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『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年01月11日

『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他


致知2017年1月号青雲の志 致知2017年1月号

致知出版社 2017-01


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 (1)
 一言で言うと「利他」ですね。人のために何ができるか。人のためにやったことを自分の喜びとする。これがものすごく大事だと思います。みんなが利他に目覚めて、利他に生きたら、世界は一遍に平和になりますよ。私の考えるリーダーの条件って、「寛容と忍耐」なんですけど、自分の都合だけ考えている人は忍耐力がない。人のために何かをやろうとした時に、忍耐力はついてくるんです。そして、その忍耐力を持つことによって、寛容さも自然と養われる。
(近藤典彦「利他に生きることで魂は磨かれていく」)
 《参考記事》
 最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?(旧ブログ)
 人間は利他的だとしても、純粋な利他的動機だけで富は生まれぬ―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』(旧ブログ)
 山本七平『人間集団における人望の研究』―「先憂後楽」の日本、「先楽後憂」のアメリカ

 経済を成長させるのは利己的動機と利他的動機のどちらかという議論がある。アダム・スミスは、完全市場においては、市場参加者が利己的動機に基づいて行動すれば、神の見えざる手に導かれて財の最適配分が実現されると説いた(ただし、スミスが説いたのはあくまでも「均衡」であり、「成長」ではない)。私の考えは振り返ってみるとかなりブレブレで、最初の頃は利己的動機をかなり強調していたのだが、最近は利他的動機を重視するようになっている。何となく、利他的動機を重視した方が経済が成長するような気がするものの、いかんせん私に経済学の知識が欠落しているために、この点を上手に説明することができない。

 経済の成長という観点を離れて、もう少し広く「幸福」について考えてみたい(こちらの方が難題なのだが)。アリストテレスは、幸福を「アレテー(卓越性)に従った生命の活動」と定義した。アレテーとは、「体力、知力、徳力などの全てを含めて人間の持つ優秀な能力」とも「倫理的な優秀性」とも言い換えられるが、いずれにしても優秀性であることに変わりはない。

 また、アリストテレスは、「人間は理性を持つ動物である」とも言っている。ポリス(国家)においては、理性を持つ「市民」がアレテーを発揮して(アレテーのために)政治に参加する。支配層の「エンドクサ(多くの人々による合意)」によってポリスを動かしていくことがデモクラシーである。ただし、ポリスの人間が一度に全員支配層になることはできない。そこで、支配層を順番に交代させる政体が理想であるとされる。ここに、現代の民主主義的政治の原型を見ることができる。

 ただし、アリストテレスの政治理論には問題がある。全ての人間には理性があると言いながら(この点で、人間の中には理性が弱い者もいると述べたプラトンよりは進歩しているのだが)、実際にポリスを運営するためには、人々の間で能力に応じて役割分担が生じる。一部の人は支配層に就く一方で、ポリスの基本的な経済・社会的機能を担うために、農民、商人、職人などの職業が必要となる。農民、商人、職人などは本業が忙しく、政治に必要なアレテーを獲得する道が閉ざされている。すると、彼らは永久に支配層になることができない。アレテー=優秀性という概念を導入すると、どうしても競争が生じ、勝者と敗者を分ける結果になる。

 そこで、人間の幸福に関する発想を180度転換させる必要がある。アレテー=優秀性という利己的な発想に立つのではなく、理性の限界を認め、人間を「他者と交わる存在」、「他者を求める存在」という利他的な位置づけに改める。理性は長年に渡って世界のあらゆる概念を取り込み、肥大化し、世界を整然と説明しようしてきた。しかし、それが全体主義につながったことは、本ブログでも何度か述べた通りである。この世界には、理性を超えた存在がある。それが「他者」である。他者は常に私の知を超え、私の把握をすり抜け、私の期待を裏切り、私を否定する。

 他者は私よりも絶対的な高みにいて、無限の存在である。その高みにいる他者に対して私ができることと言えば、他者に何も要求せずに、ただひたすら仕えるだけである。常により高いところにいる者に対しては、私は常により低い方へ降りて行って、低いところから善意を捧げるしかない。私は決して、他者よりも上に立って、他者を支配し、他者を道具化してはならない。

