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【激怒】岐阜市の自立支援医療の手続きがあまりにお粗末だったので晒しておく
【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】
【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(1/2)【写真大量】

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年10月08日

【激怒】岐阜市の自立支援医療の手続きがあまりにお粗末だったので晒しておく


役所の手続き

 本ブログでも告白しているように、私は双極性障害Ⅱ型という精神疾患を10年患っている。双極性障害に限らず、一般に精神疾患は完治(または寛解)するまでに通常の疾病よりも長い時間がかかる。また、精神疾患の治療に用いられる薬の薬価は、一般の薬よりも高いことが多い。精神疾患は他の疾病に比べると原因がはっきりしておらず、製薬会社が「これが原因だろう」、「あれが原因だろう」とあれこれ仮説を立てて次々に新薬を開発・販売するためである。

 精神疾患の患者は、だいたい月1回のペースでかかりつけ医に行き、薬局で1か月分の薬を処方してもらうのだが、薬の種類・数によっては1か月分で3万円ほどになることも珍しくない。通常の医療保険に従って3割負担になるとしても9,000円である。これが毎月、毎年続くとなると、患者の負担は相当重くなる。そこで、患者の負担を軽減するために導入されているのが「自立支援医療(精神通院)」である。自立支援医療の適用を受ければ、患者の負担は原則として3割から1割になる。9,000円の自己負担は3,000円になる。これは患者にとって非常にありがたい。私もこの制度のおかげで随分助かっており、感謝している。

 《自立支援医療(精神通院)について詳しく知りたい方はこちらを参照》
 自立支援医療 |厚生労働省
 自立支援医療(精神通院医療)|Wikipedia
 自立支援医療って何?

 ただ、厄介なのは、厚生労働省のHPにも書かれているように、実施主体が「都道府県・指定都市」となっていることである。そのため、自治体によって申請プロセスや制度運用の方法が微妙に異なることがある。私は最初、神奈川県川崎市高津区で自立支援医療の適用を受けた。自立支援医療の適用を受けようとする人は、通院する医療機関、薬を処方してもらう薬局をあらかじめ自治体に登録しておく必要がある。その後、その医療機関・薬局を何らかの事情で変更したい場合には、自治体に対して変更申請を提出しなければならない。

 高津区はこの変更申請の処理が早く、即日で新しい受給者証を発行してくれた。ところが、その後東京都豊島区に引っ越して同じように変更申請を行ったところ、新しい受給者証ができるまで3か月かかると言われた。同じ事務処理なのに、川崎市は即日、豊島区は3か月というのは不思議な話である。システム上で医療機関・薬局名を書き換えて、新しい受給者証を印刷すれば済む話なのではないかと思ってしまう。ちなみに、高津区の人口は約20万人、豊島区の人口は約30万人であるから、事務処理のスピードの差を人口の差に求めることはできない。変更申請の処理プロセスが高津区と豊島区で大きく異なっているとしか考えられない。

 私は、諸事情があって、9月最後の週末に実家のある岐阜県岐阜市にUターンしてきた。当然、自立支援医療の受給者証の変更申請をしなければならない。ただ、その時の岐阜市側(中市民健康センター)の応対があまりにもお粗末だったので、関係者に猛省を促すために敢えて本記事を書いておきたいと思う。岐阜市に戻ってきて最初の記事がこんな内容になってしまったのは、私としても悲しいことだ。以前の記事「加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)」でも書いたが、双極性障害の症状の1つとして、私は日頃からイライラしやすい傾向にある。だが、本当にブチ切れるのは数年に1回であり、むしろ病気になってからの方が頻度は少ない。その数年に1度のケースとは、「相手が頭を使わずに惰性で仕事をして、こちらに多大な迷惑をかける」場合である。

