このカテゴリの記事
【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―ドラッカーのチェンジ・リーダー論に日本人は勇気づけられる、他
【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―非営利組織のマネジメントは本当に難しい
【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―知識労働者の「知識」とは何か?

お問い合わせ
お問い合わせ
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

Experian海外企業信用調査 海外企業信用調査(Experian)
(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

中小企業診断士の安い通信講座なら「資格スクエア」資格スクエア
(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
アクセスカウンター(PV)
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:


Top > 【シリーズ】ドラッカー書評(再) アーカイブ
2017年05月03日

【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―ドラッカーのチェンジ・リーダー論に日本人は勇気づけられる、他

このエントリーをはてなブックマークに追加
明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-03

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 前回の記事「【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―非営利組織のマネジメントは本当に難しい」の続き。

 (1)
 第一に、製品、サービス、プロセス、市場の寿命が、まだあと数年はあるといわれるようになった状況では、廃棄が正しい行動である。そのような製品、サービス、プロセス、市場は膨大な人手を奪う。生産的な人材を縛りつける。しかも、製品、サービス、プロセス、市場の寿命は過大評価しがちである。それらのものは、死につつあるのではなく、すでに死んでいる。昔から、死体の保存ほど難しく、金がかかり、無駄なものはない。
 ドラッカーは様々な著書で、組織は定期的に「体系的廃棄」を行い、マネジメントを見直すべきだと主張していた。組織が現在行っているあらゆる活動について、「もしそれを今行っておらず、これから始めなければならないと仮定した場合に、それを始めるか」と問い、その答えがノーであればその活動を廃棄せよというのがドラッカーのアドバイスである。

 上記の引用文も体系的廃棄に関するものである。凡庸な例だが、マイクロソフトなどはこうした体系的廃棄が上手く、それによって事業を拡大してきた。だが、企業が環境への負荷を考慮して事業を行わなければならないなど、企業の社会的責任が重視される現代においては、上記の引用文は修正する必要があるかもしれない。市場の寿命がまだあと数年ある段階でその事業を廃棄するのではなく、最初から製品・サービスの寿命が長くなるように設計しなければならない。そして、製品・サービスの寿命が近づいてきたら、事業を段階的に縮小しつつも、残りの市場から上手に収益を上げる方法を習得しなければならない。

 製品・サービスの寿命を延ばすことに最も積極的な企業がアウトドア・アパレル会社のパタゴニアである。パタゴニアは2011年にCTI(Common Threads Initiative)というプログラムを立ち上げた。その時点で同社は既に、中古衣料品をリサイクルする企業であった。ところが、大量の中古衣料を回収するうちに、製品をより長く使ってもらうことの方が、汚染と廃棄を減らす上でははるかに効果的であると気づいた。こうした状況を受けて、本当に必要となるまでパタゴニア製品を買い替えないでほしいと顧客に訴えるCTIが実施された。

 パタゴニアは、自社の製品が長く使われるようにデザインされていること、必要ないものあるいは使わないものは顧客に買わないでほしいことを強調していた。パタゴニアで最も売れているジャケット写真の上に、"Don't Buy This Jacket."という宣伝文を載せた。さらに、パタゴニアは顧客に対して、「私は、私が必要なもの(かつ、長持ちするもの)しか購入しないことに同意します」という宣誓文に署名することまで求めた。

 製品・サービスの寿命を延ばすためのもう1つの取り組みは、自社のビジネスモデルをリサイクルモデルからサービスモデルへと変えることである。別の言い方をすれば、製品の「所有」から「使用」に転換することである。例えば、高価格の食器洗浄機は、製品寿命を延ばすことで環境への影響を低減するとともに、改修とリサイクルを容易にし、製造業者と顧客の双方に大きなメリットをもたらす。ある研究によれば、こうした機械が販売ではなくリースされれば、ほとんどの家庭で使用可能となり、顧客にとっては1回の食器洗いにつき3分の1ほどの支出が節約でき、製造業者も収入を33%増加させることができるという(ジョエル・ベーカー・マレン「循環型経済のためのイノベーション」〔『一橋ビジネスレビュー』2017年SPR.64巻4号〕より)。

一橋ビジネスレビュー 2017年SPR.64巻4号一橋ビジネスレビュー 2017年SPR.64巻4号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-03-10

