プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年01月14日

【世界史B】センター試験(2018年)オリジナル解説


世界史

 【2018年センター試験シリーズ】
 【世界史B】センター試験(2018年)オリジナル解説
 【日本史B】センター試験(2018年)オリジナル解説
 【化学】センター試験(2018年)オリジナル解説
 【数学ⅠA】センター試験(2018年)を解いてみた(7年連続)
 【数学ⅡB】センター試験(2018年)を解いてみた(7年連続)
 問題、解答は「センター試験2018|解答速報2018|予備校の東進」を参照。解説にあたっては、全国歴史教育研究協議会 『世界史用語集』(山川出版社、2014年)を参照した。

世界史用語集世界史用語集
全国歴史教育研究協議会

山川出版社 2014-12-01

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 【1=②】
 ①領邦教会制とは、ドイツの領邦君主が、自領内の教会を支配・統制下に置く制度である。ルター派諸侯は自領内の修道院財産の没収などにより、教会に対する支配権を確立した。
 ②猛安・謀克は、金の行政・軍事組織およびその長官名である。二元制度の1つで、女真人や契丹人に適用された。300戸を1謀克、10謀克を1猛安とする行政組織で、1謀克から約100人の兵を徴集する軍事組織を兼ねた。正しい。
 ③マンサブダール制は、ムガール帝国の第3代皇帝アクバルが定めた官僚制度である。マンサブは「位階」、ダールは「持つ者」を意味する。全ての官僚に序列をつけ、その位階に応じて給与と保持すべき騎馬の数が定められた。
 ④骨品制は、新羅の王族と一般貴族だけを対象とした特権的身分制度。王族である骨階層と一般貴族の頭品階級からなり、階層間の婚姻や就任できる官位・官職に厳しい制約があった。

 【2=②】
 「ローマの平和」とは、アウグストゥスから五賢帝時代までの約200年におよぶローマ帝国の最盛期。紀元前1世紀前半から紀元2世紀後半までを指す。
 ①ペテロ、パウロがキリスト教を布教したのは紀元1世紀のことである。
 ②『ローマ法大全』は、ユスティニアヌス1世(在位527~565)の発布した『法学入門』、『学説集』、『勅法集』に、私撰集の『新勅法』を合わせて総称した呼び名である。誤り。
 ③インドとの季節風貿易ではアジアの香辛料、絹などがもたらされた。帝国内には多数のローマ風都市が建設され、ロンドン、パリ、ウィーンなど今日まで栄えているものが少なくない。
 ④トラヤヌスは五賢帝の2人目(在位98~117)。初の属州(スペイン)出身の皇帝。ダキア(現ルーマニア)を属州とし、一時はメソポタミアの征服に成功、ローマの領土は最大となった。

 【3=③】
 ①フィレンツェは13世紀以降、遠隔地貿易に加え毛織物業と金融業で繁栄した。15世紀以降メディチ家の下でルネサンスの中心地となった。
 ②アドリアノーブルはオスマン帝国の首都。名称はローマ皇帝ハドリアヌスに由来する。ムラト1世がビザンツ帝国から奪い、1453年まで都となった。
 ③リスボンは、インド航海開拓後、16世紀はに香辛料取引で繁栄した。一時、世界貿易の中心となったが、17世紀にはアムステルダムに中心が移った。正しい。
 ④イェルサレム王国は、第1回十字軍によってパレスチナ地域に建設されたキリスト教国。1187年、アイユーブ朝のサラディン軍にイェルサレムを征服され、1291年に最後の拠点アッコンを奪われて滅亡した。なお、第4回十字軍が占領したのはコンスタンティノープルである。

