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小林秀雄『考えるヒント(2)』―デカルトは「コモンセンス」の祖か、「全体主義」の祖か?
和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない
島薗進『国家神道と日本人』―「祭政一致」と「政教分離」を両立させた国家神道

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2016年09月07日

小林秀雄『考えるヒント(2)』―デカルトは「コモンセンス」の祖か、「全体主義」の祖か?

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考えるヒント〈2〉 (文春文庫)考えるヒント〈2〉 (文春文庫)
小林 秀雄

文藝春秋 2007-09-04

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 私ごときが小林秀雄の著書についてあれこれ論じる力などからっきしないのだが、敢えて挑戦してみる(『考えるヒント(1)』については、ブログ別館で触れた)。

 中国や韓国からの執拗な歴史問題攻撃に辟易している我々日本人は、歴史というものは客観的に論じられるべきだと考える。客観的という言葉が意味するのは、あらゆる歴史的事実を拾い上げ、誰の目から見ても正しいと言える事実を幅広くつぶさに記録するということである。その事実を目にすれば、どんな人であっても当時の状況や時代背景について正しい認識を持ち、当時を生きた人々の生活や考え方に思いをめぐらせることができる。

 だが、歴史を客観的に把握するのはどうしても無理がある。歴史を研究する際には、当時の歴史的資料にアプローチするか、当事者が存命であれば当事者にインタビューすることとなる。ところで、ある人が歴史的資料を残す際には、必ず動機が存在する。その動機とは、この事件を自分の今後の人生、あるいは自分の後を生きる人々のために記録したいという実益的な動機である。実益的というプラグマティックな言葉が嫌ならば、この事件から意味を導き出したいと言い換えてもよい。つまり、歴史的資料は、それが作成された時点で主観的たらざるを得ない。

 その主観的な歴史的資料を研究する者もまた、主観的であることを逃れられない。歴史を研究するのは、現在直面している、あるいは将来的に直面するかもしれない課題を解決するヒントを求めるためである。したがって、歴史家は、現在という時代の社会風土、価値観や文化という枠組みの中で、歴史的資料を実用的に取捨選択する。歴史は決して不変ではなく、歴史家によって都度再構築されるのである。E・H・カーは、「歴史とは歴史家と彼が見だした事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」という名言を残している(E・H・カーについては、以前の記事「E・H・カー『歴史とは何か』―日本の歴史教科書は偏った価値がだいぶ抜けたが、その代わりに無味乾燥になった」を参照)。

 存命者に聞き取りをする場合にも注意が必要である。人は、過去の記憶を何度も聞かれると、記憶を都合よく変更することがある(旧ブログの記事「「よかれと思ってやったのに・・・」というマネジメントのパラドクス集(その6~7)」を参照)。ただ、これはさほど重要な問題ではない。もっと深刻なのは、存命者が体験した事件が悲劇的であるほど、歴史家は存命者と事実を共有できず、分有にとどまるという点である(以前の記事「岡真理『記憶/物語』―本当に悲惨な記憶は物語として<共有>できず<分有>するのみ」を参照)。だから、本当の事実は永遠に明らかにならない。歴史家は、断片的な情報、断片的に存命者と共有した感情で満足するしかない。

 2015年12月28日、日本と韓国は日本軍の従軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に決着させるということで合意した。慰安婦問題は、客観的事実をいくら探ろうとしても無理である。これは双方が政治的意図を持って歴史を操作するためでもあるが、歴史に伴う上記のような制約があるからだ。したがって、この問題を前進させるためには、過去に対する詮索を一旦止めて、双方が未来志向になるしかなかった。左派は、未来に進むためには過去を知らなければならないと言うが(以前の記事「『テレビに未来はあるか(『世界』2016年5月号)』―北朝鮮に関して報道されない不都合な真実(推測)、他」を参照)、順番が丸っきり逆である。まずは未来の構想が先である。その後でようやく、構想された未来の側から歴史を照射することができるに過ぎない。