 私は10月1日に手続きをするにあたって、岐阜市のHPで必要な書類を確認しようとした。だが、自立支援医療の「申請」に関するページはあっても、「他都道府県からの転入」に関するページがない。そこで私は、岐阜市役所の地域保健課に電話してみた。すると、①東京都の自立支援医療の受給者証、②国民健康保険証または健康保険証、③マイナンバーカードまたはマイナンバー通知カードがあればよいとの回答であった。しかし、実際に岐阜市役所近くの中市民健康センターに行ったところ、これでは書類が足りないと言われた。振り返ってみると、地域保健課で電話に出た担当者は、私が単身で岐阜市に転入するものだと思い込んでいたのだろう。単身者であれば、この3点があれば確かに手続きができるからだ。しかし、実際には、私は豊島区の国民健康保険を抜けて、父親と同じ岐阜市の国民健康保険に再加入することになっていた。こういう状況を確認せずに、不十分な回答をした地域保健課にまずは猛省を促したい。

 中市民健康センターに行ったら、対応したのがAという職員であった。Aからはまず、「申請者(私)と同じ保険に加入している者全員分の保険証が必要だ」と言われた。私の家族は4人暮らしで、皆岐阜市の国民健康保険に加入しているから、4人全員分の保険証の原本を持ってこいというわけである。私は、「電話で確認した時にはそんなことは一言も言われなかった」と反論したが、Aは「手続き上必要なので持ってきてほしい」の一点張りであった。さらに言うと、私は翌2日の10時30分から、既にある病院の精神科の診察予約を入れていた。7月にお世話になったその病院の医師が、私の病状が重いことに配慮して、担当の曜日外であるにもかかわらず、早めに診察するとおっしゃってくれたからだ。だから、どうしても1日の間に手続きを完了させる必要があった。そのことをAに伝えると、「こちらは8時45分から開いているので、病院に行く前に手続きに来たらどうですか」と、私の神経を逆なでしてきた。

 それから、Aからは「同意書」もないと指摘された。自立支援医療では、支給認定世帯(同じ医療保険に入っている者から構成される世帯であって、住民票上の世帯とは異なる)が前年度に支払った所得税総額に応じて、自己負担額の毎月の上限額が決まる仕組みになっている。支給認定世帯の各構成員の所得税額を自治体側で調査することに同意する旨のサインを全員からもらってほしいというわけだ。これについても私は「電話では聞いてない」と言ったものの、Aは「手続き上必要なので」と繰り返すばかりであった。

 最悪だったのは、私が書類を記入している時、マイナンバーを記入する段階になって、Aは周囲に一般人がいるにもかかわらず、私のマイナンバーを読み上げたことである。マイナンバーとは、「税、社会保障、災害などの行政手続きにおける特定の個人を識別するための番号」であり、言うまでもなく極めて機密性の高い情報である。万が一、周りの人が私のマイナンバーをメモ書きしていたらどうするつもりだったのか?確かに、現時点では、12桁の番号のみが漏洩しても、それだけで悪用につながる確率は低い。実際には、マイナンバーカードやマイナンバー通知カードを紛失すると、それを悪用されて勝手に住民票が書き換えられるといった犯罪が起きる。しかし、法律と犯罪はいつの時代もいたちごっこである。将来的に、マイナンバーだけで不正を働くことを考える犯罪者が現れる可能性は否定できない。だから、マイナンバー法は、他人のマイナンバーを不正に取得しただけで処罰の対象になると定めているのである。

 翌日8時45分、中市民健康センターに全員分の国民健康保険証と同意書を持って再度手続きに行った。Aは9時から出勤するというので、代わりに職員BとCが対応した。ただ、このCはほとんど黙っているだけで何の役にも立たなかった。メインで応対したのはBであった。まず、「なぜ国民健康保険証の原本が必要なのか?」と改めて確認した。するとBは、「実は原本でなくても、コピーでも大丈夫である」と回答した。どうして職員によって言うことがバラバラなのか?しかも、原本とコピーでは大きな違いである。実はこの日、私の母が別の病院に行くことになっていたのだが、私が自立支援医療の手続きをするために国民健康保険証を持ってきてしまったがゆえに、母は受診日の変更を余儀なくされていた。そういう実害が発生するのである。

 私は、職員によって業務プロセスが統一されていない理由を質すため、BとCの上司を呼び出した。すると、上司Mが出てきた。岐阜市では、職員は必ずネームプレートを首から下げて職務にあたるようにルール化されていると聞いていたが、Mはネームプレートを下げていなかった。私がそのことを指摘すると、「すみません、別の部屋で別の作業をしていたもので」などと、小学生並みの言い訳をしてきた。別の部屋に行こうが、別の部屋で作業しようが、まず出勤したらネームプレートを首から下げる。これが常識である。岐阜市の服務規程の具体的な中身は知らないもののの、民間企業において就業規則の中でネームプレートの着用を義務づけているところであれば、服務規程違反で処分されるに違いない。

