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【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】
【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(1/2)【写真大量】
ハーブ・カチンス他『精神疾患はつくられる―DSM診断の罠』―精神疾患は科学ではなく政治で決まる

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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2016年06月30日

【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】





DSC_0073 2日目は最初に「大宮子易両神社」に参詣。羽前・羽後地方の鎮護と人々の生命の守護神として712年に創建された古社。 安産、子育ての神として有名だそうだ。

DSC_0074 祀られているのはサルタヒコという神。サルタヒコは、天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神である。

DSC_0075 内部には祭りの様子を描いた絵画が何枚も保存されていた。

DSC_0076 大宮子易両神社とは全く無関係に、同じ境内の中に「和合宮(わごうのみや)」というものが設置されている。男性と女性の性器に似た石を祀っている。「金丸太郎」は新潟県金丸村で、「種沢花子」は小国町種沢で発見された石である。

DSC_0077 金丸太郎と種沢花子の結婚式の様子。ちなみに、まだ子どもにあたる石は見つかっていない。小国町には「子持トンネル」という場所があり、その場所からいい石が採れるといいのだがと話していた。

DSC_0079 続いて、「小国グリーンエナジー合同会社」を訪問。同社は「ペレットマン(pelletman)」というブランド名で、ペレットストーブを販売している。ペレットストーブは日本ではまだそれほど馴染みがないが、ヨーロッパでは40年ほど前から家庭に普及しているという。

DSC_0081 ペレットとは、木のくずを凝縮して小さな塊にしたものである。薬のカプセルを一回り大きくしたような感じである。どんな木であってもペレットを作ることは可能だという。しかも、木を凝縮する段階で、木に含まれているリグニンという物質が染み出し、リグニンが接着剤の役割を果たすので、特別な接着剤を用いる必要もない。

DSC_0082 1日のペレット消費量は約10kg。1台のペレットストーブが一冬で消費するペレットは約1トン。同社ではペレットを10kg=約500円で販売している。よって、1台あたりの年間のペレット代は約5万円。石油ストーブの石油代も年間で約5万円/台だが、一軒家全体を温めるのに石油ストーブは複数台必要なのに対し、ペレットストーブは1台あれば家全体を温められる。

DSC_0084 ペレットストーブを1日中燃やし続けて発生する灰の量は、両手ですくえる程度と非常に少ない。また、ペレットには前述の通り石油由来の接着剤が使用されていないため、燃やしても有害物質が出ない。煙突にたまる煤も、2~3年に1回掃除すれば十分だという。エアコンはこまめに掃除しなければならないのに比べると、維持管理がはるかに楽である。

DSC_0087 小国町にはダムが3つあり、新たにもう1つ建設する予定である。今回は横川ダムを見学した。ダムと言うと、すぐに行政VS住民の対立を想像してしまうが、小国町の様子は至って平穏である。やはり、ダムが地域経済を支えているという意識が強いのだろう。ダムの資料館には、小学生が社会見学でダムを訪れた際の報告書(模造紙)が展示されていた。

DSC_0090 小国町は全国平均に比べると第2次産業に従事する人の割合が高い(全体の約4割)。これは、小国町にクアーズテックと日本重化学工業の工場があるためである。もう1つは、建設業の存在が大きい。ダムが建設されると、ダム本体もさることながら、資材を運んだり作業員が通勤したりするための道路も整備される。今回車で案内されてはっきり解ったのだが、ダムに通じる道は、中央線が引かれた幅広の1車線の道路になっているのに対し、ダムから離れた場所の道は、道幅も狭く、中央線もない。さらに、建設業の重要な収入源となっているのが、毎年の除雪作業である。小国町では冬になると2メートルほどの雪が積もり、多いところでは5メートルにも達する。小国町は除雪費として毎年10数億円の予算を計上している。

DSC_0092 話が逸れてしまったが、横川ダムを建設する際には、小国町の指定天然記念物にも指定されている飛泉寺の大イチョウを移動させる必要があった。上の写真のイチョウの右奥に、白い石の土台にさらに別の石が載っているのが見えるが、あの場所から今の場所に移動させた。移動距離はそれほどないのだが、移動にはおよそ3,000万円の費用がかかったそうだ。

DSC_0094 昼食でいただいたわらび餅。スーパーなどで売られている普通のわらび餅の原料は片栗粉であるが、本当のわらび餅は、わらびの根から採れるでんぷんを用いて作る。小国町は山だらけで、あちこちにわらびが自生している。ただし、山の所有者が決まっているので、勝手に収穫することはできない(採ると怒られる)。

