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【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―知識労働者の「知識」とは何か?
【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ
【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―GMの分権化の特徴、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
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2016年12月20日

【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―知識労働者の「知識」とは何か?

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断絶の時代―いま起こっていることの本質断絶の時代―いま起こっていることの本質
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-09

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 ドラッカーは早くから「知識労働者」の登場に注目していた。だが、個人的な印象を述べると、ドラッカーが知識労働者と言う時の「知識」は一体何を意味しているのか、やや判然としない。第一義的には、学校で学ぶ知識のことを指しているようである。
 しかし仕事の基盤となるものは、あくまでも知識である。そこで必要とされるものは、徒弟としての訓練よりも、学校での教育である。生産性を左右するものは、学校で学ぶコンセプトや考え方や理論である。
 この文章を額面通りに受け取れば、学校教育、特に高等教育を受けた人はすぐに知識労働者になれるようにも思える。しかし、これは我々の実感とはあまりにもかけ離れている。実際、ドラッカーは20歳そこそこの若者には大した期待をかけていない。
 この学校教育の延長が、仕事に知識を適用することを必然とした。18歳や20歳まで学校に行ったからといって、大したことは学んでいない。
 ドラッカーは、仕事を長く続けるうちに、必要となる知識の内容が変化するから、新しい知識を学ぶことができるように、学校が継続教育の場になる必要があると説いた。
 知識が仕事に不可欠になった時代にあっては、継続教育、すなわち経験と実績のある成人を何度も学校に帰らせることが必要となる。そしてそのとき、将来必要となるものをすべて学ばせるという今日の学校の意図が意味をなさなくなる。
 では、知識労働者が継続的に学習する必要がある知識とは一体何なのだろうか?私は、3つの次元に分けて考えることができると思う。1つ目は、純然たる専門知識である。システムエンジニア、医師、弁護士、会計士、デザイナー、教師など、その職業に固有の知識である。専門知識については、深く知る必要がある。元東京大学総長である小宮山宏氏によれば、知識とは領域を区切ることと、区切られた領域における原理を明らかにすることである(『知識の構造化』〔オープンナレッジ、2004年〕より)。優れた専門家は、複雑な事象をシンプルな原理で説明することができる。専門知識を深めるとは、扱うことができる現象を広げることと、現象を説明する原理を単純にすることという、相反する要求を両立させることに他ならない。

知識の構造化知識の構造化
小宮山 宏

オープンナレッジ 2004-12-24

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 かつては知識は教養人の飾りであったが、現代の知識は実用的でなければならない。現実世界の具体的な課題に対して解を提示し、成果を上げる必要がある。ここで、先ほど述べたことと矛盾するようだが、現実の問題は単独の専門家による単独の専門知識だけでは解決できないケースが増えている。どんなに専門家が専門知識を深め、説明可能な現象を広げたとしても、社会の問題は常にその現象を上回る広がりを持つ。ドラッカーは次のように述べている。
 今日では、知識とその探究は、専門分野別ではなく、応用分野別に組織されることが多くなった。学際研究が急速に発展している。研究組織も、アフリカ問題、ソ連問題、都市問題など応用分野別となっている。それらの組織には、経済学、精神病理学、農学、美術史にいたる多様な専門分野から人が集められる。今日では、学際研究が、大学に活力を与え、その方向を決めている。
 よって、知識労働者に求められる2つ目の知識は、自分の専門外の分野を理解するための知識である。これは非常に難しい。小宮山氏によれば、ナノテクノロジーという分野1つをとっても、その中は分子機械、ナノ光触媒、ナノカーボンチューブ、量子通信、ナノワイヤ、近接場光、ナノガラス、分子線エピタキシー、ナノダイヤモンド、ナノリソグラフィなど様々な分野に分かれており(『知識の構造化』ではさらにたくさんの分野が列挙されている)、それぞれが単独の専門知識を形成しているという。そして、専門分野が異なると研究者同士で話が通じないということが頻繁に起こる。ナノテクノロジー1つを見てもこんな具合であるから、経済学、精神病理学、農学、美術史の専門家同士の会話がカオス状態になるのは想像に難くない。

