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DHBR2018年7月号『アジャイル人事』―日本の製造業がアジャイルを実践するために人事部がなすべき5つのこと
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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2018年06月26日

『正論』2018年7月号『平和のイカサマ』―「利より義」で日本と朝鮮統一国家の関係を改善できるか壮大な実験を行うことになるだろう


正論2018年7月号 (向夏特大号 平和のイカサマ)正論2018年7月号 (向夏特大号 平和のイカサマ)

日本工業新聞社 2018-06-01

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 以前の記事「岡部達味『国際政治の分析枠組』―軍縮をしたければ、一旦は軍拡しなければならない、他」、「『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている」の内容を改めてまとめると、国家間の相互不信を原則とする国際政治の舞台においては、どの国も他国から侵略されるのではないかと恐れを抱いて自衛権を拡張する。だが、A国が他国からの侵略を過度に警戒する場合、A国の自衛権は過剰になる。専守防衛にとどまらず、いざとなれば他国を攻撃する能力を装備する。A国の動きを見た他の国は、A国の脅威から自国を守るために軍備を拡張する。他国の動きを警戒するA国は、さらに軍拡へと進む。こうして、各国は軍拡競争へと突入する。そして、A国と他国とが、このままでは本当に軍事衝突をしてしまうかもしれないというほどに軍事的緊張が高まった時、A国と他国との間で軍縮に向けた交渉が始まる。

 6月12日に史上初の米朝首脳会談が開催されたが、北朝鮮がそれまでの強硬な姿勢からアメリカとの対話路線に転換したのは、アメリカを中心とする国際社会からの「最大限の圧力」が功を奏したからだと言われる。だが、これは北朝鮮をどうしてもやっつけたい右派に特有の論理であり、実のところは、北朝鮮が「火星15」の完成によりアメリカ大陸の東海岸まで射程圏に収めたことで、アメリカ国内に現実的な恐怖が生じたからだと説明した方がしっくりくる。

 その米朝首脳会談をめぐっては、「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID)」を求めるアメリカと、段階的な非核化を求める北朝鮮との間には相当の開きがあった。北朝鮮は約60の核弾頭と、約150の核兵器関連施設を有していると言われる。アメリカは当初これを半年ほどで全廃棄させると言っていたものの、それは土台無理な注文であり、国際的な交渉に特有の”ふっかけ”である。最初に無理な注文を突きつけておいて、それが無理ならではどうするのかと相手に迫るのがアメリカ(というか世界の普通の国全般)のやり方である。そもそも、完全なる非核化となると、核弾頭や核兵器関連施設を廃棄すれば済むわけではなく、核実験のデータの消去や、核兵器開発のノウハウを持った人材の封じ込めなど、難題が山積している。これらを踏まえれば、完全なる非核化には10年単位の時間がかかるのが当然であり、北朝鮮が求める段階的な非核化に落ち着くのは自然なことであると思われた。

 だが、誤算だったのは、非核化に向けた具体的な方法や工程表に一切踏み込むことなく、トランプ大統領が金正恩委員長に「体制の保証」を与えてしまったことである。さらに、米朝は急速に仲良くなっており、朝鮮戦争の終結も近いと言う。本来であれば、北朝鮮がアメリカの要求する形で非核化を段階的に進め、それに伴って徐々に経済制裁を緩めていき、北朝鮮の非核化が完全に実現した段階で体制の保証を与え、朝鮮戦争を終結させるべきである。ところが、体制の保証を先に与えてしまった以上、北朝鮮は優先度の低い核兵器関連施設をパフォーマンス的に爆破して非核化を進めていることをアピールしながら、体制を脅かすもの、すなわち在韓米軍の撤退を求めるに違いない。そのために、朝鮮戦争の終結を急ぐだろう。

 この状態を隣国の韓国はどう見ているのか?以前の記事「『正論』2018年5月号『策略の朝鮮半島/森友”改竄”の激震/新たなる皇帝の誕生・・・』―南北統一で「金氏朝鮮」が成立する可能性、他」では、北朝鮮主導による朝鮮半島統一の可能性について書いた。現在の文在寅大統領はウルトラ左派であり、韓国では全体主義化が進んでいるという。
 西岡:北と戦ってきた国家情報院の歴代院長が逮捕され、国情院のスパイ摘発部門を警察に移すといい、かつ国情院の過去の「積弊」を調査する集団のトップには民間人の左翼知識人を据えています。そのトップが国情院に乗り込んで秘密データベースにアクセスしています。文大統領の参謀たちの約半数は1980年代に地下活動をしたり、激しい学生運動のリーダーだったりした人たちです。
(古森義久、西岡力「トランプVS金正恩最終決戦」)
 文政権の成立後、韓国で全体主義独裁の狂風が吹きまくっている。「積弊清算」という名の人民裁判や魔女狩り式の右派静粛は、従来の権力闘争とは根本的に違い、階級闘争の形で進行している。近代国民国家形成のために主要先進国はすでに経験した混乱だが、韓国は21世紀にとんでもない混乱を経験している。文在寅政権の目的は体制変革、つまり自由民主主義体制と自由市場経済体制の破壊。この「ロウソク・主思派政権」が金正恩体制と共助して推進する左翼民衆革命は、中国が主導する現状変更戦略と共鳴している。
(洪熒「文在寅 自由の破壊 いよいよ韓国の赤化が始まった」)
 だから、韓国は北朝鮮による朝鮮半島統一を喜んで受け入れる。当然のことながら、米韓同盟は破棄され、朝鮮半島統一国家は中国寄りになる。この段階では、北朝鮮の非核化は完全に完了していない可能性がある。この危険な国家と日本は向き合っていかなければならないのである。日本と朝鮮半島統一国家の関係を、軍事評論家の兵頭二十八氏は「日本がイラクになって、朝鮮半島がイスラエルになるという構造だ」と指摘したそうだ(西尾幹二「政府に今、クギを刺す トランプに代わって、日本が自由と人権を語れ」)。唯一違うのは、イラクが反米、日本が親米であり、イスラエルが親米、朝鮮半島統一国家が反米であるという点である。

