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【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因
メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた
加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年09月03日

【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因


業績不振

 2011年7月に「オフィス・エボルバー」という屋号で開業し、2013年1月に屋号を現在の「シャイン経営研究所」に変更して、今年で独立診断士として丸7年を迎えた。ただ、2013年7月から2017年2月の3年半あまりは、ある中小企業向け補助金事業の事務局員として、半分会社員みたいな生活を送っていたので、純粋に独立診断士として活動したのは残りの約3年半である。その間、多くの方々に支えていただいたことにはこの場を借りて感謝を申し上げたいが、現時点での私の独立診断士としての活動は「失敗」であると言わざるを得ない。

 もちろん、個人事業主といっても1つの事業を営んでいるわけで、それがそんなに短期的に成功するとは思っていない。以前の記事「メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた」でも書いたように、特に私は大器晩成型のようなので、10年~15年程度の長いスパンで物事を見る必要がある。

 だが、一方で、別の記事「私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1)(2)(3)」で書いた、「3年で成果が出なければ諦める」という価値観も捨てていない。つまり、最終的な目標は10年~15年後に達成すればよいが、その最終目標に適切に向かっているかどうかを3年ごとにチェックし、中間指標が満足のいくものでなければ撤退するべきだということである。今、私の個人事業は、私が考えていた中間指標の大部分を達成することができなかった。だから、今後の身の処し方を検討しているところである。

 昔、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」で、前職のコンサルティング&教育研修サービス会社のことを滅多切りにし、「経営コンサルタント出身のくせに自分が経営者になるとまともに経営ができない」などと偉そうに吠えまくっていたことがある。ところが、私自身も経営コンサルタントを名乗っておきながらこのざまなのだから、全くもってお恥ずかしい話である。同じ穴の狢である。「経営コンサルタントというのは、経営のことをろくに知らないいい加減な人間の集まりだ」という世間のイメージに加担してしまったことを罪深く感じる。せめてその罪滅ぼしとして、私が独立診断士として失敗した理由を5つほど整理しておきたいと思う。

 (1)夢や目標はあったが志がなかった。
 『致知』2018年10月号に「夢や目標はあるけれど、志はあるのか」(河村京子「言い続け、思い続け、やり続ければ、夢は必ず実現する」)という言葉があり、思わずドキッとした。夢や目標というのは、例えば「高級な家に住みたい」、「ベンツに乗りたい」などといった利己的なものである。他方、志とは、人々の役に立ちたい、世の中を変えたいといった利他的なものである。私の場合、20代で前職のベンチャー企業にいた頃から、「30歳でマネジャーになって年収1,000万円を稼ぎたい」と思っていた。しかし、そのベンチャー企業から整理解雇を言い渡されて独立した時には、「35歳には年収1,000万円を達成する」と、夢を先延ばしにした。どちらにしても、夢は夢、利己的なものである。私の場合、整理解雇という憂き目に遭ったので、きっと将来その埋め合わせがあるだろうと、夢の幻影をいつまでも追いかけていたようだ。

 もちろん、志が全くなかったわけではない。企業がミッションやビジョンを掲げることの重要性は私自身も繰り返し主張してきたから、自分でも実践していないわけではなかった。シャイン経営研究所のミッションは、「顧客企業の社員を付加価値の高い業務にシフトすることをお手伝いすること」であった。そして、ビジョンとして、「①顧客企業の社員が、1日の業務が終わった時に、『今日はいい仕事をした』と泣いて喜ぶことができるようにすること、②顧客企業の社員が、付加価値の高い業務に見合った報酬を手にすることができるようにすること、③我々(といっても結局7年間で1人も採用しなかったのだが・・・)も、そのような顧客企業の社員とともに仕事ができることを至上の喜びとすること」という3つを掲げていた。

 とはいえ、冷静に見つめ直してみると、随分と俗っぽい印象である。歴史学者のアーノルド・トインビーは、「物事の価値を金銭で換算するようになった民族は滅びる」と述べたが、私が掲げたミッションはこれにずっぽりとあてはまっていた。つまり、顧客企業を破滅へと導くミッションだったのである。それに、このミッションは、私の本意を正確に表していない。私は、ピーター・ドラッカーが頻繁に主張していたように、知識労働者がそれぞれ一経営者として仕事をすることを理想としていた。また、キリスト教が伝統的に仕事を悪とするのに対し、石田梅岩が言うように、仕事は人間を成長させるものだととらえていた。だから、私のミッションは、「顧客企業の社員が自社の経営を我がごととしてとらえ、一段高い視点から仕事をするお手伝いをし、社員にとって仕事が人生の重要な意義を持つように支援すること」とするべきであった。

 (2)ビジネスモデルが確立していなかった。
 恥ずかしい話をすると、私にはビジネスモデルらしいビジネスモデルが長年存在していなかった。経営コンサルタントとしての資質を疑われてもやむを得ない。人事分野という私の強みを活かしたビジネスモデルとして考えられるのは、次のようなものである。まず、ブログ、facebook、人脈などを通じて、私という人間の人となりを知ってもらう。言わば、薄いファンを作る。次に、Webサイトで無料の「経営力診断」を提供し、私が経営全般に関して一定の知見を有する人間であることを訴求して、潜在顧客のプールを形成する。

 その中で、自社の組織風土に関心がある企業に対しては、まずはWeb上で無料の「組織風土診断」(簡易版)を受けてもらい、さらに突っ込んだ調査を希望する企業には、有償で詳細な「組織風土診断」を受診してもらう。その結果、「人事制度に不満を持っている社員が多い」、「将来のキャリアが見えない」という回答が多ければ、「人事制度の再構築」、「セルフ・キャリアドックの導入」というハード面のソリューションを提供する。「上司の部下マネジメント力が弱い」、「戦略に納得していない」という回答が多ければ、「部下マネジメント研修」、「創発的戦略構築研修」というソフト面のソリューションを提供する。そして、そこから継続フォローにつなげていく。実は、こういうビジネスモデルを思いついたのは、今年に入ってからである。

