2018年02月14日
『正論』2018年2月号『本誌に突きつけられた朝日新聞”抗議書”に言論で答える/ワシントンを火の海にする狂気』―「朝日新聞に社是はない」で笑ってしまった
月刊正論 2018年 02月号 [雑誌] 正論編集部 日本工業新聞社 2017-12-25 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
旧ブログの記事「マネジメントとリーダーシップの違いを自分なりにまとめてみた|(補足)」では、マネジメントやマーケティングが演繹的で、リーダーシップやイノベーションが帰納的であると書いた。だが、『週刊ダイヤモンド』2017年11月13日号を読んでいたら、こんな文章があった。
多くの既存企業は帰納法的アプローチを取っている。顧客を観察することから共通のニーズを理解することが基本だ。一方、ベンチャー企業、とりわけスタートアップと呼ばれる急成長する企業は、演繹法的アプローチを取る。仮説に基づいて潜在ニーズを想像し、事業設計するのである。
(校條浩「シリコンバレーの流儀(9)スタートアップとどう向き合うか」)
週刊ダイヤモンド 2017年11/18号 [雑誌] (右派×左派 ねじれで読み解く企業・経済・政治・大学) ダイヤモンド社 2017-11-13 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
また、『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号では、牛や豚の腱から人口靭帯を作って人間に移植するというイノベーションに注目し、「抽象―具体」、「論理(演繹)―思考(帰納)」という2軸でマトリクスを作成して、イノベーターが「分析(抽象&論理)」⇒「発想(抽象&思考)」⇒「試作(具体&思考)」⇒「検証(具体&論理)」という順番でイノベーションを具現化しているという論文があった(井上達彦「ビジネスモデルを創造する発想法 第6回 大きな「飛躍」をもたらす着実なサイクル」)。つまり、イノベーションは演繹的アプローチからスタートするというわけだ。
一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか 一橋大学イノベーション研究センター 東洋経済新報社 2017-12-08 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
確かに、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」でも書いたように、とりわけアメリカのイノベーターは、全く新しいニーズを喚起し、全く新しい市場を創造しようとしているわけであるから、伝統的な市場調査を重視しない。自分自身を第一の顧客に見立ててて、「自分はこういう製品・サービスがほしい。自分がこれだけほしがっているということは、世界中の人々もきっと同様にほしがっているに違いない」と考え、イノベーションを全世界に普及させることを唯一絶対の神と契約する。自分自身のニーズという極めて限られた事実から、全世界に通用する法則を導き出すことは、演繹法とも帰納法とも異なる第三の思考法「アブダクション」と呼ばれる。
ただ、イノベーターが「この製品・サービスこそが正しいのであり、世界中の人々はこの製品・サービスに従わなければならない」と、多額の資金をプロモーションに投入してイノベーションを全世界に普及させる(半ば強引に押しつける)ことは、限りなく演繹的アプローチに近い。例えば、Google Homeは、自宅に帰ったらまず「OK, Google!」と呼びかけ、自分がしたいことをGoogle Homeに命令するという新しい生活スタイルを世界中の人々に習得させようとしている。「普及」は「布教」と呼んでもよいだろう。近年のアメリカ企業の中には、イノベーションを全世界に布教させる役割を持つ「エバンジェリスト(伝道師)」と呼ばれる人が配置されている。
これに対して、マーケティングやマネジメントの世界では、これまでの長年の研究や経験から、何をすれば期待通りの成果が上げられるかということがある程度明らかになっている。私もよく本ブログで、「マネジメントの世界では、やるべきことをしっかりやっていれば、成果はおのずとついてくる」と書いてきた。これだけを見れば、マーケティングやマネジメントは演繹法である。