 私は、アメリカがこのようなシナリオを予想していないとは到底思えない。むしろ、韓国のことは諦めたのではないかと感じる。だから、米韓合同演習をあっさりと休止してしまった。アメリカとしては、朝鮮半島のいざこざに労力を費やすよりも、中東や中国との問題にエネルギーを注ぎたいというのが本音なのだろう。そして、朝鮮半島のことは日本に任せてしまう。これが、トランプ大統領による「体制の保証」の裏に隠されたメッセージではないかと思う。

 だが、「ネイション(民族)の境界線が国家の境界線であるべきである」という政治学者アーネスト・ゲルナーの言説に従えば、南北朝鮮が統一されるのはむしろ歓迎されるべきこととも言える。本来であれば、太平洋戦争で日本が敗戦した段階で、日本もドイツと同様に連合国によって分断統治される可能性があった。ところが、日本の敗戦によって空白地帯となった朝鮮半島にアメリカとソ連が侵攻して南北が分断され、朝鮮戦争へと発展した。

 なぜ朝鮮半島に空白地帯が生じたかと言えば、他ならぬ日韓併合のせいである。日本では、安重根は朝鮮総督府統監の伊藤博文を暗殺した”犯罪者”だと扱われているが、韓国人にとっては、テロリスト以下の扱いをされることが我慢ならないのだという。安重根は『東洋平和論』を著して、日本が東アジアを西洋列強の帝国主義から救ってくれると本気で信じていた。だから、日清戦争の時も、日露戦争の時も、朝鮮半島を戦場として提供した。ところが、両戦争に勝利した日本は、結局西洋列強と同じ統治を行った。それに憤った安重根は、伊藤博文暗殺という、政治的意図を持った”テロ行為”に出たというわけである。
 南北分断は、日本にはまったく責任はない。ソ連に条約を干渉しての対日参戦を促すために米国や中国など連合国がソ連に38度線以北を占領させたことから起きた問題であって、たとえば、日本敗戦から数年のうちに独立させるということであれば、南北分断も、朝鮮戦争も、とげとげしい日韓関係もなかったはずである。
(八幡和郎「南北朝鮮との新たなる歴史戦に備えろ!」)
 本号にはこのように南北分断に関する日本の責任を否定する記事もある。しかし、個人的には、日韓併合がもっと別のスマートな形で行われていれば、あるいは別の選択肢がとられていれば、現在にまで続く南北分断の悲劇は回避できたかもしれないと思う。その意味で、日本人は南北分断による民族の痛みに敏感にならなければならないし、仮に北朝鮮主導で朝鮮半島が統一されても、その統一国家と真正面から真摯に向き合う必要があると考える。

 朝鮮半島に誕生する新たな統一国家は、独裁政治を行う危険な国家でる。しかも、前述のように核兵器を保有しているかもしれないし、仮に核兵器を保有していなくても、いつでも核兵器を開発する能力を残している可能性のある国家である。このような国を目の前にして、国家間の相互不信を原則とするならば、日本は軍拡し、場合によっては核兵器の保有も辞さない覚悟が必要になるだろう。だがここで、私は敢えて違うアプローチを提案してみたい。

 私は、国内では相互信頼を原則とし、見返りを求めない利他的な精神が重要であるとしがら、国際政治の舞台では相互不信を原則とし、国家が利己的に振る舞うべきだというダブルスタンダードに長年苦しんできた(このような二重基準は、私が定期購読している『致知』にも見られる)。冒頭でも書いたように、相互不信に基づくアプローチは双方の国にとって負担が重い。こんなことを書くと私が左派に転向したのではないかと思われそうだが、朝鮮半島統一国家に対しても、信頼を原則としたアプローチを試してはどうか?具体的には、日本が新しい統一国家の経済的・社会的インフラに投資し、教育基盤を構築し、社会的な各種制度の整備を支援するというものである。見返りを求めずに、ただ朝鮮半島統一国家の発展を信じてこれらを実行する。

 これは、戦後の日本が東南アジア諸国に対して行ってきたことと同じである。右派はよく、日本は太平洋戦争で東南アジアを植民地支配から解放したと主張し、その結果として現在の東南アジア諸国には親日国が多いと言うが、これは正確ではない。日本軍は伝統的に兵站を軽視する傾向があり、物資を現地調達していた。地元民は食糧を日本軍に奪われ、また働き手として基地建設などにかり出された。さらに、日本軍が軍票(日本が作った現地通貨)を乱発したことで超インフレが起こり、約束されていた独立も一向に実現しない。地元民は、これなら欧米の支配の方がよかったと思い、反日運動に転じた。それを憲兵が弾圧すると、急進派が抗日武装して蜂起し、それが全国規模にまで広がって連合国軍と連携した。フィリピン、インドネシア、ビルマなどで見られたのはおおよそこのようなストーリーである。戦後、補償の一環としてODAを中心とした開発援助などを行うことで、東南アジア諸国は徐々に親日になっていった。

