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【うつ病の治し方】うつ病を治すために実践すべき簡単な「7つの習慣」
『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年04月11日

【うつ病の治し方】うつ病を治すために実践すべき簡単な「7つの習慣」


うつ病

 本ブログをお読みの方はご存知の通り、私は双極性障害Ⅱ型という精神疾患を患っている。先日、マライア・キャリーが告白して話題になった、あの病気のことである。双極性障害とは、躁状態(簡単に言えばハイテンションの状態)とうつ状態が交互に現れる障害である。躁状態の時は、本人もよもや自分が病気だとは思っていない。むしろ絶好調だと思っているので、医療機関にかかることがほとんどない。うつ状態になって初めて診療を受けるため、医師も当初はうつ病と診断してしまうことが多く、診断が難しい疾患である。私も最初の診断名はうつ病であったが、発症から4年ほど経って双極性障害という病名に変わった。

 うつ病は、十分な休息を取り、適切な治療を受ければ寛解する。だが、双極性障害は再発率が高く、うつ状態は90%の割合で再発すると言われている。マライア・キャリーも言っていたように、一生つき合っていかなければならない病気である。そこで今回は、うつ状態を少しでも早く脱するために必要な7つの習慣について書いてみたいと思う。双極性障害の患者が、うつ状態を脱するための方法について書いているため、正確に言えばうつ病の患者がうつ病を治すための方法とは必ずしも一致しないかもしれない。ただ、今回の記事がうつ病で苦労している方にとって、何かの参考になれば幸いである。また、この6年間で3回も入院した私がこんなことを言っても説得力に欠けると思われるだろうが、その点もどうかご容赦いただきたい。

 なお、これから述べる習慣の中には、食習慣は入っていない。うつ病の時に食べる/飲むとよいもの、食べる/飲むのを控えた方がよいものというのは一応ある。だが、ある人は「これを食べた/飲んだ方がよい」と言っているのに、別の人は「これは食べては/飲んではいけない」と言っていることがあり、どの情報を信用してよいのか私自身解らないことが多い。例えば、うつ病の人はコーヒーを飲まない方がよいとされる。カフェインの過剰摂取により、ストレスに反応するアドレナリンという脳内物質が放出されるためである。ところが、ある研究によると、コーヒーを入れる時の香りが脳内のα波を増やし、リラックス効果をもたらすと言う。

 万事こんな具合なので、個人的な見解を言えば、「食べたい/飲みたいものを口にすればよい」のではないかと思う。ただでさえうつ病で苦しい思いをしているのに、食べたい/飲みたいものまで我慢してしまったら、余計にストレスを感じてしまう。だから、食事に関してはあまり心配しなくてもよいというのが私の実感である。ただし、抗うつ薬の中には食欲を増進する作用があるものがあり、過食の傾向が表れることがあるため、この点だけは注意が必要である。

 ①思い切って人を頼ってみる
 うつ病になる人は責任感が強く、自分で何でもやらねばという義務感に駆られることが多い。だが、あなたの周りには頼りになる人がいくらでもいることに気づいてほしい。1人で全てを抱え込むのではなく、思い切って他人に任せてみる。あなたの普段の頑張りを見ている人は、あなたに何かあったら助けてあげたいと思っているものである。私も3回入院した時はいずれも、その時に抱えていた仕事を全て他の中小企業診断士に依頼した。迷惑だったかもしれないが、お願いした先生方は皆、クオリティの高い仕事をしてくださった。先日、診断士の会合に出席したところ、ある先生からは「谷藤先生に何かしてあげられることはないものかと皆言っていますよ」というありがたい言葉をいただいた。自分は1人ではないのだと実感することができた。