 同時に、他者は限りなく弱い者として、私に助けを求めるという二重性を持つ。死にさらされた者として、「孤独のうちに見捨てるな」、「死の中に置き去りにするな」と命令している。私という者があらかじめ存在していて、それが他者の叫びを受け取るのではなく、他者の叫びを受け取るべく傷口を開けたままの私が知らず知らずのうちに投げ込まれている。人間の根源的状態は、既に他者に巻き込まれている自己の傷口である。こうして、他者に直面して、私が他者を構成するのではなく、他者が私の内部から私を動かす。他者は既に私の中にいたのである(この辺りについては、以前の記事「小泉義之『レヴィナス―何のために生きるのか』―”他者”の顔は見えるようになったが、”人間”が何のために生きるのか解らなくなった?」を参照)。

 社会には大きく分けると2つのタイプがあると考える。1つは、生まれながらの出自がその人の人生全てを規定する決定論的な社会であり、もう一方は能力・実力がある者が勝利を収める競争的な社会である。前者の代表がかつてのイギリスの階級社会やインドのカースト制であり、後者の代表がアメリカである。私は、日本社会は両者の中間に該当すると考える。以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1)(2)」でも書いた通り、日本社会は垂直・水平方向に細かく区切られた多重階層構造である。

 日本人の役割は、ある程度までは外部要因、社会からの要請によって定まると考えられる。能力主義者はこの点を批判するだろうが、実はメリットもある。というのも、アメリカ人のように自分探しをする必要がなく、与えられた役割に最初から没頭することができるからだ。そういう意味で、日本人は自分探しから自由である。ただし、私も能力主義を完全否定はしない。日本人は自分の能力を高めることによって、階層社会を多少は移動できる。これが2つ目の自由である。とはいえ、日本人は欧米人のように万能ではないから、それぞれの日本人が移動できる範囲は限定される。その限定された範囲内で、できるだけ適材適所を実現していく。

 このように、日本社会では、不完全な能力主義による人材の配置が行われるから、どうしても不公平が生じる。能力のない者が経済的成功を収めたり、逆に、能力があるにもかかわらず報われない者がいたりする。能力を尺度にして成功の大小を測ると、社会全体が不幸になる。だから、それとは別の尺度を用いなければならない。前掲の記事で書いた通り、日本人は自分が位置するポジションにおいて、垂直方向に「下剋上」や「下問」をしたり、水平方向に「コラボレーション」したりすることで、他者を支援する自由を有する(3つ目の自由)。この自由は、階層社会のどの位置にいても有する平等な自由である。この自由を追求し、それぞれの日本人がそれぞれのやり方で他者に仕えることが、1人1人にとってかけがえのない幸福になると考える。

 《参考文献》
 岩田靖夫『ギリシア哲学入門』(筑摩書房、2011年)

ギリシア哲学入門 (ちくま新書)ギリシア哲学入門 (ちくま新書)
岩田 靖夫

筑摩書房 2011-04-07

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 《補足》
 ジョージ・S・エヴァリーJr.、ダグラス・A・ストラウス、デニス・K・マコーマック『STRONGER「超一流のメンタル」を手に入れる』(かんき出版、2016年)では、チャールズ・ダーウィンの著書『人間の進化と性淘汰』から次の言葉が紹介されている。「メンバーの多くが助け合いの精神を持ち、共通の利益のために自分を犠牲にすることができるような集団は、他のあらゆる集団よりも生き残る確率が高くなる。これもまた自然淘汰といえるだろう」。

 また、エヴァリーJr.らは、心身医学を研究するJ・P・ヘンリーとP・M・スティーブンスが1977年に発表した興味深い研究結果にも触れている。メンバー同士の結束が固く、信念や価値観を共有し、利他的で、助け合いの精神があるグループは、外側からどんな脅威が襲ってきても跳ね返すことができ、ストレスへの耐性も高いという。

STRONGER「超一流のメンタル」を手に入れるSTRONGER「超一流のメンタル」を手に入れる
ジョージ・S・エヴァリーJr. 博士 ダグラス・A・ストラウス博士 デニス・K・マコーマック博士 桜田直美