 ここからようやく本書の内容に入る。本書の中で小林は、江戸時代の歴史学者を何人か紹介している。まず、「私学の祖」として、中江藤樹の名前を挙げている。中江藤樹の弟子である熊沢蕃山は、「天地の間に己一人で生きてあると思ふべし」という心境で原典と向き合ったという。山鹿素行は、本当に歴史学を知りたければ、訓詁注釈のような補助概念に頼るなと言って、原典を徹底的に読み込むことを推奨した。こういう姿勢を、小林は「心法」、「心学」と呼ぶ。

 とはいえ、彼らは決して、自分勝手に、個性的に古典を読んだわけではない。むしろ、私心や邪心を離れ、無私の心境で読書を行った。一方で、彼らは自分の考えが全ての人にあてはまるなどとは微塵も考えていない。そんなことを目論見れば、容易に全体主義に陥る。彼らが読書を通じて目指したのは、「自分が生身の肉体で他者と関わる範囲でのよき生き方を知ること」であった。リアルで熱量のある人間関係をいかによいものにするか、ということが彼らの主眼であったわけだ。これは、前述の歴史家の態度と共通するところがある。

 そういう意味では、彼らの合理性は限定されている。だから、ある人にとって合理的なことが、別の人にとっては非合理であることも十分にあり得る。だからと言って、その非合理性を排除することは許されない。それは全体主義のやることである。お互いに相手が非合理だと見える状況に直面した時、両者は決して逃げてはならない。両者の非合理の間で落としどころを見つける努力をしなければならない。これが人間社会の伝統である。だから、右派の理論は理論としては決して美しくない。こういう泥臭さに耐えられない人は、理論的に完璧で美しい左派に流れていくこととなる(以前の記事「『共産主義者は眠らせない/先制攻撃を可能にする(『正論』2016年5月号)』―保守のオヤジ臭さに耐えられない若者が心配だ、他」を参照)。

 江戸時代の歴史学者は古典をよく読んだが、決して書斎にただ独り閉じこもって物思いにふけっていたわけではない。彼らは皆自分の塾を持ち、多くの弟子を抱え、弟子との対話からも学んだ。荻生徂徠は、天と人、人と人との出会いが実であると述べている。彼らは独りになることもできるし、弟子をはじめとする様々な人とも対話ができる空間を持っていたと考えられる。これを「半オープンスペース」と名づけることができるだろう。

 話はやや逸れるが、この伝統は現代の日本にも生きている。日本企業では、部長クラスぐらいまでは部下と同じフロアで机を並べて仕事をする。部長は一人で物事を考えることもあれば、部下からの相談に乗ることもある。つまり、半オープンスペースである。一方、欧米企業では、マネジャークラスになると個室が与えられる。欧米企業が社内のコミュニケーションを円滑にするために、個室を廃止し、オープンスペース(大部屋方式)を取り入れると、日本人は「さすが欧米企業は進んでいる」と感嘆する。しかし、オープンスペースで進んでいるのは日本企業の方である。

 本書の最後には「常識について」という章があり、常識=コモンセンスの祖としてデカルトの名前が挙げられている。私自身は、以前の記事「斎藤慶典『デカルト―「われ思う」のは誰か』―デカルトに「全体主義」の香りを感じる」で書いた通り、デカルトを全体主義の祖だと思っている。

 以前の記事の中で、デカルトの有名な言葉「われ思う、ゆえにわれ在り」にある「われ」とは、特定の個人を指していないと書いた。そもそも、デカルトがこの言葉を残したのは、あらゆる物事、事象を疑った結果、私が疑っているという事実だけは確かであると思い至ったからであった。しかし、私があなたと同じように疑っているかどうかは、実は疑わしい。本当に確かなのは、私もあなたも「思っている」ということ、その1点のみである。この時点で、私とかあなたといった個体の区別は意味を失う。「思っているということ」という意識のみが全体を覆い尽くす。