 また、障害者手帳を取得するための煩雑な手続きや、入院費の支援を家族にお願いしたこともある。家族はやはり頼りになる存在である。実は私は、義理の両親には病気のことを伝えてあったが、以前の記事「『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟」で書いたように、実の両親とは長く不仲であったため、病気のことを黙っていた。3月に入院した際(以前の記事「【精神科】閉鎖病棟とはどういうところか?【入院】」を参照)、意を決して実の両親に打ち明けたところ、たいそう驚かれたが、入院費を支援してくれることになった。この点では両親に本当に感謝している。「もっと早く教えてくれたら色々としてあげたのに」とも言ってくれた。この歳になって親の脛をかじるのは恥ずかしいかもしれないが、病気は一時的なものである。病気がよくなったら親孝行すればよい。

 ②大きな声で挨拶をする
 うつ病の人は失敗をひどく恐れる。そのためか、コミュニケーションが億劫になってしまうことが多い。「こんなことを言ったら自分は頭が悪いと思われるのではないか?」、「相手を傷つけてしまうのではないか?」と過剰に心配してしまう。すると、日常生活の中で他人と言葉を交わす機会が減少し、ますますうつ状態がひどくなるという悪循環に陥る。そこで、最低限のコミュニケーションとして、挨拶ぐらいはきちんとしたい。それも大きな声でするのがポイントである。挨拶は定型文であるから、失敗のしようがない。相手が挨拶を返してくれないという失敗はあるが、それは相手の問題であって、あなたには何の落ち度もない。

 3月に入院した時、私はできるだけ大きな声で挨拶するように心がけた。朝起きたら他の患者さんや看護師さんに「おはようございます」と言う。清掃担当の方が病室を掃除してくれたら「ありがとうございました」と言う。食事後に看護師さんが下膳しに来た際には「ごちそうさまでした」と言う。これだけでいい。それに、大きな声を出すと気分もスッキリとする。もちろん、①で書いたように、他人に何かをお願いする時には「よろしくお願いします」と言い、お願いごとをしてもらった時には「ありがとうございました」と言うことも欠かせない。②はあまりにもベタなことであるが、ベタなことでも恥ずかしがらずに行うことが大切である。

 ③朝起きたらカーテンと窓を開ける
 うつ病の人は朝が苦手である。あなたも朝になると気分がふさぎ込んだり、不安になったり、恐ろしくなったりすることだろう。だが、朝起きたら思い切ってカーテンと窓を開けるようにしてほしい。日光はうつ病を改善する効果がある。うつ病の人は、気分の安定や心のバランスに寄与する脳内物質であるセロトニン不足している。に日光を浴びると、脳内でセロトニンが分泌される。朝日光を浴びれば、寝起きの身体を覚醒させて、活動的な状態にしてくれる。

 それから、カーテンを開けて空気を入れ替えることも重要である。1日中締め切ったままの部屋の空気はどんよりと沈滞している。そんな空気の中で生活していれば、自ずと気持ちもどんよりとしてしまう。そこで、朝になったら朝の新鮮な空気を部屋に取り込む。すると、気分をリフレッシュすることができる。ただし、うつ病の大敵である雨の日には、無理してこれを行う必要はない。うつ病の人は几帳面な人が多いので、これをすると決めたら毎日それをしなければならないと思ってしまいがちである。だが、雨の日には日光は取り込めないし、窓を開けたらよどんだ湿り気のある空気が部屋に入り込んでしまう。この辺りは、ある程度いい加減でよい。

 ④背筋を伸ばし、前を向いて歩く
 精神科の病院に入院しても、手術などをするわけではなく、基本的には薬物療法のみであるから、日中ははっきり言って暇である。だから、3月に入院した病院では、患者さんがよくフロア内を散歩していた(閉鎖病棟であったため、フロア外には原則として出ることができない)。その様子を見て思ったのは、具合の悪そうな患者さんほど、うつむき加減でとぼとぼと歩いているということである。これでは余計に気分がふさぎ込んでしまう。歩く時は背筋をしゃんと伸ばし、しっかりと前を向いて、少し大股で歩くのがよい。堂々としていれば、自ずと気持ちも前向きになってくる。気持ちが姿勢を作るのか、姿勢が気持ちを作るのかという問題は、鶏が先か、卵が先かという問題である。ここでは姿勢が気持ちを作るという因果関係を信じてみようではないか。

