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【ベンチャー失敗の教訓(第50回終)】会社の借金を管理職に背負わせて人生を狂わせたY社
【ベンチャー失敗の教訓(第49回)】大幅な債務超過なのに減資もDES(デット・エクイティ・スワップ)もできない
【ベンチャー失敗の教訓(第48回)】Webで公開されている失敗事例通りに失敗した産学連携プロジェクト

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2014年03月27日

【ベンチャー失敗の教訓(第50回終)】会社の借金を管理職に背負わせて人生を狂わせたY社


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 以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第11回)】シナジーを発揮しない・できない3社」でも述べたが、3社はグループ企業でありながら、独立独歩の状態であった(もっとも、戦略やビジネスモデルが脆弱で、独歩できていなかったが)。特に、Y社と他の2社との関係は希薄であり、X社にいた私も、Z社と一緒に仕事をしたことはあるものの、Y社と仕事をしたことはついになかった。そのため、今回のシリーズでも、Y社に関する記述・分析が少なくなっている点はご容赦いただきたい。ただ、Y社の末路については、関係者からいろいろと話を聞いている。

 Y社の資本金の大部分を出資していたのは、Z社のC社長であった。ただ、自分は代表取締役にならず、Y社長を代表取締役に立てて、C社長自身は取締役のポストに収まっていた。ところが、Y社の人材紹介事業は、一向に軌道に乗る気配がなかった。

 Y社の事業は、自社をプラットフォームとして、求職者と求人企業という2種類の顧客ネットワークを構築する事業である。この手のビジネスは、ネットワークの拡大に伴って飛躍的にビジネスが拡大する。つまり、求職者が増えれば、「あの人材紹介会社に登録している人が多いから」という理由で新たに求職者が増えるとともに、求職者のプールに魅力を感じる求人企業も増加する。同様にして、求人企業が増えれば、「あの人材紹介会社を使っている企業が多いから」という理由で新たに求人企業が増えるとともに、求人企業の多さに魅力を感じる求職者も増加する。

 しかし、裏を返せば、求人企業や求職者が少ない状態では、ネットワークが全く魅力を持たず、ビジネスとして成立しないという難しさがある。普通の企業が普通に顧客を開拓するのでも大変なのに、Y社は2種類の顧客を同時に開拓しなければならないという”ハンデ”を背負っていた。そのハンデを克服する決定策をY社は打ち出せず、ずるずると累積赤字を積み重ねていた。

 債務超過になりそうになると、C社長が私財を突っ込んで増資を行った。増資も限界になると(増資は手続きが面倒であり、体力のないベンチャー企業が何度も繰り返せるものではない)、C社長がY社に貸し付けを行うようになった。その正確な額は解らないが、Y社の毎年の赤字額から推測するに、5,000万円は超えていたと思う。

 大株主であるC社長は、Y社の社員にもっと危機感を持ってもらうために、マネジャー4人を取締役にするという手に出た。ところが、C社長はY社の業績回復を願っているわけではなかった。この時点で、C社長はY社の事業を見限っているようであった。マネジャーの取締役昇格は、表向きはマネジャーを経営に参画させるという口実で行われたが、実際には経営責任を4人に転嫁するためのものであった。

 4人が取締役に昇格してまもなく、C社長は次のように言った。「Y社の業績は悲惨だ。私は今まで多額のお金をY社に貸し付けてきたが、返済の見込みがない。Y社が私から借金をすることになったのは、君たち4人が現場で実績を上げられなかったためだ。よって、私の借金の責任は君たちにある。だから、私がY社に貸したお金は、君たちから返してもらいたい」 要するに、C社長に対するY社の債務を、Y社ではなく4人に弁済させようというわけである。

 5,000万円を超えるY社の債務を4人で按分したので、1人あたりおよそ1,000万円の借金を背負わされたことになる(もちろん、Y社長も借金を背負わされた)。Y社長は経営者であるから、責任を負ってしかるべきだろう。しかし、4人はついこの間までマネジャーとして働いていた身分である。いきなり1,000万円の債務を負うことになっても、返済できるわけがない。それでも、2人は貯蓄を切り崩して返済のめどを立てたらしい。だが、残り2人のその後は悲惨である。1人は消費者金融を使って返済しようとしたが、借金に借金を重ねる形になり、結局は自己破産してしまった。もう1人は、自宅マンションが差し押さえられた状態のまま、今も借金の返済を行っているという。