DSC_0096 しかし、山の所有者は「わらび園」なるものを経営しており、一定の料金を払って許可をもらえば、わらびを収穫することができる。多い時では、1か所のわらび園に1日で700人も殺到するらしい。大半は新潟からのお客様なのだが、「実は他県のわらび業者が混じっているのではないか?」と疑っていた。そのわらびの加工工場を見学。写真は塩漬けの様子。

DSC_0099 地元の人が持ち込んだわらびを容器の中に敷き詰めて・・・、

DSC_0100 豪快に塩を振りかける。容器いっぱいにわらびを敷き詰めると1トンになる。塩漬けによって抜けた水は自動的に排出されるわけではなく、毎日手作業で水を捨てている。水が抜けると、わらびの重さは約3割減少する。この加工工場では、1kgのわらびを350円ぐらいで買い取り、塩漬けしたわらび(3割減なので約700g)を約550円で卸しているとのことだった。

DSC_0102 この加工工場では、自らわらびの漬物も製造している。塩漬けしたわらびを水に浸けて塩を抜き、今度は醤油に漬ける。わらびのシーズンはだいたい6月中旬まで。今年は天候の関係で1週間ぐらい早くシーズンが終わってしまったという(我々が訪れたのはギリギリのタイミングであった)。わらびが終わると、今度はキノコ(主になめこ)のシーズンに入る。

DSC_0108 道の駅や町の駅では、このような缶詰でも販売されていた。

DSC_0103 見づらくて申し訳ないが、中央に1本にょきっと伸びており、先端が渦巻き状になっているのがわらび。先端がここまで開いてしまうと、食用としては使えないそうだ。

DSC_0104 わらびがさらに成長するとこんな感じになる。山に入ると、至るところにこのようなわらびが生えていた。

DSC_0106 山形はそば街道で有名だが、小国町には知る人ぞ知る「金目そば」というお店がある。町の北部にあるそのお店への道は、途中から集落も消え、本当にこの道で正しいのかと不安になる。だが、車で走ること約15分、そのお店は確かにあった。残念ながら今回は営業時間外で、その味を確かられず。お店の名刺には、「途中で諦めずに来てください」と書かれていた。



DSC_0113 町の駅で「宇宙大豆クッキー」なるものを発見。国際宇宙ステーション「きぼう」で約半年間保管された大豆を日本で栽培し、徐々に数を増やしていってクッキーにしたという。山形県からも、このプロジェクトに対して大豆が提供されている。

 今回の視察旅行では、単なる視察だけではなく、非常に簡単な形ではあるが、3社の経営診断も実施させていただいた。町の駅、道の駅、それから、町の中心地にある食品スーパー兼米卸売業の企業である。小国町は人口減少と高齢化が急速に進行しており、町民の多くが町外へ買い物に出てしまうという、地方自治体として典型的な課題を抱えている。こういう状況下で経営を改善するのは非常に難しいことだと実感した。

 地域活性化と言うと、すぐに何かイベントをやって、周辺地域から人を呼び込もうと提案する人(診断士)がいるが、個人的にはあまり賛同できない。イベントをやりましょうという提案は、売上高を上げるためにブログやfacebookなどのソーシャルメディアを活用しましょうという提案に通じる一種の”気持ち悪さ”がある。ソーシャルメディアで本当に効果を出すには、更新頻度を上げて露出度を高める必要がある。コンサルタントは、ソーシャルメディアは手軽だから毎日更新できるだろうと思って提案する。しかし、それでもだんだんと運用が滞るのがよくある現実である。

 イベントも同じで、1回こっきりのイベントでは意味がない。イベントの記憶は、顧客の中ですぐに薄れていく。それに、そのイベントの時だけ企業の売上高が跳ね上がると、かえって経営が不安定になるというリスクもある。よって、顧客の記憶を保ち、業績を平準化させるには、様々なイベントを仕掛ける必要がある。極端なことを言えば、毎週末何か違うイベントをやるぐらいでなければ意味がない。ソーシャルメディアの更新でさえ面倒になるような人たちに、それよりもはるかに大きな負荷がかかるイベントの企画・運営をさせるのは酷な話であり、非現実的である。

 だから、私自身はイベントのような打ち上げ花火に頼るのではなく、地元の人が日常的にほしがっている製品やサービスを丁寧に揃えていく地道な努力の方が大切であると考える。域外に買い物に行ってしまうのは、域内にほしいものが売られていないのが理由である。決して、需要そのものがないわけではない。この点をはき違えてはいけないと思う。


