本にミサイルが飛んでくる事態も覚悟しなければならない。今までと同じようにアメリカに守ってもらうことを政策目標にしていたら、無理が生じるのではないかという懸念も出てきているのです。だからこそ、日本にとって守るべきものはいったいなんなのか、守るためにはどれほどのコストを負担すべきなのかを含めて、抜本的に考え直さなければいけない。
(柳澤協二、潮匡人「護憲か、改憲か」)
 日本は、「アメリカが日本を見捨てる日」に備える必要があるのではないかと思う。現在のアメリカ大統領は、「アメリカ・ファースト」を公言してはばからない人物である。いくら安倍首相がトランプ大統領と密接な関係を構築して、日米同盟の磐石性を強調しても、アメリカがあっさりそれを放棄する可能性はゼロではない。日本はそのXデーに備えて、自力で自国を防衛できる能力を保有する必要がある。それが、日本が戦後レジームを脱却して「普通の国」になる道である。
 山田:では仮に、安倍内閣が河野談話を撤回するなんて表明したとしたら、「修正主義だ」などと騒がれて、喜ぶのは韓国や中国ということになってしまいます。ですのでやはり、モーガンさんのような方に、アメリカの一般の人たち向けに、この問題(※慰安婦問題)についての正確な情報をきちんと出していってほしいと思いますね。
(ジェイソン・M・モーガン、山田宏「トランプ大統領の靖国参拝で歴史問題は解決する
!」)
 ただ悲しいかな、戦後70年の歴史の中で、日本人は対米依存体質にどっぷりと浸かっているようである。上記の引用文は、韓国や中国が慰安婦問題に関して根拠のない情報を世界中にばらまいていることに対し、山田宏氏がアメリカ人のジェイソン・M・モーガン氏に正しい情報を発信してくれるよう依頼している場面である。ところで、この記事には次のような文章もある。
 モーガン:日本の学問は真実を追求していくのが原則なんですけれども、アメリカの学問はあくまでもイデオロギーありきで、いくら真実を語っても聞く耳を持たない、ということに気付かされたのです。イデオロギーに染まっている人は、何を言っても聞く耳を持たないので、証拠をいくら出してもムダというわけで、それはそれで一貫性があります。(同上)
 イデオロギーに染まって真実を聞く耳を持たない人に対して、真実を伝えるようにお願いするのは全く矛盾している。慰安婦問題や南京事件問題などに関しては、韓国や中国は莫大な予算をつけて世界中で広報キャンペーンをやっている。そこで、日本も広報予算を大幅に増額して、韓国や中国に対抗すべきだという主張をしばしば耳にする。しかし、はっきり言ってイデオロギーに染まっている韓国人や中国人に何を言っても徒労に終わるであろうし、良識ある第三国から「真実はこうなのですよ」と韓国や中国を諭してもらうことも期待できない。

 私は、韓国や中国がどんなに外野で騒いでも、日本人だけは事実を適切に認識していればそれで十分だと思う。韓国や中国のキャンペーンによって、過去の日本人に対して悪いイメージを持つ人々が世界中で増えるかもしれない。しかし、過去は過去と割り切って、それでも日本を必要とする諸外国との協力関係を誠実に維持することが重要である。そうすれば、「日本人は昔は悪かったかもしれないが、今は本当に信頼できる国民だ」と思ってもらえる。外交関係は過去に束縛されるのではなく、常に未来志向でなければならない。

 私は、安倍内閣になってから、アメリカへの依存度が高まっていることに少なからぬ不安を抱いている。安倍首相は何かにつけて日米同盟の強固さを強調する。現代は米中の2大国の対立の時代であり、中国の脅威から日本を守るためにアメリカとの関係をより深化させなければならないというのが政府の理屈であろう。しかし、以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」でも書いたように、二項対立の一方に過度に肩入れすると、日本は危機に直面するという特性がある。