しかし、実際には、過去に演繹的に確立された原理原則が、今現在企業が直面している現実にも本当に適用可能なのかどうかは、様々な切り口からあらゆる事実・情報を収集して検証しなければならない。そして、過去の原理原則がもう通用しないと判明したら、新しい原理原則を打ち立てる必要がある。よって、マーケティングやマネジメントは帰納法と呼ぶのが適切である。さらに、厳密に言えば、この帰納法によって得られた原理原則は普遍性を持たない。その企業が置かれた個別のコンテクストにおいてのみ有効に機能するものである。経営学者のピーター・ドラッカーが「唯一絶対のマネジメントの解はない」と主張していた通りである。
日本人の場合は特に、現実を探索するには、自分自身が実際に見聞きし、測定し、記録した情報、つまり1次情報を重視する必要がある。現地・現場・現物という三現主義が表す通りである。顧客が一体何をほしがっているのかを知りたければ、顧客をじっくりと観察する。近年、ITの進歩によってこうした情報を効率的に収集しようとする傾向が強くなっている。しかし、探索に関してはむしろ時間と手間をかけなければならない。働き方改革に逆行するようにも思えるが、探索に時間をかける半面、探索によって現実を十分に把握し、何をなすべきかが解ったら、それを成果に結びつけるまでの時間を短縮するという形で働き方改革を実現するべきである。
逆に、日本人は自分自身で見聞きしていない情報に基づく意思決定が極めて苦手である。これを得意とするのが欧米人であり、彼らは他人からヒアリングした情報や他人が編集した書籍・報告書などの2次情報から現実を推測する力に長けている。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある」で、欧米人は海外子会社をガバナンスする際に、海外子会社のトップに欧米人ではなく現地人を置くと書いた。本国にいる欧米人は、現地のトップが現地から上げてくる情報から、現地で実際に何が起きているのかを推測することができる。外交においても、彼らは2次情報を頼る。元外交官の佐藤優氏は、「インテリジェンスの9割は公知情報に基づく」と述べている。つまり、欧米の外交官は、諸外国が公表している2次情報から、その国の実態を解きほぐす力を持っている(どういう思考回路でそれが可能になっているのか、今の私にはまだ解らない)。
日本人が欧米人の真似をして、2次情報に基づいて意思決定をしようとすると痛い目に遭う。日本人の頭の片隅にはどこか、「所詮2次情報なのだから、こちらの都合のよいように改変しても構わない」という意識があるように思える。太平洋戦争の際、日本陸軍は軍の物資の数が机上の計算の数値と異なっていると、部下が上げてきた報告書を机上の計算の方に合わせるように命じたと言う。これを山本七平は「員数主義」と呼んだ(以前の記事「山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍」を参照)。最近の神戸製鋼や日産、東レなどの品質管理上の問題も、同じような側面を持っていると感じる。
一般的に、顧客が何をほしがっているかを知るためには、顧客に直接尋ねるのが手っ取り早いと考えられている。だが、顧客は無意識のうちに嘘をつくことがある。日本マクドナルドは、アンケート調査で「ヘルシーなメニューを食べたい」という声が寄せられたため、新商品として「サラダマック」を導入した。しかし、売上が伸びず、ほどなく撤退してしまった。この後、今度はハンバーガーの肉の量を大幅に増やした「メガマック」を発売すると、これが大ヒットした。顧客が求めていたのは、「ヘルシー」とは正反対のものであった。顧客の本当のニーズは、「食べ応えのあるハンバーガーにガブッとかぶりつきたい」というものであったわけだ(大松孝弘、波田浩之『「欲しい」の本質―人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方』〔宣伝会議、2017年〕より)。
「欲しい」の本質~人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方~ 大松孝弘 波田浩之 2017-11-29 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
顧客にヒアリングして自身のニーズを語らせるという方法は、調査員本人が顧客から直接聞いた情報であるから、1次情報であると思われがちである。ところが、顧客は自分のニーズに無意識のうちに勝手な解釈を加えて情報を変質させることがある。よって、顧客に対するヒアリングから得られる情報は、顧客が編集を加えた2次情報であるととらえた方がよい。本当に顧客のニーズを知りたければ、繰り返しにになるが、やはり顧客を直接観察するしかない。顧客がどのような生活をしているのか、製品・サービスを選択する際にどんな行動に出るのか、競合他社の製品・サービスとどんなふうにして比較を行うのか、何を基準にして購買の意思決定を下すのか、製品・サービスを利用した時にどういった感想を言うのか、利用後にいかなるアクションを取るのかなどを自分の眼で直接見、顧客が発する声を直接聞いて確かめる必要がある。