 入院しておらず自宅で療養している場合、外出の機会がどうしても減ってしまう。その場合、自宅の周りを毎日5分でもよいから散歩する習慣をつけるとよい。特に、朝の散歩が有効である。③で述べたように、日光を浴びることによるプラスの効果が見込める上、朝一旦外に出てしまえば、1日中家に閉じこもっていようという気分が起きなくなる。朝の散歩は思考をクリアにするという効果もある。偉業を成し遂げた人の中には、朝の散歩を日課にしていた人が多い。例えば、哲学者のキルケゴールは「重要なアイデアの多くは朝の散歩の中で生まれた」と振り返っている。もっとも、雨の日には、無理に散歩をする必要はない。この点は③と同じである。

 ⑤決断しないという決断をする
 病気で療養している間にも、何か物事を決めなければいけないというケースに直面することがある。私の場合、入院中に「退院後の仕事をどうやって受注しようか?」、「もうフリーランスは辞めて一般企業に転職した方がよいのだろうか?」、「退院後は収入が下がるから、家賃の安い家に引っ越した方がよいのだろうか?」などといった問題が次々と襲ってきた。だが、うつ病の状態にある時は普段と比べて判断能力が鈍っているので、無理にこのような問題に結論を出さない方がよい。「決めない」ことを「決める」のも重要である。どうしても決める必要があるのであれば、①で書いたように、思い切って他人に決めさせればよい。

 一般の人でも、意思決定は十分な時間をかけて慎重に行うべきだと言われている。選択肢の数が十分に机の上に並んでいるのかを確認する、それぞれの選択肢が立脚している仮説が正しいかどうかちょっとしたテストをする(これを「ウーチング」と言う)、自分とは別の利害を持つ他者の立場に立ったとするとどのような決断をするか想像してみる、10分後・10時間後・10日後・10か月後・10年後にその決断を振り返った時に「後悔しない」と言い切れるかどうかよく考えるなど、アドバイスには事欠かない。これと同じことをうつ病の患者に求めるのはあまりにも酷である。だから、あなたも無理して意思決定をする必要はない。そして、たいていのことは、それほど急いで決める必要がないと後から気づくものである。

 ⑥できなかったことではなく、できたことに目を向ける
 うつ病になると、何をするにも気乗りがせず、仕事をするスピードが落ちたり、趣味に没頭できなくなったりする。うつ病の人は元々責任感が強く、几帳面で、頑張り屋であるから、できないことが増えてくると、以前の自分の姿とのギャップに苦しむ。そして、「自分には何も価値がない」、「もう死にたい」(「希死念慮」と言う)と思うようになる。だが、本当に1日中何もできなかった日というのは案外少ないものである。できない、できないと言いながら、何かしらのことはしている。それがたとえ些細なことであってもよい。そのできたことに着目することが重要である。あなたがもしここまでに書いてきた①~⑤のことをできたのであれば、できた自分を褒めてあげてほしい。今日この記事をここまで読んだことも、できたことに含めてよい。

 私が3月に入院する直前は、読書が困難になっていた。年明けから本が読めない兆候があったのだが、2月末にはとうとう全く読書ができなくなった。年間200冊以上を読むことを目標としている私にとっては、これは苦痛であった。入院の目的の1つは、休養してまた本を読めるようになることであった。とはいえ、いきなり今まで読んでいたような1冊200~300ページの本を読むのは無理である。そこで、たまたまデイルームに置いてあった『月刊PHP』という小冊子から読み始めた。これなら内容も簡単だし、1時間弱で読める。月刊PHPを何冊か読み切ったことが自信となって、入院生活中盤からは、今まで読んでいたような本を読むことができるようになった。

 ⑦日記をつける
 うつ病の人は、落ち込んだ気分を自分の中にため込んでしまう傾向がある。そういう場合には、以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」でも書いたように、日記をつけることをお勧めしたい。1日3行程度でよい。まずはその日の気分を書きなぐるだけでよい。極端な話をすれば、「死にたい、死にたい、死にたい、・・・」と書いてもよい。すると、不思議なことに自分のネガティブな気持ちが「外部化」され、落ち着きを取り戻すことができる。これを心理学では「ジャーナリング効果」と呼ぶそうだ。

