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【うつ病の治し方】うつ病を治すために実践すべき簡単な「7つの習慣」
【精神科】閉鎖病棟とはどういうところか?【入院】
『正論』2018年4月号『憲法と国防』―なぜ自殺してはいけないのか?(西部邁先生の「自裁」を受けて)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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こぼれ落ちたピース
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◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2018年04月11日

【うつ病の治し方】うつ病を治すために実践すべき簡単な「7つの習慣」


うつ病

 本ブログをお読みの方はご存知の通り、私は双極性障害Ⅱ型という精神疾患を患っている。先日、マライア・キャリーが告白して話題になった、あの病気のことである。双極性障害とは、躁状態(簡単に言えばハイテンションの状態)とうつ状態が交互に現れる障害である。躁状態の時は、本人もよもや自分が病気だとは思っていない。むしろ絶好調だと思っているので、医療機関にかかることがほとんどない。うつ状態になって初めて診療を受けるため、医師も当初はうつ病と診断してしまうことが多く、診断が難しい疾患である。私も最初の診断名はうつ病であったが、発症から4年ほど経って双極性障害という病名に変わった。

 うつ病は、十分な休息を取り、適切な治療を受ければ寛解する。だが、双極性障害は再発率が高く、うつ状態は90%の割合で再発すると言われている。マライア・キャリーも言っていたように、一生つき合っていかなければならない病気である。そこで今回は、うつ状態を少しでも早く脱するために必要な7つの習慣について書いてみたいと思う。双極性障害の患者が、うつ状態を脱するための方法について書いているため、正確に言えばうつ病の患者がうつ病を治すための方法とは必ずしも一致しないかもしれない。ただ、今回の記事がうつ病で苦労している方にとって、何かの参考になれば幸いである。また、この6年間で3回も入院した私がこんなことを言っても説得力に欠けると思われるだろうが、その点もどうかご容赦いただきたい。

 なお、これから述べる習慣の中には、食習慣は入っていない。うつ病の時に食べる/飲むとよいもの、食べる/飲むのを控えた方がよいものというのは一応ある。だが、ある人は「これを食べた/飲んだ方がよい」と言っているのに、別の人は「これは食べては/飲んではいけない」と言っていることがあり、どの情報を信用してよいのか私自身解らないことが多い。例えば、うつ病の人はコーヒーを飲まない方がよいとされる。カフェインの過剰摂取により、ストレスに反応するアドレナリンという脳内物質が放出されるためである。ところが、ある研究によると、コーヒーを入れる時の香りが脳内のα波を増やし、リラックス効果をもたらすと言う。

 万事こんな具合なので、個人的な見解を言えば、「食べたい/飲みたいものを口にすればよい」のではないかと思う。ただでさえうつ病で苦しい思いをしているのに、食べたい/飲みたいものまで我慢してしまったら、余計にストレスを感じてしまう。だから、食事に関してはあまり心配しなくてもよいというのが私の実感である。ただし、抗うつ薬の中には食欲を増進する作用があるものがあり、過食の傾向が表れることがあるため、この点だけは注意が必要である。

 ①思い切って人を頼ってみる
 うつ病になる人は責任感が強く、自分で何でもやらねばという義務感に駆られることが多い。だが、あなたの周りには頼りになる人がいくらでもいることに気づいてほしい。1人で全てを抱え込むのではなく、思い切って他人に任せてみる。あなたの普段の頑張りを見ている人は、あなたに何かあったら助けてあげたいと思っているものである。私も3回入院した時はいずれも、その時に抱えていた仕事を全て他の中小企業診断士に依頼した。迷惑だったかもしれないが、お願いした先生方は皆、クオリティの高い仕事をしてくださった。先日、診断士の会合に出席したところ、ある先生からは「谷藤先生に何かしてあげられることはないものかと皆言っていますよ」というありがたい言葉をいただいた。自分は1人ではないのだと実感することができた。

 また、障害者手帳を取得するための煩雑な手続きや、入院費の支援を家族にお願いしたこともある。家族はやはり頼りになる存在である。実は私は、義理の両親には病気のことを伝えてあったが、以前の記事「『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟」で書いたように、実の両親とは長く不仲であったため、病気のことを黙っていた。3月に入院した際(以前の記事「【精神科】閉鎖病棟とはどういうところか?【入院】」を参照)、意を決して実の両親に打ち明けたところ、たいそう驚かれたが、入院費を支援してくれることになった。この点では両親に本当に感謝している。「もっと早く教えてくれたら色々としてあげたのに」とも言ってくれた。この歳になって親の脛をかじるのは恥ずかしいかもしれないが、病気は一時的なものである。病気がよくなったら親孝行すればよい。