2016年06月29日

【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(1/2)【写真大量】




 私は、(一社)東京都中小企業診断士協会の城北支部青年部に所属している(一応、今年から部長を務めている)。地域活性化の分野で活躍されている佐藤卓先生からの紹介で、6月11日(土)~13日(月)にかけて、「山形県西置賜郡小国町」の視察旅行に行ってきた。

 小国町は山形県の西南端にある人口約8,000人の町である。新潟県との県境に位置し、両県の県庁所在地である山形市と新潟市のほぼ中間地点(それぞれ約80キロメートル)にある。小国町の面積は737.6平方キロメートルであり、東京23区(619平方キロメートル)よりも若干広い。この広いエリアをわずか3日間で回ろうという強行スケジュールで、当日車で案内してくださった株式会社小国いきいき街づくり公社と小国町商工会の方々には大変お世話になった。

飯豊連峰

 今回の旅行でのベストショットはこれ。小国町は実に面積の約90%が森林であり、どこに行っても山、山、山の連続であった。上の写真は、小国町南部の飯豊(いいで)連峰が見えるスポットで撮影した。白く雪を被っているのが飯豊連峰である。水曜どうでしょう好きの人にしか伝わらないと思うが、「原付日本列島制覇」(2011年放送)という企画は、2010年の夏に、東京から高知まで50ccのカブで移動するというものだった。その中で、紀伊半島の深い山中の県道をのんびりと走るいい画があったのだが、小国町はまさにそんな感じのところであった。大泉洋さんが放送の最後に言った、「この国は、とても美しい国でした」という言葉の意味が解る気がした。

DSC_0027 小国町の駅に着いたら、いきなり熊の剥製がお出迎えしてくれた。小国町にはマタギの文化が残っており、マタギで生計を立てている人が残っている。飯豊連峰の麓にある小玉川地区では、射止めた熊の冥福を祈りながら、猟の収穫を山の神に感謝する「熊まつり」の儀式が行われる。熊まつりは約300年の歴史を持つ。

DSC_0042 東日本大震災以降、山形県内の熊から放射性物質が検出されたため、熊肉の提供は一時ストップしていた。だが、昨年ようやく出荷制限が解かれ、熊まつりでも豚汁ならぬ熊汁が振る舞われた。一時期は1,000人程度に落ち込んでいた参加者も、昨年は熊汁効果もあってか、参加者が3,000人ほどに膨れ上がった。

DSC_0044 マタギのマタギの人が使用する道具を資料館で見せていただいた。

DSC_0045 マタギの人々はチームを組んで熊を狩る。少なくとも1チーム5人、多いチームになると10人以上になるそうだ。熊を呼び出す人、熊を追い込む人、熊を撃つ人など、役割が細かく分かれている。

DSC_0048 右下に熊肉をさばいている様子が写っている。マタギの方々は熊をきれいにさばき、皮や内臓など全て使い切る。なお、余談だが、中国では熊の右手が珍品扱いされている。熊は右手でハチミツを採るためだというのがその理由である。

DSC_0034 1日目の昼食は「たかきびうどん」。たかきびは、赤茶色の米粒大の雑穀である。小国町は山菜が豊富で、トッピングに大きななめこが使われている。親指大ぐらいの大きさがある。首都圏ではこのサイズはなかなか見ないのだが、地元の人に言わせると、これでも小ぶりな方だという。
 
DSC_0111 上の写真より、3日目の昼食で食べたこのたかきびうどんの方が解りやすいか。最初はたかきびそばを開発したのだが、たかきびの色合いが出ないという理由で、途中からうどんに転向したと聞いた。

DSC_0107 たかきびの原産国はアフリカで、紀元前2000年頃にインドに伝わり、その後東南アジアへと広まった。食物繊維やミネラル(特にMgと鉄分)が多く、便秘や貧血予防、美肌づくりに効果的である。たかきびに含まれるビタミンB1は糖質や脂質の代謝を助け、ナイアシンは胃腸の機能を正常に保ち、皮膚症状の改善に役立つ。

DSC_0036 ベストショットの飯豊連峰を再掲。

DSC_0039 飯豊連峰の山々と、世界百名瀑の1つ、梅花皮(かいらぎ)の滝の説明。

DSC_0049 小国町立小玉川小中学校を見学。約30年前に開校したが、残念ながら10年ほど前に閉校となった。現在は、小玉川振興事務所として使われている他、町民にも一般開放されている。我々が訪問した時は、来る参議院選挙を見据えてか、政治集会が行われていた。