 ここまではっきりしたビジネスモデルを描かなくても、顧問契約を獲得するためのパターンをもっと早い時期に確立するべきであった。例えば、私が考えた1年間のモデル顧問契約サービスは次の通りである。最初の3か月は環境分析を行い、望ましい戦略を導き出して、戦略を実現するためのビジネスプロセスを詳細化する。そして、業務の改廃や組織の統廃合、職務の再定義などを行い、新しい職務分掌や業務マニュアルを整備する。

 次の3か月は、新しい業務プロセスを遂行するにあたって必要となる新しい知識や能力を習得するための人材育成計画を策定し、研修を実施する。その次の3か月は、研修で学習し、現場で実践したことが適切に評価される人事制度を構築する。最後の3か月は、新しい業務プロセスを下支えし、現場での学習を促進し、公正な人的資源管理を行うためのITを導入する。そして契約更新後は再び環境分析を行い、戦略をブラッシュアップする。こうした形で、私の強みである戦略立案、人材育成、人事制度構築、IT導入をフルに動員した顧問契約サービスを設計することは可能であった。このパターンを思いついたのも去年ぐらいである。結局、7年間で顧問契約は1社も獲得できなかった。私が従事したのは全てスポット案件である。

 ビジネスモデルが曖昧だったので、ターゲット顧客も非常にあやふやであった。言い換えれば、上記のビジネスモデルがぴったりとあてはまる中小企業に的を絞ることができなかった。上記のビジネスモデルはいずれも人事制度の構築を含んでいる。中小企業で人事制度が本格的に必要となる、また既に人事制度を導入済みでもその制度に課題が生じ始めるのは、だいたい社員数が50~100人を超えたあたりからである。社長が1人で全社員の評価をつけるのに限界が来るためだ。それなのに、私は頼まれるがままに、小規模企業やまだ売上が立っていないベンチャー企業のコンサルティングをかなりやっていた。

 顧客企業の規模がバラバラであることに加えて、引き受けた仕事の種類もバラバラであった。「若いうちは何でも勉強だ」と言い聞かせて、いただける仕事には何にでも手を出してしまった。もちろん、仕事が自然と多角化することはある。私の先輩の独立診断士は飲食店に強いことをずっと売りにしていたところ、いつの頃からかそこから派生して、他の業界からも仕事をいただけるようになったと話していた。しかし、これは例えるならば、ボウリングでセンターピンがしっかりと立っていて、センターピンにボールが当たった結果、他のピンも倒れたようなものである。私の場合は、確固たるセンターピンがないのに、ふらふらと色々な仕事を彷徨い歩いていた。海外勤務の経験がない私が、海外企業の信用調査をしたり、海外事業のリスクマネジメントの仕事をしたりしたのは、今となっては意味不明である(それはそれで勉強にはなったが)。

 (3)他の診断士からの紹介に頼りすぎた。
 以前の記事「中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(6)【独立5周年企画】」で書いたように、他の診断士から仕事を紹介してもらうことは大切である。ただ、私の場合は、それに味を占めて、診断士からの紹介案件に依存しすぎてしまった。これは事業としては危険である。仕事を依頼する側の立場に立てば解るのだが、彼らが私のような人間に仕事を依頼するのは、その仕事が自分の手に負えないから、あるいは収益性が低いからであることが少なくない。自分でできるならば、あるいは収益が高いならば、わざわざ他人に紹介しようとは思わない。彼らとて自分で食っていかなければならない。もちろん、中には善意でいい仕事を紹介してくれる方もいる。しかし、残念ながら全員がそういうタイプとは限らない。

 さらに悪いことに、私は案件の収益性を計算するのが苦手である。この案件が収益につながるのか、仮に短期的には利益が出なくても、将来的に案件が成長してリターンが見込めるのかを予測する能力が欠けている。だから、生活に支障が出る(と後で解る)レベルの安い案件でも引き受けてしまう。この点については、以前の記事「加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)」でも触れた。

 それで大失敗をした例が以前の記事「『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話」で書いた話である。実は、これ以外にもやらかしている案件がいくつもある。私が勝手に計算しただけにすぎないものの、潜在的な損失は2015年以降だけで1,500万円を超えていると思う。さらにつけ加えると、こういう危ない案件に携わった他のメンバーは、途中で上手に案件から逃げ出していることが多い。私はリスク感性が鈍いせいか、最後まで案件に携わってしまう。そして、案件が終わってから、いただいた報酬の少なさに慌てるのである。稲盛和夫氏は「経営とは値決めである」と言っていたのに、私は値決めができなかった。つまり、経営ができていなかった。

 マーケティングにおいても、紹介によって仕事を獲得することは重要であるとされる。顧客獲得コストを大幅に節約することができるからだ。しかし、その紹介元が同業他社であるというのはあまりよくない。大企業の創業者の本を読んでいると、「競合他社ができないと音を上げた難しい仕事を引き受けて、それを何とかやりきることで社員のモチベーションを上げた」というエピソードがよく出てくる。しかし、私はこの手法はそうそう頻繁には使えないと思う。競合他社と自社の間には利害関係がある。だから、競合他社にしてみれば、収益性の悪い面倒な仕事を押しつけて相手を苦しめてやろうという心理が働かないとは言い切れない。

 いい紹介とは、顧客からしてもらうものである。顧客から、その顧客とは利害関係のない別の顧客を紹介してもらう。その顧客が仲良くしている企業のことだから、企業規模も、経営者のものの考え方も、収益力も、組織風土も似ているだろう。こういう顧客を紹介されれば、案件の収益面で苦しめられるリスクは少なくなる。私の場合、顧客企業から別の顧客企業を紹介してもらったことがないのが痛かった。顧客企業に対して、「同じように困っている企業さんをご存じではないですか?」と聞けばよいだけだったのに、それすらしなかった。

 (4)常に特定顧客への依存度が30%を超えていた。
 中小の下請企業の場合、大口顧客への依存度が30%を超えていると危険であると言われる。容易に想像がつくことだが、大口顧客からの受注が消えた瞬間、売上高が30%も落ち込む。だから、顧客はできるだけ多角化して、ポートフォリオ管理するのが経営の定石である。にもかかわらず、私は確たるビジネスモデルも持たず、明確なターゲット顧客に対して営業活動をせず、他の診断士から紹介されるがままにスポット案件ばかりやっていたので、ほとんど常に特定顧客への依存度が30%を超えていた。30%どころか、70~80%ぐらいだったことも珍しくなかった。1つの案件が終わると売上高が急激に下がる。そこで慌てて目の前にある紹介案件に、収益性をよく考えずに飛びついてしまう。この繰り返しだった。