顧客のニーズを探る際に、仮説を持つことが重要であると言われる。だが、仮説が決定的に重要なのはリーダーシップやイノベーションにおける演繹法であり、マーケティングやマネジメントにおける帰納法では、あまり仮説をあてにしてはならない。人間は、自分にとって都合のよい情報だけを採用し、都合の悪い情報を却下する傾向がある。これを確証バイアスと言う。多少の仮説を持って、ある程度のあたりをつけることは大切であるが、仮説にこだわりすぎるのは危険である。私は、ノートを見開きにして、左側のページに仮説を支持する情報を、右側のページに仮説に反する情報を書き込むという方法を提案したい。右側のページが全く埋まらないとしたら、観察・洞察が不十分であると思った方がよい。そして、ノートが埋まったら、当初の仮説を修正し、本当の原理原則は何なのかと熟慮する。
私は、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」で、アメリカは神と人間が直接契約を結ぶことを是とする社会であり、神と人間との間に何らかの組織・機構が入ることをできるだけ排除しようとすると書いた。また、必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に及ぼすリスクが小さい領域におけるイノベーションを得意とするとも書いた。しかし、これらはいずれも仮説である。私は、自分の仮説に反する事実を把握している。
仮に、アメリカがイノベーションを全世界に普及させることを得意としているのならば、アメリカが巨額の貿易赤字を抱えていることを説明できない。また、アメリカにはGE、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどのように、必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に及ぼすリスクが大きい領域でも巨大なグローバル企業が数多く存在する。さらに、神と人間の直接の関係を重視するならば、アメリカが連邦制を採用しているという事実、保守的なアメリカ人が家族を大切にしているという事実に反する。加えて、人間が人間を支配する人種差別が行われてきた歴史(そして、それが未だに根強く残っていること)とも矛盾する。これらの不整合をどのように解釈し、アメリカ社会をどうやってとらえ直すべきなのかが私の今後の課題である。
やっと『正論』2018年2月号の話に入るわけだが、国際政治の舞台においても、現実を虚心坦懐に見つめることが重要である。
いま私たちには経済力があります。軍事力もあります。情報力もあります。しかし、失ったものがあるのではありませんか。それは「現実を見る目」です。厳しい国際社会の情勢をきちんと見る目、見極める心、それに対処する決意、そうしたものが足りないと思います。と櫻井よしこ氏が発破をかければ、
(櫻井よしこ「改憲論議に熱意とスピードを」)
日本人の多くは、抗議しても、決議しても、制裁しても変わらぬ北朝鮮の核ミサイル状況に苛立ちつつも、夢想に近い「対話」をかたくなに主張するか、あるいは「米国の軍事力行使を待望」するという両極端に意見が分かれているようだ。両者に共通するのは、当事者意識に欠け、現実の脅威から眼を逸らし、他力本願で思考停止に陥っているところだ。と織田邦男氏は警告する。私は右寄りの『正論』と左寄りの『世界』を両方とも定期購読しているが、少なくとも『正論』では北朝鮮有事が起きた際に日本は何をするべきか具体的に論じようとしているのに対し、『世界』はひたすら「対話」一辺倒であり、北朝鮮と何を話すつもりなのかが見えてこない。理想ばかりを教条的に主張するのが左派の特徴のようである。それを端的に観察することができるのが、現在の沖縄である。
(織田邦男「破れた核の傘、日本はどうする!」)
私は2013年、仲間氏(※石垣市議の仲間均氏)の漁船に同乗して尖閣海域に向かい、領海侵犯してきた中国公船の威嚇を目の当たりにした。日本の主権に関わる大事件だったが、帰港後、この件を私が八重山日報で報じても、県紙は1行も後追い記事を書かなかった。そのくせ、こと反基地となると異常なほどのキャンペーンを張る。以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」でも書いたように、日本人は理想と現実という二項対立を処理するのが不得手である。通常は理想と現実の間で妥結点を探り、漸次的な変革を目指すものである。ところが、これができない人は理想を強硬に主張するか、現実の前に土下座する。沖縄の例で言えば、沖縄から全ての米軍基地を追い出すまで抵抗運動を続けるか、尖閣諸島が中国に実効支配されたら中国に向かって土下座するかのどちらかとなる。