 ②大きな声で挨拶をする
 うつ病の人は失敗をひどく恐れる。そのためか、コミュニケーションが億劫になってしまうことが多い。「こんなことを言ったら自分は頭が悪いと思われるのではないか?」、「相手を傷つけてしまうのではないか?」と過剰に心配してしまう。すると、日常生活の中で他人と言葉を交わす機会が減少し、ますますうつ状態がひどくなるという悪循環に陥る。そこで、最低限のコミュニケーションとして、挨拶ぐらいはきちんとしたい。それも大きな声でするのがポイントである。挨拶は定型文であるから、失敗のしようがない。相手が挨拶を返してくれないという失敗はあるが、それは相手の問題であって、あなたには何の落ち度もない。

 3月に入院した時、私はできるだけ大きな声で挨拶するように心がけた。朝起きたら他の患者さんや看護師さんに「おはようございます」と言う。清掃担当の方が病室を掃除してくれたら「ありがとうございました」と言う。食事後に看護師さんが下膳しに来た際には「ごちそうさまでした」と言う。これだけでいい。それに、大きな声を出すと気分もスッキリとする。もちろん、①で書いたように、他人に何かをお願いする時には「よろしくお願いします」と言い、お願いごとをしてもらった時には「ありがとうございました」と言うことも欠かせない。②はあまりにもベタなことであるが、ベタなことでも恥ずかしがらずに行うことが大切である。

 ③朝起きたらカーテンと窓を開ける
 うつ病の人は朝が苦手である。あなたも朝になると気分がふさぎ込んだり、不安になったり、恐ろしくなったりすることだろう。だが、朝起きたら思い切ってカーテンと窓を開けるようにしてほしい。日光はうつ病を改善する効果がある。うつ病の人は、気分の安定や心のバランスに寄与する脳内物質であるセロトニン不足している。に日光を浴びると、脳内でセロトニンが分泌される。朝日光を浴びれば、寝起きの身体を覚醒させて、活動的な状態にしてくれる。

 それから、カーテンを開けて空気を入れ替えることも重要である。1日中締め切ったままの部屋の空気はどんよりと沈滞している。そんな空気の中で生活していれば、自ずと気持ちもどんよりとしてしまう。そこで、朝になったら朝の新鮮な空気を部屋に取り込む。すると、気分をリフレッシュすることができる。ただし、うつ病の大敵である雨の日には、無理してこれを行う必要はない。うつ病の人は几帳面な人が多いので、これをすると決めたら毎日それをしなければならないと思ってしまいがちである。だが、雨の日には日光は取り込めないし、窓を開けたらよどんだ湿り気のある空気が部屋に入り込んでしまう。この辺りは、ある程度いい加減でよい。

 ④背筋を伸ばし、前を向いて歩く
 精神科の病院に入院しても、手術などをするわけではなく、基本的には薬物療法のみであるから、日中ははっきり言って暇である。だから、3月に入院した病院では、患者さんがよくフロア内を散歩していた(閉鎖病棟であったため、フロア外には原則として出ることができない)。その様子を見て思ったのは、具合の悪そうな患者さんほど、うつむき加減でとぼとぼと歩いているということである。これでは余計に気分がふさぎ込んでしまう。歩く時は背筋をしゃんと伸ばし、しっかりと前を向いて、少し大股で歩くのがよい。堂々としていれば、自ずと気持ちも前向きになってくる。気持ちが姿勢を作るのか、姿勢が気持ちを作るのかという問題は、鶏が先か、卵が先かという問題である。ここでは姿勢が気持ちを作るという因果関係を信じてみようではないか。

 入院しておらず自宅で療養している場合、外出の機会がどうしても減ってしまう。その場合、自宅の周りを毎日5分でもよいから散歩する習慣をつけるとよい。特に、朝の散歩が有効である。③で述べたように、日光を浴びることによるプラスの効果が見込める上、朝一旦外に出てしまえば、1日中家に閉じこもっていようという気分が起きなくなる。朝の散歩は思考をクリアにするという効果もある。偉業を成し遂げた人の中には、朝の散歩を日課にしていた人が多い。例えば、哲学者のキルケゴールは「重要なアイデアの多くは朝の散歩の中で生まれた」と振り返っている。もっとも、雨の日には、無理に散歩をする必要はない。この点は③と同じである。