 もちろん、今度の相手は半世紀以上も日本への憎悪を膨らませてきた国であるから、一筋縄ではいかないだろう。左派は「対話」が重要だと言うが、私は対話という言葉につきまとうソフトなイメージが受け入れられない。対話は「議論」のアンチテーゼとして持ち出されることが多い。議論が論理的、線形的、算術的、合理的に行われるものであるとすれば、その反対に位置する対話は感情的、飛躍的、策略的、権力的に行われるものである。拉致問題、慰安婦問題などをめぐっては、今後もけんか腰の対話が続く。重要なのは、その間も継続して経済的・社会的支援を止めないということである。経済的・社会的支援を政治の駆け引きの道具にはしない。日本人のソフト・パワーは「勤勉に働く姿」である。それを朝鮮半島統一国家の人々に見てもらうことで、労働に価値を置く社会主義者である彼らの心を動かすものがあるかもしれない。

 これは言うなれば、右手で拳を振り上げながら左手で握手をする外交である。実は、これこそ小国同士の理想的な外交である。大国(私が本ブログで大国と言う場合、米独中ロの4か国を指す)は二項対立的な発想をし、敵味方をはっきりと分ける。ところが、国内も二項対立で対立している。例えば米ロ関係を見ると、両国は表面的には明確に対立している。しかし、アメリカ国内は反ロ派と親ロ派に、ロシア国内は反米派と親米派に分かれており、反ロ派と反米派が表で対立している裏で、親ロ派と親米派が手を握っている。例えるならば、ボクサーがリング上で殴り合っている裏で、両者のコーチがツーカーの仲になっているようなものである。こうすることによって、大国同士の決定的で破滅的な対決を防ぎ、両国の均衡を保っている。

 表面的に対立する大国は、国内のガス抜きをするために、同盟国である小国に代理戦争をさせる。中東が解りやすい例である。小国はリング上で殴り合うボクサーであるから、相手が倒れるまで徹底的に叩き潰す。一方で、自分が受けるダメージも相当なものになる。だから私は、小国は同盟国である大国にどっぷりと依存することに対して警告を発してきた。そうではなく、大国的な流儀を身につける必要がある。と言っても、大国のように資源が豊富にあるわけではないから、リング上ではボクサーに戦わせて、リングの下ではコーチが手を結ぶという真似はできない。小国はボクサーとコーチの役割を同時に担う必要がある。その結果生まれる外交スタイルが、右手で拳を振り上げながら左手で握手をする外交である。

 朝鮮半島統一国家への経済的・社会的支援であれば、日韓併合時代にも行ってきたではないかという批判もあるに違いない。確かに、警察制度は日本が作ったし、漢文をハングルで読めるようにしたのも日本人である。だが、当時の日本軍のやり方が、現地の人々のニーズに合っていたかどうかが問題である。山本七平は『一下級将校の見た帝国陸軍』の中で、日本軍は植民地のニーズを汲み取っておらず、そのために現地の反発を招いたと指摘している。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08-01

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 だから、今度は朝鮮半島統一国家のニーズに合った形で支援を行う。言うなれば、明治40年代~昭和10年代をもう一度やり直すということである。新保祐司氏は、昭和10年代=明治70年代と位置づけた上で、次のように述べている。
 戦前の復活ではない。明治70年代の文明の復活なのです。このように、明治70年代の文明を否定していた戦後七十余年の日本文明は、本来の日本文明と言えるようなものではなかった。
(新保祐司「日本人は日本文明を保持する意思があるか」)
 そして、明治70年代の文明の特徴の1つとして、「美より義を優先する精神」を挙げている。この精神こそ、朝鮮半島統一国家に対して日本が発揮すべき精神である。松山藩の財政を立て直し、わずか8年で10万両(約300億円)の借財を10万両の蓄財に変えた山田方谷も、「義を明らかにして利を計らず」と述べている。朝鮮半島統一国家を支援すれば、積年の禍根は全て解消されてしかるべきだと期待してはならない。それは利己心の表れである。大半の支援は日本の徒労に終わるだけかもしれない。それを覚悟の上で支援し続ける。そして、仮に中国が朝鮮半島統一国家をけしかけて日本を攻撃せよと命じた場合、朝鮮半島統一国家がそれまでの日本の支援を思い返して攻撃をちょっとためらうようなことがあれば、それで十分である。

 私は、究極のウルトラCとして、アメリカが北朝鮮との国交を回復した後に、直ちに日本も北朝鮮と国交を回復するのもありだと考える。国交が回復すれば、北朝鮮に日本の大使館を置くことができる。すると、今まで入手が困難であった拉致被害者に関する情報が入手しやすくなる。政府は「拉致被害者全員の帰国」を目標としているが、実は「拉致被害者全員」とは誰のことを指すのか、誰も解っていないのだという(荒木和博「特定失踪者をウヤムヤにしてはならない」)。日本大使館の設置は、このような状況の改善の一歩につながる。また、日本政府としては、「拉致被害者全員の一括帰国」ばかりにこだわって交渉をするべきではない。交渉には幅を持たせるのが鉄則である。もちろん、表向きは「拉致被害者全員の一括帰国」を強弁するのは構わないが、その裏で複数の腹案を抱えていないのであれば、それは愚策である。


2018年06月18日

DHBR2018年7月号『アジャイル人事』―日本の製造業がアジャイルを実践するために人事部がなすべき5つのこと


DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年07月号 [雑誌]DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年07月号 [雑誌]
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2018-06-09

