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『一橋ビジネスレビュー』2018年AUT.66巻2号『EVの未来』―トヨタに搾り取られるかもしれないパナソニックの未来
フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(2)
フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年10月15日

『一橋ビジネスレビュー』2018年AUT.66巻2号『EVの未来』―トヨタに搾り取られるかもしれないパナソニックの未来


一橋ビジネスレビュー 2018年AUT.66巻2号: EVの将来一橋ビジネスレビュー 2018年AUT.66巻2号: EVの将来
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2018-09-14

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 旧ブログで随分昔にエルピーダが破綻した原因を分析したことがあるのだが、今振り返ってみると、文量が多い割には大したことを言っていなかったと反省している。下記の参考記事の中では、エルピーダが破綻したのは、顧客に接している川下のメーカーでさえ気づいていないような顧客のニーズを先取りし、そのニーズに合致した製品アーキテクチャを提案するようなことをしなかったがゆえに、川下のメーカーに強い影響力を及ぼすことができず、むしろ川下メーカーの言いなりになって利幅が極端に縮小してしまったことが原因だとしている。

 《参考記事》
 今さらだけど、エルピーダ破綻の7原因(仮説)を個人的に検証(1)~円高説は違う
 今さらだけど、エルピーダ破綻の7原因(仮説)を個人的に検証(2)~シナリオなきPC分野への進出
 今さらだけど、エルピーダ破綻の7原因(仮説)を個人的に検証(3)~スマイルカーブの嘘
 今さらだけど、エルピーダ破綻の7原因(仮説)を個人的に検証(4)~産活法という縛り
 今さらだけど、エルピーダ破綻の7原因(仮説)を個人的に検証(5終)~復活のカギは”インテル化”?
 《メモ書き》DRAM、パソコン、ノートブック、タブレットPC、スマートフォン関連の市場規模データなど

 だが、実際には、様々な用途に展開できる素材メーカーを除いて、特定の部品を製造する川上のメーカーが川下のメーカーに対して強い影響力を及ぼすことができるというのは稀である。それこそ、(もうこの言葉はすっかり古くなってしまったが)ウィンテル連合ぐらいしかない。それに、川上のメーカーが強くなりすぎると、川下のメーカーの戦略が同質化してしまう。なぜなら、川下のメーカーはどこも、川上のプレイヤーの同じ部品を使い、その部品が想定する製品アーキテクチャに従って製品を製造するからだ。川下のメーカーの戦略が同質化しても構わないのは、最終顧客が皆同じものを所有・消費していても問題ない場合に限られる。

 最近で言うと、電子マネーぐらいしか思いつかない。ソニーの子会社がFeliCaチップを製造しており、これが現在ほぼ全ての電子マネーで採用されている。日本は電子マネー大国であり、電子マネーが乱立している。だが、電子マネーのビジネスモデルは、加盟店と消費者を結ぶプラットフォーム型であり、クレジットカードと共通である。通常、プラットフォーム型のビジネスモデルは、小売におけるAmazon、スマートフォンアプリビジネスにおけるGoogleやAppleのように、ごく少数のプレイヤーに収斂する傾向がある。実際、海外では、保有する決済カード枚数が2枚程度以下というところが多い(経済産業省「キャッシュレス・ビジョン」〔2018年4月〕を参照)。私は、JR東日本が本気を出せば、Suicaで電子マネー市場を制覇できると思っていたが、JR東日本に商売っ気がないため、現在のような電子マネー百花繚乱の状態になっている。

 話をエルピーダに戻そう。私は、エルピーダが破綻した原因を3つに整理し直した。

 ①エルピーダは産業活力再生特別措置法(産活法)の適用により公的資金の注入を受けることで、「DRAM市場で世界一になる」という縛りをかけられ、多角化によるリスク分散ができなかった。当時の半導体市場は、NAND型フラッシュメモリ(東芝が強かった)など利益率が高く急成長している分野があったのに、エルピーダが産活法の適用外の分野に進出するためには経済産業省と折衝をしなければならず、手を出すことができなかった(※)。
 ②PC向けDRAMにせよ、モバイル(スマートフォン)向けDRAMにせよ、需要の伸びが急すぎる上に先行きが不透明であり、適切な設備投資を行うことができなかった。
 ③エルピーダはNEC、日立製作所、三菱電機の3社のDRAM事業を統合して作られた企業であるが、3社それぞれに設備投資や生産工程に関する”思想”があっていちいち調整に時間がかかり、なお一層設備投資が遅れた(湯之上隆氏は『日本型モノづくりの敗北―零戦・半導体・テレビ』の中で、この思想のことをを「秘伝のタレ」と呼んでいる)。

 (※)ちなみに、経営破綻したエルピーダは2013年にアメリカのマイクロンによって買収され、マイクロン子会社のマイクロンメモリジャパンとなったわけだが、マイクロンメモリジャパンはDRAMに加えてちゃっかりNAND型フラッシュメモリも製造している。

 ここからがようやく本号の話である。EV(電気自動車)の肝となるのはリチウムイオン電池(LIB、以下「LIB」と表記する場合は車載用リチウムイオン電池を指すものとする)である。トヨタ自動車はパナソニックと提携して、パナソニックの子会社からLIBを調達することにした。個人的には、このトヨタ―パナソニック連合に、かつてのPC/スマートフォンメーカー―エルピーダの関係を重ね合わせてしまうのだが、以下の3つの理由により、パナソニックが直ちにエルピーダの二の舞になる可能性は低いだろうと考えている。

 ①LIBを製造するパナソニック・オートモーティブ&インダストリアルシステムズ(AIS)社は、コックピットやADASシステムなどを手がけるオートモーティブ事業、電子部品・電子材料・半導体などを手がけるインダストリアル事業、車載用LIBを中心に、産業用蓄電システムや民生用電池などを手掛けるエナジー事業という3グループで構成される。それぞれの2017年度の売上高は、オートモーティブ事業が9,288億円、インダストリアル事業が9,452億円、エナジー事業が5,625億円と、エナジー事業の規模は他の2事業より小さい。当然、パナソニックの連結決算に占めるLIBの割合は非常に低い。DRAM一本足打法であったエルピーダとはまるで違う。