 ⑤決断しないという決断をする
 病気で療養している間にも、何か物事を決めなければいけないというケースに直面することがある。私の場合、入院中に「退院後の仕事をどうやって受注しようか?」、「もうフリーランスは辞めて一般企業に転職した方がよいのだろうか?」、「退院後は収入が下がるから、家賃の安い家に引っ越した方がよいのだろうか?」などといった問題が次々と襲ってきた。だが、うつ病の状態にある時は普段と比べて判断能力が鈍っているので、無理にこのような問題に結論を出さない方がよい。「決めない」ことを「決める」のも重要である。どうしても決める必要があるのであれば、①で書いたように、思い切って他人に決めさせればよい。

 一般の人でも、意思決定は十分な時間をかけて慎重に行うべきだと言われている。選択肢の数が十分に机の上に並んでいるのかを確認する、それぞれの選択肢が立脚している仮説が正しいかどうかちょっとしたテストをする(これを「ウーチング」と言う)、自分とは別の利害を持つ他者の立場に立ったとするとどのような決断をするか想像してみる、10分後・10時間後・10日後・10か月後・10年後にその決断を振り返った時に「後悔しない」と言い切れるかどうかよく考えるなど、アドバイスには事欠かない。これと同じことをうつ病の患者に求めるのはあまりにも酷である。だから、あなたも無理して意思決定をする必要はない。そして、たいていのことは、それほど急いで決める必要がないと後から気づくものである。

 ⑥できなかったことではなく、できたことに目を向ける
 うつ病になると、何をするにも気乗りがせず、仕事をするスピードが落ちたり、趣味に没頭できなくなったりする。うつ病の人は元々責任感が強く、几帳面で、頑張り屋であるから、できないことが増えてくると、以前の自分の姿とのギャップに苦しむ。そして、「自分には何も価値がない」、「もう死にたい」(「希死念慮」と言う)と思うようになる。だが、本当に1日中何もできなかった日というのは案外少ないものである。できない、できないと言いながら、何かしらのことはしている。それがたとえ些細なことであってもよい。そのできたことに着目することが重要である。あなたがもしここまでに書いてきた①~⑤のことをできたのであれば、できた自分を褒めてあげてほしい。今日この記事をここまで読んだことも、できたことに含めてよい。

 私が3月に入院する直前は、読書が困難になっていた。年明けから本が読めない兆候があったのだが、2月末にはとうとう全く読書ができなくなった。年間200冊以上を読むことを目標としている私にとっては、これは苦痛であった。入院の目的の1つは、休養してまた本を読めるようになることであった。とはいえ、いきなり今まで読んでいたような1冊200~300ページの本を読むのは無理である。そこで、たまたまデイルームに置いてあった『月刊PHP』という小冊子から読み始めた。これなら内容も簡単だし、1時間弱で読める。月刊PHPを何冊か読み切ったことが自信となって、入院生活中盤からは、今まで読んでいたような本を読むことができるようになった。

 ⑦日記をつける
 うつ病の人は、落ち込んだ気分を自分の中にため込んでしまう傾向がある。そういう場合には、以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」でも書いたように、日記をつけることをお勧めしたい。1日3行程度でよい。まずはその日の気分を書きなぐるだけでよい。極端な話をすれば、「死にたい、死にたい、死にたい、・・・」と書いてもよい。すると、不思議なことに自分のネガティブな気持ちが「外部化」され、落ち着きを取り戻すことができる。これを心理学では「ジャーナリング効果」と呼ぶそうだ。

 負の感情をありのままに書きだすと同時に、①~⑥で述べてきたような、「できたこと」も日記に書くとよい。そうすると「できたこと」が形になって残り、前向きな気持ちを取り戻すことができる。日記というのは不思議なもので、マイナスの内容を書けばそれを忘れることができる反面、プラスの内容を書けば記憶に残る。この日記の効用を活かして、あなたの頭の中をネガティブモードからポジティブモードに切り替えていくとよいと思う。


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2018年04月02日

【精神科】閉鎖病棟とはどういうところか?【入院】


閉鎖病棟

 私のブログをお読みの方はご存知の通り、私は双極性障害という精神疾患を患っている。年明けからずっと体調が芳しくなかったのだが、2月末に体調が急激に悪化したため、精神科の病院に入院することになった。入院は2012年8月、2017年8月(この時は病院の対応に不満で、1週間で退院してしまった。以前の記事「双極性障害で入院したところ40日の予定が1週間で退院してしまった事の顛末」を参照)に続いて3回目である。過去の2回はいずれも開放病棟であったのに対し、今回は初めて閉鎖病棟に入院した。閉鎖病棟と言うと暗いイメージがあって、医師や看護師の言うことを聞かない患者はECT(電気けいれん療法、通称「デンパチ」)を強制的に受けさせられるといった都市伝説もあるぐらいだが、私の入院した病院は、患者の自由度が一定程度制限されるというだけで、それ以外は普通の病院とさして変わらない印象であった。

