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【ベンチャー失敗の教訓(第50回終)】会社の借金を管理職に背負わせて人生を狂わせたY社
【ベンチャー失敗の教訓(第11回)】シナジーを発揮しない・できない3社

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2014年03月27日

【ベンチャー失敗の教訓(第50回終)】会社の借金を管理職に背負わせて人生を狂わせたY社


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 以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第11回)】シナジーを発揮しない・できない3社」でも述べたが、3社はグループ企業でありながら、独立独歩の状態であった(もっとも、戦略やビジネスモデルが脆弱で、独歩できていなかったが)。特に、Y社と他の2社との関係は希薄であり、X社にいた私も、Z社と一緒に仕事をしたことはあるものの、Y社と仕事をしたことはついになかった。そのため、今回のシリーズでも、Y社に関する記述・分析が少なくなっている点はご容赦いただきたい。ただ、Y社の末路については、関係者からいろいろと話を聞いている。

 Y社の資本金の大部分を出資していたのは、Z社のC社長であった。ただ、自分は代表取締役にならず、Y社長を代表取締役に立てて、C社長自身は取締役のポストに収まっていた。ところが、Y社の人材紹介事業は、一向に軌道に乗る気配がなかった。

 Y社の事業は、自社をプラットフォームとして、求職者と求人企業という2種類の顧客ネットワークを構築する事業である。この手のビジネスは、ネットワークの拡大に伴って飛躍的にビジネスが拡大する。つまり、求職者が増えれば、「あの人材紹介会社に登録している人が多いから」という理由で新たに求職者が増えるとともに、求職者のプールに魅力を感じる求人企業も増加する。同様にして、求人企業が増えれば、「あの人材紹介会社を使っている企業が多いから」という理由で新たに求人企業が増えるとともに、求人企業の多さに魅力を感じる求職者も増加する。

 しかし、裏を返せば、求人企業や求職者が少ない状態では、ネットワークが全く魅力を持たず、ビジネスとして成立しないという難しさがある。普通の企業が普通に顧客を開拓するのでも大変なのに、Y社は2種類の顧客を同時に開拓しなければならないという”ハンデ”を背負っていた。そのハンデを克服する決定策をY社は打ち出せず、ずるずると累積赤字を積み重ねていた。

 債務超過になりそうになると、C社長が私財を突っ込んで増資を行った。増資も限界になると(増資は手続きが面倒であり、体力のないベンチャー企業が何度も繰り返せるものではない)、C社長がY社に貸し付けを行うようになった。その正確な額は解らないが、Y社の毎年の赤字額から推測するに、5,000万円は超えていたと思う。

 大株主であるC社長は、Y社の社員にもっと危機感を持ってもらうために、マネジャー4人を取締役にするという手に出た。ところが、C社長はY社の業績回復を願っているわけではなかった。この時点で、C社長はY社の事業を見限っているようであった。マネジャーの取締役昇格は、表向きはマネジャーを経営に参画させるという口実で行われたが、実際には経営責任を4人に転嫁するためのものであった。

 4人が取締役に昇格してまもなく、C社長は次のように言った。「Y社の業績は悲惨だ。私は今まで多額のお金をY社に貸し付けてきたが、返済の見込みがない。Y社が私から借金をすることになったのは、君たち4人が現場で実績を上げられなかったためだ。よって、私の借金の責任は君たちにある。だから、私がY社に貸したお金は、君たちから返してもらいたい」 要するに、C社長に対するY社の債務を、Y社ではなく4人に弁済させようというわけである。

 5,000万円を超えるY社の債務を4人で按分したので、1人あたりおよそ1,000万円の借金を背負わされたことになる(もちろん、Y社長も借金を背負わされた)。Y社長は経営者であるから、責任を負ってしかるべきだろう。しかし、4人はついこの間までマネジャーとして働いていた身分である。いきなり1,000万円の債務を負うことになっても、返済できるわけがない。それでも、2人は貯蓄を切り崩して返済のめどを立てたらしい。だが、残り2人のその後は悲惨である。1人は消費者金融を使って返済しようとしたが、借金に借金を重ねる形になり、結局は自己破産してしまった。もう1人は、自宅マンションが差し押さえられた状態のまま、今も借金の返済を行っているという。