 ネームプレートの話が終わった後、私はMに対して業務プロセスの件を聞いた。しかし、このMという上司は「さあ」とか「うーん」などと繰り返すばかりで、まるで自分の頭で考えるという所作が見られなかった。「現場の業務プロセスがバラバラになっていたら、それを標準化するのが上司の役目ではないのか?」ときつく迫っても、暖簾に腕押し状態である。

 そうこうしているうちに、Aが出社する予定の9時をとっくにすぎてしまった。しかし、Aは出社しない。私はMに対して「Aはどうしたのか?今どこにいるのか?」と聞くものの、Mは相変わらず「さあ」ととぼけるばかりである。部下の出勤状況を把握していない上司などあり得るだろうか?私が、「Aの携帯電話は知っているでしょう?携帯に電話してくださいよ」と言っても、Mは右往左往するだけで電話しない。「Aの電話番号を知らないのか?この組織の緊急連絡網はどうなっているのか?有事が発生した場合、この組織ではどうやって連絡を取り合っているのか?」と散々詰め寄ったにもかかわらず、Mはだんまりを決め込んでいる。こんな人間は上司失格である。また、Aは無断で遅刻したのだから、岐阜市の規定に従って処罰を受けるべきである。

 私は、そもそもなぜ国民健康保険証のコピーが必要なのかをBに尋ねた。すると、「支給認定世帯の構成員を確認するため」という回答であった。百歩譲って、支給認定世帯の構成員が健康保険に加入しているならば、自治体が情報を持っていない可能性もあるから、保険証のコピーの提出を求めることもあるだろう。しかし、私が加入しているのは岐阜市が保険者となっている国民健康保険である。つまり、市は必ず、加入者情報をシステムで保管している。そのシステムで情報を確認すればよいのではないかと尋ねると、Bは、「現場の担当者レベルではシステムの情報を見ることができないので、保険証のコピーを提出してもらっている」と答えた。システムはあるのに肝心の担当者はアクセスできないなどというのは愚の骨頂である。業務プロセスの設計担当者とシステムの調達担当者を呼びつけてやろうかと思ったぐらいだ。

 もし、現場の担当者がシステムで情報を確認できないならば、次のようなことができてしまう。父・母・姉・妹からなる4人家族がいて、全員が国民健康保険に加入しており、妹が自立支援医療の申請をするとしよう。姉は自営業で大成功しており、課税対象所得が1,000万円以上ある。ここで妹は、姉を構成員に入れると支給認定世帯の所得税額が増え、自己負担の上限額が上がってしまうと考え、姉の存在を隠して、父・母・妹の3人が支給認定世帯の構成員であると言って申請する。ところが、現場の担当者レベルではこのウソを見破れないことになる。

 だが、実際には、このウソは通用しないと思われる。自立支援医療の申請を提出してから受給者証が届くまでには、大体どの自治体でも3か月かかる。その間に、現場から上げられた申請書を自治体の上層部が細かくチェックしているはずだ(もししていなかったら、3か月間一体何をしていたのかという話になる)。上層部では、申請書の内容に誤りがないかどうか、1つ1つの項目について入念に確認する。その段階で、システムにアクセスする権限を有する者が、保険証のコピーもチェックしているのは間違いない。だとすると、結局、業務プロセスのどこかの段階で誰かがシステム上の情報を確認するのだから、申請者に保険証のコピーを提出させるのは無駄である。これは岐阜市だけの問題ではなく、各自治体で検討してもらいたい問題である。

 「同意書」についても、その必要性をBに質問してみた。そもそも、自立支援医療では、所得税額に応じて申請者のランクが決まり、ランクに応じて自己負担の上限額が決まることになっている。ということは、申請者は申請する段階で、自分が属する支給認定世帯の所得税を自治体に調査されることは織り込み済みであり、今さら調査に同意するか否かは問題にならないはずである。Bは、「この同意書がないと我々は国税庁に対して税額の照会ができない」と言っていたが、それは行政内部の事情にすぎないのであって、申請者には関係のないことである。