 ■持ち込みや使用が制限されるもの
 ライター、マッチ、はさみ(眉毛切りや鼻毛切りを含む)、鏡、箸、フォーク、包丁などの刃物類、針金ハンガー、針(安全ピン)、ドライヤー、ベルト、酒類、病院処方以外の薬、スプレーなど、患者本人や他の患者を傷つける可能性のあるものは一切持ち込むことができない。

 タバコを吸う人は、タバコをスタッフステーション(ナースステーション)に預けておき、吸いたい時に1本ずつ看護師から受け取る。デイルームの隣に喫煙室があり、患者がチャッカマンを使ってタバコに火をつけているのを見て、何と荒々しい姿なのだと思ったのだが、その理由はライターやマッチが持ち込めず、喫煙室のドアに共有のチャッカマンが紐で括りつけてあるからであった。ただ、喫煙室は一応スタッフステーションから見える位置にあるものの、万が一患者が喫煙室内で焼身自殺を図ったらどうするつもりなのだろうとやや疑問に感じた。

 電気カミソリも、スタッフステーションに預けなければならない。入院したばかりの頃は、入浴時(男性は月・水・金の午前中、女性は火・木・土の午前中)に看護師から電気カミソリを借りる。電気カミソリを自室で自由に使えるようになるためには主治医の許可が必要で、私の場合は許可が下りるまでに2週間ほどかかった。T字カミソリも同様に、スタッフステーションが預かり、入浴時に貸し出される。T字カミソリは入浴時にしか使うことができない。

 スマートフォンや携帯電話もスタッフステーションが預かる。過去の入院では、日中にやることがなくてスマホで音楽を聴いたり、ゲームやSNSをしたりしていたから、スマホが使えないというのは苦痛であった。だが、慣れてくると意外とスマホなしでも何とも思わなくなり、日中の時間を丸々読書にあてることができるようになった(入院1か月の間に36冊読んだ)。普段、いかに自分がスマホに依存していて、精神が蝕まれているかを思い知らされた。どうしてもスマホを使いたい場合は、後述する「院内外出(単独)」という許可を取れば、フロアの外に出てスマホを使うことができる。私は結局スマホを全く使わず、電話はフロアにある公衆電話で済ませた。

 ■外出について
 閉鎖病棟であるから、各フロアの出入り口は施錠されており、患者が自由に出入りすることができない。病院内には売店があるが、売店にも自由に行けない。買い物をしたい場合は、スタッフステーションで、売店で売っている商品の一覧を見ながら「買い物伝票」を起票する。すると、看護師が患者の代わりに売店で商品を買ってきてくれる。買い物の代金は、入院時にあらかじめ病院に預け入れておいた「預り金」(3万円程度)から精算される。ただし、医師から外出の許可が出れば、売店に行くことができるようになる。

 外出許可には「院内外出(同伴)」(家族の同伴の下で、売店など病院内の他の場所に移動する)、「院内外出(単独)」、「院外外出(同伴)」(家族の同伴の下で、自宅まで外出できる)、「院外外出(単独・病院周辺)」(家族の同伴がなくても、散歩などの目的で病院周辺まで外出できる)、「院外外出(単独・制限なし)」(家族の同伴がなくても、自宅まで外出できる)の5種類がある。売店に行くためには、「院内外出(同伴)」か「院内外出(単独)」の許可を得る必要がある。私の場合は、入院1週間ほどで「院内外出(単独)」の許可が出た。

 ただ、許可が出ても直ちに自由に売店に行けるわけではない。売店に行くには、まずスタッフステーションに「外出届」を提出する。それから、病室には多額の現金を持ち込むことができないため、前述の預り金から現金を引き出すために「出金伝票」を起票する。買い物に必要な範囲ということで、だいたいは1,000円~2,000円程度である。そして、看護師にフロアのカギを開けてもらい、1階の受付に行き、出金伝票を提出して現金を引き出す。その後、その現金を持って売店に行く。売店から戻ったら、インターフォンで看護師を呼び出してフロアのカギを開けてもらう。フロアに入った後は、危険物を持ち込んでいないか、持ち物チェックとボディチェックを受ける。売店で危険物が売られているわけなどないのだが、念には念を入れてのチェックである。