DSC_0050 小国町立小玉川小中学校はインドネシアとの交流が深く、インドネシアの学校からの寄贈品が多数保管されていた。

DSC_0051 これも寄贈品の一部。

DSC_0053 インドの「ガルーダ」の像。高さが3メートルほどある立派な像である。ガルーダはインド神話に登場する伝説上の鳥で、ヴィシュヌ神の乗り物と言われる。インドネシアの国章にも用いられている。国章に描かれるガルーダは、翼の羽毛を左右それぞれに17枚、尾の羽毛を8枚、尾の着け根の羽毛を19枚、首の羽毛を45枚有する。これは、独立宣言をした1945年8月17日の数字を表している。

DSC_0054 「ガムラン」という打楽器。ガムランは二極対立的なインドネシアの宇宙観を反映している。例えば、AとBのパートを組み合わせると、Cという本来の旋律が浮かび上がる。この演奏技法をコテカンと呼ぶ。ガムランは16もしくは32ビートで2つのパートを対にして演奏するが、調律されていない2つの楽器の微妙なずれによって音にうねりが生まれる。これをオンバと言う。

DSC_0056 生徒がまとめたガムランの歴史。今回は残念ながら、ガムランを演奏できる方はいらっしゃらなかった。一体、どんな音を奏でるのだろうか?

DSC_0059 この学校の2階には、2クラス分ぐらいの広いスペースに、小国町の文化・風俗を紹介する様々な品が展示されていた。写真は、繭毛羽取機である。蚕は繭を作る時に、最初に足場を作るために吐き糸を出す。この吐き糸の量は全吐き糸量の1%程度で、繭の外側に薄く綿のように付着している。この繭毛羽または繭綿を除去する機械を繭毛羽取機と言う。

DSC_0057 これらの展示品は、学校が廃校になった後で空きスペースを活用して陳列したのではなく、学校の設立当初からあったそうだ。地元の文化を生徒によく理解してもらうのが狙いであったという。左の写真は、哲学者・梅原猛氏が小国町を訪れた際に、ふと思い浮かんだ言葉を一気に書き上げたものである。「コレミゾハ」とはマタギの言葉で、「獲ったぞ!」という意味。

DSC_0061 中心部に戻って、町の駅「アスモ」で休憩。たかきびアイスクリームを食べた。

DSC_0064 たかきびともちきびがトッピングできるのが特徴。他にもチョコチップやココアパウダーのトッピングがあった。

DSC_0062 「たかきび」とは?(説明は写真参照)

DSC_0063 「もちきび」とは?(説明は写真を参照)

DSC_0065 トッピング前(あんまりおいしそうに撮影できなくてスミマセン・・・)。

DSC_0066 トッピング後。私はたかきびとココアパウダーをトッピングした。甘さがしつこく残ることがなくて、一気に食べてしまった。

DSC_0067 町で唯一の酒蔵が造っている「桜川」という日本酒。酒米ではなく、通常の米を用いている。酒米の場合は、米粒を80%ほど削って醸造する。しかし、通常の米でそこまで削ると十分なアルコールが出ないため、削る割合は50%程度に抑えている。1日目の夜に飲んだが、香りは辛口かと思いきや、喉をさらさらと流れる非常に飲みやすいお酒だった(飲みすぎ注意)。

DSC_0068 今回の宿泊先は「りふれ」。表に能舞台があるというので、学生時代に能楽サークルで能楽をかじっていた私は興味津々で見学させてもらった。通常、能舞台の背後には松の絵が描かれているのだが、この能舞台は背後の壁がなく、バックの山々の風景がその代わりを果たしている。

DSC_0069 1日目の夕食。右上はイワナの刺身。刺身で食べられるのは、水がきれいな証拠である。左上の鍋にはクジラ肉が使われている。小国町は海に面しているわけではないのだが、クジラ肉は家庭でも比較的よく食べられているそうだ(翌日、スーパーマーケットを見学したら、確かにクジラ肉が販売されていた)。