 特に、理想と現実という二項対立の扱いが不得手である。歴史を振り返ると、少なくとも3度、日本人は理想の扱いでミスをしていると私は考える。1つ目は中世における仏教の扱いである。仏教はインドから中国を経由して日本に伝来した。よって、日本の仏教という現実に対し、インドや中国の仏教が理想という関係がある。インドが天竺であるのに対し、日本は粟散辺土である。中国が大国であるのに対し、日本は小国である。ところが、中世になると、日本が粟散辺土で小国であるがゆえに、仏教の理想国であるという考え方が現れるようになった。日本が仏教の発祥の地であるとする伝説も創作された。さらに、日本書紀の神々が仏によって書き換えられた。日本書紀は日本の成立を記した重要な書物であるから、それに手を加えるというのは一大事件である(ただし、私は神仏習合自体は日本独自の二項混合として評価している)。

 2つ目は、江戸時代における中国礼賛の動きである。古代から、日本国家は中国の制度を真似して作られてきた。中国では皇帝が大きな権力を有し、広大な土地を治めている。それに倣って、日本では天皇に影響力を集中させ、国家を統治するという機構が構築された。ここでは、中国が理想で、日本が現実という関係になっている。ところが、江戸時代に入ると、儒学者である山鹿素行が『中朝事実』を著し、日本こそが中国の理想を最もよく体現している、端的に言えば、日本こそが中国であるという主張を展開するようになった。山鹿素行は江戸時代初期の人物であるが、その影響は後代にまで長く及んだ。明治維新によって幕府が消滅し、天皇に権力が集中する体制が整備されたが、山本七平は明治維新のことを「中国化革命」と呼んでいる。

 ここにおいて、日本と中国の関係は、日本が理想で中国が現実という具合に逆転する。理想的な日本は中国という現実に直面するのだが、理想の扱いに慣れていない日本はここで失態を犯す。通常、理想と現実の間にギャップがあれば、その間を埋める施策を講ずるものである。だが、自国が理想だと主張してはばからない日本は、現実の中国を攻撃する。これが日中戦争である。もう1つの態度は、理想を捨てて現実の前に土下座するというものである。戦後、田中角栄が電撃的に中国との国交を回復したのはその表れである(以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」を参照)。つまり、理想に強くしがみつくあまり、現実との間で上手く折り合いをつけられないのである。

 3つ目は、太平洋戦争である。明治維新以降、日本は西洋の価値観を手本としてきた。西洋が理想であり、日本が現実という関係である。ところが、いつしか日本こそが西洋であり、アジアにおいて西洋的な価値観を実現する使命を帯びていると考えるようになった。それが実行されたのが、太平洋戦争における満州国の建国であり、東南アジアにおける植民地の解放運動である。しかし、現代の我々は、いずれも失敗に終わったことを知っている。よく、日本人は東南アジアで欧米による植民地支配を打ち破ってくれたから、東南アジアには親日国が多いと言われる。しかし、実際にフィリピンで戦場に立った山本七平などは、日本軍に東南アジア経営のビジョンがなく、現地の激しい抵抗運動にあったと述懐しているのは見逃せない。

 現在、日本はアメリカを絶対的な理想としている。私が恐れているのは、アメリカが重視する基本的価値観を最もよく体現しているのは日本であり、日本こそアメリカであるという主張が現れることである。仮にそうなった場合、あまりに突飛な予測かもしれないが、日本がアメリカを総攻撃するか、ワシントンに土下座するといった日が来る恐れがある。これを防ぐためには、二項対立の一方に過度に肩入れしないことである。つまり、中国との関係も重視しなければならない。中国をいらずらに敵視するばかりではなく、中国に「日本を攻撃すると自国にとって大きな不利益となる」と思わせることが必要である。この点で、条件が整えば中国が主導するAIIBに参加してもよいと発言した安倍首相の態度は評価できると思う。

2017年06月07日

山本七平『日本人とユダヤ人』―人間本位の「日本教」という宗教

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日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))
山本 七平

角川書店 2004-05

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 本書が最初に出版された時、著者名はイザヤ・ベンダサンとなっていたが、実はこれは山本七平のペンネームである。本書の中に何度か登場する「山本書店の店主」とは、出版社を経営していた山本自身のことである。私が読んだ本では、著者名が山本七平に改められていた。山本七平は、神戸市の山本通りで、木綿針を中国に輸出していたユダヤ人小貿易業者の家に生まれたユダヤ系日本人だと称している。その山本が、ユダヤ人と日本人を比較した1冊である。

