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【厚生労働省】「セルフ・キャリアドック」導入ガイダンスセミナー(セミナーメモ書き)
双極性障害で入院したところ40日の予定が1週間で退院してしまった事の顛末
『維新する(『致知』2017年8月号)』―デビュー25周年のMr.Childrenの歌詞を解剖する

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年12月02日

【厚生労働省】「セルフ・キャリアドック」導入ガイダンスセミナー(セミナーメモ書き)


カウンセリング

 厚生労働省が主催する「セルフ・キャリアドック導入ガイダンスセミナー」に参加してきた。以下、セミナー内容のメモ書き。

 《参考記事》
 【人材育成】能力開発はジグソーパズル、キャリア開発はレゴの組み立て
 『人材育成(DHBR2017年4月号)』―人事考課は不要かと聞かれれば「それでも必要だ」と私は答える、他
 『一橋ビジネスレビュー』2017年AUT.65巻2号『健康・医療戦略のパラダイムシフト』―抜本的改革ではなく「できるところから」着手するBCGの病院改革に共感した、他
 DHBR2017年11月号『「出る杭」を伸ばす組織』―社員の能力・価値観を出発点とする戦略立案アプローチの必要性
 『世界』2017年11月号『北朝鮮危機/誰のための働き方改革?』―「働き方改革」を「働かせ方改革」にしないための素案

 1.基調講演「セルフ・キャリアドック導入について」(慶応義塾大学名誉教授 花田光世氏)
 ・2016年4月1日に「改正職業能力開発促進法」が施行された。同法は、労働者が職業生活設計を行い、その職業生活設計に即して自発的な職業能力の開発および向上に努めることを基本理念としている。事業者は、「労働者が自ら職業能力の開発及び向上に関する目標を定めることを容易にするために、業務の遂行に必要な技能及びこれに関する知識の内容及び程度その他の事項に関し、情報の提供、キャリアコンサルティングの機会の確保その他の援助を行うこと」(第10条の3第1項)が義務化された。ここで言う「キャリアコンサルティング」とは、「労働者の職業の選択、職業生活設計又は職業能力の開発及び向上に関する相談に応じ、助言及び指導を行うこと」(第2条第5項)と定義されている。

 ・企業は上記の法改正に伴い、キャリアコンサルティングの内容を「セルフ・キャリアドック」という施策を通じて具体化しなければならない。セルフ・キャリアドックとは、企業がその人材育成ビジョン・方針に基づき、キャリアコンサルティング面談と多様なキャリア研修などを組み合わせて、体系的・定期的に従業員の支援を実施し、従業員の主体的なキャリア形成を促進・支援する総合的な取り組み、またそのための企業内の仕組みのことである。

 ここで1つ注意しなければならないのは、法律ではキャリアコンサルティングを「相談に応じ、助言及び指導を行うこと」と定義しており、文字通りに読めば従来の面談型の支援が想定されるところだが、セルフ・キャリアドックではキャリアコンサルティング面談に加えて「キャリア研修」を組み合わせることが要請されているという点である。この「キャリア研修」は、法律の「相談に応じ、助言及び指導を行うこと」という文言に広く包摂されると解釈するのが適切である。キャリア研修では、従業員の仕事・人生に対する姿勢・意欲・マインド・価値観の棚卸しを行う(自己理解)とともに、現在および近い将来に、従業員が担当している、または今後担当する可能性のある仕事において、顧客や組織、上司、同僚や部下などから期待・要請されている役割を理解する(仕事理解)ことを通じて、従業員の中長期的なキャリアビジョンのデザインを支援する。

 ・最近の人事のトレンドをまとめると以下のようになる。
 ①アメリカのASTD(American Society for Training and Development)が、ATD(Association for Talent Development)へと改称した。これは、TrainingよりもDevelopmentを重視する姿勢を表している。つまり、企業が必要とするスキルの訓練から、個々人が持つ多様な力の発揮へと視点がシフトしている。

 ②GE、Google、GAPといった企業で、従来型目標管理のウェイトを抑え、自律型の個人の評価を重視する傾向が見られる。従来型の目標管理制度では、伝統的な職務分析を通じてグレーディング、レーティングを細かく設定していた。しかし、グレーディングなどを適用しやすいのは補助業務や定型業務であり、近年増加している非定型業務、判断企画業務には適用が困難である。これらの業務は同一職務同一賃金にも馴染みにくく、企業は従業員の持ち味を生かしたキャリアコンピテンシー、エンプロイヤビリティ、人間力の開発を支援するのが望ましい。これを従来のOJT(On the Job Training)に対して、OJD(On the Job Development)と呼ぶ。

 GEでは、グレーディング、レーティングを簡素化するとともに、評価を年1回の決められた期間における面談中心から、上司と部下がより頻繁に会話の機会を設ける方向へとシフトしている。日本GE株式会社人事部長である木下達夫氏は、「本人が自分自身に対してオーナーシップを持ち、上司と密に話し合いをしながら、今よりもよい自分になっていけるような仕組みにするために『目盛り』という考え方をやめようとしている」と語っている。

 個人的には、「GEが人事評価を止めた」という事実だけが独り歩きしている現状を憂慮している。面談や評価の調整が煩雑な上に、結局は公平な評価ができない人事考課制度ならいっそ廃止しようという流れに傾きつつあるのが怖い。GEの変革の本質は、部下の評価を半年~1年に1回だけの決められた時期に行うのではなく、日常業務の中で頻繁に行うことにある。したがって、これまでよりも人事評価の負荷は増える。さらに、半年~1年に1回の人事考課も残すべきだと考える。というのも、上司は部下に対して半年~1年の間に色々とフィードバックをしてきたが、結局のところ部下のよいところは何か、改善すべきところは何か、次はどんな目標を目指すべきか、日常業務を一旦離れ、じっくりと腰を据えて検討することは有効だからである。