 ところが、優れた研究者の中には、専門外の分野の知識をすぐに理解できる人がいる。小宮山氏は「マニア」という言葉を使って次のように述べている。
 マニアは、複雑な人工物を幾つかの原理に分解し、原理間の相互関係を理解するという方法で、その構造を理解しているのである。その結果、マニアは、初めて手にする最新の携帯電話機でも数分でその構造を完全に理解できる。マニアの理解の仕方は知識の構造化であり、人類の希望だ。
 マニアは、専門分野が異なっても、連想、敷衍、援用、関連、創造などの手法を用いて、その分野で通用する基本的な原理を瞬時に見抜く力を持っていると言える。もちろん、その分野の専門家並に精通する必要はない。ベーシックな原理だけを理解できれば十分である。1つ目の知識と2つ目の知識を習得すると、いわゆるT字型の人間になることができる。しかも、T字の縦棒と横棒が長く伸びた、巨大なT字型の人間になれる。

 知識労働者には上記の2種類の知識に加えて、もう1つ知識が必要である。それは、知識労働者が、専門分野を異とする他の知識労働者と協業して成果を上げなければならないことから要請される知識のことである。ドラッカーは次のように述べている。
 学ばなければならない重要なことは、特定の科目ではない。いかにして学ぶかである。個々の技能ではなく、普遍的な能力を身につけること、すなわち技能を手にし、成果を上げ、何ごとかを達成するための基盤としての知識を体系的に習得し、それを適用することである(※太字下線は筆者)。
 端的に言えば、マネジメントのことである。課題解決の対象とすべき領域を定めること、その領域がどのようなサブ領域から構成されているかを見抜くこと、解決すべき課題を設定すること、課題解決に必要な知識労働者を動員すること、チームメンバーが従うべき共通の価値観や行動規範を定めてチームの求心力を高めること、プロジェクト全体のスケジュールと予算を管理すること、メンバーとコミュニケーションを密にし進捗管理をすること、タスクの変更に柔軟に対応しプロジェクトに及ぼす影響を管理すること、チーム内のコンフリクトの解消に尽力すること、などである。これらの知識は、社会学、心理学、組織学、政治学、行動科学、経営工学、ファイナンス理論などの知識を下敷きとしている。よって、第3の知識を習得するには第2の知識が必須となる。

 これらの知識を持つ人材を中長期的に育成するために、大学の変革が必要であるとドラッカーは強く主張している。先ほども述べた通り、大学が継続教育の場となるべきだと言う。ただ、アメリカでは、企業の人事部、特に教育研修部門の力が弱いことを念頭に置く必要があるだろう。それから、アメリカの場合は、一旦企業を離れて大学に戻っても、その後その人を受け入れる企業がちゃんと存在するという事情も考慮しなければならない。日本の場合は、人事部がそれなりに強い力を持って上に、社員が長期間企業を離れることをよしとしない。よって、人事部が主導で、今まで述べてきた3つの知識を有する知識労働者を育成すべきだと考える。

 私も企業に対して教育研修サービスを提供する人間として大いに反省しなければならないのだが、日本の企業研修は極めて場当たり的である。実務でたまたま上手くいったことを全社に展開しようとする。そこには科学性が見られない。だから、教育研修の投資対効果を測定することができない。教育研修には何百万円、時に何千万円とかかるのに、未だに多くの企業では投資対効果を研修終了後の満足度アンケートに頼っている。ビジネス上の成果と教育研修の内容を科学的に結びつけることができていない。その点、大学は科学に強い。よって、人事部(および私)は大学と連携して、研修の科学性を高める努力をしなければならない。

 また、教育研修部門は、研修という狭い世界に閉じこもって、研修運営の専門家になるだけでは物足りない。知識労働者の知識レベルを高め、現場での成果の増大を支援する部門へと変革することが求められる。教育研修部門は現場に出向いて、現場がどのような成果を目指しているのか、その成果を上げるためにはどのような業務を行う必要があるのかを一緒に検討する。そして、その業務を行うためにはどのような知識が要求されるのか、現在の社員にはどんな知識が不足しているのかを分析する。その結果に基づいて、必要な研修をデザインする。