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 (2)
 チェンジ・リーダーたるための第2の条件が、組織的改善、日本語でいうところのカイゼンである。あらゆる組織が、自らの製品、サービス、プロセス、マーケティング、アフターサービス、技術、教育訓練、情報のすべてについて、体系的かつ継続的な改善をはかっていかなければならない。しかも、あらかじめ改善の目標を定めておく必要がある。日本企業にみるように、年率3パーセント程度の目標が現実的である。
 チェンジ・リーダーたるための第4の条件がイノベーションである。これこそ今日最も注目されている分野である。しかしこれは、チェンジ・リーダーたるための条件としては、最も重要なものではない。体系的廃棄、組織的改善、成功の追求の仕組みのほうが、意味のある場合が多い。
 人口減少による国内市場の縮小に伴い、各社とも憑りつかれたようにイノベーションに注力し、リーダーは新しい需要を創造しようと躍起になっている。ところがドラッカーは、イノベーションはチェンジ・リーダーたるための条件としては最も重要度が低いと述べている。それよりも、日本企業が強みとするカイゼンの方が効果的であると言う。リーダーにとっては少し肩の力が抜ける言葉ではないだろうか?ただし、年率3%の成長はややハードルが低いかもしれない。政府が2020年までにGDPを600兆円にすると宣言しているが、そのためには年率3.45%の成長が必要である。それよりも低い目標ではまずいだろう。せめて5%ぐらいの成長はどの企業も目指すべきだし、野心的な企業は年10%の成長を掲げるぐらいでちょうどよいだろう。

 ここで重要なのは、利益をしっかりと確保するということである。日本企業は売上高を重視する傾向があり、逆に言うと利益率をあまり見ていない。そのため、欧米企業に比べると収益率が見劣りすると言われる。ドラッカーは事あるごとに、「利益は将来のためのコストである」と口酸っぱく言っていた。利益があるから将来の事業や設備に投資することができる。だから、企業が十分な利益を確保することは必須である。稲盛和夫氏は「どんな業種でも経常利益率10%以上を上げなければいけない。そうでなければ経営をやっているとは言えない」と述べている。

 利益は、その企業が借り入れ可能な金額を示唆する。一般的に、支払利息が営業利益の20%以下、借入金返済額が経常利益の10%以下の企業は財務的に優良であると言われる。ただ、昨今は金利が異常なほどに低いため、営業利益の20%を支払い可能な利息として計算し、そこから借り入れ可能な金額を求めると、非常に大きな金額になってしまう。そこで、経常利益の額を基準にするのが適切であると考える。毎年の借入金返済額が経常利益の10%以下、標準的な債務償還年数が10年であることを踏まえると、経常利益の額がそのまま借り入れ可能な金額を表すことになる。借入金を上手に活用して事業を拡大することが肝要である。

 中小企業の場合、意図的に決算書を粉飾していることが少なくない。赤字企業が、売上の前倒し計上、過剰在庫による粗利率の底上げ、費用の未払金計上、役員報酬の操作、引当金の未計上などによって、何とか経常利益を出していることがある。売上高対経常利益率が何期にもわたって0.0X%のような微々たる数字にしかならない企業は、ほぼ例外なく決算書の数字をいじっていると言ってよい。こういう中小企業に限って、設備投資に対する国からの補助金が出ると、いの一番に飛びつく。将来の設備投資に必要な利益を慢性的に稼げない中小企業に対してすべきことは、救済ではない。市場からの退出を願い出ることである。

 ドラッカーはチェンジ・リーダーに対してイノベーションをあまり期待していないが、イノベーションが不要だとは言っていない。ドラッカーは「事業に必要なのはマーケティングとイノベーションの2つである」という有名な言葉を残している。イノベーションと言うと、アメリカ企業がそうであるように、一部のカリスマ的リーダーが市場のニーズを先取りして、画期的な製品・サービスを作り出す、つまり、リーダー自身が変化を創造するという印象がある。だが、ドラッカーのイノベーション論は、変化を作り出すことに主眼を置いていない。既に起こった変化を利用すればよいと説く。これも、日本人にとっては朗報である。というのも、日本人は主体的に変化を生み出すことが苦手であり、外部環境の変化に反応して動く民族だからだ(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―変化を活かすのか?変化を創るのか?」を参照)。

 先進国の中で未曾有の少子高齢社会に突入する日本は、これからは課題先進国になるべきだという主張を耳にする。少子高齢社会が直面する様々な経済的・社会的課題に対して、日本が率先して解決策を提示し、それを今後日本と同じように少子高齢化に直面する周辺の国々に展開すべきだというわけだ。だが、個人的にはあまりこの動きに期待していない。日本はいつの時代も、どこかの国を手本にしなければ生きていけない辺境の小国にすぎない(以前の記事「山本七平『危機の日本人』―「日本は課題先進国になる」は幻想だと思う、他」を参照)。

