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【感想】Mr.Children新曲「himawari」(映画『君の膵臓をたべたい』主題歌)の歌詞を解剖する
【要約】加藤隆『一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ』
市野川容孝『身体/生命』―「個体と全体」、「物質と精神」の「二項混合」

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
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2017年07月26日

【感想】Mr.Children新曲「himawari」(映画『君の膵臓をたべたい』主題歌)の歌詞を解剖する

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himawari (初回生産限定盤)(CD+DVD)himawari (初回生産限定盤)(CD+DVD)
Mr.Children

トイズファクトリー 2017-07-26

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君の膵臓をたべたい (双葉文庫)君の膵臓をたべたい (双葉文庫)
住野 よる

双葉社 2017-04-27

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 映画「君の膵臓をたべたい」の主題歌で、Mr.Childrenの今年2枚目のシングルとなる「himawari」の歌詞を私なりに解剖してみた。以下、「キミスイ」のネタバレを一部含んでいるので注意してください。また、私は普段は小説を滅多に読まない人間であり、まして小説のレビューなど書いたことがないから、ぎこちない文章になっている点はご容赦いただきたい。
 優しさの死に化粧で
 笑ってるように見せてる
 君の覚悟が分かりすぎるから
 僕はそっと手を振るだけ
 いきなり「死に化粧」という言葉が登場する衝撃的な始まりである。【秘密を知っているクラスメイト】くんこと志賀春樹は、クラスメイトの山内桜良が膵臓の病気であり、あと数年の命であることを偶然知ってしまった、桜良の家族以外の唯一の人間である。実は、桜良の葬儀には、春樹は出席していない。だから、桜良の死に化粧も、春樹は直接見ていない。いつもケラケラと声を立てる闊達な桜良は、死に化粧をしても笑っているように見えるというのは、春樹の想像であろう。

 桜良の覚悟とは何だろうか?残り少ない余命を悔いのないように生きるという覚悟ではない。確かに、桜良に残された時間は少ない。しかし、桜良よりも春樹の方が、不慮の事故などで先に命を落とす可能性もある。よって、死が予定されているからと言って1日の価値が上がるわけではなく、どんな人にとっても1日は等価である。そのことを覚悟しているという意味である。
 「ありがとう」も「さよなら」も僕らにはもういらない
 「全部嘘だよ」そう言って笑う君を
 まだ期待してるから
 実は、桜良が病気とは別の理由で突然命を落とす結果となったため、春樹も桜良も、桜良が生きている間にはお互いに「ありがとう」と素直に言う機会がなかった。そして、桜良が死ぬ時も、お互いに「さよなら」を言えなかった。ところが、桜良が膵臓の病気を知ってからつけ始めた『共病文庫』という日記の最後に、桜良があらかじめ用意しておいた春樹向けの遺書で、春樹が桜良の本当の想いを知った時、2人は完全に心を通わせることができた。桜良はもうこの世にいないけれども、桜良は春樹の心の中でこれからも生き続ける。だから、敢えて「ありがとう」と言う機会を探る必要はないし、まして「さよなら」と言う必要もない。

 ただ1つだけ、桜良には「全部嘘だよ」と言ってほしかった。無論、実は病気ではありませんでしたなどという安物の嘘ではない。いつも明るく周りにはたくさんの友人が集まってくる桜良は、病気が判明してからも変わらない様子で振る舞っており、春樹はそれが桜良の天性によるものだと思っていたが、本当は桜良も死が怖かったのではないかということ。1日の価値は等価だと覚悟を決めていたが、本当は寿命が1日、また1日と削られていくことに深い悲しみを抱いていたこと。そうでなければ、桜良は『共病文庫』を作ったり、「死ぬまでにしたいこと」を書き出してそれを実行したりしなかったはずだ。春樹は桜良の矛盾を見抜いていた。
 いつも
 透き通るほど真っ直ぐに
 明日へ漕ぎだす君がいる
 眩しくて 綺麗で 苦しくなる
 桜良は、傍目にはもうすぐ死ぬ人間にはとても見えない。いつも通り学校に来て、いつも通り友人と騒いで、いつも通り試験を受けて、いつも通り透き通った笑い声をこの世に響かせている。桜良には明日がないかもしれないのに、明日もまた今日と同じように生きようとしている。それが春樹には「眩しくて綺麗」に見える。しかし、春樹は桜良が心の奥底から垣間見せていた闇を知っていたから、桜良が「眩しくて綺麗」であるほど、春樹の心は「苦しくなる」のである。
 暗がりで咲いてるひまわり
 嵐が去ったあとの陽だまり
 そんな君に僕は恋してた
 「キミスイ」の作者である住野よる氏は、Mr.Childrenの「himawari」を聞いて、「楽曲のタイトルが『himawari』、桜良をヒロインとしたこのお話の主題歌に夏の花のタイトルがついていたことに想像を悠々と超えられた感覚があった」とコメントしている。