 仮に明確なターゲット顧客とビジネスモデルを持っていたとしても、特定顧客への依存度が30%を超えることはある。例えば、同じ顧問料を払ってくれる顧客企業が3社しかなければ、特定顧客への依存度は30%を超える。これも私の悪い癖なのだが、1つの案件をほとんど1人でやろうとしてしまう。他のメンバーと一緒に仕事をしても、前述のように途中でいなくなることが少なくない。こうした問題を回避するためには、私が案件の収益性を適切に見積もることができることを前提として、仕事を分担することができる緊密なパートナーを見つけるべきだったと考える。そうすれば、私はもっと多くの顧客・案件を一度に抱えることが可能だっただろう(パートナーもまた、同様に多くの顧客・案件を一度に抱えることができる)。仮にいずれかの案件が終了したり、途中でダメになったりした場合でも、その影響はある程度抑えられる。

 その際、決して、仕事をパートナーに丸投げしたと思われないようにしなければならない。私が自分の得にならない仕事をパートナーに押しつけたと受け取られる恐れがある。また、パートナーは数が多ければよいというものでもない。パートナーの数が増えれば、必然的にそれぞれのパートナーに行き渡る仕事の量が減る。それは、パートナーの暮らしを不安定にする。私は、たくさんのパートナーを使って、自分は上前だけはねるビジネスをやっている診断士にも会ったことがある。このモデルだけは絶対に真似してはならないと感じた。

 (5)気分転換の機会を作らなかった。
 会社勤めであれば、基本的に土日は休みでなる(もっとも、土日も働かせるブラック企業はある)。しかし、独立して1人で仕事をしていると、自分で意識しない限り、休みを確保することができない。私は2012年の夏に一度倒れて入院し、2013年の中盤までは週3日ぐらいのペースで仕事をして、顧客をゼロから再開拓しつつ仕事のリズムを取り戻すことに専念していたのだものの、2014年から仕事が増え、2015年からはとうとう休みがなくなった。2012年、2013年と満足に仕事ができなかった分を取り戻そうという思いもあった。

 本ブログで告白しているように、私は2008年秋から双極性障害という精神疾患を患っている。2015年~2017年はたまたま薬のコントロールがある程度上手くいっていた時期で、絶好調というわけではなかったものの、ずっと仕事をしていた。放っておくと歯止めが効かないのも私の悪い癖である。朝5時頃に起きてメールのチェックから仕事を始め、夜は19時~20時まで働き、仕事の合間を縫って年間約200冊の本を読み、約60万字分のブログを書き、残りはほとんど寝ていた(私は抑うつ時に過眠傾向になる)。病気の影響により仕事の途中でこまめに休憩を取る必要があるため、1日の仕事時間は合算で8~9時間であった。とはいえ、週6.5日のペースで仕事をしていたから、年間の労働時間は3,000時間(=8.5時間×6.5日×52週)近くになっていた。ここに、読書の時間(1冊3.5時間として750時間)とブログの時間(私は1時間で2,000字書くので、年間300時間)を加えれば、年間の活動時間は約4,000時間となる。

 読書とブログは私の趣味みたいなものだから除外するとしても、それでも年間3,000時間労働は度を越えているだろう。これでは1人ブラック企業である。我ながらよく死ななかったと思う。一応、睡眠時間は確保できていたことが幸いしたのかもしれない。今年の3月に入院する際には、かかりつけの医師からは過労だと言われた。私の場合、単なる過労ではなく、精神障害も重なっていたから、3月の1回の入院では十分に回復せず、4月に働き始めたのも束の間、7月には再び3週間実家で自宅静養することになってしまった。2012年に倒れた時もそうだったように、一旦仕事に穴を開けると、一気に顧客を失う。そして、復帰後はゼロからの再出発になる。今年は2度倒れているため、事業の継続性にいよいよ黄信号が灯るようになった。

 「心技体」という言葉があるが、私は「体心技」ではないかと思う。仕事をする上でまず何よりも大切なのは、身体が健康なことである。その次に来るのが精神、最後に来るのが技術・知識・能力である。世の中で評価されるのは、優秀な人間よりも体力のある人間である。次点が精神的に健康な人間だ。企業などで出世していく人を見ればこのことはよく解る。だから、身体と精神の健康を保つために、意識的に休息を取らなければならない。私は技術・知識・能力の向上に全振りした結果、身体と精神を損なって、社会のルールを踏み外してしまった。

2018年07月11日

メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた


自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法
メラニー フェネル 曽田 和子

CCCメディアハウス 2004-06-26

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 私が罹患している双極性障害Ⅱ型について、以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」、「【うつ病の治し方】うつ病を治すために実践すべき簡単な「7つの習慣」」、「加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)」などで対応策を考えてきた。今回の記事は、本書を使ってもっと本質的な対応策を取った記録である。

 うつ病も双極性障害も、ノルアドレナリン、セロトニン、ドーパミンといった脳内ホルモンのバランスが崩れることで生じる脳の病気である。よって、治療方法としては第一に薬物療法が選択される。同時に、うつ病や双極性障害は、一般の人に比べて、ものの見方が悲観的になっていたり不適切になっていたりする、言い換えれば認知の仕方が歪んでいる病気でもある。したがって、この認知の歪みにメスを入れない限り、病気は寛解しない(双極性障害の場合は寛解する確率が低いので、病状を安定させることが目標となる)。特に、私のように病気が長年にわたって続いている場合はそうである。この認知の歪みを治すのが認知行動療法である。