 21世紀に日本が手本とするべき国は、やはり中国であろう。中国も一人っ子政策の影響で少子化しており、かつ今後は急速に高齢化が進む。現在の中国は、先進国をコピーするだけのならず者のように見られているが、アメリカがイノベーション大国であった以前は、中国がイノベーション大国であったことを忘れてはいけない。中国の底力は侮れない。中国は今後、欧米諸国とは異なる発想、アプローチで少子高齢化に関するイノベーションを生み出すと予想される。日本はそれを見て、中国以上に安く、早く、小さく、安全に製造・提供できるように真似をすればよい。格好悪いかもしれないが、これが辺境の小国の生き方なのである。ドラッカーも、日本のこうしたやり方を「起業家的柔道」と呼んで称賛している(『イノベーションと企業家精神』)(ブログ別館の記事「『負けない知財戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年SPR.63巻4号)』」を参照)。

 (3)
 今度は、仕事の質を顧客満足ではかることにした。これは、電話工自身に仕事の質を管理させるということだった。こうしてAT&Tは、電話工自身が工事の1週間後、10日後に客のところへ行き、満足しているか、さらに何かしてほしいことはないかを聞くことにした。
 ブログ別館の記事「諸富祥彦『あなたのその苦しみには意味がある』―他者貢献から得られる「承認」は日本人にとって重要な比較不可能な報酬」でも書いたが、他者から承認・評価されることは、本人にとって非常に大きなモチベーションとなる。ところが、以前の記事「中小企業診断士として独立してよかった2つのことと、よくなかった5つのこと」で書いたように、独立すると他者から承認される機会がガクンと減る。企業勤めをしていれば、よくも悪くも上司が何かしらのフィードバックをしてくれる。また、同僚が自分の働きぶりを見ている。しかし、独立すると、そういう社会的つながりを一気に失う。よって、自分のモチベーションを管理するのに苦労する。

 だが、それは単なる私の言い訳であり、引用文を読んで、承認がほしければ自分から相手に聞きに行けばいいと思い知らされた。ドラッカーは大学での教え子に対して、卒業後も定期的に電話をかけて近況を尋ねるということを何十年もやっているという話を何かの著書で読んだことがある。教育の成果は中長期的にしか現れないから、ドラッカー自身が卒業生を長期にわたってトレースし、自分の教育の質に対する評価を得ていたのだろう。また、ある日本のコンサルティング会社では、顧客企業がプロジェクトの成果をどのように評価しているかを知るために、プロジェクトメンバーとは無関係のコンサルタントが顧客企業を訪問して関係者にヒアリングを行い、その結果をプロジェクトメンバーにフィードバックしているという話も思い出した。

 与えられたければ、こちらから積極的に働きかけることである。何も難しいことはしなくてよい。人間として当然のことをすればよい。本書には、ドラッカーにしては珍しい文章があった。
 物体が接して動けば摩擦を生じることは、自然の法則である。2人の人間が接して動いても、摩擦が生じる。そのとき、人への対し方が摩擦を減らす潤滑油の役割を果たす。「お願いします」や「ありがとう」の言葉を口にすること、名前や誕生日を覚えていること、家族について尋ねることなど簡単なことである。もし素晴らしい仕事が、人の協力を必要とした段階でつねに失敗するようであれば、1つの原因として、人への対し方、すなわち礼儀に欠けるところがあるのかもしれない。
 (4)
 そもそも、先進国とくに民主主義の先進国というものは、指導層を不可欠とする。何らかの指導層が存在しないことには、社会と政治が混乱に陥る。その結果、民主主義が危うくされる。

 そのような観念にとらわれていない国は、アメリカと若干の英語圏の国だけである。アメリカは、19世紀の初め以降、指導層なるものをもったことがない。まさにアメリカ社会の特質は、トクヴィルをはじめとするアメリカ研究者が指摘したように、あらゆる層が、正当に評価されず、十分な敬意を払われていないと感じているところに、その強みがあることにある。
 以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」でも書いたが、アメリカは元々ヨーロッパの啓蒙主義の影響を受けて設立された国家である。一般的に、啓蒙主義においては、宗教が前近代的、因習的、非理性的なものとして批判され、理性の前に神が後退し、理性至上主義が生まれたと説明される。だが、実際には人間の理性と神の絶対性が統合されたのが啓蒙主義であり、この点で汎神論である。汎神論では、神と人間が直接的に結ばれることが理想とされる。アメリカは特にこの点を重視しているため、神と人間との間に何らかの組織や階層が介入することを極端に嫌う。アメリカの調査会社ギャラップは、政府や大企業に対する国民の信頼度を毎年調査しているが、こういう調査が行われているという事実こそが、引用文にある通り、アメリカにおいてあらゆる層が正当に評価されず、十分な敬意を払われていないことを表している。