 <終わりに>
 1年に渡って続けてきた連載も今回が最終回である。改めて振り返ってみると、「当たり前のことが当たり前にできていなかった」という一言に尽きる。”自称”経営のプロであるコンサルタントが設立した企業でも、注意を怠るとこういう悲惨な状態になってしまうということを、1人でも多くのビジネスパーソンに知っていただければ幸いである。そして、経営の基本を踏み外してビジネスに失敗する中小・ベンチャー企業が1社でも減ることを願ってやまない。

 3社のその後であるが、どの会社も未だに業績低迷から抜け出せていないらしい。X社は、自社で抱えていた研修講師を全員手放して、外部講師を使う方針に改めた。さらに、営業担当者も全員リストラしたので、残っているのは研修開発担当者と事務員だけらしい。どうやって売上を立てているのか不明なのだが、多分A社長が自ら営業をしているのだろう。しかし、A社長の能力からして、営業がうまく行っているとは思えない。帝国データでX社の財務諸表を調べると、売上高は解るが営業利益がブランクになっているから、おそらく赤字のままに違いない。

 Y社は上記のような騒動があった後、借金返済のめどが立った2人のうちの1人が、C社長に対して、「自分と親しいメンバーや顧客を引き抜いて、新しく人材紹介事業を始めてもよいか?その際、Y社の株式を全部譲渡してくれないか?」と提案した。Y社のビジネスにもはや興味を失っていたC社長はその提案を受け入れ、1株1円でその人に株式を譲渡した。Y社はグループ企業から外れ、社名を変えて現在も存続している。しかし、前述のようにこの手のビジネスは難易度が高く、あまりうまく行っていないらしい。

 Z社も大幅な人員削減を行い、今ではコンサルタントをほとんど抱えていない。外部の独立コンサルタントをたくさん集めてプールを作り、プロジェクトに適宜コンサルタントを派遣して、その手数料収入で事業を回しているという。Z社はもはやコンサルタント派遣会社である。Z社の最近の悩みは、派遣するコンサルタントの質が低くて、クライアントからのクレームが多いことだという。関係者から話を聞くと、Z社は人月単価70万円でコンサルタントを派遣しているらしい。これではプログラマの単価とほとんど変わらない。それでいてクオリティを求めるのは、酷な話である。

 3社とも、何か大きなミッションを達成しようと事業を行っているようには思えない。ただ漫然と事業を続けており、会社の存続自体が目的と化しているように感じる。3社が存続することで、本来ならばもっと成長性、生産性の高い事業に振り向けられるべき経営資源が縛りつけられており、社会的なコストが発生している。私が5年半の間、曲がりなりにもお世話になった3社に対してこんなことを言うのは大変無礼なのだが、3社ともいっそなくなってしまった方が社会のためである。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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2014年03月25日

【ベンチャー失敗の教訓(第49回)】大幅な債務超過なのに減資もDES(デット・エクイティ・スワップ)もできない


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 X社、Y社、Z社の3社とも慢性的な赤字体質で、資金繰りに苦しんでいた。毎月末になると、経理担当者が「今月は資金が○百万円足りません」と各社の社長に報告し、比較的潤沢な個人資産を持っていたA社長とC社長が、そのたびに3社に貸付をを行う、ということを繰り返していた。決算をすると毎期のように債務超過になるため、A社長とC社長の資金でさらに増資を行い、債務超過を解消しようとしていた。だが、債務超過は完全には解消されなかった。