 実は私も、心理カウンセリングに2度挑戦したことがある。カウンセリングは月1回のペースで1年ほど続くのが普通である。1度目はマンションの薄気味悪い部屋に通されて、カウンセラーが足を組みながら私の話を聞くものだから、恐怖を覚えて2~3回ほどで中止してしまった。2度目は、今度こそ最後までやり通そうと決意し、ロールシャッハ検査や文章完成法などのテストを受けたものの、体調が急変して入院したため、これもまた3~4回ほどで中止になってしまった。だが、そもそも心理カウンセリングは費用が高い。1回あたり1時間で約1万円かかる。健康保険は適用されない。よって、合計で12万円ほど必要になる。それよりも、本書をきちんと読み込めば、自分で十分に認知行動療法を行うことができる。かかる費用は書籍代のみである。

 精神疾患にかかった人が否定的・悲観的なものの見方をするのは、幼少の頃の経験が影響していることが多い。親から虐待を受けた、親の設定する基準を満たせなかった、他人のストレスや苦痛のはけ口にされた、家族やグループから偏見を持たれた、十分な称賛・愛情・ぬくもり・関心を受けられなかった、家族や学校の中で変わり種扱いされた、などといった経験である。これに、大人になってからの経験が加わって、ものの見方がさらに歪むことがある。例えば、職場で脅しやいじめに遭った、虐待を伴う人間関係を経験した、継続的なストレスや苦痛を受けた、衝撃的な出来事と遭遇した、といった例が挙げられる。

 こうした経験が積み重なると、人間の中には自己認識に関するある固定的な観念が形成される。これを本書では「最終結論」と呼ぶ。最終結論はたいてい、「私は・・・だ」という形式を取る。例えば、テストの点数がいつも親の設定する基準を満たせなくて、親を失望させていた人は、「私は悪い人間だ」、「私はもっと優秀であるべきだ」という最終結論を抱くようになる。家族の中で変わり種扱いされた人や家族に放置されていた人は、「私は人に受け入れてもらえない」、「私は人に愛されない」という最終結論を形成する。学校でクラスメイトから容姿をバカにされ続けた人は、「私は醜いデブだ」といった最終結論に至る。

 最終結論はその人の人生を強力に支配する。その人の日常生活は、最終結論と完全に整合性が取れていなければならない。最終結論を持つ人は、それに沿った暮らしをするために、「生きるためのルール」を設定する。「私はもっと優秀であるべきだ」という最終結論を持つ人は、「全てきちんとできなければ人生の成功はない。誰かに批判されたら、それは失敗したということだ」というルールを設定する。「私は人に受け入れてもらえない」という最終結論を持つ人は、「常に自分を強く抑制していなければならない」というルールを設定する。「私は醜いデブだ」という最終結論を持つ人は、「私の価値は容姿と体重で決まる」というルールを設定する。

 ここまで読んで胸が苦しくなった方もいらっしゃるかもしれないが、実際、最終結論や生きるためのルールは非常に息苦しいものである。生きるためのルールは、それに従ってもそれを破っても、本人を苦しめることになる。ルールに沿った事実を見つけた場合には、「やっぱり自分のルールは正しかったのだ。よって、自分の最終結論も正しい」と考える。一方、ルールを破ってしまった場合には、「もっとしっかり自分のルールを守らなければならない。なぜならそれが自分の最終結論のためなのだから」と思う。こうして、いずれにしても、生きるためのルールと最終結論はどんどん強化されていく。しかし、ルール自体が無理のあるものなので、ルールにこだわっても苦痛にしかならない。こうして、精神が蝕まれていく。

 認知行動療法のゴールは、この不適切な最終結論を修正することである。そのためには、まずは生きるためのルールを強化している様々な事実について、別の見方ができないかを考えてみる。「全てきちんとできなければ人生の成功はない。誰かに批判されたら、それは失敗したということだ」というルールを持つ人は、仮に目標が達成できなくても、周囲の人が微笑みや称賛、感謝を与えてくれるという事実に目を向ける。また、周囲の人は仕事のでき具合でははなく、自分自身のことを好んでくれているという事実にも注目する。「常に自分を強く抑制していなければならない」というルールを持つ人は、たまたま自分が感情をあらわにした時であっても、周囲の人はそれほど慌てることなく、自分の意見に耳を傾けてくれたという事実に着目する。

 こうして、生きるためのルールに関連する事実を1つずつ見直していくと、いかに今までの自分の認知が歪んでいたか、いかに自分が立てたルールが不健全なものであったかに気づく。ここまでくれば、認知行動療法もいよいよ最終段階に入る。これまでのルールに変わる新しいルールを打ち立て、古い最終結論を新しい最終結論へと修正するのである。

 両親との関係のせいで「私は悪い人間だ」という最終結論を持ち、「誰にも本当の自分を見せてはならない」というルールを設定していた人は、両親が残してくれた私の写真や物を見て、両親は私を愛してくれていたという事実を発見するだろう。そして、「ありのままの自分を見せても受け入れてもらえる」という新しいルールを掲げ、「私は立派な人間だ」という新しい最終結論に書き換える。「私は醜いデブだ」という最終結論を持ち、「私の価値は容姿と体重で決まる」というルールを設定していた人は、容姿とは関係のない自分の長所に目を向けてくれる人の存在に気づき、好意的な視線を投げかけてくれたり、親しげに話しかけてくれたり、隣に座ってくれたりした人のことを思い出すだろう。そして、「私の価値は容姿と体重以外の様々な要因で決まる」というルールを掲げ、「私には魅力がある」という新しい最終結論に書き変える。

 新しい最終結論と生きるためのルールを構築することができたら、その最終結論やルールに合致する事実を発見する。それらの事実は、今までは古い最終結論やルールのために見過ごされていたものである。その過小評価されていた事実に光を当て、健全な新しい最終結論とルールを補強していく。「私は悪い人間だ」という最終結論を持っていた人が、最初の結婚で失敗し、それによって最終結論が増幅され、自己嫌悪に陥っていたとする。しかし、「私は立派な人間だ」という新しい最終結論を掲げると、「自分を愛してくれる2度目の夫を見つけることができたこと。色々と問題を抱えている自分を選び支えてくれること」に目が行くようになるだろう。

 さらに言えば、過去の中から今まで注目されてこなかった事実を掘り起こすだけでなく、新しい最終結論やルールを支える新たな証拠を探す活動や実験を計画することも重要である。例えば、「子どもたちに愛情を注ぐこと」、「子育ての中で発揮される自分の創造性に注目すること」、「社会貢献をすること」、「信頼している人には、向こうから近づいてくるのを待つのではなく、こちらから接近すること」、「もっと自分自身のことを積極的に話すこと」などを通じて、「私は立派な人間だ」という最終結論は強固なものになるに違いない。