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 「アジャイル(Agile)」とは「俊敏な」という意味であり、近年IT業界で使われるようになった用語である。端的に言えば、要求仕様の変更などに対して、機敏かつ柔軟に対応するためのソフトウェア開発手法のことである。従来は、要求仕様を満たす詳細な設計を行った上で、プログラミング開発や試験工程に移行する「ウォーターフォールモデル」が主流だったが、開発途中での仕様変更や修正が困難で、技術革新や企業環境の変化に即応することが難しいという問題を抱えていた。アジャイルでは、仕様や設計の変更があることを前提に開発を進めていき、徐々に擦り合わせや検証を重ねていく。途中経過の成果を早い段階から継続的に顧客に引き渡すことで、開発途中での確認や仕様変更などに対応する。また、仕様書だけに頼るのではなく、顧客や開発チーム内でのコミュニケーションを重視することを原則としている。

 今月号の論文「伝統的な組織を俊敏に変える3つのステップ 日本企業が『アジャイル』を実践する方法」(桜井一正、高部陽平)では、アジャイルが適用できるための条件として、①トライ・アンド・エラーが許容される、②短期間で成果を可視化できる、③最大20人の単位でチームが成り立つ、④リーダーの力量、⑤ジュニアメンバーの自律性という5つが挙げられている。

 私はこの論文をパッと読んだ時、日本企業にはアジャイルを導入する余地がほとんどないのではないかと感じた。というのも、以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で使用したマトリクス図に従えば、日本企業は「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoCの場合)・事業(BtoBの場合)に与えるリスクが大きい」という<象限②>に強いからである。この象限では品質上の欠陥は絶対に許されない。自動車業界では、最終組立メーカーが系列の部品メーカーに「不良ゼロ」を要求するぐらいである。この象限では、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、別の言い方をすれば、顧客に対して不良を含むかもしれない試作品を提供しながら開発を進めることは不可能に近い。

 欧米、特にアメリカでアジャイルが実践されているのは、アメリカ企業が前述のマトリクス図のうち、「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoCの場合)・事業(BtoBの場合)に与えるリスクが小さい」という<象限③>に強いからである。特に、アメリカ企業はWebサービスやソフトウェアに強い。これらの製品・サービスでは、多少のバグがあっても顧客に許される。むしろ、バグの発見によって製品・サービスがどんどんグレードアップしていくのを顧客が歓迎しているくらいだ。こういう領域であれば、企業はアジャイル開発で素早くベータ版を市場に投入し、顧客からのフィードバックを得ながら品質を上げていくことが有効であろう。

 今月号では、オランダの金融機関であるINGがアジャイル経営を行っていることが紹介されている(ドミニク・バートン、デニス・ケアリー、ラム・チャラン「フィンテック時代のING全社改革 世界的金融グループはアジャイル手法で組織を変えた」)。INGでは、従来型の組織の大半が「トライブ(部族)」、「スクワッド(分隊)」、「チャプター(支部)」と呼ばれるアジャイル組織に変更された。まず、住宅ローンや証券、プライベートバンキングなど個別の事業領域に対応して、13のトライブが設けられた。各トライブの最大人数は150人である。各トライブにはトライブ・リーダーがいて、トライブ内に9人以下のメンバーからなるスクワッドを作る。スクワッドは自己管理型のチームであり、新製品・サービスの提供やメンテナンスなど具体的な顧客ニーズに応える。

 スクワッドはマーケティングの専門家、製品の専門家、データアナリスト、IT技術者など、部署横断的に多様な人材で構成され、メンバーのうち1人が「製品責任者」に指名される。チャプターは、多くのスクワッドに分散する同一分野(例えば、データアナリティクスやシステム開発工程など)の人材をまとめる役割を果たす。ここまで読んで、これは製品別/顧客別事業部制組織と何が違うのだろうかと私は疑問に感じた。トライブを事業部、スクワッドを製品別/顧客別のチーム、チャプターをスタッフ部門と読み替えれば、従来の組織論で説明することができてしまう。一般的な金融機関は前述のマトリクス図で言うと<象限②>に該当するのだが、やはりアジャイルは<象限②>と相性が悪いのではないかと思った。

 ただ、これで話が終わってしまっては何の面白みもない。確かに、不良を含むかもしれないベータ版を提供し、顧客と擦り合わせながら製品・サービスの品質を上げていくというアジャイルは日本企業には不向きかもしれない。しかし、アジャイルの別の側面、すなわち、PDCAサイクルを細かく回すことで不良を出さないようにするという点は取り入れることができると思う。

 ウォーターフォールモデルでは、最後の統合テストを行うまでバグが解らず、バグが見つかった時には大幅な手戻りが発生するという問題があった。製造業でも、ラインで製品が完成してから品質保証部門(品証)が検査を行うため、やはり不良が見つかった場合には大幅な手戻りが生じるか、不良品を破棄しなければならないという問題を抱えていた。近年、日本の製造業の品質神話が崩れつつある。昔は、品証が問題を発見すると、「こんなもの出荷できるか!」と最後の番人役を務めていたのだが、次第にそういう人はいなくなり、同時にラインでは非正規社員が増えたことで、総合的な現場力が劣化したことが原因のようである。よって、現場でPDCAサイクルを細かく回し、不良を発見するタイミングを増やすことが重要である。不良の発見は、製造工程の初期段階であればあるほどよいと、インテルのアンドリュー・グローブは述べている。