 さらに言えば、時間の流れも止まる。「現在、思っているということ」が重要になるわけだから、過去や未来という区分は無価値となる。デカルトが『方法序説』を発表した時、「日常生活の中で、自分に何も足さず、自分から何も引かない」と書いた。つまり、「現在」における自分こそが全てとされる。さらに、「ある人には有益であり、誰にも無害であること、そして全ての人々が私の率直さは認めてくれることを願う」とある。小林はデカルトが謙遜している箇所だと指摘しているものの、私には、デカルトは自分の考えが万人にも通用すると自信を持っているように見える。現在という1点のみが絶対であり、個体差が意味を失い、共通の意識が人間全体を支配する。これはまさに、後の全体主義の礎となった考え方ではないかと思う。

 ただし、小林はデカルトを「コモンセンス(常識)」の祖と見なし、デカルトを擁護する。常識とは、言い換えれば、日常生活をよりよくするための知恵である。そこには、人間関係とは本来的に煩わしくて非合理なものだという前提があり、さらに過去から現在、未来へと流れる時間を想定している。小林は、デカルトが「原理」と「格率」という2つの言葉を用いている点に注目する。

 「原理」とは、普遍数学に基づいて探究される真理のことである。これに対して、「格率」の考えに従うと、一度選んだ以上、それを選んだ理由を最上とせよ、ということになる。これは、以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人」で触れた蘇軾の『正統論』に通じるところがある。人間は、他に合理的な選択肢があったかもしれないのに、敢えて別の選択肢を選ぶことがある。そして、一度それを選んだ以上は、それが最も正統であると事後的に意味づけせよというわけだ。

 ここにおいて、「現在、思っているということ」という全体主義は矛盾を抱えることになる。「格率」は明らかに、人間の合理性が限定されていることを認めている。また、事後的に意味づけを行うということは、時間の流れを念頭に置いている。デカルトは『方法序説』の中で、「制限された人間にふさわしい完全性」を目指すべきだと書いている。また、最後には「私たちは、私たちの本性の弱さを承認しなければならない」とも述べている。このようにはっきり書かれてしまうと、「デカルト=全体主義の祖」派である私も、ちょっと考えを見直さなければならなくなる。

 「原理」は完全な合理性に基づき、「格率」は不完全な合理性に基づくと考えれば、「原理」と「格率」は二項対立の関係にある。以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる」などで下図を用いてきたが、全体主義は右上の象限に位置する。しかし、全体主義はあまりに破壊的で傲慢であるため、人間は自らの非合理性を許容するようになった。その際に導入したのが二項対立である。これによって、右上の象限から右下の象限に移動することができた(詳細は「飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1/2)」を参照)。

神・人間の完全性・不完全性

 現在、いわゆる大国と呼ばれる国、具体的にはアメリカ、ロシア、ドイツ、中国は皆、右下の象限に属すると私は考えている(実のところ、ロシアと中国、特に中国に関しては、右下ではなく依然として右上の象限にとどまっているのではという疑念がないわけではないが)。デカルトは全体主義の祖であるものの、全体主義から逃れることのできる道も用意していたと考えるのが穏当なのかもしれない。もっとも、全体主義から逃れたからと言っても、二項対立は大国間の深刻な対立をもたらし、世界に強い緊張を強いている点、そして少なからぬ小国が大国の対立に巻き込まれて大きな被害を受けている点は見逃すことができない。

2016年06月20日

和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない

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日本倫理思想史(一) (岩波文庫)日本倫理思想史(一) (岩波文庫)
和辻 哲郎

岩波書店 2011-04-16

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 キリスト教圏(とくにアメリカ)では、唯一絶対の神と個の人間が直線的に結ばれるのが理想である。他方、日本の場合は神と個人の間に様々な階層が介在し、全体として社会を安定させていると本ブログでは何度か書いてきた。非常に大雑把な整理であるが、日本においては「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という階層構造が成り立つ(昔の参考記事の中には、矢印が右向きではなく左向きになっているものもあるが、上の階層から下の階層への命令・情報の流れを考慮すると、右向きの矢印が正しい)。