 ③国は、2024年度末までに、キャリアコンサルタントを10万人養成する計画を示している。ちなみに、2025年は65歳完全定年制が義務化される年である。花田氏は、これは70歳までの雇用延長の始まりになると推測している。現在52歳の人は、2025年には60歳となるが、65歳完全定年制の義務化により65歳まで働くことになる。そして、彼らが65歳となる2030年には、おそらく70歳まで雇用が延長される。さらに、彼らが70歳になる2035年には、定年制が完全に廃止されるか、75歳+αまで雇用延長されると花田氏は予測している。そのため、シニアが自らのキャリアを主体的に開発することが重要である。同時に、若手・中堅の従業員も、非常に長いキャリアをデザインすることが要求される。企業には管理職が不足しており、今後は大卒非管理職がマジョリティとなる。彼らのモチベーションをいかにして上げるかも問題となる。

 私自身は、冒頭の参考記事でも書いたように、日本的な年功制の給与制度と昇進制度を今でも支持している。そして、将来の日本の人口動態を見ると、20代の若者を底辺とし、60代を頂点とする従来型のピラミッドと、40~50代のミドルを底辺とし70~80代のシニアを頂点とする新しいピラミッドが登場すると考えている。従来型の組織で昇進の見込みがなくなった社員は、新しく登場するミドル・シニア人材中心のピラミッドへと移行していく。企業は、40~50代で新しく起業する人材を支援する基金を共同で設立するとよい。また、新しいピラミッドに転職するミドル・シニア人材の当面の生活費をカバーする新しい保険制度を企業が合同で整備するのも一手である。

 ④企業に課された新たな義務のうち、「その他の援助」としては、企業が従来行ってきた各種施策を応用することが想定されている。具体的には、キャリア健診やモラルサーベイ、組織開発や職場ぐるみ訓練、OJT、360度評価やフィードバックなどである。一方、キャリアコンサルタントには、前述のキャリア研修の実施に加えて、キャリアコンサルティング面談などを通じて得られた情報を総合的に分析し、守秘義務に配慮しつつも、従業員の職業設計、能力開発にとって障害となる組織的課題を全体報告として経営陣に報告する役割が期待されている。言い換えれば、企業は従来組織的な視点から行ってきた施策を個の視点で、キャリアコンサルタントは従来個の視点から行ってきた活動を組織の視点で再編成する必要があるということである。

 私は、キャリアコンサルタントには組織的な課題を解決する以上の役割が求められるようになると考えている。冒頭の参考記事で書いた通り、今企業は内部環境アプローチによる戦略立案を必要としている。具体的には、社員の能力や価値観を十二分に活用した場合にどのような戦略があり得るのかを検討するというアプローチである。社員の能力は人事部が一応把握しているが、ややもすると効率的な処理を優先するあまり、抽象的なレベルでの把握にとどまっていることが多い。そこで、キャリアコンサルタントが社員の生の声に接することで得られるリアリティの高い情報、企業の枠組みに収まりきらない情報を丹念に拾い上げ、それらを編み込むことで新たな戦略機会を模索する。キャリアコンサルタントは戦略コンサルタントにもなるだろう。

 2.モデル企業事例発表「セルフ・キャリアドック導入の効果について」
 <サントリーホールディングス株式会社>
 (ヒューマンリソース本部キャリア開発部長兼キャリアサポート室長 斎藤誠二氏
 ヒューマンリソース本部キャリア開発部キャリアサポート室課長 光延千佳氏)
 ・創業者の「やってみなはれ」の精神を人材育成ビジョンにも反映させ、「世界で最も人材が育つ会社に」という人材育成ビジョンをイントラネットに掲載している。従業員1人1人が自らのキャリアオーナーとなるべきことを説き、1人1人の意欲こそが企業の成長エンジンであり、そのために成長の節目で企業側からの働きかけを行うことを宣言している。この人材育成ビジョンの実現に向けて、「サントリー大学」という教育研修体系を整備している。階層別研修とキャリアワークショップの2本立てである。前者は企業の環境・戦略の変化に伴って内容も変化するだろうが、後者については、やり方は変わったとしても、本質的な部分は変わらないはずである。

 ・2006年にキャリアワークショップ「プロフェッショナル」(38~49歳が対象)を試験的に開始した。その後2007年にキャリアサポート室が立ち上がり、「チャレンジ」(入社11年目)が追加された。2013年には65歳までの定年延長に伴い、「キャリアドック53」、「キャリアドック58」を新設した。この過程で、「ミドル(45~50歳G1(課長)層)」への支援が手薄であったことから、今回のセルフ・キャリアドックではこの層を対象とすることにした。ワークショップの目的は、①ミドルマネジャー自身がキャリアビジョンを描くステップを理解すること、②自部署のメンバーが多様なキャリアビジョンを描くことを支援できるよう、メンバーのキャリア開発やメンバー育成力を学ぶことの2つである。サントリーでは、年5~6回の面談が行われており、少なくとも年1回はキャリア面談を実施することとなっているが、課長層は部下のキャリア面談をどのように行えばよいのか解らないという悩みを抱えていた。そこで、目的②が追加された。