 社員が研修を受けた後、研修で学んだことを現場で実践できるような仕組みを整えることも重要である。まず、必要な知識をいつでも参照できる情報システムを構築する。この点で、教育研修部門は情報システム部門との連携が不可欠となる。研修で使ったテキストが研修後には社員のデスクの奥にしまわれてしまうようなことは避けなければならない。また、社員はどんなに研修でいいことを学んでも、それが現場で評価されなければ絶対に実践しない。そこで、人事制度を変える必要がある。研修で学んだことを現場で実践したら、プラス評価されるような評価体系にする。教育研修部門は、今こそ人事考課部門との垣根を取り払うべきである。

2016年12月19日

【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ

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断絶の時代―いま起こっていることの本質断絶の時代―いま起こっていることの本質
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-09

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 ドラッカーは20世紀の特徴を「組織社会」の出現としており、組織の多様性を指摘している。
 この半世紀の間に出現したのが新種の多元社会である。17世紀の政治理論が説いた政府だけが唯一の権力であるという社会構造は、もはやありえない。もちろん、企業、労働組合、大学などの組織のいずれかを取り上げ、中心の存在とすることも誤りである。
 17世紀の政治理論は政府を中心として取り上げ、その権力の正統性を追求した。同様に、現代の組織社会においては、組織の権力の正統性が問われることとなる。ドラッカーによれば、組織の正統性は「成果」にある。成果が絞り込まれているほどよいとする。
 今日の組織は、集中することによってのみ成果を上げる。したがって、組織とその経営陣の力の基盤となりうるものは1つしかない。成果である。成果こそが、組織にとって唯一の存在理由である。組織が権限をもち、権力を振るうことを許しうる唯一の理由である。
 すべての組織は、その法的地位や所有権にかかわりなく、特定の目的のための道具にすぎないとする。特定の目的にとって必要である限りにおいて、それらの組織は正統性をもつ。さもなければ、無意味であり、無価値である。形式でなく、機能が組織の行為の正統性を定める。
 組織の多元社会においては、組織に上下関係はなく、政府でさえその地位は相対化される。
 新しい多元社会の組織はそうではない。それぞれがそれぞれ独自の目的をもつ。医療は医療のため、企業は財とサービスの生産のため、大学は知識の増進と教育のため、政府機関は国防のためという、それぞれの目的のために存在する。それらのうち、上下の関係にあるものはない。知識の増進が医療や供給よりも上位にあると考える者はいない。
 これまでの理論では、政府は唯一無二の組織だった。しかし、再民営化のもとにおいては、政府は中心的かつ最高の組織ではあっても、多くの組織のなかの1つの組織にすぎない。
 アメリカの組織は、それぞれが特定の絞り込まれた成果を追求する完結した単位であり、それらが集まってアメリカ社会を形成している。例えるならば、「モザイク画型」の社会である。アメリカはキリスト教の国である。アメリカの組織が特定の目的に集中するのは、それが唯一絶対の神との約束、すなわち契約であり、絶対的に正しいからである。したがって、目的から外れたことを追い求めるのは決して許されることではない。

 一方、日本の場合は、多元社会という点では共通するものの、微妙に違いがあると考える。まず、日本は階層が多重化した方が安定するという特徴がある。日本社会は重層的な階層社会である。階層社会においては、当然のことながら上下関係がある。それを私は今まで本ブログで「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒政府/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」というラフなスケッチで描いてきた。ただし、階層社会とは階級社会のことではない。日本社会は多層的でありながら、階層間を移動するのは比較的容易である。

 日本は多神教の国である。階層社会を構成する全てのプレイヤーに異なる神が宿っている。ところが、アメリカの唯一絶対の神とは異なり、日本の神は完全ではない。よって、アメリカ人のように独り信仰に耽れば神に触れられるわけではない。日本社会を構成するそれぞれのプレイヤーが自分に宿る神の姿を知るためには、異質な神に触れることが効果的である。違いは学習を促進する。違いを手がかりにして、己の本質に迫ることができる。そのため、日本社会のプレイヤーは上下左右に移動する。そして、時には、上下左右に位置するプレイヤーがその目的を達成するのを支援する。だから、日本組織の目的は必ずしも1つに絞られているとは限らない。