 《参考記事》
 加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―「全体主義」と「民主主義」の間の「権威主義」ももっと評価すべきではないか?
 渋沢栄一、竹内均『渋沢栄一「論語」の読み方』―階層を増やそうとする日本、減らそうとするアメリカ
 竹内洋『社会学の名著30』―「内部指向型」のアメリカ、「他人指向型」の日本、他
 『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他
 『コーポレートガバナンス(DHBR2016年3月号)』―長期志向であるためには短期志向でなければならない、他

 まず、神は天皇に対し、理想の国家を運営するよう命じる。天皇はその命を受けて、理想の国家にふさわしい理想の国民像を明らかにし、その実現を動機づけるルールを策定するよう立法府に命じる。立法府はその命を受けて法律を策定し、行政府に対して法律の運用を命ずる。行政府は市場/社会の成員に対し、策定された法律の枠内で、理想的な国民として振る舞うように命ずる。市場/社会の成員は、理想的な国民として生きる上で必要な製品・サービスを企業/NPOに要求する。企業/NPOは、その製品・サービスを提供する際に必要不可欠な人材を育成するよう、学校に命ずる。学校は、教育が滞りなく行われるよう、家族に対し子どもを健全な状態で学校に送り込むことを要請する。家族は、個人に自らの健康を維持するよう要求する。

 これは大まかな整理であって、実態はもっと複雑である。例えば、市場/社会は、その中で人々が倫理的・道徳的な国民として行動するよう、学校に対して適切な教育を要求する。企業/NPOは、その業務を円滑に遂行するために、家族に対して健康な社員や会員を企業/NPOに送り込むように要求する。こう書くと、憲法の国民主権とは全く違うとか、市場は自由主義であって行政の求めに応じて顧客が動くわけではないとか、学校は企業に仕える僕ではないといった様々な異論が出るだろう。しかし、日本の歴史を振り返ると、「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という構造の方が私は腑に落ちる。

 さて、ここから本書の内容に入るわけだが、和辻哲郎によれば、神と天皇の世界もまたいくつかの階層に分かれているのだという。
 以上によってわれわれは、神の意義のうちに3つの層を分かつことができる。一、天皇は天つ神の御子として神聖な権威を担っている神である。二、この神聖な権威の背後には皇祖神、天つ神としての神がある。それは天皇の尊貴性の根源である。三、雨の神、風の神のような自然を支配する神がある。
 天皇は天つ神の命令に従う。だから、天皇は自ら神として祀られると同時に、神を祀る存在でもある。しかし、天皇が祀るこの天つ神には1つ面白い特徴がある。それは、その正体が最初から明らかなのではなく、命令する段階になって初めて名前が判明するということである。
 この物語において注目すべきことは、神の命令によってかかる大事が決せられるのであるにかかわらず、その神が必ずしも皇祖神のみでなく、ここで初めて名の顕われるような神々だということである。しかもそれが何神の命であるかといいうことは、きくまではわからない。従って最初神の命令の発せられる時には、不定の神々の命令として人間に与えられる。
 端的に言ってしまえば、天皇はぼんやりと神の命令を聞いていることになる。「誰に言われたのかよく解らないが、何となく上からやれと言われたからやっている」という状態は、読者の皆様も勤め先などで経験したことがあると思う。この日本特有の命令系統の曖昧さの原点を、ここに見出すことができるような気がする。さて、前述のように神が3階層に分かれるだけでなく、天つ神の中もまた階層化している。すなわち、天つ神の間にも上下関係がある。では、最上位に立つ天つ神はどのように振る舞うのであろうか?和辻は次のように指摘する。
 イザナギ・イザナミの二神は、最初の国土創造に失敗したとき、天つ神の所に帰ってそれを報告し、再び天つ神の命を請うた。その時天つ神たちは、いかなる仕方で命令を与えたか。驚くべきことに彼らは、「フトマニにうらないて」指令を与えたのである。