 キャリアワークショップの実施後、参加者からはメンバーとのコミュニケーションが円滑になったという声が聞かれた。部下の価値観は何なのか、中長期的にどのようなビジネスパーソンになりたいのか、という視点でメンバーと会話ができるようになった。キャリアワークショップの実施から2~3か月後に参加者のフォローアップ面談を行っているが、様々な部署でメンバーに対する自発的なキャリア開発の支援が行われていることが判明した。

 ・国内1.2万人の従業員を対象に、毎年1回モラルサーベイを実施し、時系列で結果を比較したり、全社・事業部別・子会社別に分析したりして、従業員の元気と組織の生産性の関係をウォッチしている。ただ、サーベイの結果だけを見ているわけではなく、日々の肌感覚も重視している。両者が乖離していると感じる場合には、キャリア開発部が現場に介入し、実態の解明に乗り出すことがある。また、元気がないと感じている現場は自発的にMBTIやコーチングを実施したいと申し出てくるため、キャリア開発部が実施のサポートをしている。

 ・上司の「やってみなはれ」は、部下の「見てくんなはれ」とセットである。しかし、最近は部下の「見てくんなはれ」を許容せず、全部自分でやってしまう上司が多い。そうすると、人が育つ会社にはならない。「見てくんなはれ」をもっと許容しなければならない。企業の方向性と個人のキャリアのうち、後者を少し優先させる企業がよい企業である。

 <株式会社平井料理システム>
 (代表取締役 平井利彦氏
 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任講師 宮地夕紀子氏)
 ・平井料理システムは、香川県に本社を置き、四国・中国地方に23店舗を展開する飲食店である。香川県の人口は98万人しかいないため、売上高を伸ばすためには、同じ顧客に何度も来店してもらう必要がある。ただ、同じお店では飽きられてしまうから、多業態の飲食店を展開している。売上高は約17億円である。同社は「いいオトナに、なろう。」を会社のスローガンとしている。同社の従業員のほとんどが中途採用であると同時に、協力雇用主制度に協力して犯罪歴のある人を受け入れたり、障害者を採用したりしている。一言で言えば「ヤンチャ者の集まり」である。だから、「いいオトナに、なろう。」を目標にしている。

 ・現在、マネジメント人材である店長の育成が急務となっている。女性店長が不在であり、特に女性従業員のマネジメント能力開発、キャリア形成支援、離職防止が課題である。これらの課題に取り組むために、セルフ・キャリアドックを実施した。対象は女性正社員7名(2名が現場、5名が事務)、女性パート・アルバイト10名(8名が現場、2名が事務)の計17名である。キャリアコンサルティング面談は、宮地氏にお願いした。

 ・キャリアコンサルティング面談においては、最初から「キャリア」、「成長」という言葉を使うのではなく、「今どんな仕事をしているのか?」、「いつもどんなことを考えているのか?」といった話から入っていった。すると、「子育てが終わったら長い時間働きたい、夜のシフトにも入りたい」などの意見がポツリポツリと出てくるので、そこからキャリアの話に展開させていった。相談内容には次のような傾向が見られ、それに対し宮地氏は以下のような解決策を提案した。
 -営業時間中はお客様対応が第一優先であり、教育的なやり取りは困難になっている。
 ⇒別途、営業時間外に店長・スタッフ間で振り返り・フィードバックを実施する。
 -加齢による体力の低下への不安。
 ⇒30~40代のスタッフが多いため、積極的かつ日常的な体力づくり、および健康維持・向上に向けての教育意識啓発を行う。
 -パート・アルバイトという立場ゆえ、正社員でない自分が意見を言うのははばかられる。
 ⇒多様な雇用形態の従業員を巻き込んだ各店舗/店舗横断型のプロジェクトを展開する。

 ・キャリアコンサルティング面談実施後のアンケートを見ると、多忙な業務の中でも継続的に学習し続けることの重要さに気づいた、毎日の仕事の中で自分の成長につながるチャンスの獲得に向けて頑張りたいという気持ちを持つようになった、などの声が聞かれた。また、今までは1人で悩んでそのまま退職してしまうケースが多かったが(愛媛、徳島、岡山などでは1人しかいない店舗もある)、セルフ・キャリアドック後には、「周囲に言えば解ってもらえる」という意識が従業員に芽生えた。例えば、何か困りごとがあると事務所に電話がかかってきたり、同僚の女性に連絡が入ったりする。また、女性会議も開催されている。

 ・セルフ・キャリアドックの副次効果なのかもしれないが、育児休暇を取得する男性従業員が増えた。今までに5~6人が取得している。3日~2週間程度の休暇を申請するケースが大半である。会社全体として見ても、有給休暇を取得する従業員の数が増えている。前述の通り、様々な事情を抱えた従業員が働いているため、会社の仕組みに従業員を合わせるのではなく、従業員に会社が合わせることが重要である。そのためには、従業員から声を上げてもらう必要があり、会社はそのための環境を整備しなければならない。