 それでも同意書は必要なのかと尋ねたところ、M、B、Cは誰も回答できなかった。職員の誰もその必要性を理解していない書類を住民に作成させるのは、行政サービスとしていかがなものかと思う。この点も、岐阜市に限らず、また自立支援医療に限らず、あらゆる自治体で、あらゆる行政サービスに関して点検してもらいたいところである。保険証のコピーは、仮に家族が遠方にいても写メで何とか送ってもらうことができる。しかし、同意書に関してはそれができない。もしも、私の弟がこの時1週間どこかに出張に行っていたら、2日の受診には間に合わなかった。こういうことがあるから、住民に余計な書類は作らせないでほしいのである。

 もし、同意書を作成しなければならない理由があるとしたら、支給認定世帯の構成員の中で、勝手に自分の所得税を調査されることを嫌がる人がいるかもしれない、ということだろう。だが、所得税の調査の結果、申請者に通知されるのは所得税額に応じたランクであり、所得税額ではない。まして、各構成員の所得税が他の構成員に伝わることもない。よって、所得税から所得を推定されることもあり得ない。他の構成員に対して所得が明らかになってしまうという点では、国民健康保険の保険料決定通知書や、住民税決定通知書の方がよっぽど危ない。これらの書類には、個人の所得が包み隠さず記載されている。子どもが故意または過失によってこれらの書類を開けてしまったら、両親の所得はバレバレである。

 同意書について説明を求めていたところ、Bが「実は、支給認定世帯の構成員全員の保険証のコピーがあれば同意書は必要ではない」と言い出した。私は意味が解らずさらに説明を求めると、Bは、「保険証のコピーがあればマイナンバーを特定できるので、そのマイナンバーを基に所得税額を調査することができる」と述べた。この話が本当であれば、なおさら同意書の存在理由が解らなくなる。自治体は、マイナンバーさえあれば、結局は支給認定世帯の構成員の同意があろうとなかろうと、勝手に所得税額を調べていると言っているに等しいからだ。

 1時間ほど、説明を求めれば求めるほどボロが出てくるので、私は一番上の責任者を出せと言った。すると、Mが事情を説明して局長Kを連れてきた。しかし、ここまで読んでお解りのように、Mは何にも考えていない上司なので、私が何に怒っていて、何を改善してほしいと要望しているのか全く伝わっていない様子であった。だから、Kは「このたびは当方の不手際で申し訳ありません。二度とこのようなことがないように注意します」という薄っぺらな定型文を繰り返すだけであった。ちなみに、Kもネームプレートをつけていなかった。私がそれを指摘しすると、「すみません、バタバタしていたもので」などとみっともない言い訳をしていた。組織のトップがこんな感じだから、組織全体が腐るのだろう。私も経営コンサルタントとして曲がりなりにも300社ぐらいの企業・組織を見てきたが、ここまで腐敗した組織は初めてであった。

 10時30分の診察が近づいてきたので、私が手続きを終わらせて中市民健康センターを後にしようとしたところ、ようやくAがやってきた。1時間以上の遅刻である。Aは自分のせいで大変なことになっていることが理解できていないようであった。なぜこんなに遅れたのか、どこへ行っていったのかについての説明もなかったし、昨日の不手際についての謝罪もなかった。マイナンバーに関しては、野田聖子総務相が岐阜市出身であるため、彼女の事務所に連絡を入れておくと告げておいた(ただ、ちょうど2日午後に内閣改造があって、石田真敏氏が新しい総務相になったため、野田聖子事務所への連絡は見送ることとした)。


2016年06月30日

【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】





DSC_0073 2日目は最初に「大宮子易両神社」に参詣。羽前・羽後地方の鎮護と人々の生命の守護神として712年に創建された古社。 安産、子育ての神として有名だそうだ。

DSC_0074 祀られているのはサルタヒコという神。サルタヒコは、天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神である。

DSC_0075 内部には祭りの様子を描いた絵画が何枚も保存されていた。

DSC_0076 大宮子易両神社とは全く無関係に、同じ境内の中に「和合宮(わごうのみや)」というものが設置されている。男性と女性の性器に似た石を祀っている。「金丸太郎」は新潟県金丸村で、「種沢花子」は小国町種沢で発見された石である。