 ただし、以前の記事でも書いたように、啓蒙主義によって唯一絶対の神と人間の理性が固く結びつくと、全体主義に転じる恐れがある。アメリカは自由の国どころか全体主義の国になる可能性があったのだが、啓蒙主義に3つの修正を加えることで、全体主義に陥らずに済んだ。

 ①全体主義においては、一見、神のように万能に考える自由があるように見える。しかし、実際にはどの人の考えも唯一絶対の神に等しいから、思考に自由がない。また、神が考えることは常に正しく、不変であるため、時間の流れが存在しない。あるのは現在だけである。だが、アメリカ人はこの時間軸に未来という概念を導入した。そして、未来に向かって自由に考える意思を認めた。未来に対して自由に設定した目標に向かって変革を起こすことがアメリカ人の特質である。この点で、アメリカ人の理性は、神の唯一絶対性から決別している。

 ②全体主義では「1」が全てである。よって、自己と他者という区別はない。これに対して、アメリカ人は「二項対立」の概念を導入した。つまり、ある考えに対しては、必ず反対の考え方があると認めることにした。二項対立的な発想によって、アメリカ人は他者の存在を肯定することができるようになった。二項対立は、一方が他方を打ち負かすことを目的としていない。弁証法で有名なヘーゲルの言う止揚は期待されていない。常に対立することで、お互いの存在を承認する。もちろん、全体として1つの結論を導き出さなければならないケースは多々ある。ただし、その場合でも、採用された意見とは別に、それに対する反対意見を併記するのが普通である。

 ③全体主義においては、神と人間は直線的に結ばれている。いや、正確に言えば、神と人間は対等、もしくは神と人間は同一である。しかし、アメリカ人は、引用文にある通り、階層に対する反発はありながらも、分権化というコンセプトによって、神と人間の間にいくつかの階層を挿入することにした。①で、アメリカ人は自由意思によって未来の目標を設定すると書いた。これは別の言い方をすれば、神と全体感を持った契約を結ぶことである。だが、決して完全ではない理性が導き出した契約であるから、その契約が正しいかどうかはアメリカ人には解らない。契約の正しさは神のみぞ知る。そして、神と正しい契約を結んだ者だけが自己実現に成功する。

 しかし、これではごく一部の人しか自己実現ができない。そこで、分権化の登場である。分権化は、神と正しい契約を結んだ者と、彼らから権限移譲された者の双方にとってメリットがある。まず、神と正しい契約を結んだ者にとっては、彼らの壮大な目標の実現を手伝ってくれる自分の分身が増えることを意味する。分権化により、彼らの自己実現は大きく後押しされる。次に、彼らから権限移譲された者にとっては、彼らと同様の全体感を持って仕事ができる。その結果、権限移譲された者もまた、神と正しい契約を結んだ者ほどではないが、自己実現に成功する。

 一方で、神と正しい契約を結べず、自己実現がかなわない人々にとっては、過酷な現実が待っている。こうした人々は、神と正しい契約を結んだ者、および彼らから権限移譲された者の道具にならざるを得ない。道具は特定の目的に特化しており、全体感を知ることがない。だから、アメリカ企業の職務定義書は、下位層になればなるほど、記述が具体的かつ狭くなる。また、道具は奴隷的に使われる。よって、アメリカは神の下の平等を理想としながら、奴隷制を採用してきたという過去がある。神の下で平等なのは、神のように全体感を持って仕事をする者だけである。

 話は戻るが、引用文にある指導層とは、日本の場合、官僚機構を指している。本書の最後には、「日本の官僚制を理解するならば」という興味深い付章があり、日本の官僚制は巨大な権力を持っていながら、意思決定をしない、あるいは先延ばしにするといった特徴があり、その特徴ゆえに日本の強みが保たれている、といった内容が書かれている。本ブログでも何度か書いているように、日本は「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という多重階層構造をほとんど無批判的に受け入れてきた社会である。そして、なぜだかよく解らないが、その方が社会全体が安定する。その理由を探ることは引き続き私の課題である。