 【4=③】
 ①『ラーマーヤナ』は、4世紀頃現在の形にまとめられた、インドの大叙事詩。『マハーバーラタ』とともに東南アジアに伝わり、各地の文化に多大な影響を与えた。
 ②『イリアス』は、トロイヤ戦争での英雄の活躍を描いた叙事詩で、ギリシア文学の作品。
 ③『ローランの歌』は、フランスを代表する武勲詩。12世紀初頭に完成。カール大帝のスペインにおけるイスラーム討伐を題材として、騎士ローランの活躍と死が描かれている。正しい。
 ④『ギルガメシュ叙事詩』は、ウルク王ギルガメシュの冒険を描いた叙事詩。現存する最古の文学作品と言われ、『旧約聖書』やギリシア神話に影響を与えている。メソポタミアで成立。

 【5=②】
 ①アングロ=サクソン七王国を統一したのはウェセックス王のエグバードである。
 ②正しい。アンジュー伯アンリが国王ヘンリ2世として即位したことに始まり、当初はフランスに政治の拠点を置いていた。
 ③大憲章(マグナ=カルタ)を承認したのはジョン王である。
 ④シモン=ド=モンフォールによる反乱を引き起こしたのはヘンリ3世である。シモン=ド=モンフォールが1265年に招集した議会が、イギリス議会の起源とされる。

 【6=①】
 ①キープ(結縄)は、インカ帝国で用いられた、縄の色や結び方で、統計や数字を記録する伝達手段である。正しい。
 ②緑営は、漢人による清の正規軍である。清の北京入城後、衛所制に基づく明軍を再編して八旗を保管する役割を担わせた。名称は投降した明の軍旗の色に由来し、緑旗とも言う。兵力は約60万で、主に治安維持など警察の機能を果たした。
 ③ギュルハネ勅令は、オスマン帝国第31代スルタン・アブデュルメジト1世が発した勅令である。名称は勅令を読み上げたトプカプ宮殿のバラ園の名称にちなんだ。この勅令は、宗教を問わず、オスマン臣民に法の下での平等、身体・名誉・財産の保障、平等な税制と徴兵を約束した。
 ④十月宣言は、1905年10月、第1次ロシア革命を鎮静化するためにニコライ2世が出した宣言である。ドゥーマ(国会)開設、憲法制定、内閣制採用などを公約した。

 【7=④】
 ①ホスロー1世はササン朝最盛期の王。対外的には東ローマのユスティニアヌス大帝との戦いを有利に展開し、突厥と同盟してエフタルを滅ぼした。
 ②冒頓単于は、匈奴の全盛期を築いた単于。東胡や月氏を破って、前3世紀末にモンゴル高原を統一し、前200年には漢の高祖(劉邦)を破った。
 ③ヴァルダナ王朝は、7世紀前半にハルシャ王が建てた古代北インド最後の統一王朝。一方、南インドを長期にわたって統一していたのはチョーラ朝(前3~後13世紀)である。
 ④ヒヴァ=ハン国(1512~1920)は、ウズベク人がホラズム地方に築いた国である。17世紀初めからヒヴァを首都とした。1873年にロシアの保護国とされ、1920年にホラズム人民ソヴィエト共和国が成立して滅亡した。正しい。

 【8=③】
 ①澶淵の盟は、宋と遼が澶淵(河南省)で結んだ和議である。主な内容は、ⅰ)宋が遼に毎年絹20万匹、銀10万両を贈る、ⅱ)宋が兄、遼が弟の関係とする、ⅲ)国境を保全する、であった。以後、両国間は平和な関係が続いた。
 ②両税法は8世紀後半~16世紀後半の税法。780年、唐の宰相楊炎が、農民の土地所有を公認し(土地を支給したわけではない)、租庸調での諸課税を一括した。名称は、年2回(6月と11月)徴税することに由来する。原則は、土地所有者が税役負担者で、各戸の資産に応じた銭納、耕作面積に基づく穀物納入だったが、銭納の代わりに絹布による納入が広く行われた。
 ③覇者とは、尊皇攘夷を掲げ、諸侯の同盟会議(会盟)を通して他の諸侯を支配した、春秋時代の有力諸侯のこと。正しい。
 ④「湖広熟すれば天下足る」とは、明代中頃に、長江中流域が穀倉地帯となったことを示す諺である。湖広(湖南・湖北省)の河川沿い平野の開発が進み、宋代の江浙(長江下流域)から穀物移出地域が移動した。ちなみに、宋代には「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」と言われた。