インテル経営の秘密―世界最強企業を創ったマネジメント哲学インテル経営の秘密―世界最強企業を創ったマネジメント哲学
アンドリュー・S. グローヴ Andrew S. Grove

早川書房 1996-04

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 まず、何を作るか計画を立てる。そして、少し作ってみる。その後、第三者にチェックしてもらい、問題があればそれを改善する。目的物そのものが変われば、計画の段階から見直す。これを細かく繰り返すのがアジャイルである。このプロセスは何かに似ていると思わないだろうか?そう、日本企業に特有の「稟議」プロセスである。

 稟議では、利害関係者に根回しをして、ある人からフィードバックをもらっては企画書を修正し、その後別の人からまたフィードバックをもらってはさらに企画書を修正する。途中で、「こんな企画ではダメだ」と言われたら、企画を練り直す。そして再び、利害関係者の意見をうかがう。こうして、様々な立場の人たちの多角的な意見を反映させて企画を作り上げていく。利害関係者が集まる意思決定会議では、ほとんど異論が出ずに企画が承認される。表面的に見れば、まさにアジャイルである。しかし、稟議の問題は、アジャイルという言葉とは裏腹に、時間がかかりすぎることである。これは、稟議が非公式、偶発的、暗黙知的に行われるためである。だから、アジャイルを実践するには、細かいPDCAサイクルを公式化しなければならない。

 そのために人事部がなすべきことは、以下の5つである。

 ①製造現場の業務プロセスの設計を支援する。
 日本では、業務を遂行する現場が強く、業務プロセスにヒト・モノ・カネ・情報といった経営資源を投入する人事部、購買部、経理部、情報システム部は現場に従うという主従関係が成立しているように思える。例えば、人事部は製造現場から言われるがままに人材を採用し、ラインに配属する、という関係である。だが、私はこうしたスタッフ部門はもっと現場に介入して、現場の業務プロセス構築を支援するべきだと考えている。

 製造現場はスループットを最大化するという目的のために製造工程を設計するが、人事部はヒト、購買部はモノ、経理部はカネ、情報システム部は情報の視点から製造工程を最適化する。4部門が連携して、最適化の精度を上げることも重要である。さらに、製造工程は高度に技術的なプロセスでもあるから、設計部や製造工程部との連携も欠かせない。ここでのポイントは、先ほど述べたように、製造工程の早い段階でチェックのプロセスをできるだけ多く設定することである。上司から部下へのフィードバックの機会をあらかじめ業務プロセスに埋め込んでおく。こうしたフィードバックは、運用段階になるとややもすればおろそかにされがちであるから、きちんと文書化しておくことが欠かせない。アジャイル開発では文書が不要と言われることもあるが、基本指針を関係者間で共有するための文書は必須である。

 ②経営戦略、経営目標が変更になったら、素早く現場にブレイクダウンする。
 アジャイルでは、事業環境の急激な変化に伴って経営戦略や目標が頻繁に変わることを想定している。多くの企業では目標管理制度が導入されているが、年に1回の目標設定では環境変化に適応できない恐れがある。人事部は経営陣と緊密に連携し、戦略が変更されたら新しい経営目標を各部門や各社員の目標に落とし込むことができるようにしなければならない。もちろん、単に人事部が上から目標を押しつけるのではなく、人事部が提示した目標が腹落ちするように、上司と部下の間で対話を行うことが重要である。そして、現場の目標が変われば業務プロセスも変更になるから、①で述べたように人事部は現場の業務プロセス再構築をサポートする。

 ここで問題になるのが報酬である。近年は成果主義が浸透し、給与全体に占める業績給の割合が上昇する傾向にある。今月号の論文「採用、評価から育成まで アジャイル化する人事」(ピーター・カッペリ、アナ・テイビス)では、個人の貢献に応じて報酬を細かく調整するべきだと述べられている。だが、この点に関して、私は異なる考え方を持っている。それは、個人の業績、部門や会社全体への貢献度を厳密に測定して金額に変換することは不可能だということである。経営戦略の変更に伴って頻繁に個人目標が変わるならばなおさらである。だから私は、報酬に関しては以前の記事「比較的シンプルな人事制度(年功制賃金制度)を考えてみた」で述べたような簡素な制度を保持するべきだと考える。そうすれば、個人の貢献度合いをめぐって、社員と人事部との間で不毛な議論を呼び、そのために業務が停滞することもないだろう。

 ③上司から部下へのフィードバック情報を蓄積する。
 アジャイルでは、①で設計された業務プロセスに従って、上司から部下に対して頻繁にフィードバックがなされる。人事部は、そのフィードバック情報を蓄積する仕組みを情報システム部門と一緒になって構築するとよい。大がかりなシステムは不要である。チャット機能と、上司のフィードバックコメントから部下の強み・弱みを抽出できるテキスト分析機能がついていればよい。このシステムを使うことで、定期的な人事考課のために上司が部下の仕事ぶりに関する過去の記憶を遡って、人事考課シートに評価コメントを記入するという面倒な作業から解放される。

 上司から部下に対してフィードバックを行う際には注意点がある。それは、何か問題が生じた時に、すぐさま、対面でフィードバックをするということである。問題発生から時間が経てば経つほど、フィードバックの効果は薄れていく。また、メールやチャットのみでフィードバックをするのも望ましくない。川島隆太『スマホが学力を破壊する』(集英社、2018年)によると、対面で会話をした場合には、思考や創造性を担う脳の最高中枢である前頭前野が活性化するのに対し、PCで文章を書いた場合には前頭前野が活性化しないそうだ。だから、アジャイルが目指す効率化に反するように思えても、上司から部下へのフィードバックに関しては対面で行うべきである。その上で、そのフィードバック内容を先ほどのシステムに入力する。