 ユダヤ人と日本人に共通するのは、「満場一致であっても正しいとは考えない」という点である。しかし、その理由は両者で大きく異なる。ユダヤ人の場合は、満場一致は無効と見なす。ユダヤ人は、その決定が正しいならば反対者が必ずいるはずで、全員一致は偏見か興奮の結果、または外部からの圧力以外にはありえないため、その決定は無効であると考える。こうした考え方の根底には、正に対しては必ず反があるという二項対立的な発想がある。二項対立的な発想は、彼らの言語体系にも影響を及ぼしている。すなわち、彼らが扱う言葉には、両極端の意味を持つものが少なくない。彼らの二項対立的な発想は、西欧で一般的となり、現代の大国(アメリカ、ドイツ、中国、ロシア)でも常識と化している(以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」を参照)。

 一方、日本の場合は事情が異なる。日本では、満場一致の決議であっても、その議決者を完全に拘束せず、国権の最高機関と定められた国会の法律でさえ、100%国民に施行されるとは限らない。だからと言って、日本が無法地帯に陥っているわけではない。ここに日本独特の「法外の法」があり、「満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず」という不文律がある。よって、裁判では「法」と「法外の法」の両方が勘案されて、情状酌量がなされた人間味あふれる判決が下される。この法外の法を知らない外国人が日本人と契約を結ぶ際には苦労する。

 元来、法律というものは、言葉によって厳格に記述されたものである。だとすると、「法外の法」がある日本語はいい加減だということになりそうだが、山本に言わせれば決してそうではない。むしろ山本は、日本語は完璧であると指摘する。日本語は他の言語に比べて言葉の数が豊富であり、かつ、1つの言葉の範囲が狭い。1つの言葉が両極端の意味を持つということがまずない。日本人は、意味を狭められた抽象的な言葉を自由自在に使いこなして、具体的な結論を出すことができる。いや、結論が「出る」と言った方が正しい。算術的に結論が出るさまを、山本は日本人が得意とする算盤に例えている。暗算をする時には頭の中に算盤を思い浮かべる。最初の頃は頭の中の算盤の珠を意識的に動かさないと計算できない。だが、暗算が上達すると、算盤の珠を無意識のうちに操ることが可能となる。その結果、答えが自然と「出る」のである。

 「法外の法」があるということは、「言外の言」、「理外の理」が存在することを意味する。山本はこの3つを「日本教」という宗教の特徴だと主張する。しばしば日本人は無宗教だと言われるが、山本の目から見ると、日本には厳然たる「日本教」という宗教が存在する。そして、日本人とは日本教徒のことであり、ここでは国籍は関係ないと言う。仮にフランス人が日本国籍を取得しても、それだけでは周囲から日本人と認められない。その元フランス人日本人は、日本教に”改宗”して初めて日本人と見なされる。この日本教における最高の価値とは「人間」である。
 「人間性の豊かな」「人間ができている」「本当に人間らしい」とかいう言葉、またこの逆の「人間とは思えない」「全く非人間的だ」「人間って、そんなもんじゃない」「人間性を無視している」という言葉、さらに「人間不在の政治」「人間f材の教育」「人間不在の組織」という言葉、この、どこにでも出てくるジョーカーのような「人間」という言葉の意味する内容すなわち定義が、実は、日本における最高の法であり、これに違反する決定はすべて、まるで違憲の法律のように棄却されてしまうのである。
 日本教においては、最後は「人間らしいかどうか」が判断基準となる。山本は、日本教の考えがよく表れている書物として『日暮硯』を挙げる。江戸中期、信州松代藩の家老・恩田木工が、窮乏に陥った藩財政の改革に成功した事蹟を筆録した書である。恩田木工は、税金を前納した者、税金をまだ納めていない者、脱税した者、役人に賄賂を贈った者などを全て平等に扱い、改革を進めた。『日暮硯』を読んだ外国人は、「日本の律法は一体どうなっているのか?」と一様に首をかしげたそうだ。だが、恩田木工が優先したのは、財政難で荒廃している藩における人間関係の回復であった。これこそが、日本教的生き方である。