 おそらく、桜良の寿命は(普通に生きていれば)高校3年の春頃までだったと思われる。他の高校生とは違い、春に大学入試の合格発表を見ることができない。いや、たとえ合格発表を見て吉報を得たとしても、桜が散る4月上旬には寿命が尽きて、大学の入学式に出席できなかったに違いない。そういう切なさを込めて、主人公の名前を桜良にしたのだと思う。しかし、桜良は春樹の心の中に存在し続ける。春を終え、夏を迎える。そこには大きな、とても大きな一歩がある。だから桜井和寿さんは、主題歌のタイトルとして、敢えて夏の花であるひまわりを選択したのだと思う。さらに言えば、「嵐が去ったあとの陽だまり」とは、台風の後の太陽が水たまりを照らす様子を指している。つまり、春から夏へとだけでははなく、夏から秋へとも時間は進んでいく。

 「そんな君に恋してた」とあるが、春樹と桜良は恋人関係にあったわけではない。このことは桜良が『共病文庫』の中で明確に否定している。2人は、友達とも恋人とも違う特異な関係にあった。桜良は、もし相手が親友や恋人であったら、病気のことを絶対に知られたくなかったと言う。病気を知ってしまった親友や恋人は、病気に過剰反応して、普段通りに桜良に接してくれなくなる。桜良の病気を知った家族が、高校生には似つかわしくない豪華なテレビやテーブルなどを自分の部屋に用意してくれるのを見て、桜良はおよそ自分の病気を知ってしまった人間というのは、そういう行動をとるものだと悟った。病気という真実を伝えると、日常が崩れてしまう。その点、春樹は人間関係というものに無関心であり、桜良の病気を知っても興味を持ちこそすれ、動揺はしなかった。春樹ならば、真実と日常を両立できると桜良は思ったわけだ。
 想い出の角砂糖を
 涙が溶かしちゃわぬように
 僕の命と共に尽きるように
 ちょっとずつ舐めて生きるから
 春樹と桜良が時間をともにしたのは、わずか4か月である。その4か月に濃密な思い出が凝縮されているのだが、所詮、高校生という未熟な時期の思い出である。だから、角砂糖のように小さくてもろい。今悲しみでたくさん泣いてしまえば、かえって心の重荷が吹き飛んで、思い出が消えてしまうかもしれない。春樹が桜良と心の中で少しでも長く一緒にいるために、悲しみを道連れにすることを覚悟の上で、思い出をかみしめていくことを春樹は選択した。
 だけど
 何故だろう 怖いもの見たさで
 愛に彷徨う僕もいる
 君のいない世界って
 どんな色してたろう?

 違う誰かの肌触り
 格好つけたり はにかんだり
 そんな僕が果たしているんだろうか?
 前述の通り、春樹と桜良は恋人だったわけではない。だから、春樹が今後、別の女性と恋に落ちることは十分あり得る。違う誰かの肌触りを感じ、桜良には見せなかったような恰好つけた態度やはにかんだ態度をとるかもしれない。だからと言って、それが直ちに桜良に対する春樹の不義理を意味するわけではないだろう。心の中に桜良という特別な存在を抱きながら、別の女性を愛するということが一体どういうことなのか、まだこの時の春樹には想像がついていない。そして、実際に春樹に愛する人ができた時にも、この葛藤に苦しむに違いない。桜良という人物を春樹の人生の中でどのように意味づけするのかは、春樹の人生に課された大きな宿題である。
 諦めること
 妥協すること
 誰かにあわせて生きること
 考えてる風でいて
 実はそんなに深く考えていやしないこと
 思いを飲み込む美学と
 自分を言いくるめて
 実際は面倒臭いことから逃げるようにして
 邪にただ生きてる
 これは春樹のことを指している。小学生の頃から友達というものを持ったことがない春樹。当然、恋人がいたこともない。春樹は人間関係を煩わしいものと考えていた。自分の世界に浸り、何事も自己完結させることを好んだ。他人には何も主張しない。友達がいないのだから、そもそも主張する相手がいない。とはいえ、ある時突然誰かが春樹の世界に侵入してきたら、その人の意見には従う。春樹はそんな生き方を「草船」的だと表現して自己正当化してきた。