 週末になると、「院外外出(同伴)」の許可を得ている患者は、外出届を提出して自宅に戻る人が多かった。これは、退院に向けて外の環境に慣れるのが目的である。私は「院内外出(単独)」と同時に「院外外出(同伴)」の許可が出たので、入院してから2週間目と3週間目の土曜日には妻の協力を得て一時帰宅し、4週間目の土日には自宅で1泊した。

 「院外外出(単独・病院周辺)」は、入院後2週間ほどで許可が出たものの、私は1回しか使わなかった。精神疾患で入院した場合、手術をするわけでもなく、朝・昼・晩と薬を飲んで、それ以外の時間はただ静養するだけである。これではあまりにも退屈であるから、日中は「院外外出(単独・病院周辺)」の外出届を出して、病院近くのファミレスに行く患者もいた(病院食に満足できず、おいしいものを食べたいというのが本音である)。私は退院の前日だけ、「院外外出(単独・病院周辺)」を使ってそのファミレスに行ってみた。いずれの外出のケースでも、病院に戻ると、買い物の時と同様に、持ち物チェックとボディチェックを受ける。

 ■入院部屋について
 一般の病院と違うのは、テレビがないことであろう。患者がテレビのコードで首つり自殺をする可能性があるためだと考えられる。入院部屋にあるのは、簡素な物入れだけである。ナースコールのコードも一般の病院に比べると短い。また、窓は絶対に開かないよう加工されている。

 現在の診療報酬体系では、入院期間が長くなるほど診療報酬が少なくなるため、どの病院も入院期間を短くしようとしている。ところが、私が入院した病院では、むしろ長期の入院が推奨されているようであった。私も当初は5月末までの3か月間入院する計画になっていた。すると、診療報酬が減ってしまうので、その穴埋めのためか、4人部屋に空きがあるにもかかわらず、入院当初は差額ベッド代が高く設定されている1人部屋に入ることになった。私の容体が安定したと主治医が判断して初めて、4人部屋に移ることができた。不思議なことに、4人部屋にも全て差額ベッド代が設定されており、これでは一体何との差額なのかがよく解らなかった。院内の各部屋を観察してみると、元々2人部屋だったのを改造して1人部屋にした形跡があった。これも、入院期間の長期化に伴う診療報酬収入の減少を差額ベッド代で補うための措置であろう。

 ちなみに、テレビはデイルームに1台だけ設置されており、患者の共有になっていた。私は久しぶりに日中のワイドショーを見る時間があったのだが、どのテレビ局も森友学園問題ばかりを扱っていて辟易した。私が入院していた3月は、南北首脳会談と米朝首脳会談の実施が決まった時期であり、日本が拉致問題を含めて、朝鮮半島をめぐりどのようなプレゼンスを発揮すべきか真剣に検討しなければならないはずであった。それなのに、あんなゴミみたいな学校のゴミみたいな金額のために、野党が血眼になって安倍首相や麻生財務大臣を追及しているのは笑止千万であった。野党議員に投票した人は国家反逆罪でひっ捕らえてしまえばよいと思った。

 ■食事と入浴について
 1人部屋にも4人部屋にも、食事ができるテーブルはなく、食事はデイルームで食べるように促される。食事は、看護師が見守る中で食べる。朝食が7時30分、昼食が11時50分、夕食が17時30分であり、消灯が22時であったから、夕食後消灯までの間にお腹が空いてしまい、耐えるのに必死であった。入浴は、前述の通り、男性が月・水・金の午前中、女性が火・木・土の午前中である。浴室は3人まで同時に入浴できる造りになっており、看護師に促されるがままに次々と患者が入浴していく。女性の看護師の前で着替えなければならず、最初は何ともこっ恥ずかしかったが、退院が近くなる頃には何とも思わなくなった。

 ■薬について
 一般の病院であれば、毎食後や寝る前に必要な薬を看護師が運んできてくれる。私が入院した病院でも最初はそのような形になっていたが、途中から薬の自己管理をするように言われた。精神疾患は他の病気に比べると飲む薬の種類が多く、退院後はその多量の薬を自己管理しなければならない。その練習を病院内でやろうというわけである。自己管理にはランクAからランクDまでの4段階がある。ただ、私はランクAのみで退院となり、ランクB~Dは経験しなかった。