 ②エナジー事業の2021年度の売上目標は、2017年度比で約2.5倍の1兆4,000億円となっており、AIS社全体の過半数を占める。同じ期間にオートモーティブ事業は10数%増、インダストリアル事業は約30%増の成長率が見込まれていることと比較すれば、エナジーの伸び率は圧倒的である。だが、EVの需要は各国の政策や規制(例えば、アメリカのZEV規制、ヨーロッパのCO2規制、中国のNEV規制など)の影響を強く受けるため、需要の伸びを予測することは、PCやスマートフォンのそれを予測するよりははるかに容易である。

 ③AIS社は、オートモーティブシステムズ社、デバイス社、エナジー社、マニュファクチュアリングソリューションズ社が合併してできた企業である。これらの企業は全てパナソニックの社内分社であり、NEC、日立製作所、三菱電機という全く異なる3社が合併してできたエルピーダとは違う。もっとも、大企業ともなると、同じグループ会社であっても、会社が違えば別会社のように見えることも少なくない。ただ、AIS社の場合、LIBの製造を含むエナジー事業はエナジー社から引き継がれたものであり、その生産計画や設備投資をめぐって、他の社内分社からの出身者との間で軋轢を生んだり、面倒な調整が必要になったりすることは考えにくい。

 とはいえ、パナソニックにもリスクはある。下図は、以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で用いたものの再掲である。

○図①
製品・サービスの4分類(②各象限の具体例)

○図②
【修正版】製品・サービスの4分類(各象限の具体例)

 <象限①>に位置する家電は、今や圧倒的に新興国の企業が優勢であり、日本のメーカーはどこも壊滅的な状況に陥った。そこで、<象限②>に移行することで生き残りを図っている。ただし、日本の家電メーカーは家電事業を完全には捨てていない。少なくとも、日本市場においては、現在も各社が新製品を市場に投入し続けている。

 おそらく、日本の家電市場を担当しているのは若手のマネジャーが中心だと思われる。日本市場という成熟した市場は、よく言えば市場規模が読みやすいが、悪く言えばこれ以上の顧客ニーズがどこにあるのかが解りにくい。こうした状況に若手マネジャーを置くことで、顧客ニーズを深耕するというマーケティングの難しさを実感させるとともに、製品企画から設計、製造、販売、アフターサービスまでの一連のマネジメントを経験させる。そして、将来的には家電以外の事業でのマネジメントを任せるというキャリアプランを描いていると推測される。

 また、以前の記事「『構造転換の全社戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』―家電業界は繊維業界に学んで構造転換できるか?、他」で書いたように、海外に工場を作った場合には、ある事業から撤退すると決めても、現地社員の雇用を維持しなければならないなどの理由から、工場を簡単に閉鎖できるわけではない。繊維業界に倣えば、10年単位という長いスパンで物事を見なければならない。この点も、中国を中心に、製造のほとんどを海外で行っている日本の家電メーカーが依然として家電事業を続けている理由の1つであろう。

 多くの家電メーカーは<象限②>に移行した際、IT、金融、原発、インフラ系を選択した。その中で、自動車に注力しようとしているパナソニックは異色である。パナソニックにとっての第一の関門は品質管理である。自動車業界は<象限②>の中でおそらく最も品質管理が厳しく、その自動車業界の中でも最も品質管理に厳しいトヨタをパナソニックは選択した。パナソニックがトヨタの要求する品質レベルにどれだけ耐えられるかがポイントとなる。

 もちろん、家電でも品質管理は重要である。しかし、家電と自動車では品質管理の厳しさが段違いである。家電が不良品であっても、せいぜい発火してユーザーが火傷を負う程度である(それでも重大な問題ではある)。たまに家電が爆発するケースが報告されるが、これは経年劣化や、消費者による誤った使い方が原因であることがほとんどである。ところが、自動車が不良品の場合は人の命にかかわる。だから、自動車業界は、不良品率を100万分の3.4以下に抑えるシックスシグマを超えて、「不良品ゼロ」を要求してくる。さらに、自動車がユーザーによって改良されても事故を起こさないというレベルの品質を実現しなければならない。

 LIBはEVの心臓部である。仮に、LIBの欠陥が原因で大量リコールが発生すれば、AIS社は巨額の損失を負うことになる。AIS社は、LIBの製造を含むエナジー事業の2021年度の売上目標を、2017年度比で約2.5倍の1兆4,000億円に設定している。もしこの計画が実現するならば、なおさらリコール時の損失リスクは拡大する。パナソニックの2017年度の連結営業利益は3,805億円である。グループ全体で2021年度にどの程度の営業利益を目標としているかは解らないが、4年で大きく伸びる予測を立てているとは考えにくい。よって、急成長したLIBがリコールの原因となった場合、リコールによる損失がパナソニックの連結営業利益を全部食いつぶす可能性すらある。だから、パナソニックの各事業は、収益力を少しずつでもよいから高めて、その積み重ねでリコールのリスクを吸収できる財務基盤を作っておかなければならない。

 第2の関門は価格である。トヨタ―パナソニック連合では、AIS社がセル製造を、トヨタがセルのパックを担当する関係にある。東洋経済オンラインの「パナソニックの車載電池がなぜ世界の自動車メーカーに選ばれるのか」という記事では、次のような社員の声が紹介されていた。
 「電池開発は、システム全体が最適化するように調整をとりながら進めていく、いわば究極の『すり合わせ工業製品』です。そこに難しさと同時に、『付加価値の源泉』があります。世界の自動車メーカーが電気自動車へと舵を切っていますから、今後ますます車載電池の重要性と市場が高まっていくことは間違いありません(以下略)」
(※太字下線は筆者)
 だが、トヨタの認識は違う。本号から引用する。
 寺師(※トヨタ取締役副社長):1個1個の電池そのものは、たぶん電池会社のほうが強いのですが、これをパックにして車に搭載し、どう制御するかという領域では、自動車会社の技術なしには成り立たないでしょう。効率良く電池を並べつつ、うまく冷却していかに劣化を食い止めるかなど、パックの部分はかなり技術力の勝負になると思います。
(寺師茂樹、米倉誠一郎、延岡健太郎、藤本隆宏「利用シーンに適した電動車で多様なモビリティサービスを展開する」)
 つまり、トヨタはセルはモジュール化すると見越して外部調達する一方で、セルのパック化は制御系との擦り合わせが必要だと考えている。これは当然と言えば当然で、EVの価格の大部分を占めるのがLIBである。LIBの本体=セルが擦り合わせを必要とするならば、LIBの価格ならびにEVの価格はいつまで経っても高止まりしたままで、EVが普及しない。だから、トヨタをはじめとする自動車メーカーは、セルをモジュール化して価格を下げてほしいと願っている。