 負の感情をありのままに書きだすと同時に、①~⑥で述べてきたような、「できたこと」も日記に書くとよい。そうすると「できたこと」が形になって残り、前向きな気持ちを取り戻すことができる。日記というのは不思議なもので、マイナスの内容を書けばそれを忘れることができる反面、プラスの内容を書けば記憶に残る。この日記の効用を活かして、あなたの頭の中をネガティブモードからポジティブモードに切り替えていくとよいと思う。

2018年02月21日

『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟


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 感謝をする―「ありがとう」と口先で言うだけなら簡単だが、心の底から気持ちを込めて「ありがとう」と言うことは意外と難しい。幼少期に散々しつけられたはずなのに、なぜか大人になるとできなくなる。ただ、常日頃から感謝の気持ちを抱くことは、人生において極めて重要である。カリフォルニア大学デイヴィス校のロバート・A・エモンズ教授は、常に感謝の心を持っている人はそうでない人に比べて幸福な上、より人助けをし、寛大で、物質偏重主義に走りにくいと言う。

 エモンズ教授の研究に、1,000人以上と面談して、一部の人に「感謝の日記」をつけてもらうという有名な実験があるそうだ。被験者は週に1回のペースで、「ありがたい」と思ったことを書き留めていく。その結果、感謝の気持ちを持つと、心理的、身体的、社会的な効果を及ぼすと判明した。具体的には、感謝の日記をつけた人は、以前よりも前向きになり、快眠でき、体調もよくなって、周囲に対して気を配ることが増えたと話している。「感謝することで、人はしばし立ち止まって考え、自分が持っているものの価値を理解することができる」とエモンズ教授は述べている(マイク・ヴァイキング『ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方』〔三笠書房、2017年〕より)。

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 私は、感謝には次の4段階があると考える。

 (1)してもらったことに対して「ありがとう」と言う。
 これは最も簡単な感謝の方法である。人類学者の中根千枝氏が指摘するように、日本は特にタテ社会の傾向が強いが、下の階層の人が上の階層の人から報酬や恩恵、名誉などを与えられたら、上の階層の人に対して感謝をするように我々は教え込まれている。顧客から代金を支払ってもらったら感謝する。会社から給与を支払ってもらったら感謝する。学校で先生から教育を受けたら感謝する。親に育ててもらったら感謝する。これはそれほど難しいことではない。もっとも、最近は会社が給与を支払うのは当然であるかのような態度をとる社員が増えたり、先生や親に対して敬意を払わない子どもが増えたりしているのは由々しき問題である。

 (2)してあげたことに対して「ありがとう」と言う。
 以前の記事「『致知』2017年10月号『自反尽己』―上の人間が下の人間に対してどれだけ「ありがとう」と言えるか?、他」でも書いたが、下の階層の人が上の階層の人に感謝するだけでなく、上の階層の人が下の階層の人に感謝することも大切ではないかと思う。顧客は企業に対し、製品やサービスの対価を払うと同時にありがとうと言う。企業は社員に対し、給与を支払うと同時にありがとうと言う。教師は子どもに教育を施すと同時に、勉強を頑張ってくれてありがとうと言う。親は子どもを育てると同時に、元気に育ってくれてありがとうと言う。

 上の階層の人は、下の階層の人のためにわざわざ骨折って何かを与えたのに、それに加えてさらに下の階層の人に対してなぜ感謝までしなければならないのかと疑問に思う人もいるに違いない。その問いに対する1つの答えが、『致知』2018年3月号に示されていた。
 佐藤:人を輝かせようと頑張るほど、周りから見ると、「やっぱり、あいつは自分が目立ちたい、輝きたいだけじゃないか」となってしまう。それで、なぜ人を輝かせたいと思っているのに、自分が輝いてしまうのだろうかと考えた時、僕の中で出た答えが、「人は誰かを輝かせようと思った瞬間に、一番輝く」ということでした。
(佐藤仙務、恩田聖敬「絶望を乗り越えた先に見えてきたもの」)
 下の階層の人は上の階層から報酬や恩恵、名誉などをもらうことで輝くことができる。では、報酬などをあげた上の階層の人は輝くことができないのか?否、上の階層の人は下の階層の人に報酬などを与え、下の者を輝かせることによって自らも輝くことができるというわけである。そして、自らを輝かせてくれたことに対して、下の階層の人に感謝をしなければならない。