 【9=③】
 a.『漢書』は、班固が著した前漢一代の歴史書であり、紀伝体で記されている。
 b.ラシード=アッディーンは、イル=ハン国の政治家・歴史家。ガザン=ハンの宰相として、現地社会の実情に沿った行財政改革を実施。また、ガザン=ハンの命令で『集史』を編纂した。
 ⇒a=誤、b=正となり、③が正解。

 【10=①】
 ①シク教は、16世紀初頭にナーナクが創始した新宗教。ヒンドゥー教のバクティ信仰とイスラーム教を融合し、偶像崇拝や苦行、カースト制を否定した。パンジャーブ地方に勢力を保持し、19世紀にはシク王国を建てたが、2度にわたるシク戦争でイギリスに征服された。名称はナーナクら師(グル)に忠実な弟子(シク)に由来する。正しい。
 ②シヴァ神を主神とするのはヒンドゥー教である。
 ③ヒジュラ(聖遷)の年を紀元とする暦を用いるのはイスラーム教である。
 ④中国で景教と呼ばれたのはキリスト教ネストリウス派である。

 【11=④】
 マウリヤ朝の首都はパータリプトラであり、地図中のbに該当する。aはプルシャプラであり、クシャーナ朝の首都である。クシャーナ朝の後のグプタ朝はパータリプトラを、グプタ朝の後のヴァルダナ朝はカナウジを首都とした。

 【12=③】
 ①ハンニバルは、第2回ポエニ戦争で活躍したカルタゴの将軍である。イタリアに侵入して半島を蹂躙し、前216年のカンナエの戦いでローマ軍に大打撃を与えた。なお、イッソスの戦いとは、アレクサンドロス軍がダレイオス3世軍に大勝した戦いである。
 ②司馬炎が建国したのは晋(西晋)である。三国魏の禅譲を受けて建国した。
 ③常勝軍とは、太平天国鎮圧のために上海で組織された、欧米人を指揮官とする義勇軍である。1860年、アメリカ人ウォードが上海の商人の要請で外国人兵士による洋槍隊を組織した。やがて中国人を兵士として徴募し、常勝軍と改名した。ウォード戦死後の1863年3月、イギリスの軍人ゴードンが指揮官となり、淮軍とともに太平天国軍と戦い、1864年に解散した。正しい。
 ④劉永福は、清末・中華民国初期の軍人。太平天国滅亡後、ベトナムに亡命して阮朝に帰順、黒旗軍を組織して対フランス抵抗戦争に参加した。

 【13=④】
 ①バルフォア宣言は、第一次世界大戦遂行にユダヤ人の財政援助を期待し、イギリス政府がユダヤ人国家建設への好意的対応を約した約束である。戦後のオスマン帝国の扱いを定めたサイクス・ピコ協定、アラブ国家の独立を認めたフサイン・マクマホン協定と、3つの相矛盾する協定が、現在の中東の混乱の原因ともなっている。
 ②ユダヤ教の戒律主義(律法主義、形式主義)を批判したのはイエスである。
 ③ユダヤ教徒は、唯一神ヤーヴェを信仰している。アフラ=マズダはゾロアスター教の神。
 ④ドレフュス事件とは、ユダヤ系軍人ドレフュス大尉に対する冤罪事件。1894年、ドレフュスがドイツのスパイ容疑で終身刑を宣告されたが、1896年に真犯人が判明。その後、作家ゾラらの救援活動でドレフュスは再審を勝ち取り、1899年に恩赦され、1906年に無罪となった。正しい。