DSC_0077 金丸太郎と種沢花子の結婚式の様子。ちなみに、まだ子どもにあたる石は見つかっていない。小国町には「子持トンネル」という場所があり、その場所からいい石が採れるといいのだがと話していた。

DSC_0079 続いて、「小国グリーンエナジー合同会社」を訪問。同社は「ペレットマン(pelletman)」というブランド名で、ペレットストーブを販売している。ペレットストーブは日本ではまだそれほど馴染みがないが、ヨーロッパでは40年ほど前から家庭に普及しているという。

DSC_0081 ペレットとは、木のくずを凝縮して小さな塊にしたものである。薬のカプセルを一回り大きくしたような感じである。どんな木であってもペレットを作ることは可能だという。しかも、木を凝縮する段階で、木に含まれているリグニンという物質が染み出し、リグニンが接着剤の役割を果たすので、特別な接着剤を用いる必要もない。

DSC_0082 1日のペレット消費量は約10kg。1台のペレットストーブが一冬で消費するペレットは約1トン。同社ではペレットを10kg=約500円で販売している。よって、1台あたりの年間のペレット代は約5万円。石油ストーブの石油代も年間で約5万円/台だが、一軒家全体を温めるのに石油ストーブは複数台必要なのに対し、ペレットストーブは1台あれば家全体を温められる。

DSC_0084 ペレットストーブを1日中燃やし続けて発生する灰の量は、両手ですくえる程度と非常に少ない。また、ペレットには前述の通り石油由来の接着剤が使用されていないため、燃やしても有害物質が出ない。煙突にたまる煤も、2~3年に1回掃除すれば十分だという。エアコンはこまめに掃除しなければならないのに比べると、維持管理がはるかに楽である。

DSC_0087 小国町にはダムが3つあり、新たにもう1つ建設する予定である。今回は横川ダムを見学した。ダムと言うと、すぐに行政VS住民の対立を想像してしまうが、小国町の様子は至って平穏である。やはり、ダムが地域経済を支えているという意識が強いのだろう。ダムの資料館には、小学生が社会見学でダムを訪れた際の報告書(模造紙)が展示されていた。

DSC_0090 小国町は全国平均に比べると第2次産業に従事する人の割合が高い(全体の約4割)。これは、小国町にクアーズテックと日本重化学工業の工場があるためである。もう1つは、建設業の存在が大きい。ダムが建設されると、ダム本体もさることながら、資材を運んだり作業員が通勤したりするための道路も整備される。今回車で案内されてはっきり解ったのだが、ダムに通じる道は、中央線が引かれた幅広の1車線の道路になっているのに対し、ダムから離れた場所の道は、道幅も狭く、中央線もない。さらに、建設業の重要な収入源となっているのが、毎年の除雪作業である。小国町では冬になると2メートルほどの雪が積もり、多いところでは5メートルにも達する。小国町は除雪費として毎年10数億円の予算を計上している。

DSC_0092 話が逸れてしまったが、横川ダムを建設する際には、小国町の指定天然記念物にも指定されている飛泉寺の大イチョウを移動させる必要があった。上の写真のイチョウの右奥に、白い石の土台にさらに別の石が載っているのが見えるが、あの場所から今の場所に移動させた。移動距離はそれほどないのだが、移動にはおよそ3,000万円の費用がかかったそうだ。

DSC_0094 昼食でいただいたわらび餅。スーパーなどで売られている普通のわらび餅の原料は片栗粉であるが、本当のわらび餅は、わらびの根から採れるでんぷんを用いて作る。小国町は山だらけで、あちこちにわらびが自生している。ただし、山の所有者が決まっているので、勝手に収穫することはできない(採ると怒られる)。

DSC_0096 しかし、山の所有者は「わらび園」なるものを経営しており、一定の料金を払って許可をもらえば、わらびを収穫することができる。多い時では、1か所のわらび園に1日で700人も殺到するらしい。大半は新潟からのお客様なのだが、「実は他県のわらび業者が混じっているのではないか?」と疑っていた。そのわらびの加工工場を見学。写真は塩漬けの様子。