 私の場合、子どもの頃やキャリアの初期の段階でひどい経験をしたというよりも、成功しすぎたために不適切な最終結論を持ってしまったと分析している。地方の公立高校出身でありながら、人の何倍も努力して京都大学に現役で合格した。社会人になってからは、中小企業診断士の勉強を頑張って、わずか半年ほどで試験に合格した。こういう経験があるものだから、「私は努力すればすぐに結果が出せる人間だ」という最終結論を持つようになった。

 これは自慢げな有能感の表れだと思われるかもしれない。しかし、実際には逆である。私は劣等感が強いために、人一倍努力したのだと思う。数年前にアドラー心理学が流行したが、アドラーは劣等感自体は誰にでもあるものだと肯定している。私も、以前に「『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について」という記事を書いたことがある。だが、アドラーによれば、人は自分の劣等感を隠すために自分を実力以上に見せようとすることがあるという。これを優越コンプレックスと呼ぶ。優越コンプレックスの裏には、異常なまでに自己を過小評価する不適切な劣等感がある。私が陥っていたのはこれである。つまり、私は、「私は本当は劣った人間である」というもう1つの最終結論を持っていた。

 「私は努力すればすぐに結果が出せる人間だ」と「私は本当は劣った人間である」という2つの相矛盾するような最終結論から導かれる生きるためのルールは、「短期間で成果を出すために/自分の能力を証明するために人一倍努力しなければならない」というものであった。しかし、社会人になってからは、このルールに反する事実に直面することが非常に多くなった。その結果、不安や焦燥感が強くなり、また思い通りの成果が出ないことに対するイライラが強くなって、双極性障害を発症してしまったと考えられる。

 ①前職のベンチャー企業(組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供する企業)では、研修コンテンツ開発の仕事の割合が高く、他のコンサルタントよりもコンサルティングの実務経験を積むことができなかった。30歳までにはマネジャーに昇進するつもりでいたのに、叶わなかった(それどころか、業績不振を理由に、29歳の時に整理解雇された)。

 ②前職で自社のマーケティング業務を兼務するようになってから、自社開催の無料セミナーに参加する人事担当者の数を大幅に増やしたのに、研修の商談件数は全く伸びなかった。

 ③マーケティング業務の一環として人事担当者向けの展示会に出展したが、私が担当する前に3年連続で失敗していた。3年やって成果が出なかったのだから今年は止めるべきだと主張したのに、営業の責任者が勝手に展示会の出店を申し込み、展示会の責任者を私にしてしまった。私は最大限努力したものの、展示会から商談になった案件は1件もなかった。

 ④研修の最後に受講者が作成するアクションプランの進捗度合いを携帯電話でモニタリングするという新サービスを開発したことがあった。私は、そもそも研修コンテンツ自体がしっかりと固まっていないからアクションプランも曖昧なものしか出てこず、それをモニタリングするITを開発しても無駄だと主張した。にもかかわず、社内でITの経験があるのが私しかいないという理由で、私が設計からベンダー選定・管理、テストシナリオ作成まで全てをやることになった。焦って開発したシステムは、結局使い物にならなかった。

 ⑤診断士として独立した後は、人事の専門家になって、数社から顧問契約を獲得し、35歳で年収1,000万円を達成する予定であった。ところが、人事関係の案件は少なく、35歳の年収は1,000万円には遠く及ばなかった。7年経っても未だに顧問契約を獲得できていない。

 ⑥年間200冊も読んで色々と研究しているのに、未だに論文や本が書けない。私と年齢が近い人が『致知』、『正論』、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』、『一橋ビジネスレビュー』で記事・論文を発表していたり、本を出版していたりするのを見ると非常に焦る。

 ⑦ブログを13年やって、2,200本以上、約440万字の記事を書いたが、アクセス数が一向に伸びない。問い合わせボタンを設置しても、営業以外のメールはほとんど来たことがない。

 この7つの事実を再解釈してみると、次のようになる。

 ①前職のベンチャー企業は、人事コンサルティングから入って人材育成計画を作り、その計画の中に自社の研修サービスを組み込んで、長期にわたって顧客企業との関係を続けるというビジネスモデルを想定していた。ところが、コンサルティング部門と研修部門の仲が険悪で、このビジネスモデルはほとんど頓挫していた。私はたまたまコンサルタントをやりながら研修開発もやっていたこともあって、ある顧客企業においてこのビジネスモデルを実現させることに成功した。私が知る限り、この成功事例は私が初めのことである。

 ②商談件数が伸びなかったのは、営業担当者が参加者を全くフォローしていなかったのが原因であり、私のせいではない(もし私に営業までしろと言うのならば、私はコンサルティング、研修開発、マーケティング、営業という4つの仕事を同時にやることになり、パンクする)。見込み顧客のプールを作った実績は間違いのないものであり、もっと誇ってよい。

 ③そもそも展示会でいきなりブースに来た人と商談が発生するケースは稀である。普段から営業活動で接触をしている見込み客に対して、研修の実物を見せたいので展示会のブースに来てほしいと誘導するのが筋である。つまり、見込み客には事前にちゃんと展示会の招待状を送っておかなければならない。そして、これも私の仕事ではなく、営業担当者の仕事である。私は展示会自体は滞りなく運営したのであり、営業担当者の怠慢を気に揉む必要はない。

 ④私は新サービスの開発に無条件に反対したのではなく、開発する順番が違うと主張していただけである。焦ってシステムを開発せず、まずは研修コンテンツを固めて、それからシステムを開発するという中長期的な計画になっていれば、私も賛同したかもしれない。

 ⑤中小企業にはそもそも人事制度がなかったり、研修を実施していなかったりするところが多いのだから、人事分野で勝負するのはハードルが高い。中小企業に人事施策が必要なことを啓蒙するのには長い時間がかかる。そして、啓蒙するために、私は人事制度構築のパッケージや、標準的な研修プログラムを開発して、もっと積極的に中小企業にPRするべきだった。中小企業を啓蒙する間は、他の種類の仕事で食いつなげばよい。