2015年02月11日

ハーブ・カチンス他『精神疾患はつくられる―DSM診断の罠』―精神疾患は科学ではなく政治で決まる


精神疾患はつくられる―DSM診断の罠精神疾患はつくられる―DSM診断の罠
ハーブ カチンス スチュワート・A. カーク Herb Kutchins

日本評論社 2002-10

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 精神科医にとって、「DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断と統計マニュアル)」はバイブルのような存在である。多くの精神科医は、この本を辞書のように使いながら患者を診察し、病名を下している。ただし、精神疾患の場合には、通常の疾病と異なる大きな点が1つある。

DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引
American Psychiatric Association

医学書院 2014-10-23

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 通常の疾病では、表面的な症状から生理学的な原因を追求し、その原因に応じた病名がつけられる。例えば、何か身体的な不調を訴えた場合には、血液検査をしたり、レントゲンを撮ったり、CTスキャンを行ったり、エコーを当てたり、内視鏡検査をしたり、尿や便を採取したりして、その結果を分析し、身体のどこに異常があるのかを特定する。

 これに対して、精神疾患の場合は、表面的な心身の不調に応じて病名がつけられている。うつ病を例にとると、不安、やる気が出ない、不眠、食欲不振、性欲減退など、DSMが定めるいくつかの質問項目のうち、一定数以上が該当する場合にはうつ病と診断される。最近の研究では、うつ病の原因は脳の機能障害であることが解っており、それを測定する手段も確立されつつある。ところが、臨床の場面では、脳を実際に検査することなしに、精神科医の問診のみによって診断が下される。表面的な症状のみに着目して病名を決定する考え方を「操作主義」と言うらしい。

 操作主義の弊害は、あれもこれも心身の変調だと主張すれば、無限に精神疾患が増える可能性があるということである。実際、DSMは版を重ねて現在は第5版(DSM-Ⅴ)になっているが、収録される精神疾患は増える一方であり、それぞれの精神疾患について10程度の質問項目が設定されている。これだけの内容を精神科医が暗記することは不可能に近いだろう。

 現在、医療現場ではIT化が進んでいて、医師がPCの画面に表示された標準的な質問を患者に投げかけて、患者からの回答を入力すると、自動的に病名と処方すべき薬の候補が表示されるシステムがあるらしい。簡単な病気を診ることが多い診療所レベルでは、こうしたシステムの導入が進んでいるという。精神疾患はDSMで全てがマニュアル化されているから、それがシステム化される日はそう遠くはないはずだ。

 本書を読んで、「やっぱりそうだったのか」と思ったのは、DSMに何の精神疾患を載せるかを決めているのは、科学ではなく政治であるということだった。DSMに病名が載るかどうかで、100万人単位で患者が増減するから、先行投資で新薬を開発している製薬会社にとっては死活問題である。また、精神科医は心理士から仕事を奪って職域を拡大したいと考えている。さらに、「自分の症状は精神疾患だ」と訴える人々の団体は、自分の症状に保険を適用してもらうため、必死に政治的な働きかけを行う。以下の著者の言葉が非常に象徴的であった。
 診断採用の決定プロセスは煩雑化しているが、科学的なものとはなっていない。精神障害を認知して分類することは手の込んだプロセスであり、そのプロセスは政治的判断、個人的利害関係、経済的圧力が主たる動因となっている。
 驚くべきことと言えば、DSMを編集するにあたって、「精神障害とは何か?」について、明確な定義がないままに作業が進められていたということである。DSM、特にDSM-Ⅲの編集で中心的な役割を果たしたのは、ロバート・スピッツァーという精神科医である。スピッツァーはDSM-Ⅲを作成する段階になってようやく、精神障害とは「主観的な苦悩あるいは社会的な機能に損傷を生じる行動」であるという定義を提案した。乱暴に言い換えるならば、自分が困っているか、社会が困っているか、そのどちらか一方に該当する行動が精神障害ということになる。

 しかし、これはこれで困った論争を呼び起こした。DSM-Ⅳが作成された後、アメリカ精神医学会(APA)の会報には「小児愛はいつも障害とは限らない?」という記事が掲載されたという。
 DSM-Ⅳによれば、その人が単に子供にいたずらをするからといって、また子供にいたずらしたいと夢想するからといって、ペドフィリアであるとは言えない。その人が、自分がそうすることについて悪いと感じたり不安を感じるときのみに、また、彼が小児愛のために機能損傷を被っている場合にのみ、ペドフィリアであるとされる。もし彼が罪悪感や不安を感じていなくて、その他ではたいへん適応がよい場合、子供に対する性的虐待者は法律違反ではあっても、心理的に障害されているとはいえなくなっているのだ。
 スピッツァーの提案に「主観的苦悩」という言葉が入っているために、社会が困っていても、本人が困っていなければ病気ではない、という奇妙な状況が生まれてしまうのである。