DSC_0099 地元の人が持ち込んだわらびを容器の中に敷き詰めて・・・、

DSC_0100 豪快に塩を振りかける。容器いっぱいにわらびを敷き詰めると1トンになる。塩漬けによって抜けた水は自動的に排出されるわけではなく、毎日手作業で水を捨てている。水が抜けると、わらびの重さは約3割減少する。この加工工場では、1kgのわらびを350円ぐらいで買い取り、塩漬けしたわらび(3割減なので約700g)を約550円で卸しているとのことだった。

DSC_0102 この加工工場では、自らわらびの漬物も製造している。塩漬けしたわらびを水に浸けて塩を抜き、今度は醤油に漬ける。わらびのシーズンはだいたい6月中旬まで。今年は天候の関係で1週間ぐらい早くシーズンが終わってしまったという(我々が訪れたのはギリギリのタイミングであった)。わらびが終わると、今度はキノコ(主になめこ)のシーズンに入る。

DSC_0108 道の駅や町の駅では、このような缶詰でも販売されていた。

DSC_0103 見づらくて申し訳ないが、中央に1本にょきっと伸びており、先端が渦巻き状になっているのがわらび。先端がここまで開いてしまうと、食用としては使えないそうだ。

DSC_0104 わらびがさらに成長するとこんな感じになる。山に入ると、至るところにこのようなわらびが生えていた。

DSC_0106 山形はそば街道で有名だが、小国町には知る人ぞ知る「金目そば」というお店がある。町の北部にあるそのお店への道は、途中から集落も消え、本当にこの道で正しいのかと不安になる。だが、車で走ること約15分、そのお店は確かにあった。残念ながら今回は営業時間外で、その味を確かられず。お店の名刺には、「途中で諦めずに来てください」と書かれていた。



DSC_0113 町の駅で「宇宙大豆クッキー」なるものを発見。国際宇宙ステーション「きぼう」で約半年間保管された大豆を日本で栽培し、徐々に数を増やしていってクッキーにしたという。山形県からも、このプロジェクトに対して大豆が提供されている。

 今回の視察旅行では、単なる視察だけではなく、非常に簡単な形ではあるが、3社の経営診断も実施させていただいた。町の駅、道の駅、それから、町の中心地にある食品スーパー兼米卸売業の企業である。小国町は人口減少と高齢化が急速に進行しており、町民の多くが町外へ買い物に出てしまうという、地方自治体として典型的な課題を抱えている。こういう状況下で経営を改善するのは非常に難しいことだと実感した。

 地域活性化と言うと、すぐに何かイベントをやって、周辺地域から人を呼び込もうと提案する人(診断士)がいるが、個人的にはあまり賛同できない。イベントをやりましょうという提案は、売上高を上げるためにブログやfacebookなどのソーシャルメディアを活用しましょうという提案に通じる一種の”気持ち悪さ”がある。ソーシャルメディアで本当に効果を出すには、更新頻度を上げて露出度を高める必要がある。コンサルタントは、ソーシャルメディアは手軽だから毎日更新できるだろうと思って提案する。しかし、それでもだんだんと運用が滞るのがよくある現実である。

 イベントも同じで、1回こっきりのイベントでは意味がない。イベントの記憶は、顧客の中ですぐに薄れていく。それに、そのイベントの時だけ企業の売上高が跳ね上がると、かえって経営が不安定になるというリスクもある。よって、顧客の記憶を保ち、業績を平準化させるには、様々なイベントを仕掛ける必要がある。極端なことを言えば、毎週末何か違うイベントをやるぐらいでなければ意味がない。ソーシャルメディアの更新でさえ面倒になるような人たちに、それよりもはるかに大きな負荷がかかるイベントの企画・運営をさせるのは酷な話であり、非現実的である。

 だから、私自身はイベントのような打ち上げ花火に頼るのではなく、地元の人が日常的にほしがっている製品やサービスを丁寧に揃えていく地道な努力の方が大切であると考える。域外に買い物に行ってしまうのは、域内にほしいものが売られていないのが理由である。決して、需要そのものがないわけではない。この点をはき違えてはいけないと思う。