 最後は人間関係がカギを握る―これは日本人が作成する契約書にも表れている。日本の契約書の最後には、必ず次の条文がある。「その他本契約に定めのない事項について疑義が生じた時は、双方誠意をもってその解決にあたるものとする」。契約に関しては、新興国でよく見られる人治主義(「俺が言ったことが正しいルールだ」)と、欧米の法治主義(明文化されたルールが全てである)という2つの立場がある。日本人の契約書は、決まりごとを文言で明記しておきながら、最後は人間同士の話し合いで折り合いをつけるというものである。これは、人治主義と法治主義の「二項混合」と言える。前述の通り、欧米人はこの二項混合に困惑するのである。

 「法外の法」、「言外の言」、「理外の理」ということは、法律、言葉、道理をはみ出していく法律、言葉、道理が存在することを意味する。しかし、このはみ出した法律、言葉、道理は決して、元の法律、言葉、道理を否定するのではない。聖書のヨハネの福音書の冒頭には「はじめにロゴス(言葉)あり」という有名な言葉があるが、山本に言わせると、日本の場合は、「はじめに言外あり、言外は言葉とともにあり、言葉は言外なりき」という言葉が冒頭に来るという。ここでは言葉と言外という対立・矛盾が何の問題もなく同居し、全体を構成している。この世界観は、以前の記事以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」で修正した鈴木大拙の世界観に通じるところがある。

 ただ、山本が言う日本教には、1つ弱点があると思う。山本は、日本教の根底には、「人間とは、こうすれば、必ず相手もこうするものだ」という確固たる信念があると言う。これは、自分がよいと思うことは、相手も必ず実践してくれるという発想であり、実は自己本位になっている。日本人が自分の価値観を相手に押しつけて失敗した例は、満州経営の失敗や、太平洋戦争で日本兵がアジアの植民地から反発を食らったことを挙げれば十分だろう。「自分のことはさておき、相手の利益になることは何か?」を考えることが、真に人間本位の日本教であると言える。

 ここからは私の個人的な体験談。私は以前、ある中小企業向け補助金事業の事務局員を務めていた。補助事業に採択された中小企業が、補助金を適正な目的のために使用しているかを様々な伝票類から確認するという事務作業がメインであった。補助金は国民の税金が財源であるから、適正に投入しなければならない。よって、補助金の要件は厳格に定められている。私も分厚い冊子を何冊も渡された。だが、これは建前であって、実は補助金のルールをよく読み込むと、グレーな部分が結構たくさんある。典型的なのは「○○等」、「その他○○」という表現を使い、どういうふうにでも解釈できる道を作ってしまうことである。

 真面目な事務局員は、曖昧な言葉を厳格に解釈して、ルールを複雑化する傾向があった。おそらく彼らの心の中には、「補助金による不正を防がねば」という気持ちがあったのだろう。一方、事務局長レベルと話をすると、「ここは幅広く解釈してOKにしよう」という結論になることが多かった。事務局長レベルの人たちは、「明らかな不正でない限り、補助金をできるだけ満額中小企業に受け取ってもらう」という考え方で動いていたと思う。我々事務局が担当する中小企業は、既に採択された、すなわち一度審査で合格になった企業である。中小企業は、「採択された以上、補助金を受け取る権利がある」と思っている。だから、事務局はあまりやかましく言わずに補助金を支払うのが人間の情というものであろう。これも日本教の一例かもしれない。

 私自身も、事務局長レベルの人たちと近い考え方で仕事をしていた。我々事務局員がどんなに真面目に仕事をしても、所詮補助金は補助金であり、世間には政治家が人気取りのために行うバラマキにしか映らない。だとすれば、よほどの不義理がない限り、いっそのこと盛大にばらまいてお金を循環させた方が、世のため人のためになるというのが私の考えであった。幸い、私が200社ぐらい担当した中で、明らかな不正を働いている企業は1社もなかった。むしろ、前述のようにルールを厳格に解釈する厳しい事務局員に限って、明らかな不正を働いている中小企業に当たることが多く、中小企業とよくトラブルを起こしていた記憶がある。


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