日本社会の構造

 階層社会における上下左右の動きをイメージにすると上図のようになる。詳細は以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)」をご参照いただきたい。この図で1つ失敗だったのは、ピラミッドの内部を区切る垂直・水平方向の線を実線で描いてしまったことである。日本組織が上下左右の動きによって、隣接するプレイヤーの目的達成を支援するならば、実線ではなく点線で描くべきだったと思う。あらゆるプレイヤーが隣接するプレイヤーの方にはみ出して動くのが日本社会である。これをアメリカの「モザイク画型」に対応させるならば、「にじみ絵型」と言えるだろう。

企業のサブ目的

 日本企業の上下左右の動きを試験的に描写してみたのが上図である(かなり雑な図であることをお許しいただきたい)。まず、企業を取り巻く各プレイヤーの上下関係について説明する。行政は、財の最適配分や新しい価値の創造を促進する様々な法律を策定し、市場や社会に適用する。市場や社会は、そのルールに従って、企業に対し適切な製品・サービスを提供するよう要求する。企業はその製品・サービスを提供するのに必要な人材を学校や家庭に求める。同時に、事業を遂行する上で必要な資金を株主や金融機関から調達する。

 (アメリカであれば、企業よりも株主を下に配置すれば反発を招くだろう。ところで、金融機関にとって、融資先の企業は顧客に相当する。貸借対照表の貸方を構成するプレイヤーのうち、一方〔金融機関〕が企業よりも下で、もう一方〔株主〕が企業よりも上にくるというのは、個人的には納得できない。そのため、上図では株主も金融機関も企業の下に位置づけている)

 《2017年ン4月12日追記》
 出光佐三『人間尊重七十年』(春秋社、2016年)より、銀行が取るべきスタンス、および銀行と企業の関係に関する記述を引用。
 このごろのように、大衆に金が回って大衆が株主ということになると、その大衆は会社の内容を知ることができないので、悪い会社にだまされるというような場合も起こる。これは危険であるから、銀行がこの大衆の金を預り、そして、貸し出すんじゃなくて、責任を持って投資をするようにしなければならない。それには、いままでの銀行のように、『俺が金を貸してやったからお前が大きくなったのだ』というような、恩きせがましいことはいわずに、大衆にかわって投資するんだから、『どうかこのお金を使ってください』というような態度に出られる。それから、投資を受けるほうも、どこからでもごらんなさいというように、ガラスびんの中に入っておるような、真剣な、まじめな経営をやる。そうして、両々相まって大衆のために、大衆の金を、産業資金に活用するというような方法を講じられたらどうですか。
人間尊重七十年人間尊重七十年
出光 佐三

春秋社 2016-03-08

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 企業の第一義的な目的は、市場や社会のニーズに応える製品・サービスを提供することである(青線)。これに加えて、日本企業は上下左右の動きによって、7つのサブ目的を持つと考える(赤線)。本ブログでは、下の階層が上の階層に対して、下の階層にとどまりながらよりよいアイデアを提案することを、山本七平の言葉を借りて「下剋上」と呼んできた。企業はまず、市場や社会に対して下剋上をすることができる。すなわち、市場や社会が「これがほしい」と言ったことに対して、「市場や社会のことを考えれば、こういう製品・サービスの方が適している」と提案することである。こういう下剋上は、多くの企業で既に実施されているはずである。

 企業には、さらに一段階上の下剋上が求められる。それは、市場や社会の上に位置する行政に対する下剋上である。すなわち、行政が財の最適配分や新価値の創造のために策定したルールに対して、市場や社会においてそれらがもっと効果的に行われるためにはどんなルールが必要なのかを企業側から積極的に提示することである。簡単に言えば、行政を動かし、新しいルールを通じて新市場を創造することである。

 以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などでも書いた通り、日本企業は本来的に、製品・サービスの欠陥が消費者や顧客企業の生命・事業に与える影響が大きい分野に強みがある(簡単に言えば、品質の要求水準が非常に高い分野に強い)。行政は、消費者や顧客企業の生命・事業を守るために、細かいルールを策定している。だが、それらのルールがイノベーションの妨げとなっている場合がある。そこで、企業による下剋上の出番である。企業には高度な政治力が要求される。しかし、これに成功すれば、行政にとっては非常に大きな助けとなる。