 占卜によって知られるのは不定の神の意志であるが、天つ神にとっての不定の神とは何であるか。天つ神の背後にはもう神々はいない。しかもこれらの神々がなお占卜を用いるとすれば、この神々の背後になお何かがなくてはならぬ。それは神ではなくしていわば不定そのものである。すなわち、最後の天つ神たちさえも不定者の現われる通路であって究極者ではない。
 最上位の天つ神さえ、何者かよく解らないものの命令を聞いているのである。これを拡張すれば、その何者かよく解らないものもまた、おそらくさらに上位に位置するもっと何者かよく解らないものの命令を聞いているに違いない。つまり、日本の階層構造を上方へずっとたどって行っても、頂点は一向に見えない。一神教の世界であれば、頂点に立つのは神である。人間など自然界のあらゆる事物は、何者かを原因としそこから生まれる。その原因をずっとたどって行くと、最後は神に行き着く。その神だけは唯一、自分自身を原因として、無から有を創造することができる。だから、神は絶対無である。これが、西欧における神学の常識である。

 しかし、日本の場合、神は決して絶対無ではない。「あるのかないのか解らない」のである。この違いは非常に大きい。この「あるのかないのか解らない」という存在に、どのような名前をつければよいのか、今の私にはいい案が思い浮かばない。
 究極者は一切の有るところの神々の根源でありつつ、それ自身いかなる神でもない。言い換えれば、神々の根源は決して神として有るものにはならないところのもの、すなわち神聖なる「無」である。それは根源的な一者を対象的に把捉しなかったということを意味する。(中略)

 絶対者を一定の神として対象化することは、実は絶対者を限定することにほかならない。それに反して絶対者を無限に流動する神聖性の母胎としてあくまでも無限定にとどめたところに、原始人の率直な、私のない、天皇の大きさがある。
 起点が不定である、神聖な無であるということは、そこからありとあらゆるものが生じる可能性を秘めていることでもある。すなわち、日本という国は国の成り立ちからして、多様性を受け入れる器を持っていたと言える。もちろん、ミクロレベルで見れば宗教的な対立もあったものの、歴史全体を通して見ると、日本は総じて他の宗教に対して寛容であった。しばしば、日本は「単一民族のモノカルチャーの国」と言われるが、私はこの説には与しない(そもそも、日本は単一民族の国ではないし、単一民族として多くの人々が想像する日本人は、DNAを解析すると様々な人種が組み合わさった雑種であることが解っている)。

 多様性を受け入れるためには、異質な他者と共存を図らなければならない。異質な他者と出会うたびに戦闘を繰り返しているようでは、さすがに我が身が持たないであろう。和辻は、古代の日本における戦争について、ある特徴を見出している。
 しかるに記紀の物語る征服戦争は、多くの場合、敵の服従によって終わるものである。しかも、服従した敵は奴隷とせられるのではない。これをバビロニアやアッシリアのあの残虐をきわめた戦争と比較すれば、いうまでもないことであるが、ギリシアの古伝説に見られる殲滅戦争と比較してさえも、その特徴はきわめて明白であろう。従ってここには深刻な敵対感情や残虐な復讐は語られていない。
 出雲の国譲りが極めて平和的になされたことは有名である。当時の大和朝廷と出雲国の関係は、西洋であれば戦闘が起きても全く不思議ではない状態であった。ところが、出雲国からは武器が出土しておらず、記紀にも戦闘に関する記述はない。当時最強であった出雲国の併合でさえ”話し合い”によって行われたわけであるから、それよりも小国に対しては武力を用いる必要など全くなかった。日本という国は、各国の協議によって何となくでき上がったという、極めて不思議な国である(以前の記事「 竹田恒泰『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』―よくも悪くも「何となく、何とかしてしまう」のが日本人」を参照)。