 【14=①】
 ①乾隆帝は清の最大版図を築き上げた皇帝であるが、ヨーロッパ船の来航を泉州に限定した事実はない。誤り。なお、泉州は宋代には広州、明州とともに、元代には杭州、広州とともに交易により栄えた都市である。
 ②ムスリム商人は、海上交易ではダウ船を使ってインド洋、南シナ海、地中海などに進出した。内陸では、ラクダなどを使った隊商交易で中央アジア、シベリア、東欧、北欧方面まで往来した。隊商宿(キャラヴァンサライ)とは、街道や都市の内部に建てられた宿泊・交易施設であり、隊商による商業活動の拠点となった。
 ③定期市は、中世ヨーロッパの各地で開かれた商品取引の場である。遠隔地貿易の発達とともにシャンパーニュのような商業圏を結ぶ通商路に大規模な定期市が開かれるようになった。
 ④琉球は、明との間で朝貢貿易を行った。清代になると、琉球は清に朝貢すると同時に江戸幕府にも朝貢するという二重朝貢関係を結んだ。

 【15=②】
 ①ラダイト運動が起きたのは1811~1817年。
 ②ステュアート朝が成立したのは1603年。正しい。
 ③ウォルボールがイギリス初代首相となったのは1721年。
 ④グラッドストン(1809~1898)はイギリス自由党の政治家。1868~1894年までに4回首相となり、内政改革を重視して教育法や労働組合法の制定、第3回選挙法改正を行った上、アイルランド問題の解決を目指した。

 【16=②】
 ワッハーブ派は、18世紀にイブン=アルドゥル=ワッハーブが始めた、イスラーム教の原点回帰を目指す改革派運動である。豪族サウード家と協力してシャリーア(イスラーム法)を厳格に適用する王国の建設を目指した。神秘主義やシーア派を激しく攻撃し、各地のイスラーム復興運動に影響を与えた。なお、ハーシム家とは、クライシュ族の一族でムハンマドの生家のことである。また、十二イマーム派とは、シーア派の最大宗派であり、第4代カリフであるアリー以下12人の男系子孫をイマーム(宗教指導者)とし、第12代ムハンマドは「隠れ」に入り、将来マフディー(救世主)として再臨すると考えられている。イスマーイールが建国の際に、国家宗教とすることを宣言した。今日まで、イランにおける支配的宗派となっている。

 【17=④】
 ①エフェソス公会議(431)では、ネストリウス派が異端とされた。ウィクリフ(1320頃~84)はイギリスの神学者でありオクスフォード大学教授。宗教改革の先駆者とされる。聖書を信仰の根本として英訳を主張、聖職者階層制と教皇の権威を否定した。
 ②イスラーム同盟(サレカット=イスラーム)とは、1911年末に前身が設立され、翌年改称されたインドネシア最初の大衆的民族組織である。はじめジャワの商人が相互扶助を目的に設立したが、イスラーム教徒の団結と物心両面の発展を掲げ、労働運動にも進出し、1910年代の民族運動を主導した。社会主義運動に影響を受けたインドネシア人が同盟に加わると、運動は反植民地主義を正面に掲げるようになった。
 ③白蓮教徒の乱とは清の末期に起きた、白蓮教信徒を中心とする大規模な民衆反乱のことである。八旗・緑営の無力化が露呈し、郷勇が台頭するきっかけとなった。鎮定に莫大な費用を要し、国庫は窮乏した。
 ④バーブ教は、1840年代にイランで広まった新宗教である。開祖サイイド=アリー=ムハンマドは自らをイマームの再臨としてシャリーア(イスラーム法)の廃止を宣言、イスラーム教から分離した。社会の混乱を背景に、ロシア、イギリスの圧力とそれに対するカージャール朝の無策により多くの信者を集めたが、1850年代に政府の厳しい弾圧を受けた。正しい。