 そんな状況だったので、3社とも会社規模の割には、資本金と役員からの借入金が異常に膨れ上がっていた。各社の資本金は、X社が約7,000万円、Y社が約5,000万円、Z社が約9,900万円であった。3社とも大規模な設備投資を必要としない労働集約的な事業を行っており、かつ3社の売上高合計が約2~3億円、社員数合計が最大で約50人であったことを考えると、あまりにも不自然な金額だった。3社は毎期の累積赤字で資本金が食いつぶされており、さらに足が出ていたのが実態だ。これに加えて、A社長とC社長による個人的な貸付金があり、経理担当者ではない私には正確な額は解らないが、噂では億単位に上っていたと言われている。

 Z社の資本金が約9,900万円という中途半端な金額だったのには理由がある。資本金が1億円未満の企業は、税務署の管轄下に置かれるのに対し、資本金が1億円以上になると、原則として国税局の管轄となり、チェックが厳しくなる。また、資本金が1億円未満の企業は、法人税の計算に際して軽減税率が適用される、600万円までの交際費は90%損金算入できる、留保金の課税対象外となる、地方税(事業税)の計算時に外形標準課税の対象外となるなど、様々なメリットを受けられる。そのため、Z社はどんなに増資を行っても、資本金は1億円未満に抑えていた。

 増資を繰り返してなお債務超過に陥っている企業に対する処方箋としては、(1)債務免除、(2)減資、(3)DES(デット・エクイティ・スワップ)が考えられる。(1)の債務免除については、A社長とC社長が何度か債権放棄を行うことで実現した。ところが、債務免除を行うと債務免除益が生じ、思わぬ税金が発生する可能性があるため、あまり大胆な債務免除に踏み切ることができなかった。毎年の決算時期に、2人の社長からの債務を数千万円ずつ免除するのが限度であった。

 貸借対照表の見栄えをよくするには、(2)減資が最も効果的な方法であった。(1)債務免除と後述の(3)DESでは、累積赤字が利益剰余金の部分に残ってしまう。これに対して減資は、資本金で累積赤字を相殺するため、B/Sが非常にきれいになる。3社は債務超過に陥っていたから、100%減資を行って、再度新株発行(増資)を行う、というのが筋であった。

 しかし、ドラスティックな方法である上に手続きも煩雑であることから、減資が検討されることはなかった。それ以上に、3人の社長がB/Sの見栄えに関心がなかったという事情もある。B/Sをきれいにするのは、主に金融機関からの借入を容易にするためだ。だが、A社長とC社長が潤沢な資金を持っており、金融機関に頼る必要がなかった。とはいえ、取引先からの信用を高めるためにも、減資を行ってB/Sを整理することには意味があったと私は思う。取引先が帝国データバンクなどで3社の財務状況を調べたら、その惨状を見て取引を停止したかもしれない。

 (3)DESとは、企業のDebt(=債務)とEquity(=資本)をSwap(=交換)することで、債務を株式化することを意味する。原則として株主総会の特別決議が必要とされる減資に比べると、DESの方が手続きは簡単である。かつては、債権の額面が500万円以下など一定の場合を除き、検査役の調査または弁護士・公認会計士・税理士のいずれかにより、財産額が相当であることを証明してもらう必要があった。ところが、会社法の施行によって、500万円を超える金銭債権であっても、総勘定元帳など当該金銭債権の金額・債権者名が記載してある会計帳簿を登記申請書に添付するだけでよくなり、検査役や弁護士などの証明が不要となった(会社法207条9項5号)。

 とはいえ、DESも結局は行われなかった。A社長とC社長は、貸付金のままならば、将来的にそれを回収できる可能性があるものの、株式にしてしまうと配当収入のみになってしまい、かつその配当収入に税金がかかるため、DESを嫌ったそうである。また、DESを実施すると、Z社の資本金は確実に1億円以上になる点も、DESを回避した理由であっただろう。ただ、3社の業績が将来的に好転するかどうかは全く不透明であったし、貸付金に対する利息収入にも配当収入と同じように税金がかかるのだから、2人の社長の理由はやや不可解であった。