 一方の桜良は、春樹とは全く正反対の性格である。友達にも恵まれ、これまでに3人の恋人がいたという。食事の好みも、趣味の方向性もまるで真逆だ。もし、桜良の性格を知りたければ、春樹を鏡に映せばいい。逆に、春樹の性格を知りたければ、桜良を鏡に映せばいい。そのぐらい2人の性格は違っていた。いや、あまりにも違っていたからこそ、ジグソーパズルのピースがかみ合うように、2人はお互いをすんなりと受け入れることができた。仮に友達や恋人の関係であったら、2人の間に共通点を見出そうとしただろう。そして、最初はその共通点を喜んでいたのに、次第に相違点に目が行くようになり、それがいざこざの原因となる。しかし、春樹と桜良は全く重なり合う部分がなかったので、友達や恋人とは違う特殊な関係を構築することができた。

 春樹は桜良からたくさんのことを学んだ。春樹は草船のように流されながら生きてきたと思ってきたが、実は人生とは主体的な選択の連続であること。桜良との出会いも、偶然ではなく、春樹が選んだことであること。そして、生きるとは、誰かを心を通わせることであること。誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手をつなぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う、それが生きるということである。

 逆に、桜良も春樹からたくさんのことを学んでいた。桜良の人生は、周りにいつも誰かがいることが前提だった。桜良の魅力は、桜良の周りに誰かがいないと成立しなかった。誰かと比べられて、自分を比べて、初めて自分を見つけられる。だが、春樹はいつも自分自身だった。春樹は自分のためだけに、自分だけの魅力を持って、自分の責任で生きていた。そんな春樹に桜良は憧れていた。2人の性格がまるっきり違うからこそ、お互いの違いを尊重することができた。そして、いつしか2人はお互いを心の底から必要とするようになった。

 だから、春樹は桜良が死ぬ直前に送ったメールで、そして、桜良は『共病文庫』で春樹に宛てた遺書の最後で、全く同じ言葉を書いたのである。「君の膵臓を食べたい」。春樹は「僕は君になりたかった」と言っている。おそらく、桜良も「私は君になりたい」と思っていたのだろう。ただ、相手のよさを自分に取り入れることで、別の言い方をすればお互いの膵臓を食べることで、本当に自分を変えようとしたわけではないように思う。人間はそれほど簡単には変われない。お互いに、自分には全くないものを持っている人をずっと身近に置いて手放したくなかった。それが「君の膵臓を食べたい」という言葉となって吐露されたと言える。春樹にとって、人生には今まで自分が考えていたものとは違う可能性があることを示してくれた桜良。「だから」、桜良が死んでもなお明日へと放つ眩しさに見とれ、同時に桜良の存在のあまりの大きさに胸が苦しくなる。
 だから
 透き通るほど真っ直ぐに
 明日へ漕ぎだす君をみて
 眩しくて 綺麗で 苦しくなる

 暗がりで咲いてるひまわり
 嵐が去ったあとの陽だまり
 そんな君に僕は恋してた
 そんな君を僕は ずっと
 高校時代のたった4か月間であったが、特別な関係をつむぎ、今まで経験したことのない思い出をくれ、人生の色々なことを教わった「そんな君を僕はずっと」心に留めてこれから生きていくのだろう。たとえ、春樹にいわゆる恋人という人ができたとしても。だが、1人苦悩する春樹を尻目に、桜良は生きていた時と同じようにぶはははと笑い飛ばすのかもしれない。

2017年06月23日

【要約】加藤隆『一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ』

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一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
加藤 隆

講談社 2002-05-20

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 今回の記事は本書の要約であり、私の意見は入っていない点をご了承いただきたい。

 ユダヤ教の歴史は古く、紀元前13世紀の出エジプトに遡ることができる。旧約聖書によれば、パレスチナで牧畜に従事していたユダヤ人が飢饉に遭遇し、豊かなエジプトに移動して、農耕生活を営むようになった。しかし、新たなエジプトの王(ファラオ)がユダヤ人の豊かな生活をねたみ、奴隷として都の造営などをさせた。ファラオはユダヤ人の反発を恐れ、男の子を皆殺しにすることを命じたが、1人の男の子だけは葦船に乗せられて助けられた。その子が成長してモーセとなる。モーセに率いられたユダヤ人はエジプトから脱出したものの、紅海を前に追いつめられる。モーセがヤーヴェに祈ると、紅海が真っ二つに割れて道ができ、ユダヤ人は逃れることに成功した。エジプト兵が後を追ってその道に踏み込むと、海は元通りになって溺れ死んでしまった。エジプトから逃れたユダヤ人は、カナン(パレスチナ)に定住するようになる。