2017年05月01日

【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―非営利組織のマネジメントは本当に難しい

このエントリーをはてなブックマークに追加
明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-03

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 動機づけ、とくに知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。周知のように、ボランティアは、まさに報酬を手にしないがゆえに、仕事そのものから満足を得なければならない。何にもまして、挑戦の機会を与えられなければならない。組織の使命を知り、それを最高のものと信じられなければならない。よりよい仕事のための訓練を受けられなければならない。成果を理解できなければならない。
 ドラッカーによると、アメリカは日本よりも非営利組織の数が多い。そして、企業に勤める人の大半は、1週間のうち一定の時間を、非営利組織での仕事に費やしている。ドラッカーは、非営利組織にも企業と同じくマネジメントが必要であると説いた。特に非営利組織の場合は、メンバーの大部分が無報酬のボランティアであるため、組織の明確な使命によって彼らを惹きつけ、やりがいのある仕事によって動機づけなければならないと述べた。

 ただし、ドラッカーの主張には1つの前提があると思う。それは、非営利活動に参加する人々は、本業の仕事において、ある程度の金銭的報酬を得ているということである。その上で彼らは非営利組織に参加し、自分が勤めている企業ではなかなか得られないようなやりがい、満足度、達成感を期待している。だから、非営利組織での仕事がたとえ無報酬であっても、進んで非営利組織やその顧客のために働くことができる。

 ここからは中小企業診断士の話をしたい。診断士の世界にも様々な非営利組織が存在する。中には会員の親睦が目的の組織もあるが、そういう組織はドラッカー風に言えば「成果が組織の内部にある組織」であるから、勝手に運営してくれればよい。問題は、「成果が外部にある非営利組織」である。具体的には、普段は一匹狼で動くことが多い診断士が集まり、組織としての力を発揮して、顧客企業から大きな仕事を獲得することを目的とする非営利組織のことである。

 こういう組織は、ドラッカーの言うボランティアのような動機づけが通用しないと感じる。具体的なコンサルティングの仕事を受注するという時点で、普通の株式会社とほぼ同じである。株式会社との違いは、非営利組織には出資者がおらず、また利益をメンバーに還元することが許されず、利益の全額を新しい投資に回さなければならないという点である。さらに、診断士から構成される非営利組織のメンバーは、ドラッカーが想定する非営利組織とは異なり、非営利組織からの金銭的報酬に生活の一部を依存している。非営利組織から満足な報酬が得られなければ、株式会社とは違って雇用契約で結ばれた関係ではないため、メンバーは組織から離れていく。

 ブログ別館の記事「諸富祥彦『あなたのその苦しみには意味がある』―他者貢献から得られる「承認」は日本人にとって重要な比較不可能な報酬」で、非金銭的報酬としての「承認」を強調したため、私は金銭的報酬を軽視しているのではないかと感じている方がいらっしゃるかもしれないので、ここで少し補足しておきたい。私は決して、金銭的報酬を否定しているわけではない。むしろ必須である。考えてもみてほしい。皆さんがお勤めの企業から「明日から皆さんの給与はゼロです。ただし、魅力的な仕事はあります。だから出勤してください」と言われて、どれほどの人が素直に出勤するだろうか?金銭的報酬の持つ動機づけの力は強力である。ただし、金銭的報酬は評価システムをどのように設計しても不公平感が残る(※)。そこで、承認という非金銭的な報酬によって、その不公平感を無害化しようというのが私の主張である。

 診断士の非営利組織は、会員に相応の報酬を支払わなければならない。報酬を支払うためには、実際にコンサルティングの仕事を取ってこなければならない。ここからは私が知っているある非営利組織の話になるが、コンサルティングの仕事を受注しなければならないことが解っていながら、そもそも組織としての使命がはっきりしていないことが問題になっている。使命がはっきりしていないため、具体的に誰をターゲットとし、どのような価値を提供するのかも決まっていない。提供価値があやふやであるから、実際に提供可能なコンサルティングのメニューも決まっていない。メニューがないのだから、ソリューションの開発計画も存在しない。

 にもかかわらず、この組織のトップは、とにかく「仕事を取ってこい」と発破をかけるばかりである。営業活動の原資は、所属する会員から徴収する年会費であるが、そんなものは所詮微々たるものである。組織の方向性が曖昧な状態で、かつ営業活動はほとんどボランティアに近いとなれば、メンバーのモチベーションも上がるわけがない。当然、仕事も満足に受注できないので、それに焦りを感じた組織のトップは、営業活動の原資を増やすために、会員から徴収する年会費を数倍に一気に引き上げることを検討している。メンバーは、金だけをいいようにこの組織にむしり取られるのではないかと恐れている。さらに、まだ仕事が取れていないというのに、プロジェクトを受注した営業担当者とプロジェクトに関わったメンバーに対して、受注金額の何割を配賦し、組織にいくら残すかという内部の仕組みの話ばかりに議論が集中している。