 この第2段階の感謝ができない人は、「くれない病」にかかる。自分は相手のためにこれだけ精一杯やってあげているのに、相手は何もしてくれないと憤る。義理の両親が重度の障害を持ち、子どもも自閉症を抱えているという島田妙子氏(児童虐待防止機構オレンジCAPO理事長)は、一時期この「くれない病」に陥っていたと言う。相手にしてあげたことで自分が輝くことができているのに、そのことを忘れてしまう。くれない病の副作用には気をつけなければならない。
 子供が言うことを聞いてくれない。旦那は手伝ってくれない。誰も分かってくれない。本当はそんなことはないのに、悲観的になるとすべてがマイナスになってしまうのです。そして、くれない病の一番恐ろしいところは、感謝力が低下してしまうことです。以前であれば素直に「ありがとう」と言えていたことでさえ、感謝できなくなってしまいました。
(島田妙子「虐待を生き抜いた私だからできること すべてを肯定して生きる」)
 人間的に未熟な私などは、この2段階目の感謝でもうつまずいてしまう。飲食店で会計を済ませた後になかなか「ごちそうさまでした」と言えない。居酒屋などでそれなりの額を使った時にはさすがに店員に対してごちそうさまと言えるようになったが、例えばドトールなどで1杯200円程度のコーヒーを飲んだ際にいちいち店員に謝意を示すことを面倒だと感じてしまう(お客さんの中には店員にごちそうさまと言える人がいて、人間的によくできた人だと感服する)。最近、私の家の近所に大戸屋ができたのだが、この大戸屋はIT化が進んでいてセルフレジが用意されている。本当は店員に直接代金を支払ってごちそうさまと言うのが筋なのだが、面倒くさがりの私はついセルフレジを使ってしまう。こういうところに、自分の未熟さが出てしまい恥ずかしくなる。

 (3)ひどい仕打ち・不幸な出来事に対して「ありがとう」と言う。
 3段階目から一気に難易度が上がる。他人からひどい目に遭わされた時、怒り、憎しみ、悲しみを隠せないのが普通である。しかし、どんな不幸の中にも幸せの種は植わっている。その種を見つけ出して感謝をするというのがこの第3段階である。

 私の幼少期、父親の収入がそれほど多くなく、マイホームを持つことができなかったため、私の両親と弟は母親の実家に暮らしていた。ところが、母親と祖母の仲が非常に悪く、年中喧嘩が絶えなかった。母親からは、祖母と口を利かないようにと頻繁に言われた。祖父母は1階に暮らし、私の両親と弟は2階に暮らしていたが、私は祖父母と会話を交わした記憶がほとんどない。母親の祖母嫌いは徹底していた。我が家では祖母が最初に風呂に入る順番になっていたが、祖母が風呂から出ると、母親は湯船のお湯を抜いて、風呂を掃除し直し、新しいお湯を張るぐらいの徹底ぶりであった。さらに、母親は、別の場所で暮らしている妹の家族とも犬猿の仲だった。盆や正月に妹家族が実家に遊びに来ると、私と弟はその妹家族から隔離された。母親と妹が口喧嘩をしているのを何度も耳にしたことがある。

 ある日私は、2階の本棚の中から1冊のノートを発見した。そこには、母親が祖母や妹に対する不満をびっしりと書き込んでいた。多感な当時の私を動揺させるのには十分すぎるぐらいの罵詈雑言が並んでいた。そのぐらい母親と祖母は不仲だったため、一時期私の両親は私と弟を連れて家出をし、実家の近くにアパートを借りて暮らしていたことがある。当時の母親は家を買うことを考えていたようで、電話で祖父に対して頭金の300万円をよこせとよく叫んでいた。