 <ランクA>
 朝の7時に、1日分の薬が入った容器をスタッフステーションで受け取る。自分の薬を飲む時間帯になったら、飲む前に看護師に薬を見せ、看護師に確認してもらってから薬を飲む(これが面倒であった)。1日分の薬を全て飲み終わったら、空になった容器を看護師に返却する。
 <ランクB>
 朝の7時に、1日分の薬が入った容器をスタッフステーションで受け取る。自分の薬を飲む時間帯になったら薬を飲む。看護師に確認してもらう必要はない。飲んだ薬の空袋は捨てずに容器内に保管しておく。1日分の薬を全て飲み終わったら、空の容器と薬の空袋を看護師に渡す。
 <ランクC>
 ランクBは1日分の薬の自己管理であるが、ランクCになると3日分の薬の自己管理となる。
 <ランクD>
 ランクCは3日分の薬の自己管理であるが、ランクCになると7日分の薬の自己管理となる。

 ■入院費について
 正確に言うと、私は2月26日に入院し、3月30日に退院した。2月26日~28日の3日間は1人部屋で過ごし、3月は4人部屋で過ごした。1人部屋の差額ベッド代が1日7,560円(税込み、以下同)であったこともあり、2月分は入院わずか3日にもかかわらず5万円近くかかった。一方、3月分については、高額療養費制度を使用したため、約11万円で済んだ。ただ、差額ベッド代が1日1,080円、タオルリース代が1日324円、パジャマリース代が1日70円、事務手数料が1日154円といった具合に、細々と諸経費を請求されている。


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2018年03月14日

『正論』2018年4月号『憲法と国防』―なぜ自殺してはいけないのか?(西部邁先生の「自裁」を受けて)


月刊正論 2018年 04月号 [雑誌]月刊正論 2018年 04月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-03-01

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 1月21日早朝、保守系評論家の西部邁先生が多摩川に身を投じ、自殺した。実は、西部氏は以前から自殺(西部氏は「自殺」ではなく「自裁」という言葉を使う)についてプランを練っており、その一部を『正論』の中でも披露していた。今月号には追悼企画として、「ファシスタたらんとした者(第14回)『自分の死』としての『連れ合いの死』 そして『死相の世界』のなかでの『エッセイイストの末期』」(初出は2017年1月号)が再掲されていた。
 この男、「自分が家族や友人や社会に何の貢献もできないのに、彼らや彼女らから世話を受けることばかり多き」という状態に入るのでは、死ぬ甲斐も生きた甲斐もなくなると考えてきた。(中略)で、彼はシンプル・デス(簡便死)を選びとる、と55歳で公言した。要するに、じきに死ぬと察しられたら、実行力の残っているうちに、あっさり自裁するということである。あるいは、ひとたび意識的に生きようと決意した者は、おのれの死にあっても、意識を保持したいと思うに違いないのであるから、自裁が最も死に方となるのである。
 その死に方として、西部氏は「ピストル自殺」を検討し、実際に準備も進めていたようであったが、最終的に選択したのは入水自殺であった。

 本ブログでも公言しているように、私は前職のベンチャー企業に勤めていた2008年から双極性障害という精神障害を患っている。躁状態(一言で言えばハイテンションな状態)とうつ状態が交互にやってくる病気である。ただし、私の場合は明確な躁状態エピソードがなく、極度のイライラとうつ状態が混合しているため、双極性障害Ⅱ型だと診断されている。

 うつ状態の時には、「死にたい」という気持ち(希死念慮)が湧いてくることも少なくない。朝起きたら「今日は遺書を書こうか」と考えることもあるし、駅のプラットフォームで電車を待っていると、このまま線路の下に吸い込まれてしまうのではないかと思うこともある。突発的に道路に大の字になって寝そべって、自動車に轢いてもらいたいと願うこともある。それでも自殺に今のところ踏み切っていないのは、あんなゴミみたいなベンチャー企業のせいで自分が犠牲になるのが耐えがたいという意地と、やはりどこかに自殺=悪という意識があるからであるように思える。

 西部氏は、「死に方は生き方の総決算だ」と主張していた。今回の記事では、西部氏の主張に反して、それでもやはり自殺してはならない理由を私なりに書いてみたいと思う。ただ、「なぜ人は生きるのか?」という問いに普遍的な回答を与えることができないように、「なぜ人は自殺してはいけないのか?」という問いにも唯一絶対の解はないと思う。

 キリスト教には「汝殺すなかれ」という言葉があり、自殺は殺人よりも重い罪とされている。中世以来、自殺者には教会での葬儀が許されないばかりか、遺体は棒を突き刺して街中を引きずり回され、頭を割られ、財産は没収された。ヨーロッパでは、自殺者に対する凶悪殺人犯並みの「見せしめ刑」が19世紀まで生きていた(三井美奈『安楽死のできる国』〔新潮新書、2003年〕より)。ただし、これはキリスト教圏においてのみ成立する話である。だから、これから私が書く内容は、日本でのみ通用することだと思ってお読みいただきたい。この手の話は、論理的であるかどうかよりも、結局は信じるかどうかが大事である。そのため、以下の内容は論理的でない部分や、主張が弱い部分もあるだろうが、その点はご容赦いただきたい。