 【18=②】
 a.ルール占領とは、第一次世界大戦後のドイツの賠償支払いの不履行を口実に、フランスとベルギーが鉱工業地帯ルールを武力占領した事件である。ドイツはストライキなど受動的抵抗で応じたが、通貨インフレなど経済の大混乱に陥った。大連合内閣を組織したシュトレーゼマンは抵抗を中止し、賠償履行政策に転じた。対するフランスも莫大な駐兵費用に悩まされ、1924年に賠償金支払いに関するドーズ案が示され、翌年に撤退した。
 b.朝鮮戦争の結果、アメリカは北緯38度線を境として、朝鮮半島の南半分を占領した。
 ⇒a=正、b=誤となり、②が正解。

 【19=①】
 ①仏国寺は、慶州郊外にある仏教寺院。新羅の時代、751年に創建されたが、16世紀末の豊臣秀吉の出兵で焼失し、石造物だけが残った。東区の釈迦塔と多宝塔は新羅時代の石塔として有名である。正しい。
 ②ポタラ宮殿は、歴代ダライ=ラマの宮殿・寺院である。17世紀にダライ=ラマ5世により、ラサの北西、ソンツェン=ガンポの宮殿跡とされるポタラ山に建てられた。
 ③クトゥブ=ミナールは、デリー南方にあるインド最古のモスク(クトゥプ=モスク)の塔である。奴隷王朝の建国者アイバクが12世紀末からモスクの建設を開始し、名称の由来となったミナール(塔)は1200年に着工された。
 ④ピサ大聖堂の斜塔で、物体落下の実験(重力実験)を行ったのはニュートンである。

 【20=①】
 12~14世紀、エルベ川以東へのドイツ人の植民・開墾運動が起きた(東方植民)。農民の大規模な移住は軍事的な側面も強く、ブランデンブルク辺境伯領やドイツ騎士団領が建てられた。なお、キエフ公国とは、リューリクの後継者オレーグが率いるノルマン人がドニエプル水系を南下し、キエフを中心に立てた国である。早くからスラヴ化が進んだ。
 ⇒ア=エルベ川以東、イ=ブランデンブルク辺境伯領となり、①が正解。

 【21=④】
 ①カペー朝の創始者はユーグ=カペーである。フィリップ2世は第3回十字軍に参加。封建諸侯を制圧し、イギリス王ジョンからフランス国内の領土を奪って王権の拡大・集権化に努めた。
 ②審査法は、文武の公職就任者を国教徒に限るとしたイギリスの法。チャールズ2世のカトリック政策に対抗して議会が制定したが、非国教徒のプロテスタントも差別待遇を受けた。
 ③クローヴィスは、フランク王国建国の王である。軍事的統一とアタナシウス派改宗により、王国が西ヨーロッパ世界の中核勢力となる礎を築いた。なお、ヴァンダル人とは、4世紀前半にドナウ川中流域に定住していた東ゲルマン人の一派。5世紀初めにローマ帝国領内に侵入後、略奪を行いながらイベリア半島に入り、その後ガイセリック王の下で北アフリカに王国を建てた。
 ④カルロス1世は、ハプスブルク家出身のスペイン王。フッガー家の援助でフランス王フランソワ1世を選挙で破り、神聖ローマ皇帝カール5世として即位し、オーストリア・スペイン両ハプスブルク家の支配者としてヨーロッパの広大な領土とアメリカ大陸の植民地を支配した。正しい。

 【22=④】
 ①チェック人は、西スラヴ人の代表的民族。9世紀にカトリックを受容し、モラヴィア王国から離れて10世紀にベーメン王国を建てた。ハンガリー王国を建国したのはマジャール人である。
 ②カルマル同盟とは、1397年にスウェーデンのカルマルで結成された、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーによる同君連合である。黒死病への対応やハンザ同盟の進出に対抗するために結ばれた。1523年のスウェーデン離脱まで続いた。
 ③ポーランドでは、1572年、ヤゲヴォ朝断絶後に選挙王制が導入された。選挙王制とは、国会による国王選挙制度である。国内貴族と結んだ外国勢力の選挙干渉なども起こり、ポーランドの国力衰退につながった。なお、ハノーヴァー朝はイギリスの王朝である。
 ④1864年、プロイセンとオーストリアはデンマーク戦争を起こした。1863年末にデンマークが新憲法でシュレスヴィヒ併合を宣言したのを機に、翌年にプロイセンがオーストリアを誘って開戦し、シュレスヴィヒ、ホルシュタイン両公国を占領した。戦後、住民の意思は無視されて、シュレスヴィヒはプロイセンに、ホルシュタインはオーストリアに分轄管理された。正しい。