 ⑥先日の記事「加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)」でも書いた通り、私の研究分野は、ⅰ)日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること、ⅱ)高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)を確立すること、ⅲ)20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること、ⅳ)日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと、ⅴ)激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること、の5つであり、どれも数年で成果は出ない。10年単位の研究が必要だから、焦らなくてもよい。

 ⑦ブログの記事の広告をFacebookページに出すと、それなりにいいねがつく。また、私の現行ブログのユニークユーザは1日200~300程度と、まだまだ弱小ブログの部類なのだが、私のブログの内容を褒めてくれる人に10人ほど出会ったことがある。顧客満足度に関する「グッドマンの法則」を研究していた佐藤知恭は、好意的な口コミは「5人」に伝える(逆に否定的な口コミは倍の「10人」に伝える)というデータを発見している。ということは、前向きにとらえれば、私のブログに対して好意的に思っている人が10人×5人=50人いることになる。個人の弱小ブログでこれだけのファンがいることは大変ありがたいことである。決して、おかしなことを書いているからアクセス数が伸びないのではないと思うことができる。

 以上の解釈から見えてくるのは、私は中長期的な成果を目指す仕事に取り組んでいること、また、決して人よりも劣っているわけではないということである。よって、私は新しい最終結論を、「私は大器晩成型で、回り道もするが中長期的には成果が出せる人間だ」、「私は普通の人並みには優れている人間だ」とした。そして、新しい生きるためのルールとして、「短期的な成果を求めず、今日が昨日より少し優れているように努力すること(そうすれば、解る人には解る)」というものを掲げることにした。端的に言えば、今までの人生が成功者に早く追いつこうと焦りすぎだったわけで、人生は長いのだからもう少しペースを落としても十分に間に合うということである。このように意識を変えると、随分と気持ちが楽になった気がする。さらに、新しいルールを裏づける証拠を探すための活動や実験として、次のようなものを考えてみた。

 ・人事分野の仕事を軸としつつも、他の仕事にもチャレンジしてみる。
 ・自分の仕事の責任範囲を明確にし、その範囲内で力を尽くす。
 ・読書の量を落としてみる。本をゆっくり読んでみる。
 ・ブログを書くペースを落としてみる。1本1本の記事をじっくり書いてみる。
 ・時には芸術鑑賞や美術品鑑賞などで気分転換する。

 繰り返しになるが、10年、15年かけて仕事を完成させればよい。ここで1つ、今までの記事と矛盾する箇所について弁明が必要だろう。以前の記事「私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1)(2)(3)」の中で、「3年で成果が出なければ諦める」と書いた。しかし、この短期志向が私を苦しめてきたことが今回の記事で判明した。私が取り組んでいるのは、完成までに10年、15年、いやひょっとしたらもっと時間がかかる仕事である。

 では、3年という時間単位が全く無意味になってしまったかというと、必ずしもそうとは考えない。10年、15年かかる仕事の場合でも、中間成果は必要である。思い通りの中間成果が出なかった時、軌道修正するのかこのまま中止するのか判断しなければならない。私の場合、雑誌『正論』や『世界』に関する記事を書いているのは、前述の通り、流動的な国際政治の世界における日本のポジショニングを明らかにするためである。最初の頃は、収録されている各記事にいちいち反応するような一貫性のない記事しか書けなかった。ところが、3年近く経って、雑誌全体を通して感じたことを1本の記事にまとめられるようになった。この点で、私は中間成果を出している。だから、このまま記事の作成を続けてよいと判断することができる。

2018年07月09日

加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)


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加藤 諦三

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 私が長年罹患している双極性障害Ⅱ型の症状として、何かにつけてイライラしやすいというものがある。私の場合、前職のベンチャー企業で仕事上のストレスが重なり、社員が見ていないところで物を投げつけたり、オフィスのドアを蹴飛ばしたりしていた(決して、他人に危害は加えていない)。また、寝ている時もイライラしていたようで、夢の中で怒鳴り声を上げ、それが実際に口から出て、その声で目が覚めたことが何度もある。例えば、部下の仕事ぶりが芳しくないためフィードバックをしたところ、部下が話を全く聞いていない様子だったので、「おい、人の話を聞いているのか」と大声で怒鳴り、その声で目覚めたこともあった。

 最近はそういう夢を見ることはなくなったのだが、代わりに日常生活の些細なことでイライラすることが増えた。これはもう双極性障害の後遺症であって、おそらく一生治らないだろう。だから、できるだけイライラをコントロールする術を身につけなければならないと感じている。今までの私は、誰彼構わず怒りを覚える傾向があった。しかし、それではさすがに身が持たないので、私が怒りを覚える人のタイプを整理しておくことが重要であると考える。タイプが解れば対処法も立てやすくなる。以下にその5タイプを示す。

 (1)言行不一致な人
 口先だけの人は私が最も嫌うタイプである。その典型例は、前職の社長であった。社長は、大手コンサルティングファームのパートナーまで経験した人間で、在籍中に50件ものプロジェクトを遂行したことがあることを誇りにしていた。また、読書が好きで、オフィスには『ハーバード・ビジネス・レビュー』をはじめ、1,000冊を超えるビジネス書が並んでいた。ところが、いざ自分が実際に経営する立場になると、コンサルティングで顧客企業にアドバイスしたことや、ビジネス書に書いてあることを1つも実行できない人であった。その辺りについては、以前の記事「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」で相当詳しく書いたので、ここではこれ以上立ち入らない。

 《2018年8月1日追記》
 ブログ別館の記事「井出元『『礼記』にまなぶ人間の礼(10代からよむ中国古典)』―「憎んで而も其の善を知る」と言えども有言不実行の人は許さない」の中で、この社長の目に余る言行不一致ぶりについて追記しておいた。


 (2)自分の頭で考えない人
 いわゆる「知識バカ」も私が嫌いなタイプである。前職のベンチャー企業にはグループ会社があって、その会社の社長も大手コンサルティングファームのパートナー経験がある人であった。だが、彼の仕事ぶりを見て解ったのは、彼がパートナーにまで出世できたのは彼が優秀だったからではなく、彼の部下が優秀であったからだということである。確かに、パートナーまで上り詰めただけのことはあって、それなりに勉強はしていた。しかし、それを自分の頭の中で咀嚼して、自分なりの認識・理論に再構成することができない人であった。