 母親のヒステリーは、私が結婚する際にも発揮された。私と妻は当初、両親から私たちの好きなように結婚式を挙げてよいと言われていた。そこで、私たちが知り合った京都で挙式をすることにした。ところが、準備がある程度進んだ段階になって、やっぱり私の実家のある岐阜で、親戚も交えた結婚式にしなければ許さないと言い出し始めた。さらに、結納代わりに両家の顔合わせの食事会に両親を招いた時には、結納代わりであることを事前に説明していたにもかかわらず、結納をしないのはおかしいと騒ぎ立てた。挙句の果てに、いきなりあのような食事会に呼ばれたのは、まるで石坂浩二が浅丘ルリ子と離婚の記者会見をした時に、浅丘ルリ子が記者会見の当日になって、これが離婚の記者会見であることを知らされたかのようなものだなどと、許しがたいことを言い放った。結局、私たちは結婚式を挙げることはできなかった。

 それ以来、私は実家とは絶縁状態である。両親が実家を飛び出して近くに新居を建てたらしいということは聞いたが、私は新しい実家の住所を知らない。また、弟が今どこで何をしているのか、結婚をしているのか否かも知らない。祖母に至っては、生きているのか死んでいるのかさえ解らない(祖父は11年前に他界している)。もっとも、祖母が死んでも私のところには連絡が来ないのではないかと思っている。かろうじて両親と弟の携帯の電話番号は把握しているものの、もし電話番号を変更していたら、私には連絡を取る手段がない。

 感謝の第1段階で親への感謝ということを書いたが、私の実家はこのような状態であったので、両親に感謝するのは、個人的には非常に難しいことである。ただ最近は、2つだけ両親に感謝していることがある。1つ目は小学校から中学校にかけて珠算と書道を習わせてくれたこと、もう1つは大学まで卒業させてくれたことである。幼少期に珠算と書道をやっていたおかげで、私は平均的な人に比べると脳が鍛えられたと思うし、上手な字が書けるようになった。また、父親の収入がそれほど多くなかったにもかかわらず、京都の大学に通う私に毎月8万円(家賃5万円+食費3万円)の仕送りをし、授業料も払ってくれた。最近の大学生の約5割は奨学金を受けているという実態からすると、かなり恵まれていたと言えるだろう。ただ、この2つ以外に感謝することが今は見つからない。未熟な私が両親に心の底から感謝することができる日はまだ遠い。

 前職のベンチャー企業で散々な目に遭ったことは、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」や「【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由」で書いたので、ここでは繰り返さない。私は双極性障害を患ってもう10年近くになるが、その原因を作った前職の会社とその社長を許すことはできていない。社長は元々あるコンサルティングファームのパートナーを務めていて、たまたまストックオプションで一山当てた人であり、数億円の資産があると噂されていた。前職の会社は赤字続きで社会に対して全く貢献できていなかったから、私は、とっととこんな会社は倒産し、社長は死んで相続税を払った方が社会貢献になるのではないかと本気で思っていた。そのぐらい、私はこの社長のことを憎んでいた。

 その憎しみを晴らすために、私は前述のシリーズものを書き、とある中小企業診断士の先生から教えてもらった「5年日記」を書き始めて、自分の感情を正直に吐露することにした(以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」を参照)。トラウマと向き合うと、最初は苦痛を伴うため幸福感が低く、血圧が高くなるのだが、一定期間トラウマについて書き続けるうちに、心身ともにかえって良好な状態になる。このことは「ジャーナリング効果」と呼ばれているそうだ(シェリル・サンドバーグ、アダム・グラント『OPTION B―逆境、レジリエンス、そして喜び』〔日本経済新聞出版社、2017年〕より)。

OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜びOPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び
シェリル・サンドバーグ アダム・グラント 櫻井 祐子