 水平方向の動きとしては、異業種企業やNPOなどとのコラボレーションが挙げられる。以前の記事「戦略を立案する7つの視点(アンゾフの成長ベクトルを拡張して)(1)(2)」で、企業は7つの戦略を持つ必要があると書いた。既存顧客に既存製品・サービスを販売するだけでは生き残れない。企業の存続確率を高めるには、戦略を多様化させる必要がある(複数の戦略を同時に実行するためには、ある程度組織の規模が大きくなければならない。だから、私は中小企業に対して、もっと規模を追求せよと常々主張している)。7つの戦略は自社単独では実行することが難しい。そこで、異業種企業と組んだり、時には競合他社と協業したりする必要性が出てくる。

 企業は基本的に経済的ニーズを満たす存在である。しかし、ニーズには社会的な性質を帯びたものがある。今までは、経済的ニーズの担当は企業、社会的ニーズの担当はNPOというふうに、簡単に図式化することができた。しかし、企業とNPOの垣根は今後低くなるだろう。企業は社会的責任を果たすため、あるいは新しい事業機会を獲得するために、社会的ニーズの取り込みを狙う。一方のNPOは、成果を上げるために、企業のマネジメントを必要としている。ここに、企業とNPOの協業の可能性が生まれる。NPOとの協業は、経済的ニーズと社会的ニーズが決して完全に分離しているわけではなく、連続的なものであり、したがって企業でも取り扱うことが可能であることを企業に教える。言い換えれば、企業のフィールドを押し広げてくれる。

 企業は学校や家庭から人材を、株主や金融機関から資金を調達する。その意味で、企業は学校、家庭、株主、金融機関から見れば顧客であり、企業は彼らに向かって、自らの都合で自由にオーダーを出すことができる立場にある。しかし、企業は彼らの上に殿様のようにどっかりと君臨しているだけでは不十分である。山本七平の言葉を借りれば、企業は彼らに対して「下問」しなければならない。下問とは、命令を出す側が、自分が全てを知っているとは限らないという自己認識に基づいて、命令を受ける側の知恵を借りることである。加えて、命令される側が、より効果的に成果を上げることを手助けすることである。

 学校、家庭、株主、金融機関は企業と同様に、それぞれの目的を追求している。企業は彼らに下問し、協力を申し出ることで、彼らの目的達成を支援しなければならない。具体的には、学校に対して「教育の質を高めるためには何ができるか?」、家庭に対して「家族の絆を強化するためには何ができるか?」、株主に対して「よき投資先となるためには何ができるか?」、金融機関に対して「信頼できる借り手となるためには何ができるか?」と問う。企業は自らの事業だけでなく、教育、コミュニティ、ファイナンスに関心を持つ必要がある。

2016年11月29日

【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―GMの分権化の特徴、他

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企業とは何か企業とは何か
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2005-01-29

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 GMの分権化の特徴
 ドラッカーが研究したGMは、典型的な事業部制組織であった。事業部制組織はさらに3つのパターンに分けられる。1つ目は、財務会計、人事、情報システムといった、いわゆるスタッフ機能も全ての事業部制組織に持たせ、本社経営陣の直下には経営企画室ぐらいしかないというパターンである(この事業部制において、それぞれの事業部を自立させると、いわゆる社内カンパニー制になる)。2つ目は、財務会計、人事、情報システムなどをそれぞれの事業部が持つと同時に、本社経営陣の直下にも同じく財務会計、人事、情報システム部門がスタッフ部門としてぶら下がる形である。事業部の中にある人事部の社員は、事業部内の人事部マネジャーに報告すると同時に、スタッフ部門の人事部マネジャーにも報告する義務が生じる。