 だから、彼は自分でパワーポイントの資料を一から作成することができない。彼が社員に対して戦略コンサルティングのやり方について研修をやると言い出した時、使ったコンテンツは、知り合いの元マッキンゼーのパートナーが作成した資料であった(それはそれで著作権上の問題があると思うが)。そして、「戦略とはあるべき姿と現状のギャップである」などと、元マッキンゼーのパートナーの言葉をさも自分の言葉であるかのように話していた。そもそも、この定義は戦略の定義としては不十分である。顧客の視点も競合他社の視点も入っていない。ちょっと考えればすぐに解りそうなものだが、考える習慣がないものだから不十分さに気づかない。

 中小企業診断士にも知識バカは多い。MBAと違って、診断士の試験は所詮知識を問うペーパーテストにすぎないため、余計に知識バカが増えるのだと思う。ある診断士のセミナーを何度か見学させてもらったことがあるのだが、テキストの大部分が複数の書籍の内容をつなぎ合わせただけのものであった。私は、書籍を読めば済む内容であれば、わざわざセミナーにする必要はないと常々思っている。それでいて書籍よりも高額なセミナー代を取るのは詐欺である。

 しかも悪いことに、テキストを読んだだけでは、各ページ間のつながりが理解できなかった。さらに言うと、そのコンテンツは、その診断士の話を聞く限り、10年以上ほとんど内容が変わっていないようであった。自分の頭で考えていない人は、オリジナルのスライドを一から作らせると無能ぶりが露呈する。そのテキストのうち、書籍からの引用以外のページには、非論理的で視覚的にも不自然な図が並んでいた。もしその診断士が私の部下だったら、相当説教したと思う。

 (3)手柄を自分のものにする人
 このタイプも診断士に多い。昨今の中小企業の経営課題は複雑になっているので、診断士は各自が得意分野をもって、弱みを補い合いながらチームで仕事をするのが望ましいと言われる。だが、これは表向きの美談であって、実際には、年配の診断士であるチームリーダーが、若手の診断士、特に独立したばかりで報酬の相場など業界事情をよく解っていない若手の診断士をこき使って、マージンを搾取しているケースが多い。そして、仕事が成功すれば、その手柄は全て年配の診断士が持って行ってしまう。そのくせ、若手の診断士に対しては、「君には勉強の場を与えてやったのだ」などと押しつけがましく言ってくる。

 以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で示した製品・サービスの4分類のマトリクス図に従うと、コンサルティングは必需品ではないし、別に失敗してもたいていは顧客企業に甚大な被害をもたらすわけではないから、左上の<象限③>に該当する。この象限は需要が不安定であり、ビジネスチャンスがめぐってきたら一気に人材をかき集めて、プロジェクトが終わればチームを解散するという仕事のスタイルが多い。だから、企業としては、できるだけ正社員を持たずに、外部のパートナーを多数抱えておくビジネスモデルになる。芸能事務所が所属タレントと雇用契約を結ばず、業務委託契約を結んでいるのはその典型例である。

 この場合、中には多額の報酬を稼ぐタレントもいるが、それは全体の本当にごく一部であり、大半のタレントは芸能事務所に搾取されている。結局、一番儲かるのは芸能事務所なのである。そういえば、吉本興業に所属するお笑い芸人が、「吉本興業はブラック企業だ」と発言していた。不安定な収入に直面する俳優の中には、小栗旬さんのように、俳優の労働組合を結成しようとする人もいる。診断士の場合も芸能事務所と同じことが言える。自分で会社を持っていても、社員を採用せずに、外部のパートナーに大きく依存している診断士は要注意である。

 (4)とにかく安く発注すればいいと思っている人
 これは行政関係者に非常に多い。私が独立した直後、先輩の診断士に「どうやって飯を食っていけばいいですか?」と聞いたところ、「窓口相談などの行政の仕事でベースを作った上で、民間の仕事を受注するとよい」というアドバイスを受け、私もその助言に従って行政にはお世話になったので、あまり行政のことを悪く言いたくはない。だが、税金の使い道に対する世間の目が厳しいせいか、何でもいいから安く発注すればいいと考えている行政担当者は相当数いる。

 仕事を外注する場合には、自社でその仕事をやった場合いくらかかるのかを計算しなければならない。それがコア業務であり、自社でやった場合にかかる時間よりも短い時間で仕上げてほしければ、自社でかかるコストよりも高い価格で発注する。逆に、ノンコア業務の場合は安く発注することになるが、際限なく安く発注すればよいというわけではなく、自社の効率化の余地を踏まえて、その限度で安く発注するのが筋である。トヨタは部品の製造を外注する前に、まずはその部品を自社で製造してみるそうだ。自社で作るとどのくらいのコストがかかるのか計算した上で、そのコストを基準に、これよりも安く作ってほしいと下請企業に出すことにしている。

 いずれにしても、外注する際には、自社でその仕事をやった場合のコストが一つの目安となる。それに基づいて、合理的な発注額を決める。ところが、行政の場合は、少なくとも私の眼には、そのような検討プロセスを踏んだ形跡が見られない。近年、ブラック企業に対して世間が批判的になっているが、私は行政もかなりブラックな世界だと思っている。

 (5)常識・礼節がない人
 これは幅が広いのだが、仕事に限定して言うと、顧客という立場に胡坐をかいて、非礼を働く人のことである。もちろん、顧客はお金をいただける大切な存在である。だが、顧客だからと言って傍若無人に振る舞ってよいとは思わない。顧客と企業は、顧客と企業という関係以前に、人間同士の関係である。だから、道徳にのっとったものでなければならない。ドラッカーは「顧客は絶対的に正しい」と述べていたが、私は必ずしもそうとは限らないと考えている。