2017年09月01日

双極性障害で入院したところ40日の予定が1週間で退院してしまった事の顛末


頭から煙を出す男性

 《参考記事》【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由
  1.中小企業診断士という資格を知ったきっかけ
  2.中小企業診断士を勉強しようと思ったきっかけ
  3.ベンチャー企業での苦労
  4.長い長い病気との闘いの始まり
  5.増え続ける薬、失った仕事
  6.点と点が線でつながっていく
  7.これから独立を目指す方へのメッセージ
 上記のシリーズ記事をご覧いただいた方はご存知かもしれないが、私はここ5年ほど双極性障害(Ⅱ型)という精神病に罹患している。双極性障害(Ⅱ型)という診断に変わる前は4年ほど通常のうつ病だと思って治療を受けていたので、治療期間はトータルで9年近くに及ぶ。私の人生の4分の1は闘病生活で占められている。ここ2年ほどはまずまず仕事ができていたものの、調子に乗って仕事を入れまくった結果、休みが取れなくなり、抑うつ症状が強く出てしまった。もう7年ぐらいお世話になっているかかりつけの医師に相談したところ、このままだと身体が持たなくなるため、休養目的で入院した方がよいと言われた。

 実は、私は5年前のほぼ同じ時期にも、休養目的で都内のある病院の心療内科に入院している。その時は約40日入院し、人生で初めて全く何もしない夏休みを経験した。私が退院してから約半年後、その病院の心療内科が閉鎖されてしまったのだが、今年に入ってから心療内科が復活したというので、慣れている病院がいいだろうということでその病院に入院することにした。

 私が入院直前に飲んでいた薬は以下の通りである。
 リボリトール1mg×2錠【抗不安薬】
 ジェイゾロフト25mg×2錠【抗うつ薬】
 リーマス200mg×1錠【抗精神病薬】
 サインバルタ30mg×1錠【抗うつ薬】
 ジプレキサ5mg×1錠【抗精神病薬】
 メイラックス1mg×1錠【抗不安薬】
 入院前に外来で診察を受けた時、担当医から「双極性障害の場合、抗精神病薬と抗うつ薬や抗不安剤を一緒に飲むことはない。抗精神病薬のリーマスだけに絞って200mgから600mgに増量し、他の薬は中止しよう」と言われた。この時点で私の頭には2つの不安がよぎった。

 1つは、抗うつ薬や抗不安薬を急に中止することで生じる離脱症状である。離脱症状とは、薬を止める時に出る副作用のことだ。長期間、薬を飲んでいると、薬の成分が定期的に身体に入ってくる。すると、身体は定期的にその成分が入ってくるものだと思い、その予定で身体の中を調整する。そのような状態でにいきなり薬を止めると、身体は入ってくるものと思っている薬の成分が入って来ないので、身体の中の色々なバランスが狂ってしまう。具体的には、めまい、頭痛、吐き気、だるさ、しびれ、耳鳴りなど、様々な症状をきたす。私の場合、長期間にわたって抗うつ薬や抗不安薬を服用しているため、離脱作用が出る可能性が高い。

 もう1つは、リーマスの急激な増量に伴う副作用である。血液検査の結果、私の血液中のリーマスの濃度が低かったので担当医は増量の判断を下したのだが、リーマスには様々な副作用がある。手の細かいふるえ、口の渇き、吐き気、食欲不振、下痢、めまい、立ちくらみ、眠気、脱力・けん怠感などである(ちなみに、リーマスには「リチウム中毒」という重篤の副作用もあるが、600mg程度では発症することがほとんどないらしい)。この2つの不安はやがて現実となる。

 私が入院したのは8月4日(金)である。外来の時の担当医に加えて、主治医がもう1人つくことになった。2人とも5年前とは別の先生である。2人体制で盤石かと思いきや、全くそんなことはなかった。5年前に入院した時は、主治医1人だけで担当医はいなかったにもかかわらず、1日朝夕の2回回診があり、さらに週に2回30分程度の面談があってじっくりと私の話を聞いてくれた。ところが、今回は回診が毎朝1回だけで、定期的な面談もないという。医師が2人に増えたのに回診の回数が半分に減っているのだから、医療サービスの質は4分の1に落ちている。

 さらに言えば、5年前に比べて看護師の質も落ちていると感じた。5年前は、少なくとも朝晩の2回患者の様子を見に来て、血圧と体温を測ってくれた。私が時折こぼす弱音にも耳を傾けてくれた。しかし、今回は朝しか様子を見に来ない。しかも、他の診療科にかかっている患者の元には夜も看護師が訪れるのに、私のところだけ看護師がやって来ない。

 6日(日)、本来主治医は休日で休みのはずだが、なぜかこの日は病棟に来ていた。そして、私に対して驚くべきことを言った。「前回入院した時の記録も含めてこれまでの治療歴を見てみると、どうも双極性障害ではない気がする」。これには私も混乱した。5年間双極性障害だと思って治療を受けてきたのに、主治医は記録を見ただけであっさりとそれを否定しようというのである。この時点で、主治医は双極性障害ではないかもしれないと思っており、一方でもう1人の担当医は私が双極性障害だと思ってリーマスを増量しているのだから、2人の間で治療方針が矛盾している。私は一体何を信じればよいのか解らなくなった。「では、何の病気なのですか?」と聞いたところ、「それは入院中に病理検査を受けてもらわないと解らない」との返答であった。

 私は経営コンサルタントの端くれなのだが、コンサルティングの仕事をしていると、顧客企業が以前に使っていたコンサルティング会社の成果物を否定することがある。否定するとそれだけで仕事をした気分になるからだ。しかし、否定される側は、こんなにも不愉快な気持ちになるものなのかと、恥ずかしながら私はこの時初めて知った。確かに、前のコンサルティング会社の成果物が滅茶苦茶で、この通りに顧客企業が経営を行ったら危ない方向に行ってしまう場合には、その成果物を否定しなければならない局面というのはある。ただ、その場合には、すぐさま新たな仮説を提示して、顧客企業が真に進むべき方向性を照らすのがコンサルタントの責任である。