 (※)なお、「ユダヤ人」というのは後の名称である。自らは「イスラエル人」と称し、エジプトでは「ヘブライ人」と言われた。

 この頃に成立したヤーヴェ信仰を、後のユダヤ教と区別するために「古代イスラエルの宗教」と呼ぶ。古代イスラエルの宗教におけるヤーヴェは創造神ではなく、救済神であった。つまり、人間がヤーヴェに対して豊作を願い、神が人間の要望に応えて豊富な作物をもたらすという関係である。この関係においては、神よりも人間の方が上位に立っている。また、現世での利益を願うという意味で、御利益宗教と言うこともできる。カナンに定住したばかりの頃のユダヤ人は生活も苦しかったが、ダビデ王、ソロモン王の時代になると生活も豊かになり、ユダヤ人は様々なものを神にねだるようになった。そのため、当時のユダヤ人社会には、ヤーヴェ以外にも多数の神々が存在した。ヤーヴェが創造神と見なされるようになるのは、ずっと後のことである。

 ソロモン王の後、イスラエル王国は北王国(イスラエル王国)と南王国(ユダ王国)に分裂した。そして、紀元前8世紀後半、北王国はアッシリアによって滅亡した。この時、ユダヤ人は、ヤーヴェをはじめとする様々な神々がいるにもかかわらず、自分たちは神々に見捨てられたと感じた。ユダヤ人は神々に見切りをつけるようになった。ただし、ヤーヴェに関しては、残った南王朝で深く信仰されていたために、ユダヤ人から見放されることがなかった。

 しかし、ユダヤ人は被害者意識にとらわれるだけではなく、次のように考えるようになった。つまり、なぜ自分たちは神に見捨てられたのかと問うたのである。ここでユダヤ人は「契約」の概念を導入することにした。神に対するユダヤ人の義務が果たされてこそ、初めて神からの恵みを受けることができる。逆に、ユダヤ人が義務を果たしていないこと、言い換えれば、人間として正しくないことは「罪」とされた。北王国が滅亡したのは、ヤーヴェ以外の神を信仰し、ヤーヴェに対してユダヤ人が罪の状態にあったからであると説明された。ここにおいて、神と人間の関係は逆転し、神が人間より上位に立つこととなった。また、人間が義を果たさない限り、神の方から人間に恵みを与えることがないという点で、人間と神との間には断絶が生じた。

 その後、南王国も新バビロニアのネブカドネザル2世によって滅ぼされた。エルサレム全体とエルサレム神殿(第一神殿)が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行された。これをバビロン捕囚という。バビロンに幽閉されたユダヤ人は、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって解放された。多くのユダヤ人はパレスチナに戻ったが、バビロンに残った者もいた。彼らのことをディアスポラのユダヤ人と呼ぶ。現在でも、イスラエルに住んでいないユダヤ人のことをディアスポラのユダヤ人と言うが、その起源はここにある。このバビロン捕囚前後を境に、古代イスラエルの宗教の時代からユダヤ教の時代に入ったとされる。

 先ほど、人間として正しいことが義、正しくないことが罪とされ、人間は義を追求しなければならないと述べた。だが、ここで1つ問題が生じる。それは、誰が正しさを決めるのかという問題である。もちろん、神がそれを決めるわけであるが、神がある事柄を正しいと決めたことを人間が知る術がない。すると、中には「自分の行っていることは絶対に正しい」と「神の前の自己正当化」を企てる者が現れるようになる。これを防ぐために、ユダヤ教は2つの仕組みを用意した。

 1つは第二神殿の建設である。第一神殿は、前述した南王朝滅亡時に破壊された。神殿は、神とユダヤ人のつながりを保証する重要な制度だったが、バビロン捕囚の時代には神殿は存在せず、それでもヤーヴェ信仰は存続していた。ということは、神殿はユダヤ教にとって不可欠ではなかった。それでも第二神殿が建設されたことには、次のような意味を見出せるだろう。つまり、神殿の儀式は1回行えば十分というものではない。今日も明日も、神に犠牲を捧げる必要がある。そして、どんなに儀式の回数を重ねても、神とユダヤ人のつながりは不十分である。完璧な正しさには到達しえない。この点で、人間の知恵による勝手な自己正当化を回避している。

 もう1つが律法である。ユダヤ教の聖書の編集は紀元前5~4世紀に始まり、最初に着手されたのが第一部の「律法(トーラー)」であった。元々は、ササン朝ペルシアの当局が、ユダヤ人に自治を認める代わりに、自主統治のルールをまとめて提出させたのが始まりとされている。しかし、ササン朝ペルシアが滅亡した後も、律法はユダヤ人の生活の基盤となった。しかも、律法の言葉は一語一句正しいとされた。ところが、律法の文言をよく読むと、様々な意味にとれる箇所や、明らかに矛盾している内容が含まれている。それでも、律法の言葉は全体として完全に正しいのだから、後は人間の解釈で論理的一貫性を追求するしかない。律法が成立してから2000年以上経つが、この解釈の営みは現在でも続いている。律法のこのような性質もまた、人間の知恵による勝手な自己正当化を回避する役目を果たしている。