安楽死のできる国 (新潮新書)安楽死のできる国 (新潮新書)
三井 美奈

新潮社 2003-07-01

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 本ブログでも何度か書いたように、日本は多重階層社会である。それをラフスケッチすれば、「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族」という構図になる。ただし、神の世界もまた多重化されており(以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」を参照)、真の頂点を知ることは誰にもできない。神の世界とは、別の言い方をすれば精神世界である。日本人は、神々の精神世界から天皇を通じて魂を受け、肉体という器を借りてこの世に誕生する。

 この精神世界は、物理学者のデイビッド・ボームが言う「内蔵秩序」とは異なる。ボームの言う内蔵秩序とは、我々が普段生きている世界=顕在秩序の背後・根底にある絶対的な秩序である。対立や混乱があふれる顕在秩序において、人々が注意深く意識のレベルを上げれば内蔵秩序にアクセスすることができ、紛争を解決できるとボームは考えた。ボームの考えはピーター・センゲらの「U理論」に受け継がれている。ただ私は、これは全体主義に至る道ではないかと警鐘を鳴らしてきた。多神教の日本における精神世界は、多様性を内包している点に特徴がある。よって、そこから生まれる人間も多種多様である。だが、多神教の神は唯一絶対的な一神教の神と異なり不完全であるから、それぞれの人間に与える能力や寿命はバラバラである。

 だから、日本の場合は機会の平等が成立しない。人間は生まれながらに不平等である。日本人は、神から与えられた能力を活かして、神から与えらえた役割を全うすることが大切である。社会の中の持ち場において、その人なりに創意工夫を凝らすことこそが日本人の自由である。要するに、日本社会とは、不平等だが自由な社会である。とは言え、本人が努力して多重階層社会の中をある程度移動することは認められているし、神もそのことはあらかじめ織り込んでいる。また、神は人間に試練を与える。人間がその試練を乗り越え、魂を鍛錬することを神は期待している。ただし、ここでも神は不完全であるから、試練にほとんど遭遇しない人もいれば、試練ばかりに遭遇する人もいる。この点でも、日本人は不平等である。

 以上を総合すると、理想の生とは、神から与えられた能力を活かし、努力によって役割を拡大し、試練を乗り越えながら神が与えた寿命を全うすることである。そして、理想の生を活きた人の魂は、神が設定した寿命の時期になると、神が回収しにやって来る。回収した魂は精神世界に統合され、その魂の質によって精神世界を発展させる。発展した精神世界からは、また神の手によって、天皇を通じて新たな人間が誕生する。こうして、日本人は漸次的に進歩していく。ただ、繰り返しになるが、神は不完全であるがゆえに、精神世界に蓄積された前世の記憶や経験を新しい人間に引き継がせることができない(ごく稀に前世の記憶を持った人間が生まれることがあるらしい。瀬川雅生『なぜ自殺してはいけないか?』〔コスモヒルズ、1999年〕を参照)。

なぜ自殺してはいけないか?なぜ自殺してはいけないか?
瀬川 雅生

コスモヒルズ 1999-10

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 ここでポイントとなるのは、神はそれぞれの人間に設定した寿命(医療技術の発展によって寿命が延びていることも神は織り込み済みである)が尽きた時にしか魂を回収しにやって来ないということである。よって、自殺する人は、神が設定した寿命よりも早く死ぬことになるから、神が魂を回収することができない。本当は、神がそれぞれの人間を四六時中見張っていて、死んだ時に魂を回収しに来てくれればよいのだが、何度も言うように、不完全な神にはそれができないのである。したがって、自殺した人の魂は回収されず、神々の精神世界に統合されず、その質を発展させることができない。これは大げさに言えば、日本人という民族に対する裏切りである。これが、私が自殺=悪と考える最大の理由である。

 時々、「自分はこの世でやるべき役割は全て全うした。だから死んでもよい」と考えて自殺する人がいる。だが、寿命が残っている限り、なすべき役割も残っているのであり、自殺は許されない。また、西部氏のように、「自分は(病気などで)周りに迷惑ばかりかけているから自殺する」という人は、その人が生きていることによって活かされる他者がいることに気づいていない。