 【23=③】
 ①クテシフォンはパルティア(安息)の首都である。アケメネス朝の首都はスサである。
 ②サーマーン朝の首都はブハラである。コルドバを首都にしたのは後ウマイヤ朝。
 ③アステカ王国の首都はテノチティトランである。正しい。
 ④アッシリアの首都はニネヴェである。テーベを首都にしたのは新王国時代のエジプト。

 【24=②】
 ①ヴィシー政府の国家出席となったのはペタンである。第一次世界大戦で活躍した「ヴェルダンの英雄」。ブルムは社会党の党首で、1936~1938年に人民戦線内閣で首相を務めた。
 ②武器貸与法は、ローズヴェルトの提案で成立した連合国への軍事援助法である。中立法を改め、大統領に外国政府に対する武器・軍事物資を提供する権限を与えた。以後、アメリカは事実上連合国の一員となり、総額約500億ドルの武器・食糧を貸与し、勝利に貢献した。正しい。
 ③スターリングラードの戦いでは、ドイツは市の大半を占領したが、ソ連軍が反攻に出てドイツ軍を包囲した。ヒトラーは軍の撤退を許さず、結局9万人のドイツ軍がソ連に降伏した。この戦いは独ソ戦の転換点となり、ソ連が反攻に転じ、ドイツは守勢に回った。
 ④バドリオ政府とは、1943年7月、ムッソリーニ逮捕後に成立したイタリアの新政権である。直ちにイギリス、アメリカと交渉を開始し、同年9月に無条件降伏した。

 【25=②】
 ①景徳鎮は江西省北東部に位置する、中国第一の陶磁器生産地である。宋代の景徳年間に名づけられ、以後、高品質の白磁の産地として、その名は世界にも知られた。
 ②リューベックはハンザ同盟の盟主である。誤り。ハンザ同盟は、北ドイツ諸都市の連合体である。一方のロンバルディア同盟は、イタリアに介入する神聖ローマ皇帝に対抗し、ロンバルディア地方の諸都市が自治権保持を目的として結成した同盟である。
 ③モンバサはアフリカ東岸、現ケニア最大の港市である。アフリカ東岸の海港都市としては、他にモガディシュ、マリンディ、ザンジバル、キルワがある。
 ④ポンディシェリはインド東岸部の都市。1674年にフランスが占領、フランス領となり、東インド会社の拠点が置かれた。1954年にインドに返還された。

 【26=②】
 ①宋代の新法を推進したのは王安石であり、司馬光はこれに反対する立場であった。
 ②青苗法、均輸法、市易法により、地主や大商人の利益を抑えようとした。正しい。
 ③軍事に関するものとして募役法、保甲法、保馬法があるが、これらは軍の再編を目的とするものであり、西遼に対する防備の強化を目的としたものではない。
 ④新法党と旧法党の対立を招いた。東林派と非東林派の対立は明末の出来事である。

 【27=②】
 a.第一次世界大戦(1914~1918)のグラフを見ると、1916年以降はアメリカとの年間貿易総額がイギリスとの年間貿易総額を上回っている。正しい。
 b.五・四運動(1919)の年の日本との年間貿易総額は約3.7億海関両、義和団事件(1900)の年の日本との年間貿易総額は5千万海関両弱であり、5倍以上に増加している。誤り。
 ⇒a=正、b=誤となり、②が正解。