 もちろん、医師はコンサルタントと違って、不確かな仮説を簡単には提示できないという事情はあるだろう。だから、主治医は病理検査を私に勧めてきたわけだ。しかし、現状調査をするのであれば、すぐさま開始するべきだと思う。私が最初の病理検査を受けたのは、入院してから1週間が経過した10日(木)であった。しかも、入院中にどういう検査を受けるのか、その全体像は教えてくれない。あまりコンサルティングの常識を医師に押しつけるのもよくないのかもしれないけれども、コンサルティングであれば必ず事前に現状調査の全体像やスケジュールを顧客に提示するものである。何をいつまでに調査するのかをあらかじめ顧客に納得してもらう。今回のように、ずるずると病理検査を続けようというのは、私からすると考えられない。

 百歩譲って、その1週間が経過観察期間だったとしよう。しかし、本当に患者の経過を観察する気があったのかと疑念を抱かざるを得ない。案の定、入院して4日目ぐらいから、頭がガンガン揺れる感覚に襲われるようになった。離脱症状が出始めたのである。そのことを主治医に訴えたところ、最初に処方されたのは普通の頭痛薬であった。こんなものは効くはずがない。5日目になると、頭の不調に加えて吐き気がするようになった。もう1人の担当医に相談したら、コントミンを処方された。コントミンは古くからある統合失調症の薬らしい。だがこのコントミン、調べてみると命に関わる重篤な副作用をもたらす危険性があるため、やむを得ない場合に限って処方される薬だそうだ。担当医からはそんな説明は一切なかった。

 それでも一応コントミンを飲んでみたところ、その日は症状が治まった。しかし、翌6日目には激しい胸やけと吐き気に襲われた。めまい、手足の冷え、手先の震えといった症状も出てきた。私はここに至って、これは離脱症状だけのせいではないと思うようになった。というのも、以前も私は何度か薬を1週間ぐらい切らしてしまったことがあり、離脱症状に襲われたことがあるのだが、日に日に症状が悪くなるということは経験したことがなかったからだ。

 となると、考えられるのは、もう1つの可能性であるリーマスの副作用である。リーマスの血中濃度が徐々に上がったことで副作用が出たのかもしれない。ところが、主治医はリーマスのことは全く頭にないのか、「離脱症状で手足の冷えはない」と言い切るばかりである。ひとまず、対処療法的に吐き気止めと胸やけの薬を処方してもらった。入院中はゆっくりと本が読めると大量の本を病室に持ち込んだのに、長時間文字を見続けると気分が悪くなるし、本の内容をメモに取ろうとしても、手が震えて満足に字を書くことができない。

 7日目の10日(木)、いよいよめまいがひどくなってきた。前述の通り、この日は1回目の病理検査があり、簡単な知能テストのようなものを受検した。しかし、途中で気分が悪くなったため、半分しかテストを消化することができなかった。私はコントミンの効きが悪いので、普通のめまいの薬を出してほしいと看護師に何度かお願いした。看護師は院内の薬局に連絡を取ったらしく、夜になればめまいの薬が出ると言った。だが、夜になって夜の看護師にめまいの薬をもう一度お願いすると、明日の朝主治医の診察を受けてもらわないと出せないと言う。

 11日(金)~13日(日)は3連休で、主治医も担当医も基本的には休みであり、回診も十分にできない。そこで、この3連休は外泊してもよいとあらかじめ主治医からは告げられていた。このこと自体には私は怒っていない。ちょうどお盆休みにかかるから仕方のないことだ。前回入院した時も、主治医は夏休みを1週間とっていた。主治医の言葉を受けて、私は、11日の10時に病院を出て、13日の17時に病院に戻ってくる計画を事前に申請していた。ただ、10日の私がこんな状態であったので、主治医は私が外泊する翌11日の10時より前に回診に来ることになった。

 さて、11日になったのだが、待てど暮らせど主治医が来ない。11時になって私が看護師を呼んで確認してもらったら、まだ病棟に来ていないと言われた。仕方なくもう少し待ってみたものの、12時になっても来ない。しびれを切らした私が看護師に言うと、看護師が主治医の携帯に電話をしてくれた。ところが、主治医は夕方にしか来ないと言う。朝10時までに来ると言っておきながら、何の連絡もよこさずに来るのが夕方になるというのは非常識極まりない。民間企業でこんなことをしたら、即刻取引停止である。私は夕方まで待てないと言って、めまいの薬をもらわずに外泊した。これが5年前と同じく1日2回の回診ならば、10日の夕方に問題は解決していたはずだ。

 3連休は地獄であった。めまいはするし、頭はガンガン揺れるし、脳みそがギューッと締めつけられるような感覚が続いた。身体は火照っているのに、全身からは変な汗が出て、手足が冷えた。下痢もするようになった。食事も十分に摂れなかった。実は、食事は入院5日目あたりから満足に摂れなくなっていた。そのせいで、入院わずか1週間で体重が3kgも落ちた。入院前に取引先に頭を下げてせっかく休暇をもらったのに、これでは全く休暇にならなかった。ストレスから解放されるどころか、かえってストレスがたまる一方であった。

 あまりに症状が悪化したので、12日(土)に病院に電話したところ、一度病院に戻ってきてくれとのことだった。私は主治医も担当医もいないのだからどうせ薬は処方されないだろうと思っていたが、やはり看護師の力だけでは薬は出なかった。完全に無駄足であった。私はこのまま入院しても満足な治療が受けられないと感じ、退院を願い出た。だが、週末は退院手続きができないと言う。そこで、外泊を14日(月)の午前中まで延ばし、14日に病院に戻ってきて退院手続きをするということで話は落ち着いた。13日(日)、私はあまりよくないとは思いつつ、自宅に残っていたサインバルタとリボトリールを飲み、リーマスの服用を止めた。すると、症状はかなり改善した。