2016年06月29日

【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(1/2)【写真大量】




 私は、(一社)東京都中小企業診断士協会の城北支部青年部に所属している(一応、今年から部長を務めている)。地域活性化の分野で活躍されている佐藤卓先生からの紹介で、6月11日(土)~13日(月)にかけて、「山形県西置賜郡小国町」の視察旅行に行ってきた。

 小国町は山形県の西南端にある人口約8,000人の町である。新潟県との県境に位置し、両県の県庁所在地である山形市と新潟市のほぼ中間地点(それぞれ約80キロメートル)にある。小国町の面積は737.6平方キロメートルであり、東京23区(619平方キロメートル)よりも若干広い。この広いエリアをわずか3日間で回ろうという強行スケジュールで、当日車で案内してくださった株式会社小国いきいき街づくり公社と小国町商工会の方々には大変お世話になった。

飯豊連峰

 今回の旅行でのベストショットはこれ。小国町は実に面積の約90%が森林であり、どこに行っても山、山、山の連続であった。上の写真は、小国町南部の飯豊(いいで)連峰が見えるスポットで撮影した。白く雪を被っているのが飯豊連峰である。水曜どうでしょう好きの人にしか伝わらないと思うが、「原付日本列島制覇」(2011年放送)という企画は、2010年の夏に、東京から高知まで50ccのカブで移動するというものだった。その中で、紀伊半島の深い山中の県道をのんびりと走るいい画があったのだが、小国町はまさにそんな感じのところであった。大泉洋さんが放送の最後に言った、「この国は、とても美しい国でした」という言葉の意味が解る気がした。

DSC_0027 小国町の駅に着いたら、いきなり熊の剥製がお出迎えしてくれた。小国町にはマタギの文化が残っており、マタギで生計を立てている人が残っている。飯豊連峰の麓にある小玉川地区では、射止めた熊の冥福を祈りながら、猟の収穫を山の神に感謝する「熊まつり」の儀式が行われる。熊まつりは約300年の歴史を持つ。

DSC_0042 東日本大震災以降、山形県内の熊から放射性物質が検出されたため、熊肉の提供は一時ストップしていた。だが、昨年ようやく出荷制限が解かれ、熊まつりでも豚汁ならぬ熊汁が振る舞われた。一時期は1,000人程度に落ち込んでいた参加者も、昨年は熊汁効果もあってか、参加者が3,000人ほどに膨れ上がった。

DSC_0044 マタギのマタギの人が使用する道具を資料館で見せていただいた。

DSC_0045 マタギの人々はチームを組んで熊を狩る。少なくとも1チーム5人、多いチームになると10人以上になるそうだ。熊を呼び出す人、熊を追い込む人、熊を撃つ人など、役割が細かく分かれている。

DSC_0048 右下に熊肉をさばいている様子が写っている。マタギの方々は熊をきれいにさばき、皮や内臓など全て使い切る。なお、余談だが、中国では熊の右手が珍品扱いされている。熊は右手でハチミツを採るためだというのがその理由である。

DSC_0034 1日目の昼食は「たかきびうどん」。たかきびは、赤茶色の米粒大の雑穀である。小国町は山菜が豊富で、トッピングに大きななめこが使われている。親指大ぐらいの大きさがある。首都圏ではこのサイズはなかなか見ないのだが、地元の人に言わせると、これでも小ぶりな方だという。
 
DSC_0111 上の写真より、3日目の昼食で食べたこのたかきびうどんの方が解りやすいか。最初はたかきびそばを開発したのだが、たかきびの色合いが出ないという理由で、途中からうどんに転向したと聞いた。

DSC_0107 たかきびの原産国はアフリカで、紀元前2000年頃にインドに伝わり、その後東南アジアへと広まった。食物繊維やミネラル(特にMgと鉄分)が多く、便秘や貧血予防、美肌づくりに効果的である。たかきびに含まれるビタミンB1は糖質や脂質の代謝を助け、ナイアシンは胃腸の機能を正常に保ち、皮膚症状の改善に役立つ。

DSC_0036 ベストショットの飯豊連峰を再掲。

DSC_0039 飯豊連峰の山々と、世界百名瀑の1つ、梅花皮(かいらぎ)の滝の説明。

DSC_0049 小国町立小玉川小中学校を見学。約30年前に開校したが、残念ながら10年ほど前に閉校となった。現在は、小玉川振興事務所として使われている他、町民にも一般開放されている。我々が訪問した時は、来る参議院選挙を見据えてか、政治集会が行われていた。