 先ほど、理想の生とは神から与えられた役割を全うすることだと書いた。ここで言う役割とは、何も他者貢献に限られない。例えば末期がんで家族や病院の世話になっている人は、家族や病院に役割を与えるという形で役割を果たしている。先ほどのラフスケッチ「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族」に従えば、末期がん患者は市場/社会や家族のレイヤーにいて、NPOや他の家族に役割を与えている。情緒的に言えば、末期がん患者であっても、その人に寿命の限り生きていてほしいと思う人がいるということである(ただし、安楽死や延命措置となると話は別である。この点については後述する)。

 では、日本が「病気で迷惑ばかりかける人」だけの社会になったらどうであろうか?「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族」という構造はもはや成り立たない。しかし、私はそれでも日本人は自殺してはいけないと考える。というのも、この場合、「神⇒天皇⇒世話を必要とする日本人たち」という構図になり、天皇が直接日本人を救い賜うからである。言い換えれば、天皇制がある限り、世話を必要とする日本人たちは、天皇に役割を与える(やや横柄な表現だが)ことによって役割を果たすことができる。

 「これ以上病気の苦しみを味わいたくないから安楽死させてほしい」という場合はどうだろうか?世界には安楽死が合法化されている国・地域があるものの、現在の日本では安楽死をさせた医師は自殺幇助罪に問われる。安楽死は、神があらかじめ設定した寿命よりも早く死ぬという点では自殺と同じであるから、やはり神が魂を回収することができない。なぜ人生の最後に苦しみを味わわなければならないのかという疑問が湧いてくるが、これも神が与えた試練なのである。神は、大病で寿命が近い人間が、それまでに獲得してきた能力、経験、マインドセットなどをフル動員して、病の苦しみとどう向き合うのかを試している。そうして鍛えられた魂が、精神世界に柔軟さと硬さの両方をもたらす。西部氏は「死に方は生き方の総決算だ」と述べたが、これこそが本当の意味での生き方の総決算ではないだろうか?

 近年は緩和医療の発達により、末期がんの痛みの8~9割は緩和できるようになっているそうである。日本人は、こうした医療の力を借りながら、人生最後の試練に取り組み、寿命を迎えるのが望ましいであろう。だが、緩和医療の発達と同時に、延命治療も発達している。人口栄養(胃ろう)、人工透析、人工呼吸が3大延命治療と呼ばれるそうだが、延命治療の場合、自殺や安楽死とは逆に、神が設定した寿命よりも長く生きることになり、この場合もまた神が魂を回収できない。前述の通り、神は医療の進歩による寿命の延びをある程度考慮しているが、人間の手による不必要で無茶な延命までは想定していない。

 医者は死=敗北ととらえる傾向があり、何かと延命治療に頼る。しかし、延命治療は患者にとっても家族にとっても、かえって経済的・心理的負担が増えることが多い。本人などは、これも神が与えた試練だと思うかもしれない。だが、神にとっては、せっかく設定した寿命を狂わせる行為だと映る。だから、むやみに延命治療をするのではなく、寿命に従って尊厳死を迎えるのが理想である(長尾和宏『長尾和宏の死の授業』〔ブックマン社、2015年〕を参考にした)。

長尾和宏の死の授業長尾和宏の死の授業
長尾 和宏

ブックマン社 2015-02-17

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 基本的に、神はそれぞれの人間に設定した寿命が尽きた時にしか、魂を回収しに来ない。ただし、1つだけ例外がある。それは、人間が不慮の事故や殺人事件などに巻き込まれて死亡した場合である。不完全な神が創造した人間であるから、人間もまた不完全である。その不完全な人間が暴走すると、思いがけず他者を殺してしまうことがある。この場合、その人の死は寿命と一致しない。どういうメカニズムになっているのか私にはよく解っていないのだが、こういうケースに限っては神が不慮の死を察知することができ、魂の回収に向かうことになっている。

 ここで、ある人が誘拐され、犯人に殺されかかっているというケースを考えてみる。被害者は、「犯人に殺されるぐらいならば自殺する」と言っているとする。自殺を選択するべきか、犯人に殺害されるべきか?(不謹慎な話だと思ってほしくないのだが、)私はここでも自殺を選択してはいけないと思う。これまで述べてきたように、自殺をすれば神が魂を回収しに来てくれない。しかも、犯人は殺人罪に問われず、略取誘拐罪に問われるだけである。一方、犯人に殺害された場合は、神が不慮の死を察知して被害者の魂を回収しに来てくれる。さらに、犯人は略取誘拐罪だけでなく殺人罪にも問うことができ、より重い社会的制裁を加えることができる。



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