 14日の朝、病院に戻ると、主治医が悪びれる様子もなくやってきた。3連休の様子はどうだったかと尋ねるので、「お前のせいで最悪だった」と言ってやりたいところだった。私はその思いをぐっとこらえて淡々と前述の症状を説明した。すると、「部分的に離脱症状が混じっているが、下痢は離脱症状で説明ができない」と返された。

 私は、リーマスを3倍に増やした影響ではないのかと言うと、主治医は最初「リーマスは増やしていない」と言い放った。この主治医は、自分が患者に処方した薬の内容を忘れていたのである。私がそのことを指摘すると、やや慌てふためいた様子で、「それでもリーマスの副作用で下痢はあり得ない」と強弁してきた。私は3連休中にリーマスの付属書類も読み、リーマスの副作用に下痢があることを把握していた。リーマスの副作用で下痢を生じることがあることを報告する論文も見つけていた。そのことを言ってやろうかと思ったものの、ここで喧嘩してもストレスになるだけだと思い止めた。私はさっさと退院させてくれと言って、とっとと病院を後にした。こういうわけで、当初40日ほど入院する予定だったのが、実質1週間になってしまった。

 再びコンサルティングの話を持ち出すことをお許しいただきたいが、コンサルティングで顧客企業に何か改革を提案する時は、改革に伴うリスクも提示する。そして、リスクに対する2次対応策を一緒に提案するのが普通である。今回のケースでも、リーマス以外の薬を全て中止し、リーマスを増量することに伴うリスクは、医師であれば把握していて当然であるし、リスクが生じた場合にはすぐに対策を打つべきであろう。相手が入院患者であれば、なおさら迅速に手を打たなければならない。そうでなければ、何のために患者を入院させているのか解らない。

 もう1つ、この主治医には妙な癖があった。それは、人の言うことを何でもすぐに否定したがるということである。「双極性障害でないかもしれない」、「離脱症状で手足の冷えはない」、「リーマスの副作用で下痢はあり得ない」といった具合だ。さらに私は、夜眠りが浅いので、以前服用したことがあるサイレースという入眠剤を出してほしいとお願いしたことがあった。すると、「サイレースは健忘症の副作用があり、欧米では犯罪に使われることもあるため、販売が縮小されている。日本でも今後そのような動きになる。だから、サイレースは使わない方がよい」と言われた。これらの主治医の言葉に共通するのは、「では、代わりに一体何なのか?」という代替案がないことである。頭の中の知識(しかもその一部は誤っている可能性がある)だけで処理をして、目の前の患者と向き合おうとしない姿勢には無性に腹が立った。

 それでも1つだけ入院してよかったことがあるとすれば、医師が私の病気にどんな名前をつけようとも、実はそれは私の元々の性格の一部であって、治療でどうにかなるものではないのかもしれないと気づいたことである。そう考えると、多少は気持ちも楽になった。予期せぬ形で短期間で退院してしまったわけだが、まずはかかりつけの医師のところに戻って、薬を入院前の状態に戻してもらおうと思う。これは離脱症状対策である。その後は徐々に減薬をして、年末をめどに薬をゼロにできればと考えている。そうすれば、9年間の闘病生活にピリオドを打つことができる。


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2017年08月01日

『維新する(『致知』2017年8月号)』―デビュー25周年のMr.Childrenの歌詞を解剖する


致知2017年8月号維新する 致知2017年8月号

致知出版社 2017-08


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 《参考記事》
 【感想】Mr.Children新曲「himawari」(映画『君の膵臓をたべたい』主題歌)の
 歌詞を解剖する


 今回の記事は『致知』の内容とはほとんど無関係に、今年デビュー25周年を迎え、私が愛してやまないMr.Childrenの歌詞について書くことをご容赦いただきたい。
 平凡な日常のように思えても、それは決して同じことの繰り返しではありません。私たちの心や魂にエネルギーを与えてくれるキラリと光る出来事は、少し意識さえすれば、人生のあらゆる場面に満ち満ちているのです。
(鈴木秀子「夢みたものはひとつの幸福 ねがつたものはひとつの愛」)
 Mr.Childrenもサザンオールスターズと同じく、人生の応援歌、恋愛の歌、社会風刺の歌など、様々なジャンルの曲を作ることができるバンドであった。「であった」と過去形で書いているのは、社会風刺の曲に関しては、Mr.Childrenはある時からぱったりと作らなくなったからだ。

 Mr.Childrenの社会風刺の曲と言えば、真っ先に思い出すのは「マシンガンをぶっ放せ」や「everybody goes~秩序のない現代にドロップキック」、「フラジャイル(「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌」のカップリング)」、「So Let's Get Truth(アルバム『深海』収録)」、「傘の下の君に告ぐ(アルバム『BORELO』収録)」あたりである。ただ、社会風刺の曲はMr.Childrenのキャリアの初期に集中している。それ以降は数が減っていき、辛うじて2005年に発売された『Iラブ(※「ラブ」はハートマーク)YOU』に収録されている「ランニングハイ」や「跳べ」に社会風刺らしい歌詞が少し織り込まれた程度である。2007年に発売された『HOME』以降は、社会風刺の曲が姿を消し、僕の人生や君との愛を歌う曲に集中している。