 こうした事情に、トヨタ特有の取引慣行が加わる。本ブログで何度か書いたことがあるが、トヨタは部品の製造を下請企業に外注する際、いきなり下請企業と交渉には入らない。まずは、自社でその部品を作ってみて、部品の製造にいくらかかるのか計算する。そして、下請企業にはそのコスト以下の価格で作らせる。このやり方がうかがえる記述が本号にあった。
 寺師:ある電池を使えと一方的に言われるよりも、「こんな電池をつくると、電動車の燃費がもっと良くなる」と、車側の視点でモノを言うためにも、最初のうちは自分たちで電池をつくらないといけません。(同上、太字下線は筆者)
 だから、AIS社はトヨタに価格面で相当叩かれているに違いない。トヨタは品質に対して非常に厳しいのと同時に、車の価格が大衆の手の届くものになるかどうかをものすごく気にする。AIS社はこのような厳しい状況の中で利益を確保しなければならない。

 ところで、本号の「自動車の電動化を取り巻く業界動向と問われる競争力」(佐藤登)という論文に「スマイルカーブ」が登場し、LIBに関しては電池製造、モジュール化がカーブの底にあたるため最も利益率が低く、パックシステムはカーブの右上にあり利益率が高いという説明があった。だが、このスマイルカーブは恣意的に操作できるため、あまりよいツールではない。LIBを単体で取り上げれば前述のようなカーブになる。しかし、部品製造から最終組立までにフォーカスしてスマイルカーブを描けば、LIBは部品であるからスマイルカーブの左上に位置し、利益率が大きいことになる。自動車メーカーに関しても同様で、部品製造から最終組立までのスマイルカーブにおいては、自動車メーカーは右上に位置するから利益率が高い。ところが、自動車産業全体、すなわち、部品製造からアフターマーケットまでを視野に入れてスマイルカーブを描くと、自動車メーカーはカーブの底に位置し、利益率が低いことになってしまう。

 値下げの圧力は海外からもやってくる。注意すべきは中国のCATL(寧徳時代新能源科技)の存在である。AIS社はトヨタにとってのファーストサプライヤであるとともに、ホンダのセカンドサプライヤである(ホンダのファーストサプライヤはBEC〔ブルーエナジー:ホンダとGSY[ジーエス・ユアサ・コーポレーション]の合弁〕)。それ以外の自動車メーカーにもLIBを納入しており、その数は2018年3月時点で12社74モデルに上るという(CarWatch「パナソニック AIS、2021年度には売上高2兆5000億円。自動車部品メーカートップ10へ」〔2018年6月1日〕より)。

 一方で、CATLは中国で生産を行う自動車メーカーを中心にLIBを納入している。中国企業だから安かろう悪かろうと侮ってはならない。日産自動車の中国工場もCATLを調達先としている。つまり、CATLの品質は日本企業も認めている。調査会社テクノ・システム・リサーチによると、2018年度のLIBの出荷量シェアは首位のAIS社18%に対して、CATLは17%になる見通しである(日本経済新聞「電池競争、新星は臆さない 中国CATLが台頭」〔2018年3月14日〕より)。今後、両社の激しい競争が予想されるが、AIS社は高付加価値化で差別化するという(電子デバイス産業新聞「車載電池に賭けるパナソニック」〔2018年8月10日〕より)。だが、日産が既にCATLの品質を認めているという現状で、それ以上の高付加価値化が何を意味するのかは定かではない。EVを普及させたい自動車メーカーのニーズは、むしろ低価格化である。

 価格を下げるには生産量を拡大する必要がある。しかし、PCやスマートフォンが急速に世界中に普及し、DRAMの生産量も急増して価格が急落したのに比べると、EVは前述の通り各国の政策に強く制約されることから、それほど急速には普及しない。つまり、大量生産でコストを下げるという方法だけでは限界がある。となると、セルの製品アーキテクチャを擦り合わせ型からモジュール型へと抜本的に変更し、コストを大幅に下げるしかない。

 怖いのは、東京大学大学院経済学研究科教授の藤本隆宏氏が著書『日本のもの造り哲学』(日本経済新聞社、2014年)で指摘したように、中国企業は擦り合わせ型の製品をモジュール型に換骨奪胎するのが上手いということである。もちろん、中国も全ての擦り合わせ型製品をモジュール型に変換できるわけではない。擦り合わせ型の代表である自動車は、まだ換骨奪胎に成功していない(それでも、中国の自動車市場のうち、地場系は約4割のシェアを占めるに至っている)。だが、仮にCATLがLTBのモジュール化に成功したら、AIB社は行き場を失う可能性がある。AIB社が擦り合わせ型や高付加価値化にこだわって価格を下げようとしなければ、それはかつて本業=家電事業がたどった道であり、再び中国企業に敗北を喫するかもしれない。

日本のもの造り哲学日本のもの造り哲学
藤本 隆宏

日本経済新聞社 2004-06

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2018年09月22日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(2)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 (前回の続き)

 ③ティール組織の場合、伝統的な正社員という概念が崩れる。1日何時間、1週間に何日働き、どこで仕事をするかについて、メンバー間のコミュニケーションを通じて決定する。私はそれはそれでよいと思う。実際、オランダではそのような働き方が認められており、法律にも労働者の権利として明記されている。問題は、ティール組織ではフリーランスを活用する局面が増えるだろうとされている部分である。チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』で紹介されている企業が正社員比率を高めているのとは正反対の現象である。