 <終わりに>
 1年に渡って続けてきた連載も今回が最終回である。改めて振り返ってみると、「当たり前のことが当たり前にできていなかった」という一言に尽きる。”自称”経営のプロであるコンサルタントが設立した企業でも、注意を怠るとこういう悲惨な状態になってしまうということを、1人でも多くのビジネスパーソンに知っていただければ幸いである。そして、経営の基本を踏み外してビジネスに失敗する中小・ベンチャー企業が1社でも減ることを願ってやまない。

 3社のその後であるが、どの会社も未だに業績低迷から抜け出せていないらしい。X社は、自社で抱えていた研修講師を全員手放して、外部講師を使う方針に改めた。さらに、営業担当者も全員リストラしたので、残っているのは研修開発担当者と事務員だけらしい。どうやって売上を立てているのか不明なのだが、多分A社長が自ら営業をしているのだろう。しかし、A社長の能力からして、営業がうまく行っているとは思えない。帝国データでX社の財務諸表を調べると、売上高は解るが営業利益がブランクになっているから、おそらく赤字のままに違いない。

 Y社は上記のような騒動があった後、借金返済のめどが立った2人のうちの1人が、C社長に対して、「自分と親しいメンバーや顧客を引き抜いて、新しく人材紹介事業を始めてもよいか?その際、Y社の株式を全部譲渡してくれないか?」と提案した。Y社のビジネスにもはや興味を失っていたC社長はその提案を受け入れ、1株1円でその人に株式を譲渡した。Y社はグループ企業から外れ、社名を変えて現在も存続している。しかし、前述のようにこの手のビジネスは難易度が高く、あまりうまく行っていないらしい。

 Z社も大幅な人員削減を行い、今ではコンサルタントをほとんど抱えていない。外部の独立コンサルタントをたくさん集めてプールを作り、プロジェクトに適宜コンサルタントを派遣して、その手数料収入で事業を回しているという。Z社はもはやコンサルタント派遣会社である。Z社の最近の悩みは、派遣するコンサルタントの質が低くて、クライアントからのクレームが多いことだという。関係者から話を聞くと、Z社は人月単価70万円でコンサルタントを派遣しているらしい。これではプログラマの単価とほとんど変わらない。それでいてクオリティを求めるのは、酷な話である。

 3社とも、何か大きなミッションを達成しようと事業を行っているようには思えない。ただ漫然と事業を続けており、会社の存続自体が目的と化しているように感じる。3社が存続することで、本来ならばもっと成長性、生産性の高い事業に振り向けられるべき経営資源が縛りつけられており、社会的なコストが発生している。私が5年半の間、曲がりなりにもお世話になった3社に対してこんなことを言うのは大変無礼なのだが、3社ともいっそなくなってしまった方が社会のためである。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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2013年03月31日

【ベンチャー失敗の教訓(第11回)】シナジーを発揮しない・できない3社


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 前職の会社が3社に分かれて3つの事業を行っていたのは、3社がシナジーを発揮し、クライアントとの太いパイプを構築するためであった。具体的には、まずはZ社が戦略コンサルティングという最上流工程を担当する。そこから見えてきた組織・業務・人材面の課題を、X社の組織開発・人事コンサルティングで解決する。コンサルティングの結果、教育研修のソリューションが必要となればX社の研修サービスを、要となる人材が不足していることが判明すればY社の人材紹介サービスを提供する、という流れであった。ITベンダーはしばしば社内にコンサルティング部隊を持ち、コンサルティングからシステム構築までを一貫して行うビジネスモデルを採用しているが、3社が目指したビジネスモデルはその人事版と言えるだろう。