製品・サービスの4分類(修正)

 またこの図を使うことをご容赦いただきたい(図の説明は、以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などを参照。繰り返しになるが、この図は未完成である)。

 アメリカ企業は左上の象限に強い。一方、日本企業が強いのは右下の象限であり、また左下の象限にも多くの企業が属する。左上の象限では、イノベーターが競合他社を徹底的に攻撃し、世界市場の制圧を目指す。これに対して、左下の象限では様々な業態の企業が手を組み、相乗効果で魅力を上げるという戦略がしばしば採用される。百貨店や商店街などはその典型である。最近は、ユニクロがビックカメラやニトリとコラボした店舗を出すなど、異業種の大企業同士の連携も見られる。また、例えばラーメン街のように、敢えて競合他社同士が密集するケースもある。各店舗が腕を競い合えば、結果的に顧客への価値が高まり、集客効果も期待できる。

 日本企業が強い右下の象限では、競合他社はライバルであると同時に、共同開発の重要なパートナーであることが多い。自動車業界はそれが顕著であり、各メーカーの関係を図示することが難しいぐらい、関係が複雑である。中小製造業は、それぞれ違う親会社向けに仕事をしていながら、稼働率を平準化するためにお互いに仕事を融通し合ったり、技術不足で悩んでいる他社に社員を派遣して仕事を手伝ったりすることがある。まだ十分に調べ切れていないが、右下の他の業界でも、競合他社同士の連携が見られるのではないかという仮説を持っている。

 以上のように、日本では異質(それが自分と競合する相手であっても)に対して寛容である。その起源は、和辻が指摘するように、記紀に求められるのかもしれない。もちろん、日本でも戦国時代はあったし、村八分のような排他的な行動があることは承知している。この点も含めて、全体としてどのように整合の取れた説明をするべきなのかは、私にとって今後の課題である。

 何となく上の階層からの命令に従い、異質の他者とも何となく共存している間は、日本は安泰である。ところが、階層構造に頂点を見出し、それを絶対視するようになると、日本は危ない。別の言い方をすれば、天皇を絶対視するようになると、赤に近い黄色信号が点る。そもそも日本という社会は、「私」を排除し「公」を尊重する社会であったと和辻は分析している。
 従って中央政府の官僚組織が不備である間は、かかる地位にある大臣大連の「私」が行なわれやすい。しかし臣連たちはこの種の政治上の「私」に対して非常に敏感であった。そこでこの弊を取り除くために、この種の「私」の根源である私有地私有民の廃止が要望されざるを得なかったのである。
 古代から長い時間を経て、徐々に「私」の領域が確保されてきたわけであるが、太平洋戦争の際には「公」が「私」を食いつぶしてしまった。いや、正確に言えば、「私」は「公」と等しいものとして「公」に包摂された。天皇を絶対視し、「公」=「私」となると、天皇=「公」=「私」という図式が成り立つ。すなわち、日本国民は皆等しく絶対的な存在となる。これはまさしく全体主義に他ならない。その結果が天皇万歳、一億総玉砕であった。

 その反省から、戦後は「私」が重視された。特に教育現場ではそれが顕著であったが、最近は行き過ぎた個人主義の弊害が指摘されている。欧米のような二項対立論ではなく、二項”混合”論を主張する私は、「私」の領域にもう一度「公」を取り入れる必要があると考えている。具体的には、家庭では道徳や倫理をしっかりと教育する、企業は経済的なニーズだけでなく社会的なニーズにも応えていく(今後日本で急増する高齢者が不自由なく生活するための製品・サービスを開発する、必需品が足りていない新興国で事業展開するなど)、といった具合である。

 公私混同という言葉には悪いイメージがあるが、批判されるのは「公」に「私」を持ち込むことである。逆に、「私」に「公」を持ち込む公私混同は、今後もっと推奨されるべきではなかろうか?