 一言で言えば、この組織は外部に目を向けていない。本来ならば、組織としてのミッションを固め、どこにコンサルティングの機会がありそうかをまずは探索するべきである。そして、その領域に既に参加している競合他社の能力やサービスを研究するとともに、この組織のメンバーの強みを分析して、この組織が競合他社とどのように差別化を図るのかを決めていく。そして、そのポジショニングを実現するための各種ソリューションをメニュー化して、それぞれのソリューションを形にし、販売するための開発計画と販売計画を立案する。さらに、これらの計画に基づいて収支シミュレーションを行い、持続的な成長が可能な計画になっているかを検証する。同時に、資金繰りについてもシミュレーションをし、当面必要な運転資金を算出する。その運転資金は、メンバーの年会費をあてにするのではなく、金融機関からの借入金でまかなうべきである。

 私が知っている診断士の非営利組織の中には、仕事を受注しているところもある。だが、その仕事の中身を見て愕然とするケースがある。ある非営利組織は、行政から中小企業の経営実態調査を受託した。ある市区町村内の中小企業を診断士が1社ずつ巡回し、20問ぐらいからなるアンケートに答えてもらい、経営者が何か相談したいと言えば診断士がその場で相談に乗り、帰宅後にアンケート結果と相談内容を所定のフォームに入力するという仕事である。まともにやると1社あたり1時間以上は時間がかかる。それなのに、1社あたりのフィーは1,000円程度である。移動時間などを考慮に入れたら、間違いなく最低賃金を下回るはずである。私が最初この話を聞いた時、報酬額は桁が1桁間違っているのではないかと耳を疑った。

 行政は、一般の調査会社に依頼したら、予算を大幅にオーバーすることが解っていたのだろう。その点、診断士の非営利組織に依頼すれば、非営利組織と診断士の間の契約は雇用契約ではなく業務委託契約であるから、最低賃金を下回っていようと問題がないことを見抜いていたに違いない。近年、ブラック企業が社会的問題になっているが、私はこれを「行政によるブラック委託」と名づけたい。この手の問題には、「公契約条例」の導入が1つの解になると考える。

 アメリカには、生活賃金(リビング・ウェイジ)条例という取り組みがある。日本においても、例えば東京都が発注する大量の公共事業について、それを請け負う労働者の最低賃金を公契約条例によって時給1500円と定める、といったことが考えられる。時給1500円ならば、月150時間の労働で22万5000円になる。行政には、「行政が発注する仕事だから安い金額で我慢してほしい」と安易な言い逃れをしないでいただきたい。行政は、自分が発注しようとしている業務がどれくらいの仕事量を必要とするのか?その仕事量に適正な時間単価をかけると、人件費としていくら支払うべきなのか?といった観点から、発注額の適正化をお願いしたいところである。

 以上、診断士の世界の生々しい話をしてしまったが、メンバーに対して報酬を支払うことになっており、その報酬がメンバーの生活費においてある程度重要なウェイトを占めているような非営利組織の場合は、大義や達成感といったあやふやなもので乗り切れると考えてはいけない。一定の金銭的報酬を必要条件とし、その金銭的報酬だけでは満たされない満足感を、仕事自体のやりがいや周囲からの承認によって補うようなマネジメントを行う必要がある。

 (※)金銭的報酬を厳密に計算しようとすると、個人のパフォーマンスが企業の成果とどのように結びついているか、新規事業開発やイノベーションに果敢にも挑戦したが失敗した人に対してどのように報いるべきか、短期的には成果が上がったものの、中長期的には企業の業績を蝕む結果になった場合に、既に支払った報酬をどうすべきか、といった様々な問題が生じる。これらの論点に1つ1つ真面目に答えていくと、報酬制度は複雑怪奇なものにならざるを得ない。

 そこで私は、そもそも金銭的報酬が仕事に対する対価であるという考え方を捨てている。金銭的報酬の第一義的な意味合いは、社員の生活費をカバーすることである。社員が安心して生活し、次の世代を再生産する(=子どもを産み育てる)とともに、前の世代の恩に報いる(=親を介護する)ための資金を供給することである。生活費は年齢とともに上昇する。よって、最善ではないが最も公平に近い賃金制度は年功制であると私は考える(以前の記事「坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社2』―給与・採用に関する2つの提言案(後半)」を参照)。

2016年12月20日

【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―知識労働者の「知識」とは何か?