 ところで、ユダヤ人が毎日神殿で儀式を行い、律法に忠実な生活を送っても、永遠に完全な正しさに到達することができないとすれば、ユダヤ人は罪を晴らし、義を実現することが不可能である。ということは、ユダヤ人と契約をしている神も動かない。このことに対して苛立ちを感じるユダヤ人が出てきた。彼らは、神が動かないという前提をひっくり返して、神は自由に動く存在であるとした。具体的には、神は罪に満ちたこの世を破壊して、新しい世界を創造することができると考えた。この点がよく表れているのが「黙示文学」である。ただ、黙示文学をめぐっては、神が自由に動く方法は、破壊と創造を行うこと以外にはないのかということが問題になる。

 ここからいよいよイエスの時代に入る。イエスの時代のユダヤ教は、神殿を重視するサドカイ派、律法を重視するファリサイ派、荒野で修業を行うエッセネ派という3つの学派に分かれていた。サドカイ派、ファリサイ派は保守勢力であり、神とユダヤ人は契約で結ばれているが、罪の概念によって分断されているとする。また、重視する比重の違いはあるが、両派とも神殿/律法主義である点で共通する。これに対し、エッセネ派は、神との直接的な関係を目指すという大きな違いがある。エッセネ派に言わせると、契約や罪の概念があるから、神は一歩も動かない。だから、契約にとらわれずに、神が一方的に介入すればよい、というわけである。

 エッセネ派に影響されていたイエスは、「神の支配(バレイシア)」を問題にした。神が世界に対して肯定的に動く。神が支配するということは、神が世界を放っておいて、世界との間にある断絶をそのままにしておくということではない。簡単に言えば、神が世界の面倒を見るということである。そして、神がこのように動いたということは、罪も消えてしまったということである。これは同時に、契約の概念も消滅したことを意味する。

 神の支配の現実についてイエスが告知したことで、新しい現実が出現している。ただし、これはまだ、神の支配の現実が十分に実現した状態ではない。神の支配の現実が十分に実現する可能性があることを見据えることができるようになったという現実である。よって、これは「神の支配」というよりも「神の支配についての情報が作り出す現実」と言った方が適切かもしれない。キリスト教は、イエスが告知した神の支配が現実であるという事実に賭けている流れである。これに対して、ユダヤ教は、契約という唯一の関係によってヤーヴェとのつながりを確保しながら、キリスト教の賭けが成功に至るかを見守っている流れであると言える。

 生前のイエスは弟子やその仲間たちと共同生活を送り、キリスト教の布教に努めた。イエスの没後は、「エルサレム初期共同体」とでも呼ぶべき集団が形成され、イエスを神格化して、指導者の権威を神学的に正当化した。キリスト教が各地に広まるにつれ、エルサレム初期共同体とは異なる形態の共同体も生じるようになったが、指導者は神格化されたイエスを利用して、新しい共同体のスタイルも容認した。しばしば、イエスは「メシア」、「キリスト」、「神の子」、「ダビデの子」、「預言者」、「人の子」、「主」、「王」などと呼ばれるが、これらの「イエスは○○だ」という理解は、イエスのイメージを誇張しすぎている。イエスの神格化は、キリスト教的生活スタイルを権威あるものにするための機能を担っているにすぎない。

 イエスが神殿や律法に否定的なエッセネ派の影響を受けていることから、初期キリスト教も神殿や律法に否定的であった。だが、当時のユダヤ人社会に新しいキリスト教を普及させる上で、既存の神殿や律法を便宜的に利用することはしばしば行われたようである。その後、旧約聖書と新約聖書からなるキリスト教の聖書が正典とされ、またユダヤ教のシナゴーグ(集会所)をモデルとした教会も設立された。キリスト教において、教会や聖書は必須のものではなかったが、ユダヤ教において神殿や律法が人間の知恵による自己正当化を防ぐ役割を果たしていたのと同様の役割を、キリスト教の教会や聖書が担うことになった。