 ただし、例外的にY社だけはDESを行って債務超過を一時的に解消したことがある。人材紹介業(職業紹介事業)を営んでいるY社は、債務超過のままだと職業紹介事業許可の更新ができなくなるためである。職業紹介事業の許可条件として、(A)資産(繰延資産および営業権を除く)の総額から負債の総額を控除した額が、500万円に申請者が有料職業紹介事業を行おうとする事業所の数を乗じて得た額以上であること、(B)事業資金として自己名義の現金・預貯金の額が、150万円に申請者が有料職業紹介事業を行おうとする事業所の数から1を減じた数に60万円を乗じた額を加えて得た額以上となること、という2つが定められている。

 ちなみに、C社長は自分が3社に対して合計でいくら貸しており、毎年の利息収入がどれくらいあるのか全く把握していなかったそうだ。自分のお金のことも解っていないのだから、会社のお金のことがルーズになるのは仕方がなかったのかもしれない。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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2014年01月19日

【ベンチャー失敗の教訓(第48回)】Webで公開されている失敗事例通りに失敗した産学連携プロジェクト


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 総務省の「科学技術研究調査」によれば、R&Dを実施している中小企業の売上高は、実施していない企業に比べて約3~5倍になるそうだ。、また、R&Dを実施している中小企業と実施していない企業で、2002年から2007年までの営業利益を平均したところ、約5.6倍の差があったという。この数値は、大企業の差と比較すると非常に高いものであり、R&D実施の有無が経営に与える影響は、中小企業の方が大きいと言える。だが、人材や資金が限られている中小企業が、自前でR&Dを行うのは容易ではない。そこで注目されるのが、大学の「知」である。産学連携は、中小企業が経営資源を節約しながら、効率的にR&Dを進める有効な手段である。

 とはいえ、大学と企業とでは組織の目的が異なるから、足並みが揃わないと失敗しやすい。九州経済産業局は、産学連携の成功要因と失敗要因に関する調査をまとめている。レポートでは、産学連携が失敗する理由として、以下の3つが指摘されている。

 (1)大学と企業との研究活動に対する事前協議・調整が不十分で、大学、企業の役割分担を含む適正な目標設定ができていない。
 (2)事業化までを見据えた対応や研究体制ができていない。
 (3)大学と企業とのコミュニケーションが不十分、推進体制の構築が不十分。

 以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第24回)】行き当たりばったりでシナリオのないサービス開発」で、X社が大学と共同で、「携帯電話を利用した研修後の学習支援サービス」を開発しようとしたことを述べた。しかし、この共同研究は結局のところ実を結ばなかった。上記の3つの失敗要因を読むと、首が痛くなるほどうなずきたくなる。

 (1)大学と企業との研究活動に対する事前協議・調整が不十分で、大学、企業の役割分担を含む適正な目標設定ができていない。
 私が最初にこの共同研究プロジェクトにアサインされた時は、新サービスを開発するという話は全くなかった。成人学習(アダルト・ラーニング)に関する洋書を大学教授と一緒に翻訳して、出版実績を作るのが当面のゴールであった(もっとも、その翻訳作業も目的が曖昧だったが)。プロジェクトにアサインされたマネジャーは、翻訳予定の洋書の版権を持っている海外の出版社と交渉をして、翻訳権の獲得に動いていた。メンバーはキックオフミーティングまでにその洋書を読み込み、ミーティング当日は翻訳のスケジュールと役割分担を決める予定であった。

 ところが、キックオフミーティングで顔を合わせた教授は、開口一番「翻訳だけでこのプロジェクトを終わらせるのはもったいないですよ」と言ってきた。そして、自分の研究内容を紹介し、それをX社の事業に活用できないかと提案してきた。

 その教授は、小中高校生を対象に、携帯電話を活用して家庭学習をサポートする仕組みを研究しているという。授業の直後や、定期テストの前になると、生徒が間違えやすい問題が携帯電話に送られてくる(教授によれば、間違えやすい箇所は科目ごとに大体決まっているらしい)。生徒はその問題を使って復習をする。さらに、回答履歴や正答率などの情報は、親の携帯電話にもフィードバックされる。教授は、生徒による携帯電話の利用率や、フィードバックを受けた親と子どもとの間のコミュニケーションが、テストの成績にどのように影響するのかを調査していた。