 3つ目は、本社経営陣の下に、典型的なスタッフ部門だけでなく、調達、製造、物流、営業といったライン機能もぶら下がるという形式である。調達、製造、物流、営業などは、それぞれの事業部と本社経営陣側で重複する。GMが採用していたのがこの方式であった。
 これら製品別の各事業部に加え、本社機能として、生産、技術、販売、研究、人事、財務、広報、法務等、それぞれ担当の副社長に率られるスタッフ部門がある。本社スタッフ部門は、本社経営陣と事業部長に対する補佐役であって、経営政策の策定と事業部間の調整に携わっている。
 本社スタッフ部門は、事業部外の情報を事業部に伝えるとともに、事業部の情報を本社経営陣に伝える。本社経営陣は、事業部の生産、技術、流通、人事についての情報をスタッフ部門に依存する。それらの情報は、本社経営陣と事業部経営陣のチームワーク上重要な意味を持つ。(中略)スタッフ部門が経営政策を定めるわけではない。提案するだけである。採用してもらうためには、本社経営陣と事業部経営陣双方に売り込まなければならない。
 ドラッカーは、GMの経営組織の強みを「分権化」にあるとした。分権化とは、簡単に言うと、事業部制組織において、それぞれの事業部長に大きな権限を与え、本社の経営陣は事業ポートフォリオ管理や組織横断的な組織文化の醸成など、全社的な経営課題に集中するという仕組みである。また、スタッフ部門は、引用文にある通り、事業部に対してサポート機能を果たすにとどまる。GMの事業部制組織は、スタッフ部門にライン機能が含まれる”重たい”事業部制組織であるにもかかわらず、この原則が守られていた。

 分権化が各事業部長への権限移譲であれば、それは事業部制組織の特徴そのものであって、ドラッカーが敢えて分権化と名づけるまでもないはずである。分権化の本質は、本社経営陣から各事業部長への権限移譲ではない。事業部長は課長へと、課長は現場社員へと、組織の下層に対して次々と権限委譲をする点が重要である。本社経営陣は10の権限のうち、9を事業部長に移譲して、手元に1の権限を残す。事業部長は9の権限のうち、7を課長に移譲して、手元に2の権限を残す。課長は7の権限のうち、4を現場社員に移譲して、手元に3の権限を残す。現場社員は4の権限を手にする。つまり、組織の下層に行くほど権限が大きくなり、上層に行くほど責任が大きくなる。換言すると、いわゆる「権限―責任一致の原則」は、分権制では崩れる。

 ドラッカーも、事業部内での権限移譲について、次のように述べている。
 GMの事業部のなかには、事業部内で分権制をとっているものがある。戦時に創設された航空機関係の事業部の1つでは、事業部全体を分権制によって組織している。5つの工場すべてが、それ自体独立した事業部であるかのようにマネジメントされている。(中略)

 しかもこの事業部は、分権制を工場レベルの下のレベルにまで適用していた。工場内の各部門を独立させ、それらの長に全面的な権限を与えた。ただし、経営幹部は全員、頻繁に開かれる会議を通じ、事業部の方針や直面する課題を知らされていた。
 分権化を進めるためには、部下に対して単に「この範囲の仕事を創意工夫を凝らして実施せよ」と告げるだけでは不十分である。引用文にあるように、権限移譲される側は、仕事・組織の全体像は何か?その全体像の中で自分の役割はどのような位置づけにあるのか?を知らされなければならない。その上で、全体像に貢献するために、自分はどのような成果を上げるべきか?その成果はどのような尺度によって測定するのか?を決定する。ただし、成果を上げるための手段については、権限移譲される側の自由に委ねられる。これが分権化の手順である。
 第2の教訓は、人は金のために働くのであり、仕事や製品のために働くのではないとの考えの間違いだった。働く者は、作業、製品、工場、仕事を知り、理解しようとしている。そ粉で工場の経営陣は、社会的見地ではなく効率的見地から、仕事と製品の関係が見えるようにするために知恵を絞った。その結果は効率と生産性だけでなく、士気と満足度の向上だった。
 この事業部では、工場の仕事、空気、音、匂いになれさせるために、新人をすぐ機械に配備した。2、3日してから訓練係が工場付属の射撃場へつれていき、目の前で銃を分解して構造を説明した。そして、その新人がかなり正確に加工した部品をつけて、実際に何発か撃たせた。次に、同じくその新人が雑に加工した部品をつけて撃たせた。こうして部品と性能の関係を納得させた。
 分権化においては、組織はフラット化しない。この点は誤解されがちだが、ドラッカーはきっぱりと、分権化とフラット化は異なると断じている。分権制においてはむしろ、階層構造が維持される。社員は階層を昇りながら、徐々に大きな責任を身につけていく。つまり、徐々にリーダーとしての能力を習得する。リーダーシップとは究極のところ、自分の思い通りには動かない人たちを使って、望ましい成果を上げることである。分権化による組織の階層は、上に昇れば昇るほど自分の思い通りには動かない部下が増える構造であり、リーダーシップを少しずつ練習する格好の場となっている。仮に組織がフラット化すると、事業部長はいきなり自分の思い通りには動かない部下を大勢抱え、大きな責任を背負うことになる。これでは社員が潰れてしまう。