 だが、実際にこのようなシナジーが発揮された案件は、私の5年半の在籍中1件もない。人事制度構築コンサルティングから研修サービスの提供に限定しても、おそらく私ぐらいしかやったことがない(営業人材の評価・教育制度構築のコンサルティングを行い、教育制度に従って営業研修を3年ほど継続受注した)。その原因は、3社とも事業が未成熟で、シナジーを発揮するどころではなかったことにあると考える。Z社のコンサルティングとX社の研修サービスは、以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第4回)】何にでも手を出して、結局何もモノにできない社長」で述べたようにかなり迷走しており、大部分のサービスが中途半端に終わっていた。

 また、X社にはそもそもコンサルティング部隊が決定的に不足していた。X社とZ社は、お互いのサービスの未熟さ、そして収益性の悪さをめぐって頻繁に対立していた。だが、論争になると口が立つのはたいていコンサルタントの方であるから、Z社のコンサルタントがX社の講師陣をやり込めてしまうことが多かった。こうして両社の社員が反目し合ううちに、X社の社員の中にコンサルタントを毛嫌いする傾向が生まれ、X社はコンサルタントの新規採用を止めてしまった。

 Y社の人材紹介事業は、自社をプラットフォームとして、求職者と求人企業という2種類の顧客ネットワークを構築する事業である。この手のビジネスは、ネットワークの拡大に伴って飛躍的にビジネスが拡大する。つまり、求職者が増えれば、「あの会社に登録している人が多いから」という理由で新たに求職者が増えるとともに、求職者のプールに魅力を感じる求人企業も増加する。同様にして、求人企業が増えれば、「あの会社を使っている企業が多いから」という理由で新たに求人企業が増えるとともに、求人企業の多さに魅力を感じる求職者も増加する。

 しかし、裏を返せば、求人企業や求職者が少ない状態では、ネットワークが全く魅力を持たず、ビジネスとして成立しないという難しさがある。名もないベンチャー企業の場合、まずは求人企業と求職者の双方に対して、自社が信頼できる企業であることを証明する必要がある。普通の企業が普通に顧客を開拓するのでも大変なのに、Y社は2種類の顧客を同時に開拓しなければならないという”ハンデ”を背負っていた。そのハンデを克服する決定的な施策も仕組みなく、何年経ってもY社の事業はほとんど物にならなかった。

 さらに、X社とY社の間でシナジーが発揮できないビジネスモデル上の致命的な欠陥があった。それは、X社のキャリア開発研修に原因がある。キャリア開発研修の導入を検討している企業の人事担当者は、「この研修を受けると、キャリア意識が高まった自社の社員が転職してしまうのではないか?」と心配することが多い。もちろん、X社は「御社の中でどうやってキャリアをアップさせるかを考えてもらう研修だ」と答えるわけだが、X社の関連会社にY社があることで、「キャリア意識が高まった社員をY社の転職サービスで転職させようとしているのではないか?」という疑いをかけられることも非常に多かった。だから、X社の提案書のグループ企業紹介ページやX社のHPには、関連会社としてY社の名前を載せない、という事態になってしまった。

 シナジーは1+1以上の成果を目指すものだと言われる。だが、個人的には、シナジーは足し算ではなく掛け算で考えるべきだと思う。したがって、未熟な事業、つまり1.0未満の事業が1つでもあれば、かえって足を引っ張られる結果になる。全てが未熟な事業ならば、どんなに集まっても1.0すら超えられない。3社はまさにそういう事態に陥っていたように思える。

 戦国の武将・武田信玄の家には、「三四十二、三四七つ」という秘伝がある。これは、「3と4は掛け合わせれば12になるが、足せば7にしかならない」という意味である。信玄は、シナジーを足し算ではなく掛け算で考えていたわけだ。信玄の下には、馬場美濃守、内藤昌豊、山県昌景といった歴戦の勇将に加え、軍師として名高い山本勘助と、傑出した才能を持つ人材が多く集まっていた。信玄は合議制によって、こうした1.0を超える優れた人材からアイデアを募って掛け算のシナジーを実現し、当時最強と呼ばれた武田軍を指揮していた(惜しむらくは、信玄が徳川家康を討つ途中、病死してしまったことだ)。信玄の秘伝に学ぶところは大きいと思う。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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