(仲新城誠「対中最前線 国境の島からの報告(54)尖閣防衛の訴えには冷淡・・・沖縄県紙”反基地”の狙い」)
現実を直視しない新聞がある。朝日新聞である。『正論』2018年2月号によると、2017年12月号冒頭の高山正之氏のコラム「折節の記」に対して、朝日新聞が抗議書を産経新聞社に送りつけてきたとある。抗議書は全部で15の項目から構成されているが、その中の1つに、コラムの「社是の方は元気一杯で、安倍潰しに燃えて「もり・かけ疑惑」をぶつけてきた」という記述に対して、「弊社に社是はなく、「安倍潰し」が社是であったこともありません」と回答している部分がある。これについて、『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を出版して朝日新聞から損害賠償請求の裁判を起こされた小川榮太郎氏は次のように述べている。
正論2017年12月号 日本工業新聞社 2017-11-01 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪 (月刊Hanada双書) 小川榮太郎 飛鳥新社 2017-10-18 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
小川:今回、朝日新聞は「安倍叩きは社是ではない」、「うちには社是などない」と抗議してきていますが、よく考えたら基本的理念という意味で社是がないとすれば恥ずかしいことではないですか。産経新聞社の場合は堂々と、「正論路線」が社是ですよと言えるはずです。新聞社に社是がないなんて、自慢できることではなくて無責任なのだと、逆に申し上げたい。これには私も思わず笑ってしまった。大手5紙のうち、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞のHPには、社是や企業理念のページが独立して存在する。ところが、朝日新聞だけは、社是や企業理念の独立したページが存在しない。ただし、企業理念そのものが存在しないわけではなく、トップメッセージの中に企業理念が一応書かれている。
(高山正之、小川榮太郎「あんなもの送ってくる朝日新聞こそ腐敗権力だな(笑)」)
よりよい明日のため、私たちは「ともに考え、ともにつくる」という企業理念を掲げました。声なき声に耳を傾け、健全に、公正に、そして謙虚に。私たちの原点であるジャーナリズムをしっかりと守りながら、人々の興味や関心への感度を高め、暮らしを豊かにするサービスも充実させる。既成概念にとらわれない「総合メディア企業」を目指しています。確かに、南京事件の被害者や、強制的に働かされた慰安婦などという、「本当は存在しない人」の声を聞いているという点で、「声なき声に耳を傾け」ている。それに、日米同盟を破壊して日本を中朝に隷属させようとしている点で、「既成概念にとらわれ」ていない。これだけ企業理念を文字通り忠実に実行していながら、それが社会や国家のためになっていない例はそうそう見つからない。だから、企業理念や社是は言語化=形式知化するだけでは不十分であり、以前の記事「【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)」でも書いたように、社員、さらにはステークホルダーを含めた人々との重層的な対話を通じて、形式知の背後に意味=暗黙知を降り積もらせる必要があるのである。
テレビは視聴者に対する影響が強く、視聴者の思考(嗜好)を左右しやすいため、中立な立場で放送しなければならないと放送法で定められている。逆に言えば、新聞は読者が記事を読み、その内容の是非を判断する十分な時間があるから、ある程度主義主張を展開してもよいということになる。私も新聞にはそのような機能を期待している。ただし、事実と主張は分ける必要がある。私も駆け出しのコンサルタントだった頃、事実と主張を混同して書かないように随分と注意を受けた。「これは事実なのか?君の主張なのか?」と何度も問い詰められたものである。
朝日新聞の弱点は、事実を2次情報に依存しすぎていることである。だから、吉田清治の従軍慰安婦に関する記述などを盲目的に信じてしまう。我々コンサルタントは、2次情報は1次情報に比べて「弱い」という表現をする。2次情報も貴重な情報ではあるものの、2次情報を入手した際には、可能な限りそれを裏づける1次情報を自力で探さなければならない。1次情報は難しくても、誰かが現実をできるだけ客観的かつ忠実に描写したもの、具体的には写真や記録、統計といった半1次情報、1.5次情報とでも呼ぶべき情報を入手する必要がある。その努力をせずに、2次情報を読者に伝えるだけであれば、新聞は単なる伝書鳩になってしまう。