プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(2)


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正論編集部

日本工業新聞社 2018-09-01

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 (前回の続き)

 (4)医療・介護費の抑制につながる働き方改革
 財務省は、高齢者数の増大により、現在の年金・医療・介護のサービス水準を維持するだけでも、税金投入を毎年1兆円以上増加させる必要があると指摘している。2017年の社会保障給付費(年金、医療、介護、福祉などの合計)は120.4兆円であり、そのうち約38%にあたる46.3兆円が税金で賄われている。私は社会保障制度については全くの素人なので、どのような制度設計が望ましいのかについて述べることはできない。年金に関しては、国が(金額はどうであれ)一定の年齢になったら国民に支払うことを約束しているものであるから、給付額を減らすには制度自体を変えるしかない。だが、医療費と介護費に関しては、制度の変更に頼らなくても、税負担を減らすことは可能なのではないかと考える。

 現在、65歳以上でも働いている人は増加しているし、元気なうちは働きたいと考える高齢者も多い。安倍首相は本号の中で、「半世紀前、65歳以上の高齢者の就業率は33%を超えていました。しかし、今、足元で上昇しているものの、23%になっています」と述べている(安倍晋三「憲法改正案 提出宣言 新聞が報じきれなかったその”全て”」)。厚生労働省「2040年を展望した社会保障改革についての国民的な議論の必要性」によると、都道府県ごとの65歳以上就業率と年齢調整後1人あたり医療・介護費との間には負の相関があるとされている。つまり、65歳以上の就業率が上がると、医療・介護費が下がることを意味する。

 2016年のデータを見ると、65~69歳の高齢者の就業率は、男性が53.0%、女性が33.3%となっている。ただし、これ以上の年齢になると、就業率がガクッと下がる。70歳以上の男性の就業率は19.9%、女性の就業率は9.2%にとどまる(総務省統計局「統計トピックスNo.103 統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)―「敬老の日」にちなんで―」より)。また、男性の場合、非正規雇用の比率は55~59歳で12.8%であるが、60~64歳で53.6%、65~69歳で72.1%と、60歳を境に大幅に上昇する。女性の場合、同比率は55~59歳で60.2%、60~64歳で76.0%、65~69歳で81.5%となっており、男性と比較して上昇幅は小さいものの、やはり60歳を境に非正規雇用比率は上昇している(内閣府「平成29年版高齢社会白書(全体版)」より)。

 就業率が上がれば医療・介護費が下がるからと言って、高齢者をコンビニや飲食店、警備などのアルバイトに就ければよいというわけではない(もちろん、そういう高齢者の存在を否定する意図はない)。高齢者であっても正社員として働き、年齢が上がっても、加齢に伴い増加が予想される医療・介護費を十分にカバーできるだけの給与の上昇が期待でき、仮に年金制度が破綻しても給与だけで食べていけるような企業を作るべきだと考える。そうすれば、就業率上昇という言葉が質的に意味を持ち、医療・介護費が抑制されて、税負担も軽減されるに違いない。また、医療・介護費が抑制されれば、企業も賃金カーブをもっと緩やかにすることができる。

 以前の記事「平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵」でも書いたが、私は年功制は支持するものの、終身雇用は支持していない。終身雇用は高度経済成長時代においても実は維持不能だったのに、この低成長時代では絶対に実現することはできない。だから、大部分の企業においては、40代ぐらいのミドルは1回目の転職・起業を経験する。60代ぐらいまでは次の企業で働くことができても、やがて成長の限界が来て、2回目の転職・起業を経験する。そして、働けるうちは働き続け、70代、80代になっても働く。これが私の考える超高齢社会の未来形である。記事の中でも示したように、将来の日本には3タイプのピラミッドが併存すると予想する。ニュータイプのピラミッド組織が、(3)で示したイノベーションの担い手になることができれば最高である。

 働き方改革も、女性ばかりに焦点を当てるのではなく、ミドル・シニアも視野に入れ、社会保障と関連づけて議論されることを望んでいる。どうすればミドル・シニア人材の起業・転職を促進することができるか?親の介護や自身の疾病のために仕事を一時的に離れる可能性があるミドル・シニア人材が正社員として働き続けられるようにするには、どのような保障制度を用意すればよいか?ミドル・シニアといった高人件費社員を中心とする企業がビジネスとして成り立つために、国としてその企業の戦略構想をどのように後押しすればよいのか?高齢者の正社員としての就業率を高めると、医療・介護費の増加はどの程度に収まるのか?その結果、国民の税負担増はどの程度抑えられるのか?こういった点について議論してもらいたい。

 (5)愛国心・道徳教育の見直し
 安倍政権の大きな実績の1つとして、教育制度改革がある。学習指導要領で愛国心が教えられていることが多方面(特に左派)から批判されている。私も、「学校で愛国心を教える」ことには違和感を覚える。第三者が「好きになってほしいもの」を特定して、「これを好きになれ」と強要したところで、強要された側は本当にそれを心の底から好きになるだろうか?