 【28=①】
 a.エンコミエンダ制とは、1503年にスペインが王令で定めた、ラテンアメリカにおける土地制度である。スペイン国王が植民者に先住民の統治を委託し、キリスト教に改宗させることを条件に労働力として使用することを認めたものである。しかし、植民者が先住民を鉱山やプランテーションで酷使したため人口が激減し、聖職者の批判や国王の抑制策もあり、エンコミエンダ制は16世紀に衰退し、18世紀にほぼ廃止された。正しい。
 b.大航海時代、ヨーロッパからアメリカ大陸に、それまで存在しなかった天然痘やインフルエンザなどが持ち込まれ、抵抗力のない先住民が大量に死亡した。一方で、梅毒がアメリカ大陸からヨーロッパに持ち込まれ、一気に広まった。正しい。
 ⇒a=正、b=正となり、①が正解。

 【29=①】
 ①西山(タイソン)の乱とは、18世紀後半に起きたベトナムの農民反乱である。中部にある西山村の阮氏3兄弟をリーダーとして蜂起し、南部の広南王国、北部の鄭氏を滅ぼして、短期間ながらベトナム統一を果たした。正しい。
 ②陳勝・呉広の乱は、秦の始皇帝の死後起きた農民反乱である。
 ③イギリスで起きたのはワット・タイラーの乱である。ジャックリーの乱はフランスで起きた。いずれも、百年戦争中の農民に対する重税が原因である。
 ④ハイドゥの乱とは、フビライの即位とオゴタイ家弾圧に反対した元の内紛である。フビライに反対するハイドゥは、フビライに対抗して即位した末弟アリクブケを支援し、さらにチャガタイ家などの不満勢力を結集した。ハイドゥ率いる大軍は、1300~1301年にモンゴル高原西部で元軍に敗れ、その後ハイドゥが死去したことで内紛は終わった。

 【30=③】
 ①リシュリューは、ブルボン朝のルイ13世の宰相を務めた政治家である。内政面ではユグノーと貴族の力を削いで王権強化を目指し、外政面では新教側に立って三十年戦争に介入してハプスブルク家に打撃を与えた。
 ②十四か条の平和原則は、アメリカ大統領ウィルソンが発表した第一次世界大戦の講和のための原則である。ヴェルサイユ条約に大きな影響を与えた。主な内容は、秘密外交の廃止、海洋の自由、関税障壁の撤廃、軍備縮小、民族自決、植民地問題の公正な解決、国際平和機構の設立(後の国際連盟の設立につながる)などである。
 ③18世紀後半、エカチェリーナ2世はピョートルの事業を受け継ぎ、南方ではクリミア半島をトルコから奪い、東方ではオホーツク海まで進出し、日本にも使節ラクスマンを送った。正しい。
 ④1858年にイギリスがインドにイギリス領インド帝国を成立させると、1877年以降はイギリスの君主がインド皇帝を兼ねる同君連合の形式が取られた。

 【31=③】
 ルワンダ内戦は1990~1994年であるから、③が正解。

 【32=③】
 ①ブレジネフが共産党第一書記に就任したのは1964年である。
 ②フェビアン協会とは、イギリスの知識人を中心とした改良主義的な社会主義団体である。1884年ウェッブ夫妻やバーナード=ショーらによって結成され、はじめ自由党への接近を試みたが、後に労働代表委員会結成に参加した。
 ③モンゴル人民共和国の建国は1924年である。正しい。
 ④極東国際軍事裁判所(1946~1948)は、第二次世界大戦における日本の戦争の罪を裁くために設けられた戦後の機関である。