 自由企業体制と集産体制
 私が経済学に疎いこともあって、ドラッカーの経済学を理解するのにはいつも苦労してしまうのだが、本書で論じられているドラッカーの経済学を私なりに整理すると次のようになる。まず、現代社会は産業社会、つまり産業が社会の中心を占める社会である。この点については誰も異論はないだろう。その産業社会を支える体制として、ドラッカーは集産体制と自由企業体制の2つを挙げる。集産体制は、天然資源を中心として、国家の富を増やすことを目的とする。そして、需要が量的に無限大であるのに対し、供給が限定的であるという前提に立つ。

 この場合、限られた供給を上手くコントロールしないと、価格体系が崩壊する(現代でも、石油に関してOPECが行っていることがこれである)。そこで、国家自身が供給のコントロールに乗り出す。したがって、(国家が所有する)企業は自ずと独占的になる。自由競争に供給や価格の調整を委ねるという発想はない。集産体制は将来の見通しが立てやすい経済である。だから、計画経済が成り立つ。ただし、需要が”量的に”無限大ということを前提にしているため、今国民が欲しているものを永遠に生産し続けることを意味する。したがって、国民の生活水準が上がって、将来的に国民のニーズが変化する可能性がある点は全く無視されている。

 もう一方の自由企業体制は、集産体制とは正反対の前提に立つ。まず、自由企業体制の目的は、天然資源ではなく、人的資源を活用して国家の富を増やすことである。さらに、無限なのは需要側ではなく供給側である。その需要は限定的であると同時に、時間によって変質するという特性がある。また、供給側は、土地や設備といった古典的な生産要素ではなく、人的資本すなわち人間の能力に依存しているため、”質的に”無限大である。供給側は人間の能力を鍛え、様々に組み合わせることで、可変的な生産能力を手にすることができる。

 需要側も供給側も変動的であるから、集産体制のように、国家による統制は不可能である。代わりに、需要側と供給側が出会う場として、市場が重要な役割を果たす。市場では、価格が自由に形成される。このことは、消費者である市民が、無限の供給の中から自らの需要に合致したものを選択する自由な存在であることの証となる。国家は供給の統制を放棄しているため、市場には競合他社が現れる。市場が有限で、かつ競合他社が存在するということは、競争を健全に保つ上での企業の適正規模があることを意味する。大きすぎても小さすぎても競争は歪められる。その適正規模を測る指標として、ドラッカーは市場シェアとコストという2つを示している。

 ドラッカーは、自由企業体制を攻撃する人たちは、利益と利潤動機を混同し、かつどちらも悪いものと見なしている点を批判する。まず、利益とは、前回の記事でも書いたように、将来のコストである。企業が持続的に成長・発展し続けるための投資の源泉である。よって、利益とは本来的には企業の手元に残るものではない。次に、利潤動機についてであるが、ドラッカーは利潤動機という個人的な欲求を、社会的な目的へと融合させることができると説いている。利潤動機は、人に対する欲求ではなく、モノに対する欲求である。よって、利潤動機が原因で、圧政という政治的暴力の悲劇が生じることはない。人々が利潤動機を追求すれば、社会の富を豊かにするという社会的目的の達成につながることをドラッカーは期待している。


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