 ところで、神が支配によって人間を分け隔てしないのであれば、最初から布教活動は不要なのではないかという疑問が生じる。布教活動があるがゆえに、この世は福音を受け入れる者と福音を受け入れない者という2つのグループに分断されることになる。これは、神の支配に反するのではないかという問題がある。また、布教の中心となる教会では、神格化されたイエスによって神学的根拠を得た指導者が、人々に対してキリスト教的生活スタイルについて指導を行っており、「人による人の支配の体制」ができ上がっている点も見過ごすことはできないだろう(指導者は神ではなく、あくまでも神学的根拠を得た人間である)。

2017年06月21日

市野川容孝『身体/生命』―「個体と全体」、「物質と精神」の「二項混合」

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身体/生命 (思考のフロンティア)身体/生命 (思考のフロンティア)
市野川 容孝

岩波書店 2000-01-21

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 「はじめに」で著者(本書を書いた時の年齢が私と同い年だった)は「生物学や生命科学における最先端の知見を動員しながら、今世紀初頭のE・ヘッケルさながら「生命の驚異」を解き明かすことなど、一社会学徒にすぎぬ私のはるか及ばぬところである」と書いているが、一介の中小企業診断士・コンサルタントである私が「身体/生命」について論じるなど、さらにはるか及ばぬことである。それでも何とか記事にしてみたいと思う。

 著者は、「個体(自己)―全体(他者)」、「物質―精神」という2つの対立軸を用意し、両軸の中間に「身体/生命」を配置している。対立軸が出てくると、私などはすぐに「二項混合」のことを想起してしまう。以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」でも書いたが、AとBという二項対立があった場合、日本人はAとBの間をまるで高速反復横飛びするように自在に移動する。そして、AでありながらB、BでありながらAという状態を作り出す。それは一種の酩酊状態とでも言うことができるだろう。

 まず、「個体(自己)―全体(他者)」という二項対立について考えてみたい。ここで、個体と全体を単純に混合すると、「1が全体でありながら、全体が1である」ということになる。ただし、この言葉には注意が必要である。というのも、この言葉はややもすると全体主義に結びつく恐れがあるからだ(以前の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」を参照)。全体主義においては、1が全体に等しいと言いながら、実は1は全体に圧殺されている。全体は1に優先しており、識別可能は1は存在しない。つまり、全体は全体なのであり、この点で全体主義は個人にとって過激なまでに暴力的である。

 ここで言う全体とは、本書に従えば王である。王とは、社会の存立を支える身体/生命の集合体が1つに凝集し、化身した特異な身体である。日本であれば、天皇が該当する。よって、個体と全体の関係は、国民と天皇の関係と読み替えることができる。ここで、国民と天皇が二項混合するとはどういうことであろうか?まず、天皇は、国民に接近し、全体の中から識別可能なそれぞれの1を発見する。一方、国民の側は、天皇に接近してその全体性を吸収しつつ、自身が全体とは同一視されない1、全体を超克しようとする特異な1を志向する。逆説的だが、国民は天皇との距離を詰めることで、天皇から離れようともする。そして、天皇は再び国民に近づき、全体を突き抜けていく国民を包摂し、全体へと統合する。両者はこのような複雑な関係にある。

 今上天皇は、憲法に定められた国事行為にとどまらず、被災地や太平洋戦争の戦地を積極的にご訪問され、国民1人1人の心に寄り添うことを大切にされた。これは、前述した天皇から国民に対する働きかけをよく表している。一方で、国民の側は、天皇との関係を意識して、何事かを実践したと言えるだろうか?天皇が日本国民の何を象徴しているのか(以前の記事「『混迷するアメリカ―大統領選の深層(『世界』2016年12月号)』―天皇のご公務が増えたのは我々国民の統合が足りないから、他」を参照)、日本人の精神とは何なのかを考えると同時に、今日的な世界・社会情勢に鑑みて、さらに望ましい精神を発揮する努力をしたであろうか?多くの国民は天皇制を支持するが、形だけの支持に終わっていないか、反省する必要があるだろう。

 ところで、生前退位をめぐる議論の中で、保守派の識者が「天皇は祈るだけでよい」と発言したことに、天皇は非常にショックを受けられ、国民の目線まで下りてくるというこれまでの生き方を否定されたとお感じになっていると毎日新聞が報じていた(毎日新聞「退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」」〔2017年5月21日〕を参照)。だが、私は右派の『正論』と左派の『世界』を両方定期購読しているから解るのだが、天皇は国事行為だけやっていればよい、それ以外の公務はおまけであると主張していたのは左派の方が多い(以前の記事「『「3分の2」後の政治課題/EUとユーロの行方―イギリス・ショックのあとで(『世界』2016年9月号)』―前原誠司氏はセンターライトと社会民主主義で混乱している、他」を参照)。