 確かに、経営課題の解決に必要な人材を、ジャスト・イン・タイム方式のように調達できれば、非常に効率的な経営が実現されるかもしれない。だが、企業にとって効率的であるということは、フリーランスにとっては企業に搾取されることを意味する。私も長くフリーランスをやっているので、これは身に染みて解る。もちろん、中には顧客企業との交渉に長けていて、会社員時代よりも高い年収を獲得している人もいる(私も、もう少し営業が上手だったらよかったのにと思ったことが何度もある)。しかし、大半のフリーランスは非常に年収が低いことが中小企業庁の『小規模企業白書』でも明らかにされている。実際、ランサーズなどを覗いてみるとよい。「こんな報酬で生活できるか」と怒りたくなるような案件がごろごろ転がっている。

 日本に限った話になるが、フリーランス(個人事業主)は国民健康保険と国民年金に加入する。国民年金の毎月の保険料はそれほど高くないものの、その反面、老後の年金額は非常に少ない。国民健康保険に関しては、今まで健康保険料が会社と個人で折半されていたものが全額個人負担になるため、保険料が非常に高くなる。しかも、国民健康保険は年金暮らしの高齢者や無職の人の割合が高く、さらに医療費もかさむことから、余計に高い保険料が課される。一方で、雇用保険が存在しない。そのため、万が一病気で仕事ができなくなっても、傷病手当金が給付されない。育児休業給付金も介護休業給付もない。個人事業主が廃業しても、失業手当はもらえない。このように、フリーランスを取り巻くセーフティーネットは非常に脆弱である。

 仮に、このようなセーフティーネットの問題が解消されたとしても、フリーランス頼みの経済や経営は非常に危険であると考える。まず、フリーランスは所詮個人であるから、大きな仕事ができない。現在、政府は働き方改革の一環としてフリーランスを増やそうとしているが、フリーランス中心の経済は、ちまちまとした仕事が集合したつまらないものになるだろう。

 たとえ企業がフリーランスをかき集めて大規模な仕事をするとしても、よほど契約をしっかり結んでおかない限り、プロジェクトの終了とともにフリーランスのノウハウは雲散霧消し、企業に蓄積されない。正社員中心の企業であれば、社員のノウハウは企業に属することになっているから、ノウハウがちゃんと残る。そのノウハウを活かして別の社員が仕事をし、ノウハウを膨らませる。さらに別の社員がそのノウハウを活用して仕事をし、ノウハウを発展させる。この繰り返しによって、強力なコア・コンピタンスが形成される。これが正社員中心企業の決定的な強みであり、社会的に意義のある大規模な仕事をやり遂げる競争力の源泉となる。

 私は、人間が1人では決して携わることができなかったような大型の仕事に加わるチャンスを与えられるという点でも、社員に対して十分な社会保障を与えられるという点でも、現代の会社という形態が最強だと思っている。つまり、会社は資本主義的にも社会主義的にも優れているのである。個人的には、フリーランス社会を歓迎することはできない。

 ④ティール組織は達成型組織と違って、定量的な目標を追っていないと書いた。だが、本書で紹介されているティール組織は皆、通常の組織よりも高い業績と成長率を達成しているという。私は、何だかんだ言っても、ティール組織は成長の幻想を未だに追いかけているのだと思う。以前、「上原春男『成長するものだけが生き残る』―日本企業は適度に多角化した方がよい」などと呑気な記事を書いてしまったが、現代の成熟社会においては、成長に代わる新しい発想が必要とされている。アメリカは日本と違って人口が増加しているからまだ成長が見込めると思われるかもしれない。だが、そのアメリカでも、GDP成長率は2018年で2.93%(予測)にとどまる(ちなみに、日本は1.21%)。成熟社会に適した新しい経営のあり方が必要である。

 経済が順調に成長を続けている時代においては、毎年新入社員を採用し、その数も年々増加させることができた。しかし、以前の記事「平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵」で書いたように、採用した社員から、転職した人や業績不振の人を除いた大半の社員を順調に上のポストに昇進させるには、業績を猛スピードで伸ばす必要があり、どうしても限界がある。企業の規模が大きくなればなるほど、その難易度は上がる。これまでは子会社を作ったり、関連会社に出向させたりして何とか雇用を維持できたものの、最近はその手も使えなくなっている。

 近年、成長という言葉に代わって持続可能な経営という言葉が使われるようになっている。この言葉には2つの意味があって、1つは自然環境に配慮し、自然と共存できる経営を目指すという意味である。もう1つは、これまでの高い成長を諦め、低成長で満足するという意味である。しかし、後者の場合、低成長を続けた結果、ある日突然人員過剰に耐えきれなくなり、大規模なリストラを行うという爆弾が隠されている。私は、そんな爆弾の爆発を将来に先延ばしにするくらいなら、いっそ最初から企業規模の縮小も視野に入れ、経済の成熟度合いに合わせた経営を行うことを社員に対して宣言しておいた方が親切であると思う。

 現在の雇用を守るために、新卒採用を抑制する企業も少なくない。だが、若年層の失業率が高いと社会が深刻な不安に見舞われることはヨーロッパ諸国が証明済みである。新卒採用は続ける。しかし、雇うことができる社員数には限りがある。となれば、後は中高年社員に退出してもらうしかない。以前から主張しているように、私は年功序列は支持するものの、終身雇用は支持していない。だから、今後は解雇権の条件緩和を議論する必要があると考える。

 今までは、成長が見込める事業機会を発見し、その機会を獲得するために最適な組織や人員配置を検討するという手順を踏んでいた。しかしこれは、その事業機会に手を出せば、大部分の既存社員を昇進させ、さらに新卒採用もできるほどに高い成長が期待できることが前提であった。ところが、その前提が崩れて以降、企業は事業機会の期待成長率だけしか見なくなった。そして、数年後に人員過剰が判明すると、慌ててリストラに走るのであった。ひどいコンサルティング会社になると、将来的に人員過剰になることに薄々気づいていながら、さもその事業機会に手を出せば業績が上向くかのように見せかけてまずは事業機会のみを提案しておき、いざ社員が過剰になったら今度はリストラを提案して、同じ顧客企業で2度儲けるというビジネスをしていた。事業会社もコンサルティング会社も、従来のやり方を改める時期に来ている。