 国民に愛国心を植えつける方法は、実は非常に簡単である。以前の記事「『魂を伝承する(『致知』2014年11月号)』―愛国心とは愛憎ないまぜの感情」でも書いたが、①神話、②選民意識、③トラウマ、この3つを教えればよい。中国や韓国で行われている愛国心教育はまさにこれである。ただし、この愛国心教育が成り立つためには、1つの条件がある。それは「神話、選民意識、トラウマを形成するストーリーに反する事実が発表されても、それを完全に抹殺するだけの完璧な情報統制が取れていること」である。日本は情報統制が非常に緩い。安倍首相はメディアを通じて政権批判をしないようにと新聞・テレビ局各社に要請したと言われるが、マスコミは相も変わらず政権批判を繰り広げている。日本はその程度の情報統制しかできない国である。だから、日本でこの手の愛国心教育を行うことはまず不可能である。

 それを解っていたのか、安倍首相は別のアプローチを取った。「自然の美しさ、歴史上の偉業、道徳的な価値観などを教えれば愛国心が育つはずだ」と考えたわけである。これはつまり、愛国心を構成する要素を分解し、それを1つずつ教えれば愛国心が育つという発想である。しかし、デカルトの要素還元主義を想起させるやり方で、なんとも古臭いと感じる。それに、愛というのは多様な要素に対する肯定的な評価と否定的な評価が織り交ざった結果としての総合評価として導かれるものである。日本には様々な自然、環境、伝統、文化、慣習、歴史、宗教、社会、共同体、製品・サービス、技術、企業、組織、人材、社会制度などがある(これ以外にもたくさんある)。そのうち、教育の現場で取り上げられるのはほんのわずかにすぎない。

 教育の現場以外の圧倒的な生活空間の中で、国民がこれらの諸要素に触れ、それらをその人なりに評価した結果、「日本にはこういうよくないところもあるが、総じてここが素晴らしい」と感じるのが愛国心である。100人いれば100通りの愛国心があってよい。国家が愛国心を形成できるなどというのは幻想である。私は、日本には多くの課題があるとはいえ、有形・無形の豊富な資源があり、何かしらの視点で見れば、大部分の人はそれを自ずと好きになると信じている。愛国心教育については、安倍首相に見直してもらいたいところである。

 道徳教育についても、私は否定的である。以前の記事「『世界』2018年6月号『メディア―忖度か対峙か』―日本には西洋の社会契約説も自由・平等の考え方もあてはまらない」で、中村学園大学の占部賢志教授は、道徳は単独では教えられず、理科や国語など既存の科目の中で教えることが可能であると主張していることを紹介した。道徳とは、人と人とがお互いに依存し合いながら生きる社会において、社会の存在意義と個人の欲求を調和させるために、どのようなルール・価値観に従うべきかを教えてくれるものである。その点で、道徳とは、以前の記事「フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(2)」で述べた「人間学」のことである。

 上記の記事でも書いたが、「他人を殺してはならない」というごく一部の価値観を除いて、絶対的な価値観というものは存在しない。絶対的な価値観は破壊的な全体主義を招く恐れがある。ある価値観が成り立つ時、それとは別の価値観が成り立つことが多い。かつて、道徳の教科書にパン屋が描かれていた点について、「日本の食文化を教えていない」というつまらない批判が向けられたことがあった。批判した人は、「日本の食文化とはこういうものだ」という何かしらの価値観を持っていたのだろう。しかし、別の見方をすると、「日本人には海外のよいものを摂取して既存文化に接合させる柔軟さがある」という価値観があるとも言える。このように、価値観は多様性を持っている。だから、現在行われているように、生徒が特定の価値観について理解したか否かを1つずつ個別に評価する方法は不適切であると言わざるを得ない。

 また、前掲の記事でも書いたように、価値観は単独で機能するものではない。当事者が長い時間をかけて様々な出来事を経験する中で習得された複数の価値観が複雑に絡み合って一種の「価値観システム」が形成される。その価値観システムには矛盾がないことが望ましく、価値観システムと合致した生活を送ること、また価値観システムと合致した組織を構成することが、人間学に従った生き方となる。この点でも、現在の道徳の成績評価方法は底が浅い。もちろん、教育現場で道徳を学習する意義は十分にあると私も考えている。だが、教育現場で触れることのできる道徳はごく一部であり、また道徳を習得する方法のさわりの部分を学習するにすぎないのであって、学校で扱う道徳が道徳の全てであるかのような扱いには疑問を感じる。

 (6)災害対策
 実は、自民党政権は大規模な自然災害を直接的に経験していない。1995年に阪神・淡路大震災が起きた時の首相は、日本社会党の村山富市であった(自社さの連立政権)。村山政権は、自衛隊出動問題も含め、初動のもたつきで多くの人命が失われたという批判にさらされた。2011年の東日本大震災が起きた時の首相は、民主党の菅直人であった。菅直人は村山富市とは反対に、周囲の反対を押し切って福島第一原発事故現場に乗り込むと言い出したり、災害対応の組織をいくつも併存させて指揮命令系統を混乱させたりした。