 生前退位についてもう1つ議論を展開したい。本書には、スーダンのシルック族の風習が紹介されている。シルック族は、王(レス)が病気になったり老齢によって衰弱したりすれば、民族もまた病気になってしまうため、王を殺害すると言われている。では、日本で天皇が病気になったり衰弱したりした場合、天皇は退位するべきなのだろうか?ここでは、天皇が自身のご意思で退位するようになると、政府の政策がお気に召さない時に退位して、政府に影響力を発揮できるようになってしまうといった、政治面の議論はひとまず脇に置いておく。

 国民と天皇の関係が、「1が全体に等しく、全体が1に等しい」という静的な関係であるならば、天皇は天皇「である」だけで十分である。天皇という人物が存在することに意味がある。逆に言えば、天皇は存在し続けなければならないのであり、自身の意思でその存在から降りることはできない。よって、生前退位は認められないという結論になる。しかし、冒頭で述べたように、「1が全体に等しく、全体が1に等しい」という前提は、全体主義に転落する危険性と紙一重である。

 先ほど見たように、二項混合における国民と天皇の関係は、天皇が個別の1を識別し、全体からはみ出していこうとする1を再び全体へと統合していくような動的な関係である。その能力が十分でなくなった場合には、天皇を「する」ことが困難になるため、生前退位が正当化されるようにも見える。ただし、この考え方にも問題はある。なぜなら、天皇の条件として、血縁以外に何かしらの能力を要求することになるからである。その能力要件はどのようにして正当化されるのか?天皇の能力はどのように評価するのか?天皇の能力を第三者が評価することが許されるのか?仮に、天皇の能力が十分でないにもかかわらず天皇が退位を選択しない場合、国民には天皇の交代(=革命?)を要求することができるのか?などといった様々な論点が噴出する。

 さらに、天皇に血縁以外の条件を要求するのと同様に、動的に振る舞うべき国民にも能力面の要求がなされることになる。全体性を吸収しながらも全体とは同一視されない特異な1、全体性を超克していく1、そういう1を目指すことのできない国民は国民ではないことになってしまう。この点で、特に障害者など能力面でハンディキャップを抱えた人たちにとって、絶望的な結論となる。残念ながら、生前退位を認めるべきか否か、私の中で立場を明確にすることができない。

 生前退位の問題は、結局1代限りの特措法で解決されることになった。私は恒久法による解決を望み、あれこれと逡巡した結果、最終的には憲法を改正するしかないと思っていた。特措法による解決は、「法外の法」で解決を図るという点で、いかにも「日本教」的(山本七平)なやり方である(以前の記事「山本七平『日本人とユダヤ人』―人間本位の「日本教」という宗教」を参照)。法律の文言に「お気持ちへの共感」という文言を盛り込むことで(時事通信社「「お気持ち」への共感、第1条に=退位特例法案、政府が与党に提示」〔2017年5月12日〕を参照)、疑似的に憲法改正を行ったという形に持ち込みたいというのが政府・与党の意向であろう。

 続いて、「物質―精神」という二項対立について。本書では脳死の問題を取り上げている。伝統に従えば、死にとって機能的な中心を占めるのは肺の死であり、時間的に見て最も遅れてくるのが心臓の死である。脳の死は間接的で弱い影響しか他の器官に及ぼさず、時間的に見ても比較的早い段階で生じるものと考えられていた。また、肺と心臓を「有機的生命」、脳を「動物的生命」と分類し、死の条件は有機的生命が死ぬことであり、動物的生命の死のみをもって死とすることはできないというのが共通認識であった。ところが、20世紀に入ってから動物的生命の死を人間の死とする定義の書き換えが起こり、それが脳死を人間の死と認める現在の見解につながっているという。脳死をめぐる議論では、有機的生命が動物的生命に優先するという従来の原則を守るため、有機的生命の源を脳に求めるという転換も行われている。

 この議論が興味深いのは、人間の死をめぐる議論においては、有機的生命=物質が動物的生命=精神に優先するとされていることである。我々は高度に発展した物質的社会を目の前にして、精神世界の退廃を嘆くのが普通である。今こそ精神を取り戻さなければならないというのは、社会的スローガンのようにもなっている。ところが、脳死に関する議論では、これと逆のことが起きているように見えるのである。ただ、私は生物学や生命科学に関しては全くの素人であるから、脳死の議論にはこれ以上立ち入らない。物質と精神の二項混合を考えるにあたって、私が10数年以上前に読んだシュレディンガーの『精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察』を読み返してみた(案の定、内容は全く覚えていなかった、苦笑)。

精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察
エルヴィン シュレーディンガー Erwin Schr¨odinger