 以前、私があるオンライン資格講座を運営する企業を顧客にして大損害を出した話は、「『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話」で書いた。この話には余談がある。私が担当した科目の中に、「ビジネス実務法務検定(3級・2級)」と中小企業診断士の「経営法務」があるのだが、実は、元々は別の行政書士の人が講師を務めていた。ところが、講座をリリースした後、受講者からこの行政書士に対するクレームが相当あったらしく、講座を全て収録し直すことになった。新しい講師を誰にするかという話になった時、当時一番多くの講座を担当していた私が指名された。

 私は一応法学部を出ているものの、不良学生であったため法律は専門ではない。それでもよいかと尋ねるとそれでもよいと言うので、引き受けることにした。だが、他の講座の収録ペースを参考に、これから勉強しながら講義の準備をするので、ビジ法3級だけでも2か月ぐらいかかると伝えたところ、ビジ法3級・2級、それから経営法務を含めて2か月以内で撮ってほしいと無理難題を突きつけられた。しかも、その間の報酬は今までと変わらないという。私はもう仕方ないと思って、頑張って2か月以内で全ての収録を終えた。

 報酬の問題は前掲の記事で書いた通りである。加えて私が不満だったのは、私が相当無理をして撮影をしたにもかかわらず、顧客企業の担当者からはお礼の一言もなかったことだ。また、クレームを抑える目的で撮り直したのだから、こちらとしては新たなクレームが出ていないか気になるところである。それなのに、担当者が何の報告も寄こさなかったのも不満であった。結局、私があれからクレームはどうなったのかと尋ねてようやく、クレームは収まったという回答を得た。この顧客企業とは約2年取引したのに結局その程度の人間関係しか築けなかったと言われてしまえばそれまでだが、私はこの顧客企業の行為はあまりに礼節を欠いていると思う。

 私の問題は、こうした5つのタイプの人間を許せないと思いながら、結局最後の方までつき合ってしまうことである。どんなにこき使われても、どんなに安い報酬しか得られなくても、それでよしとしてしまう。特に独立した後は、目先の仕事を取っていかないと今日の飯が食えないので、安くても飛びついてしまう。今日我慢して、明日から営業活動を真面目にやれば、もっと適正価格の案件にたどり着けるかもしれないという可能性を自ら否定してしまっていた。こうした私の心理的傾向の根底には、「自己蔑視」があると本書には書かれている。
 自己蔑視した人は、他人からの虐待を許す。さらに虐待されても、相手に対してニコニコして迎合する。ニコニコ迎合しながらも、実は心の底のそのまた底にはものすごい憎しみが堆積している。もちろん自己蔑視している人は、それを意識していない。
 自己蔑視する人は、自分の能力に自信がないため、自分を安売りしてしまうという。
 精神療法の1つ、交流分析に「安売り」という用語がある。自己蔑視している人は自分の安売りを許す。仕事でも何でも押しつけられる。断ればいいものを断れない。この「押しつけられタイプ」は自分を安売りして引き受けてしまう。「押しつけタイプ」は「押しつけられタイプ」を的確に見抜く。「押しつけタイプ」はこの嫌な仕事を誰に押しつけたらいいかを素早く判断する。
 自分のことをズバズバと言い当てられてしまった。確かに私は自分の能力に自信がなかった。29歳で、前職のベンチャー企業を整理解雇されたことがきっかけで独立したものだから、自分には何の専門性もないと思っていた。事業会社での経験もほとんどないし、コンサルタントとしても十分な訓練を受けたわけではないため、独立後何で勝負すればよいのかが明確に決まっていなかった。そこにまんまとつけ込まれてしまったのだろう。

 だから、もっと自分に自信を持つことが大切である。振り返ってみれば、私にだって強みはある。テクニカルスキルに関しては、事業戦略を立案する力、戦略とリンクした人材育成計画を作成する力、その計画に従って研修を開発する力、学習の成果を通じて受講者の能力を評価する力などがある。コンピテンシーについて言うと、コンサルティングプロジェクトでは様々な立場の人と一緒に仕事をするから、色んな視点の意見に耳を傾け、それを集約する力がある。また、その集約した内容をドキュメント(パワーポイント)に落とし込む力がある。そこから派生して、伝わりやすい文章を書くのにも慣れている。さらに、そのドキュメントの内容を他人にプレゼンするのも得意である。私は自分の強みをもっと前面に出して、強気に生きなければならないと思う。

 本書は、前半では「許せない人」が本当に許せない時には闘うべきだと書かれているのに、後半になると、「許せない人」のことは忘れてしまえばよいというトーンに変化している。私はこういう精神状態なので、いちいち闘っていられない。だから、一番いい方法は、この5つのタイプの人に出会ったら、直ちに「逃げる」ことである。これが、長い闘病生活と本書を通じてたどり着いた対処法である。そして、この先万が一この5タイプの人につかまっても、上手に忘れる術を身につける必要がある。そのためには、人生の目的を持つことが重要だと本書の著者は言う。
 今必要なことは、感情に任せて復讐したり、騒いだりすることではない。必ず勝つという確信があれば心の落ち着きが取り戻せる。(中略)本当に相手に勝つということは、自分を裏切ったり、こちらの心を弄ぶようなひどい目にあわせた人を忘れるということである。
 自分にとって今大切なことは「これだ」というものがあれば、無意識の領域で傷ついても、すぐに立ち直れる。すぐに心の平静を取り戻せる。自分は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのかということがハッキリと分かっていれば、どんなに悔しくても、そのことに気を奪われてしまうことはない。
 孔子は「四十にして惑わず」と述べたが、私も40歳が近くなってきて、ようやく自分の人生の目的が見えてきた気がする。①アメリカ流の戦略論に流されるのではなく、日本の伝統や文化、精神に根差した日本流の戦略論を打ち立てること、②来るべき高齢社会に備えて、企業のマネジメント(特に人材マネジメント)をどのように変えるべきかを検討すること、③戦後の日本企業経営に多大な影響を与えたピーター・ドラッカーの思想を、21世紀という新たな時代の文脈の中で解釈し直すこと、④日本人の精神の養分となっている中国古典を咀嚼し、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと、⑤米中ロ独の4大国の関係が流動的になり、また北朝鮮をはじめ小国の関係が変化する中で、日本が取るべき国際的ポジショニングを構想すること。私はこの5つの目的に集中して、程度の低い人との関係を上手に受け流していきたい。




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