 戦略立案に先立って、仮に既存社員の大半を昇進させ、さらにマネジャーやリーダーの数に見合うだけの新卒採用を行った場合の人員構成と人件費総額を明らかにしておかなければならない。その次に、外部環境アプローチでも内部環境アプローチでもよいのだが、成熟社会においてもなお成長が見込める事業機会を必死に探す。その事業機会の候補の中から、できるだけリストラを最小限に抑えることができる事業機会を選択する。

 従前の戦略プロセスでは、事業機会を選択し、結果的に余剰となった社員に対しては、ある日突然「ハイ、サヨナラ」と告げていた。だが、これからの戦略プロセスはもっと温かみのあるものにしなければならない。誰が余剰人員になるのかを慎重に見極めなければならない。特に中高年社員について、本人のキャリア志向、本人と組織の価値観の重なり具合、これまでの経験や知識・能力、過去の人事考課の結果、周囲の社員に与えている影響、周囲の社員から支持されている度合い、モチベーションの高さ、今後のポテンシャル、キャリアの予定などに関して、1人ずつ丁寧に評価する。その評価を踏まえて、どうしても自社から溢れてしまうと判断した社員に対しては、早い段階、できれば退職(解雇)の2~3年前にその可能性を伝える。

 社員には、その2~3年の間に次のキャリアをどうするのか考えてもらう。企業側は、社員の次のステージに向けた準備をバックアップする。異業種へ転職するというのであれば新しい能力の開発や知識の習得を支援し、起業するというのであれば資金の融通や経営ノウハウの提供を行い、Uターン・Iターン転職するというのであれば転居資金の手当てや転居に関わる諸々の手続きのサポートをする。ここまでが、新しい戦略のカバーする範囲である。

 (ちなみに、私はこれから40代のミドル世代の起業が急増すると予測している。ミドルが興した企業は、最初の数十年は順調に成長し、社員数を伸ばすだろう。だが、やがて既存企業と同じように成長が頭打ちを迎える。その際、昇進のポスト数が限られてくる60代ぐらいのシニア社員が退職〔解雇〕の対象となる。一昔前であれば、もうここでリタイアとなるところだが、最近のシニアは元気であるし、また医療費の抑制という社会的な要請もあって、まだまだ働き続けることになる。だから、長い目で見ると、シニア世代の起業も増える。働ける人は80代ぐらいまで働く。この辺りについては、前掲の記事「平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵」で書いた)

 本当は、雇用保険がこうした支援をしてくれればよいのだが、ハローワークの職業能力開発は硬直的であるし、ハローワークが起業支援をするにしても、ハローワークに事業の可能性を評価できる能力があると思えない上、お役所仕事的に大量の書類を要求するだけだろう。だから、こうした取り組みは企業自身が行った方がよい。当然のことながら、これらの取り組みには相応のコストがかかるから、新しい戦略を事業計画に落とし込む際には、そのコストも考慮した予測損益計算書、予測貸借対照表を作成しておかなければならない。企業が単独で対応することが難しければ、産業全体で雇用保険とは別の基金を作ってもよいと思う。

 人口減少によって国内の需要が減るのであれば、国内の供給も減る。過去の日本経済の栄光にすがって、いつまでも成長を追いかける必要はない。これからは、需要と供給の減少に合わせて、企業をダウンサイズすることも選択肢の1つに入ってくるだろう。ここで、国内の需要が減るならば、新たな成長源を求めて海外に進出するべきだという意見も聞かれる。だが、日本企業が海外で売上を獲得するということは、その分現地企業の売上を奪うことに等しい。その国のGDPは増えても、GNPは減ってしまう可能性がある。これは、新しい経済植民主義になりはしないかと私は心配している。現在、安倍政権は中小企業の海外進出を強力にプッシュしているけれども、日本企業がこぞって海外に進出するまでもないと思う。

 幸い、需要が減ると言っても、代わりとなる新しい産業や市場は生まれているし、供給が急激に減りすぎて困窮している産業もある。企業は、余剰社員と簡単に縁を切るのではなく、彼らがそのような産業へとスムーズに移行できるように支援することまでがその責任範囲となるだろう。ただし、退職(解雇)の2~3年前にその可能性を告げられた社員のモチベーションをどうやって保つか、退職(解雇)の妥当性をめぐる法的問題にどのように対処するか、彼らのモチベーション低下が周囲の社員に悪影響を与えないようにするにはどんな策を講ずればよいか、退職する社員が起業という道を選択した場合、今までとは全く能力やマインドセットが要求されることになるが、その習得を具体的にどう後押しするのか、といった問題が想定される。

 ⑤存在目的に向かて経営を行うティール組織は、価値観重視の経営を行っていると言える。価値観重視の経営については、以前の記事「チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』―「価値観重視」の経営は重要だが、ちょっと油断すると簡単に崩壊する」でも書いた。だが、肝心の価値観の具体的な中身については深掘りをしてこなかった。旧ブログで「なぜリーダーにはリーダー固有の「価値観」が必要なのか?」などといった記事を書いてきたが、私の怠慢でそれ以来ほとんど進歩が見られていない課題である。

 経営陣は何に関する価値観を重視し、それを「組織に練り込」めばよいのか?まず考えられるのは、顧客や製品・サービスのレベルに関する価値観である。「顧客はこういうニーズを持っているはずだ」、「顧客はこういう暮らし(BtoC)、事業(BtoB)を実現したいと思っているはずだ」、「我が社の製品・サービスはこういう価値を実現しなければならない」などといった価値観である。こうした価値観は、経営陣が実際に顧客に会って個別のニーズを拾い上げ、それをアブダクティブ・アプローチ(仮説的推論)によって一般化することで導かれる。