スマホが学力を破壊する (集英社新書)スマホが学力を破壊する (集英社新書)
川島 隆太

集英社 2018-03-16

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 ④人材の柔軟な配置を実現する。
 業務プロセスが頻繁に変更になれば、人材の入れ替えも頻繁になる。人事部は、③のシステムを活用して、それぞれの社員の能力、技術、強みをデータベース化する。そして、現場と緊密に連携して、どのラインで人材が不足しているのか、逆にどのラインで人材が余剰になっているのかをリアルタイムで把握しておく。人材が不足しているラインには、ラインが要求する人材要件にフィットする社員をデータベースの中から検索する。逆に、余剰人材に関しては、その人の能力などが活かせる現場がないかを探す。人事異動は製造部門内だけで完結する場合もあれば、製造部門以外の部署が関係してくる場合もある。現在はこうしたデータベースが充実していないため、欠員が出るとその場しのぎで非正社員を採用しているケースが多いように感じる。

 ここでのポイントは、1年ないしは半期に1回の異動にとらわれてはいけないということである。期中で戦略も目標も業務プロセスも変化するのだから、それに合わせて人材も変化させなければならない。日本企業の場合はゼネラリストを育成するという方針が強いため、職種や部門の転換を伴う異動は比較的受け入れられやすい。一方、欧米の場合、社員はスペシャリスト志向が強く、職種や部門の転換には反発する傾向があるそうだ。また、部下の職種や部門が変わることを快く思わない上司も多いらしい。上司にとって部下は業績を上げるための手段であり、それを取り上げられると自分の業績に響くからだという。この点、日本企業は柔軟な人材配置が実現しやすいと言えるだろう。この利点を活かさない理由はない。

 ⑤必要な技術・能力を素早く習得できる学習環境を整える。
 環境が変化し、戦略が変化し、業務プロセスが変化すれば、必要となる技術や能力も変化する。その技術・能力を社員に習得してもらうために、人事部が伝統的な集合研修に頼っているようでは遅きに失する。かといって、現場のOJTに任せると社員の能力レベルに差が生じる可能性がある。ここで、昔の私ならば、社員が自ら最新の技術・能力に関する動画を撮影して、社内のイントラネットに自由にアップできる環境を構築したらどうかと提案していただろう。だが、最近はどうもこうしたe-Learningの効果に懐疑的であるし、③で紹介した『スマホが学力を破壊する』の論理を拡張すれば、オンライン講座を見ても前頭前野が活性化しない恐れがある。

 最も効果的なのは、社員同士の勉強会であろう。①とも関連するが、定期的な勉強会を業務プロセスの中に強制的に組み込んでおくのも1つの手である。人事部は、最新の技術・能力を持つ社員の暗黙知を引き出し、それを形式知化する支援を行う。また、その形式知がどうすれば他の社員にも伝わりやすくなるか、学習コンテンツ制作のアドバイスをする。さらに、ワークショップを交える場合には、参加者同士の間で新たな学習が生まれるようなファシリテーションの方法についてもサポートする。勉強会も、アジャイルの目指す効率化を短期的には犠牲にするものの、中長期的に見れば職場の活性化につながり、それが生産性向上をもたらすと考える。


2018年06月13日

『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない


致知2018年7月号人間の花 致知2018年7月号

致知出版社 2018-06


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 (※)今回の記事には若干刺激が強い内容が含まれています。私の双極性障害の影響だと思ってご容赦くださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。

 欧米企業は高い業績を上げるために、いわゆるAクラス人材やハイパフォーマーを採用しようと躍起になっている。ゴールドマン・サックス、Microsoft、Google、Apple、Facebookなどは、面接を何度も何度もしつこいぐらいに繰り返すことで、応募者が本当に優秀な人材かどうかを見極めようとする。欧米企業の「Aクラス人材信奉」は、マイケル・マンキンス、エリック・ガートン『TIME TALENT ENERGY―組織の生産性を最大化するマネジメント』(プレジデント社、2017年)からも読み取ることができる。カーレースのピットでタイヤ交換などを手がけるクルーを思い浮かべていただきたい。人気レーサー、カイル・ブッシュマンを支える6人のピットクルー(給油担当、タイヤ交換担当など)は最高峰と評価されている。標準的なピット作業は給油、タイヤ交換など73種類あるが、彼らは全ての作業を12.12秒でやってのける。

 ところが、メンバーの1人を平均的なレベルのメンバーに代えるだけで、タイムは2倍近い23.09秒に跳ね上がる。メンバ2人を平均的なレベルのメンバーにすると、30秒を大きく上回ってしまう。チームに凡人を入れれば入れるほど、チームのパフォーマンスは下がる。逆に、チーム内のAクラス人材が占める割合が大きくなれば、チームの成果は幾何級数的に増加する。これが彼らの考え方である。だから、「ウォー・フォー・タレント」などという言葉が生まれる。

TIME TALENT ENERGY ―組織の生産性を最大化するマネジメントTIME TALENT ENERGY ―組織の生産性を最大化するマネジメント
マイケル・マンキンス エリック・ガートン 石川順也