かんき出版 2016-11-03

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 (2)
 シュシャン:ヘリゲル自身が日本で弓道修業をした体験を綴っていて、特に印象に残っているのは、ヘリゲルに弓道を教えた阿波研造という名人の言葉です。「的を狙ってはいけない。的に当てることはもちろん、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」
(菅原義正、ジェローム・シュシャン「果てなき挑戦心を抱いて」)
 シュシャン:ゴディバ ジャパンはこうして5年間で売り上げが2倍になったんですけど、そもそも私は5年間で売り上げを2倍にすると目標を掲げたことは一度もありません。全社員が正しいことをするよう心掛けてきた結果として、15%ずつ前年増になり、5年間で2倍になったんです。(中略)

 目標はプレッシャーにならないように、5%増の予算を立てる。けれど、新商品は何にするか、どこに出店するか、どんな社員研修をやるか、といった毎日毎日やることは一所懸命ベストを尽くす。(中略)結果を狙うのではなく、プロセスを求めるというのは弓道の教えに基づいていまして、弓道には「正射必中」という言葉があります。(同上)
 ジェローム・シュシャン氏はゴディバ・ジャパンの代表取締役であるが、長年弓道の修業を積んでいる。そのこともあってか、非常に日本人らしい思考をお持ちであるとの印象を受けた。通常、欧米人は将来のある時点までに達成すべき明確な目標を設定し、そこからバックキャスティング的に将来への道筋をプランニングする。その際、緻密な計画を立てるというよりも、目標を達成するために真にエネルギーを集中すべきいくつかの要素に焦点を当てる。それがCSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績指標)といった考え方に表れている。統計的な手法を用いてCSFやKPIを特定することにも長けている。欧米の経営者は、最終目標との因果関係が強いCSFやKPIを実現することに全力を注ぐ。

 一方、日本企業の場合は、まず将来の明確な目標というものを設定しない。目標は曖昧なままにしておく。そして、「今、なすべきこと」を毎日着実に実行すれば、自ずと望ましい結果が得られると信じている。1つ1つは達成が容易だが、達成すべき目標の数は多い。これが日本の目標管理の特徴だ。もちろん、上司と部下の間で作成される「目標設定シート」には、多くてもせいぜい5つ程度の目標しか記述しない。だが、その5つの目標さえ達成すれば昇給・昇進するかというと必ずしもそうではない。評価者側は、目標設定シートに書かれていない評価の視点を多数持っており、それらを達成した人に初めて昇給・昇進を認める(人事部による評価の調整という、評価される側からすると極めて曖昧なプロセスの中で行われているのはこのことである)。

 欧米(特にアメリカ)と日本の目標設定の考え方の違いは、両者の歴史教育の方法にも表れている。アメリカの歴史の授業では、出来事と出来事の間の因果関係を重視する。例えば、教師は「リンカーン大統領が南北戦争で勝利することができたのはなぜか?」と生徒に問う。言い換えれば、Whyを重視する授業である。これに対して日本の歴史の授業は、様々な出来事が重なった結果として、次の出来事が生じるという考え方をベースにしている。例えば、室町幕府が成立する過程を追っていき、その間に何が起きたかを多角的な視点から見ていく(だから、たくさんの歴史用語を覚えなければならない)。つまり、日本の歴史授業はHowを重視する。

 日本の場合、「今、なすべきこと」と将来の目標との因果関係は極めて弱い。だから、その因果関係を少しでも強くするために、たくさんの目標を追求する。重回帰分析において、説明変数の数が増えれば増えるほど、結果をより正確に説明できるようになるのと同じである。

 ただし、その目標は何でもよいというわけではない。まず、「顧客のためになること」である必要がある。とはいえ、顧客のためであれば何でも正当化されるとは限らない。顧客のためであっても、それ以外の人のためにならないことはある。つまり、その行為は「社会に迷惑をかけないこと」でなければならない。端的に言えば、「人として当然のこと」を追求する。他者の思いに寄り添うこと、他者の思いを汲み取ること、他者に共感すること、これが重要である。そうすれば、「毎日、満員電車の中で営業マニュアルを大声で暗唱させる」といった目標を新人営業担当者に課すような愚を犯すことはない(これは、私が昔ある中堅企業から聞いた実話である)。




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