 しかし、顧客や製品・サービスに関する価値観は、時代や社会の変化に伴って変質する可能性が極めて高い。先ほど紹介した旧ブログの記事では、書籍に対する日本人とアメリカ人の認識の違いを述べた東京電機大出版局長の意見を引用したが、これとて決して固定的なものではない。いつ日本人とアメリカ人の認識がひっくり返るか解らない。また、今まで多くの企業は「安さ」、「早さ」を重視してきたものの、近年は環境意識の高まりや自然災害・企業不祥事の増加を受けて、「自然との調和」、「安全性」を重視する方向へと舵を切る企業も多い。よって、顧客や製品・サービスに関する価値観は、経営のベースとするには柔らかすぎる。

 次に考えられるのは、企業の成長や変化に関する価値観である。「我が社はスピーディーな成長を追求している」、「我が社は常に変革に挑戦しなければならない」といったものである。GEはジャック・ウェルチ時代に「スピード、スピード、スピード」というスローガンを掲げていたことがある。ところが、市場の成長が鈍化すると、この価値観は途端に無効になる。そもそも、こうした価値観は、④で述べたような成長への幻想にとらわれたものであるから、危険をはらんでいる。GEはとうの昔にウェルチのスローガンを捨て去った。現在のGEは、ジョン・フラナリー体制の下で、社員の創造力を重視する人間中心の価値観に転換している。

 事業環境の不確実性が高まると、変革への挑戦という価値観も多く見られるようになる(実は、事業環境の不確実性が高まっているという認識は、既に1970年代の新聞に掲載されていたことを私は確認している。よって、変革への挑戦という価値観も、その当時から存在したと推測する)。だが、価値観重視の経営の目的は、社員が人間としての叡智を結集した結果、自ずと変化に適応できるような強い組織を作ることであり、最初から変革を目的とした組織を作ることではない。目的と結果を混同してはならない。変革への挑戦という価値観は、明らかに変革それ自体が目的と化するリスクを帯びている。もはや笑い話だが、富士通が1990年代後半に、変革する組織への脱皮を目指して成果主義を導入した際、目標管理シートに「今季の目標は、○○部門の組織名を△△へと変えることです」と書いた社員がいたそうだ。

 私は、価値観重視の経営が重視すべき価値観とは、結局のところ働く社員に関する価値観なのではないかと考える。言い換えれば、人間の存在とは何かに関わる価値観である。これは、時代が変化しても簡単には変わらない。「人間は何を得ると安心するのか?逆に、人間を苦しみに追い込む状況とは何か?」、「人間は何を動機として生きているのか?」、「人間は仕事を通じて何を実現したがっているのか?」、「人間はどのような家庭生活を望んでいるのか?」、「人間は総合的にどのような人生を歩みたいと思っているのか?」、「人間は他の人間とどのような関係を構築したいのか?」 ここまでは人間の本源的な欲求に関する問いである。

 同時に、人間の社会性に関する問いも発しなければならない。「人間は社会に受け入れられるためには、どのように振る舞うべきか?」、「人間はどうすれば社会との絆を強められるのか?」、「人間は社会や共同体に対してどのような貢献をすべきか?」、「人間が『人間』、つまり和辻哲郎の言うように人と人との間に生きる社会的動物となるためには、いかなる道徳、規範、倫理に従う必要があるのか?」、「それらの道徳、規範、倫理はどのような社会的背景、人々の合意の下に成立したものなのか?」などといった問いである。これら両面の問いに答えることで、人間の存在に対する理解を深め、人間の欲求とその人間の集合体である組織の規律を調和させながら、組織が目指す成果を上げるためのマネジメントの原理原則を導く。

 これらの問いに答えることは、言わば人間学を極めるということである。現在の日本の経営者で最も人間学を極めているのは稲盛和夫氏だと思うのだが、人間学の極みに達すると、その価値観は非常にシンプルになる。これは、ブログ別館の記事「稲盛和夫『生き方―人間として一番大切なこと』―当たり前の道徳を実践することの重要性」を見るとよく解る。だがここで注意が必要なのは、皆が同じような価値観に到達してしまうと、結局それは普遍的価値となり、せっかくのティール組織も、私が前回の記事で恐れていたような全体主義的な経営論になってしまうということである。それを避けるには、価値観の解釈を多義化することである。そして、多義化された価値観を複数組み合わせることで、多様性を確保することである。

 先ほど挙げたどの問いも、その答えは1つに収斂するとは限らない。前掲の記事「チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』―「価値観重視」の経営は重要だが、ちょっと油断すると簡単に崩壊する」でも書いたように、基本的によほどのことがない限り、価値観に善悪はなく、ある価値観とは正反対の価値観が成立することがある。例として、X理論とY理論がある。X理論は、人間は本質的に怠け者なので、飴と鞭を駆使して強制的に働かせなければならないという価値観に立脚している。一方、Y理論は、人間は本来的に成長を志向する存在であり、適切に動機づけをすれば自律的に創意工夫を凝らして仕事を遂行することができるという価値観に立つ。X理論の信奉者は随分減ってしまったものの、途上国で人材の能力がまだ十分に開発されていないような環境では、未だに有効であると言われる。

 ある価値観を思いついた時、それとは正反対の価値観が成立しないか検討することには大きな意義がある。仮に正反対の価値観が発見された時、当初思いついた価値観とどちらが優れているかを慎重に検討する。あらゆる経営者がこのような知的作業を行えば、価値観の選択肢が増え、その組み合わせのパターンも広がり、価値観重視の経営が多様化する。

 人間学を学ぶには、経営者が実際の人間に会い、彼らから学習することが第一の方法である。しかし、経営者個人が会うことのできる人間の範囲には限界がある。そこで、人間学を学ぶ格好の材料となるのが歴史である。歴史には、その時代を生きた人々がどのような価値観に基づいて人生を送ったのかが膨大に記録されている。その記録を読み解き、どういう価値観は上手く機能し、どういう価値観は失敗へと至るのかを自分で考え抜く。歴史は、リアルネットワークの限界を突破する。経営者に歴史好きが多いのは決して偶然ではない。ただ、最近は過去を振り返りもせず、歴史の価値を軽視し、自分がどれだけ儲かったを自慢する世俗的で刹那的な人生に埋没している経営者が増えているような気がしてならない。