 私は、自民党以外の政党では自然災害に対応できず、自民党ならば対応できるとは考えていない。仮に、阪神・淡路大震災や東日本大震災の時、自民党が政権を握っていたら、批判の中身はどうであれ、災害対応の稚拙さを批判されたに違いない。これまでの自民党は、単に運がよかっただけである。今年7月に広島県を中心に記録的な豪雨が発生した際には、安倍首相は呑気に宴会を開いていた。自民党とて、その程度のレベルなのである。

 安倍政権は政策の1つとして、国土強靭化計画を掲げている。災害の規模が大きくなるならば、それを上回る防衛力を持ったインフラを作ればよいという発想である。建設業界と密接なパイプを持つ自民党らしい政策である。だが、ここ数年で我々が学んだのは、「必ず、想定外の事態が起きる」ということである。いくら頑丈なインフラを作っても、建設時には想定していなかった規模の災害が襲ってくる。では、もっと頑丈なインフラを作ればよいと考え出すと、これはもう終わりのないいたちごっこになってしまう。災害をどうやって防ぐかではなく、災害が起きた時に国民の生活不安をいかにして最小限にするかを検討する方が有益である。

 自然災害が起きた時に必ず問題になるが、各地の避難所に避難している住民に必要な物資をいかにして届けるかという点である。災害が起きると、全国各地から続々と支援物資が届く。送る側は善意でやっていても、残念ながら避難所の住民のニーズに合致していないことが多い。過剰な物資は、限りある避難所のスペースを無駄に占有するだけでなく、食品など期限のある物資であれば、最悪の場合破棄しなければならない。ただでさえ災害で甚大な被害を受けているのに、物資の破棄費用を自治体が負担することとなれば、泣きっ面に蜂である。

 だから、被災地を支援するには金銭が一番よいと言われる。ただし、支援金と義援金の違いには注意が必要である。義援金は被災者に直接届く金銭であるが、事務手続きに膨大な時間がかかるのが難点である。東日本大震災では、被災者に義援金が届くまでに1年ほどかかったと言われる。これでは被災者の生活支援という意味合いは薄らいでしまう。一方、支援金は被災者を支援するNPOやボランティアに渡る金銭であり、即効性があると言われる。しかし、NPOなどには、受け取った支援金の使途を報告する義務がない。情報公開の程度はNPOによってかなりの差がある。だから、あまり考えたなくはないが、支援金だけ受け取って、その大半を職員の給与にあてていたとしても、外部からは解らないのである。したがって、NPOなどに支援金を渡したからと言って、被災者の生活が十分に支援されているという保証はない。

 私は、国が主導して、避難所の物資ニーズと、他の自治体や企業、あるいは個人が提供可能な物資をマッチングさせる全国的なシステムを構築すればよいと思う。自治体や企業、個人は、災害が起きた時に提供することが可能な物資に関する情報をあらかじめ登録しておく。災害が発生した場合には、それぞれの避難所に避難している住民の人数を把握し、その数に基づいて必要な物資の種類と数量を算出し、システム上で物資を発注する。その際、近隣の道路や鉄道などの物流インフラの被害状況を考慮して、どの地域の自治体、企業、個人から物資を調達するのが最適なのかを自動的に計算する。ゆくゆくはこの需給マッチングシステムを拡張して、ボランティアの人員調整のシステムを構築できればさらに望ましいだろう。

 (7)ポスト安倍の育成
 安倍首相の在任期間は、このまま順調に行けば、2019年11月19日には歴代1位の桂太郎(2886日)に並ぶ。どんな組織でもそうだが、トップの任期が長くなると、必ず後継者問題が出てくる。しかも、今回は期限が決まっている政権であるから、必ず後継者を指名しなければならない。今回の総裁選で安倍首相と戦った石破茂氏は軍事面に明るく、議論をさせれば強いのだが、首相は議論に強いだけでは務まらない。やはり防衛相止まりの政治家であると思う。安倍政権の外交に大きく貢献した岸田文雄氏が後継者の筆頭になってくれればよかったものの、総裁選をめぐるごたごたで後継者リストからは名前が消えた。

 第4次改造内閣の顔ぶれを見ると、普通はこの人が次の首相だろうというのが何となく見えてくるものである。しかし、実際には、各派閥でずっと入閣待ち状態になっていた人物を登用しただけの、何のサプライズもない人事であった。小泉純一郎は安倍晋三を後継者にすると考えて要職を経験させたのに、安倍首相にはそういう考えはないようである。だから、最近の永田町界隈では、安倍首相と政治路線を同じくする菅官房長官が3年間首相を務め、その後再び安倍首相が登板すればよいなどというアイデアがささやかれているらしい(阿比留瑠比「安倍総理 戦後最大の戦い」)。冒頭でも述べたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック以降は苦難の時代が待ち受けていると予想される。後藤新平は常々、「金を残すは下、名を残すは中、人を残すは上」と言っていた。安倍首相には是非、人を残して首相の座を降りてほしい。

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