 言うまでもなく、携帯電話を活用していた生徒の方が成績はよかったし、親子のコミュニケーションが密なほど生徒の成績はよかった。親は子どもが解いている問題の内容が解らなくても、「この前の問題、どうだった?」などと子どもに話しかけるだけで、生徒の成績に正の影響を及ぼすという。この研究結果に興味を持ったA社長は、その仕組みを自社の研修サービスに取り込むことを簡単に決めてしまった。プロジェクトの方針は180度転換されてしまった。

 (2)事業化までを見据えた対応や研究体制ができていない。
 教授の関心は、自分の研究がうまく行くかどうか、つまり、成人学習の場合であっても、携帯電話を活用した学習支援のデータが取得できるかどうかだけであって、そのサービスが儲かるかどうかは眼中にない。事業の妥当性を検証するのはX社の役割であるが、こういう行き当たりばったりの経緯で始まった新サービス開発であるから、事業計画など十分に検討されなかった。

 研修後の学習支援にニーズがあるとしても、それを実現する手段として、携帯電話が果たして有効なのか?研修で学習する内容は、仕事で求められる知識やスキルであるから、それを実践するのは当然現場となる。だとすれば、利用者が情報を入力するのは仕事中になるはずだ。利用シーンを考えれば、携帯電話ではなく、PC向けのシステムにしなければならないのではないか?そういう初歩的なことも議論されなかった。

 また、この手のサービスは、あくまでも研修本体の補完ツールであり、顧客企業からそれほどお金をいただくことは期待できない。となると、利用者数を稼がなければならない。では、利用者数がどのくらいになれば、このWebシステムはペイするのか?その利用客数を獲得するためには、何社にどのくらいの研修を販売しなければならないのか?こういった議論も放置されていた。教授が研究結果をまとめるのに必要なデータ数と、X社がこのサービスをビジネスとして成立させるのに必要な利用者数を比べたら、おそらく後者の方が圧倒的に大きかっただろう。だからこそ、事業化のプランを熟考すべきであった。

 (3)大学と企業とのコミュニケーションが不十分、推進体制の構築が不十分。
 このプロジェクトのアキレス腱は、プロジェクトリーダーであるディレクターにあった。このディレクターは開発・講師チームのメンバーであったが、実はX社の社員ではなく、自分で個人の会社を立ち上げて、X社と業務委託契約を締結している人であった。私は、そんなディレクターを責任者にしたところで、自分の会社の都合を最優先するだけであり、X社のためを思ってこのプロジェクトに強くコミットメントしてくれないと不安を抱えていた。

 そして、その懸念通り、このディレクターは次第にプロジェクトとの関わりが薄くなっていった。ディレクターは、教授との定例ミーティングに顔を出すだけで、肝心の携帯電話のシステム開発には一切首を突っ込んでこなかった。プロジェクトの中身に疎くなったディレクターは、ほとんど教授の言いなり状態で、自らの意見やX社としての見解を教授にぶつけることがなくなってしまった。

 このプロジェクトは開発・講師チームのメンバーが中心となって結成されていたが、将来的なサービス販売を視野に入れれば、営業チームやオペレーションチームとも適宜情報を共有すべきであった。そして、両チームからサービスに関する意見を吸い上げることも必要であった。ところが、プロジェクトリーダーがこんな具合なので、社内の情報共有が進まなかった。おまけに、プロジェクトが半年ほどずっと成果を出せなかったこともあり、営業チームやオペレーションチームからは、「あのプロジェクトはいつも密室で何をしているのだ?」と不満が出るようになった。

 不満を募らせた両チームは、ある時、プロジェクトの定例ミーティングに一斉に乗り込んできた。いきなり参加者が増えたことに教授は困惑していた。しかも、両チームのメンバーは、この教授やプロジェクトに対して疑いの目を向けている。両チームは、定例ミーティングを通じて、プロジェクトの状況やゴールを確認しようとした。しかし、半年かかってプロジェクトが蓄積してきた情報を、ミーティングに1回や2回出席したぐらいで理解できるはずがなかった。消化不良に終わった両チームは、以前にも増して不信感を強めたまま、現場の業務に戻っていった。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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