2018年09月21日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 著者によれば、組織は長い歴史を通じて、受動的、神秘的、衝動型、順応型、達成型、多元型、ティール(進化)型へと進化するという。現在、多くの組織は達成型の段階にいる。達成型では、まずは明確な戦略を策定し、売上高、利益、市場シェアなどの定量的目標を設定する。利益を確保するためのビジネスモデルと、戦略を実現するためのビジネスプロセスや組織、経営慣行を論理的に設計する。社員を飴と鞭の使い分けによって動機づけし、目標を達成することができたら、それに見合う業績給を与える。これが達成型の経営である。多元型については本書ではほとんど述べられていないが、要するに多様なステークホルダーの利害のバランスを取る経営のことである。そして、その後に待っているのがティール型である。

 本書を出版しているのが、C・オットー・シャーマー『U理論―過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』(2010年)やジョセフ・ジャウォースキー『源泉―知を創造するリーダーシップ』(2013年)などを取り扱っている英治出版であるため、『U理論』や『源泉』のように、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」(我々の目に見える世界の背後にある統一的な無意識の世界。我々が目にしている世界のことをボームは「顕前秩序」と呼ぶ)というコンセプトを下敷きとして、人々がダイアローグ(対話)によってつながり合えば、私とあなたという境界線は消滅し、無意識のレベルで1つになって自ずと変化が生まれるといった内容だったらどうしようかと思った(『源泉』に至っては、ダイアローグの相手はもはや人間でなくてもよく、動物であっても意識を昇華させることが可能だとされている)。

U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C・オットー・シャーマー 中土井僚

英治出版 2017-12-20

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 人間には古代から「普遍」に対する憧れがあるらしく、統一的な価値を中心に、人間が皆平等で、個人が個人であると同時に全体に等しいような集合を志向するようである。啓蒙主義はその憧れの実現を一気に推し進める運動であった。だが、これは言い換えれば全体主義であり、その暴力性は歴史が証明してきたところである。だから、ピーター・ドラッカーは、特にジャン・ジャック・ルソーに代表されるフランス啓蒙主義に対して、キャリアの初期から批判的であった。私も、人間の理性が完全であるというのは決して叶わぬ夢であり、理性が限定されているからこそ自由で多様な思想が生まれると信じている。世界がその自由に寛容であることが真の保守的なリベラリズムであって(日本のガラパゴス化したリベラルは、「保守的なリベラリズム」などという言葉を理解できないであろう)、私はそれを支持したい。

 ティール組織は全体主義につながるような危険なマネジメント思想ではなかったので、私としてはひと安心した。ティール組織とは、簡単に言えば、大きな存在目的に向かってそれぞれのチームが自主経営を行う組織である。ティール組織は流動的なチームによって経営され、各チームに大幅な権限が与えられている。なお、ティール組織では、権限は経営陣から移譲されるものではなく、最初からチームが保有しているものだとされるため、権限委譲という言葉は使われない。ティール組織には、全社的な戦略も定量的な目標もない。

 まず、目の前にいる様々な顧客に対して何ができるかを全社員が考える。その顧客に提供可能な価値が全社的な存在目的と合致するならば、その顧客のために働く。それぞれの顧客が抱える課題が明らかになったら、その課題を解決するのにふさわしいチームが自発的に結成される。チームは成果と目標を掲げるが、定量面よりも定性面が重視される。「我々は顧客に対して、社会に対してどのような貢献をすべきか?」といった具合だ。チームは、顧客の課題解決に必要な経営資源を自力で調達する。社員はチームで採用し、育成・評価もする。原材料・機械などの購入権もチームにある。ITシステムの構築もチームが主導権を握る。原材料購入やシステム構築の予算は、チームが本社から獲得しなければならない(ティール組織では、現場の権限が大きい反面、本社の規模は非常に小さい)。それぞれのチームメンバーは、こうしたタスクを含め、マネジャーや他のメンバーの役割を積極的かつ大幅に引き受ける。

 チームだけで課題を解決することが困難な場合は、他のチームと調整することができる権利がある。タスクや経営資源の融通をめぐっては、チーム間のコミュニケーションを通じて自由に決定される。あるチームが他のチームに相談する権利を有する代わりに、他のチームから相談を持ちかけられた場合にはそれを断ってはならない。現場の問題は基本的に現場で解決するというのがティール組織の基本スタンスである。どうしても現場では問題が解決できない場合に限って、経営陣に対してその問題がエスカレーションされる。もちろん、チームは課題解決のパートナーを社外に求めてもよい。ただし、社外のパートナーとの契約上のやり取りやパートナー関係のマネジメントに関しては、そのチームが全責任を負うことになる。

 ここまで見ていくと、ティール組織とは、全社員が経営者となることを目指している組織であると言える。ドラッカーはかつて『経営者の条件』の中で、「時間をマネジメントする者はエグゼクティブ(経営者)である」と述べた。ティール組織の社員は、時間だけでなく、あらゆるタスクや資源をマネジメントしている、正真正銘の経営者である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは戦後のGMを研究する中で、「分権化」という概念を提唱したことでも知られる。ここからは私の勝手な解釈だが、アメリカはマズローの欲求5段階説で最上位の欲求に位置づけられる「自己実現」を目指す社会である。しかし、いくら自由と平等を標榜するアメリカでも、全員が自己実現をすることはできない。自己実現ができるのは、企業の経営陣ぐらいであろう。残りの人々は、自己実現を目指す経営陣に利用され、運がよければ4番目の承認欲求が得られるという状態であった。しかし、分権化を通じて経営の責任が各事業部のマネジャーに下りてきたことで、彼らもまた経営を手に収め、自己実現が可能になった。そして今、ティール組織によって全員が経営者となることで、全員が自己実現の機会を獲得したと考えられる。

 このように書くと、ティール組織はいいことづくめのように思える。しかし、本書は解を提示した書ではなく、問題提起をした書であると思うから、この本を手がかりにいくつかの問題を検討しなければならない。さしあたって私が考えついた問題を5つ列挙する。