プレジデント社 2017-10-17

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 しかしながら、この「Aクラス人材信奉」には大きな問題もある。組織には「2:6:2の法則」というものがある。平たく言えば、組織の構成員は優秀な人2割、普通の人6割、パッとしない人2割に分かれるというものである。「2:6:2の法則」は「働きアリの法則」とも呼ばれる。というのも、働きアリの集団のうち、よく働く2割のアリを取り出して新しい集団を作ると、その集団もまた「2:6:2の法則」に従うことが解っているからだ。鶏を使った別の実験でも興味深い結果が出ている。動物の究極的な目的は種を残すことである。種を残すためには、オスは強い方が有利である。ここで、鶏の集団の中から闘争心の強いオスだけを取り出してメスの集団に入れると何が起こるだろうか?実は、闘争心の強いオスしかいない集団は、通常の集団よりも繁殖力が下がる。

 この世には様々なレベルの能力を持った人がいる。仮に、世界中の全企業がAクラス人材を追い求めたら、Aクラス人材が集中する一部の企業は高業績を上げるかもしれないが、社会全体としての失業率はひどい数字になるだろう。経済を安定させるためには、大多数の企業は普通の人もパッとしない人も採用しなければならない。世の中は実によくできているものだ。

 本号では、作家の五木寛之氏が、日本人として初めてグラミー賞を受賞した世界的なデザイナーである石岡瑛子氏の言葉が紹介されている。
 「優秀な人ばかりで作り上げた仕事は100点はとれても120点はとれない。均質な才能を組み合わせて創りだす仕事には限界があるような気がする。ちょっと異質なものが混ざっていたほうが、思いがけない飛躍があるんじゃないのかな。だからわたしは、大きなプロジェクトのスタッフには、何人かちょっと変わった人を加えることにしているんだ」
(五木寛之「忘れえぬ人 忘れえぬ言葉(第7回) 優秀な人ばかりでは本当に良い仕事はできない」)
 ただ、「優秀な人材ばかり集めずに、普通の人やパッとしない人も入れるべきだ」と主張する時には、一種の危険が伴う。私のように人間としての器ができていない者がこのようなことを言うと、知らず知らずのうちに自分自身を優秀だと思い込み、周囲の人間を見下すことになりかねない。本ブログをずっとお読みの方はご存知のように、私は双極性障害という精神疾患を患っている。発症したのは前職のベンチャー企業に在籍していた頃だが、その時は周りの社員が自分の期待通りの仕事をしてくれないことにイライラしていた。退職して独立した後も、他人のちょっとしたミスや無作法にイライラすることが多く、相当悩まされた。

 そこで私は、「相手に対する期待値を下げれば、イライラすることがなくなるはずだ」、「相手は仕事ができなくて当然なのだ」と考えるようになった。今だから正直に告白するが、「世の中の9割は自分よりも劣っている」と真面目に思い込んでいたくらいである。しかも、相手が年下であろうと年上であろうと関係なくである。むしろ、年上であればあるほど、そのように決め込んでいたように思う。確かに、そのように信じることで、昔に比べればイライラをコントロールすることができるようになった。だが、今度は別の問題が生じた。気づいたら、私には仕事や人生において尊敬できる人がいなかった、ということである(この点については、以前の記事「【城北支部会員部】死の体験旅行ワークショップ(イベント報告)」でも少し書いた)。今まで仕事などで私と関わりを持った方々には、この場を借りて深くお詫びしたいと思う。

 『致知』に登場する一流の人は師匠を持ち、お世話になった人たちを大切にする方が多い。今月号でも、世界一の名門「ホテル・リッツ・パリ」に日本人の料理人として初めて採用され、帰国後大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル大阪)、神戸ポートピアホテル、ホテルオークラ神戸などを経て、現在は関西シェフ同友会会長を務めると同時にホザナ幼稚園の経営にも携わっている小西忠禮氏が、次のようにお世話になった人を挙げている。
 村上さん(※帝国ホテルの村上信夫シェフ。小西氏がリッツのオーナーと会うきっかけを作ってくれた)ばかりではありません。ヨーロッパに渡ったばかりの私を雇ってくれたレストランのオーナー夫人で、私にとってはフランスの母でもあるマダム・イヴェット、日本にフランス料理を伝えたサリー・ワイルさん、ホテルオークラ東京で初代総料理長を務められた小野正吉さん、20世紀最大の料理人といわれ、神戸ポートピアホテルが開業した時に一緒に仕事をしたアラン・シャペルさん。挙げれば切りがありませんが、たくさんの奇跡的な出会いに恵まれたおかげで今日の私があるんです。
(小西忠禮、木村秋則「道なき所に道をつくる」)
 ここまでの境地に至るには、私は相当のマインドチェンジをしなければならない。まず、「相手は仕事ができなくて当然だ」と見下すのではなく、その人の強みに注目するようにする。私はフリーランスであり会社員ではないのだが、「仮に今日からこの人と長期間一緒に働かくことになったら、その人から何を学ばなければならないか?」と強制発想する。ドラッカーは口癖のように、「マネジメントにおいては相手の強みを活かすことが重要だ」と述べていたが、その意味がやっと解った気がする。強みを活かすのは、単に企業や組織が高い業績を上げるためだけではない。本人が周囲の人と良好な関係を築き成長するため、人生を充実させるためなのである。