工作舎 1999-01

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 本書は様々な内容から成り立っているが、まずはラマルクとダーウィンの進化論の比較について触れてみたい。ラマルクは、動物が生存中に訓練や環境への適応などによって獲得した特別な形質は、100%ではないが遺伝によって子孫に伝達されると主張した。一方、ダーウィンは、進化というのは偶然の長い連鎖と自然淘汰によって実現されるものだとした。ラマルクの主張は精神の働きを、ダーウィンの主張は物質の働きを強調している。

 ここで、シュレディンガーは両者の中間的な立場を主張する。すなわち、最初の変異は偶然であり、それが子孫に遺伝するが、親は変異によって新しく獲得した器官の使い方を例示や教育によって子孫に学習させなければならないという。例えば、変異によって手が器用に動かせるようになったとしよう。子孫には手の構造は伝達されるものの(物質)、その手を器用に動かせるかどうかは、親が子を適切に教育するか否かにかかっている(精神)。このように考えると、シュレディンガーの主張は精神と物質の両方の世界を統合していると言える。

 物質と精神の対立は、客体と主体の対立と言い換えることもできる。自然科学は客体を客観的に記述することにある程度成功してきたが、よく言われるように、客体を観察する主体も世界の一部であり、それを取り除いたまま記述した客体は十分な客体ではない。特に、感性的な性質が欠落している。もちろん、これはある意味仕方がないことであった。客体と主体が未分離のまま世界を語ろうとすると、人々は好き勝手に世界を語ってしまう。これではコミュニケーションが成立しない。そこで、一旦主体と客体を切り離して、客体に関する共通言語を生成する必要があった。だが、その作業が一段落ついたら、今度は主体と客体を統合しなければならない。

 主体と客体を統合するとは、主体を客体の言葉で語り、客体を主体の言葉で語ることである。主体(精神)を客体(物質)の言葉で語る試みは、シュレディンガーも含め、多くの自然科学者が取り組んでいる。近代的な自然科学の手法では、世界の全体像を把握するのに限界があるという強烈な危機感を持ったためである。一方で、客体を主体の言葉で語る活動が一体どこまで進んでいるのか、正直なところ私にはよく解らない。例えば文学が精神世界を飛び出して物理世界を描写するということが考えられるが、あいにく私は文学論に疎く、語る素地がない。

 ところで、日本人は、本当は対立している2つの事項を渾然一体と把握することに元々長けている。これが、物事を基本的には二項対立でしかとらえられない西洋人に対する決定的なアドバンテージである。だから、主体と客体に関しても、何となく融和した形で認識することができてしまっている。一例としては、日本人の精神と自然の調和などが挙げられるだろう。だが、日本人がその「何となく」を抜け出し、高度で明確化された思考を獲得するには、渾然としている二項を一旦切り離し、それを再統合する作業が必要である。これこそ本当の二項混合であり、21世紀に求められる「関係知」である(以前の記事「武田修三郎『デミングの組織論―「関係知」時代の幕開け』―日米はともにもう一度苦境に陥るかもしれない」を参照)。

 シュレディンガーの著書では、科学と宗教の関係についても触れられている。科学と宗教の関係も、物質と精神の関係と置き換えることができるだろう。そして、科学と宗教の二項混合とは、宗教を科学の言葉で語り、科学を宗教の言葉で語ることである。シュレディンガーは、プラトン、カント、アインシュタインという3人の科学者(初めの2人は科学者ではないが、彼らの哲学的疑問への強烈な専心と世界に対する熱い興味は、科学から出発したものと言ってよいだろうとシュレディンガーは述べている)が、宗教に対して時間の概念を提供したと指摘する。もちろん、ここで言う時間とは、客観的に測定可能な時間のことではない。その時間軸を超えた存在を認め、そこに精神の意義を見出した点に注目している。科学が宗教を語ったのである。

 宗教の言葉で科学を語った事例としては、シュレディンガーの著書を離れ、またオカルトの話になってしまうが、以前の記事「川久保剛、星山京子、石川公彌子『方法としての国学―江戸後期・近代・戦後』―国学は自由度の高い学問である」で書いた、平田篤胤と国友藤兵衛の名前を挙げることができるかもしれない。彼らは霊界を見ることができる特殊能力を持つという少年・寅吉から霊界の話を聞いて、仙砲や弩弓といった武器を完成させた。しかも、それらの武器の性能は、西洋製の武器を上回っていた。評論家の池田清彦氏は、現代科学とはそもそもオカルトの嫡子であり、今日我々が偉大な科学者であったと考えているケプラーやニュートンも実のところはオカルト信者だったと述べている。宗教の側から科学との境界線を越えていくことが今日、特に日本にとって、二項混合を実現する上で重要な課題となるであろう。


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