2016年01月13日

島薗進『国家神道と日本人』―「祭政一致」と「政教分離」を両立させた国家神道

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国家神道と日本人 (岩波新書)国家神道と日本人 (岩波新書)
島薗 進

岩波書店 2010-07-22

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 著者は国家神道の構成要素について、村上重良の見解を紹介している。村上は、国家神道は①皇室神道、②神社神道、③国体の教義という3つからなるとした。①皇室神道とは皇室祭祀のことであり、天皇が自ら祭祀を執り行うことを指す。皇室祭祀は日本の伝統であるが、明治時代に入ると大幅な拡充が施されたという。皇室祭祀=天皇が神に祈るという行為の意味を広く国民に浸透させるために企図されたのが、②の神社神道である。明治維新後、伊勢神宮と宮中三殿を頂点として、全国の神社を一元的に統合し、組織化する変革が進んだ。

 天皇が神に祈る意味を説明するのが、③の国体の教義である。国体とは、本書で紹介されている辻本雅史の定義に従えば、「日本の自国認識に関する思想で、とりわけ万世一系の天皇統治を根拠にして、日本の伝統的特殊性と優越性を唱える思想」である。江戸時代から国学者が主張してきた国体論は、明治維新後に研究が加速した。こうして、明治時代に入って①皇室神道、②神社神道、③国体の教義の3つが揃い、国家神道が確立された。さらに、明治国家は教育やメディアを通じて国家神道を広く国民に紹介し、また国民の祝日に神道祭祀を行うなどして、国民に対して国家神道を強く意識させることに成功した。

 戦後、GHQは「神道指令(国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件)」を出し、国家神道を解体させたとされる。ところが、神道指令が命じたのは神社神道の解体のみであり、皇室神道は残った。したがって、国家神道は現在も生きているというのが著者の見立てである。さらに著者は、神道の研究者が国家神道と言う場合に、神社神道のみを対象としていることが多く、研究範囲が不当に狭められていると苦言を呈している。

 国家神道だけを見れば、「祭政一致」であり神道の絶対化のように見える。ところが、興味深いことに、明治時代の人々は、私的領域において国家神道とは別に、仏教などの既存宗教や、キリスト教などの新しい宗教を信仰する自由が許されていた(キリスト教は幕末から禁教扱いされていたものの、1873年にキリシタン禁制の高札が撤去され、1889年の「大日本帝国憲法」によって信教の自由が保障された)。つまり、「政教分離」が実現されていたわけだ。国家神道側も、自らは宗教ではなく祭祀であるというスタンスを示すことで、他の世俗宗教との共存を可能にした。
 国家神道は「公」の国家的秩序について堅固な言説や儀礼体系をもっているが、「私」の領域での倫理や死生観という点については言葉や実践の資源をあまりもちあわせていない。また、「公」の領域でも、西洋由来の思想や制度のシステムを借りなくては、存在しえないものだった。そこで日本文化の特徴を自覚的に考える人たちにとっては、国家神道と諸宗教や近代の思想・制度が支え合うことによってこそ、ある種の多様性を抱え込んだゆるやかな調和が成り立つ、そこに多神教的な日本文化の利点がある、と感じられる。日本の国体が美しいとされる一つの理由である。
 短絡的な発想になってしまうかもしれないが、「祭政一致」と「政教分離」を両立させる、「公」と「私」を両立させるのは、日本人が苦手とする「二項対立」の先鋭化を回避して、日本人が安定状態を保つことのできる「二項混合」に持ち込む優れた技のように思える。

《参考記事》
 山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない
 安田元久監修『歴史教育と歴史学』―二項対立を乗り越える日本人の知恵
 加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―日本の政治は2大政党制よりも多党制がいいと思う
 齋藤純一『公共性』―二項「対立」のアメリカ、二項「混合」の日本
 武田修三郎『デミングの組織論―「関係知」時代の幕開け』―日米はともにもう一度苦境に陥るかもしれない
 義江彰夫『神仏習合』―神仏習合は日本的な二項「混合」の象徴
 『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』