このエントリーをはてなブックマークに追加
断絶の時代―いま起こっていることの本質断絶の時代―いま起こっていることの本質
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-09

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 ドラッカーは早くから「知識労働者」の登場に注目していた。だが、個人的な印象を述べると、ドラッカーが知識労働者と言う時の「知識」は一体何を意味しているのか、やや判然としない。第一義的には、学校で学ぶ知識のことを指しているようである。
 しかし仕事の基盤となるものは、あくまでも知識である。そこで必要とされるものは、徒弟としての訓練よりも、学校での教育である。生産性を左右するものは、学校で学ぶコンセプトや考え方や理論である。
 この文章を額面通りに受け取れば、学校教育、特に高等教育を受けた人はすぐに知識労働者になれるようにも思える。しかし、これは我々の実感とはあまりにもかけ離れている。実際、ドラッカーは20歳そこそこの若者には大した期待をかけていない。
 この学校教育の延長が、仕事に知識を適用することを必然とした。18歳や20歳まで学校に行ったからといって、大したことは学んでいない。
 ドラッカーは、仕事を長く続けるうちに、必要となる知識の内容が変化するから、新しい知識を学ぶことができるように、学校が継続教育の場になる必要があると説いた。
 知識が仕事に不可欠になった時代にあっては、継続教育、すなわち経験と実績のある成人を何度も学校に帰らせることが必要となる。そしてそのとき、将来必要となるものをすべて学ばせるという今日の学校の意図が意味をなさなくなる。
 では、知識労働者が継続的に学習する必要がある知識とは一体何なのだろうか?私は、3つの次元に分けて考えることができると思う。1つ目は、純然たる専門知識である。システムエンジニア、医師、弁護士、会計士、デザイナー、教師など、その職業に固有の知識である。専門知識については、深く知る必要がある。元東京大学総長である小宮山宏氏によれば、知識とは領域を区切ることと、区切られた領域における原理を明らかにすることである(『知識の構造化』〔オープンナレッジ、2004年〕より)。優れた専門家は、複雑な事象をシンプルな原理で説明することができる。専門知識を深めるとは、扱うことができる現象を広げることと、現象を説明する原理を単純にすることという、相反する要求を両立させることに他ならない。

知識の構造化知識の構造化
小宮山 宏

オープンナレッジ 2004-12-24

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 かつては知識は教養人の飾りであったが、現代の知識は実用的でなければならない。現実世界の具体的な課題に対して解を提示し、成果を上げる必要がある。ここで、先ほど述べたことと矛盾するようだが、現実の問題は単独の専門家による単独の専門知識だけでは解決できないケースが増えている。どんなに専門家が専門知識を深め、説明可能な現象を広げたとしても、社会の問題は常にその現象を上回る広がりを持つ。ドラッカーは次のように述べている。
 今日では、知識とその探究は、専門分野別ではなく、応用分野別に組織されることが多くなった。学際研究が急速に発展している。研究組織も、アフリカ問題、ソ連問題、都市問題など応用分野別となっている。それらの組織には、経済学、精神病理学、農学、美術史にいたる多様な専門分野から人が集められる。今日では、学際研究が、大学に活力を与え、その方向を決めている。
 よって、知識労働者に求められる2つ目の知識は、自分の専門外の分野を理解するための知識である。これは非常に難しい。小宮山氏によれば、ナノテクノロジーという分野1つをとっても、その中は分子機械、ナノ光触媒、ナノカーボンチューブ、量子通信、ナノワイヤ、近接場光、ナノガラス、分子線エピタキシー、ナノダイヤモンド、ナノリソグラフィなど様々な分野に分かれており(『知識の構造化』ではさらにたくさんの分野が列挙されている)、それぞれが単独の専門知識を形成しているという。そして、専門分野が異なると研究者同士で話が通じないということが頻繁に起こる。ナノテクノロジー1つを見てもこんな具合であるから、経済学、精神病理学、農学、美術史の専門家同士の会話がカオス状態になるのは想像に難くない。