 【33=②】
 ①東ゴート王国は、ラヴェンナを都としてイタリアに建てられたゲルマン人国家。他のゲルマン諸国家に対して指導的な地位を保ったが、ビザンツ帝国のユスティニアヌスに滅ぼされた。
 ②レコンキスタ(国土回復運動)とは、イスラーム教徒からイベリア半島の領土を奪回しようとしたキリスト教徒の戦いである。8世紀初めから1492年まで、ほぼ800年続いた。11世紀からレオン、カスティリャ、アラゴンといった諸国による本格的な攻勢が強まり、グラナダ陥落で完了した。レコンキスタとは、「再征服」という意味のスペイン語である。正しい。
 ③ユトレヒト条約とは、スペイン継承戦争の講和条約である。諸国ごとに個別に結ばれたものを総称してこう呼ぶ。フランスとスペインが将来合併しないことを条件に、フェリペ5世のスペイン王位継承が認められ、一方イギリスはフランス、スペインからジブラルタルなど多数の海外領土を獲得して国力を大きく伸ばした。
 ④1936年、選挙で人民戦線派が勝利し、内閣を組織したが、旧王党派や地主層などの保守派はフランコを中心に反乱を起こした。ドイツ、イタリアはベルリン=ローマ枢軸を結成して反乱軍を公然と支援した。欧米の社会主義者や知識人らは国際義勇軍を編成して政府軍を助けたものの、1939年にマドリードが陥落して、フランコ側の勝利に終わった。

 【34=③】
 ①ダライ=ラマ14世はインドに亡命した。
 ②ジェームズ2世は名誉革命の結果、フランスに亡命した。
 ③アインシュタインはナチ党の支配から逃れて亡命している。正しい。
 ④渤海の建国者は大祚栄である。衛満は、紀元前2世紀に衛氏朝鮮を建国した人物。

 【35=①】
 ①袁世凱は北洋軍閥の総帥。大清帝国第2代内閣総理大臣を務めたが、清朝崩壊後は第2代中華民国臨時大総統、初代中華民国大総統に就任。一時期中華帝国皇帝として即位し、その際に使用された元号より、洪憲皇帝と呼ばれることもある。正しい。
 ②浙江財閥を構成したのは、宋子文、孔祥煕、陳立夫、蔣介石のいわゆる四大家族とわれる人々で、彼らは高級官僚の地位を利用して投資に成功し巨富を蓄えた者であり、官僚資本などとも言われた。共産党の進出に恐怖を感じ、国民党の右派を支援して反共に転じさせた。1927年、北伐の途中にあった蔣介石が、国共合作を放棄して上海クーデターにより共産党に大弾圧を加えたのも、このような財閥の意向が背景にあった。
 ③1911年5月、清朝政府は鉄道国有化令を出し、英米独仏4か国の借款団から600万ポンドを借り、民営の湖広鉄道を国有化の美名のもとで外国に売り渡そうとした。政府のこの買弁政策に対し、四川、湖北、広東各省を中心に、反清・反帝国主義を内容とする、鉄道を守る「保路」運動が起こった。初めは陳情、請願の形を取ったが、四川省の陳情団40余名が官憲の手によって射殺されると、9月には数百万の大衆が参加する一大武装闘争に発展した。清朝政府は湖北軍を率いて鎮圧に乗り出し、鎮圧がほぼ成功したかに見えた頃、手薄となった湖北省の武昌で革命ののろしが上がり、10月10日に新軍、同盟軍が蜂起し、辛亥革命が始まった。
 ④中華民国の建国が宣言されたのは南京である。

 【36=④】
 ①ドブチェクは、チェコスロヴァキアの第一書記。東欧革命後の連邦議会議長。1968年に「人間の顔をした社会主義」を掲げて、非スターリン化、民主化を進めた。
 ②アデナウアーは初代西ドイツ首相である。OEECやNATO、EECへの参加などを通じて、西ドイツの西側諸国の一員としての立場を築いた。
 ③バグダード条約機構(中東条約機構、1955)は、トルコ、イラク、イラン、パキスタン、イギリスが結成した安全保障機構。1958年のイラク革命の結果、イラクは脱退した。
 ④太平洋安全保障条約(ANZUS、1951)は、アメリカを中心に、オーストラリア、ニュージーランドの3国が締結した安全保障条約。日本を警戒する2国に配慮して、サンフランシスコ平和条約調印の前に締結された。正しい。

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