日本経済新聞出版社 2017-07-20

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 前職の会社に対する気持ちは完全には清算し切れていないが、最近は少し感謝の気持ちも芽生えてきた。双極性障害になったおかげで、私は前職の会社を退職し、診断士として本格的に活動を始めた。診断士としての仕事は、本業のコンサルティングに加えて、執筆、講演、信用調査、補助金関連の仕事など、前職の会社では経験できないような様々なものであった。人脈作りが苦手だった私があちこちの会合に積極的に顔を出し、色々な専門家と知り合うことができた。その専門家に刺激されて、経営学以外の本をたくさん読むようになり、知見も増えた。もしあのまま勤め続けていたら、アメリカのコンサルティングの流行をすぐに日本に持ち込みたがる社長の下で、アメリカの成果をコピペするだけの薄っぺらいコンサルタントになっていただろう。

 5年日記は昨年で1冊目が終了し、今年から2冊目に突入した。1冊目は私の感情のはけ口になっていたため、半ばデスノート化していたのだが(だからとても公開できない)、2冊目は冒頭で触れた「感謝の日記」へと少しずつ移行することができればよいと思っている。

 (4)ただ生きていること、ただあることに対して「ありがとう」と言う。
 最終段階はさらに難しい。これは、ただ生命があることに対して感謝をするというものである。12歳まで米沢藩士の末裔である祖母中心の家で育った文筆家の石川真理子氏は、『致知』2014年9月号の中で次のように述べている。
 例えば、朝起きて挨拶に行くと、祖母は、「きょうも命がありましたね。ありがたいですね」と言うことがありました。きょうも命があったということは、明日は生きているかどうか分からない。子供心にとても怖い思いをしたことを鮮明に覚えています。祖母の言葉によって、どこか遠くに漠然と思い描いていた死というものが、自分のすぐそばにやってきたのです。そうした原点があったために、何事も明日死んでも構わなないような心掛けで、精いっぱい取り組むことが私の信条となったのです。
(石川真理子「武家の娘の心得 祖母に学んだ武士道」)
致知2014年9月号万事入精 致知2014年9月号

致知出版社 2014-09


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 朝起きて、ただ「今日も生命がありました。ありがとう」と言うだけでは不十分である。今日も生命があったという奇跡に心から感謝するとともに、その奇跡を与えてくれた天(神でも仏でもよい。つまり何か人知を超えたもの)に畏怖し、奇跡を無駄にしないように今日という一日を力の限り生きることを決意しなければならない。これは祈りである。それを毎朝バカがつくほど真面目に続けることは難しい。だからこそ、私は感謝の4段階目にこれを位置づけたのである。

 4段階目の感謝を続けていると、時にこんな奇跡が起きる。『致知』2018年3月号には、19歳で肝臓がんを発症し、余命半年と宣告されながら、25歳の現在も活動を続けている山下弘子氏のインタビューが掲載されていた。
 そういえば、体に薬疹ができた時、不思議なことがあったんです。近々友人とトルコ旅行に行くことになっていて、「それまでには絶対に治す」と決めました。旅行に行きたいという邪な気持ちでしたけど、いろいろなものに感謝していた気がします。食事に感謝して胃で消化されて栄養として全身に行き届く様子をイメージしてみたり、母が近くで見守ってくれることにも感謝、生きていられることにも感謝。そうしたら40日ほどして本当に薬疹が引いてしまったんです。皆からは奇跡だと驚かれました。
(山下弘子「病が私に人生の意味を教えてくれた」)
 国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子氏も、似たような話を紹介していた(どの号か忘れてしまったので、時間ができたら調べておく)。ある末期ガン患者で、医師からは絶対に治らないと言われていた人が、余命を宣告された日から毎日、自分の身体に向かって感謝をするようにしたのだと言う。臓器をさすっては「いつも動いてくれてありがとう」と言い、腕や足をさすっては、細胞の1つ1つに対して「いつも動いてくれてありがとう」と感謝し続けた。すると、驚くことに、ガン細胞がきれいさっぱり消えてしまったそうだ。感謝には人知を超えた不思議な力が宿っている。




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