 これにはいくつか理由があるだろう。あくまでも推測の域を出ないが、1つには、この頃から桜井和寿さんの精神状態が安定したこと、もう1つには、社会を批判することでお金を儲けることは、人の不幸を飯の種にしているようなものであり、それが許せなくなったということが挙げられるのではないかと思う。それよりも、ありふれた日常に目を向け、今自分が置かれている現状と対峙し、ちょっとした出来事がもたらす喜怒哀楽を素直に受け止めて、愛する君と一緒に生きる人生の意味をそこに見出していくという方向に転換した。2007年以降のMr.Childrenのテーマはこの1点に集中しており、この1点だけで2007年以降10年間も活動しているのである。

 渡辺和子氏の著書に『置かれた場所で咲きなさい』という本がある。タイトル通りの内容の本であり、人は必ずしも自分が望むような地位や役割を与えられるわけではない、それが仮に不遇に思えても、「神は決して、あなたの手に余る試練を与えない」のであって、微笑みと感謝の気持ちを持って無償の愛を相手に注げば、必ずその場所でその人なりの花を咲かせることができると書かれている。これは、ここ10年のMr.Childrenの歌詞の内容とぴったりと符合する。

置かれた場所で咲きなさい置かれた場所で咲きなさい
渡辺 和子

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 例えば、2015年のアルバム『REFLECTION』収録の「未完」では、「さぁ行こうか 常識という壁を越え/描くイメージはホームランボールの放物線/そのまま消えちゃうかもな/いいさ どのみちいつか骨になっちまう/思い通りに いかないことがほとんどで/無理に足掻けば囚われの身の動物園/いつか逃げ出してやるのにな/尖らせた八重歯 その日までしまう」と歌われている。「幻聴」の「向こうで手招くのは宝島などじゃなく/人懐っこくて 優しくて 温かな誰かの微笑み/遠くで すぐそばで 僕を呼ぶ声がする/そんな幻聴に 耳を澄まし追いかけるよ」という歌詞は、僕が目指しているのは宝島のような立派なものではないけれども、君の微笑みに呼応してこちらも微笑み返せば、明るい未来が見えるかもしれないと示唆している。

 Mr.Childrenが歌う愛も年々純化されているように感じる。初期のミスチルは、若者らしく欲望を抑えきれなかった「車の中でかくれてキスをしよう(アルバム『KIND OF LOVE』収録)」、歌の登場人物がダブル浮気をしていた「LOVE(アルバム『versus』収録)」、複雑な恋愛事情を歌った「ありふれたLove Story~男女問題はいつも面倒だ(アルバム『深海』収録)」などといった変化球をボンボン放っていた。ところが、2002年に発表された、その名もズバリのシングル「君が好き」あたりから、徐々に君への思いをストレートに表現するようになった。

 2012年の「常套句(アルバム『(an imitation)blood orange』収録)は「君に会いたい」と連呼しているし、前述の『REFLECTION』に収録されている「you make me happy」でも、趣味が自分とまるで違う君について「きみといるこの部屋が好き/きみといるこの暮らしが好き/You are the one. We are the one./今が好き」と包み隠さず歌っている。「運命」などは、40代後半に差し掛かったメンバーが歌うにはあまりにも純愛すぎて、聞いているこちら(聞いている私も30代中盤のおじさんなのだが)が恥ずかしくなりそうだった。

 今置かれている場所で、大切な人のために生きる―Mr.Childrenのここ10年のメッセージを端的にこう表すのであれば、私は少し反省しなければならないことがあると感じた。私は本ブログで、大雑把ではあるが日本の階層社会を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」と描写し、天皇を除いた各階層の内部もまた、複数の階層に分かれていると書いてきた(天皇だけはお一人)。日本人はこの複雑な階層社会のどこかに位置づけられる。もちろん、ある人がある時は会社で働き、ある時は家庭で父親となるといった具合に、複数の役割を持つのが普通であるが、どんな人も主たる役割というものが決まっている。

 私は当初、日本人がこの階層社会の中を(神や天皇は例外として)自由に動き回り、適材適所に落ち着くと考えていた(以前の記事「室谷克実『呆韓論』―韓国の「階級社会」と日本の「階層社会」について」を参照)。だがその後、そこまでの自由は日本にはなくて、むしろ不合理な理由によって、適材とは思えない人材が特定の地位や役割を占めることが多いのではないかと思い始めた。日本では能力本位ではなく、徳があるとされる人が高い地位に就く傾向がある(旧ブログの記事「功ある者には禄を、徳ある者には地位を-『人事と出世の方程式』」を参照)。

 以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人」でも書いたように、日本人は正統性を後から考える人種である。通常は、「その地位に就くのにふさわしい=正統性を持った人を選ぶ」のだが、日本人の場合は、先に人を選んで、「そうなってしまった以上は仕方がない。それをどうやって正統化するか」と考える。とはいえ、日本人は決して無能ではなく、以前の記事「『しなやかな交渉術(DHBR2016年5月号)』―「固定型」のアメリカ、「成長型」の日本、他」で書いたように「成長型」の人間であるから、地位や役割がその人を育てることも期待できる。ただ、本人が周りの期待通りに成長するかどうかはやってみないと解らず、運に委ねられている。よって、日本社会は能力面で見ると、整然と適材適所が実現されているわけではなく、非常にでこぼこの多い不平等社会である。