 ①本書を読むと、ティール組織がある課題に直面した場合、その課題を解決するための諸々のチームが即座にでき上がって、連携しながら迅速に仕事を完遂するような印象を受ける。本書には明確に書かれていないが、これはおそらく複雑系の理論の影響を受けていると思われる。ブログ別館の記事「マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』―秩序と変化を両立させる複雑系」でも書いたように、複雑系においては、組織が環境からある変化を受けると、場を通じてその情報が組織内の連関要素に伝わる。ここで言う場とは、組織の価値観と言い換えてもよい。組織が価値観によって十分に充填されているほど、情報の伝達スピードは上がる。組織の諸要素は情報を好きなように解釈するため、カオスが生じる。だが、組織全体で見てみると、一定の秩序を保って変化している。これを自己組織化と呼ぶ。

 複雑系の理論は実験でも確認されていることであるし、ティール組織を日本も取り入れることができたら望ましいであろう。ただし、個人的には、本書に書かれているティール組織を日本企業がそのまま実装すると、かえって大変な問題を生むことが危惧される。ティール組織は、端的に言えば、全ての物事をインフォーマルなやり方で進めようとする組織である。ところが、日本人はこのインフォーマルというものに滅法弱い。フォーマルなやり方を軸として、それをインフォーマルなやり方で補うのが日本人の性に合っている。

 仮に、日本企業が今すぐティール組織を導入した場合、すぐに予想されるのは、仕事のやり方をその都度チーム内やチーム間のコミュニケーションを通じて決定することによって、業務の属人化がさらに進んでしまうことである。ただでさえ「重い」と言われる日本企業は、ティール組織でスピードが上がるどころか、むしろスピードが下がるに違いない。私は、良品計画のように立派なマニュアルを作るべきだとまでは思わないが、ティール組織においてもマニュアルというフォーマルな標準を上手に活用することが重要ではないかと考える。

無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい
松井 忠三

角川書店 2013-07-10

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 マニュアルは全てのケースを網羅する必要はない。近年多くの企業が採用しているペルソナマーケティングに関して言えば、代表的なペルソナを持つ顧客に対して製品・サービスを製造・販売するプロセスを標準プロセスとして規定すればよい。大切なのは、ペルソナから外れる個別の顧客に対する個別の対応プロセスを、誰がいつどのようにしてマニュアルに反映させるかを前もってはっきりさせておくことである。これを公式化しておかないと、マニュアルの改訂が属人化するという意味不明な事態になる(最近私が見た企業では、同じ業務に対してほぼ同時期に4種類のマニュアルが作成されており、マニュアルが意味をなしていなかった)。

 社会人類学者の中根千枝氏が分析した通り、日本はタテ社会である。ティール組織は、U理論のような完全にフラットな組織は志向していない。最小限の階層は認める。しかし私は、日本企業は階層構造を残すべきだと考える。多少コミュニケーションパスが長くなっても、タテのフォーマルなラインを保った方がよい。日本は儒教の影響を強く受けている。下の階層の者は上の階層の者を尊敬しなければならない。尊敬は社会の秩序を維持する上で大切な感情である。それを確認するには、尊敬がない社会を想定すればよい。尊敬がない社会では、誰もが自分の実力がNo.1だとアピールし、争いが絶えないだろう。とはいえ、下の者は上の者に唯々諾々と従うだけではない。『貞観政要』などが教えるように、上の者が誤っていれば、下の者は礼に従ってそれを正すことができる。いや、正さなければならない。上の者も下からの諫言を受け入れなければならない。こうした緊張感のある上下関係が、組織を適切に機能せしめる。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝

講談社 1967-02-16

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 山本七平は、日本陸軍に所属していた頃のことを思い出して、ある時組織改編で階層が少なくなったところ、上の者による下の者へのリンチが多発するようになったと述べている(『一下級将校の見た帝国陸軍』〔文藝春秋、1987年〕)。また、近年様々な組織でパワハラが問題となっているが、これは組織のフラット化によってマネジャーが大きな権限を持った結果、権限と権力をはき違えたマネジャーが部下に対してハラスメントを働いている現象だと言える。日本の場合、タテのコミュニケーションパスを縮めると、あまりろくなことが起きないようである。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08-01

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 そもそも、ティール組織と日本企業とでは、コミュニケーションの目的が違う。ティール組織では、ほぼ完成された1つの経営体であるチームが自らの経営を「確定」するためにコミュニケーションが行われる。日本企業の場合は、伝統的に職務定義が曖昧で、社員が他の社員やマネジャーの仕事の一部を分担していることが多い。しかし、この点をもって、彼が完全なる経営者であるとまでは言えない。松下幸之助がよく諭していたように、経営者のように発想することは重要だが、一社員が単独で経営者として完成することは決してない。その日本人が経営者に少しでも近づくには、他の社員とのコミュニケーション、特により経営に近い立場にある上司との重層的なタテのコミュニケーションによって、経営的な意味合いへの理解を深める必要がある。つまり、日本組織では、一社員の経営を「補完」するためにコミュニケーションが行われる。

 日本企業の場合、このフォーマルなマニュアルとタテのコミュニケーションが価値観と相まって場を強化し、複雑系の理論に従った組織変化を加速させると考える。

 ②前述の通り、ティール組織の経営陣はほとんど権限を有していない。経営陣の役割は、存在目的を掲げること、ティール組織のインフラを整えること、そして、チームが現場でどうしても解決できない問題が生じたら、その解決に乗り出すことである。どんな製品・サービスを開発するのかも、それぞれのチームに委ねられている。

 ブログ別館の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」でも書いたように、市場が競争的変化のただ中にあり、現場発の創発的戦略が求められている場合はそれでもよいだろう。しかし、市場が構造的変化を迎えていて、包括的戦略が必要な場合には、やはり経営陣が動かなければならないのではないかと感じる。別の言い方をすれば、イノベーションに関しては経営陣が主導的役割を果たすべきだと思うのである。この点については、ブログ本館の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」、ブログ別館の記事「ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない」でも書いたので、ここでは繰り返さない。

 (続く)




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