 私にはもう1つ悩みがある。それは、「仕事をしても他者から感謝されない」と感じていることである。コンサルティングの仕事では、恥ずかしながら独立してもうすぐ7年になるというのに、未だに下請の仕事が多いこともあって、元請企業ではなく、元請企業の顧客企業に本当に喜んでもらえたのかがよく解らない。また、資格試験のオンライン講座を提供する企業で講師を務めたこともあったが、講義を収録するその企業からのフィードバックはあっても、私の講座を実際に受講した人の声を聴く機会がなかった。さらに、ブログも一生懸命更新しているのに、問い合わせはおろか、コメントもないことに失望している。最近で言えば、今年の正月にアップした「ものづくり補助金(平成29年度補正予算)申請書の書き方(1)(2)」は4か月で3,000PVぐらいあったのに、「申請書を書くのに役立ちました」などのコメントが1つもなくてがっかりしている。

 しかし、よく考えればこれも私のマインドセットに問題がある。つまり、私の中の利己心が問題なのである。コンサルティングの仕事もオンライン講座の講師も、自分にとって勉強になるからという理由で引き受けていた。ブログも、元々の目的は、口下手の私が話の引き出しを増やすことにあった。つまり、どれをとっても相手のことを思っていない。それが相手にも伝わるから、相手も私を利己的に利用しようとする。本号で道場六三郎氏が「環境は心の鏡」(道場六三郎、松岡修造「人間の花を咲かせる生き方」)とおっしゃっていたが、まさにその通りである。

 私は、もういい年齢なのだから(今年で37歳)、自分のために仕事をする段階はいい加減卒業して、もっと「他人のために」という気持ちを強く持つ必要がある。無農薬、無肥料の「奇跡のリンゴ」を栽培している木村秋則氏は次のように述べている。
 私が無農薬、無肥料のりんご栽培を諦めずに続けてこられたのは、世間のお役に立つ仕事をしていれば、必ず道は開けるという思いがあったからだと思います。(中略)家族には散々な思いをさせてしまったけれども、世間のお役に立つ仕事をしようという思いがあったから、最後までやり抜くことができたんだと思います。
(小西忠禮、木村秋則「道なき所に道をつくる」)
 ただし、「他人のため」とは言っても、「滅私」とは違うと私は考える。この点は以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」でも書いた。また、アメリカの2年目教員400人超(担当は未入園児から高校生まで)を対象とした興味深い研究がある。教師には幾何学の先生になったつもりという前提で、次の質問に回答してもらった。「ある日あなたは、放課後の時間を使って、アレックスという生徒の習熟度向上を助けることにした。アレックスからは、『友達のジュアンも指導してもらえませんか』と頼まれたが、ジュアンはあなたの担当する生徒ではない。さて、どうするか?

 ①ジュアンが何に困っているかをよりよく把握するために、放課後に個別の補修を行う。
 ②アレックスの補習にジュアンを招く。
 ③『ジュアンの力になろうとするのはよい心がけだが、まずは自分が授業についていけるよう、勉強に専念しなさい』とアレックスを諭す。
 ④アレックスに、ジュアンは担任に助けを求めるべきだと伝える。」

 教師は生徒の力になるのが仕事であるため、「役に立とう」という意識の強い人が多いことは容易に推測される。ところが、教員が①のような選択をすると、生徒の成績は悪化することが判明した。①は、生徒に際限なく手を差し伸べる「滅私」である。このような対応をする教員の場合、自分をいたわる教員と比べ、担当生徒の学年末標準テストの成績が著しく悪かった。一方、②を選択した教員は、滅私タイプの教員とは異なり、成績を悪化させずに済んだ。「滅私」と「寛容」の混同はよくある過ちである。寛容の精神を上手く発揮する人は、誰にでもむやみに尽くしたりはしない。他者を助けるための犠牲が過大にならないよう、注意を払っている(アダム・グラント、レブ・リベル「いつ、誰を、どのように支援するかを工夫する 『いい人』の心を消耗させない方法」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年9月号〕より)。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)

ダイヤモンド社 2017-08-10

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 議論がぐるぐると回っているが、完全に利他的になるのはかえって有害である。多少の利己心はあってもよいのではないかと思う。問題はその利己心の中身である。本号には日産自動車のV字回復を経験し、現在は「SHIEN(支援)学」の普及に努めている静岡大学大学院教授・舘岡康雄氏の「会社に花を咲かせるSHIEN学という科学のすすめ」という記事があった。
 これからの時代は様々な局面で助け合う(利他性)価値観がとても大事になってきます。受け身ではなく、対等に助け合うことで、相手の力を引き出し合うのです。SHIENという言葉に込めたのは、そのような思いです。利他性も自分を犠牲にするような20世紀までの利他性ではなく、相手がこちらに利他性を発揮してもよいと思うようになる、こちら側が発揮する利他性であるとSHIEN学は主張しているのです。
 ただ、個人的には、この利他性は、相手も利他性を発揮して自分に利益をもたらしてくれることを期待している、つまり相手に見返りを求めている利己心であるという点でやや問題があると感じる。先ほど書いた私の利己心もこれに該当する。本当の利己心とは、中国春秋時代の斉の名宰相・晏子の言う「益はなくとも意味はある」という言葉に従うものだと思う。利他心に見合う利益を得ようとする利己心は捨てる。極言すれば、「感謝されたい」という欲も捨てる。そうではなく、「意味」を追求する。ここで言う「意味」とは、「自分の能力が世の中で用いられているという充足感」、「この社会の中に自分の居場所があるという安心感」のことではないかと考える。

 「他人のために仕事をすることで、私は社会に生かされている」と心地よく思う―この境地こそが、利他心と利己心がほどよく共存している状態であろう。



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