DSC_0050 小国町立小玉川小中学校はインドネシアとの交流が深く、インドネシアの学校からの寄贈品が多数保管されていた。

DSC_0051 これも寄贈品の一部。

DSC_0053 インドの「ガルーダ」の像。高さが3メートルほどある立派な像である。ガルーダはインド神話に登場する伝説上の鳥で、ヴィシュヌ神の乗り物と言われる。インドネシアの国章にも用いられている。国章に描かれるガルーダは、翼の羽毛を左右それぞれに17枚、尾の羽毛を8枚、尾の着け根の羽毛を19枚、首の羽毛を45枚有する。これは、独立宣言をした1945年8月17日の数字を表している。

DSC_0054 「ガムラン」という打楽器。ガムランは二極対立的なインドネシアの宇宙観を反映している。例えば、AとBのパートを組み合わせると、Cという本来の旋律が浮かび上がる。この演奏技法をコテカンと呼ぶ。ガムランは16もしくは32ビートで2つのパートを対にして演奏するが、調律されていない2つの楽器の微妙なずれによって音にうねりが生まれる。これをオンバと言う。

DSC_0056 生徒がまとめたガムランの歴史。今回は残念ながら、ガムランを演奏できる方はいらっしゃらなかった。一体、どんな音を奏でるのだろうか?

DSC_0059 この学校の2階には、2クラス分ぐらいの広いスペースに、小国町の文化・風俗を紹介する様々な品が展示されていた。写真は、繭毛羽取機である。蚕は繭を作る時に、最初に足場を作るために吐き糸を出す。この吐き糸の量は全吐き糸量の1%程度で、繭の外側に薄く綿のように付着している。この繭毛羽または繭綿を除去する機械を繭毛羽取機と言う。

DSC_0057 これらの展示品は、学校が廃校になった後で空きスペースを活用して陳列したのではなく、学校の設立当初からあったそうだ。地元の文化を生徒によく理解してもらうのが狙いであったという。左の写真は、哲学者・梅原猛氏が小国町を訪れた際に、ふと思い浮かんだ言葉を一気に書き上げたものである。「コレミゾハ」とはマタギの言葉で、「獲ったぞ!」という意味。

DSC_0061 中心部に戻って、町の駅「アスモ」で休憩。たかきびアイスクリームを食べた。

DSC_0064 たかきびともちきびがトッピングできるのが特徴。他にもチョコチップやココアパウダーのトッピングがあった。

DSC_0062 「たかきび」とは?(説明は写真参照)

DSC_0063 「もちきび」とは?(説明は写真を参照)

DSC_0065 トッピング前(あんまりおいしそうに撮影できなくてスミマセン・・・)。

DSC_0066 トッピング後。私はたかきびとココアパウダーをトッピングした。甘さがしつこく残ることがなくて、一気に食べてしまった。

DSC_0067 町で唯一の酒蔵が造っている「桜川」という日本酒。酒米ではなく、通常の米を用いている。酒米の場合は、米粒を80%ほど削って醸造する。しかし、通常の米でそこまで削ると十分なアルコールが出ないため、削る割合は50%程度に抑えている。1日目の夜に飲んだが、香りは辛口かと思いきや、喉をさらさらと流れる非常に飲みやすいお酒だった(飲みすぎ注意)。

DSC_0068 今回の宿泊先は「りふれ」。表に能舞台があるというので、学生時代に能楽サークルで能楽をかじっていた私は興味津々で見学させてもらった。通常、能舞台の背後には松の絵が描かれているのだが、この能舞台は背後の壁がなく、バックの山々の風景がその代わりを果たしている。

DSC_0069 1日目の夕食。右上はイワナの刺身。刺身で食べられるのは、水がきれいな証拠である。左上の鍋にはクジラ肉が使われている。小国町は海に面しているわけではないのだが、クジラ肉は家庭でも比較的よく食べられているそうだ(翌日、スーパーマーケットを見学したら、確かにクジラ肉が販売されていた)。




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