 何を精神障害とするか?という定義は、先ほどの引用文で見たように、何を犯罪とするか?という議論とセットである。本書では、同性愛についても触れられている。最近、日本で女性タレント同士が同性婚をして話題になったが、日本は昔から比較的同性愛に対して寛容であったとされる。女性同士の同性愛についてはよく解らないものの、男性同士の同性愛については古来から「男色」という言葉がある。室町時代に世阿弥が能楽を大成すると、男色を取り上げた曲とともに男色文化が一気に広まったと言われる。

 一方、欧米、特にキリスト教圏では、同性愛は長らく教義に反する犯罪とされていた。犯罪であるから、矯正しなければならないというのが支配的な考えだった。ところが、宗教と犯罪の分離によって同性愛は犯罪とはみなされなくなり、代わりに、治療すべき精神障害として扱われるようになった。日本人は意外に思うだろうが、DSM-Ⅱまでは、同性愛という項目が存在していた。

 同性愛がDSMに入っていることに抗議する団体からの圧力に応じて、DSM-Ⅲから同性愛を削除したのが、あのスピッツァーである。しかし、本書によれば、スピッツァーは同性愛について素人だったという。むしろスピッツァーは、同性愛をDSMに残したがっていた。そこで、同性愛を残したい人(スピッツァーも含む)と、削除したい人の妥協案として、「性的志向性の障害」という病名を提案し、それが「ディスホモフィリア」に代わり、最終的には「自我違和的な同性愛(EDH:Ego-dystonic homosexual)」という言葉でDSM-Ⅲに残ることとなった。

 ここで注目すべきは、同性愛が科学的に見て、どういう点で機能障害となっているのか?という議論が十分になされなかった、という点である。どうやら、スピッツァーは政治的な立ち居振る舞いの方が長けていたようである。本書には、PTSD(Posttraumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害)をDSMに入れるかどうか議論していた際のこんなエピソードが紹介されている。
 スピッツァーはデータをとても重視する人だった。グループは立ち上がり「見てください、これは入れるべきで、これを外すべきです」と迫ったが、彼は「何のデータもないじゃないか!」と言ったのだ。・・・とはいえ、彼は最後になって話をひっくり返し、2つの手順を示した。1つ目はこの分野の専門家による作業グループをつくること、2つ目にはこのグループが採択した案を確実なものとするかどうかはAPAの政策手続きに任せること、であった。
 スピッツァーはデータを重視する人だったとあるが、正確には、「データを見ないことを重視する人」だったのかもしれない。

 犯罪の定義と合わせて精神疾患を明確に定義することは非常に難しい。私なりに考えてみたが、「社会にとって得か損か?」という軸と、「個人にとって得か損か?」という軸でマトリクスを作る。まず、社会と個人の両方にとって得である行動は最も望ましい行動である。次に、個人にとっては損だが社会にとって得なのは、例えば寄付である。そして、個人にとって得だが社会にとって損なのが犯罪だ。窃盗などは典型例である。最後に、社会と個人の両方にとって損なのが精神障害となる。例えばひきこもりは、個人の人生にもマイナスであるし、社会的損失も大きい。

 ただ、果たしてこの2軸で考えることが正当なのか?また、犯罪や精神疾患の定義を損得勘定で決めてよいのか?といった点については、ちょっと自信がない(この分類に従うと、同性愛は日本でも犯罪になってしまうのではないか?と思ってしまう。また、このマトリクスでは、薬物中毒のように犯罪でもあり精神障害でもある症状を分類することができない)。

 最後にもう1つ。アメリカという国はデータ分析が強みであり、大量のデータを統計的に解析して物事の本質に迫るのが得意だ。だから、精神医療についても、大量の患者のデータを調査して、生理学的・身体的ないくつかの原因に帰着させることが可能なはずである。そうすれば、無駄な薬を開発する手間が省ける。ところが、現実には全く逆のことが行われている。表層的な症状だけをとらえて患者の数を増やし、患者の診断名をコロコロと変えて治療を長期化させている。精神医療の分野でアメリカの強みが発揮されないのは、私にとっては大きな謎である。

 《参考記事》
 イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』―ビッグデータで全世界を知り尽くそうとするアメリカ、観察で特定の世界を深く知ろうとする日本
 『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』―whyを問うアメリカ人、howを問う日本人



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