 ところが、優れた研究者の中には、専門外の分野の知識をすぐに理解できる人がいる。小宮山氏は「マニア」という言葉を使って次のように述べている。
 マニアは、複雑な人工物を幾つかの原理に分解し、原理間の相互関係を理解するという方法で、その構造を理解しているのである。その結果、マニアは、初めて手にする最新の携帯電話機でも数分でその構造を完全に理解できる。マニアの理解の仕方は知識の構造化であり、人類の希望だ。
 マニアは、専門分野が異なっても、連想、敷衍、援用、関連、創造などの手法を用いて、その分野で通用する基本的な原理を瞬時に見抜く力を持っていると言える。もちろん、その分野の専門家並に精通する必要はない。ベーシックな原理だけを理解できれば十分である。1つ目の知識と2つ目の知識を習得すると、いわゆるT字型の人間になることができる。しかも、T字の縦棒と横棒が長く伸びた、巨大なT字型の人間になれる。

 知識労働者には上記の2種類の知識に加えて、もう1つ知識が必要である。それは、知識労働者が、専門分野を異とする他の知識労働者と協業して成果を上げなければならないことから要請される知識のことである。ドラッカーは次のように述べている。
 学ばなければならない重要なことは、特定の科目ではない。いかにして学ぶかである。個々の技能ではなく、普遍的な能力を身につけること、すなわち技能を手にし、成果を上げ、何ごとかを達成するための基盤としての知識を体系的に習得し、それを適用することである(※太字下線は筆者)。
 端的に言えば、マネジメントのことである。課題解決の対象とすべき領域を定めること、その領域がどのようなサブ領域から構成されているかを見抜くこと、解決すべき課題を設定すること、課題解決に必要な知識労働者を動員すること、チームメンバーが従うべき共通の価値観や行動規範を定めてチームの求心力を高めること、プロジェクト全体のスケジュールと予算を管理すること、メンバーとコミュニケーションを密にし進捗管理をすること、タスクの変更に柔軟に対応しプロジェクトに及ぼす影響を管理すること、チーム内のコンフリクトの解消に尽力すること、などである。これらの知識は、社会学、心理学、組織学、政治学、行動科学、経営工学、ファイナンス理論などの知識を下敷きとしている。よって、第3の知識を習得するには第2の知識が必須となる。

 これらの知識を持つ人材を中長期的に育成するために、大学の変革が必要であるとドラッカーは強く主張している。先ほども述べた通り、大学が継続教育の場となるべきだと言う。ただ、アメリカでは、企業の人事部、特に教育研修部門の力が弱いことを念頭に置く必要があるだろう。それから、アメリカの場合は、一旦企業を離れて大学に戻っても、その後その人を受け入れる企業がちゃんと存在するという事情も考慮しなければならない。日本の場合は、人事部がそれなりに強い力を持って上に、社員が長期間企業を離れることをよしとしない。よって、人事部が主導で、今まで述べてきた3つの知識を有する知識労働者を育成すべきだと考える。

 私も企業に対して教育研修サービスを提供する人間として大いに反省しなければならないのだが、日本の企業研修は極めて場当たり的である。実務でたまたま上手くいったことを全社に展開しようとする。そこには科学性が見られない。だから、教育研修の投資対効果を測定することができない。教育研修には何百万円、時に何千万円とかかるのに、未だに多くの企業では投資対効果を研修終了後の満足度アンケートに頼っている。ビジネス上の成果と教育研修の内容を科学的に結びつけることができていない。その点、大学は科学に強い。よって、人事部(および私)は大学と連携して、研修の科学性を高める努力をしなければならない。

 また、教育研修部門は、研修という狭い世界に閉じこもって、研修運営の専門家になるだけでは物足りない。知識労働者の知識レベルを高め、現場での成果の増大を支援する部門へと変革することが求められる。教育研修部門は現場に出向いて、現場がどのような成果を目指しているのか、その成果を上げるためにはどのような業務を行う必要があるのかを一緒に検討する。そして、その業務を行うためにはどのような知識が要求されるのか、現在の社員にはどんな知識が不足しているのかを分析する。その結果に基づいて、必要な研修をデザインする。

 社員が研修を受けた後、研修で学んだことを現場で実践できるような仕組みを整えることも重要である。まず、必要な知識をいつでも参照できる情報システムを構築する。この点で、教育研修部門は情報システム部門との連携が不可欠となる。研修で使ったテキストが研修後には社員のデスクの奥にしまわれてしまうようなことは避けなければならない。また、社員はどんなに研修でいいことを学んでも、それが現場で評価されなければ絶対に実践しない。そこで、人事制度を変える必要がある。研修で学んだことを現場で実践したら、プラス評価されるような評価体系にする。教育研修部門は、今こそ人事考課部門との垣根を取り払うべきである。


  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like