 その不平等を少しでも解消できるようにと、私が導入したのが垂直方向の「下剋上」と「下問」、水平方向の「コラボレーション」(これにも「下剋上」や「下問」のようにカッコいい日本語の名前をつけたいのだが、今のところ妙案がないため、「コラボレーション」としておく)である(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。これによって、各人は与えられた役割に閉じ込められず、縦横に”少し”はみ出すことで、能力を発揮できる自由と機会を増やすことができると考えた。この自由があるから日本は自由主義だと書いたこともあった(以前の記事「『首都の難問─どう解決するか(『世界』2016年11月号)』―日本は不平等だが自由な社会、他」を参照)。

 だが、最近の私はこの「下剋上」や「下問」、「コラボレーション」を強調しすぎていたというのが反省の内容である。「下剋上」や「下問」、「コラボレーション」をする前に、まずは本分を全うしなければならない。つまり、自分を真っ先に必要とする人のために愛を注ぐということである。たとえその相手が能力的に見て適材だとは思えないとしても、である。上司のために尽くす、顧客のために尽くす、家族のために尽くす。私は最後のことが最も大切だと思う。(特殊な事情を抱えた人もいるが、)家族としての役割を持たない人はほとんどいないからである。

 家族、特に愛する人のために愛を注ぐ。しかも、見返りを求める愛ではなく、無償の愛である。これが人間関係の基本である。昔、前職のベンチャー企業で、起業家として成功している人は、家族も大事にしているから成功したのか、家族を犠牲にして仕事に全てを注いだから成功したのかという議論をしたことがある。明確な結論は出なかったが、前職のグループ会社3社の社長は皆家族関係が崩壊しており(ある社長の息子は引きこもりのニートになり、ある社長は妻を捨ててキャバ嬢と再婚した。もう1人の社長はどうなったか忘れた)、かつ3社とも業績が劣悪であったため、やはり家族は大事にするべきではないかとの見解に至った。愛する人との関係を抜きにして、「下剋上」や「下問」、「コラボレーション」を論じることはできない。

 私は最近ブログで政治について論じることが増えた。これは「企業/NPO」という階層に位置する私からすると「市場/社会」、「行政府」を超えて「立法府」を論じていることになるため、3階級特進である。つまり、本分を明らかに超えている。そんなことを高尚ぶって論じる前に、愛する人との関係を本当に大切にしているのかというMr.Childrenの声が聞こえてきそうだ。

 先ほど、Mr.Childrenは社会風刺の曲を書くのを止めたと書いたが、別の言い方をすれば、自分の力ではどうしようもできないことには触れないということでもある。例えば、「空風の帰り道(「HERO」のカップリング)」には「昨夜見たテレビの中/病の子供が泣いていた/だからじゃないがこうしていられること/感謝をしなくちゃな」というくだりがある。また、「ひびき(「箒星」のカップリング)」には、「去年の誕生日 クラッカーを鳴らして/破裂する喜びに酔いしれていたけど/外を歩いたら銃声が聞こえる/あの場所じゃ その音は 悲しげに響くだろうな/君が好きで 君が好きで 涙がこぼれるんだよ/血生臭いニュース ひとまず引き出しにしまって/風のように 川のように 君と歩いていく」という歌詞がある。

 最初に聞いた時は冷たい言葉だと思ったが、実はそうではない。同情したとしても子どもの病が治るわけでもなく、かの地の戦争が止まるわけでもない。だとすれば、その同情には何の効果もなく、むしろ他人の不幸をだしにして、「自分たちはこんなひどい目に遭わなくてよかったね」と優越感に浸っていることになる。これは傲慢以外の何物でもない。自分の手の届かない他人の不幸などは見ずに、今自分の前にいる人をまずは愛せよというメッセージなのだと思う。

 愛する人との関係で言うと、Mr.Childrenの歌詞にはもう1つ興味深い特徴がある。普通、愛する人とは価値観や考え方が似通っていき、まるで2人で1つであるかのように溶け合うのが理想のように思える。だが、前述の「君が好き」には、こんな歌詞がある。「僕の手が君の涙拭えるとしたら/それは素敵だけど/君もまた僕と似たような/誰にも踏み込まれたくない/領域を隠し持っているんだろう」。愛する人同士であっても、相手に公開しない自分だけの部分を持つ。つまり、お互いに、相手とは決定的に違う部分がある。逆説的だが、違いがあるからこそ、相手を1人の人間として尊重できる。前掲の『置かれた場所で咲きなさい』にはこんな文章がある。
 「人格」である限りは、あなたと相手は違いますし、違っていていいのです。相手もあなたと同じ考えを持たないで当たり前。「君は君 我は我也 されど仲よき」という、武者小路実篤さんの言葉があったと思います。そういう気持ちが大事なのです。自分が一個の人格である時、初めて他人とも真の愛の関係に入れるのです。
 通常は、愛する人が自分と同じであってほしいと思いたくなる。だが、この考え方を拡張していくと、「人類を皆愛するべきだ」という宗教的な愛の観念と、「愛する人は皆自分と同じ考えであるべきだ」という2つが結びついて、人類は皆自分と同じ考えでなければならないという結論に至る。つまり、一が全体であり、全体が一であるという、私が本ブログで何度も恐れてきた全体主義につながってしまう。「つよがり(アルバム『Q』収録)」には「着かず離れずが恋の術でも/傍にいたいのよ」という歌詞がある。愛する相手のことを全て知る必要はない。ただそっとそばにいて、相手が自分と違う部分を持っていることを認め、それを尊重する。それが全体主義という虚構を回避し、真の愛の関係を築くことにつながる。



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