 西欧人などは二項対立的な把握をしても、自らを滅ぼすことはない。むしろ、二項対立的な把握こそ正常な認識とされる。だから、二大政党制が成り立つし、ディベートのような文化が育つ。欧米流の企業経営では、ターゲット顧客を絞り込むことがよしとされる。言い換えれば、自社が切り捨てて競合他社に明け渡してもよいという顧客層を明確にする。昔、シティバンクの戦略を勉強した時に、シティバンクは低所得者から口座維持費を徴収すると聞いてカルチャーショックを受けたことがある。つまり、シティバンクは富裕層しか相手にしないというメッセージを発しているわけだ。幅広い顧客に対して総合戦略をとる日本企業には考えられないことである。

 シティバンクが低所得者層を切り捨てれば、今度は切り捨てられた低所得者をターゲットとする別の金融機関が生まれて、シティバンクと激しい競争を繰り広げるに違いない。そうなると解っていても、シティバンクは低所得者層を切り捨てる。ライバルとの激しい競争は是とされる。いや、強いライバルがいるからこそ、自社の存立理由が明確になるというものだ。例えばコカ・コーラに対してはペプシコがいる。コカ・コーラにとってペプシコは100年戦争を戦った憎き敵である。だからと言って、ペプシコがいなくなっては、コカ・コーラとしては困るのだ。

 日本企業はと言うと、競合他社と正面衝突することはできるだけ避けようとする。競合他社と競争しているようで、実は公然と様々な協力関係を結んでいることも珍しくない。そういう協業を促進しているのが、日本に特有の業界団体という存在である。同じ業界にいる企業は、お互いの手の内がよく解っている。だから、どの企業も似たような製品・サービスになる。業界を監督する行政の側もそのことがよく解っているので、護送船団方式によって業界全体を保護しようとする。アメリカではトップの2大企業が激しく競争するのに対し、日本では中規模の企業が多数乱立して、同じような顧客に対し、同じような製品・サービスを提供している。

 ここで注意が必要なのは、二項対立と二項混合は非常に近い関係にある、ということだ。二項混合は油断するとすぐに二項対立になる。日本のメディアは善悪二元論が大好きで、それに影響された少なからぬ日本人は、アメリカ=善玉、中国=悪玉ととらえている。ところが、二項対立的把握に慣れていない日本人がこのまま善悪二元論に従い続けると、悲惨な結末が待っているかもしれない。具体的には、悪玉の中国を叩き潰そうと攻撃するか、一周回ってアメリカを裏切り、中国に土下座するかのどちらかである(以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」を参照)。

 上記の引用文で、明治時代の日本では「公」と「私」が共存していたことを示した。だが、徐々に「公」が「私」を侵食し、ついに滅私奉公に至ったのが太平洋戦争であった。戦後は逆に、「私」が「公」を侵食している。最近では、アメリカ式の行きすぎた自由主義に対する批判の声も上がっている。だからといって、今の日本に必要なのは、再び「公」を取り戻すことではない。むしろ「公でもあり私でもある」という空間を創造することである。これは政治学にとって新しい挑戦である。

 日本人は時にたぐいまれな優秀さを発揮して、二項混合状態を自然と作り上げてしまうことがある。今回の記事で紹介した国家神道もその一例かもしれない。ところが、多くの場合は、意識的に二項混合へと持ち込む必要がある。そして、二項を混合させるには、まずは一旦二項を分けなければならない。この過程で二項対立に陥るリスクが生じる。米中に挟まれた日本は、アメリカ的な価値観や制度に、中国の政治・経済の果実を接合させることが必要だ。だが、学習の途中で米中二項対立が先鋭化し、今以上に反中のムードが高まる危険性がある。


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